アルゼンチン

最終更新日 2005年3月20日

南米大陸の南東部分を占める広い国で、亜熱帯から氷河まである。人種的にも文化的にも南米の中のヨーロッパといっても良い国。

ツイート

国について

国の概要

国の概要
国名República de Argentina(アルヘンティーナ)、アルゼンチン共和国、Argentine Republic(英語)
国土西部はアンデス山脈だが、ラ・プラタ川流域には広大なパンパと呼ばれる平原が広がる。南部はパタゴニアと呼ばれる地域で氷河がある。
気候地域によって大きく異なる。北部は温帯気候Cw、パンパは温帯気候Cfa、内陸及び南部は乾燥している。
人口約3,843万人(2003)
民族ヨーロッパ系約97%(イタリア系36%、スペイン系29%など)。ブロンドの人が多い。
宗教カトリックが国教で90%。
首都Buenos Aires、ブエノス・アイレス
経済状況一人当たりGNP6,940ドル(2001)。南米大陸の中では最も高い。
時間GMT-3。日本とちょうど12時間遅れの時差で、サマータイムはない。
国番号54
観光客263万人(2001)。ただし、あまり観光客は見かけなかった。

言語

スペイン語。インド・ヨーロッパ語族ロマンス諸語。

南米では英語は通じないと良くいうけども、空港、ホテル、旅行代理店、レストランでは場所による。全然通じないこともある。

英語を話している場合でもなまりがきつかったり、相当早口だったりする。

スペインに行ったことがあったので、挨拶はできたが、値段がわからなかった。これはまずいと思い、今回は数字を一生懸命覚えた。

スペイン語(正確ではないかも知れないが通じたもの)
はいSiスィー
いいえNo
やあ!Hola!オラ! 目があったらこれを言う。
おはようBuenos díasブエノス・ディアス
こんにちはBuenas tardesブエナス・タルデス
こんばんはBuenas nochesブエナス・ノーチェス
さようならAdiosアディオス
お願いしますPor favorポール・ファボール
ありがとうGraciasグラシアスとそのまま言えばOK。
どういたしましてDe nadaデ・ナーダ。
パスポートPasaporteパサポールテ
Agua Mineral Sin Gasアグア・ミネラル・シン・ガス
ビールCervezaセルベーサ
赤ワインVino Tintoビノ・ティント
白ワインVino Blancoビノ・ブランコ
大きいGrandeグランデ
小さいPequeñoペケーニョ。これが言えないと、でかいものを飲まされたり、食べさせられたりするので危険。
会計お願いしますLa cuenta, por favorラ・クエンタ・ポール・ファボール
1unoウノ(1人?1個?など、よく確認される)
2dosドス
3tresトレス
ミルク入りコーヒーCaféカフェ
デザートPostreポストレ 最後にアクセント
名前(名字でなく)nombreノンブレ。日本のパスポートのgiven name、surnameという表記はどうも彼らにはわかりにくいらしく、どっちが名前でどっちが名字か、というようによく聞かれる。

通貨

アルゼンチン・ペソ($)。補助単位はセンターボ(¢)。$を使うのでややこしいが、米ドルのときはUS$として表記したりしている。

ここら辺、日本人にはよくわからないところなのだが、値段がUS$で表記されていたり、支払をUS$でできたりする。

両替

日本円は両替できないとか、T/Cはあまり通用しない、と言うので、米ドルのキャッシュを持っていったが、ATMも結構あったので、国際キャッシュカードだけで良かった気がした。ただし、米ドルは非常に簡単に両替できる。

両替レート
日付場所レート
2004年10月10日Aeroparque Jorge Newbery空港の両替所1US$=2.96$

クレジットカード

問題なく使用できる。

チップ

必要なようです。レストランで10-20%程度。一方で、タクシーやレミースでは不要なようです。

ホテルで荷物を運んでくれたときなども必要というのだが、いつも渡そうとする前に行ってしまって、タイミングを逃してしまう。

あと、意外なところでは、タンゴ・ツアーでの送迎のミニバスで、帰りの車には車内に4カ国語くらいで「チップは含まれてません」と強調されていた。払う人と払わない人がいたようだが。

食事

肉料理が安くておいしい。牛肉のステーキなんて、幅8cm、長さ20cm、厚さ4cmくらいのものがどんと出てくる。肉を焼いただけで大味なのかと思うと、塩味もちょうどいいし、表面をぱりっとさせる焼き具合といい、非常においしい。

軽食としては、EMPANADASという、握り拳くらいの大きさをした揚げ餃子のようなものがあって、中に肉などつめものをしたものでなかなかおいしい。

飲み物は、ワイン、特に赤ワインも有名。ただ、コーヒーはインスタントコーヒーが幅をきかせていて、ヨーロッパのようにエスプレッソをいつでも楽しめるわけではない。なんでだろう。また、マテ茶という飲み物があるようで、専用の美しい入れ物がある。飲んでいるのも見たが、レストランにメニューにあるというものでもなく、試せなかった。

全般的に値段も安い。

なお、食事の時間はスペインと同じで遅い。昼食は13:00とか14:00くらいから、夕食は20:00くらいから。

電話

公衆電話もあるが、電話センターのようなもの(インターネットカフェも兼ねている場合がある)が町中などにあって、そこからかけることもできる。入り口に受付があり、中に電話ブースがいくつもある。指定されたブースで金を払う。

Aeroparque Jorge Newbery空港で試してみたが、ブースから日本に電話をかけたところ、つながってしばらくすると切れてしまう。何回かかけて用が足りたので、金を払おうとしたらなぜか全く課金されなかった。完全につながったと認識されなかったから?よくわからない。

