最終更新日 2018年1月8日
イタリアは、長靴のような半島で、地中海に突き出している。日本人観光客が多いですが、おいしい食べ物、便利な交通、たくさんの遺跡、絵画、建物。人気があるのも当然だな、と思いました。また行ってみたくなる国ですね。
これまで3回行ったことがありますが、1回目、2回目に行った頃は歴史、建築、絵画、宗教に関する知識も限られていて、今から考えるともったいないことをしたと思います。
国名 | イタリア共和国、Republic of Italy(英語) |
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国土 | 北部はアルプス山脈、半島にはアペニン山脈が走り、活火山がある。 |
気候 | 地域によって異なる。Cs、Cfa、Cfb |
人口 | 約5,740万人(1996)、約5,987万人(2008) |
民族 | イタリア人。その他、ドイツ系・フランス系・スイス系 |
宗教 | カトリックが9割以上。 |
首都 | ローマ(Roma) |
経済状況 | 一人当たりGNP19,880ドル(1996)、一人あたりGDP30,580ドル(2008) |
時間 | 中央ヨーロッパ時間(GMT+1)、ただし夏はサマータイムで1時間繰り上がる。 |
国番号 | 39 |
観光客 | 3,105万人(1995) とにかく日本人観光客が多いこと。 |
インド・ヨーロッパ語族ロマンス諸語のイタリア語。歴史的に国が統一されていた時代も短く、各地の方言は「方言」とみなすべきかという議論があるらしい。
観光地を旅行した限り、英語は通じる。ただ、イタリア語と英語をごっちゃに話すような人もいるし、観光地では、日本人観光客が多い上に、サービス精神が旺盛なのか、日本語を交ぜて話したりする。
フィレンツェでは、ホテル予約の担当のおばちゃんに、「オキャクサマ、ショウショウオマチクダサイ」と言われた。ローマでは、「Listen to me well, Signore. You have to pay MAIKIN now.」と言われ、MAIKINってなんだい?と聞いたら、「前金」のことだった。最後のローマの出国係員には、「オハヨウゴザイマス」と挨拶された。
ちなみに、ローマでは、日本語を気合いで通じさせて買い物をしている日本人のおばちゃん観光客を見た。すばらしい。
文字はラテン文字だが、JやWなど、外来語でしか使われない文字があるので、文字数は少ない。
こんにちは | Buon Giorno | ボン・ジョルノ |
ありがとう | Grazie | グラッツェ |
お願いします | per favore | ペル・ファボーレ |
どういたしまして | Prego | プレーゴ |
通貨統合によってリラからユーロ€になった。補助単位はユーロセント。
訪問した都市では両替するところはたくさんあったし、国際キャッシュカードで現地通貨を引き出すことも簡単に出来る。
日付 | 場所 | レート |
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2002年9月10日 | Venezia S.L.駅の両替所 | 1€=8.12768Kn 140Knを両替したが、サービス料、手数料を取られて、13.55€。 結局1€=10.33Kn |
2002年9月10日 | Venezia市街のATM | 1€=122.3800円 |
2002年9月10日 | VISAカード | 1€=119.143円 |
2002年9月10日 | VISAカード | 1€=119.662円 |
2002年9月11日 | Firenze駅に入っている銀行のATM | 1€=122.9571円 |
2002年9月11日 | VISAカード | 1€=120.119円 |
2002年9月11日 | VISAカード | 1€=120.879円 |
2002年9月12日 | Firenze駅に入っている銀行のATM | 1€=122.8571円 |
2002年9月12日 | VISAカード | 1€=120.858円 |
2002年9月13日 | VISAカード | 1€=120.878円 |
2003年9月8日 | Milano Centrale駅でT/C現金化 | €100→€90.20、手数料9.80%! |
2003年9月9日 | Milano市街のATM | 1€=136.1500円 |
2003年9月10日 | Milano Centrale駅の郵便局ATM | 1€=137.6143円 |
2003年9月11日 | RomaのATM | 1€=137.9960円 |
Veneziaでは、クロアチアのKunaも両替できたが、激しくレートが悪かった。
必要とも言うが、2017年4月-5月に行ったときは、レストランでもほとんど払わなかった。払わなくても良いけども、良いことがあれば払っても良い、くらいか。
日本人は90日間まで必要ない。
これは注意。イタリアの電話は、市内通話でも、市外局番からかけなければならない。というか、市外局番というものが廃止されて、それをくっつけたままの電話番号に移行した、ということらしく、通常の国の電話の常識のように、海外からかけるときは0をとったり、市内電話をかけるときは市外局番をとったり、ということはしないらしい。つまり、国際で国番号をつけようが、市内電話をかけようが、0から始まる電話番号を全てかけなければならないようだ。
バスなどを待っているとき、列に並ばないし、人を押しのけて前に進もうとする人や、横入りをする人がいる。何回か経験して、これは日本人にはストレスになる。
ローマ帝国の首都があったこともあり、他のヨーロッパ都市と比較しても歴史的な建物やその跡が多く残っている。
イタリアの歴史は大きく南北で異なっている。シチリアは、紀元前からギリシャ人の入植が始まり、ギリシャの都市として栄えた(マグナ・グラエキア)。その後ローマ帝国の一部となったが、東西分裂後の東ローマ帝国の一部となり、東ローマ帝国の後、アラブ人によるシチリア首長国(831年 - 1072年)、11世紀から12世紀はノルマン人に征服され、ノルマン・シチリア王国、神聖ローマ帝国、フランス、スペイン、オーストリアの支配が入れ替わり、最終的にイタリア王国に統合された。地中海世界、ヨーロッパの主役を一通り並べたような複雑な歴史を持っている。
1693年には島の東部が大地震で被害を受けた結果として、シチリア・ノルマン様式の建築物による復興を遂げた。
Veneziaはイタリアの北東部、Veneto州の州都で、スイス、オーストリア、スロヴェニアの国境に近い港町。人口30万人。
干潟の上に存在し、運河が縦横に走っている不思議な街である。
ベネチア、ヴェネツィア、ヴェニス、ベニスなど日本語は表記揺れがある。
スロヴェニア・クロアチア・イタリアの旅行で、イタリアに入って初めて滞在した街。初めてのイタリア。9月9日(月)深夜にZagrebをVenezia S.L.駅行き寝台列車で出発し、9月10日(火)の朝に到着し、翌日Firenzeに発つまで1泊した。
Zagreb駅から深夜に寝台列車で出発し、朝にVenezia S.L.駅に着いた。
9月9日(月)の朝に、飛行機でZagrebまで着いたので、バスターミナルまではバス、バスターミナルからはトラムでZagreb駅まで行って、Venezia S.L.駅までの寝台列車の切符を買った。283.87Kn(約4,800円)だった。
荷物を手荷物預かり所に預け、Zagrebの街に出た。
23:55発だったので、夜にZagreb駅に戻ってきた。時間前だが、すでに同じ電車に乗るらしいバックパッカーが溜まっていた。
一人の男が、いきなりぺらぺら話しかけてきた。何を言っているのかわからないので、Do you speak English?と聞いたら、一瞬、ぽかんとして、Yes,Yes.と言った。オーストラリア人だった。あまりに早口で何を言っているかわからなかった。単純にトイレを探していただけだった。どこから来たかというので、日本だというと、日本のどこか、と言う。彼は、ここに来る前に、日本の大阪と神戸を観光して、とても良かったんだ、とのこと。
駅に列車が到着する予定は、23:27だったが、時間になっても来ない。この列車はハンガリーを出発して、ユーゴスラビアを経由してくるので、遅れていたのかも知れない。出発予定時間近くになって、ようやく到着した。
列車に乗って、コンパートメントがわからず、空いているところは女性の部屋だった。車掌に聞くと、ドアが閉まっているコンパートメント。鍵で開けてもらってはいると、中は真っ暗で、3段のベッドの下2段にすでに若い男が寝ていた。私のベッドは一番上らしい。ドアを閉めると真っ暗になり、一番上のベッドに登る方法がわからない。しばらく探していると、2段目に寝た男が、向かいに立てかけてあるはしごを指さして教えてくれたので、それを踏み台にして一番上まで登った。とりあえず、真っ暗な中で着替えて就寝。
