最終更新日 2004年1月3日
スペインは、いつかは行ってみたいと思っていた国でした。陽気な人々、長いイスラム支配の影響、おいしい料理、人気がある観光地だというのも納得できます。特に、GranadaのAlhambra宮殿はすばらしいです。治安が悪いという情報もありますが、無事に旅行を終えることが出来ました。
国名 | España(スペイン語)、スペイン、Spain(英語) |
---|---|
国土 | イベリア半島の大半を占めており、北東はピレネー山脈でフランスと別れ、北部にカンタブリア山脈、南部にシェラネバダ山脈、シェラモレナ山脈がある。大半は高原地帯である。 |
気候 | 北部、西部はCfb、東部はCs。乾燥している。 |
人口 | 約3,927万人(1996) |
民族 | スペイン人、北部にバスク人 スペイン人は、先住のイベリア人、ケルト人、ローマ人、ゲルマン諸族、ベルベル人などが混合したもの |
宗教 | カトリック |
首都 | Madrid |
経済状況 | 一人当たりGNP14,350ドル(1996) |
時間 | 中央ヨーロッパ時間(GMT+1)、ただし夏はサマータイムで1時間繰り上がる。 |
国番号 | 34 |
観光客 | 3,932万人(1995)、なんと人口とほぼ同じだ。 |
スペイン語
インド・ヨーロッパ語族ロマンス諸語。英語は通じないと良くいうけども、ホテル、バスターミナル、鉄道駅、観光地、旅行代理店で問題なかった。かえって相手も英語が流暢ではないので、ゆっくり話してくれ、通じやすい感じだった。ただ、普通の人はあまり話せない可能性大。話せても、Rが巻き舌だったり癖がある発音だったりする。人のこと言えないけど。
今回の旅行は1国だけだったので、結構色々な表現を覚えた。でも、数字はダメだったので、会計時はレシートをもらわないとダメだった。
ありがとう | Gracias | グラシアスとそのまま言えばOK |
こんにちは | Hola | オラ ちょっとかしこまったときにBuenos diasなどと言うみたいで、ほとんどHolaで良いみたい |
お願いします | Por favor | ポール・ファボール |
水 | Agua Mineral Singas | アグア・ミネラス・シンガス |
ビール | Cerveza | セルベーサ |
ワイン | Vino | ビノ |
赤 | Tinto | ティント |
白 | Blanco | ブランコ |
会計お願いします | La cuenta por favor | ラ・クエンタ・ポール・ファボール |
1 | uno | ウノ(1人?1個?など、よく確認される) |
ブラックのコーヒー | Cafe Solo | カフェ・ソロ |
ミルク入りコーヒー | Cafe con leche | カフェ・コン・レッチェ これが基本みたい |
デザート | Postre | ポストレ 後ろにアクセント |
ペセタ(Pts)であったが、通貨統合参加国であり、2002年から€に移行している。私が訪問した2001年はまだペセタだったが、ユーロとは既に1ユーロ=166.386Ptsに固定されていた。
日付 | 場所 | 手数料込みレート | 備考 |
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2001/9/4 | BarcelonaのPlat空港の自動両替機 | 1Pts=0.7071円 | 現金1万円 |
2001/9/5 | クレジットカード | 1Pts=0.664円 | 昼食 |
2001/9/5 | クレジットカード | 1Pts=0.663円 | 夕食 |
2001/9/5 | クレジットカード | 1Pts=0.664円 | Granadaホテル代 |
2001/9/5 | クレジットカード | 1Pts=0.667円 | Barcelona -> Granada飛行機代 |
2001/9/6 | Barcelonaのホテル近くのATM | 1Pts=0.6736円 | CITIBANKのキャッシュカードで8,000Pts引き出した |
2001/9/7 | Barcelonaのホテル近くのATM | 1Pts=0.6782円 | CITIBANKのキャッシュカードで6,000Pts引き出した |
2001/9/7 | BarcelonaのPlat空港のBBVA銀行 | 1Pts=0.6816円 | 20,000円のT/Cを両替 |
2001/9/11 | クレジットカード | 1Pts=0.663円 | Málagaホテル代 |
2001/9/11 | MálagaのBBVA銀行 | 1Pts=0.6815円 | 20,000円のT/Cを両替 |
2001/9/13 | クレジットカード | 1Pts=0.663円 | Jerez de la Frontelaホテル代 |
2001/9/14 | クレジットカード | 1EUR=110.313円 | Sevilla -> Madrid AVE代 |
2001/9/14 | SevillaのCITIBANK | 1Pts=0.6766円 | CITIBANKのキャッシュカードで10,000Pts引き出した |
2001/9/15 | SevillaのSanta Justa駅 | 1Pts=0.7993円 | 1万円のT/Cを両替。かなりレートが悪い。 |
2001/9/16 | Holiday Inn Madrid前のCITIBANK | 1Pts=0.6846円 | CITIBANKのキャッシュカード |
どこでも両替できる。クレジットカードも使える。今回からCITIBANKのキャッシュカードを持っていったが、これは便利。レートもいいようだ。ATMは街中にたくさんあり、どこでも使えて大変便利だった。
スペインについては、これを書かなければならない。いろいろ国を旅行したが、スペインでは他の国と生活時間が随分異なる。9:00から17:00までが営業時間、というのはないみたいである。古い習慣が一部の人たちに残っている、というのではなく、大部分が本当に違っている。
まず、朝は9:00くらいから普通に動き始めているようだ。ここまでは問題ない。しかし、12:00になっても昼食の時間が来ない。昼食用のレストランが開くのは13:00くらいから。私の観察によれば、昼食のピークは15:00くらいのようだ。おおよその感覚として、日本の時間に2時間足したのが近い。13:00だとちょっと早めの食事かも。16:00だとちょっと遅めの昼食。レストランで観察していると、16:30くらいになると人も減り、店の端で従業員が自分達の食事をはじめる。
旅行代理店やTourist Informationなどで話していても、朝の12時という表現をしばしば聞いた。どうやら、12時→昼食の前→朝というように考えているらしい。
従って、大型デパートなどはともかく、旅行代理店なども朝から始まって、14:00くらいで一旦終了してしまう。それからはシエスタタイムで、ゆっくりと昼食をとる。その後、本当に家で寝ているかは謎である。
16:00くらいから「第二部」が開始される。店などでは17:00くらいから再び開く。それじゃすぐに夕食になってしまうじゃないか、というと心配無用で、17:00なんかにレストランに行ってもたいてい閉まっている。夕食用にレストランが開くのはなんと20:00すぎからで、だいたい23:00くらいまでが夕食タイムだと思う。これも感覚として日本の時間の2時間足したような感じである。
朝寝坊夜更かしで、いつも旅行するときはスペインでなくとも昼寝をしている私にはぴったりの生活時間だった。ただ、午後にホテルで昼寝をしていると掃除に来て起こされるので、旅行者もホテルで毎日昼寝をするとは想定されていないらしい。
日本人は6ヶ月のうち、90日以内なら必要ない。
スペイン観光局の情報。
Barcelonaはスペインの第二の都市で、人口は約156万人だそうだ。フランスに近く、地中海に面している。カタルーニャという地域に属しており、スペイン語だけではなく、地域の言葉カタラン語というのを使っているらしい。私にはどちらもちんぷんかんぷんですが。
スペイン旅行で2001年9月4日(火)にBAでLondonのHeathrow空港へ、そのまま乗り換えてBarcelonaのPlat空港に同日着。3泊した後、9/7(金)に再びPlat空港からイベリア航空でGranadaへ出発。
今回はBAで行ったのだが、まず成田を出発する際に、システムのトラブルで一時チェックインが出来なくなり、そのせいか飛行機が遅れた。Heathrow空港では、ターミナル4からターミナル2に移動しなければならなかったが時間的に余裕がなかった。慌ててHeathrowでターミナルをバスで移動したのだが、肝心のターミナルについた後、火災報知機がなったとかで移動を制限され、あせった。結局移動できたが、Barcelona行きの飛行機も遅れていた。結局、空港に着いたときは23時を回っていた。疲れた。
とにかくスペイン、特にMadridとBarcelonaは治安が悪いという情報があり、特にパスポートと現金を持っている移動時には必ずタクシーを使え、ということだったので、空港からはタクシーでホテルに向かった。そもそも空港への到着が遅れたので、タクシー以外の方法はほとんどなかったのだが。
タクシーの運転手の兄ちゃんはとても人の良さそうな感じで、ぼられるという不安は全くなかった。ホテルから見るバルセロナの街はなんだか暗くて人通りが少なく、何だか雰囲気が悪いように感じた。
2001/9/4-9/7に3泊。スペインに行く前に、日本で予め予約しておいたホテル。例によって直前に予約したため、旅行代理店の人にお任せで予約してもらった4星ホテル。
Av. Paralelo, 57-59
08004 Barcelona
telephone +34 902 14 44 44
mail melia.confort.apolo@solmelia.com
地下鉄L2とL3が交わるParal-lelから出てすぐのところにある。港に近い位置である。APOLOという劇場と同じ建物になっているようだ。
Hotel Melia Confort Apoloの外観(28KB)
日本で予約したのだが、シングル1泊1万5千円弱だった。朝食付き。飛行機で着いた後はゆっくりしたかったので、結構いいところに泊まってみた。
部屋は豪華で、設備も十分。朝食は様々な種類から選べるバイキング形式でおいしい。特に、ソーセージやベーコンなど、火が通ったものの種類が多いのも個人的にはうれしい。レセプションも、高級感を漂わせつつ、チェックアウト時には「滞在はどうだった?」と聞いてくれるなど親しみやすさもあってよかった。
Hotel Melia Confort Apoloで泊まった部屋(32KB)
朝食をとっていたら、ウェイトレスが来て、「英語があまり得意でないのですが・・・アンケートを書いていただけますか。」と言われた。思ったことを書いて渡しておいたら、帰国したところ丁寧にも感謝状が届いていた。何だかうれしい。
地下鉄は5つの路線があり、とても使いやすい。全て自動改札で、駅構内や車内も比較的きれいである。ただし、スペインは夜が遅いにも関わらず、24時間やっていないので二日目の夜には終電近くでちょっと焦った。
