最終更新日 2009年7月5日
ゴールデンウィークにトルコ旅行として一週間行ってきました。
トルコというと、ヨーロッパとアジアの融合とか言いますが、世俗的なイスラム国家というコンセプト自体がおもしろいものがあります。様々な地域分類でも、ヨーロッパに区分されていたり、中東に区分されていたり、いろいろですね。
歴史上、さまざまな変遷を経てきており、かつてキリスト教の教会だったがその後イスラム教のモスクと言った建物もあります。古代からの遺跡も非常に多く残されているようです。かつて世界の中心だった地域に近いということでしょうか。
食べ物も世界三大料理の1つと言うことで、豚肉はないですが、いろいろな食べ物が庶民的なものも含めていろいろあります。
国名 | Türkiye Cumhuriyeti(トルコ語)、Republic of Turkey(英語)、トルコ共和国 |
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国土 | ヨーロッパ大陸最南端部分と、アジア側のアナトリアからなる。北は黒海、南はエーゲ海、地中海に面し、ブルガリア、ギリシャ、シリア、イラン、イラク、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアと国境を接している。 |
気候 | 海岸部はCS、アナトリア内陸部はBS |
人口 | 約7,133万人(2003)。 |
民族 | トルコ人90%、クルド人5%など。これは歴史的にも政治的にもいろいろな経緯があって複雑なところらしく、トルコに住むのはトルコ語を話すトルコ人、ということらしいが、実際にはクルド人などの少数民族もいる。 顔つきはヨーロッパ系で、中東っぽい彫りの深い顔をした人もいる。 |
宗教 | イスラム教がほとんど。しかし、イスラム教の国の中で「世俗主義」を強く打ち出しているところが特徴的で、一言で言えば、かなりヨーロッパ化している印象を受ける。ただし、酒は飲むが、豚肉は食べないようだ。 |
首都 | アンカラ |
経済状況 | 一人当たり国内総生産13,138ドル(PPP,2008) 豊かな西部と貧しい東部という格差があるらしい。観光客向けのサービスはそれほど安さを感じない。 |
時間 | UTC+2。日本より7時間遅れている。ただし夏はサマータイムで1時間早くなり、時差も6時間となる。 |
トルコ語。
日本人にとって、発音は比較的簡単に感じるが、ギュとかシェとかィェャュョが多いので、覚えにくい!
いくつか英語と違う特殊な文字、読み方があって、cはジャジュジョの発音になる。あと、混乱するのは大文字も小文字もIのような文字があって、これはウのような発音をする。そのためか、イの発音は大文字も小文字もiのように書かれている。そのため、ISTANBUL、DENIZLIではなく、iSTANBUL、DENiZLiのように書かれている。
英語は観光している限り、問題なく通じた。観光客が多いからだと思う。さらに言えば、日本語を話す人もなぜか多い。何か売りつけようとする人が多いが。
はい | Evet | エヴェット |
こんにちは | Merhaba | メールハバ、のように頭にアクセントがある。 |
おはよう | Günaydın | ギュナイドゥン |
ありがとう | Teşekkür ederim | テシェッケレデリム。いきなり言いにくい。Sağ olというカジュアルな言い方もあるらしい。これはサオールと発音する。 |
紅茶 | Çay | チャイ。紅茶は非常によく飲まれている。イギリスのようにミルクティーではなく、砂糖を入れるだけ。さらに、カップではなく、専用のグラスにつがれてソーサーの上に乗って出てくる。 |
ビール | Bira | ビラ。エフェスというブランドだけしか見なかった。 |
バスターミナル | Otogar | オトガル。 |
ジャーミー | Camii | ジャーミー。 |
なお、トルコ語ではかつてはアラビア文字を使っていたらしいが、アタチュルクによる改革で現在のラテンも辞しように変わったとのこと。これもすごいことだ。
トルコリラ(TL)。補助単位はクルシュ(Kr)で100Krが1TL。Krは10単位でしか見なかった。2005年にデノミを実施していて、トルコリラ(TL)が新トルコリラ(YTL)になったが、もう「新」じゃないでしょう、ということかYがとれ始めている模様。店頭の表記でもYTLとTLが混在していた。
日付 | 場所 | レート |
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2009年5月1日 | アタチュルク空港のATM(イーバンクのVISAデビット) | 1TL=\64.785 |
2009年5月2日 | クレジットカード | 1TL=\63.962 |
2009年5月2日 | クレジットカード | 1TL=\63.960 |
2009年5月3日 | ギョレメのバスターミナルのATM(シティバンクのキャッシュカード) | 1TL=\65.7300 |
2009年5月3日 | クレジットカード | 1TL=\63.966 |
2009年5月3日 | クレジットカード | 1TL=\63.961(同じ日でも違うことがある?) |
2009年5月5日 | セルチュクのATM(シティバンクのキャッシュカード) | 1TL=\65.6900 |
2009年5月6日 | イスタンブールのATM(シティバンクのキャッシュカード) | 1TL=\66.7850 |
2009年5月7日 | イスタンブールATM(シティバンクのキャッシュカード) | 1TL=\66.2417 |
2009年5月2日 | クレジットカード | 1TL=\65.299 |
基本的にいらない、ということだが、観光客が多いところ、高めのところでは要求される模様。レストランで10%くらい。安いレストランとかでは全く払わないか、端数を切り上げる程度で良い模様。
観光で3か月以内なら不要。
トルコはイスラム教国の中でも「世俗主義」を標榜していることで知られる。これは簡単に言えば政教分離ということらしく、公的な場では宗教色を亡くしましょう、ということらしい。
簡単な例でいえば、学校ではベールをかぶってはいけない、というルールがあった。これが議論になっているということは知っていたが、実際に行ってみるとやはり難しい問題だな、と感じる。
まず、トルコは大多数が、というかほとんどすべての人がイスラム教の国。戒律は厳格ではないとはいえ、結構ベールをかぶっている女性は多い。都市より田舎、若い人より年配の人という傾向は感じられないでもないが、若い女性でもベールをかぶっている人は多い。つまり、決してベールをかぶっている人は少数派という訳ではないよう。なのに、学校の制服になるとベール無し、チェックにミニスカート、というようになってしまうので大分ギャップがあるように感じる。
女性のベールというが、実際にはいろいろバラエティがある。全身黒で、目だけ出ている、というのは少なく、1回しか見なかった。それも外国からの観光客だった気がする。一番多いのは鮮やかな模様のスカーフをかぶっている女性で、これは柄もいろいろでファッションとしての要素もかなりあるように感じる。スカーフをかぶっている場合でも、いわゆる長袖、ロングスカートのイスラム風の服を着ている人から、ジーンズを履いている人までいる。観察しているだけでも興味深い。若い女性が、ジーンズにベールをかぶり、たばこを吸いながら乳母車を押していたりする。
酒についても寛容で、普通に飲んでいる。ワインが特産品だったりする。ただし、どの店でも酒を出すわけではないし、昼からみんな酒を飲んでいるということはあまりなく、やや抑制的には感じられる。まあ、アメリカでも酒は飲みにくいですが。
モスクからは時間になると、祈りを呼びかける声がスピーカーで流されているが、街を観察している限り、働いている人、歩いている人の行動に全く変化は見られない。
このように、イスラム教の国でありながら、イスラム教を一律に押しつけるようなことは感じられない国だが、1つ、料理などでも豚肉は1回もお目にかからなかった。
トルコ最大の都市で、人口は880万人(2000)。首都はアンカラだが、何と言ってもローマ帝国、オスマントルコと長い間首都であった歴史がある街。
トルコ旅行で、2009年4月30(木)日に成田から到着して1泊し、翌日の5月1日(金)にカッパドキアに出発した。
旅行の最後、5月5日(火)の夜にイズミルから戻ってきて3泊して5月8日(金)の早朝にロンドン経由で成田へ帰った。
2009年4月30日(木)、前日が祝日だったので余裕を持って荷造りし、JRで東京駅まで行き、成田エクスプレスで成田空港の第1ターミナルへ。
今回はオンラインチェックインしてあったので、並んでいる人が少ないカウンターで手続きはあっという間に終わった。10:55発のBA006便でロンドン(London)へ出発。結構混んでいて、日本人はマスクをしている人が多い。
ロンドンのヒースロー空港のターミナル5に14:50ごろ到着。日本からの便は大陸間便なのでターミナル4に発着していたが、今回はBA専用として新しくできたターミナル5を初めて経験。
ビールを飲んで時間をつぶした後、イスタンブール行きの17:25発のBA680便に乗り換えたが、飛行機に乗り込むまでは良かったものの、それから出発がいきなり1時間くらい遅れた。もともと深夜に到着する予定だったのに、この遅れのせいで、イスタンブール(Istanbul)のアタチュルク(Atatürk)空港に着いたのは午前零時を回ってしまっていた。時差のせいかぐっすり寝てしまい、ぼーっとする。
荷物を受け取ってでると、さすがに空港には人が少ない。空港を出たところにAirport Hotelのシャトルバスがあると表示があったので、そこでしばらく待ってからシャトルバスでAirport Hotelに向かった。
2009年5月5日(火)にイズミルから20:00発のトルコ航空TK0335便で再びアタチュルク(Atatürk)空港へ着いた。