ビザ

日本人は観光で3ヶ月までなら不要。

入国するときには入国カードを渡した後に、その一部の写しのようなものを渡される。これは出国の時に必要なので無くしてはだめ。

また、入国時の税関の申告で、なぜか所持している携帯電話について記入する欄がある。

あと、入国だけではなく、ホテルのチェックインでもそうだが、"martial status"というものを記入する欄がある。独身なら"single"とすればいいのだが、なんでいちいちこんな事を聞くのかちょっと不思議。

(番外編)南米への道

アルゼンチン・チリの旅行として初めて南米に行ったのだが、台風のせいで行くまでにそれはそれは苦労した。

準備

土曜日出発だったが、仕事が直前まで残ってしまっていて、終わった(終わりにした、あきらめた)のは、明け方近くになっていた。

会社を出て、タクシーを拾い、自宅に向かった。薄暗いが雨が強まっていて、運転手さんと「台風は大丈夫ですかね、今日ブエノス・アイレスに行くんですよ。」なんて話をした。「一人ですか?」と聞かれたので、そうだと答えると、「独身なんですか?結婚は良いですよ。やはり人間にも巣は必要です。」とこんこんと諭された。こんなときにそんな話しなくていいよ。

家に着いて風呂に入り、当然眠かったが、やりかけだった荷造りを完成させてから、目覚ましをセットして布団に入った。成田空港発の時間は17:55で、成田エクスプレスも予約してある。昼過ぎまでゆっくり眠れるはずで、吸い込まれるように寝た。

早まった出発

明るくなってから電話で鳴った。まだ、11:00くらい。家族が直前の連絡をしてきたのかな、と布団から這い出して電話に出たら、なんと旅行代理店。「アメリカン航空から連絡があり、台風の関係で出発を16:00に早めるそうです。いますぐ成田空港に向かってください。」と言われた。「えっ、急ですね。成田エクスプレスも予約してあるんですよ?」と言ったら、「こちらにも今連絡が入ったばかり何です。」とのこと。半信半疑ながらも時間がないので、ばたばたと起き出して荷物を抱えて出発。あわてたので、サングラスを荷物に入れるのを忘れた。

ビニール傘をさして、吉祥寺駅から東京駅まで行った。成田エクスプレスの切符を買おうとしたら、台風で止まっていること。時間がないので、日暮里まで行って、京成スカイライナーで成田空港に向かった。

成田空港

成田空港に着き、止まっていた成田エクスプレスについては返金を受けた。持ってきたビニール傘は旅行に持っていくわけに行かないので、捨てた。

航空券を受け取り、チェック・イン・カウンターへ向かった。ものすごい混雑。ユナイテッドなど他のエアラインは、台風のために全便欠航となっているところが多い。その振り替えや変更手続もあるためだろうと思うが、アメリカン航空のカウンターは大混雑。なんとかチェックインをして、出国手続きをして、搭乗口まで行った。

搭乗口へは間に合ったが、飛行機の搭乗ははじまらない。チェック・イン・カウンターでの手続きが遅れているからだと思ったが、台風はどんどん近づいている訳であり、遅れるといやだなあ、と思った。

出発の気配がないので、仕方なく待っているが、外の天気はどんどん悪くなってきて、風が強く、飛行機がゆれている。また、雨もすごくなって、水が地面を流れている。

そのうち、客室乗務員が降りてきてしまって、機長らしき人が搭乗口でマイクを持って、「今日は欠航とする。」と英語で言った。「あーあ」という感じの声が広がり、席を立つ人もいる。

しかし、それからちょっとして日本語で、「欠航と言ったが、天候調査するので待っていて下さい。」とのアナウンス。

しようがないので、ラーメンなどを食べて待つ。時間がなくて、朝から何にも食べていなかった。

雨が強まる中、なんとキャセイの飛行機が動き出し、どうやら飛んでいってしまったようだ。また、アメリカン航空でも、ニューヨーク行きは出発したようだ。

ところが、我がダラス行き便は、ずいぶん待たされた後、「欠航とし、明日11:00に出発します。」とのアナウンス。ならばこんなに待たせなくてもいいのに。アナウンスしている年配の男性は小さな声でぼそぼそ話すので聞きづらく、外国人の客からもっと大きな声で話すように言われていたが、全然直そうとしなかった。

搭乗口でも混乱していて相談しているようだったが、直に家に帰れる日本人は搭乗口から中の広間に入れられ、説明を受けた。天候が悪いので、離陸できない危険があり、出発を見送るとのこと。重い飛行機ほど危険だと言うこと。ニューヨーク便は飛んだという質問に対しては、ニューヨーク便は乗客の荷物以外のすべての荷物を下ろし、風雨が弱くなった一瞬に出発したとの説明だった。さらに、「本来ならば宿を準備するべきところだが、このような状況から成田周辺、さらには東京の宿もいっぱいで準備できない。」という説明を受けた。

客の中から、「ブエノスアイレスで仕事なのに、遅れたら言っても無駄なのでキャンセルだ。」とか不満が出る。ツアーの客も多いようで、1日目の予定はどうなるんだろう、と話していた。ただ、こういうときに食ってかかるのはみっともないな、と思う。天気が悪いのは誰のせいでもなく、航空会社を責めるのは筋違いだと思う。ならば危険を冒して飛べというのだろうか。もっとも、早く呼んで待たせた上にキャンセルという航空会社の対応は稚拙だと思ったが。

担当者は丁寧に説明していたが、クレームのような意見に対しては、「私には権限がないので、そちらにいるサービスマネージャーの方に相談して下さい。」と言っていた。どうでも良いのだが、英語が話せる前に敬語がおかしい・・・。自社の人でしょうに。