暗い中、列車は出発したが、この列車はイタリアに行く途中で、スロヴェニアを通過する。従って、2回国境を通過する。そのため、夜中に2回も夜中に起こされた。
起こされただけではなく、パスポートを渡すと、下から懐中電灯で顔を照らしてチェックされ、Where are you going?と聞かれた。
同室の2人は、Toriesteあたりで降りたようだった。よく早朝に起きられるものだと感心した。Venezia S.L.駅は終着駅なので、ゆっくりと眠れた。朝起きるともう明るくなっていた。カーテンを開けると、イタリアの風景が広がっている。
寝台列車のベッドの写真(2002年9月、26KB)上のベッドが私の場所
備え付けの水を飲もうと思ったら、ガス入りだった。やれやれ。
ほどなくVenezia Mestre駅を通過した。Veneziaには駅が2つあり、陸地側にあるのがMestre駅で、干潟のほうにあるのがS.L.(Santa Lucia)駅である。列車は海の中の線路を走って干潟へ向かうが、干潟は結構遠くて、先の方におぼろげに見えるだけである。列車の横には車が走る道路がある。
Venezia S.L.駅へ向かう寝台列車の車窓の写真(2002年9月、38KB)海の中の線路を道路と並行して走る。
S.L.駅に入ると、線路沿いにたくさんゴミが落ちていて、汚れていた。初めてのイタリア、ちょっと緊張して下車した。
駅の構内に出ると、ものすごい混雑。それも、たくさんの日本人がいるのにびっくり。なんだか若いカップルも多い。新婚旅行だろうか。海外でこんなに日本人がたくさんいるのは初めて見た。やはりイタリアは日本人に人気があるんだな、と思った。
駅にホテルの予約所があったので、列に並び、ホテルを予約してもらった。係員は若い女性1人だが、駅に近くて、100€くらいが良いというと、事務的に手際よく探してくれた。手数料が1€かかるが、Veneziaの地図もくれる。
駅の外にはいきなり運河があり、雰囲気抜群。出ようと思ったら、なんと強烈な雨が降り出した。傘を持っていなかったので、駅のカフェテリアで、ツナサンドとコーラを買って、食べながら弱まるのを待った。サンドイッチの種類もたくさんあって、さすがイタリアだと思った。
しばらくすると雨が弱まったので、予約所で教わったホテルに向かった。
Venezia S.L.駅前の風景の写真(2002年9月、32KB)
2002年9月10日~11日に1泊。Venezia S.L.駅のホテル予約所で紹介してもらった駅に近いホテル。
LISTA DI SPAGNA, 158
I-30121 VENEZIA
telephone +39 041716133
fax +39 041715318
E-mail hote.nazionale@cash.it
S.L.駅を出て左に歩いていったすぐのところにある。
シングル100€(朝食付き)
歩いていくと、こじんまりとしたホテルで、階段を上った2Fにフロントがある。そこで、チェックインをするのだが、なんだかイタリア語の説明書のようなものを出され、そこにサインを求められた。なんだかわからないので、こういうときにサインするのは良くないのだが、仕方なくサインした。どうやらこれはルールのようで、以降、イタリアのホテルに泊まるときにはいつもサインさせられた。
チェックインすると、移民系のボーイが部屋に案内してくれた。シングルで、薄暗く、必要最低限、といった部屋。エアコンを入れてくれようとしたのだが、入らない。どうなるのかと思ったら、部屋を代える、と言う。で、となりの部屋に移った。今度はダブルのベッドに部屋もかなり広く、机も置いてある。かなりラッキー。
HOTEL NAZIONALEの部屋の写真(2002年9月、31KB)
寝台列車で到着したので、シャワーを浴び、さっぱりとした。バスタブではなくシャワーだった。あがると、バスルームになんと蚊を発見したので、すかさず殺した。
以前なら、Rigaのとき、Amsterdamのときのように、パニックになっていた。しかし、今回の私は違っていた。個人的に近年の大発明だと思っている「どこでもベープ」を取り出し、机の上でスイッチを入れた。これは、乾電池で30日も動くすばらしい蚊取りである。かつては、変圧器などをかまして液体蚊取りを動作させたり、わざわざライターを持ち歩いて(空港では面倒)、渦巻きを持ち歩いていたが、その苦労が一挙に解消した。
勝ち誇った気分で部屋の壁を子細に観察すると、黒い点のような跡や、赤いものが混じった跡もあった。分析の結果、前者は蚊をたたいた跡、後者は血を吸った跡の蚊をたたいた跡と断定した。先人達の苦労に涙しつつ、テクノロジーの進歩に感謝した。
持参したPDAでメールの送受信を行おうと思ったが、どうしてもうまくいかない。いろいろ調べると、イタリアでは市内通話でも市外局番からかけなければならないことがわかった。しかし、それでも動かない。アメリカでの経験もあるので、フロントにつながらないと言ったら、平然として機械を操作して、"connected"と言われた。
Veneziaは海の中にあるようなものなので、よく知られているように、運河が交通手段になっている。実際には、道も結構あって、橋も多いので、かなり歩いて移動できる。ただし、旧市街に車は入れないようだ。
運河の移動方法の中心になるのがVaporettoと呼ばれる水上バスである。いくつかの路線がある。チケットは乗る前に買う必要があるが、毎回買うのも面倒なので、S.L.駅前の停留所で€9.30の24時間券を買った。最初に刻印しないと行けないのか聞いたら、今しておいたからいらないよ、と言われた。
VeneziaのVaporettoの24時間券(2002年9月、6KB)
Vaporettoは、いろいろ走っているが、初心者にわかりやすいのは、Venezia中央を走る大運河を通るもの。両側の岸を互い違いに停まりながら、進んでいく。
乗り方は簡単で、ちょうどバスのように、路線別に分かれた停留所で待ち、来たら乗る。本数は多い。座席もあるが、混んでいるので、立たなければならないことも多い。停まるたびに、縄を岸に縛り付けてから乗降するので、手際は良いものの、そんなに速い乗り物ではない。
水上バス乗り場の写真(2002年9月、31KB)ちょうど水上バスが出発したところ
世界的な観光地なので、レストランは多い。どちらかというとシーフードを強調している店も多いように感じた。
クロアチアほどではないが、アイスを食べている人も多い。アイスの値段は場所によって大きく違う。観光地が集まるところは高いし、そうでないところは控えめの値段。注意して見ていると、そのあたりの物価がわかるのでおもしろい。
味はまあまあ。€38.50だったので、チップも含めて€44払った。クロアチアから来たせいか、高くてびっくりした。観光地であることもあるかもしれない。ただし、ワインはそんなに高くない。
Veneziaと言えば、San Marco。ということで、1番のVaporettoでVallaressoという停留所まで行き、降りて歩いた。とにかく観光客が多い。
San Marco広場まで行くと、これまた観光客、そして鳩が多い。ばーっと飛び立ったりして、羽毛が舞って、いやな感じ。鳩はなんだか不潔な感じがして好きになれない。
景色は絵葉書のようで、San Marco寺院(Basilica de San Marco)、Ducale宮(Palazzo Ducale)が立っている。San Marco寺院に入ろうとしたが、入り口は脇にあった。雨がたまっていて、渡してある木の板の通路で玄関から入った。上に上ると、San Marco広場が一望できる。午前中に降った雨がたまっていて、歩けるところに人が集まっているのが見える。土地が低いのもあるが、これくらいの雨で水浸しになるのは、排水機能が弱いような・・・。
San Marco寺院から見た風景の写真(2002年9月、46KB)
San Marco寺院から見た広場の写真(2002年9月、52KB)水浸しで、高いところに人が集まっている
写真を撮る人たちの写真(2002年9月、58KB)観光客と鳩が多い!
San Marco地区にRialto橋という橋があり、ここらへんも店が多く、観光の中心になっている。ここから大運河を見ると、なかなかの景色。
Veneziaは水の都、と言うことで、運河が縦横に走っている。河岸に建物が並んでいる景色は、どの街でも見るが、やはり何か違う。何が違うのかと考えると、玄関が水に向かっているところのようだ。まるで、大洪水のニュースに出てくるような感じで、水没した街のような印象を受ける。
大運河の写真(2002年9月、41KB)中央に見えるのが水上バス
もらった地図を見ると、"TIDAL FORECAST ALTERNATIVE PEDESTRIAN ROUTES"というのが示されている。
運河については臭いとか、汚いということが言われるが、少なくとも私が言ったときにはそのようなことはなかった。思ったより水はきれいで、橋の袂などの階段に魚がいたりする。ただし、釣りをしているような人はいない。禁止されているのかな?