地下鉄(Hafif Metro)でゼイティンブルヌ(Zeytinburnu)駅まで行って路面電車(Tramvay)に乗り換えてスルタンアルフメット(Sultanahmet)駅まで行き、Hotel Lady Dianaヘ向かった。
2009年4月30日(木)〜5月1日(金)の1泊のみ宿泊。日本からイスタンブールへの到着は深夜になってしまうので、そのまま翌日空港から国内線でカッパドキアに行ってしまう旅程にしてみた。そのため、空港近くに泊まろうということでこのホテルにした。日本からWebで直接予約した。
このホテル、"Air side"と"Land Side"の2つに分かれていて、前者は国際線で入国する前、つまり国外にあり、空港から直接ホテルに歩いていける模様。今回泊まったのは入国後、つまりトルコ内にある後者で、普通に入国手続を済ませた後でホテルに行かなければならない。そして、これはビル内を移動するのではなく、シャトルバスに乗る必要がある。
空港前からシャトルバスに乗った。実際にはホテルの建物は空港ビルに隣接しているのだが、空港前の道路は街へ向かって走っているため、空港から少し離れて回り込むように走らないとホテルに行けない。
と言っても、大した時間はかからずホテルに着いた。空港と一体化しているからか、なんとホテルの入り口に空港であるような荷物検査、金属探知機のセキュリティチェックを受けてからレセプションに行ってチェックイン。
ホテルの部屋は結構広い、というか体操ができるほどむやみに広く、寝るだけにはちょっともったいない。価格もそれなりで、なんと1泊で€150もする。それだけの値段でも泊まる人がいるからでしょうか。
2009年5月5日(火)〜5月8日(金)まで3泊宿泊。日本からオクトパスで予約していった。シングル3泊で\35,000だった。
2009年5月5日(火)にトラムヴァイのスルタンアフメット駅で降りたが、23:00近くで、トラムヴァイの走っている通りからそれると人通りが少ないのでちょっと緊張して、明るそうな道を選んで行ったが結構ホテルを見つけるまで遠回りしてしまった。翌朝外に出てみたら、駅から別の道ですぐの場所にあった。
それなりの値段のホテルなので、セーフティーボックスやミニバーもあって良いが、朝食も良かった。ビュッフェ形式で、(美人の)女性スタッフも愛想が良くてそれも良いが、何より窓からアヤソフィアやスルタンアフメットが見えるのが良い。
ちなみに、何でLady Dianaという名前がついているのかは不明。ダイアナ妃の絵がフロントの上に飾ってありました。また、トルコ人は「オテル・レディ・ディアナ」のように発音するので、最初に聞いたときはよく分からなかった。
路面電車。日本で乗るようなものと同じで、道の真ん中を走り、道の真ん中に駅がある。一昔前のニューヨークの地下鉄のようにジェトンというコインを駅近くの売り場で買って、改札にそれを入れて通る。本数も頻繁なので観光客にとっても便利。旧市街と新市街を結ぶガラタ橋も渡る。
旧市街を走る2線の他、新市街のイスティクラール通りを走る線もある。この新市街のものは昔風の一両のチンチン電車が走っていて、駅らしきものもなく、ジェトンを使う改札もないので、中で金を払って乗った。地元の人も乗っているのかも知れないが、多分に観光客用な気もした。遅いし。
最近各都市のプリペードカードが好きなので、イスタンブール版の「アクビル」を買いたかったが、どこで売っているかわからないというか、限られたところでしか売っていないようで変えなかった。これは日本などの都市にあるカード型ではなく、スパナか何かの工具のような妙な形をしている。
空港から伸びている。一応「地下鉄」だが、あまり地下は走らない様子。
旧市街から新市街にガラタ橋を渡ったカラキョイ(Karaköy)から、イスティクラール通りを結んでいる。新市街は丘のようになっていて、尾根の部分をイスティクラール通りが走っている。そのため、そこへと走るテュネルはケーブルカーのような乗り物になっている。駅はビルの中にあってよくわからず、警官に聞いたのだが、最初は通じなかった。
どうやらテュネルではなく、テュネールと発音する模様。
イスタンブール2日目の5月6日(水)は、宮殿、博物館巡り。
1843から1856年までかけてスルタン・アブデュルメジドによって建てられた宮殿。つまり、トプカプ宮殿よりずっと新しく、現代トルコの父アタチュルクも執務に使ったという。
1日の入場制限があるという話だったので、朝一番に行くことにした。ホテルで朝食を食べてからトラムヴァイでスルタンアフメット駅から終点のカバタシュ駅まで。皆がぞろぞろ歩いて行くのについて行くと、観光バスがたくさん止まっているのが見えて、立派な宮殿が見えてくる。既に入り口にたくさん人が溜まっている。
入場券を買ってX線の荷物検査を通って入場。同じ団体客でもトルコ人らしき団体客はこの検査無しで入っているようで、なんだかなあ、という感じ。
ドルマバフチェ宮殿はセラムルク(Selamlık)とハレム(Halem)に分かれていて、両方とも見学できるが、自由に見られるわけではなく、それぞれグループを作ってガイドについて行く形式。
入り口の門を通って庭を横切るとまずはセラムルクだが、建物の入り口にまた列ができている。グループの人数に達したら入れてくれるのかと思ったら、ここで待っていろと言われたっきり、後ろの団体客をどんどん通してしまう。個人の入場者は何人かまとまったところでようやく中に入れてくれた。
我がグループのガイドは女性で、わかりやすい英語で説明してくれる。広い階段を上るとシャンデリア。階段を上ってから入った部屋にもシャンデリア。こういった広間はトルコというよりも普通の(?)ヨーロッパの宮殿という感じで、ロンドンのバッキンガム宮殿や、ウィーンのシューンブルン宮殿と同じような感じ。ただし、ちょっと違うのはトルコ式の風呂であるハマムがあったり、トルコ式のトイレがあるところ。トイレは何とも言えない構造。
後でトプカプ宮殿を見て分かったのだが、オスマン朝は後になればなるほど「西洋化」が進んだようで、後期の宮殿であるドルマバフチェ宮殿まで行くと、ほとんどヨーロッパという感じになっていると言うことらしい。
ここもヨーロッパの宮殿としては不思議ではないが、イスラムの建物としてはどうかというところは、「スルタンの肖像画」を含む絵がたくさんあること。イスラム教は偶像崇拝を嫌うということで、顔や人物の絵は避けられている、という理解だったのに全然そんなことがない。
最後に訪れる大広間は非常に巨大で、NATOの国際会議か何かにも使ったことがあるそうだ。ここでも巨大なシャンデリアが目につくが、これはイングランドで1853年に作られたもので、電球は664、重量は4.5tだという。なお、ガイドの女性によればこのシャンデリアは、ガイドブックにイギリスの女王から贈られたと書いてあるが、それは間違いで、スルタンが自身で購入したものであるとのこと。大広間の天井の四方にはバルコニーがあるが、ここには遠近法を使った絵が描かれていて、あたかも奥まで柱が続いているように見えるようになっている。
建物の横からセラムルクを出た後、さらに建物の奥に回り込むとハレムの入り口がある。
ここでもガイドに連れられてグループで見学しなければならないが、入り口に時間が掲示されているのでその時間までまた待機。
今度もガイドは女性だが、眠そうな顔をしていて、愛想は先ほどのガイドほど良くなかった。一応、説明してくれますが。
ハレムというといろいろ想像がふくらむものですが、普通の住居、といった感じ。もちろん贅沢な宮殿の部屋ではあるが、セラムルクよりずっと質素で落ち着いた感じ。表のセラムルクが人目に触れるため多少虚勢を張った感が否めないのに対し、もっと実用的な感じ。もちろん、男子禁制だったらしい。
ハレムの見学が終わると、出口のカフェでチャイを飲んで小休止。
ドルマバフチェ宮殿ができる前に利用されていた宮殿で、15世紀半ばから作られたものという。
ドルマバフチェ宮殿のように宮殿=建物という訳ではなく、庭があってその周りを建物が囲む構造。
ドルマバフチェ宮殿を見た後、トラムヴァイでスルタンアフメット駅まで戻り、トプカプ宮殿へ。屋台でリング状のパンを買い、食べながら歩くとこれまた立派な門がある。
ドルマバフチェ宮殿のようにグループでしか見学できないのではなく、自由に歩いて見学できる。なので、入場券を買って入り、ちょっと高いがオーディオガイドを借りた。パスポートをデポジットに預ける方式。
第3庭園に入ってすぐにある建物。
衣装や宝物を展示している。なかなか、というか相当見応えがある。
まず衣装を見ると、昔のものはいかにもイスラムといった服装だが、時代を追うと共にヨーロッパ風の服装に変わっていく様がわかる。
宝物については、玉座のようなものや、アクセサリーがあるがとにかくコテコテに宝石だらけ。何よりも目立つのはエメラルドで、数もすごいがでかいのもある。ウズラの卵くらいのものは結構あって、小振りの鶏卵くらいあるかと思われるような巨大なものもある。これ、展示されているのは本物なんでしょうか。
ダイヤモンドもエメラルドよりは少ないが、いろいろあって、何と言っても見どころは「スプーン屋のダイヤモンド」と呼ばれるでかいやつ。ちょっとだけ警備が厳重になってはいますが・・・これ本物なんでしょうか。
写真撮影が禁止なのがちょっと残念。
トプカプ宮殿の一番奥にある領域。これこそいかにもイスラムという感じで、異国情緒たっぷりのデザイン。タイルなどの装飾も立派なもの。ドルマバフチェ宮殿とは全く違う。
トプカプ宮殿は旧市街の丘に建っているので、金角湾を一望できる。
これまたハレムは別料金になっている。
入り口は道の真ん中に小石を埋め込んだようになっていて、これはスルタンの馬が転んだりしないようにという工夫らしい。この入口あたりの領域は警備員が住んでいたらしい。
ここを抜けるといよいよ入口だが、ここから先は男子禁制ということになっていて、通路沿いに台がある。この台に置くことによって、外と中で食事の受け渡しなどをしていたらしい。