チケットには、1回のもののほか、10回のものもある。いずれもカード大の大きさの紙である。
Montjuicの丘の港側から、港のTorre da Jaume I、Barcelonetaの海岸のTorre de St. Sebastiaまで、3か所を結んでいる。移動手段というよりも、景色がきれい。ただし、朝は11時からしかやっていなかったので、Montjuicの丘の乗り場で随分待ってしまった。
スペインと言えば料理もおいしい。確かにおいしいし、バラエティもあるが・・・量が多い。
安そうなところから、高そうなところもある。楽しいのはTapasという小皿料理を扱っている飲み屋でこれが面白い。いろいろな種類を作ってカウンターのガラスケースに並べてあるので、カウンター席に座ると、あたかも寿司のように次々と頼んで楽しめる。しかし、たくさんの種類を食べるとそれなりにお金もかかる。
チップは必要なようだ。
目抜き通りのRamblas通りにはたくさんの店があるし、新市街にもたくさんの店がある。
9/5の昼食に行った店。Ramblas通りのホテルのレストランで、スペインで初めて入ったレストランだった。おいしかったが、ちょっと高めだったかな。
白ワイン | 600 |
スープ | 525 |
小海老のクリームソース | 1895 |
パン | 100 |
デザート(ウイスキー入りアイスクリームケーキ) | 495 |
税金7% | 253 |
合計 | 3,868 |
9/5の夕食に行った店。Ramblas通りの真中辺り。Tapasがたくさんある店だったので、それを頼めばよかったのだが、最初の夕食でよくわからず、メニューを頼んで別のものを頼んでしまった。失敗。でもおいしかったけど。
軽い気持でサラダを頼んだところ、直径25cmくらいのボウルに入ったやつが出てきた。日本の居酒屋で3人前くらいの感じで出てくるやつである。多人数用のを1人なのに頼んでしまった、とバツが悪い感じで食べていたが、ふと後ろを振り返ると、若い女性2人組が、それぞれ自分の前に1つずつその「ボウル」を置いて食べていた!やはり1人前だったらしい・・・恐るべし。私も全部食べたけど。
ビール0.5l | 450 |
でかいサラダ | 845 |
干鱈 | 1975 |
コーヒー | 125 |
税金7% | 238 |
合計 | 3,633 |
9/6の昼食は、Reial広場のLes Quinze Nitzという店に行った。店員はなぜかほとんどアジア系(タイ?)だった。Arroz Negroというイカ墨の米料理を頼んだところ、脂っこい味付けのご飯がたくさん出てきた。そこそこの味だったのに、全部無理に食べたら、食べすぎで苦しくなった。ホテルに帰って昼寝をしたが、夕食のために起きてもまだ胃がずきずきしていた。そういえば、ポルトガルでも米料理で食べすぎで苦しかったことを思い出した。
教訓:米料理は食べすぎに注意
夕食は苦しかったので、新市街のBa-Ba-Reebaという店に行った。広くて、入り口付近はカウンターでTapasがたくさんある。小さなイカとか、おいしかったのでまた結構量を食べてしまった。でも、この店はサービスも味もとてもよかった。
空港からのタクシーから見た夜のBarcelonaの街は、とても暗い雰囲気だったが、朝起きて、ホテルで朝食をとりながら外を見ると、一転して明るい南欧の雰囲気。早く外に行ってみたいとうきうきしてくる。
Barcelonaの街は、港側に旧市街が広がり、その奥に新市街が広がるという構造になっている。港からRamblas通りという目抜き通りが旧市街を貫き、カタルーニャ広場まで続いている。カタルーニャ広場を越えると新市街である。
港にはコロンブスの塔が立っている。また、Port Vellというちょっとしたベイ・エリアのようなものができていて、そこに渡るとショッピングセンター、映画、水族館などがある。Port Vellは夜行くとなかなかロマンチックな雰囲気。
Ramblas通りは、中央の歩行者専用の通りの両脇に自動車道路がある構造となっている。歩行者専用通りでは、たくさんの店やベンチが出ていて、多くの人でにぎわっている。なぜか宝くじ売り場が目立つ。この後、他のスペインの都市を旅行しても気が付いたのだが、宝くじが非常に多く売られている。
どこも街路樹が並んだ同じような感じで、どちらに向かっているのか最初は良く迷ってしまったが、港へ向かう方向に若干下りの傾斜となっていることに気が付いてからは迷わなくなった。なるほど。なるほど。
Ramblas通りの真中辺りには、Sant Josepという市場がある。旅行者にとって市場はいつも面白いものですかさずチェックした。肉、チーズ、魚、野菜などたくさんのものが売られている。ちょっとおもしろいな、と思ったのは、野菜がきれいに積み上げられている。他の国でみると、野菜はどさっと山積みにされていることが多いのだが、丁寧に「最密充填構造」に近く積み上げられている。
Ramblas通りはカタルーニャ広場で終わり、新市街となる。カタルーニャ広場は時間帯によっては治安が悪いとも言うが、昼間はとても平和な雰囲気。他の観光客も写真をとっているし。ただし、広場の一角には警察が常駐していた。
Tourist Informationはこの広場の地下にあり、広場の端に入り口がある。行ってみたが、とても混んでいた。
Ramblas通りを外れて、旧市街の東側に行くと、ゴシック地区と呼ばれる地域になる。ここにはかなり古い建物がある。王の広場というのはコロンブスがイサベラ女王に謁見した階段が残っている。
また、Ramblas通りの港近くからゴシック地区に入ると、レイアール広場という、建物に囲まれた広場がある。広場に入るには、周りの建物をくぐってはいることになる。写真で広場奥左側にあるのが、食べすぎで苦しくなったレストランだ。
ここも非常に平和な雰囲気なのだが、広場の片隅には警察が待機していた。周りの建物沿いにはホームレスがたまっている。
Ramblas通りの西側は、シネス地区というらしい。ホテルからRamblas通りまで行くのには横切るのが近道なのだが、ちょっと怪しい雰囲気。昼間はいいのだが、夜一度いったら感じ悪いので、それからは大通りを迂回するか、地下鉄に乗るようにした。
BarcelonaといえばSagrada Familia、ということで言ってみた。観光客多し。地下鉄の駅Sagrada Familiaを降りて地上に出ると、いきなりあのにょきにょきとした塔が見える。
地下鉄駅を出たところから見たSagrada Familia(52KB)
Sagrada Familiaは1882年に建設がはじまり、まだ完成していないのは有名な話である。配られていた説明書を読むと、このにょきにょきした塔でSagrada Familiaは終わりではないらしい。このにょきにょき塔は12本の予定中、8本既に完成しているが、あくまでも周辺部分であり、最終的にはそれらをはるかにしのぐ高さの「中央ドーム」が真ん中に出来るのだそうだ。
地下鉄駅からぐるりとSagrada Familiaを半周したところに入り口がある。入ったところの側は「受難のファサード」と呼ばれているらしい。彫刻があり、内容的には普通のキリスト教的なものに見えるが、非常に角張った形式にデフォルメされている。
塔の先には、変な実のようなものがついていて、毒々しい色が施されている。不思議な建物。
中に入ると工事現場のよう、というか工事現場。昔から作られているので、石で出来ているのかと思ったら、どうやら鉄筋コンクリートで作られているみたいである。
中に入ると柱がいっぱい立っているのだが、これも普通の感覚では思いつかないような変な形をしている。植物をイメージしたものらしいのだが、やっぱり変な形をしている。結構工事をしている人がたくさん働いている。
中を通り抜けて反対側に出ると、「生誕のファサード」という側に出る。こちらはさっきの「受難のファサード」と違って、普通の教会の彫刻っぽい。
Sagrada Familiaにはエレベーターがあって、塔の上まで登ることが出来る。Barcelonaの街を一望できるほか、向かいの塔や、工事現場を見ることが出来る。
Barcelonaの旧市街の西側には、Montjuicの丘という丘がある。旧市街からも見えるのだが、突然盛り上がって丘になっており、不思議な地形である。丘の側面にはサボテンが生えているのが空港に向かうタクシーから見えた。
Montjuicに行くには、スペイン広場から登っていく。登っていくあたりは見本市会場があったりして、現代的な雰囲気。昇っていく先にはカタルーニャ美術館の建物があるのだが、これが相当に立派な建物である。
Montjuicの丘に行くと、観光地なのに、朝のせいか(といっても10時くらいなのだが)、他に観光客がいない、というか人があまりいない。一通りオリンピックスタジアムなど見て、ロープウェイ乗り場まで歩いたが、やってない。11時から始まるということだったが、11時をちょっと過ぎたあたりでやっと動き出した。
Barcelonetaは、街のすぐそばにある、港の外側の海岸で、Montjuicの丘からもロープウェイで行くことが出来る。ちょっと離れただけなのにリゾートっぽく、海がきれいでたくさん泳いでいる人がいた。街に住んでいれば、ちょっと泳いでくる、という感じで自転車で来られるはずである。うらやましい。写真だと空いているように見えるが、結構混んでいて、街の近くは場所取りが必要そうなくらいである。
港から旧市街を抜けて、カタルーニャ広場を抜けると、新市街となる。観光地があるわけではないのだが、非常にきれいな街で、高級店が建ち並び、レストランがある。すんでいる人にとってはこちらが中心なのかもしれない。雰囲気は銀座の目抜き通りのようである。町の中にガウディの建築があったりして、そこのビルだけライトアップして目立っていた。
スペインの南部Andalucíaの都市で、人口は約29万人。イベリア半島においてイスラム教徒が最後まで支配したとして、Alhambraというすばらしい宮殿が残されている。
スペイン旅行で2001年9月7日(金)にBarcelonaからイベリア航空でGranada空港に到着。2泊した後、9/9(日)に長距離バスでCórdobaへ出発した。
この旅行では、スペインでBarcelonaに着いて宿泊した後は、なにも予約していなかったので、Barcelonaで準備をする必要があった。
BarcelonaのTourist Informationで、Granadaまで飛行機で行きたいのだが、どこでチケットが買えるか聞いたところ、旅行代理店で買えるとのこと。近いものがRamblasどおりにあると言うので、ぶらぶらと歩いてRamblas通りのviajes marsansという旅行代理店まで行った。
中に入ると入り口にいくつか椅子があって、既に待っている人がいた。前に待っているおばさんが、私の後から来る人に、この人の次だよ、と順番を説明してくれている。
自分の番になって、受付の女性に説明すると、Granadaまでの飛行機の時間を教えてくれた。朝早いのはいやなので、16:40のものにした。まずカードで決済して買う。イベリア航空のもので、29,395Ptsだった。続いて「ホテルは予約しているか」と言うので、着いてから探そうと思っていたホテルもついでに予約することにした。お勧めのものをそのまま予約した。