車がないせいか、重機の乗った船があり、運河を掘り起こしていた。
また、San Marco広場にいたときも、広場でイベントの準備をしていたが、車で運ぶために、上がまっ平らな船の上にトラックを載せてきて、広場横につけていた。
Firenzeは人口は約38万人で、イタリアの北部Toscana州の州都で、内陸のArno川沿いの美しい街。
実は、VeneziaからRomaに行く経路で、あまり考えずに寄ってみただけだったが、実は観光地として日本でも有名なところらしく、日本に帰ってからも良くポスターなどに写真があることに気がついた。
スロヴェニア・クロアチア・イタリアの旅行で、イタリアに入って2番目に滞在した街。9月11日(水)にユーロスター・イタリアでVeneziaから到着。1泊して、翌日9月12日(木)にユーロスター・イタリアでRomaに出発した。
Venezia S.L.駅の切符売り場で切符購入。イタリアは国内と国際で切符売り場が分かれていたり、予約と切符購入の窓口が分かれていたりして難しいと聞いていたが、やはり観光地なせいか、みんなが並んでいる窓口に並んであっさり翌日の切符が買えた。€26.60だった。
9月11日(水)朝、Venezia S.L.駅まで行き、8:33発のEuroStarに乗車した。
Firenze S.M.N.(Santa Maria Novella)駅に到着。イタリアの駅の名前はなんでこんなに長いのだろう。
駅構内にATMがあったので、現金を少し下ろした。このATM、英語表示を選べるのだが、最後のところだけ、多分「確認」といった意味だと思うが、そこだけイタリア語だけになるので、最初はよくわからず苦労した。
Veneziaと同様、駅構内にホテル予約所があったので、そこでホテルの予約をすることにした。結構並んでいるので、列に並んで待った。窓口の係はおばさんだったが、英語で希望するホテルの内容を伝えると、にやりとして「お客様、少々お待ち下さい。」と日本語で言われた。日本人の観光客が多いせいか、簡単なフレーズを覚えているようだ。
9月11日~12日に1泊。Firenze S.M.N.駅のホテル紹介所で紹介してもらったホテル。
VIA NAZIONALE 10, 50123 FIRENZE
telephone 055216622
fax 055214106
Firenze S.M.N.駅から歩いて近いところにある。
シングル130€(朝食付き)。このほかに電話を使ったので、2.40€。
こじんまりとしたホテルだが、なかなか部屋はおしゃれで美しかった。
HOTEL MACHIABELLI PALACEの部屋(2002年9月、24KB)
そんなに広くない街だが、ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)に行くためには、バスに乗る必要がある。
シチューのような肉料理を食べた。なかなか良かったが、店員はあんまり愛想が良くなかった。€33だった。
街の中心部から、Arno川を渡った対岸にある広場で、高台なので、Firenzeの街を一望できる。
Firenze S.M.N.駅の横から出ているバスで行った。バス停の近くのたばこやでバスの切符を2枚買った。1枚€1だった。イタリア語と英語で説明が書いてある。バスに乗って、切符をスタンプして、座った。
Firenzeのバスのチケット裏表(2002年9月、14KB)
バスはまず町中を走るが、とにかくバイクが多いことが特徴的。オランダに自転車がいっぱいあるように、イタリアにはバイクがいっぱいある。そして、川を渡り、木が多い地域を走っていく。どこで降りるかわからなかったのだが、ミケランジェロ広場は開けて見通しが良く、かつバスもそこで相当時間停車するので、なんとかわかった。
何に驚いたか、といえば。日本人ばかり。女性多し。誇張ではなく、視野に日本人しか入らない瞬間も多く、日本国内のどこかのテーマパークに来たかのようだった。
景色は美しい。よくポスターになったり、ガイドブックに載っているのは、ここからの写真ではないでしょうか。
ミケランジェロ広場からの眺め(2002年9月、37KB)街の周辺
ミケランジェロ広場からの眺め(2002年9月、33KB)Duomoがある市街
Firenzeと言えば、Duomo。ポスターにも良く載っている建物。てっぺんのCUPOLAまで上ることができるが、エレベーターはない。上るために行列ができていたので、アイスクリームを食べながら並んだ。€6だった。
エレベーターが無いので、階段をかなり上らなければならないと、看板にも警告があるが、確かに大変だった。
後ろからも人が来ているので、休みなく階段を上がっていくと息が上がった。天井をとりまく回廊のようなところに出て、そこを歩く。静かにしろ、と係員が注意している。これで階段は終わったと思ったら、またさらに階段があった。
ただし、上ってからの景色は最高。Firenzeの街が一望できる。向かいにジオットの鐘楼(Campanile di Giotto)があって、そこのてっぺんに上った人がいるのも見える。ただし、CUPOLAのほうが少し高い。さすがに疲れたので、ジオットの鐘楼(Campanile di Giotto)には上ろうという気が起きなかった。
CUPOLAから見えるジオットの鐘楼(2002年9月、40KB)
Arno川に架かった橋で、橋が建物のようになっていて、たくさん店が入っている。
海外旅行しても、美術館には行かないことにしているが、ボッティチェッリのビーナスの誕生でも見てみようかと思い、行ってみた。
とにかく混んでいる。行列ができていて、時間毎に入れている。海外に行って、こんなに並んで待つ羽目になったのは初めてだった。まあ、時間は十分にあるのでたまには良いですけど。
街ながら、美術館の前の広場で観察していると、中国人らしき人々がおかしなおもちゃのようなものを広げて売っている。警官がくるとあわててかたづけて移動するのだが、またしばらくするとやっている。また、日本人かも知れないが、タキシードとウェディングドレスを着たカップルが現れた。何かのツアーでそういうものがあるのかも知れない。現れたときには、広場で拍手が起こったが、なんだか同じ日本人としてちょっとばつが悪い気がした。
ようやく入った美術館。相当たくさん絵があるのだが、ざーっとだけ見た。やっぱり宗教画のようなものは、キリスト教ではないのでさっぱりわからない。
Romaはイタリアの首都で、人口は約265万人。ヨーロッパのいろいろな歴史がある街は見てきたものの、これほど「古い」というものを感じる街はありませんでした。
また、多くのヨーロッパの都市のように、旧市街と新市街に分かれているというわけでもなく、長い時間がつながっているような街です。
スロヴェニア・クロアチア・イタリアの旅行で、最後に滞在した街。2003年9月12日(木)にFirenzeからユーロスター・イタリアで到着し、翌日に、London経由で成田へ帰国するまで1泊した。
また、イギリス、フランス、イタリア家族旅行では、2003年9月10日(水)にMilanoから、ES9433でRoma Termini駅に到着。駅近くのGENOVAに2泊し、London経由で成田へ帰国した。
スロヴェニア・クロアチア・イタリアの旅行では、Firenzeからユーロスター・イタリアでRomaに到着した。
出発前日、Firenze S.M.N.駅に着いた9月11日(水)に切符を購入した。切符売り場は結構長い列が出来ていて、待たなければならなかった。フォーク並びで1列に並んで、空いた窓口に進んでいく。私の番になったのだが、空いた窓口は団体客専用のようだったので立ち止まっていたら、後ろの女性にほら、あっちに行けといわれたので、その窓口に行ったら、やっぱり団体客専用だった。
ほら違うじゃない、ごめんなさい、のような感じだったのだが、そうしているうちに、別の窓口に、列に並んでいないおばさんがショートカットで行こうとした。すると、後ろの女性が声を出し、2人で大声で言い合いをはじめた。
呆然と見ていたら、言い争いが終わった後、後ろの女性はこちらを見て笑って、「ここではいつもこんな感じなのよ。」と言った。ラテンの国っぽい、と思った。
切符は€29.44だった。
9月12日(木)の9:04にユーロスター・イタリアでRomaに出発した。Firenze発の列車ではないので、すでに車内が混み合っている。
FirenzeからRomaへ向かうEurostar(2002年9月、39KB)
列車の座席は、廊下の両側に、2人がけの席が向かい合った形で4人座る形で座席に並んでいる形式。
私の座席には、となりに日本人女性の2人組がいたので、少し話した。イタリア中心の旅行だそうだ。
車窓は、山があったり、平野があったり、一見日本のような地形だと思った。
お昼に、Roma Termini駅に到着。Romaは、そして駅周辺はあんまり治安が良くないと言う話もあるので、ちょっと緊張。広い駅だが、まずホテル紹介所へ足を運んだ。
イギリス、フランス、イタリア家族旅行では、Milanoから、ユーロスター・イタリア(ES9433)でRoma Termini駅に到着した。4人で€185.92だった。
2002年の9月12日~13日に1泊。Roma Termini駅のホテル紹介所で紹介された。
00185 Roma - Via Carlo Alberto,3
telephone 06 44702024
fax 06 4461354
E-mail info@mecenatepalace.com
Roma Termini駅のホテル紹介所の係員は、陽気な男性で、こちらの希望を伝えると、いくつか当たって探してくれた。どのくらいの金額がいいのか、というので、「€100くらいだ」というと、「1泊だけだな」と念を押されて、このホテルを紹介された。たまたま1泊だけ空き室があるから安く泊めるということだな、と思った。
陽気でサービス旺盛なのは、いいのだが、"Segnore, you have to pay maikin now."と言われて、意味がわからなかった。"What do you mean by maikin?"と聞くと、"How do you say deposit in Japanese?"と言われた。それは「前金」です。いったい何語を話しているのか考えながら聞かなければ。
ダブルルームをシングルで使い、1泊朝食付き€100で泊まったが、これはたまたまで、普段はその3倍くらいするらしい。
駅の近くではあるのだが、ちょっと歩き、迷いそうになった。入り口を入ると、フロントの女性がわざわざ部屋の前まで案内してくれた。若い女性だったが、すらっとしていて、私より背が高かった。
屋上が食事が出来るテラスのようになっているのだが、案内された部屋はそのテラスに上る階段のすぐ近い上階で、なんだか場違いなくらい高級そうな雰囲気。
部屋に入ってさらにびっくり。すばらしい部屋で、高級感たっぷり。ベッドの横には、なぜかタオルが引いてある。高級ホテルってそうなんでしょうか?