中にはスルタンの母や4人の妻が住んでいた領域がある。男子禁制のハレムだからといって、みんなスルタンの妻、という訳ではなく、「妻」は4人だったらしい。集められた女性の中で歌舞などを厳しく教育され、選抜されたものが「妻」になる。また、「妻」の中でもスルタンの母になるとハレムで絶対的な権力者になったようで、なかなか競争が厳しい世界だった模様。
ちなみに、ハレムの女性はトルコ人という訳でもなく、フランスやイタリアといった西欧から連れてこられた女性も居たらしい。というか、そういった女性が妻になるので、どんどん血もヨーロッパになってしまって元からかけ離れてしまったことも、文化的にもだんだんヨーロッパ化していったことに関係しているのかも知れない。
スルタンアフメット・ジャーミーと並んでイスタンブールのランドマークのように建っている建物で、ビザンツ帝国の時代に完成し、ギリシア正教の総本山となっていたが、ビザンツ帝国滅亡後のオスマン朝でジャーミー(モスク)に変えられた。スペインのグラナダのアルハンブラやコルドバのメスキータと逆のような歴史。現在では博物館と言うことになっている。ギリシャ語ではハギアソフィアと言うらしく、Hagia Sofiaという表記もよく見る。
トプカプ宮殿を見た後に歩いて行ってチケットを買い、入ろうとしたが、トルコでいつも見る、入場券のバーコードを読み取ってバーを回してはいる改札のような機械が故障したらしく、人がちょっと溜まっていた。しばらくして復旧したらしく中に入る。
とりあえずでかい。天井は高く、ステンドグラスが輝き、一番奥にはマリアとキリストらしき絵が描かれているので一見した雰囲気は教会。ただし、アラビア文字の文字盤が掲げられているところが異なった雰囲気を醸し出している。
ちょうど工事か調査をしているのか、建物の真ん中に櫓が建っていたのはちょっと残念だった。
2階に上がるとマリア、ヨハネ、キリストのモザイクがあって、人だかりがしている。これはジャーミーとされた後、漆喰で塗りつぶされてしまっていたものらしい。
1階には観光地でありがちだが、マリアの手形と言われる柱があって、真ん中の穴に親指を入れたまま、他の4本指を柱に離さず円を描くと願いが叶うとされている。ええ、もちろんやってきました。
出入り口近くの売店を見ていたら、男性に袖をつかんで呼び止められた。物売りかと思ったら、先生か何からしく、一緒にいた中学生のような男の子二人に英語でいろいろ説明された。英語の勉強の一環か何かで観光客にインタビューしているらしい。手に持ったメモで順番に読んでいくのだが、私もあまり英語が上手ではないので聞き返したりして、ちょっと対象者としては適切でなかったかも。最後にトルコはEUに加盟するべきですか?と聞かれた。「難しいですね。でも、それはあなた達の問題です。」
トプカプ宮殿の庭でも、スルタンアフメット・ジャーミーに向かう公園でもそうだが、チューリップが非常に多く咲いている。トルコはチューリップの原産地の1つのようで、オスマン朝の頃から人気があったようだ。
アヤソフィアの後はスルタンアフメット・ジャーミー。これもイスタンブールのランドマークの1つで観光名所だが、トプカプ宮殿やアヤソフィアと違って実際に今でもジャーミー(モスク)として機能している。入ろうとして横を見たら、信者の人だと思うが、一生懸命足を洗っていた。日本で神社に入る前に手と口をすすぐようなものでしょうか。
靴を脱いでビニール袋に入れて入る。観光客向けにはスカーフのようなものも貸しているようだった。中は体育館のように広々している。太い柱と、多種多様なモザイクが印象的。
入場料のようなものはないが、出口で靴を履いた後に寄付を求める場所がある。トプカプ宮殿やアヤソフィアの入場料を考えるとただはないだろうと思って5YTLを払ったら何やら緑色の紙を5枚渡された。怪訝な顔をしていたら、「リョーシューショ。」と言われた。そうですか。
スルタンアフメット・ジャーミーを出たところはローマの大競技場跡で、オベリスク、柱が残っている。
スルタンアフメット・ジャーミーの後は地下宮殿。
ビザンツ帝国時代からオスマン朝にかけて使われていた地下の貯水池。結構広くて、ライトアップされているが妖しい雰囲気。後から放されたものかも知れないが、鯉のような魚もいる。一番奥にはメデューサの頭の像が2つある。なぜここにそんなものがあるかはよく分からないらしい。
地下宮殿を見た後、ホテルに帰る途中でお茶。
ロクムというお菓子が気になっていて、それを売っている店でここで食べられる?と聞くと、笑いながら1kg? 2kg?と聞かれたが、5つで良いです、ということでチャイと共に味見。
一番シンプルなピスタチオでくるんだもの。はっきりと甘いので、好き嫌いはあるかも知れない。ええ、私はとても気に入りました。いくつでも食べられそうです。
一旦ホテルに戻って一休みしてから、夜は旋舞を見に行くことに決めて出発。スルタンアフメット駅の近くの店で夕食
このSelim Ustaという店は庶民的な店で、キョフテ屋というものらしい。キョフテというのは、小さなハンバーグというか、肉団子というか、円柱状の挽肉のかたまりを焼いたもの。トルコ料理はいろいろ食べたが、これが結構おいしい。
キョフテが中心で後は別のメニューが1つとサラダくらいしかない。日本でいう牛丼屋のような特化した店で、酒は置いていない。
サラダとキョフテとコカコーラを頼んで食べたが、16.50YTL。17YTLを払ったら特にお釣りはなかった。まあ、端数ということでしょう。
味は悪くなく、こういう安価に食べられる食事がおいしいことは重要です。
旋舞とはメヴレヴィー教団というイスラム神秘主義(スーフィズム)の信者が宗教行為として踊るもの。英語ではSemaというようで、これを「旋舞」と訳した人は偉い。
ベリーダンスとかトルコらしいものを見てみたいと思っていたが、セビージャのフラメンコ、ブエノスアイレスのタンゴと観光客向けのショーにはうんざりしていたので、ホテルのカウンターにあった中でまずはまっとうそうなこのダンスを見てみようと思った。
これはもともとスィルケジ(Sirkeci)駅でやっていたものらしく、最近第二の会場としてHodjapasha Art & Culture Centerというところでもやるようになったとのこと。スィルケジ駅は金曜と日曜、Hodjapasha Art & Culture Centerは水曜と土曜。たまたまだが水曜日にイスタンブールに滞在できてラッキー。
このHodjapasha Art & Culture Centerというのもスィルケジ駅の近くにあり、もともとハマムだった建物のようだ。入口を入ると受付があり、前の客に予約をしているか聞いていたのでまずいと思ったが、問題なくチケットを買って入れた。
中は円形の舞台を席が囲んでいて、ほぼ満席。演じている間は静かにしろ、フラッシュはたくなという注意があり、まじめに見る雰囲気。良い感じ。
まずは5人くらいの人が舞台の横のステージに座って演奏を開始する。楽器も含めて聞き慣れないもので、異国情緒たっぷり。
そうしているうちに白装束の踊り手がぞろぞろ出てくる。すぐに踊るのではなく、最初はしばらく、互いに向き合って礼をするような動作を繰り返している。かなり東洋的な印象を受ける。
そのうち、一人、二人と舞い始める。舞といってもひたすらくるくる回る。本当にひたすら回り続ける。回っても体の軸がずれないのはすごいし、第一目が回らないのがすごい。スケート選手か宇宙飛行士にもなれるのではないでしょうか。
回転するときは顔をやや傾け、目は半開きかつぶった状態。それで軸がずれずに回るのはすごい。練習すればできるものでしょうか。
両手は上に向かって拡げているが、単に拡げているのではなく、右手と左手の形が少し違う。左手はだらんと指先が下の方を向いているが、右手は手のひらを上に向け、チョップをするような形にしている。左が軸になっているのかと思う。
期待通り、あんまり観光客に媚びていないもので良かった。
ホテルに戻り、寝る前にスルタンアフメット駅の近くまで行って少し飲んだ。パブのような店でビールを頼み、夕食も食べたのにイカのリングフライも食べてしまった。チップも含めて45YTLくらい、夕食代と比較してかなり高いですね。あまり庶民的な飲み屋というのはないんでしょうか。
酒を飲むのは普通に行われてはいるが、やはりイスラム国ということもあるのか、あまり派手に飲んでいたり、誰でも飲んでいる、という雰囲気ではないようにも感じる。
イスタンブール2日目の5月7日(木)は、新市街を見てからボスフォラス海峡のクルーズ。
ボスフォラス海峡クルーズの前に新市街をちらっと見ておきたかったので、朝食を早めに済ませ、ホテルを出てトラムヴァイでまずカラキョイ駅(Karaköy)まで。ここでテュネール(Tünel)に乗り換えるのだが、乗り場がわからなくてちょっと戸惑った。近くにいた警官に「テュネル」はどこか聞いてみたが、最初通じず、話しているうちに「テュネール」か、ということで教えてもらった。アクセントが違った模様。
その「テュネール」は一応交通機関だが、ケーブルカーみたいなもの。車内も傾いて座席が取り付けられている。途中に駅もないので、カラキョイ駅から「登り」、降りるとイスティクラール通り(Istiklâl)通りへ出る。
朝なので賑やかとまではいかなくても、人通りが多い。通りの真ん中あたりにある魚市場を覗いて見た。市場はどこもおもしろいので期待していたが、9:00ごろだったせいでまだ準備をしているところが多かった。市場って、普通朝早いと思うんですけど。
魚市場を見てからさらに通りの最後、タクシィム広場まで歩き、トラムヴァイで戻ってきた。このトラムヴァイ、旧市街を走るときは近代的な車両が走っているのに、この通りを走っているのはチンチン電車のような1両のもの。そもそも旧市街のトラムヴァイのように乗り場が設置されていないので、どこで乗ればよいのか分からない。切符売り場もないようだ。適当に止まっているのに乗り、運転手に金を払うと運転手は自分で持っているアクビルで何か機械の支払手続きをしていた。