飛行機の出発は16:40だが、荷物を持って観光するのも大変なので、ホテルを12:00前にチェックアウトし、タクシーでBarcelonaのPlat空港に向かった。Barcelonaに着いたときは夜で外は見えなかったのだが、昼間にタクシーで走ると、港の様子や、Montjuicの丘の崖にサボテンが生えている様子などが良く見える。
タクシーで空港に着いてから、両替をし、チェックインし、昼食を食べた。時間があるので、最初にBarcelona空港に着いたときに全てしまっていた店を観察した。
時間が結構あまって退屈になってきて、早く飛行機に乗りたいな、と思っていたところ、なんと飛行機が遅れた。それも2時間くらい。おかげで、半日以上、空港で過ごしてしまった。ひーまー、で死にそうになった。
やっと飛行機に乗れたときはおかげでとてもうれしかった。スペインの国内線なので、周りは当然スペイン人ばかりだった。飛行機からの風景は、非常に乾燥したスペインの大地が見える。そうこうしているうちに少し寝てしまい、気が付くとGranadaに着いていた。
Granada空港に着陸し、窓から空港の様子を見ると、日本の地方空港みたいに非常にのどかな雰囲気。他に飛行機は見当たらず。飛行機からは階段で降りたので、バスが待っているかと思ったら、なし。ばらばらと皆でターミナルビルまで歩く。空港は日本の田舎の鉄道駅みたいで、荷物の受け取りがある場所にいくつかレンタカーの窓口があり、そこを抜けるとちょっとした空間があって、もう外である。
空港からは市内にバスがあるということだったが、飛行機も遅れて着いて疲れたので、タクシーに乗った。タクシー乗り場に並んで、一番最初のタクシーに乗った。ところが、乗ってから気が付いたのだが、このタクシー、料金メーターがない。メーターを動かしていない、というのではなく、メーターがないのだ。
これはぼったくりなんだろうか、とちょっと心配になった。気のせいか、走っていてもGranadaの都市まで結構距離がある。本当にあるみたいだが。まあ、自分より小柄なおじいさんの運転手なので、なんとかなるだろうと思って風景を楽しむ。
Granadaの市街に入ってからは結構渋滞していて、運転手もいらいらしているようだったが、ようやくホテルに到着。どのように請求するのかと思っていたら、レシートに3,500Ptsと書いてよこした。ぴったり3,500Pts。メーターがないのにどういう根拠があるのかは謎である。値段的にはガイドブックに書かれているようなものよりちょっと高いだけなので、ちょうど3,500Ptsをあげると、両手で受け取ってお金を見て、とてもうれしそうな顔をしていた。うーむ。
Granadaの街を歩いてみると、街の中心部Plaza NuevaからAlhambraへ向かう坂道の辺りにたくさんホテルがあるようだ。ただし、私が泊まったのは町の南側にあるホテルである。
9/7-9/9に2泊した。Barcelonaの旅行代理店で予約してもらったホテル。Barcelonaで泊まったHotel Melia Comfort Apoloと同じ系列のようである。
Angel Granivet,7
18009 Granada - España
telephone +34 958 22 74 00
fax +34 958 22 74 03
mail melia.granada@solmelia.com
Barcelonaの旅行代理店で予約したところ、2泊で代理店手数料込みで30,160Ptsだった。
BarcelonaのHotel Melia Confort Apoloと同様、立派な部屋だった。泊まっている人はやや年配の人が多かったかも。朝食では、片隅のコーナーにコックがいて、卵を調理してくれる。目玉焼きがあったのでそれを頼んだら、新しく作ってくれた。見ていると、油がたっぷり入った鍋に卵を落とし、ふわふわと泳がせながら火を通していた。スペインではこれが普通なのかな?
観光する場所のみを考えればそれほど大きな都市ではないので、「足」で十分ともいえる。ただし、Alhambraに行ったり、Albaicinに行ったりするのはちょっと骨なので、これらの観光地を回るAlhambra Busという赤い小型バスに乗ると便利。このバスは、市内を走っている普通のバスとは別の観光用のもののようで、Plaza Nuevaから、Alhambraに行って帰ってくるものと、Albaicinに行って帰ってくるものの2つがあるようだ。両方をまとめて走るものもあるようだ。料金は1回130Pts(0.78ユーロ)だった。
レストランは、町の北側のPlaza Nueva、南のほうのPlaza de Bibramblaなどのほか、私が泊まったHotel Melia Granadaの裏通りにあたる市役所の奥にも相当数かたまってあった。
店は高そうなものから安そうなものまである。Barcelonaとちょっと食事の内容も違う感じである。スペイン南部のAndalucíaでは、魚介類のフライというかから揚げのようなものが結構メジャーな食べ物のようである。着いた日の夕食に早速魚やイカのから揚げを食べてみた。見たとおり、想像通りの味だった。まずくもないし、大騒ぎするほどおいしいものでもない。でも、その後の旅行でも特にイカのから揚げ(caramare fritosとか行っていたと思う)はかなり食べた。Sevillaのレストランでも端で従業員が集まって食べていたから、とても日常的な食べ物なんだと思う。
もう1つ、Andalucíaの名物といえば、Gazpachoという冷たいスープがある。これは、限りなくジューサーで作った野菜ジュースに近い味だと思った。ただ、まずくはなくて、自然に食べられる。Andalucíaの滞在中にはしょっちゅう食べて研究した。もちろんレストランによって微妙に味が異なる。汁だけではなくて、ピーマンとかたまねぎといった角切りの生野菜も汁に入れてある。あるいは一緒についてくるので中に入れて食べる。気分的にはスープを飲んでいるというより野菜を食べているような気にもなり、実際にメニューではサラダと同じ場所に書いてあることもあった。
1回、Plaza Bibramblaのレストランで食事をしたら、レシートで税金の計算が間違っていたことがあった。税金は7%だと思うのだが、それより多かった。これっておかしくない?と店の人に言ったのだが、よく通じなかったみたいなので、結局100Ptsくらい多く払ってしまった。
Granadaと言えばAlhambraである。今回のスペイン旅行の中で、最も強い印象を受けたのはこのAlhambraだった。Alhambraは一言で言えば、イベリア半島がイスラム教徒の支配下にあった際に構築された、Granadaを見下ろす丘の上にある宮殿を含む城砦である。
9世紀末にはすでに一番古いAlcazabaの部分があったらしい。それを拡張して立派なものとしたのは13世紀にイスラム教徒によるナスル朝が開かれてからで、15世紀にキリスト教徒によるイベリア半島の奪回が行われてからは、さらに宮殿が増築されている。
世界史を見れば、7世紀にイスラム教が誕生し、イスラム帝国として領土を拡大した。ササン朝ペルシャを滅ぼし、東ローマ帝国を後退させた。支配は西にも及び、地中海沿いの北アフリカ、そしてイベリア半島もその支配下となった。ギリシャやインドの文化をも吸収し、高度な文化を作り上げていた。イベリア半島には8世紀にイスラム教徒が侵入したが、イスラム帝国の最西端にありながら、学問・芸術が成熟したという。
Barcelonaの旅行代理店で、Granadaへの飛行機とGranadaのホテルを予約したときに、Alhambraを見るんだろう、予約をしろ、と言われた。Alhambraは人気があり、入場数が限られていると聞いていたので、言うとおりにすることにした。といっても、旅行代理店では予約できず、BBVAという銀行で予約できるので行け、という。ホテルの予約バウチャーを入れる紙のケースに私のGranadaの日程を書いてくれ、これを見せろ、英語ができるかわからないから、と言う。ちなみに彼女は、Alhambraをアランブラと発音していた。
銀行で予約というのも不思議な感じだが、カタルーニャ広場のBBVAという銀行まで行った。入り口の守衛らしき人に聞くと、端の机が並んでいるところへ行けと言う。そちらに行くと、普通のオフィス机が間隔を開けて並べられていて、銀行の職員が1人ずつ座って客の応対をしている。日本のようにカウンターじゃないようだ。
そこに行って、本当に銀行でいいのかなと思いつつ、Alhambraの予約をしたいんだ、というと女性職員がきちんと英語で対応してくれて、予約できた。入場料1,000Ptsのほか、手数料125Ptsを支払う必要がある。お金はそこで払うのではなく、行内の金の受け渡しを行う窓口で支払ってからまたもとの女性職員のところで予約券のようなものをもらう。
予約券は全部スペイン語でよくわからないのだが、まずAlhambraの入場は8:30-14:00であること、ただし、王宮には12:30-13:00の間にしか入れないこと、この予約券をまずAlhambraのチケット売り場に持っていって券と取り替えるようことを説明された。
Granadaに着いた翌日、きちんと早起きしてAlhambraへ向かった。Plaza Nuevaまで歩き、止まっていたAlhambra Busに乗り込んだ。バスは狭い道を通り、森の中を走っていって、Alhambraの一番上にある入り口に着く。この入り口にはチケット売り場があり、既に結構人がいた。
予約している人が並ぶ窓口があって、そこでBBVAでもらった予約券を見せると、チケットをくれた。窓口の男性係員は結構いかつい顔をしていて、チケットを渡した後で何か言っているので、何だろうと思ったら、自分と私を交互に指差して、「トモダチ」といってにやにやしていた。スペインの人は確かに皆陽気である。
Alhambraは全部がチケットがないと入れないわけではなく、中心部のPalacio de CARLOS Vなどは無料で入れる。それ以外の、Alcazaba、Palacios Narzaries、Secanoに入る際にチケットが必要となる。それぞれ検札所があって、チケットの該当部分が切り取られる。チケット売り場から入ると最も奥のSecano部分に入ることになる。
Alhambraのチケット(38KB)右側の部分は検札ごとに該当部分をちぎられる
入り口でも本やおみやげを売っているが、中にもおみやげ屋や本屋がある。本屋をのぞくと立派なガイドブックもあり、日本語版もあった。普通なら、ガイドブックなんて、と背を向けるのだが、Alhambraの地図も入り口でもらうのを忘れたので1,200Ptsで購入した。これはEdiluxという会社が作っているものだが、結果的に買ってとてもよかった。National Geographicを思わせる丁寧なつくりで、日本語もおかしなものではなく完璧なもので書いてある。例えば、Alhambraの歴史年表は日本の歴史年表と対比させて表示してあったりするなど、単純に翻訳しただけではなく、しっかりと作られている。これを読むことによって見学も充実したものとなった。是非おすすめ!