翌朝、屋上テラスで食事をしたが、日本人の観光客も多いようだった。みんなお金持ちですね。
Mecenate Palace Hotelの部屋(2002年9月、44KB)
2002年の9月10日~12日に2泊。日本から予約して行った。
00184 Roma - Via Cavour, 33
telephone 04676951
fax 064827580
E-mail genova@italyhotel.com
Roma Termini駅のすぐ近くの4つ星ホテル。部屋は角部屋だったので二面に窓があり、広くて快適だった。
大きな都市なので、地下鉄があって便利に利用できる。切符は、1回券(BIT, Biglietto Integrato a Tempo)だと€0.77、1日券(BIG, Biglietto Integrato Giornaliero)だと€3.10。
イタリア全般に言えることだが、都市内の交通の切符はTABACHIというタバコ屋で買うことが多い。地下鉄の構内でも自動販売機ではなく売店で切符を買ったりする。なかなか場所がわからないこともあるので、まとめて買っておくか、1日券が便利だと思う。
Romaの地下鉄1日券(2002年9月、9KB)1回券も同じような形。
地下鉄は自動改札で、日本から行っても違和感はないが、とても混んでいる。日本のラッシュとまでは言わないが、ラッシュ前後と同じくらい混んでいた。スリが多いなど、いろいろなことが言われているので、ちょっと緊張する。車両自体も相当落書きされていて、窓なんてスプレーが吹き付けられていて、良く外が見えない。
2003年に家族で行ったときは、ちょっとひやっとしたことがあった。朝ヴァチカンに向かうためにTerminiから地下鉄に乗ったのだが、非常に混んでいる駅のホームで、我々が通るときに上から下まで観察する男がいて、いやな予感がした。
通り過ぎて歩いていって、車両に乗ろうとしていると、さっきの男がこちらと同じところまで来て横に立っている。いやな予感がしたので、乗るのをやめると相手も乗るのをやめるので、これはまずいと思って、駅のホームの違うところまで家族を連れてその場所を離れた。見ると、連れらしき男とこちらを見ながら話していた。危ないところだった。ホームには警官もいるのだが。ちょっとお金持ちに見えたかな。
乗りはしないが、バスやトラムも走っている。また、タクシーも便利らしい。Firenzeから来るときに隣にいた日本人女性は、「レストランからもすぐに呼べるようになっている」と言っていた。
とても広い駅で、前の広場にもバス乗り場が多数ある。地下鉄に乗るにも、バスに乗るにも便利。
2003年に行ったときには、夜ホテルにいると騒がしい音がするので出てみると、駅の前でコンサートをやっていた。9月11日だったからかも知れない。若者が多数いて、随分と混み合っていた。
ホテルの窓から駅方面を見た夜景の写真(2003年9月、24KB)コンサートのようなものを駅のほうでやっている。
2002年に行ったときは、イタリア最後の都市だったので、食事も期待していたのだが、体調が思わしくなかった。昼食は、Termini駅近くのチェーン店のようなところでカルボナーラを食べた。メニューはいろいろな言葉で書いてあって、日本語もあった。味はまずまずだったが、とにかく量が多くて、日本で言う2~3人前あった。中華料理のように、何人かで行って、いろいろ分けて食べるには良いのだろうが、一人だとちょっときつい。
夕食は、夕方から腹痛になったので行けなかった。悔しかったので、ホテルのミニバーでワインを飲んで寝た。
2003年は家族と一緒だったが、1晩目はスペイン広場近くのPizzeriaで食べた。なかなかウェイターが陽気な人で、"This is from waiter"と言って、家族全員にレモンチェッロを出してくれた。
また、2晩目はTermini駅近くのホテル街のレストランで食べた。4人で€81.10と比較的安いところだったので、気楽に食べられた。ウェイターも若くて陽気な人だった。味はまあまあといった感じ。1つへぇ、と思ったのはワインで、テーブルワインの赤と白しかなかった。高級なレストランならともかく、イタリアでも安いレストランでは、そんなものなのかな、と思った。日本だといちいち格好つけて飲まないとなりませんが。
一応、1つの国、ということだが、非常に小さい。
2002年にRomaを訪問したときは、まずはヴァチカンに行ってみた。地下鉄A線のOTTAVIANO駅まで行って降りた。地上に上がると交差点で、特に目立つ標識もなくてわからないので、適当に大通りを歩いたらヴァチカンに着いた。まあ、とても広い広場なんですが、別にカトリックでもないので、特に感動するというものでもない。大聖堂にも入れるようだったが、列が出来ていて、宗教的なものを見てもわからないと思ったので、パスした。
Piazza San Pietro(2002年9月、30KB)
2003年に訪問したときは、まず朝に博物館まで入ってみた。入り口はSan Pietro広場とは別のところにある。中に入って見学した。音声ガイドを借りることが出来る。とにかく絵画や彫刻がすごい量があると言うことはわかった。
ミケランジェロの最後の審判という非常に大きな天井画がある。
Romaは見るものが多く、有名なところが多いので、なんだかべたべたの観光になってしまった。
ただ、とにかく日中は日差しが強くて、大変。外を歩いていると、干上がってしまいそうです。
ヴァチカンから参道のような道を歩いていって、橋を渡るといかにも遺跡ですという感じの建造物があった。これがCastel Sant'Angeloで、上に上っている人が見えたり、日差しが暑くて死にそうだったので、入ってみた。€5必要。
Castel Sant'Angelo(2002年9月、31KB)
もともとは139年に建てられたという話だが、その後歴史を経て、教皇の避難する要塞、ということになったらしい。上まで上ると、Romaの街を見下ろすことが出来る。
Castel Sant'Angeloからの眺め(2002年9月、39KB)
Castel Sant'Angeloを出て、だらだら歩きながらテヴェレ川を渡り、しばらく歩くとPiazza Navonaという広場がある。急に開けて広場になるというのではなく、広場全体が建物に囲まれているため、入り口から入ると広場になっているという感じである。
広場が楕円形なのは、昔の競技場跡だかららしい。このように、古い遺跡のようなところと現代がつながっているのがおもしろいと思った。
2002年に行ったときは、疲れたのでこのカフェで、レモンジュースというのを頼んでみたが、本当にレモンジュースだった。細いグラスに半分くらい入って出てきたので、酸っぱいのをちびちびと飲んだ。
これも一目で遺跡ですというような建物で、やはり街中に突然ある。紀元前に出来て、紀元120年頃に再建された、という、これまたとてつもなく古いものである。
中には自由に入ることが出来るが、天井の穴から自然の光が入ってくる構造になっている。掲示してある注意書きには、「雨が降ると、天井から入ってきます。排水も十分ではありません。」といったようなことが書いてあった。
Pantheonの天井(2002年9月、38KB)ここから光が入ってくる
建物を一回りしてみたが、後ろの部分も相当古さを感じさせる。
2003年に訪問したときは、このPantheonの前で両親の写真を撮っているとき、怪しい男が二人に急に近づいてきてびっくりした。多分スリか何かをしようとしたのだと思うが、大きな声をあげたらそのまま立ち去ってしまった。
観光客がたくさんいる。水量が思ったより多くて、ちょろちょろというのではなく、勢いがある。みんなお約束のように、コインを投げ入れている。
トレヴィの泉(2002年9月、39KB)みんなコインを投げ入れている
ここも観光客がびっしり。場所的には、ただの階段で、冷静に考えると、どうして観光地なのかもよくわからないところがありますが。
スペイン広場の上からの写真(2003年9月、34KB)広場の前には泉がある
2002年に行ったとき、一番上まで上ってみたが、日本人の中年女性のグループに、「日本人ですか?」と声をかけられた。「一人ですか、偉いのね。」というようなことを言われた。日本では、一人であることでいつも非難されているのですが。
その女性達は、屋台で飲み物を買うときに、「ううん、それじゃなくて冷たいの」というように日本語でしゃべっていて、なぜか通じて買い物できていた。なんだか一生懸命語学を勉強しているのがむなしくなった。