イスティクラール通りを見た後は、テュネールでカラキョイまで降り、ガラタ橋(Galata)を歩いて渡り、エミノニュ(Eminönü)の船乗り場へ行った。切符売り場でボスフォラス海峡行きの船のチケットを17.50YTLで購入。英語でBOSPHORUS TOUR、トルコ語でBOĞAZ TURUと書かれ、往復の切符になっている。
この船のツアーは観光客にたいそう人気があるようで、切符を買ったときにはもう列ができていた。
時間になり、船の後ろのデッキの右側近くに席を確保。10:35に出発。となりが日本人女性と、日本語を話すトルコ女性ガイドの二人だったので、期せずしていろいろな解説を耳にすることとなった。売り子が船内を回っていて、チャイなどを買って飲むこともできる。
出向してしばらくはヨーロッパ川に沿って北上するので、左側に新市街がよく見える。ドルマバフチェ宮殿も船からはっきりと見える。また、ボスフォラス海峡にかかっている橋を2回くぐる。1つ目はドイツによる橋、2つめは日本による橋というようなことだった。海峡をところどころ送電線も横切っている。
海峡は軍事上も重要な場所だったためか、ルメリ・ヒサル(Rumeli Hisarı)という城も作られているのが見える。
船は所々、あるところはヨーロッパ側、あるときはアジア側というように船着き場に停船しながら進むが、アジア側のカンルジャ(Kanlıca)というところに止まると、カップに入ったヨーグルトを船内で売り出す。結構買いに行っている人が多いが面倒なので席に座っていたら、しばらくして席まで売り子が回ってきたので、買ってみた。普通のヨーグルトのようだが、上にこれでもかというように粉砂糖がかけられている。
船の最終到着地はアナドル・カヴァウ(Anadolu Kavağı)というアジア側の船着き場。12:00過ぎに到着し、ここで一旦全員降りる。海は美しい、と言いたいところだが、水はあまりきれいではなく、クラゲがたくさん浮いている。
降りるとシーフードレストランが並んでいるが、まずは皆についていって街を抜けて道を歩いていく。
ずっと歩いて行くと、丘の上の城壁がある公園に着く。ここが皆の目的地で絶景。ボスフォラス海峡が終わって黒海とつながっているところが見える。当然のことながら皆写真を撮る。また、左を見るとボスフォラス海峡のヨーロッパ側が見えるが、本当に狭い。ちょうど鳥取県の境港を思い出した。
丘から降りて船着き場近くに戻り、たくさんあるレストランから1つ選び、ビールと魚料理。ビールはエフェス。魚については定番?のイカリングフライと、もう1つはどれにしようか迷ったが、並んでいる魚を見に行って小さな魚(Red Mullet)を選んだ。唐揚げになって出てきて、丸ごと食べましたが・・・ちょっと生臭さが残っていました。まあ、記念です。
再び来たときと同じ船に乗って15:00発。同じところを帰って行くが、今度は反対側がよく見えた。ドルマバフチェ宮殿の前を通って、出発した船着き場に着いて終了。
さて、船を下りたエミノニュにはもう1つ名物があって、それは鯖サンド。焼いた塩鯖をパンに挟んだだけのサンドイッチだが、結構人気があってみんな買っている。1つ買うとジュウジュウ焼いている鯖をとり、大きなピンセットのようなもので一応骨を取ってパンに挟んで渡してくれる。味は・・・予想通り、鯖とパンの味です。
海外では釣りをしているところとしていないところがあるが、イスタンブールは前者。特にこのガラタ橋は釣り人が多く、というか一定間隔で並んでいる。ところどころに餌や仕掛けを売っている人もいる。
見ていると、結構釣れている。小さな小魚で、おかずにするのかみんな持ち帰っている。ゴカイのような餌も売っていたが、サビキのような仕掛けで竿を上下させて釣っている。釣った魚の分け前にあずかる猫もいた。
ガラタ橋は2階建てのようになっていて、一番上は車が通り、歩道がその脇を通る。そしてその下にはレストランが入っている階がある。なぜか釣りは、一番上の歩道でやっている。ということで、下のレストランの階の歩道を歩いていると、真横に上から釣り糸が垂れ下がっている。仕掛けは巻き取ったりするので、結構顔の前を仕掛けやおもりがぶらぶらと通ることになるが、誰も気にしていない。日本だったら危ないと言うことですぐに禁止になると思うが。それに、レストランがある下の階でやれば問題ないと思うのだが・・・。
ボスフォラス・クルーズを終えた夕方、エミノニュ近くのお菓子の店でロクムをお土産に買い、バザールへ。
あまり観光客ずれしていないといわれる。狭い中にいろいろなものを売っているが、苗や種のようなものがたくさん置いてあった。不思議なのはヒル。あの人の血を吸うヒルだと思うが、店頭にある。これは売り物?売り物だとして何に使うんでしょうか。
エジプシャン・バザールの後は有名なグランバザールまで歩いた。このグランバザール、青空市場ではなく、大きな建物になっていて、中には通りがいくつも走り、店やショーウィンドーが並んでいる。宝石やお土産、お菓子などたくさんのものが売られているが、ざっと見て終了。
トラムヴァイでホテルに戻った。
バザールを見た後はホテルで休憩し、暗くなってからIstanbulinというナイトクラブのショーへ。最後の版なのでベリーダンスでも見に行こうかということで、ホテルで予約してもらったもの。いくつかあったがこれがおすすめというので。食事が選べるものと選べないものがあったが、いい値段がするので食事を選べないものにした。
フロント近くのロビーで待っていると男が迎えに来る。ホテルの前に車があるのかと思ったらちょっと歩いて観光バスに乗せられた。その後、女性達中心の賑やかなツアー客が乗り込み、賑やかに新市街のタクシィム広場を過ぎて到着。
場内に入るとステージの横の席に案内され、机の上には日の丸。それぞれ客にあわせて国旗が立てられているようだ。知らない国旗も多く、日本はもちろん、ヨーロッパ、そしてヨルダンやイランといった近くの諸国の旗もあった。
前菜が出てきて、食べていたら、何だか酸っぱくて胃がもたれてきた。さらにただの鶏のモモ焼きが出てきて、食べていたら食欲がさらに減退してきた。
ショーは、悪い予想通り。いかにも観光客向けっぽい。ダンサーはいつも同じで、トルコ各地のダンスと賞するものをいくつか踊る。2回ほど、ベリーダンサーが中心になって踊り、その後そのダンサーは席を回って一緒に写真を撮る。そして現像されたものを後で売りに来る。いかにも。いかにも過ぎる。
なんだか体調も悪くなってきて、何度もトイレに立ってしまった。ショーは男性司会者が来て、それぞれのテーブルの国旗を見てはその国の歌を歌い、最後は各テーブルの女性を集めて掛け合いをしてみんなで踊って終わる。別に踊るだけならここに来なくても良いのに・・・という感じ。体調もあってかなり途中で帰りたくなったが、送迎なので途中で帰れない。結局最後までいてようやくおしまい。ウェイターが紙に金額を書いて請求するのでその通り払ったら、心外な顔をして「僕のチップがない」とおっしゃる。トルコはチップがいらないんじゃないの?と思ったが、高い店だし大人なのでそれなりに支払い。やれやれ。
いろいろな意味でくたびれきって送迎バスでホテルに到着。やっぱりこういうタイプのやつは向いていないと思った。
5月8日(金)の朝6時すぎにチェックアウト。
スルタンアフメット駅まで歩き、トラムヴァイでゼイティンブルヌ駅まで、そこから地下鉄の乗り換えてアタチュルク国際空港へ。
お土産屋でお土産を買ったりしてから8:55発のBA675便でロンドンのヒースロー空港のターミナル5へ。
13:45発のBA005便で出発し、成田空港へ5月9日(土)の9:00過ぎに到着。
着陸前に新型インフルエンザの検疫の用紙が機内で配られた。設問自体意味がよく分からないので脱力。「あなたは、本日より10日前までの間にメキシコ、アメリカ及びカナダに滞在した人と接触しましたか。」とか書いてある。「10日前までに」が「滞在」にかかるのか、「接触」にかかるのかよく分からない。正確に答えないと罰金といったようなことが書いてあるので、この設問は「はい」にしてみたが、成田空港の検疫ではこの用紙を受け取る代わりに新型インフルエンザの注意事項が書かれた紙を渡されるだけで何も言われなかった。空港だけではなく、成田空港駅のキオスクの店員までマスクをしていてちょっとびっくり。
成田エクスプレスで東京まで出て、中央線で帰宅。
カッパドキアはトルコでも有名な観光地だが、カッパドキアという都市があるわけではなく、ネヴシェヒル、ギョレメ、ユルギュップ、カイセリといった街があるこの地方一帯の「ニックネーム」とのこと。もともとは良い馬の場所と言った意味らしい。
奇岩の地形で有名だが、それだけではなく岩をうがった教会や地下に広がる都市や渓谷など変化に富んでいて、複合遺産として世界遺産になっている。
トルコ旅行で、2009年5月1日(金)にイスタンブールから到着して2泊し、5月3日(日)にパムッカレに出発した。
2009年5月1日(金)の朝、イスタンブールのAirport Hotelで朝食を食べようとすると、料金に含まれていないと言われてしまったので、部屋につけてと言って食べ、部屋に戻って荷物を整理してチェックアウト。玄関前にシャトルバスが待っていたので、急いで支払をしてシャトルバスに乗って国内線ターミナルへ。後でレシートを見たら朝食が加算されていなかった。まあ、良いか。
前日は深夜到着で、全くトルコ・リラを持っていなかったので、国内線ターミナルで、今回新たに作成したイーバンクのマネーカードを使ってATMでトルコ・リラを下ろした。後で考えると、このときATMにカードを挿しっぱなしにしてしまった気がする。
イスタンブールからネヴシェヒルまでの航空券は、あらかじめ日本でウェブで予約してあったので、トルコ航空のカウンターに行って荷物をチェックイン。カウンターのお姉さんがすばらしい笑顔で搭乗券をくれた。良い国じゃないですか。
10:00発のトルコ航空TK0258便でネヴシェヒル(Nevşehir)空港に向けて出発した。