入り口から庭園を見て歩いていくと、Alhambraの中心部にたどり着く。その脇にあるのがPuerta de Juscia(裁きの門)である。観光客はたくさんいるのに、このPuerta de Jusciaを見ている人は全然いなかった。単純な四角い門でしかないので。しかし、Ediluxのガイドブックには詳しく解説がなされており、興味深い建築物である。
城壁で囲まれたAlhambraへの入り口なのだが、様々な軍事上の工夫が施されている。まず、外から入ると、扉のある入り口は少し奥に引っ込んでいて、建物に入ったところからスペースがある。この部分は天井がなく、空が見える。ガイドブックによれば、この隙間は、敵が奥の扉を開けようとしているときに、上から石、煮えたぎった油、融けた鉛をかけて撃退するためにあるそうだ。
Puerta de Justica裁きの門の外側の入り口(35KB)扉が奥に引っ込んでいる
Puerta de Justica裁きの門の外側の入り口の天井(40KB)扉の前で仰ぎ見たところ
この入り口部分をなんとかくぐっても、まっすぐにAlhambraには入れない。中はクランクのようになっていて一直線には通り抜けられず、かつ傾斜がついていて、進みにくいようになっている。
Puerta de Justica裁きの門の中の通路(35KB)
この門を通りぬけたAlhambra側には、広い通路があって、侵入してきた相手を迎え撃てるようになっている。また、城壁の壁の上は、騎馬で巡回できるようになっていたと言う。
このAlcazabaがAlhambraで最も古い部分らしい。遺跡のようなものが残っている。塔がいくつかあり、ここから眺めるGranadaの市街はなかなかすばらしい。
Alcazabaから見たGranadaの中心部(54KB)Catedralが真ん中に見える
Alhambraの敷地内にあり、王の別邸だったらしい。山に張り付くように立てられていて、木々が生い茂り、水が流れる。庭園の中にも水がふんだんに使われ、かなり大規模な上水道で引かれているようである。噴水のようなものは、後世に付け加えられたものだとも言う。
私が高校のとき、地理の授業で見せられた庭園は多分このGeneralifeだと思う。
Generalifeの庭園の水の階段(42KB)手すりに水が流れる
Alhambraの中でも、ここは特に指定された時間しか入れない特別な場所である。
ここは本当にすごかった。写真もたくさんとったのだが、本物の魅力を少しも伝えていない。豪華で、華麗で、合理的で、洗練されている。皆さん、一生に一度は見たほうがいいです。
王宮は複数の間や庭園で構成されている。
柱は、どっしりとしたキリスト教建築などとはかなり異なっていて、華奢な細い柱の上に、すばらしい彫刻が施されたアーチが続き、建物を支える仕組みになっている。多くの細い柱が天井をすっと下から支えているような感じでなんとなく、テントを連想させる。
天井もすばらしい細工がなされている。木組を使って幾何学模様となっている。
壁の下部は美しい装飾タイルが施されている。そして、びっしりと細かい草木模様のような装飾がなされている。もちろん私にはわからないのだが、この模様の中に、アラビア語で様々な言葉が刻まれていると言う。「神のみぞ勝利者なり」といった神への賛辞や、以下の様な詩などである。
私は美をまとった庭園。この美しさを見るものは私のことがわかるだろう。私の主人モハメッドの寛大さゆえ、過去にも未来にも、私に並ぶ高貴なものはない。市場の傑作。運命の女神は、私が全ての名作を凌ぐことをお望みになる。ここでは目もどんなに憩うことだろう!この場所では魂も麗しい夢を見つける-----
(訳)Edilux アルハンブラ散策
Patio de los Leonesの壁の装飾(53KB)
建物の方位も正確に建てられており、柱の影が日時計になるように配置されているとも言う。また、庭園に深く張り出した庇や、建物の中を流れる水道などの仕組みによって、夏でも冬でも快適な温度に保たれるように設計されていると言う。
イスラム教というと日本人によってはなじみがないし、報道されるのも過激な原理主義のものが多い。海外から流れてくる情報も、多くはキリスト教国のマスコミを通じてである。しかし、この建築物を見ると、彼らが持っている高い文化、芸術性、ゆとり、合理性というものを強く感じさせる。
キリスト教徒がGranadaをイスラム教徒から奪還した後に、Alhambraに建築した建物である。この建物自体は、当時のイタリアの最先端の技術やデザインを持って作られたらしく、建物単独で見れば、すばらしいものである。
ただし、Alhambraの真ん中にあると、もともとのイスラム建築と全く調和していない上に、華麗さ、洗練さでも一歩譲っているように見える。そのため、ガイドブックでも最後の部分におまけのように解説してあるだけだし、ここを見るには入場料もいらないという扱いを受けている。
Granadaと言えばAlhambra、ということになり、おまけのようなつもりで街の中心部のCatedralを見たが、これもすごかった。キリスト教の教会もいろいろ見てきたが、豪華さの面では今まで見た中でもトップクラスだと思った。一般にカトリックの教会は立派なように感じるが。入場料は350Pts。
CatedralにくっつくようにしてあるCapilla Realは王室礼拝堂と言うことで、墓のようなものがある。入り口がわかりにくく、Catedralを一周してしまったが、Catedralの正面に向かって左側の狭い路地に入り口がある。入場料は350Pts。
Albaicinは、Alhambra宮殿と向かい合ってある丘で、アラブ人がすんでいた街だったという。白い壁の建物がひしめき合って建っている。
Alhambraから見たAlbaicinの家(42KB)Patioを囲む構造になっている
Albaicinの真ん中にある展望台Mirador de San Nicolasまで行こうと思って、Alhambra BusにPlaza Nuevaから乗ったのだが、なぜか路線図と逆に走っているみたいで焦った。が、なんとかAlbaicinの丘に入り、教会が見えたので適当に降りた。展望台より少し手前だったらしく、少し歩いて展望台についた。
展望台は観光客でとても混んでいる。ただし見晴らしは良くて、向かいにAlhambraが見える。他の観光客の女性に写真をとってくれ、と言われたので写真をとった。
Albaicinの見所は、街そのもので、迷路のような路地、白い壁の家が並んでいる。丘なので、下っていけば市街に出る。ということで展望台から適当に歩いていく。確かにきれいな街で、歩いていてとても楽しい。LisbonのAlfamaを思わせる。ただ1つ、極めて大きな難点がある。犬の糞がやたら多くて異臭を放っている。そのため、下を注意して歩かなければならない。
丘の下のほうは、アラブ風の土産屋がたくさん建ち並ぶ商店街のようになっていて、エキゾチックな雰囲気だった。
街の中心部はPlaza de Isabel la Catolicaという広場で、大きなビルもたくさん立っている。ここから北に歩くとPlaza Nuevaになっている。Plaza de Isabel la Catolicaから南に歩いていくと、Puerta Realという広場に出る。この2つの広場を結ぶ道の西側には商店街やPlaza de Bibramblaという広場があって、観光スポットになっている。ただし、商店街は小規模のように感じた。
Plaza de Isabel la Catolica(40KB)
一方、Puerta Realよりもっと南にいくと、街路樹の茂る遊歩道があり、大きなデパートなどがあり、地元の人にとっての中心街、といった感じになっている。
スペインの南部Andalucíaの都市で、人口は約31万人。ここは何と言っても、Mezquitaで有名である。とても暑かった!