ColosseoとForo Romanoは楽しみにしていたのだが、2002年に行ったときには、行く時間が遅くなってしまった。地下鉄B線COLOSSEOで降りると、いきなりColosseoがある。時間がないので、前を通り過ぎて、Foro Romanoに向かったが、入り口が非常にわかりにくい。結局、奥まで行って、回り込まなければならなかった。さらに、行くともう閉門で入れず、雨がひどく降ってきたので、仕方なく引き返した。外から見ただけでも、相当おもしろそうだったので、残念だった。紀元前に出来たものが残っているのはすごいと思うし、さらに、誰が作ったかわかっているというのもすごい。
Foro Romano(2002年9月、45KB)外からしか見られなかった
そこで、2003年に行ったときには、真実の口からForo Romanoまで歩いて、じっくりと見ることにした。Foro Romanoに入場するのは無料だが、一番奥の部分に入るのは有料である。ようやく中に入れて感動。なぜか、このForo Romanoの奥の部分の入場券と、Colosseoに入る入場券はセットになっている。
Foro Romanoに行った後は、Colosseoに向かった。こちらは人だかりがしている。中にはいるとエレベーターで上に上ることが出来る。競技場の中の、まさに競技が行われる部分だが、今はその部分がははがれてしまっているのか、地下の構造物が現れてしまっている。
Colosseoの地下構造の写真(2003年9月、24KB)
真実の口も、2002年にRomaに行った際には時間がなくて見学できなかった。ちょっと離れたところにある。2003年に行った際は、バスでVenezia広場まで行って、そこから歩いて行った。
真実の口は教会にあるのだが、入り口は既に長蛇の列。自分達の順番が来るまで並んだが、みんな同じように手を入れたり、抜けないまねをしたりしているので、へそ曲がりの私としてはちょっとこっぱずかしかった。・・・・・・でも、手を入れましたが。
真実の口の写真(2003年9月、19KB)いかにも・・・ですみません。
Romaの街角にはところどころ水飲み場のようなものがある。これはローマ帝国時代からある上水システムによるものらしい。ちょっと飲んでみたが、飲んでも大丈夫らしい。トレヴィの泉や、スペイン広場の前の泉もローマ時代の上水道を利用しているらしい。これも昔から現在までがつながっているRomaならではという気がする。
スロヴェニア・クロアチア・イタリアでRomaに行った2002年は、9月13日(金)に、Roma Termini駅から鉄道でFiumicino空港まで行った。自動販売機でFiumicino空港までの切符€8.80を買ったが、使い方に手間取って時間がかかった。時間ぎりぎりになり、空港までの列車のホームはとても遠いので、駅をダッシュした。なんとか列車に飛び乗ったが、列車の出発自体が10分くらい遅れた。やれやれ。Fiumicino空港からは、BA553でLondonへ。BA007に乗り換えて、成田へ帰った。
イギリス、フランス、イタリア家族旅行で2003年に行ったときも、鉄道でFiumicino空港まで行ったが、このときはさすがに要領がわかっていたので、余裕たっぷりにホームまで歩いて帰った。
Milanoは北イタリアの大都市で、人口は約130万人。観光地と言うよりも商業都市としても重要な都市らしい。ちょっと天気が悪くて残念でした。
イギリス、フランス、イタリア家族旅行として、9月8日(月)にICでNiceからMilano Centrale駅に到着。2泊して、9月10日(水)にRomaに向けて出発した。
2003年9月8日(月)にNiceからMilanoへ向かった。
Niceから先は日本で一切電車を手配していなかったので、Nice Ville駅に着いたときにInformationで確認したところ、NiceからMilanoへ向かう途中のMonaco(のMilano側)で、トンネル工事をしているため、SNCFはNice Ville駅からイタリアとの国境駅であるVentimiglia駅までをバスで振替輸送しているそうだ。そのため、出発時間が1時間くらい早くなっていた。Milanoまでは€35.40。
Nice Ville駅でMilano方面に行く振替輸送の案内の写真(2003年9月、30KB)
Niceのホテルをチェックアウトし、レセプションの女性にタクシーを呼んでもらった。4人で乗るので大きめの車が良いだろう、ということになった。
ところがこれがなかなか来ない。待っていると、1台来たが、これは別の女性(アメリカ人女性のよう)のためのもの。間に合うか心配になってきた頃、やっと来た。運転手は陽気な大柄な男。4人なので、私は助手席に乗ろうとしたところ、左側に回ってしまい、「運転したいのか?」と言われてしまった。4人全員乗って、駅へ。運転手は歌を歌ったりしている。
駅に着き、係員の指示に従って、ホームの端まで歩くと、すでに列が出来ている。
Nice Ville駅でMilano方面に行くためバスを待つ写真(2003年9月、59KB)
人数が多いせいか、1台のバスではなく、次から次へバスが来て、乗せていく。9時過ぎに振替バスでVentimiglia駅へ出発した。
バスはNiceの街を抜けてハイウェイに入る。バスからの眺めは山、海ととても良い。走っている途中で、ハイウェイの右側に、青地に黄色い星が輪になったEUのマーク、そしてその下に「ITALIA」と書いてある看板がちらっと見えた。どうやら国境ははそれだけ。看板がイタリア語になる。
バスはハイウェイを降りて、川沿いを走る。少し走って、市街の狭い道を走っていくと突き当たりに鉄道駅がある。これがVentimiglia駅で、みんなでバスを降りる。
Ventimiglia駅からは、鉄道で移動できる。IC343の座席を予約してあったので、客車と座席を確認して乗り込んだ。最終到着地がスイスの客車もあるので、良く確認。
Milano Centrale駅に着く。結構大きい駅で、人混みがすごいので緊張する。
到着してまずはT/Cを両替しようと思い、両替所に行く。T/Cの記入を間違えて、ああ間違えた、と言ったら、窓口の女性は「あれま」というように両目をくるっと1回転させた。あんな表情、日本人には絶対出来ない。
駅構内の観光案内所で地図をもらい、駅の正面から地下に降りて地下鉄に乗った。
2003年9月8日~10日に1泊。日本から予約していった三つ星ホテル。
20123 Milano - Via Moneta, 1/a
telephone (02) 87.48.63
fax + (02) 869.03.44
地下鉄でDumoまで行き、ホテルを探したが、日本でもらった地図が間違っていて、結構歩き回ってしまった。
ホテルは古い建物を利用しているようで、なかなか雰囲気のあるもの。朝食を食べる場所は中二階にある。
Gran Duca di Yorkの写真(2003年9月、38KB)
私が泊まった部屋は角部屋で、窓から前の通りが見下ろせた。
Gran Duca di Yorkから見た景色の写真(2003年9月、25KB)
地下鉄が走っているので、自由に移動できる。24時間券もある。
イタリアなのでさあ食事!というところだったが、同行した家族も疲れて体調を崩してきていたので、1泊目はDuomo近くで昼はサンドイッチ、夜はファストフードのピザを食べた。夕食のピザはファストフード、だが分量も味も十分すぎるものだった。2泊目は昼は現地の人で混み合うカフェテリア形式の店、夜もDuomo近くのカフェテリア形式の店で軽くすませた。昼の店は昼休みの時間帯らしく混んでいたが、ボリュームも味も満足できるものだった。
Milanoの真ん中にあるのがDuomo。ただ・・・、残念ながら工事中でした。
ただし、中にも入れるし、上に上ることも出来た。上にはエレベータで上がるが、その前のセキュリティチェックがものものしいものだった。
よくMilanoの観光案内に乗っているのがこのGalleria。ただ、どうやらGalleriaというのは、普通名詞のようで、他の場所でもこの表示はある。とにかく、このGalleriaは巨大なもの。中はブランドショップやレストランなどが並んでいて、真ん中の交差しているところでは何かのプロモーションをやっていた。
発音しにくい名前だが、Parco Sempioneという公園の前に陣取っているお城。中は地下も含めて美術館、博物館のようになっている。
Santa Maria Delle Grazieというこれまた発音しにくい教会にある。なんとこの絵は予約しないと見られないとのこと。観光案内所で訪ねたところ、今日は無理だが明日なら予約できるのではないか、とのこと。予約するには予約専用の電話番号に電話する必要がある。ホテルに戻って電話したところ、"sold out"とあっさり言われてしまった・・・。また、今度の機会に見に行きたい。ちなみに、英語では"last supper"と言うようだ。