カッパドキアにはいくつかの街があり、飛行機で行く場合でもいくつか行き方があるようだ。イスタンブールからもっとも便数が多いのは、カイセリ(Kayseri)空港のようだが、観光の中心地にはネヴシェヒル空港のほうが近いようだったし、ちょうど午前中の便があったので今回はネヴシェヒル空港行きにした。
ネヴシェヒルもカッパドキアの中では大きな街で、交通の便も良さそうだったので、当初の予定としてはネヴシェヒルに泊まろうかと考えていた。しかし、日本から予約してあったのは、昨晩のイスタンブールのAirport Hotelとこの飛行機、そして旅程最後のイズミルからイスタンブールに戻る飛行機とイスタンブールでの3泊だけ。つまり、この飛行機を降りた後の行動は自由と言うこと。飛行機の中でガイドブックを読んでいて、気分が変わり、やっぱりカッパドキアらしいホテルがあるらしいギョレメに泊まりたくなった。
11:30過ぎにネヴシェヒル空港に到着。機内アナウンスでは、「ネヴシェヒル・カッパドキア空港」と言っていた。簡素な空港で、飛行機を降りてターミナルまで歩き、一直線のコンベアから荷物を受け取る。
そこから歩くとすぐに出口まで来てしまうのだが、壁に街まではタクシーかバスと書いてあった。ガイドブックではタクシーしかないとあったが、バスがあると良いな、と思って外に出た。観光バスや自家用車が何台か泊まっていて、それに乗る人も多い。タクシーも数台あって呼び込みがあったが、バスらしいものはないな、と思ったら、端のほうにトルコ航空のマークが着いたミニバスが止まっている。運転手らしき人に街の中心に行くか聞くと、そうだというので乗り込んだ。運賃もただとのこと。トルコでは長距離バスが発着するターミナル(オトガルと呼ぶ)からは、街の中心まで無料の送迎(Servis)があると言うが、これもそのようなものなのだと思う。
バスには運転手と知り合いらしい男が2〜3人、運転手の近くに陣取り、その他観光客らしき男性1人、それと私、そして韓国人の若い女性3人。この女性たちはデジタル一眼レフのような大きなカメラで車窓の風景を撮影しまくっていた。
空港から街の中心までは結構な距離があって、タクシーじゃなくて良かったな、と思った。
ミニバスは街中に入っていって泊まり、前のほうに座っていた男が韓国人の女性3人に何か声をかけ、彼女たちは降りていった。私もギョレメに行くんだけど、と男に声をかけたら、やはり降りて左に行ったところだ、というので一緒に降りた。人がたまってバスを待っているらしきところがあり、彼女たちはそこで待ち始めたので、私もそこで待つことにした。バス停らしき表示は全くないが、少し周りをうろうろして自分の位置を確かめてみると、ガイドブックにあるバス停の近くらしい。人通りも多い。時間もたっぷりあるのでいいやと思って待っていると、何台かバスが来て、Nevşehir-Göremeと表示されたバスが来たので、荷物をバスの脇に入れてもらって乗り込んだ。
みんな切符を持っている節もないし、運転手にもお金を払っていないので、そのまま乗り込み出発。そうすると、しばらくして男がお金を集め出したので、1.75YTL払った。ネヴシェヒルは結構大きな街のようだ。
バスはネヴシェヒルの街を出て、ギョレメに向かうが、途中でウチヒサル(Uçhisar)を通る。そしてギョレメが近づくと下り坂になるが、ガイドブックにあるような奇岩がぼこぼことあるのが見えて来てちょっと興奮する。
ギョレメはネヴシェヒルと比較すると小さな街、というか村で、オトガルもこじんまりとしている。バスを降りるとバス会社のブースがいくつか並び、入り口に行き先がホワイトボードで列挙されていたので、Denizliと書いてあるものを探し、中で2日後の5月3日(日)の19:30発のデニズリ行きのチケットを35YTLで買った。ネヴシェヒルまで戻らなければならないかと思ったので、良かった。Öz Elbistan Seyehatというバス会社のようだ。カウンターのおじさんに宿が決まっているか聞かれたので、決まっていないと言うと、知人がやっているishtar Pansiyonに良ければ泊まってよ、と紙に書いて渡された。いろいろ見てから決めようと思ったので、オトガルの反対側にあるホテル紹介所に行ってみたが、壁一面にホテルの写真と連絡先が貼ってあるだけで、値段も書いていないのでよく分からない。おじさんが1人いて、予約はしてもらえるのか聞くと、電話してあげるよ、と言うが、どこがおすすめか聞くと、立場上言えないよ、と笑って言う。本業はタクシーの運転手で、ここにいないときは言えるけどね、とのこと。これでは決められないので、歩いて行ってみて決めることにした。
オトガルから運河沿いに歩いて行き、せっかくだから景色が良いところにしようと思って坂道を上ると、ガイドブックでも良さそうに書かれたこのホテルがあったので、そこにしようと思った。
斜面に立っているので建物の中も階段上になっていて、一番上の食堂&レセプションに行き、従業員らしき女性に泊まりたいと言うと、「予約している?」と聞かれたので満室かな、と思ったがどうやら空きがある様子。1泊€35(精算時には147TLだった)だと言うので2泊を即決。部屋を案内してもらうと良く言えば洞窟部屋。悪く言えば窓もない部屋だが1人なので十分すぎる。
レセプションに戻って名前を書くと、紅茶を入れてくれた。なかなか親切。チェックイン手続きが終わった後、今度は男性がツアーの説明をしてくれる。バルーンは高かったので、翌日の1日ツアーを申し込んだ。翌々日は後で決めることにした。ちなみにツアーは結局2日とも参加したが、合計で126TLだった。
ツアーの説明の後は、ホテル内のハマム(トルコ風風呂)の説明。別の男性が説明してくれ、いろいろコースがあるのだが、おすすめのマッサージ付きのパックのコース"Peeling & Soap Massage, Anti Stress & Mask"は90分で$90(精算時は144TLだった)とのこと。2泊分の宿泊費にも相当するので高いなあ、と思ったが、試してみたいとは思っていたので20:00からで予約した。
このホテル、なかなかおすすめです。従業員もフレンドリーですが、ホテルから見える奇岩のカッパドキアの風景、なかなかです。
朝は観光用の気球がいくつも上がっているのが見える。
また、ギョレメ・パノラマからもこのホテルが見える。
5月1日(金)は、ギョレメに昼に着いて予定がなかったので、ギョレメの中を観光してみた。
ギョレメの村の外れにはギョレメ屋外博物館というのがあって、歩いていくことができる。
博物館と言っても、奇岩に穴を掘って作られたいくつかの教会を見ることができる、と言うもの。15YTLで切符を買い、地下鉄の自動改札のようなバーを通って入場する。このとき、切符のバーコードが印刷された部分を穴に差し込むのだが、わからなくてちょっと戸惑った。以降トルコを旅行するとき、ずっとこのやり方だった。
場内は観光客が多く混み合っている。ツアー客は固まって1つの教会を見ていたりするので、外で待たなければならないこともあった。「教会」と言っても岩に穴を掘って作った部屋が残っているだけのようなものがほとんどで、そのうちのいくつかは壁画がうっすら残っているだけ。特にきれいだったのはカランルク・キリセ(Karanlık Kilise)で、ここだけはかなり原色の壁画が残っている。ただし、この教会の入り口で8YTLの追加料金を取られる。きれいなのは良かったが、外に出るとき狭い入り口で頭を思いっきり打ってしまい、星が出た。旅行中、どうも頭が痛くてブタインフルエンザにでもかかったかと思ったが、ここで頭を強打したせいのようで、後で大きなかさぶたがとれた。
ギョレメ屋外博物館を出て、ギョレメに帰る途中に車道沿いにトカル・キリセ(Tokalı Kilise)がある。切符はギョレメ屋外博物館のものを提示すれば良かった。この教会は入った階だけではなく地下の階もあった。
ギョレメ屋外博物館からギョレメの街中に戻り、暑いのでジュースを搾る店でグレープフルーツジュースを飲んで一休み。その後、Anatoria Kitchenという店でトルコ始めての夕食。
まずはビール。これはエフェス(EFES)というものが有名、というかトルコではこのブランドの3種くらいしか見なかった。
最初はトマトのスープで、ナンと一緒に出てきた。これは結構おいしかった。
メインはよく分からないので適当に頼んだが、出てきたのはなにやら陶器の壺。これの腹の線が入ったところをヤスリを大きくしたような金属の棒で一週叩いて、かぱっと上半分を外して食べる。味は・・・あんまりしなかった。テスティ・ケバブ(Testi Kebabı)というもので、カッパドキアの名物になっているものらしい。周りの人も食べていた。私ほどきれいに割れなかったけど。
というか、食事の前まではあんなに暑かったのに、日が陰った途端に急に気温が低くなり、外で食べたら相当寒かった。
ビール5YTL、スープ4YTL、ケバブ20YTLということで、30YTL払って釣りは残してきた。
寒かったのでホテルにもどってちょっと一息して、20:00からはハマム。
5分前に来てくれと言われたが、ハマムの前に行っても誰も来なかったのでソファーで待っていると、やや浅黒い東洋系の若い女性が出てきて、ちらっと見た。なんだか前から見るとエプロンに見えるような簡単な服しか身につけていなかったので、ハマムに入っている女性かと思って、見ないようにしていたら、朝説明してくれた男性がごめんごめんと着て、中の部屋に入れてくれた。なぜか先ほどの女性も一緒に着いてきた。
脱衣部屋に行って服を脱ぎ、貸してくれたのはタオルだけなのでそれを腰に巻いて出て、ロッカーに服を入れる。裸みたいな格好なのにさっきの女性が立っていてやりにくいなあ、と思っていたら、男性が「じゃあ、後はこの女性に任せて。」と言ってどこかに行ってしまった。ええええー。お客さんじゃなかったんだ。
ハマムの中に入り、大理石の台のようなところに寝かされ、お湯をかけられ、最初はあかすり。日本で靴磨きに使うような手が入るタオルのようなもので、ナイロンか何かでジョリジョリしたもので全身をこすられる。っていうか、ほとんど裸で若い女性に体中こすられる、というのもちょっと緊張。たまに大事なタオルをちょっと持ち上げられ、うつぶせになったり仰向けになったりさせられる。他に誰もいないし。別に変なサービスは一切ないですけどね。