スペイン旅行で2001年9月9日(日)にGranadaから長距離バスでCórdobaのバスターミナルに到着。1泊して、9/10(月)に鉄道でMálagaに出発した。
Granadaから長距離バスで到着した。
Granadaのバスターミナルは、町の郊外にある。まず、Puerta Realの停留所から路線バスに乗った。このPuerta Realの停留所と言うのが、Puerta Realになく、かなり歩いたところにあるため、最初見つけるのに苦労した。路線バスでしばらく走ると大きなバスターミナルに着く。
バスターミナルは、立派な建物で、中には切符売り場の窓口や待合室がある。
まず、Informationがあったので、そこにCórdobaに行きたいんだ、というと時間と窓口を教えてくれた。窓口に行くと結構混んでいる。
切符を買ったところ、1,605Ptsだった。窓口の係員の男性に5Ptsはあるかと聞かれたので、ないと答えたら、1,600PtsでOKとなってしまった。5Pts程度の端数は結構いいかげんのようである。
乗り場はエスカレーターで下に下りたところがある。空港のようにモニターが待合室に備えられており、到着・出発するバスの情報を表示している。
バスが来たので乗り込み、奥に行こうとすると、運転手が自分の後ろの席にすわれ、という。よく切符を見たら、どうやら予め席が指定されているようである。
ひとたびバスが出発すると、渋滞もなく、極めて快調に走っていく。窓から見える風景はとても乾燥している。緑は少なくて、剥き出しの乾燥した大地に、オリーブが規則的に植えられているところが多い。川はあっても、流れているか流れていないのかわからないほど弱々しい。こんなところで置き去りにされたら、すぐに干からびて死んでしまいそうだな、と思った。
Córdobaのバスターミナルに着き、外に出てみると、道路を挟んで向かいはスペイン鉄道RENFEの近代的な駅がある。しかし、鉄道駅のTourist Informationは、日曜日のため休みだったので、とりあえず市の中心街へ行こうと思い、駅の前のバス停からバスに乗って市街に向かった。125Pts。
バスは結構観光客が多く、街まで来たあたりで運転手が"Mezquita"と叫ぶので、皆ぞろぞろ降りる。降りたはいいが、結構皆いろいろな方法に行ってしまい、Mezquitaが見えるわけでもないので、勘で適当に細い道を歩いていくと、Mezquitaまで到着した。
Tourist Informationは、Mezquitaに隣接してあるので、そこまで歩いた。
Tourist Informationでは、ホテルの予約をしてくれるわけではなく、ホテルのリストをくれる。一緒にもらった地図とつき合わせて、どこに泊まろうか考えた。Barcelona、Granadaと、タクシーで四つ星ホテルに乗りつけて泊まる、ということをしていたので、そろそろ節約しようと思い、三つ星ホテルを中心に探すことにした。
Mezquitaの周りにはたくさんホテルがあったので、1つに入って聞いてみたら、「二人ならいいけど、一人の部屋はいっぱいだ。」と言われてしまった。次に、すぐ近くのHotel Mezquitaに行って聞いてみたところ、空いているとの事。値段を聞いたところとても安かったので、即決した。
9/9-9/10に1泊した。Mezquitaの向かいにあるホテル。
Plaza Santa Catalina, 1
14003 Córdoba - España
telephone +34 957 47 55 85
fax +34 957 47 62 19
Mezquitaオレンジの中庭から見たHotel Mezquitaの建物(41KB)
1泊5,650Pts(税別)。朝食は別料金で550Pts。よって合計で6,635Pts。
これまで泊まったホテルより格段に安かったので最初は心配だったが、とてもきれいで満足できるホテルだった。
1Fはいろいろな家具のようなものがおいてあり、吹き抜けの中庭がある。ここで朝食をとる。廊下には絵なども飾られていて、美しい。部屋は、シンプルだがテレビも、バスタブもあり、バスルームの窓からはMezquitaが見える。
Hotel Mezquitaの部屋から見えるMezquita(22KB)
観光客にとっては小さな街なので、歩いて回った。
昼はMezquitaからちょっと歩いたところのレストランで食べた。Gazpachoとイカのから揚げを頼んで食べた。Gazpachoは、スープのほかに、角切りの野菜が別皿で出てきた。ウェイターがそれを入れて食べろと言うのでその通りにした。暑い日差しの中で冷たいスープを食べるのは気持よい。
夕食は、やはりMezquitaの近くのレストランで食べた。皿がたくさん飾られているレストランだった。ウェイトレスに白ワインを頼んだところ、となりの老夫婦のテーブルを指し、あれでよいか、というのでその通りにした。
しばらくしてウェイトレスが緑色のボトルを持ってきた。いやな予感がした。するとやはり目の前で、「ポン」とコルクを抜かれた。えー!一本!
しかたないので1本飲んだ。食べ物の量も多かったので、食事が終わったらふらふらになった。といってもデザートにアイスクリームを食べたが。ホテルまで酔っ払いながら帰った。
もともとモスクだった建物を、レコンキスタ後に教会に改造した建物。かなり巨大で、街の中心部に位置している。
オレンジの中庭といわれる庭には、自由に入ることが出来て、たくさんの旅行者で混雑している。名前の通り、オレンジがたくさん植えられている。
庭の反対側で切符を買って、建物の中に入ると中は薄暗く、赤と白のアーチがたくさん並んでいて、かなり広い。
Guadalquivir側の対岸から見たMezquita(33KB)
Mezquitaの外壁(51KB)外側にも凝った彫刻がある
Mezquitaの内部(35KB)赤と白のアーチが並んでいる
Mezquita内部のカテドラル(43KB)突然キリスト教的な部分がある
Mezquitaの北側はユダヤ人街と呼ばれて、細かい路地にみやげ物やレストランが並んでいる。観光客が結構多い。
なんといってもCórdobaは暑かった。午後になってPlaza de las Tendillasという広場まで足を伸ばして歩いたが、人通りが少なくなっていた。レストランも閉まってしまっていて、観光客もこころなしか減っているよう。
電光掲示板の表示を見ると、午後6時でも36度もある。乾燥しているので、汗びっしょりになると言うことはない。半分凍ったレモネードのようなもの(よく売っている)を飲んだが、なんとそのコップに水滴がつかない。
暑くて体がおかしくなりそうだったので、私も午後はホテルで一休みした。
スペインの都市で、人口は約53万人。
スペイン旅行で2001年9月10日(月)にCórdobaから鉄道でMálagaの鉄道駅に到着。徒歩で街の中心まで歩き、Hotel Surに投宿。1泊して9/11(火)に徒歩でバスターミナルへ向かい、長距離バスでRondaへ出発した。
Córdobaで、ホテルを出てMezquitaの川側にあるバスに乗って、バスターミナルまで行った。時間を決めずに10:00すぎに適当に行ったのだが、バスターミナルで時間を尋ねたところ、CórdobaからMálagaまでのバスは、8:00、9:00、15:15、16:00、19:00ということで、バスに乗るとすると、15:15まで待たなければならない。
そこで、向かい側にある鉄道駅に行ったところ、11:34発の電車があったので、それで行くことにした。2,300Pts。駅でしばらく待ってから乗り込むと車内は結構混んでいた。
私の席のところにおばちゃんが座っていて、私がこの席は自分だ、と言ったら、何か盛んに説明している。スペイン語で全然わからないので、近くにいた若い女性をじっと見て目で訴えたら、通訳してくれた。何でも、隣の人と一緒に座りたいから、自分の席と代わってくれとのこと。いいよ、ということで代わってあげた。
電車は結構快適。途中で乗務員のお姉さんがきて、何か白い箱の物を配っていった。中を開けたら、イヤホンだった。これは使わないよ。次に、何か配っていて、よくわからなかったので断ったが、キャンディーを配っていたらしい。後で乗ったAVEでもなぜかキャンディーを配っていた。
Málagaの駅には13:50着。街中のTourist Informationまで歩いていかなければならないと思っていたら、駅の構内に臨時のTourist Informationのようなカウンターがあって、1人お姉さんがいた。そこで、地図をもらった。「泊まるところも探しているんだけど?」と言ったら、「そうねえ。ホテルは街の中心にあるけど、ユースホステルはこっちにあるわ。若い人にはこちらがいいわね。バスの乗り場はここでね、・・・」とユースホステルに行かされそうになった。貧乏旅行に見えたんでしょうか。「あのー。ホテルに泊まりたいんです。」といって、ホテルの地図をもらって駅を出た。
駅から市の中心部までは結構離れているが強い日差しの中、街の中心部に向かって歩き始めた。
駅から川を渡り、市の中心部近くでホテルを探した。二つ星くらいが良かろうということで、適当に見つけたホテルに入り、値段を聞くとそこそこだったので泊まることにした。
9/10-9/11に1泊した。市の中心部近くにあるホテル。
Trinidad Grund, 13
29001 Málaga - España
telephone +34 952 22 48 03
fax +34 952 21 24 16
E-mail hotel@hotel-sur.com
1泊5,981Pts(税別)。朝食はないみたい。税込みで6,400Pts。
部屋に入ると、窓が建物側に1つしかなく、暗い感じ。でも、ツインだったので広く、まあいいかという感じ。極めて普通だった。
ついた日に昼食を市街地近くで食べたが、店は広くきれいだが結構安かった。コースとビールを頼み、食べ終わって、お金を払った。何だか奥で言っているので何かと思ったら、「・・dollars,pleaseって言えばいいんだよ。」とかウェイターが店の人に言われていて、ウェイターがその通り言ってきた。言うとおり端数を払うと、お札でおつりをくれた。細かいお金がないのでわざわざ大き目のお金を出したのに、またお札でおつりをもらってしまったので、チップをあげられなくなってしまった。で、そのまま出て行ったのだが、なんとなくなごやかな雰囲気で終わってしまった。庶民的な店の場合、あまりチップはとやかく言わないみたい。