イギリス、フランス、イタリア家族旅行で2003年9月10日(水)にRomaに向けてユーロスター・イタリアで出発した。
シチリア島第二の都市。カタニア、カターニャとも呼ばれる。エトナ山のすぐ近くにあり、噴火の被害を受けてきた街でもある。「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として、他のシチリア東部の7都市と一緒に世界遺産(文化遺産)となっている。
守護聖人は聖アガタで、乳房を切り取られたために、手荷物皿の上におっぱいが載った姿で描かれる。
パレルモと並ぶ大都市で、飛行機の場合はどちらかに入ることになる。
シチリア旅行の最初の訪問都市で、2017年4月29日(土)に成田から到着。。2017年4月30日(日)にはシラクーサ(Siracusa)から日帰り。3泊して、5月2日(火)にアグリジェント(Agrigento)に向けて出発した
Wikipediaヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々の情報
2017年4月29日(土)に成田から到着。
前日は早く帰れたものの、洗濯をしたり、クリーニング屋に行ったりしていたら寝るのはそれなりの時間になってしまった。
成田エクスプレスで成田空港第一ターミナルへ。初めてオンラインチェックインをして搭乗券も印刷してきてしまったので、出国までスムーズに進み、全日空NH231のB787で定刻の10:50の少し前に出発、定刻前の15:30頃にブリュッセル空港に到着。珍しく機内で映画(スターウォーズ・ローグワン)も見てしまった。日系の航空会社の国際線は久し振り。担当していた客室乗務員は日本人かと思ったら中国人のようだった。
ブリュッセル空港は少し前にテロがあったので緊張したが、のんびりしたきれいな空港。入国審査で前に並んだ日本人が皆「はい、はい」と答えているので変だな、と思ったら、審査官が片言の日本語で、「カターニアに行きますか?」「仕事?観光?」と質問してきた。あるようであまりない経験。
ブリュッセル航空SN3131のA319でブリュッセル空港を17:15の定刻発、19:50頃にカタニア空港に到着。タクシーでUNA Hotel Palaceへ。タクシーは良い評判を聞かず、交渉というのでいくらか聞いたら、あっさり「メーターだよ」と言われた。結構速く金額が上がっていくのでちょっと緊張したが、€35.90の表示で、€40支払ったら、€5のお釣りをくれた。
2017年4月29日(土)から5月2日(火)まで3泊。
賑やかな繁華街に面している。レセプションの女性が人形のように美人でちょっと緊張した。さらに、部屋のドアが開かずに何回かレセプションと行ったり来たりする羽目になったが、「力任せ」が正解だった。
景色が売り物の屋上レストランは行かなかったが、エレベーターホールからも煙を噴いたエトナ山が見える。
バスが走り回っていて、皆利用している。切符はイタリア式にタバコ屋(TABACHI)など近くの店で買う。中央駅と市街の間は歩いても見たが、あまり人もいないため、バスで移動した方が安全かも知れない。地下鉄も走っているようだが、利用はしなかった。
到着した翌日はシラクーサに出かけたが、翌々日の5月1日はイタリアでは祝日。なので、この日を移動日ではなく、市街観光の日に当てた。
ローマ時代の円形競技場跡。街一番の大通り、エトネア通りの真ん中ほどに普通にある。立ち止まって見学する人さえそれほどいないほど、普通にある。
カタニアの目抜き通りがエトネア通り。緩やかな坂となっていて、登っていく方向にはエトナ山が見える。
前はドゥオーモ広場になっていて、観光客にとってはここが中心。広場にはオベリスクを背負った溶岩で出来た象がある。
ドゥオーモのファサードはこれまたバロックで、内部は普通か。向きは作法に従って、入口が西を向いており、大きい建物だが、ゴシック建築と違ってフライング・バットレスは見られない。
中に入ることは出来なかったが、これまた立派なローマ時代の遺跡。現代の住居がかなりくっついて建てられていた。
修道院と教会が隣接している。教会は未完成のまま。修道院は大学として使われているらしい。中には入れなかった。
市街を南側に狭い路地を歩いて行くと突然開けたところにある。1239~1250年にかけてフリードリヒ2世(フェデリーコ2世)によって建てられた。かつては海に面していたが、エトナ山の噴火によって溶岩で周囲が埋められた。
現在では博物館として利用されている。
再び市街を北上してベッリーニ公園まで。公園は斜面になっていて、道路に面した入口から登っていくと、エトナ山がとてもよく見える。
昼食はベッリーニ公園近くのワインバーのようなレストランで。シーバス。日本のスズキより丸っこい顔をしていて、ヨーロピアンシーバスなのかも。
日本人としては、頭を左向きに出されるととても違和感があるので、ひっくり返してから食べる。
ワインを3杯飲んだので、ホテルに戻って昼寝をしてしまった。
夕方になって、再びドゥオーモ広場まで行き、ドゥオーモの横にあるパディア・ディ・サン・アガタ教会へ。ここはクーポラに登ることができ、カターニアの街を見渡すことが出来る。
観光の最後はベッリーニ公園の近くでアランチーニ。これはシチリアの名物料理で、おにぎりをフライにしたような食べ物。中にチーズが仕込んであったりする。油を使っていることもあって、非常に腹に溜まる。
再びホテルに戻って休んでから、夕食はピザの店でゴルゴンゾーラのピザ。
2017年5月2日(火)にアグリジェント(Agrigento)に向けて出発した。
シチリア島の都市。イタリア語では、シラクーザと発音するらしい。英語ではSyracuseとなる。ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ古い歴史を持つ都市で、シチリアの中心都市であった時代もある。哲学者のアルキメデスはこの地で生まれ、亡くなった。守護聖人は聖ルチアで、目をえぐられたことから手に持つさらに目が乗っている姿でよく表現される。「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」として世界遺産(文化遺産)になっている。
シチリア旅行で、2017年4月30日(日)にカターニアから日帰り。
2017年4月30日(日)にカターニアから日帰り。
前日にカターニアに到着し、時差があるはずなのに朝までぐっすり寝てしまい、朝食後、カターニアのバスターミナルまで歩き、シラクーサへ。9:30のバスに乗ろうと思ったのに、入口に突進する人の勢いに負けて10:00のバスになってしまった。皆列に並ばない。運賃は往復で€9.10だった。
街は半島のように突き出たオルティージャ(Ortigia)島とその背後に広がる丘からなっている。丘にはネアポリス考古学公園があり、オルティージャ島にはドゥオーモがある。オルティージャ島のほうが観光地っぽい。
カターニアからのバスは丘とオルティージャ島の間にあるシラクーサ駅の近くに着く。
古い建物ではないが、閉じた和傘のようなユニークな形をしている。バスで街に着いたときも見え、街のランドマークになっている。
マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂の向かいにある。シチリア島の地質学から、石器時代、ギリシャ時代、ローマ時代を中心とした展示がなされている。ほとんどがイタリア語だけではなく英語でも解説されている。
州立パオロ・オルシ考古学博物館の近くにある。果たして現在も使われているものなのか不明。カタコンベで有名らしいが、怖いので行かなかった。
ギリシャ及びローマの遺跡が残されている。広い公園となっていて、ピクニックに来ている人もいた。
紀元前3席行きに着工したとされる。コンサートをやるためか座席にカバーが掛けられており、遺跡という感じでもないのが残念。日差しが強くて、とにかく暑い。
石切場の跡の中でも大きなもの。高さも高く、奥も深い。形状のせいか、音がとてもよく響き、残響が続く。中は暗くて照明も点いていない。
手入れはされていないのか、草が生えている。中には入れない。