あかすりは消しゴムみたいなものが出てきておしまい。これは一度やると一週間くらいは空けるんだ、とさっきの男性は言っていた。
あかすりが終わると女性は端に行ってなにやらお湯をためてタオルの袋か何かを振り子のように振りながら泡を立て、それを私の体に乗せて泡だらけにして、体を洗って一応おしまい。
終わる頃に、今度は欧米人らしき女性が客としてハマムに入ってきたので、二人きりでなくなってちょっとほっとした。しかし、その女性には、さっきの男性があかすりを始めていた。うーん。よくわからん。
あかすりの後は体を拭いて、別の部屋のベッドでマッサージ。今度は色白の東洋系の女性が来てマッサージしてくれた・・・が、これがまた強烈。マッサージ自体は背中をいろいろ押される普通のものだったが、うつぶせの状態で肩甲骨周り、ぎゅうぎゅう指で押される。あんまりにも痛いので、ベッドの支柱を強く握って我慢していたが、後で部屋に戻ってみたら、両肩甲骨のところがくっきりピンクになっていた。女性なのに力があるなあ・・・。
痛さで・・・ではなく、90分いろいろ加工され、夢心地、というかぼーっとして部屋に戻った。なかなか不思議な経験でした。
5月2日(土)は、現地の1日ツアーに参加してみた。ホテルで申し込んだので、ホテル出発ということで、朝食後の9:30出発。エルジャンという男性ガイドが迎えに来て、ミニバスで出発。アメリカ人が多く、日本人旅行者とも一緒になった。
この時期、ブタインフルエンザが気になるので、隣になったアメリカ人に話を振ってみたが、知ってはいるけどあまり気にしていないようだった。しかし、アメリカ人旅行者が咳き込むとちょっと気になる。
朝一番に向かったのはギョレメ・パノラマ。名前は大げさだが、道路沿いにある景色がきれいなところ、という感じ。お土産を売る露店がいくつか出て音楽を流していたりする。
カッパドキアのイメージそのものの奇岩が並ぶ。これは水や風による浸食でできた地形だという説明。
岩の所々に人為的に穴を掘ったところが見える。しかし、なんで石で家を建てたりしないで、わざわざ岩に穴を掘って住んでいたんでしょう?そういう私もわざわざ岩を掘ったホテルに泊まっているわけですが。穴を掘ってある位置が結構高さがあるところも不思議なところで、出入りも不便だと思うんですが。
ここからはウチヒサルもよく見える。
カッパドキアには「地下都市」と呼ばれるものがいくつかあって、カイマクルもその1つ。
地下都市というと何やらまたわざわざ地下に住んで、と思うが、これはあくまでも外敵に攻められたときに籠城するためのものだ、とのこと。この地方には昔からいろいろな人達が流れ込んできたり、攻めてきたりしたためらしい。そのため、単なる避難所というよりもっと大がかりなもの。
入り口は普通の民家の中にあったりしたらしく、外敵が来ると中に逃げ込んで集団生活をしていたということ。トンネルは相当に天井が低いところもあり、これは不案内な外敵が攻めにくいように、とのこと。大きな石のふたのようなものもあって、これでトンネルを閉じてしまったりもしたらしい。
教会も残されているが、あくまでも一時的ということで、それほど華美な装飾はなかったようだ。厨房などもあり、また、ワインの貯蔵庫のようなものも残されている。
ワインを売っている店まで行って、ワインの味見。当然販売もしていて、プロモーションも兼ねているのかも。
カッパドキアの街の1つのアヴァノスに到着。街はちらっとしか見られなかったが、川が流れるきれいな街。
洞窟を模したレストランで昼食。食事はツアーに含まれているが、飲み物代だけは払う形式。U字型のテーブルにツアーのみんなで座って食事。入り口にも観光バスが何台も止まっていて、いかにもツアー客向けのレストランだと思ったが、味も含めてそんなに悪くなかった。スープは定番のレンズ豆のスープだったと思うが、これは結構おいしいメニュー。メインは煮込みとご飯。デザートはおかゆを甘くしたような冷たいデザート。確かこれはロンドンからイスタンブールまでの機内食でも出たから、トルコのデザートなのかも知れない。
昼食の後は、陶芸見学。アヴァノスは陶芸で有名らしい。まず、ろくろを回して成形するところや絵付けを見学した。ろくろはもちろん今は電動だろうが、デモでは足で回すもの。これは足で連続して回す、というのではなく、最初に強く足で蹴って回し、その勢いで回っているうちに成形する、というもの。
見学の後は、当然のように販売コーナーの見学。値段はピンキリで、汎用的なものは安いが、細かい絵を付けたものや大きいものはそれなりの値段がする。汎用的なものを1〜2個記念に買おうと思ったら、日本語を話すミルコ・クロコップに似た店員が来て、この色も良いでしょう?6つ買うと割引ですよ、と言われて6つも買ってしまった。まあ、それでも大した値段ではないですが。
キノコ岩があるところに到着。これ、1つだけキノコに似た岩があるのかと思っていたが、たくさんある。上部の岩の色が違うので、こんなにおもしろい形になっている。上部の岩の部分がライオンに似た形のもの、ウサギのように見えるものなどがある。
少し行ったところで、同様に奇妙な岩がたくさんあるのを見たが、らくだのように見えるもの、魚がのっかっているように見えるものなどがあった。
なぜか宝石販売店に到着。まずは海泡石の説明。白い石だが水につけると柔らかくなり彫刻がしやすくなる。気孔が多いために断熱性が高いこと、吸着作用があることからパイプに用いられるのだそうだ。もう1つの説明はトルコ石。トルコ石自体はいろいろな場所で産出されているが、色は様々で、鮮やかな青色のものはトルコでないと採れない、とのこと。古くなると脱色して黄色っぽくなってしまうのだが、それも価値があるらしい。その後は当然買い物タイム。
ツアーの最後はローズバレーの近くを散歩。ということだったが、高齢の方など、何人か脱落。ホテルにそのままバスで帰るとのこと。というか、散歩に参加したのはガイドを含めて4名だけ。日本人2人、アメリカ人2名。
夕焼けには早かったが、悪くない散歩。カッパドキアに着いたときから気がついていたが、至る所に黄色い花が咲いている。その他の花も見ることができて、シーズンとしては悪くなかったのかも知れない、と思った。今シーズンは雨が多かったので花もきれいなんだ、とのこと。
歩きながらアメリカ人がガイドに、このあたりで家を買うといくらくらいなのか、熱心に聞いていた。アメリカの人、もう住宅はやめようよ。
解散するとき、ガイドにチップがいるか微妙だったので、遠巻きに観察していたら、アメリカ人が渡していたので、適当に渡した。でも、翌日は渡さなかったので、必ずいると言うことでもないようだ。
ツアーはホテルまで送ってくれて解散。
夕食は何を食べようかな、と思ってギョレメをうろうろしていたら、ツアーで一緒だった日本人旅行者に会ったので、一緒に夕食。
SOS Restaurantという店で、また、テスティ・ケバブ(Testi Kebabı)を注文。見事に割ることができたし、味も前の晩のものより良い気がした。
さらに、ビールを飲んだ後にトルコの地酒であるラク(Rakı)を頼んでみた。結構強い酒で、ペットボトルのミネラルウォーターと一緒に持ってくる。透明な酒だが、水で割ると白濁する。味は、病院で子供向けに出す風邪薬のシロップのような味。結構気に入っておかわりしてみた。
夕食前にオトガルを通りかかったら、人だかりがしていて何だろうと思ったらイベントか何かをやっていて、司会者がいて、グループがダンスを披露していた。若い男性のグループが踊っていたが、手をつないで一列になり、足の動きが中心の不思議なダンス。
最後は見ていた女性達も加わってみんなで輪になって踊っていた。
前日の1日ツアーが結構楽しかったので、5月2日(土)もホテルで別の1日ツアーを申し込んだ。夜には夜行バスで出発するので、チェックアウトを済ませ、荷物を荷物室に入れてもらってから9:30にホテルを出発。オトガルでバスを乗り換えたが、周りは韓国人ばかり。今日はミニバス2台の大グループだが、もう1台は日本人が結構いた。ガイドはメンスーレという陽気な女性ガイド。
この日も最初はギョレメ・パノラマ。前日に見たので気楽に見ていたが、自分が泊まっているKelebek Hotel & Pensionが見えることを発見した。
バスでデリンクユの地下都市へ。前日のツアーはカイマクルの地下都市だったので、両方見られて良かった。
中はほぼカイマクルと同じだが、こちらのほうが少なくとも見学できる部分はずっと広い印象。狭いトンネル1つでしか行けない部分もあり、見学客が多いので混んでいた。
単にありの巣のようにトンネルで地下に掘ってあるだけではなく、垂直に掘られたトンネルが全体を貫いている。これは、荷物の上げ下ろしに使ったりするほか、雨水をためるにも使ったそうだ。
厨房については、煙で敵に発見されるのを防ぐため、夜間に調理したとのこと。
出入り口近くには大きな部屋もあり、人間だけではなく家畜も中に入れていたらしい。
本日のツアーはハイキング付きということで、ウフララ渓谷(Ihlala)に到着。グランドキャニオン、というと大げさだが、大地に深く切り込んだ渓谷になっている。川自体はそんなに急流ではなく、小川と言っても良いくらい。
渓谷に降りるときに見える風景はなかなかの絶景で、みんな写真をたくさん撮っていた。
ここは単なる風光明媚な場所というだけではなく、やはり岩肌に穴を掘って教会を造ったりした後が多数残されている。渓谷に降りてまずアーチアルトゥ教会(Ağaçaltı Kilisesi)という教会を見学してから、渓谷をハイキング。行き先だけ確認して、川沿いを各自歩くだけなので、歩いているうちに1番になってしまった。
魚釣りをしている人を何名か発見。海外ではきれいな川があっても釣りをしている人を見るのが少ないので、興味津々で観察。しかし、とても素朴な、というか原始的な道具で、竿もそこら辺で切り出した木の枝、浮きもワインのコルクのようなものだった。間違ってもカーボンロッドとかではない様子。釣れるのかな?