出国手続の取り消し手続というものをした。

帰宅

成田エクスプレスは相変わらず止まっていて、今度は京成スカイライナーも止まっていた。そこで、京成の快速で帰ることになったがこれは混んでいるし、いくつも止まるので、立って帰るのは大変だった。徹夜明けなので、立ったままうとうとしてしまって人にぶつかりそうになる。

外を見ると、台風はすぎて、雨も止んでいる。結局台風が強いときだけ飛行機を待っていたような気がする。今なら飛べるのに、とも思った。

JRに乗り換えて、東京まで来ると、今後は中央線が止まっていた。総武線各駅で、とアナウンスされていたが、大手町まで地下を歩いて東西線で帰った。地下道も雨もりしているところがあった。

雨が降っていたら、傘を捨ててしまったので、また買わなければ、と思ったが、もうあがっていたので、駅から歩いて帰った。

家に帰り、まだ徹夜の影響で眠いので、風呂に入って、翌日、朝6:30に出なければならないので、5:30に目覚ましを設定し、着替えて寝た。

再出発

明るくなってふと目を覚ますと目覚まし時計を抱えてしまっていて、時間は6:30だった。寝坊! 急に目が覚めて、荷物を持って家を飛び出した。駅に向かって歩き始め、たまたま通ったタクシーで駅まで向かった。

駅で成田エクスプレスの切符を買おうと思ったが、なんと満席とのこと。昨日出発できなかった人が集中しているのだろう。時間が遅れてしまって焦ったが、また日暮里まで行って、京成スカイライナーに乗って、なんとか間に合った。

成田空港に着いたが、昨日にまして大混雑。並んでもちっとも進まない。前後の人と、遅れてしまっている状況などを雑談する。航空会社の係員が来て、AA060便の人は、昨日の搭乗券のままで出国手続きをして、搭乗口に行ってくれ、と言われたが、昨日の件もあるのできちんとチェック・イン・カウンターで話をつけたい、と言う人もいたので、私も並び続けることにした。

しかし、多くの人が振り替えや変更の手続きをしているせいか、列は全然進まない。そのため、あきらめて途中で抜け、出国手続きをして、搭乗口に向かった。

ダラスからブエノス・アイレスへの便がどうなるか心配だったので、乗り継ぎカウンターで相談した。前の人はペルーに行くと言うことだったが、ダラスからマイアミを経由することによって遅れをかなり取り戻せるとのことだった。私の場合は予定の次の日の同時間の便が用意されており、1日遅れになってしまう。相談したが、マイアミを経由しても、ブエノス・アイレス到着は1時間早まるだけというので、また乗り継ぎなどが遅れてはいやなのであきらめた。現地の1泊目のブエノス・アイレスの宿だけは予約してあったのだが、無駄になってしまった。一応予約した日本の旅行代理店には連絡したが、直前なので返金はされないとのこと。仕方ない。

11:00をまた遅れたが、今日はなんとか飛行機は離陸。

飛行機の中では、日本でもよく見る「ためしてガッテン」を見た。生姜は寒さに弱いので、冷蔵庫に入れてはいけないのだそうだ。

乗り継ぎ

成田からの飛行機は17時間遅れだったが、ダラスからの飛行機は1日後の便。ということで、ダラスでは12時間近く待たなければならなかった。

ホットドッグを食べたり、コーヒーを飲んだりして待ったが、長い。広い空港だが歩いて一周し、TRAAINという空港内の連絡電車も乗ってみたりした。

ようやく待って時間が近づいたが、一向にブエノス・アイレス便の搭乗口がスクリーンに現れない。しびれを切らして近くのカウンターで聞いたところ、教えてくれた。

その搭乗口に行ったのだが、そこにも全くブエノス・アイレス便であることは示されていないが、人が集まっていて、カウンターに行くと手続をしてくれた。口コミなんでしょうか。

ようやくブエノス・アイレス便の搭乗が始まった。搭乗券に書かれたグループに従って、若い番号から搭乗していく。英語とスペイン語のアナウンスを聞きながら、大きな番号で待っていたら、カウンターの黒人の係員が「グループ5だぞ。」とにこにこして声をかけてきた。6な事を手で示すと、「あー!残念!」今度は、日本語で「イチ、ニ、サン、ヨン、ゴ」と数え始めた。すると、横にいる女性の係員が、「えー、違うよ。私が習ったのと違うもの。」「あれあれ、イチ、ニ、サン、ヨン、ゴ。これでいいんだよな。」と私の方を見るので、「うんうん。」

なんだか陽気な人たちに会って、出発以来トラブル続きでささくれていた気持ちがゆるんできた。

ブエノス・アイレス便は20:45発のほぼ予定通り出発。結構混んでいる。夜出て朝着くので、ぐっすり寝てしまった。

最終的に何とかブエノス・アイレス着。髪の毛べたべた、体もべたべた、歯もべたべた。ひげは「じょりじょり」を通り過ぎて伸びて柔らかく寝ている。もうぐったり。

Iguazú(イグアス)

南米に行ったら、やはりイグアスの滝。ナイアガラの滝、ビクトリアの滝と併せて「三大瀑布」と言われているらしい。

イグアスの滝は、ブラジルとアルゼンチンの国境にあり、両側から見てみるのが良いそうだが、時間もなく、ブラジルはビザもいるので今回はアルゼンチンからのみ。

アルゼンチン・チリの旅行で、最初に訪問した場所。2004年10月11日(月)にBuenos Airesを経由して到着、1泊だけして、翌10月12日(火)にMendozaへ向かった。