ネアポリス考古学公園を見た後は、オルディージャ島まで歩き、まずは昼食。アポロ神殿の前のカフェに入って、リングイネを頼んだら、結構時間がかかり、アルミホイルに包まれてムール貝、有頭エビが載った本格的なものが出てきた。塩味しかつけていないと思うが、アサリと小エビの出汁が出ているのかとても美味しい。が、二人分どころか三人分ほどの量があり、完食はしたものの、その影響は大きく、夕食が食べられなかった。
オルティージャ島の街の真ん中、繁華街に囲まれてある。紀元前7世紀末とシチリア最古のドーリア式神殿らしい。
昼食を食べていたら16時近くになってしまったので慌ててサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会へ。ここはドゥオーモ広場にあるが、祭壇にあるカラバッジョの「聖ルチアの埋葬」で有名。入場無料なので無料で見られる。
柱の形がねじれている。
こここそがオルティージャ島の中心か。いかにもバロック、という建物。ここも元々はアテナ神殿だったらしく、ギリシャ時代の柱が残されている。
オルティージャ島に入り、ドゥオーモ広場へはなだらかな登り坂となっており、尾根のようになっている。そこから海沿いに降りていく途中にアレトゥーザの泉がある。魚がたくさんいる。
広い海岸沿いの遊歩道で、散歩をする人が多い。海岸沿いにはヨットが泊まっていて、乗り込んで準備をしているような人がいた。
日帰りしなので、17:30にシラクーサをバスで出発し、カターニア(Catania)まで戻った。昼食が多すぎたので、そのままホテルの部屋で水とビールを飲んで就寝。
シチリア島の都市。ギリシャ時代はAkragasと呼ばれ、街の近郊に遺跡が残され、「アグリジェントの遺跡地域 」として世界遺産(文化遺産)になっている。物質は、火、水、土、空気からなるとしたエンペドクレスはアグリジェントの出身。
現在の街は斜面の上にあり、急な坂を下りていくと下に遺跡が広がっている。
シチリア旅行で、2017年5月2日(火)にカターニア(Catania)から到着。1泊して、5月3日(水)にパレルモ(Palermo)に向けて出発した。
2017年5月3日(水)にカターニアから到着。
朝、ホテルをチェックアウトしてバスでカターニア駅まで行き、バスターミナルへ。SAIS Transportiと言う会社で、シラクーサに行ったときと切符売場も異なり、バスターミナルも隣。片道€13.40。
9:30にアグリジェントに向けて出発。途中からほぼ満席に。13:00過ぎにアグリジェントのバスターミナルに到着。バスターミナルはは山の斜面のすそのようなところにあり、最初どちらに歩いて行けば良いかわからなかった。
2017年5月2日(火)から5月3日(水)に1泊。
鉄道駅の下とも言うべき、横の斜面を降りたところにある。とてもしゃれた内装になっていて、チェックインするとフルーツの皿盛りを持ってきてくれた。
ホテルにチェックアウト後、昼食を摂らずに、そのままバスで遺跡まで。
神殿の谷と呼ばれる地区には古代ギリシャ、ローマ期の遺跡群がある。バスを降りたものの入口がなく、どこから入れば良いかわからなかった。さらに下に降りていったところに入口があったが、随分と時間を食ってしまった。かなり広い。
ヘレニズム期・ローマ期の地区もあるようだが、結局閉鎖されているのか入り方がわからなかった。
入口から少し登っていった最初にある。神殿の角の部分だけ立っていて、周囲には痕跡だけが残っている。
瓦礫しか残っていない。テラモーネという巨人像が置かれているが、これはレプリカで、本物は州立考古学博物館に置かれている。このテラモーネは柱として意図されたもので、たくさんのテラモーネが屋根を支えているような不思議なデザインだったとされる。
ここは柱が並んでいるだけ。
開けた場所に堂々と立っている。アテネのパルテノン神殿を思い起こされるが、白いパルテノン神殿に対して、このコンコルディア神殿は茶色く見える。紀元前440-430に建てられたものとされ、ドーリア様式。後に教会として利用されたために保存状態が良いという。
ちょっとした高台の上に立っている。これもドーリア式。
神殿の谷からバスで、街に行く途中の州立考古学博物館へ。真ん中にテラモーネの、こちらは本物が建てて展示してあり、テラモーネが並ぶゼウス神殿の復元模型もあった。テラモーネも大きいが、ゼウス神殿はさらに巨大であったことが分かる。
神殿の谷地区は海に近い斜面の下にあるが、現代のアグリジェントは斜面の上にあり、バスターミナルや鉄道駅が集まっている。メインストリートのアテネア通りは、狭いがレストランも集まっていて、観光客も集まっている。
同時に、ここは中世の教会も残っていて、これまた歩いて楽しい。
ただし、やっぱり斜面に街が広がっているので、階段を上り下りするなど上下移動がかなりきつい。日本の感覚だと街を作る場所ではない。
坂が入り組んだ住宅地の真ん中にあって場所がわかりにくい。無償ではあるが、入口に修道女のような人に寄附をやんわりと求められたので、手持ちの€5ほどを渡して中へ。
外観からはまったく地味な教会で、寄附してしまったし、と一応入ったが、中は素晴らしい。バロックの装飾はまさに「劇的」で、楽器を持つ天使が飛び回っている。天井はこれまたバロック的なだまし絵になっている。
Giacomo Serpottaという人による装飾らしいが、一部の英語化された解説に寄れば、ベルニーニ(Bernini)の影響を受けているのだろうとのこと。ベルニーニの聖テレサの法悦に似たような作品を作っているのだそうだ。
シチリア島にはバロックの建物・装飾が多く、このGiacomo Serpottaという名前は以降も度々見ることになる。
街のかなり上の方にあり、ひたすら細い階段の続く路地を登っていったので、強い西日の中、汗をかいた。公開終了時間すれすれに飛び込んで、見学。
11世紀に作られた教会で、高台にあるのでとても眺めが良い。
昼食を抜いた割にはあまり食欲が湧かなかったが、一旦ホテルに戻った後、アテネア通りの路地を少し入ったレストランで鰯のバスタ(ブカティーニ)、イカのグリル、ビール、白ワイン。
満足して、通りでアイスを買って食べてから就寝。
2017年5月3日(水)にパレルモ(Palermo)に向けて出発した。
アグリジェントのホテルを遅めにチェックアウトして、アグリジェント中央駅へ。アグリジェントの駅は広場に面した立派な駅だが、斜面に立っているので、プラットフォームは入るとひたすら階段を降りていった地下?にある。切符売場も地下。イタリアの鉄道は改札なくホームへ下りられるが、壁に着いている改札機で自分で刻印する必要がある。前日に買っておいた切符を刻印。
10:17の普通列車で定刻に出発。乗り込む前に駅員が待っていて、持っているタブレットで切符の二次元バーコードを読み取って送信していた。普通列車なのに一部の席には電源が着いていて、ちょうとノートPCの電源が切れてしまっていたので助かった。
シチリア島最大の都市で、「パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂」として世界遺産(文化遺産)になっている。守護聖人は聖ロザリア。
最大の都市と言うだけではなく見所も多い。イスラム、ビザンチン、カトリックの文化と建築が入り交じっているので、それぞれを知っていると大変に興味深い。
シチリア旅行の最後の訪問都市で、2017年5月3日(水)にアグリジェント(Agrigento)から到着。2泊して、5月5日(金)に帰国。
2017年5月3日(水)にAgrigentoから到着。
アグリジェントからの列車はとても空いていて、車窓も花が咲いた平野が見えたり快適。運賃も€9で割安。定刻の12:19にパレルモ中央駅に到着し、バスでホテルに向かった。
2017年5月3日(水)から5月5日(金)に2泊。ポリテアーマ劇場に面しているので、交通もそれなりに便利。フロントの男性は無愛想だったが、きびきびとしていた。
パレルモの街はある程度広く、徒歩だけだと辛いが、バスが頻繁に走っていて、それを利用すると上手に回ることが出来る。到着した2017年5月3日(水)は見所が集中したノルマン宮周辺から。
2017年5月3日(水)にホテルにチェックイン後、バスで旧市街まで行き、まずはクアットロ・カンティ。ここは十字路で、4つの角のいずれも立派なバロック様式の装飾が施されている。写真だとわかりにくいが、ぐるっと4つ角を見渡すとなかなか壮観。
軽く見学するつもりで入ったところ、素晴らしい装飾でびっくり。これもGiacmo Serpottaによるものらしい。解説文が渡されるので、一つ一つ内容を理解してみることが出来る。日本で亡くなった3人の聖人の絵もあったが、3人が十字架にくくりつけられている絵だった。映画「沈黙」でも出てきた天草の殉教者だと思われる。1655年の絵と解説文にあるが、島原の乱は1937-1938年だから、それほど時を経ず、ヨーロッパでも事件が知られていたと言うことだろうか。