目的地である渓谷沿いのBelisırmaというレストランで昼食。周りは日本人ばかり。みんなグループで来ているのかと思ったら、全員個人旅行のようだ。心強い若者達です。その中にバーレーンから来た若い夫婦と赤ん坊がいて、テーブル全員でビールで乾杯してからいろいろ話しながら食事。奥さんのほうは柔術をやっていた、なんて言うので、深く聞いてみたいところだったが、マニアックすぎるので自重。
ウフララ渓谷の後は、ヤプラクヒサルという場所で降りて写真撮影。まあ、景色が良いところです。
カッパドキアで良く聞くhisarという地名は城という意味だそうだ。
ここはガイドブックにもあまり載っていないようだが、結構おもしろかった。
岩に掘られた教会等が残っているのだが、単に穴が開いているというだけではなく、中の教会っぽいところも残されている。しかし、やっぱり何でこんなところに作るのだろう、という気がする。結構高いところにあるので、上るのも大変なはず。景色は確かに良いですが。
この日も前日と同じ宝石の製造販売所へ。ただし、この日は日本語を話す人に説明してもらったので、内容もよく分かった。というか、前日とは説明している内容が違った。
購入はやっぱり興味がないので、手持ちぶさた。
前日は気がつかなかったが、道路を挟んだ向かいはピジョン・バレーというらしい。鳩はこの地域ではとても重要で、通信に使ったり、糞を利用していたりしたらしい。そのため、岩に掘られた家には、上に小さな穴が並んでいて、これは鳩が巣を作りやすいようにしていたらしい。現在でもピジョン・バレーには鳩がたくさんいたが、ちなみに私は鳩はうっとうしいので嫌いです。
露店が出ていて、何やら不思議なものも売っていて、興味をそそります。
宝石を見ている人が結構時間がかかっていたが、夕方から夜のバスで帰る人もいるとのことで、先行組は1台のバスで帰り。オトガルで降りる人もいたので、そこで降りて歯磨き粉を買ってホテルまで歩いて帰った。
5月3日(日)のツアーの後、オトガルから歩いてホテルに戻り、男性従業員に朝預けてあった荷物を荷物室から出してもらう。カッパドキアを楽しんだよ、ありがとうと言うと、笑顔で握手してくれて、ホテルを出発。オトガルまで歩いた。
バスはほぼ時間通りにオトガルに来た。この日のツアーで一緒だった日本人の旅行者にも会ったりして、バスの後ろは日本人村に。19:30にデニズリへ向かってバスは出発。パムッカレへ向かった。
パムッカレは世界遺産となっていて観光地として有名。見所は2つで、1つは流れ出す温泉が斜面に作り出した石灰棚(Traverten)。もう1つはヒエラポリス(Hierapolis)という都市の遺跡。
起点となる街はデニズリ(Denizli)。
トルコ旅行で、2009年5月4日(月)にカッパドキアから到着して見学。同日にセルチュクに出発した。
5月3日(日)の19:30に夜行バスでギョレメのオトガルを出発し、バスは途中の街や休憩のために何回か止まりながら走るので、あまりよく眠れなかった。
トルコのバスは、席は男女が隣り合わせにならないように配置される。また、運転手の他に必ず1人、世話係のような人が乗り込む。この係員、席に案内したり、飲み物を出したりするが、他にはあまり仕事がなさそう。
朝方は少し眠ったが、係員にデニズリだ、と言って起こされて降りた。5時より前で、まだ薄暗い。客引きが多い、と言う話もあったがさすがに早いのかあまりいなかった。
この日のうちにセルチュクに行きたいと思っていたので、バスの時間を聞くと11:30と12:30とのこと。鉄道で行くのも良いな、と思ってオトガルの斜め前にある鉄道駅まで行ったが、誰も人がおらず、貼ってあるトルコ語の表示を見るとなんとなく運休している感じなので諦めた。
12:30のセルチュク行きのチケットを20YTLで購入。そのため、午前中にパムッカレに行って戻ってこなければならない。
パムッカレへのバスは7:30が始発だというので、トイレに行って、荷物を預けた。オトガルにはエマネトという荷物預かり所があって、そこに荷物を預けた。3.5YTL払って棚においてもらって番号札をもらう。手持ちぶさたなので、売店でパンを買って食べ、一緒に降りた日本人旅行者と急遽編成された4人組で話して時間をつぶす。
7:30近くになると、Pamukkale-Denizliと書かれた大きなバスが何台か来て、学生らしき人達がたくさん降りる。しかしこれは乗れない模様。
しばらくすると乗り場にバスが来て乗り込んだ。行き先は一番前に、Denizli - Pamukkale KSBは2.0YTL、Denizli - Hierapolisは2.5YTLと書かれていた。パムッカレ村からは少し歩くはずなので、ヒエラポリスまで行ってみることにした。
パムッカレ村で止まってから、ずいぶんと大回りをして、ちらっと見えた石灰棚から離れてしまったので、間違えたかと思ってちょっと焦った。下ろされたところも一見何もないところでちょっと焦った。
バスを降りて歩くとゲートがあって、そこで入場券を買って入る。8:00からなのでほぼ一番乗りだった。
どうやら入ったのは北門で、こちらから歩くと下り坂なので、結果的には悪くなかった。
入るとなぜか犬が着いてくる、というか我々の前を先導して歩き始め、これは石灰棚までいくまでずっとそうだった。どうして?
また、赤いきれいな花がたくさん咲いていてきれいだが、これは良い子のケシ、ヒナゲシのようだ。
ヒエラポリスはローマ帝国でも栄えたようだが、その前からあったものらしい。北門から入って歩いて行くと、ネクロポリスと呼ばれる墓地が続いている。この墓の形も棺のようなものがあったり、いろいろな形のものがある。
その他、門や大浴場跡も残されているが、圧巻だったのは温泉プールに入った後に見た円形劇場。後日にいたエフェスもおもしろかったが、ヒエラポリスは時間のせいかもしれないが、空いていて良かった。
きれいな写真がガイドブックに載っている石灰棚。行ってみると確かに眼下に見下ろす風景におおっと思うが、よく見るとあまりきれいではない。
かつては湯量も豊富で、石灰棚にも入ることができたらしいが、最近は湯量が減ったらしく、湯量は少なくて黄色く汚れているところも多いし、入ってみられるところは限られていた。行く前からそういう話は聞いていたが、実際に見るとちょっと残念。
でも、一部で入ってみられるところがあり、靴を脱いで降りてみた。お湯の温度はとても低く、ぬるま湯という感じ。
石灰棚の近くには温泉プールというものがあり、入ってみた。
入場料を払うと中はカフェがあったりして保養所みたいな雰囲気。デポジットを払ってロッカーの鍵を借り、脱衣所で着替えてプールに入った。
遺跡の柱が底にぼこぼこと沈んでいる、というのが売りだが、そんなに広くないし深くもないし、湯の温度も低い。
中に使っていたら、係員に指摘され、手に付けていた鍵を落としてしまったことが判明。ゴーグルを探してもなくて、スペアキーでロッカーを開けてもらった。行動をともにしていた日本人旅行者の人達も鍵を探してくれた。皆さん、本当にありがとうございました。
温泉プールの後に円形劇場を見て、北方向とは逆のパムッカレ村のほうに降りた。入り口でバス乗り場を聞くと、100mくらい降りたところだよ、と言われたが、すぐ近くには何もない。別の人に聞いてさらに歩いたて、バスの停留所らしきものの前で待った。
しばらくするとバスが来たが、ずっと手前で止まったのでちょっと焦った。乗り場らしき表示、全くなし。
2YTLでデニズリまで帰ったが、このミニバス、とても混んでいて、通路に立たなければならなかった。途中、同じように立っていた男がかがめ、というので立っている人みんながかがむ。ちらっとパトカーが止まっているのが見えたので、定員超過?で乗っているからかと思った。
このときは良かったが、次に「かがめ!」になったときは白バイだったようで、しっかり捕まってしまった。ミニバスは道路脇に止まり、運転手が何か白バイに呼ばれて手続き?していた。12:30のデニズリ発のバスに乗らないといけないのでちょっと焦ったが、しばらくして運転手が戻り、誰も降りないまま再出発。デニズリのオトガルに到着した。
デニズリのオトガルで預けてあった荷物を受け取った。
あまり食べていなくて空腹だったので、ケバブサンドを買って食べた。ラムだったがなかなかおいしかった。さらに、細長いパンに具が乗っているものも売っていて、おいしそうだったので食べてみた。こういう食べ物がおいしいのは楽しい。
セルチュク行きのバスが到着し、荷物を脇の荷物室に預けて乗り込み、セルチュクに向けて12:30に出発。
セルチュクはエーゲ海に近い小さな街だが、エフェス(Efes)遺跡観光の拠点として知られている。観光客が多い街ではあるが、田舎っぽさも残してのんびりしていて、居心地が良いところだった。
トルコ旅行で、2009年5月4日(月)にパムッカレから到着して1泊し、5月5日(火)にエフェスを見てからイズミル経由でイスタンブールに出発した。
5月4日(月)にパムッカレを見てからデニズリのオトガルに戻り、バスでセルチュクへ向かった。