夕食はちょっと高級そうなシーフードレストランで食べた。高かった割に、まずくはないけどそれほどおいしいとも思わなかった。二倍払ったからと言って二倍おいしいわけではないみたい。経験上、ウェイターが年配の男性で、皆そろいの制服を着ていて、若干空いているところは高いみたい。それでいてとってもおいしいわけではないので、満足度は低いかも。
Málagaは、Alameda Principalという大通りがあって、海に面していて南国ムードもあるのだが、どちらかというと都会で、ビジネスっぽく、観光客にはそれほど面白くはなかった。
アンダルシアの白い村として有名な小さな町。白い村としては交通の便が比較的良い。
スペイン旅行でMálagaに泊まった2001年9月10日(月)の夕方、Mijasまで足を伸ばしたが、あまりにも観光地だった。
MálagaからMijasに行くのは簡単で、Málagaの川沿いにある近郊線に乗る。ここが起点になっている。近郊線は行き先によって値段が違うが、Fuengirolaまでは335Ptsだった。近郊線の車内は広めできれい。アナウンスもスペイン語だけではなく英語もあって、世界的な観光地Costa del Solにいる感じがする。中に乗っている人もいかにもアメリカ人という人も多く、英語が飛び交っている。
Fuengiroladでおり、Mijasまでのバスの乗り場を調べるために、Tourist Informationを探したが良くわからないので、駅からぶらぶら市街の中心に歩いていくと、市街の真ん中あたりにMijas行きのバスがあったのですかさず乗り込んだ。日本の近郊バスのようにとても小さい。135Pts。バスは市街を出て、山をぐいぐいと登っていく。乾いた山肌を剥き出しにする山をみながら登っていくと、Mijasに着く。
バスから降りると、向かいにTourist Informationがあったので、地図をもらって歩き始めた。展望台がいくつかあってみたのだが、まあ、きれいだけど想像されるとおりのもの。観光客がいっぱいいて、観光客向けの店がいっぱいある。道も白黒のゴムが引いてあるところもあったりして、あまりにも観光地になってしまっていてちょっとがっかりした。
mijasの展望台から見た風景(31KB)登ってきた道が見える。
人口約3〜4万人の小さな町。白い村としても有名。
スペイン旅行で2001年9月11日(火)にMálagaから長距離バスでRondaのバスターミナルに到着。1泊して9/12(水)に再びバスターミナルからJerez de la Frontelaに出発。
Rondaは景観も美しい上に、白い村としても町がきれいだった。極めておすすめである。そしてこの町に滞在しているときに、米国の同時多発テロが発生した。その意味でも忘れられない町となった。
MálagaのバスターミナルからバスでRondaへ向かった。Málagaのバスターミナルは外見が普通のビルのようで、見つけにくかった。地図でどうしてもこのあたりなのにどうしてないんだろう、と思っていたら、目の前の建物がバスターミナルだった。
Rondaへのバスのチケットを1275Ptsで買い、乗り込む。
バスはCosta del Solの広い道を走っていく。乗ってしばらくすると、なにやら複数の乗客が運転手に言い始めた。運転手もなんかエキサイトして答えていたが、しばらく走るといきなり同じ道を引き返し、途中のバスターミナルに止まった。おいおい、忘れたのだろうか?また同じ道をもう一度走り、進んでいく。しばらく走ると今度は山の中を走るようになっていく。
Rondaのバスターミナルはとても小さく(まあ町が小さいから当然だけど)、バスが数台しか止まらない。そこで降りて町の中心部に歩き始めた。
町の中心にあるTourist Informationに行くと、これでもかというほどホテルのパンフレットをたくさんくれた。それらを見るのにしばらくかかった。
Rondaの橋のたもとにある絶景のホテルに泊まろうと思ったが、いっぱいだと言われたので、結局Tourist Informationのすぐうらのホテルに泊まった。
9/11-9/12に1泊したホテル。
C/. José Aparicio, 5
29400 Ronda - España
telephone +34 95 287 10 52
fax +34 95 287 80 01
E-mail laespanola@ronda.net
1泊5,000Pts(税別)。行ったら、今日はスペシャルな値段の部屋があるよ、と言われた。ラッキー。
とてもセンスの良い、きれいな部屋で、くつろげた。事が事の日だったので家族に電話をしたのだが、電話機まで凝った形のもので、最初使い方が良くわからなかった。
Rondaはとにかく景色がすごい。新市街の公園にも展望台があって、ものすごい景色が見られる。この展望台自体も離れてみると結構すごい位置にある。
そして、新市街と旧市街を結ぶ橋。夜はライトアップされてとてもきれいである。
展望台から下を見ると、崖にサボテンのような植物がたくさん生えている。
公園に犬がいた。なぜかアンダルシアで見る犬はべたっと溶けた様になっている。暑いから?
崖や橋に目を奪われがちだが、純粋に白い村として、ちょっと脇にそれて歩いてみるととても美しい町並みが広がっている。結構観光客が来るせいか、子供が遊んでいる横を通ったが、全く無視された。
Calle Escolleras(21KB)下のほうで子供が遊んでいる
闘牛博物館というものが中心部にある。闘牛場を見学したり、闘牛に関する歴史を見ることが出来る。これを見て、とても闘牛を見たくなった。
人口は約18万人くらいの小さな街。シェリー酒の産地であることと、王立の馬術学校があることで有名である。
スペイン旅行で2001年9月12日(水)にRondaから長距離バスでJerez de la Frontelaのバスターミナルに到着。1泊して、9/13(木)に長距離バスでSevillaへ出発した。
Jerez de la Frontelaは当初の予定にはなかったのだが、突然寄ることにした。シェリー酒の製造見学、馬術ショーの見学と思いっきり観光客してしまった。夜に見た屋外のフラメンコはすばらしいものだった。
Rondaのバスターミナルに行き、1375Ptsでバスのチケットを買った。Jerez de la Frontelaというのが正式な名前のようだが、単純にJerezと呼ばれていることが多いようだ。運転手に、Jerez de la Frontelaに行くんだよね?と念を押して乗り込んだ。
このバスは特に、小さな町に次々と寄っていくので面白い。小さな町にも結構立派なバスターミナルがあって、日本でいう鉄道の役割を果たしているようだ。
景色も比較的きれいだったのだが、疲れからか随分と寝てしまった。
Jerez de la Frontelaのバスターミナルに着いたが、まわりに地図もなく、降りてもさっぱり方向がわからなかった。ガイドブックの地図を見て、とりあえず中心街と思われるほうに歩き始めた。途中でホテルがたくさん出てきたので、そのうちの三つ星ホテルの1つに寄って、宿泊を決めた。
9/12-9/13に1泊したホテル。
C/. Bodegas, 11
11402 Jerez de la Frontela(Cadiz) - España
telephone +34 956 34 87 61
fax +34 956 34 85 86
1泊8,200Pts(税別)。朝食は別で850Pts(税別)。合計税込み9,684Pts。
ごく普通のホテルだった。三つ星なのでちょっと広かったかな。
着いた日の昼にレストランに入った。なんだかシェリー酒で料理したメニューがあって、この場所らしいと思って頼んだら、不思議な形をした食べ物が出てきた。食べても不思議な味だった。ホテルに帰って調べたら、牛の腎臓だった。うー。
夕食は遅くなってしまい、それほど空腹でもなかったので、飲み屋でTAPASで済ませることにした。鰯などを食べ、最後に会計したところ(それまでスペイン語で通した)、スペイン語で値段を言われた。わからないので書いてもらおうとしたら、"In English?"と言われ、英語で値段を言ってくれた。そうしたら、周りの店員が、「おう、やるなあ」みたいな感じでちょっと盛り上がった。
ホテルにチェックインしてから、町の中心部のTourist Informationの場所に行くと、なんと移動していた。その移動していた場所がまた外れた遠い場所だった。
Tourist Informationに行くと親切にいろいろ紹介してくれた。いわく、シェリー酒の見学は今から行けば間に合う時間の部があること、夜には無料で野外のフラメンコが見られること、馬術学校の馬のショーが翌日にあること、など。なんて完璧な観光なんでしょう。
Tourist Informationに向かう道(35KB)
Anduluciaの家(24KB)各戸毎に違うタイルを見せるためか、入口部分だけ開けてあり、中にパティオがある
町の街路樹(39KB)なんとオレンジである
バスターミナルを降りて町を歩いているときからいいにおいがしていて、酒蔵らしきものがたくさんあった。Bodegaというらしい。着いた日に間に合う見学時間があったので、Gonzalez & Byassという会社の見学を見に行った。見に行ったのは英語のツアーで1,000Ptsだった。
待っている場所にあるパンフレットには日本語のものもあって、シェリーの造り方を予習。時間になると引率のお姉さんが来てツアー開始。ちょっとはずかしいような観光汽車のような車で工場を回る。小さなブドウ畑の例などをみて、酒蔵に入る。いろいろ説明されたり、映画を見たりして説明が進む。予習をしていたので、なんとなくわかるのだが、このお姉さんの訛りは相当きつい。"younger wine"を「ジュンガー・ワイン」なんて言うんだもの。
有名人がサインした樽がならんでいる倉などもあって、それを見て試飲する。4人でテーブルに座ったが、残り三人があまり飲まないので、結構飲んでしまった。
これ以外にも、繁華街の路上で樽が積みあがり、試飲などさせていて、いかにもシェリー酒の産地という雰囲気。
夜の10時ごろからフラメンコをやると言うので、まあせっかくだから見に行くか、ということで広場まで行った。時間ぎりぎりに行ったところ、ベンチがあったりして既にかなり人が入っていて、真ん中までいけず、席を囲んでいる柵に張り付いてみた。
別にフラメンコに興味があったわけでもなく見たが・・・。すごかった。静かにメンバーが出てきて、舞台を囲むように椅子に座る。そうして、真ん中にかわるがわる人が出て踊ったり歌ったりする。まわりに座っている人も合いの手を入れたりする。