到着

成田から長旅でアルゼンチンまで来たが、旅程が遅れていたこともあり、Buenos Airesで1泊せず、そのままIguazúまで来た。

アルゼンチン入国

台風で遅れに遅れたが2004年10月11日(月)にBuenos AiresのEZEIZA(エセイサ)空港に朝、到着。結構きれいな空港である。

入国手続はとても混んでいた。エスカレーターで降りたところに窓口があるのだが、降りたところのスペースがいっぱいなので、エスカレーターで降りる人を制限していた。

機内でもらった入国カードをあらかた記入していたのだが、なぜか携帯電話について記入する欄があり、機種は何だとか、数はいくつだとか、値段はいくらだとか細かい。よくわからないので、とりあえず適当に書いておいた。アルゼンチン内の住所も、最初泊まるはずだったホテル名を書いておいた。

入国手続自体は非常にあっさり終わった。入国カードの券片のようなものを返してくれるので、これはきちんと保存する。

出口はバスやレミースなどのカウンターがあり、待つ人も多く混んでいるが、通り過ぎる。

Ezeiza空港からJorge Newbery空港へ

空港内のスクリーンを見ると、行き先がIguazúとなっている便が午前にもある。これなら、今日Buenos Airesに泊まらなくても、このままIguazúに行けるのではないかと思った。非常に疲れていたが。空港内で、アルゼンチン航空のカウンターを探したが見つからないので、近くのカウンターでAregentine Airlineはどこかを聞いたら、"Aerolineas Argentinas"はとなりのターミナルだと言われた。

空港のインフォメーションで聞くと、外に出て左に行ったところだというので、歩いてターミナルBまで行った。こちらのターミナルはどちらかというと地味な雰囲気。

"Aerolineas Argentinas"の切符売り場があったので、列に並び、Iguazúに今日行きたいんだ、と言うと、このEZEIZA空港からの便はいっぱいで、Jorge Newbery空港からになると言うこと。クレジットカードで航空券を買った。料金は$255で、その他$6.05、$1.00、$35.79という3種類の税金が課されていて、合計$297.84だった。ちなみに、私の名前を「タカシャ」を発音していた。

近くに両替所があったので、US$をアルゼンチンペソに両替し、また、ターミナルAまで戻り、出口近くのTransfer Expressというカウンターで、レミースでJorge Newbery空港まで行きたいんだ、と言ったら$52とのこと。支払ってレシートをもらったところ、近くにいた初老の男性が係員だったらしく、外まで連れて行ってくれ、来た車に乗せてくれた。

このレミース"REMIS"というのは、ハイヤーとでも言えばいいのだろうか。アルゼンチン内では普通にある交通手段である。一応、黒と黄色に塗り分けられたタクシーがあるのだが、特にEZEIZA空港から乗る場合はよい話を聞かないので、レミースにした。レミースは行き先によって値段が決まっているので、ぼられたりする心配もないとのこと。

来た車は塗装も普通の車で、乗り込むときに、案内してくれた男性が運転手に"Aeroparque"(Jore Newbery空港の名称としてはこちらが普通のよう)と行き先を告げてくれた。

はじめての南米、外の景色は、木といい、大陸らしい広々とした風景。やっとやっと南米に着いたんだなあ、と思う。

車は街に入り、EZEIZAから1時間くらいかかって、Jorge Newbery空港(Aeroparque)に到着した。空港の向かい側は水が茶色い海のようになっている。これがラ・プラタ川のようだ。魚釣りをしている人もいる。

Jorge Newbery空港

Jorge Newbery空港(Aeroparque)の中は、とても混んでいる。私のIguazúまでの中は、入ってすぐにカウンターだが、列ができて混みあっている。

"TAX"というカウンターがあり、ガイドブックには空港税を払う云々という記述があるのだが、これは結局最後までよくわからなかった。航空券を買ったときに含まれているのか、あるいは自主的に払わなければならないのか、特に何も言われない。

出発のスクリーンを見ると、私が乗る"Aerolineas Argentinas"以外の航空会社の便もたくさんあり、それに乗れば、あまり待たなくてもIguazúに行けたかもしれなかった。ちょっと失敗した。

チェックインしたが、時間が余ったので、空港をうろうろする。すると、電話コーナーのようなものがあった。これは、入り口に受付があって、その奥にいくつも電話のブースがあるというもの。ブースで電話して、かかった金額を受付で払えばよいもの。

日本に電話すると言うと、あるブースを指定されたので、そこで実家に電話した。台風で予定が狂ってしまったし、旅行予定の詳細は伝えていなかったので、一応到着の連絡をした。しかし、なぜか途中で切れてしまう。何回かかけなおしてぶつ切りだが用件は伝えたので、受付に戻ると、何か調べていて、「電話できたか?問題なかったか?」と言われた。面倒だし用件は伝えられたので、問題ないと答えると、金は必要ないと言われた。不思議。

出発ロビーがある2Fにのぼると、フードコートのような場所があり、なかなかおいしそう。時間もあるので、イタリア料理のファストフードというかカフェテリアのようなコーナーに並び、カネロニを注文したが、英語がまったく通じず。後から考えるとソースか何かを聞かれていたようだが、写真を指差していると勝手に解釈されて、奥で温めて持ってきてくれた。値段をまたスペイン語で言われたがわからん。「しょうがないなあ」という顔をされたが、表示された金額を見て$10.50払った。

空いているテーブルに座り、着いていた粉チーズを全部かけ、食べる。味はまあまあ。スペインには行ったことがあるので挨拶はわかるのだが、今回は数字を覚えないといけないな、と思った。

Iguazú到着

Aeroparqueを離陸すると、下に茶色いラ・プラタ川が見えるが、これはとてつもなく広く、飛行機で上から見ても、両岸が一度に見えない。

Iguazúに近づくと、下の風景はジャングルになっている。着陸近くになって、水煙を上げている滝のようなものが見えたが、それがIguazúの滝かはよくわからなかった。