昼間のバスだが、夜行バスで移動して朝からパムッカレを見ていたので、その疲れが出たのか、結構寝てしまった。バスは途中、アイドゥン(Aydın)という大きな街のオトガルに止まり、子供が果物のパックをバスの中まで売りに来た。トルコに来てから思うことだが、働いている子供が多い。学校に行っているんでしょうか。
アイドゥンからは1時間ほどでセルチュクのオトガルに到着した。バスを降りると客引きらしき男が寄ってきてどこへ行くのかいろいろ聞いてくる。適当にあしらっていると今度は日本人(!)の女性が来た。たまたま居たのをお節介な(?)客引きに連れられてきたのか分からないが、旅情報などを聞いてみる。
私はセルチュクに泊まることにしたが、昨日から一緒に居たメンバーはクシャダスに行ってみるとのことで、ここでお別れ。
5月4日(月)に宿泊。
オトガルから歩いて、ガイドブックを便りに見つけたホテル。いくつか部屋のグレードがあり、真ん中の1泊40YTLの部屋にしたが、バスタブこそないものの、きれいな部屋でなかなか良かった。
フロントに池袋に住んでいたという日本語を話す女性が居たが、彼女はホテルの人間ではないと言っていた。???。
5月4日(月)にホテルに着いたのは夕方だったので、街を歩いてみたが、こじんまりとしてはいるものの活気があってなかなか良い印象。
ツーリスト・インフォメーションまで行って地図を入手した。
夕食は街の中心部をぶらぶらと調べて、庶民的なレストランを見つけたので入った。
Atatürk Mah. Cengiz Topel Cad. No:20
電話:0.232.892 11 84
ここは大変に良かった。昨晩は夜行バスに飛び乗ったので夕食を食べておらず、この日の朝食も昼食もパンなどをかじっただけなので、食べまくった。
店の主人?のおじさんもしつこくないが親切で、食べ物をいろいろ説明してくれた。エフェスビールを飲みながら定番のレンズ豆のスープから始め、店頭に並んでいておいしそうだった茄子を挽肉とトマト味にした料理を食べた。これはトルコに旅行して食べたものの中で一番おいしかった。名前を聞いたところ、ナプキンに"KARNı YARıK"と書いてくれた。
さらにラムの串焼きのような料理を頼み、ラクとともに食べ、これで終了というところだが、再度メニューをもらって、ミニハンバーグのようなキョフテを追加。ラクもおかわりして大満足。
なんでも店の主人は日本人と仕事をしたことがあるらしく、「10時過ぎにまた来なよ、話をしよう。」と言われた。ほろ酔いでOKして帰ったが、夜行バスの疲れかホテルで寝てしまっていけなかった。ごめんなさい・・・。
エフェスは紀元前からある街で、ローマ帝国時代も栄えたらしい。もともと港町だったが、土砂で港から徐々に遠くなってしまい、衰退したらしい。
エフェスというのはトルコ語のようで、英語ではエフェソス(Ephesus)というらしく、この呼び名も良く聞く。
5月5日(火)、朝食後にホテルをチェックアウトして荷物を預けた。昨晩から雨が降っていたようだが、なんとか天気は回復。
エフェスはセルチュクから2km程度離れたところにある。オトガルまで歩いてエフェスに行きたいというと、一番端の乗り場だという。時間を聞いて待ち、ドルムシュで出発。
クシャダス(Kuşadası)に向かう道を進むが、両側はブドウ畑のような農地が広がっている。しばらくして道を左折するとエフェスで、入り口で降りた。2YTL。入り口には大きな観光バスがたくさん並び、露店が出ている。露店にはGENUINE FAKE WATCHという看板がいくつか出ているのですが、いったいそれはなんなんでしょう。
20YTLの入場券を買ってゲートを通ると道が続く。観光客、かなり多い。
歩いて最初に大きな構造物として見えるのは大劇場。これは相当に大きくて、上まで上ると眺めも良い。
大劇場から進んでいくと、道の道側に人が集まっている一角がある。ガイドもよく説明している。これは娼館の広告だと言われているもので、足の形だけ目立つが、その右に女性の顔、その下にお札のようなものが見える。金持ってこい、という意味だとかいろいろな解釈があるらしい。
この道を突き当たるとたくさん建物が集まるエリアになっていて、角の右側には図書館の跡があるこれはなかなか立派というか、往事を忍ばせる雰囲気を持っている。
そして図書館に向かって立っているのが肝心の娼館。図書館の前に娼館、すばらしいレイアウトの街です。
その先には「丘の上の住宅」と呼ばれる建物がある。この建物、仮設の屋根のようなものが取り付けられていて、入場には追加で15YTLも取られた。修復作業を行っているようで、中には床などのモザイクが残っている、あるいは復元されている。
丘の上の住宅から先は緩やかな上り坂となっているが、いろいろ建物がある。公衆トイレもあって、これはローマのフォロ・ロマーノ(Foro Romano)で見たと同様のもの。水洗だが、並んで?用を足したと思われる不思議なもの。
その先はヘラクレスの門があり、さらに先には小型版の劇場のようなオデオンがあるが、とにかく観光客が多い。
一番奥にも出口があったが、どうやってセルチュクに戻るか分からなかったので、来た道を戻り、来たときと同じところからドルムシュに乗ってセルチュクのオトガルに戻った。
エフェス遺跡からセルチュクに戻り、歩いて聖ヨハネ教会に。ここはエルサレムを追われたヨハネが晩年を過ごした場所、というかなり由緒がある場所らしいが、建物は痕跡しか残っておらず、キリスト教でもないのでそれほど感動する場所でもなかった。
ここからは眼下にイーサーベイ・ジャーミィというモスクが見える。教会を出てモスクも見てきた。
非常にどうでも良いことだが、このモスクの横の茂みで高校生らしきカップルが不謹慎にもいちゃいちゃしていて、それはどうでも良いのだが、近くを通りかかった小学生くらいの男の子がそれを目をまん丸にして立ち尽くして見ていたのが妙におもしろい光景だった。もう少し大きくなったらにしようね。
非常にこじんまりとした博物館で、2つのアルテミス像が展示されている。
エフェス考古学博物館を見た後、鉄道駅に向かい、駅前の小さな食堂でまたキョフテを食べて昼食とした。水と一緒で7YTLだった。
まわりの店には中年あるいは初老の男性がたくさんあつまっており、麻雀のような将棋のようなゲームに没頭している。たまにチャイを飲んでいるようだが、店はそれで持つんでしょうか。そもそも、平日なのにそれだけの男性がそんなことをしているというのはどういうことなんでしょうか。謎です。ちなみに女性は一切居ません。
鉄道駅で 4.75YTLで切符を買い15:05発の列車でイズミル(Izmir)へ出発。
イズミルには当然バスでも行けるが、トルコで1回は鉄道に乗ってみたかったので鉄道を選んだ。1方向に1日に4本くらいしかないようだが、時間前は結構人が集まってくるし、車内も結構混んでいた。
イズミルはイスタンブール、アンカラに次ぐ第三の都市だそうだ。大きな街だが、エーゲ海に面していて風が気持ちよかった。
トルコ旅行で、2009年5月5日(火)にセルチュクからイスタンブールへ向かう際に通過。
セルチュクからの鉄道は結構混んでいたが、車両の一番端に空いた席があったのでそこに座った。
列車は快調に走っていくが、なんだか体調が快調でなくなってきた。昨晩に食べ過ぎたせいか・・・。
イズミル(Izmir)のバスマーネ(Basmane)駅に16:22着。元気があまりないので、駅の待合室で地図を見ながらしばらく休憩。休憩している間に、あんまり時間がなくなってしまった。
バスマーネ駅からメトロに乗って、コナック(Konak)駅まで。
ここからアメ横のように人通りが多いアナファルタラル通りが伸びている。ここを通ってから海側に出て、海沿いのアタチュルク通りに出た。
おお、エーゲ海だ、ということで気持ちは良いが、海の水はあまりきれいではなかった。人通りも多い。なんだか小さなプラムみたいな果物を屋台で売っているのを何回か見た。
広場まで歩いてからガージ・オスマン・パシャ(Gazi Osman Paşa Card.)に入り、ヒルトンホテルの前を通り過ぎて、愛の小径(Sevgi Yolu)へ。普通の通りでした。
再びヒルトンホテルの前で、バスを探した。ハワシュ(Havaş)というらしい。空港行きかを運転手に聞いて乗り込んだ。どこにも"Airport"という英語がないので、ちょっとわかりにくかった。
ハワシュでのアドナン・メンデレス空港(Adnan Menderes)へ。ターミナルビルに入る時点でもX線によるセキュリティチェックがある。
イスタンブールでのトルコ航空の窓口のお姉さんはとても笑顔がすてきだったが、この日のお姉さん?はひどく無愛想。搭乗券を渡され、待っていると、「これで終わりだよ!」といった雰囲気。
そのくせ、その直後に館内放送で呼ばれ、何だろうと思っていくと、マイレージのカードを返し忘れていたようで、別の係員から返してもらった。
20:00発のトルコ航空TK0335便でイスタンブールへ出発。
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