ノルマン宮の近くにあるアラブ・ノルマン様式の教会。モスクだった痕跡が残っているが、内部はがらんとしている。
パレルモ観光のハイライトがノルマン王宮のパラティーナ礼拝堂。ルッジェーロ2世の命により12世紀に建造されたもので、ビザンチン、ラテン、イスラムの芸術が混じり合ったシチリアらしい礼拝堂で、これでもかというくらいに豪華な装飾が施されている。
ノルマン宮から大聖堂へ向かうと、ヌオーヴォ門を抜けていく。門と言うにはかなり立派。
大聖堂は12世紀に建てられたシチリア・ノルマン様式で外部にはイスラムを感じさせる装飾も残されている。屋上に上ることができ、パレルモの旧市街を見下ろすことができる。
マルトラーナ教会とサン・カタルド教会は隣り合って並んでいる。
マルトラーナ教会は、12世紀に東方正教会の教会として作成された。中は派手派手。
赤いドームが3つ並んだ特徴的な外観。マルトラーナ教会と並んでいるが、こちらの内部はがらんとしている。
マルトラーナ教会、サン・カタルド教会の近くにある広場で、周囲の教会と違って、ルネッサンス様式。
夕食は新市街のレストランで。
2日目の2017年5月4日(木)は、新市街と、前日に回ったノルマン宮周辺の東側を見学。
1897年に完成した、新古典様式の劇場。劇場としては典型的な建物とは言え、シチリアらしくない気もする。
1Fのみ公開されていて、無料だった。イタリア語と英語の説明があり、2015年8月18日に、パルミラ遺跡を守ってイスラム国に殺害された、Khaled Al-Asaadの説明もあった。紀元前の釣り針もあった。現在のものとほとんど変わらないのは面白い。
入口が地味でわかりにくいが、内部は広い。iPadを貸してくれ、そこでオーディオガイドのように説明を聞きながら回る形式。
何と言っても、Giacomo Serpottaの素晴らしい像が全体を覆っている。周囲にはキリストの一生が、受胎告知から十字架にかけられるまで像として表されている。
ところで、シチリアは小さな車が多く、それもハッチバックが多い。いわゆるセダンはほとんど見かけない。
ロザリオ・イン・サンタ・チータ祈祷堂から少し歩いたところにある。こちらは一室しか見学できないが、やはりGiacomo Serpottaの像が置かれている。大活躍。
ローマ通り沿いにあって目立つ教会で、ファサードはバロック様式。内部は広いが抑制された装飾。
食料品を扱う店が集まった一角がある。魚屋では、カジキマグロの頭の槍の部分が一つ、目印のように置かれていた。
さらに東に歩いてラ・ガンチャ。単廊式で装飾も抑制されている。ガンチャと言う名前は、ギリシャ語、ラテン語から来ていて、孤立した場所、といった意味らしい。
Abatellisという建物を使っている。15世紀頃の宗教絵画が多い。ビザンチン様式のような表現に乏しいものから、ルネサンスの生き生きとした表現、マニエリスムの表現が見られる。各部屋にイタリア語、英語の説明カードが置かれていて、わかりやすい。
マリーナ広場近くで、ウニのスパゲティ、コーラ、ホウレンソウ、エスプレッソ
海に面して建っている教会。中に入ると日本語の説明カードを渡された。外から見るとルネサンスっぽいが、中はゴシックっぽい。
キアラモンテ宮殿に入ろうとしたら入れなかったので、近くのカルフールを「見学」。
さすがにイタリアと言うことで、パスタのコーナーは巨大で、長い棚にありとあらゆる種類が並んでいた。オリーブオイルでもお土産に買おうかと思ったが、日本で見るような小瓶はなく、1L、2Lといったサイズばかり。
あと面白かったのは、肉を売っているコーナーはあるのに、魚はまったく売っていない。これだけ魚を食べているのに。魚はスーパーではなく、魚屋で買うもの、なんでしょうか。
14世紀に有力なキアラモンテ家によって建てられた宮殿だが、刑務所として利用された。
正面の入口が閉まっているので、右に回って入ろうとしたら、守衛に止められてしまった。左側に回って入口に入るとガイド付きのツアーでないと入れない、次は16:00になると言われた。順番があって今決めないといけないというので、ちょっと時間が空いてしまうがせっかくなのでチケットを買った。
カルフールに行ってから16:00に集合すると、二組のカップルとの計5人でツアー開始。先ほどの受付の女性が英語で説明してくれるが、カップルのメンバーがよく質問をするのでなかなか面白い内容となった。自分も質問できれば良かったが、英語がそこまで・・・。
この宮殿を作ったキアモンテ家はフランスから来たノルマン系で、キアモンテと言う名もその地に由来するものだという。港に近いこの建物は交易を支配するのに好都合であり、シチリアの北岸にあるパレルモから南岸のアグリジェントまでの交易を支配していたという。
しかし、シチリアがスペインに征服された際に、キアモンテ家はこの宮殿を追い出され、さらにその後はおびき寄せられて処刑されてしまう。その後は刑務所としても使われた。
まずは入った建物の上階の広間へ。客を招くための部屋だったらしく、装飾が施されているが、木で作られた天井はアラブ・ノルマン様式だという。豪華さだけではなく、外国との関係も示す装飾もあって、支配力を見せつけるようになっているという。
続いて隣の建物に移動し、こちらが牢獄として利用されたもの。一つ一つの部屋は二層に区切られ、15-20人が収容されていたという。ここでの見所は、いくつかの部屋に残された落書き。文章の他、イエス・キリストや聖人の絵、シチリアの地図などが書かれている。ここに収容された囚人は高い教養を持った人や聖職者で、支配者にとって危険と見なされた人物だったという。イタリア語の他に英語の文章もあり、これはプロテスタントであるため(カトリックでないため)に収容されたと考えられている。旧約聖書に関連する記述もあり、ユダヤ人も収容されていたと考えられる。シチリアにはユダヤ人のコミュニティがあったが、スペイン支配時にカトリックに改宗した。しかし、改宗を装いつつ、信仰を守り続ける人々もいたという。
絵は文章と比べて拙い印象だが、聖人の絵もあり、聖ロクス(イタリア語ではロッカ)の絵もある。ヨーロッパで黒死病が流行っていた頃は、この病気から回復した彼を崇める習慣が広がっていたとのこと。女性囚人の部屋の絵は彩色されており、おそらく食べ物で色をつけたとのこと。
街の路地の中に突然巨大な教会がある。ロマネスク様式と言うが、ゴシックのような天井、アラブ・ノルマンの天井、バロックのような装飾が施されている。
シチリア最後の夕食は、魚のスパゲティ、イカの唐揚げ、そしてデザートのカンノーロ。
2017年5月5日(金)に帰国。
ホテルを7:00過ぎにチェックアウトしてポリテアーマ広場の前から7:15の空港バスに乗って、ファルコーネ・ボルセリーニ空港へ。ポリテアーマ広場は定刻に出発したが、続くいくつかのバス停の時刻表も時間が7:15になっていて、結構時間はいい加減かも。バスは満席に近い。
ファルコーネ・ボルセリーノ空港は1992年にマフィアに爆殺された判事ジョヴァンニ・ファルコーネ、パオロ・ボルセリーノにちなんで命名されたそうだ。シチリアらしいと言えば、シチリアらしい。バスは時刻表通りの9:50頃に着いたが、チェックインは長蛇の列で済んだのは8:40過ぎだった。
保安検査を終え、ゲートに進んだが、乗ろうとしたら間違った列に並んでしまったらしく、列が全然進まないしおかしいなと思っていたら、放送でゲートに呼び出されてしまい、"too late"と言われてしまった。バスで機材まで移動、スイスインターナショナルLX2511のA321で定刻の9:40をやや過ぎた9:50にPalermo発。乗り込む列が出来ていたので、自分のせいで遅れたのではないと思うが・・・。
スイスに入ってからは、アルプスが雪を抱いて連なっているのが見えて、素晴らしい景色だった。
12:00前にチューリッヒ空港に到着。乗り換え時間が限られているので急いで移動。出国検査の女性は結構まじめにチェックしていて、パスポートに入国のスタンプがないというので、いや10ページにブリュッセルで入ったスタンプがあるよ、というやりとり。スタンプが薄いから!ということで無事手続終了。
スイスインターナショナルLX160のA340-300で13:00にチューリッヒ空港発、旅行中によく寝ていたせいか、よく眠れずKindleで本を読んでいた。翌5月6日(土)の8:00過ぎに成田空港着、成田エクスプレスで帰宅。
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