踊りはすごかった。若い女性と若い男性の二人が踊っていたが、特に女性は遠めにも深刻そうな顔つき(もともとか)をしていて、踊りも激しい一方で、指先まで含めた手も表現力豊かだった。踊った後、相当汗をかいていたようだったがそれはそうでしょう。
終わるまで真剣に見てしまった。周りに人たちもそうだった。
どうやら、一週間ほどかたまたまこの時期に毎晩やっているものらしく、こんなものが見られてなんてラッキーなんだろうと思った。
Granada以来、アルカサルのファンになっていたので、9/13にホテルをチェックアウトした後、見に行った。比較的空いていて、こじんまりしているが一通り見学できた。一部建物に入れなかったが、アラブ式の風呂などをよく観察した。
庭園にはオレンジやオリーブが生えていた。
Alcázarの庭のオリーブの木(35KB)この木はスペイン中で見る
9/13にAlcázarを見た後、馬術ショーを見に行った。王立アンダルシア馬術学校というところでやるのだが、ちょと町を外れたところにある。
はじまる前、切符売り場は結構混んでいる。2,000Ptsで切符を買って、中に入り、体育館のような建物でショーは行われる。真ん中は土になっている。写真はとってはいけないということで、結構厳しく取り締まっていた。
ショー自体はレベルが高そうなのだが、派手ではなく、正統的なもののようだった。特殊な歩かせ方を馬にさせたりするのだが、そもそも馬の知識がなく、それがどれだけすごいかもわからなかったのでよくわからなかった。
スペインの都市で、人口は約68万人。SevillaはAndalucíaの中心的な都市で、Spainの新幹線であるAVEもMadridとSevillaを結んでいる。
スペイン旅行で2001年9月13日(木)にJerez de la Frontelaから長距離バスでSevillaのバスターミナルに到着。2泊して9/15(土)にスペインの新幹線AVEでMadridへ出発。
Jerez de la Frontelaで感動したので、2泊ともフラメンコを見た。ただし、1日目のものはあまりにも観光客向けで失望。2日目のものは口直し以上のすばらしさだった。
Jerez de la Fronteraで馬術ショーを見た後、バスターミナルに行って、14:30発Sevilla行きのバスのチケットを買った。バスは1日に10本以上とかなり頻繁に出ているようだ。
バスがSevillaの市街に入ると、道も立派で、建物(スペイン広場だった)も立派で大きな町に来たと感じる。Sevillaには複数のバスターミナルがあるようだが、Jerez de la FrontelaからのバスはPlaza de S. Sebastiánのバスターミナルに着く。バスターミナルは混雑しているのでひとまず外に出た。
ガイドブックの地図を見て、とりあえずTourist Informationまで歩いた。結構暑かったが、Tourist Informationの中は冷房が効いていて気持ちよかった。例によって、ホテルリストのコピーをもらい、Catedral近くのレストランに入って、16:30くらいになっていたが、例によってGazpachoとイカのから揚げを昼食に食べた。時間が遅かったので、食べている途中で店員も食事を始めたが、やはりてGazpachoとイカのから揚げを食べていた。
日本人の観光客も多く見る。食後、CatedralからGuadalquivir川方向に歩いてホテルを探した。
9/13-9/15に2泊したホテル。いくつか探して満室だと言われ、やっと見つけた2つ星のホテル。大通りからちょっと細い道を入ったところにある。
Gravina, 49-51
41001 Sevilla - España
telephone +34 95 421 75 03
fax +34 95 421 68 25
E-mail info@hotel-montecarlo.net
1泊6,000Pts(税別)。朝食は別で750Pts(税別)。合計税込み7,223Pts。
部屋は広かったがやや暗かった。内装はどちらかというと重厚で、部屋を出ると建物の中心が吹き抜けになっていた。それなりにくつろげた。ごく普通のホテルだった。三つ星なのでちょっと広かったかな。
到着した9/13の昼食はCatedralの近くで済ませ、夕食はGuadalquivir近くのやや高級そうなレストランで食べた。味は・・・普通だった。ただ、夜に川沿いのBarで時間つぶしに飲んだコーヒーがとてもおいしかった。
9/14の夜はCatedralの奥のサンタ・クルス街(Barrio de Santa Cruz)で23:00ごろ食べた。半分の鳥のもも(多分)を頼んだら、ウェイターにフルにしろ、と勧められたのでそのとおりにしたら、またまた相当におなかがいっぱいになった。でも結局、こういう庶民的な安い店のほうが満足度が高い気がした。
SevillaにもAlcázarがある。ただし、これはGranadaのAlhambraのようにイスラム教徒が作った部分が大部分、というよりも、レコンキスタの後はスペインの王家の宮殿として利用されてきたようである。従って、今も遺跡としてではなく、「王立アルカサル」として公開されている。
9/14に朝から出かけた。入り口を入るとお土産屋があるので、また日本語のガイドブックを買った。
かなり広く、庭園やいろいろな建物がある。GranadaやCórdobaで見たイスラム建築に一見似ているのだがなんとなく違う。模様の中にライオンのような紋章が入っていたりする。イスラム教徒から奪還した後、その文化を真似して創ったもののようだ。確かに豪華なのだが、篤い宗教心から作ったものと、装飾的な観点から模様がきれいだということで作ったものでは伝わってくるエネルギーが何か違う気がした。
これもイスラム教のモスクの跡地に作られたという巨大な大聖堂。Giraldaの塔という高い塔と一体となっている。この塔に登ることを結構楽しみにしていたのだが、今は入れません、と言われてしまった。残念。上れなくても800Ptsの入場料は変わらないらしい。
Alcázarから南側は緑が多い公園のような地域になっいて、そこを少し歩くとスペイン広場(Plaza de España)がある。Sevillaに到着したときに見た立派な建物はこの広場を囲む建物だった。建物の外側には、Spainの各地域を表現するタイルが配置されている。
とても美しい建物なのだが・・・汚れている。まず外から見ても、近くに寄ると鳩の糞がかなりついている。中に入るとすごい!階段部分も糞だらけで、2階に至っては一面鳩の糞だらけでとても足の踏み場も手の置き場もない。誰も掃除をしないというのが不思議だ。
外に出ると、観光馬車の馬が落とした糞を、すずめが群がってつついていて、なんだか気分が悪くなってきた。
Sevillaは大きな都市なので、ショッピング街もなかなか大きくぶらぶら歩くだけでも楽しめた。ただ、自分自身は感じなかったが、普通の店先にガードマンがいたり、若い女の子2人が背中合わせでATMから金を下ろしていたり(一人がおろし、一人が周りを見張っている)して、やはり日本ほどは治安がよくないのかな、と思った。
Sevillaでは2晩ともフラメンコを見てしまった。
Jerez de la Frontelaで見た野外フラメンコは素晴らしいもので感銘を受けた。それもあって、Sevillaでホテルにチェックインしたときにレセプションで、「フラメンコを見るか?」と言われたので、素直にお願いした。ホテルの人が電話をしてくれて、その場でお金を払ってチケットにスタンプを押してもらい、予約終了。Sevillaは大きな都市なので、楽しみに夜を待った。
夜になって、指定されたEL PATIO SEVILLANOというフラメンコの店に行った。店の前には観光バスが止まっている。中に入ると結構広くて、舞台を前にして席がたくさんある。店員に席に案内され、ちょうど真ん中より少し後ろくらいのところに座れと言われた。前はがらんと空いているのにな、と思っていたら、年配の日本人団体旅行客が来て席を埋めた。まだやや空きがあったので、店員が1つ前の席に座らせてくれた。
まず飲み物が配られる。店員はかなり観光客慣れしていて、日本人には「アカワイン?シロワイン?」などと聞いていた。で、へそ曲がりな私はスペイン語でビールを頼んだ。
若い女性がカメラを持ってうろうろしていて観光客の写真を撮っていた。ああ、またいつものパターンかな、とは思ったが、撮らせた。
時間になり、フラメンコのショーが始まった。衝撃を受けた。Jerez de la Frontelaのものと全く異なっていた。
- | Jerez de la Frontela | Sevilla |
---|---|---|
観客 | 地元と思われる人も多い | 観光客、それも団体中心 |
人数 | 基本的に1人ずつ順番に踊る | 組で出てきてあわせて踊る |
表情と視線 | うつむきかげんで真剣な顔。基本的に観客は見ていない | いきなり笑顔で観客にアイコンタクト |
技術 | ダンスはすばらしい | ダンスはすばらしい |
音楽 | 歌、そしてギターが主 | いきなりテープにとったようなオーケストラなど |
歌 | かなり前面に出る | 後ろから少しだけ出る |
緊迫感 | 見ている間は観客は静か | 和やかな雰囲気 |
踊りへの掛け声 | 出演者同士、あるいは終了後に観客から | 踊りの合間に威勢良く。ただしよく見ると店員から |
ストーリー | あるらしい | ないらしい |
かなり衝撃を受けてショーを見ていた。なぜか、日本の温泉ホテルのコマーシャルに出てくるショーを連想した。前半分を占めていた日本人団体客は、ショーが始まってしばらくするとうつらうつらする人が増え始めた。そのくせ、踊りが一区切りついて店員が掛け声をかけると、起きて、さも自分も良いものを見たように掛け声を掛けている男性もいた。ツアコンの女性はそもそもショーも見ず、バーで酒を飲み物を飲んでいたようだった。
ショーが終盤に近づくと、最初に写真をとっていた女性が焼付けされた写真と扇子を持ってきてお金を請求されたので払った。
ショーが終わり、扇子と写真を持って店を出て歩いていたら、なんだかとても寂しい気持ちになった。きっと団体客の人たちは、「ショー」を見てフラメンコとはそういうものかと思い、有頂天になっているのだろうと思った。本物と偽物を見抜く目を持ちたいと思う。例え、私が最初にこの「ショー」を見ても何か違和感を感じたのではないかと思う。伝えるもの、表現するものがあるものとないものでは、テクニックがあっても見るものに与えるものは違ってくるのではないか。