飛行機を降りて、Baggage Claimのところに行き、荷物は持ち込んでいるのでそのまま外に出ようとしたところ、端に机を置いて座っている人が降り、"HOTEL"、"English Spoken"と書いてあるのを見つけた。

漠然とIguazúではSheratonに泊まってもいいかな、と思っていたが、最初でよくわからないので、彼にホテルを探していることを伝えると、いきなりSheratonを「これがBestだ。1泊US$250だ。」と言ったので、即決した。これだけ苦労して着いて、1泊目くらいは贅沢してもいいだろう、と思った。

彼は電話をしてくれたが滝側の部屋はいっぱいなので、反対側とのこと。まあ、良いので早くシャワーを浴びたい。

帰りはいつだというので、決まってない、明日かも、と言ったら、"Aerolineas Argentinas"のカウンターに連れて行ってくれて、Buenos Airesへの最終便を手配してくれた。$255.00に、また三種類の税$6.05、$1.00、$35.79が加わって、$297.84だった。微妙に来たときより高い。続いて、彼はIguazúの滝を見るボートのツアーのセットを進めるので、それもお願いし、支払ってバウチャーをもらった。Sheratonならこの旅行会社が中に入っているので、レセプションの左でこのバウチャーを渡せ、と言われた。最後に、空港からの乗り合いバスも手配してくれ、何かあったら連絡をくれ、と"Four Tourist Travel"という会社名の入った、自分の名刺をくれた。

乗り合いバスの値段は$8で、Buenos Airesのレミースに比べてずっと安い。乗客は私と、若い男性2人組だけ。

車の窓からの風景は熱帯のジャングルそのもの、という感じ。暖かい。何かわからないのだが、道を横切る出っ張りがときどきあって、車はそこで徐行する。勝手にできてしまったものではなく、人工的なもので、道路標識にもそれがあることが示されているようなのだが、いったい何なのかわからない。スピードを出し過ぎないようにするため?

高速道路の料金所のようなところがあり、そこが国立公園の入り口らしく、そこで私だけ$30払った。残りの2人は国立公園の外で降りるらしく払っていなかった。また、ちらっと見えた料金表はUS$3くらいの値段が書いてあり、それは$9くらいになる。$30とはずっと高いのだが、払った後にもらったチケットを見ると、"No residente"と書いてあり、外国人料金かもしれない。

少し走るとビジターセンターが見え、そこを通り過ぎてSheratonの入り口の前に車を着けてくれたので、私だけそこで降りた。

宿泊

SHERATON INTERNACIONAL IGUAZU RESORT

Parque Nacional Iguazú 3370
Iguazú
Pcia. de Misiones, Argentina tel +54(3757)491800/802
fax +54(3757)491810

値段

シングルUS$250(朝食付き)

泊まってみて

アルゼンチン側のIguazúにはホテルはいくつもあるが、このSheratonは特別なホテルである。

他のホテルはPuerto Iguazúという国立公園から離れた街にあり、滝を見るには国立公園に通わなければならないのだが、このSheratonだけは、国立公園の中にある。だから、国立公園の入場料も最初に1回払うだけ。また、私は残念ながら反対側の部屋だったが、ホテルからIguazúの滝が見える。すばらしい。

ホテルについて、チェックインし、空港で言われたように、左に歩いていくと、若い女性が1人座っている机があり、そこでバウチャーを渡し、滝のツアーの券を受け取った。このツアーは滝の上流を船で観光するものと、ジャングルを通った後滝の下流からスピードボートで滝に突っ込むものがあったのだが、今日はもう夕方で、明日経ってしまうとすると、両方は難しいとのこと。そこで前者はあきらめ、後者について翌朝行くことにした。時間は選択肢があるようだったので、8:45のものをお願いした。明朝の8:30にこの場所に来れば、集合場所まで私が連れて行く、と言われた。

その後、部屋に行き、洗顔!歯磨き!本当はシャワーまで浴びたかったが、暗くなる前に滝を見に行きたかったので、荷物を置いて出かけた。

Iguazúの滝

国立公園

Sheratonがあるところも含めて、Iguazúの滝付近は国立公園になっている。

滝と言っても大きな滝が1つある訳ではなく、川の途中に巨大なU字型に段差があり、そこにたくさん滝がある。この一連の滝がIguazúの滝ということになる。

公園内にはトロッコ電車ともいうような電車があり、これで移動する。駅は3つあり、国立公園のビジターセンター入り口の駅(Estacíon Cenral)、真ん中の駅(Estacíon Cataratas)、最後の駅(Estacíon Garganta del Diablo)である。Sheratonは真ん中の駅を降りたところにある。

滝を見学するには、整備された遊歩道を歩いていく。この遊歩道は3系統あり、悪魔ののど笛(Garganta del Diablo)を見るもの、滝を上から見るCircuito Superior、滝を下から見るCircuito Inferiorとなっている。最初の遊歩道は一番奥の駅(Estacíon Garganta del Diablo)から始まっており、後者2つの遊歩道は真ん中の駅(Estacíon Cataratas)からいける。つまり、Sheratonからは歩いていける。

悪魔ののど笛(Garganta del Diablo)

Iguazúに着いた2004年10月11日(月)、夕方になってしまっていたので、暗くなる前に悪魔ののど笛(Garganta del Diablo)だけ見に行った。

この悪魔ののど笛というのは、たくさんある滝の中でもっとも大きな滝で、観光のハイライトとなっている。アルゼンチン川からは上(上流)から覗き込むことができる。

ホテルの部屋に着いて、顔を洗って歯を磨いてすぐに出かけた。歩道を歩いて程なく、国立公園内の電車の駅(Estacíon Cataratas)が見える。電車はあまり頻繁にはなく、大体30分に一度くらいのようだ。そのため、結構待っている人が多く、列になっている。駅などで働いている人は、インディヘナの人である。

電車が到着して、乗り込み、出発する。横に見える土壌はかなり赤く、熱帯雨林、という感じがする。あと、蝶が異常に多い。最初は落ち葉がたくさん待っているのかと思ったら、蝶だった。よく考えたら、熱帯に落ち葉があるはずはない。

Estacíon Garganta del Diabloに着くと、そこから遊歩道が続いているので、降りた人がぞろぞろと歩いていく。遊歩道は川の上をずっと続いている。川は静かで、とても近くに滝があるとは思えない。水はきれいで、魚が見える。最初は鯉のように見えたが、よく見ると背びれがずっと尾びれのほうまで大きく続いていて、ああ、南米の魚だ、という感じがした。

遊歩道を歩いていくと途中から横に壊れた遊歩道の残骸が出てくる。これは、以前の遊歩道で、洪水で壊れたものだそうだ。

そして、前方に白煙を上げている滝が見えてくる。滝が落ちているすぐそばで遊歩道は終わっている。

遊歩道で歩いてきたところからもわかるように、急流の中で滝があるのではなく、本当にゆるやかな流れから、一気に滝となって落ちている。風向きによって、ときどき水しぶきが飛んでくる。全体を見渡すと、白煙の中に鳥がたくさん飛び交っている。向かいのブラジル川の遊歩道らしきものも見え、私が泊まっているSheratonも見える。

イグアスの滝の悪魔の喉笛のビデオ(Real Media形式)

10分ほど滝を見て、また電車でホテルに戻った。部屋に戻り、シャワーを浴び、部屋にあったミネラルウォーターを飲むと、さっぱりし、ようやく普通の人間に戻った気がした。夕食も食べずに、そのまま眠ってしまった。

ツアー

翌朝10月12日(火)は、Iguazúの空港に着いたときに申し込んだ滝の見学ツアーに出かけた。

滝の見学ツアーは、いくつもの会社が実施している、というのではなく、どうやらこれしかないようである。このツアーは、いくつかの観光がセットになったものである。

  1. 最後の駅(Estacíon Garganta del Diablo)から真ん中の駅(Estacíon Cataratas)まで、滝の上流をボートで進むもの
  2. 滝の下流で、ボートで滝に接近、というか突っ込むもの
  3. 滝の下流の川をボートで進むもの
  4. ジャングルの中を大きな車で進むもの

この要素の組み合わせとして以下のようなツアーパッケージがある。

名前 内容 説明 値段
PASEO ECOLOGICO (1) 上流のボートのみ $15
AVENTURA NAUTICA (2) 滝の下流のボートのみ $30
GRAN AVENTURA (2)(3)(4) ジャングルのツアーから滝の下流のボートまで。(4)(3)(2)の順に連続で。 $70
FULL DAY CATARATAS (1)(2) 上記PASEO ECOLOGICOとAVENTURA NAUTICA $42
PASAPORTE VERDE (1)(2)(3)(4) 上記PASEO ECOLOGICOとGRAN AVENTURA $80

私が空港で申し込んだのは、全部含んだPASAPORTE VERDEだったので、(1)と、(2)(3)(4)の両方に参加できたのだが、着いた10月11日(月)には(1)の最後の時間(17:00ごろ)が終わってしまい、10月12日(火)に(2)(3)(4)に参加することしかできなかった。まあ、ハイライトはこれなのでいいですが。

さて、10月12日(火)朝、起きて荷物をまとめてチェックアウトし、ホテルに荷物を預かってもらった。荷物を預けた代わりに預り証のようなものをもらった。

前日指示されたとおり旅行代理店のコーナーに行くと、昨日と同じ、ちょっとクールでアンニュイな(やや無愛想とも言う)女性が座っていた。時間が早いので椅子に座っていると、一人の男が来て、彼もこのツアーに参加するとのこと。彼(パブロ)はイタリア人でミラノに住んでおり、ファッション関係の仕事をしていて、日本にもよく行くとのこと。台風でアルゼンチンに来るのが遅れたことを話すと、ニュースで見たので知っていると言っていた。日本は最近poorだ、特に大阪は景気が悪い、と言うので、やっぱりこれからは中国に注目しないと、などと言っておいた。また、アルゼンチンもpoorだ、と言っていた。アルゼンチンはスペイン語だが、イタリア語と似ているのでなんとなくわかるそうだが、スペインのスペイン語とはアクセントが違っていて理解しにくいのだそうだ。また、ブラジル側からも滝を見てきたようで、どうしてブラジル側には行かないのか、と言われた。

話しているうちに8:30になり、カウンターに座っていた女性が「券を見せろ」と言われた。「えっ?券て何?」

昨日ここで手続きしたときはかなり疲れて朦朧としていて券をもらったか覚えていない。身に着けたウエストバッグにも、イタリア人が出しているような紙はない。となりにいたイタリア人が、「彼は金を払っていないのか?」と聞くと、「確かに昨日支払っている。でも、券がないとだめ。」 私が券を持っていないとどうなるのか聞くと、「もう一度払う必要がある。」えーーー。ホテルに預けた荷物の中に入っているかもしれないのでそれを探すと言うと、とりあえずイタリア人を集合場所に連れて行って、また戻ってくるとのこと。

ホテルに預けた荷物をもう一度見せてもらい、荷物のポケットを探すが、先ほどイタリア人が出していたような紙は見つからない。あきらめて荷物を再び預け、先ほどのカウンターに戻った。ふと見に着けていたウエストバッグの中をもう一度見ると、緑色のカードのようなものがある。それを見て思い出した。私が申し込んだのはPASAPORTE VERDEというものなので、これがチケットなのだった。