ただし、「ショー」の名誉のために言えば、観光客向けとしてはとてもよく完成されていた。異国の夜、飲み物を飲みながらゆっくりとくつろいで見学するには、華やかで良い思い出になるものだと思う。踊るほうもテクニックはあるようだった。所詮、求めるものが違うだけかもしれないと思った。
「ショー」を見た翌日、サンタ・クルス街をぶらぶらしていたら、小さなフラメンコの看板を見つけた。"FLAMENCO TRADICIONAL"と書いてあって、チラシを見ると、いろいろな言葉と一緒に日本語で「セビーリャの町の真ん中で唯一つの経験を」と書いてあった。中の説明を見ると、どうやらカルチャーセンターのようなところがやっているものらしく、毎日若いパフォーマーでやります、と書いてあり、本日のパフォーマーの写真が飾ってあった。説明に、"It is NOT commercial one"と書いてあったのが気に入ったのでチケットを買った。1,800Ptsだった。
時間に近くなっていくと、会場は建物のパティオ(中庭)で、真ん中に3畳くらいの板がひいてあり、それを囲むように折りたたみいすが並べられている。まだ空いていたので、板の横一番前の列の椅子に座った。
時間になると、3列の椅子がほぼいっぱいになった。まずギターを弾く男性と歌を歌う女性が椅子に座り、歌を歌い始めた。歌ってしばらくすると、若い男性がパティオに入ってきて踊り始めた。本当に1〜2m離れたところでやっていて、体臭がわかるくらい近かったので、迫力があった。
終わった後に3人が見せた表情も一生懸命やった、という満足感からかとても気持ちが良い笑顔だった。フラメンコについてはとても良い口直しになった。
スペイン旅行で2001年9月15日(土)にSevillaからAVEでMadridのAtocha駅に到着。2泊して9/17(月)にLondon経由で成田に出発した。
スペインの首都で、人口は295約万人。Madridではなんと言っても闘牛が印象に残った。
9/15にSevillaのホテルをチェックアウトし、Plaza de la Encarnaciónまで歩いて、バスでSanta Justa駅に向かった。135Ptsだった。Santa Justa駅に行くか聞いてからバスに乗ったところ、駅が近づいてバスを降りようとしたときに、運転手が「次の停留所だよ」と教えてくれた。
Santa Justa駅にはレストランもあり、コーラを飲んでAVEの時間を待った。
Madridまでの運賃は10,100Pts。AVEに乗るときは、飛行機のように荷物をX線でチェックされた。車両に乗ろうとしたら、自分より重そうなスーツケースを持って難儀している若い女性がいたので助けた。出発してからは車窓の雰囲気を見ていたが、少し寝てしまった。またイヤホンが配られたが、今度はわかっていたので箱を開けなかった。そしてまたあめを配っていた。
MadridのAtocha駅に到着。Madridは治安が悪いということで緊張したが、Atocha駅はとてもきれいな駅だった。駅からは、パスポートも現金も持ったままなので、タクシーでホテルに向かった。
9/15-9/17に2泊したホテル。Sevillaの旅行代理店で、SevillaからのAVEのチケットと一緒に予約してもらった。長い日本への旅への前なので、ちょっとよい所に泊まった。
Pl. Carlos Trias Bertran, 4
28020 Madrid - España
telephone +34 914 568 000
fax +34 914 568 001
旅行代理店のクーポンを使って泊まった。確か14,000円くらいだったと思う。朝食は別だった。
市街からちょっと離れたところにあって、スチュワーデスがいっぱいいた。それ以外もビジネス客が多かったようだ。部屋はまたとても広くて、正方形のダブルベッドで大の字で寝た。
さすがに首都だけあって、地下鉄、バスと交通機関が発達している。両方とも145Ptsで1回乗れる。バスに乗る場合は乗って料金を払うとレシートのようなチケットをくれる。地下鉄駅なのでは、METROBUSという、10回使える券を売っていて、これを買うと地下鉄にもバスにも乗れる。バスに乗ったときはこれに自分で刻印する。
ちなみに、ホテルから空港までのタクシー代は2,775Ptsだった。
大都市なので、Barcelonaのときと同様、いろいろなTapasを楽しめた。ただ、Mayor広場のCristinaという店はひどかった。店に入るときは非常に慇懃だったが、なんだかウェイターの対応が悪く、値段も予想していた3倍くらい取られた。確かに量は多かったが絶対におかしいと思う。首都だから物価が高いのかと思ったが、翌日もっとカジュアルなところでTapasで食事を済ませたら、普通の値段でおいしかった。
観光客が多いところはあまりよくないという教訓でしょうか。
普段は美術館など見ないのだが、歩き疲れたので1つだけ行って、ゲルニカを見てきた。かなり大きい絵で、人だかりがしていた。
スペインの王室を見学することができる。相当広くて豪華なのだが、やはり、人の家を見てもあまりおもしろくないなと思った。
Madridは、かなり近代的な大都市という感じで、街自体はきれいだがそれほど面白いわけではない。外国人が多いようで、南米系のインディオのような人もたくさんいた。
大都市で人通りが多く、いろいろな人がいるので、それなりに歩いて緊張する。一回歩いていたら、昼間から若い派手な女性がたくさん道端に立っている通りに入ってしまってちょっとひやっとした。
Spain最後の晩の9/16に、闘牛を見に行った。Rondaの闘牛博物館を見て、是非闘牛を見てみたいと思っていた。
当日の午前中に、Mayor広場近くのチケット屋に行ったらチケットを買うことができた。1,800Ptsだったが、20%の手数料を取られた。
夕方に地下鉄で闘牛場に行くと、ちょうど試合前の野球場のような雰囲気で、お菓子を売っていたりにぎやかだった。チケットを見せて中に入る。見学席も日本の野球場のようで、一人の場所はとても狭い。ベンチのようなものはなくて、階段のようになっているところに場所が決まっていて、自分の席の場所に直に座る。
満席と言うわけではなく、大体1/2から2/3くらいが埋まったところで始まった。観光客が非常に多いようで、日向の席はほとんど人がいなかった。
一言で言えば、闘牛は、事前に思っていたよりずっと残酷だった。
3人の闘牛士がいて、2巡して合計6頭の牛が殺されることになる。となりには観光客らしい白人の女性が座っていたが、何回か絞り出すように"Oh My God..."と言うと、1頭目の途中で出て行ってしまった。私も、1頭目を見たときには、固まってしまい、手にべっとりと汗をかいていた。最後には幾分慣れてきたが、それでもスナックをかじりながら見られるようには思えない。
さて、時間が来て、闘牛が始まる。最初に闘牛士などがぞろぞろ出てきて挨拶する。そして音楽が流れ、ちょうど座っているところの向かいから闘牛場に牛が出てきた。
牛はやたらめったら人を襲うというわけではなくて、闘牛場に出てくると、多分自分がどんな状況におかれたのかわからずに、きょろきょろしている。それを、何人かでピンク色の布を振ってけしかける。牛はけしかけるとその方向に突っ込むのだが、単純に1回突っ込むとそれでまた止まってしまう。怒ってけしかけた人間を執念深く襲うというのではない。そこで、何人かでかわるがわるけしかけては突っ込ませる。
次に、馬に乗った人が出てくる。手には長い銛を持っている。そして、馬は片側にはよろいが被されている。そこに牛を突っ込ませ、突っ込んできたところで銛を背中に刺す。何回か指して牛を弱らせているようだ。1回、牛の力が勝って馬が倒れてしまったことがあった。
先が鉤になったような銛を2本持った人が現れる。そして、牛をけしかけて自分のほうに突っ込ませ、背中に2本の銛を打ち込む。今度の銛は、刺して抜くのではなく、刺しっぱなしである。鉤があって抜けないので、牛は体をゆすっていやがる。銛の先の鉤が肉をえぐっているのが席からも見えた。血が滴り落ちる。この段階が一番スリリングで、銛を打つ人が打った後、すぐに逃げないと、牛に襲われてしまう。1回、逃げ切れずに人が倒れてしまい、牛にさんざんつっつかれ、その人は救急車で運ばれてしまった。
ようやくこのように弱らせた上で闘牛士があらわれ、牛と1対1となる。深紅の布で牛をけしかけ、布に突っ込ませてはよける。ただし、緊迫した勝負を予想していたが、違うようだ。ほとんどの場合、牛は布を目の前で振ってあおらないと突っ込んでこない。そのため、1回突っ込ませた後、なんと牛に背中を向けて観客のほうを向いて自慢げにアピールしたりしている。
しばらく牛に突っ込せた後、最後の段階に移る。刀を真剣に代え、狙いをつけ、牛が突っ込んできた瞬間に背中の上から深く、柄だけを残して突き刺す。今でも鮮明に思い出すのだが、刺すときに音がする。闘牛士が牛の大きな体に刀をぐっと刺すと同時に、"サクッ"という肉を切り裂き、牛の心臓にまで至っているだろう音が聞こえる。
一瞬にして勝負が決まり、牛が倒れる、というものではなく、牛は苦しみながら死ぬ。時間が短いときも長いときもあるが、刺した後、周りの人たちが取り囲んでまた布であおり、弱らせてしに至らせる。牛の「クォー」という苦しそうな、悲しそうな声が何度も響き渡り最後にばたっと倒れる。倒れると音楽が鳴り響き、馬に引きずられて牛が「退場」する。
見る前の予想と違ったのは、まず牛も人間も闘志満々、というわけではなく、牛はあおられない限り人を襲わないように見えたこと。闘牛場に出てきた時点では、普通の牛のように丸い目できょろきょろしている。闘牛用の牛は、半放牧状態で育てられると聞く。多分、牛は、突然広いところに連れ出され、あおられたあげく殺されてしまい、何がなんだかわからないだろうと思う。あと、あの刺す音やうめき声のような「音」が聞こえるのは予想外だった。
何人もで弱らせてからあまり戦闘意欲のないような牛を殺すので、むしろ、人間同士の格闘技や、サッカーを見たほうが緊張感があるような気がした。一瞬で勝負が決まるし。
ただし、今回見た段階でも人が救急車で運ばれてしまったように、危険であることは間違いない。牛と人間は全然体重が違うのだから。
スペインの貴重な文化だし、それに反対する人たちはナンセンスだと思う。1回1回牛の性格も違うようで、その勝負を楽しむというのも娯楽として成立すると思う。ただ、自分でもう一度見たいかと言われたら、もういいや、という感じがした。観光客が多いように感じたが、地元の人の中での人気は今どうなんでしょうか。
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