外を見ると、女性が一人で戻ってくるところだったので、券を手で持って振って見せ、走っていった。

集合場所まで行くと、われわれ以外にもたくさんの観光客が集合していた。そこから、大きなトラックのような乗り物に乗った。二台の部分にベンチが並んでいて、みんなそこに座る。

ガイドの女性が乗り込み、皆どこから来たのかを聞く。アメリカだのデンマークだのいろいろな答えが返る。隣のイタリア人はイタリア!と答え、私も負けずにJAPAN!と答えた。韓国人もいた。ということで、解説はスペイン語ではなく、英語で行うことになった。

ガイドの女性が後ろを向いて解説しながら車はジャングルの中を進む。ところどころで止まって説明もしてくれる。熱帯雨林は本来、密に屋根のように葉をつけるものなので、この道沿いのように下に低い木が生えているのは切り開いてしまったから、とのこと。元に戻るのは簡単だが時間がかかるそうだ。木の途中に木が生えているというものがある。これは光合成をしていることからわかるように寄生しているのではなく、たまたま種が木の途中に落ちたためであり、熱帯雨林では低い場所まで光が届かないため、このような生え方はよくあるとのこと。また、道沿いにはオレンジが生えて実をたわわに実らせていたが、これは自生していたものではなく、観光客が残したオレンジの種から勝手に育ってしまったものだそうだ。

ジャングルのツアーが終わると、車を降り、川まで遊歩道を降りていく。降りていくとスピードボートが待っており、ライフジャケットを着て乗り込む。ビニール袋を渡され、カメラなどはそこに入れるように指示される。他の客は服を脱いで水着になったりしている。お前は着替えないのか、と聞かれたが、水着はないので、代わりの服があるのでいいんだ、と答えておいた。でも、靴と靴下は脱いでカメラと一緒にビニール袋に入れた。

ボートは結構スピードを出して走る。浅い瀬のようなところもあって、ごつごつ底があたる。乗り込んでいる係員の一人は乗客をビデオで取っている。お金を払うとDVDに焼いてくれるらしい。わざとかわからないが右に左に蛇行したりする。

滝の近くまで行くと、1つの小さな滝に近づき、落ちてくる水の中に入る。全身びしょぬれになり、何も見えなくなる。

次は、もっと大きな滝まで移動し、しばらく遠くから見た後、また中に突っ込む。皆から大きな歓声が上がった。

ちなみに、突っ込む滝は一番奥の悪魔ののど笛ではない。もちろん。客の1人が、奥の滝にはいかないのか聞いていたが、係員は"You'll die."と答えていた。

この後、船は陸に着いてここで全員降り、服の水を絞ったり、着替えたりする。着替えはなくても、髪の毛を拭いたりするタオルを持ってくればよかったと思った。

降りたところは遊歩道Circuito Inferiorなので、滝を見ながら歩いてホテル方面に戻った。ホテルに戻ってしまってもよかったが、まだ少し時間があるので、全身びしょぬれのまま、もう一度悪魔ののど笛を見に行った。生渇きにはなっていたが、電車に乗ってしまったのはちょっと迷惑だったかも。

最後にもう一度悪魔ののど笛をよく見て、ホテルに戻った。

出発

ホテルに戻って、預けた荷物を返してもらい、体は生渇きだったが、トイレで着替えた。昼を食べるには時間が中途半端だったので、バーでビールを飲み、ピーナッツをかじって、それで良いことにした。

ベルボーイにレミースを呼んでもらい、空港に向かった。今度は$12だった。

空港に着くと、カウンターまで行って、航空券について相談した。昨日Buenos Airesまでの航空券は買ってあったが、旅程が1日遅れてしまっているので、Buenos Airesで一泊せずに、そのまま乗り換えてMendozaまで行けないか相談した。Buenos AiresからIguazúに向かう際に、Buenos AiresからMendozaまでの便が結構遅くまであることを確認していた。

カウンターは小柄なインディヘナの血が入った女性だったが「同じ航空会社で?」と聞かれたので、それでいいと答えると、幸いにして乗り換えられるBuenos AiresからMendozaまでの飛行機がある様子。航空券を買ったが、クレジットカードの認証にとても時間がかかった。なんでも、電話で確認しなければならない、とのことだった。

IguazúからBuenos Airesまでの便、Buenos AiresからMendozaまでの便、両方をチェックインし、荷物を持ち込みにしてMendozaへ出発した。

Mendoza(メンドーサ)

Mendozaは、アンデス山脈の麓、それも南米最高峰アコンカグアの麓にある街。ワインの産地として有名で、アルゼンチンワインの90%がここで産出されるという。確かにアルゼンチン国内で飲んだワインはすべてMendoza産だった。

一晩泊まっただけだったが、なかなか気持ちの良い街だと思った。

アルゼンチン・チリの旅行で、アルゼンチンに入って2番目に滞在した街。Santiagoへ向かう途中で経由した街で、2004年10月12日(火)にIguazúからBuenos Aires経由で飛行機で夜に到着し、1泊だけして明朝チリのSantiagoへ向かった。

到着

2004年10月12日(火)にIguazúからBuenos Aires経由で飛行機で夜に到着したが、かなり遅かったので結構ひやひやした。

午前中はIguazúで滝を見るツアーに参加していたので、Iguazúを出発した便は15:20発のAerolineas ArgentinasのAR2735便。17:10にBuenos AiresのAeroparque(Jorge Newbery)空港に着く。料金$255.00、3種類の税金$6.05、$1.00、$35.79を足して$297.84だった。

Aeroparqueでは、いったん到着ロビーに出てから、また搭乗口に向かったのだが、荷物のチェックをしたときに、係員に何かスペイン語で注意された。もう一人の年輩の係員がいいからいいから、というように止めていたが、最初の係員はあんまり納得していないようだった。何だろう???

空港ではしばらく店などをぶらぶら見て時間をつぶしていると夕方になり、薄暗くなってきた。Mendozaへの便AR1430に乗り込み、18:55に出発。この便は、$257に税金$6.05、$1.00、$36.07が加わり、$300.12だった。

Iguazúで当日Mendozaまでの便を買ったように、ホテルは全く手配していなかったので、探さなければならないと思い、飛行機の中ではガイドブックを見て、良さそうなホテルをチェックした。到着予定は20:45。空港のホテル予約などは終わっている可能性があるので、歩いて探さなければならないかもしれない。ただ、地方都市なのでなんとかなるだろう、とは思った。

飛行機がMendozaに近づいたころには、窓から見る外は真っ暗になっていた。着陸のアナウンスが流れ、外を見ると、Mendozaの街の明かりが見える。まずい。相当まずい。なんだかとても巨大な都市じゃないか。碁盤の目に走る街灯が眼下に広がっている。こんな大都市で、夜にホテルを歩いて探さなければならないのか、と思うと緊張して、目も急にはっきりと覚めてきた。

Mendozaの空港Aeropuerto Plumerilloに到着し、ロビーに出ると、人がたくさん待っているが、右側に見える空港の半分は人気がなく、もう暗くなっている。そこまで行って荷物の整理をして周りを見ると、観光案内所はやはりもう閉まっている。街まで行ってホテルを探すしかない。

到着口近くまで戻るとタクシーやバスのカウンターがあり、見てみると市の中心部までは定額のレミースがあるようなので、それを頼んだ。

車で市の中心部に向かうが、道は広く街路樹があり、なんだか薄暗い。運転手に行き先のホテルはどこか聞かれたが、ホテルは決まっていないので、市の中心の広場、Plaza Independenciaと告げた。

町中に入っても、道は薄暗くて街路樹が茂り、人もまばらにしか見えない。かなり、かなり不安になってきた。広場に近づくと、ホテルがいくつか見えたので位置を覚え、Plaza Independenciaで下ろしてもらった。交差点を渡り、ホテルの方向に歩き始めた。

宿泊

GRAN HOTEL MENDOZA

Avenida  España 1210- (M5500DXZ)
Mendoza, Argentina
tel +54(261)425 2000

値段

シングルUS$90(朝食付き)

泊まってみて

Plaza Independenciaへ向かうレミースの中から、交差点にあるこのホテルが見えたので、車を降りた後、真っ先にここに向かった。

レセプションに入ると、女性が座っている。恋人らしき男とキスを終えるのを待って、私が今日泊まりたい旨を伝えると、今日?とちょっとびっくりしたようだったが、空きがあって泊まることができた。

部屋にはいると、先ほどまでの緊張が解けてほっとした。宿が見つかって良かった。とりたてて美しい部屋ではないが、ミニバーも含めて設備は一通りあって、ビジネス向けの中級ホテル、という感じ。

荷物を解くと、夕食を食べに出かけた。アルゼンチンはスペインと同じで、夕食時間が遅いので、店が閉まってしまう心配をしなくていいのは良い。

夕食

ガイドブックを見ると、Av. Las Herasという通りが繁華街らしい。ホテルからは3ブロックほど。ホテルを出て、そちらに向かったが、途中はあまり人がいない通りだった。

Av. Las Herasに出ると、ものすごい目抜き通り、とは言わないが、日本の地方都市の目抜き通りくらいのにぎわい。といっても、この街はなんだか全体的に薄暗い。少し歩いてみたが、マックがあったりするだけで目新しいものはなさそうなので、レストランを探した。ファストフードではないが、高級レストランでもない、というちょっとカジュアルなレストランに入った。

狭い店だが、半分以上席は埋まっていた。ちょっと年配の客が多いよう。ウェイトレスが来てメニューを出された。ビーフステーキのシャンピニオンソースを選択。ステーキは200gと400gが選択できるが、謙虚に200gとした。それでも、150gとか200gとか刻む日本とは感覚が違うが。

そしてMendozaと言えばワイン。よくわからないので、適当に赤ワインVino Tintoを頼んだ。

ウェイトレスにはゆっくりとメニューをスペイン語で読んで頼んだが、なぜか後でもう一人のウェイトレスが内容を確認に来た。外国人だから心配になったのかな?

ちなみに、ウェイトレスは二人とも、「看板娘」といった感じで、ブルネットでお人形さんみたい。女主人に髪を直してもらったり、仕草も可愛らしい。それだけで気分が良くなってしまう私も単純だが。

最初に頼んだワインはないということだったので、違うワインを頼んだ。どこかのワイナリー(Bodegaというらしい)と契約しているのか、店の端にはメニューにあるワインが展示してある。

ビーフステーキは普通な感じ。ワインは、予想通り、フルボトルが一本来た。望むところだ。ということで、200gのステーキを食べ、フルボトルの赤ワインを空けた。

結構気分良くなっていたが、アルゼンチンの「街」は初めてでもあり、多少チップを含めて支払いを済ませると、気持ちを集中してホテルに帰った。

バスターミナルへ

一泊して2004年10月13日(水)。朝起き、ホテルで朝食を取った。朝食を取ったレストランは、フロントの向かいにあり、半地下のようになっている。

部屋に戻って荷物をまとめ、チェックアウトする。今度のフロントは男性で、スペイン語だけだったが、$90を支払い、スムーズにチェックアウト。

ホテルを出て、昨日は夜で、余裕がない中でしか見られなかった独立広場Plaza Independenciaに行く。広場を横切り、PASEOという通りを進んで、バスターミナルに向かう。

途中にツーリストインフォメーションの建物が歩道にあったので、中に入り、地図をもらう。笑顔で対応してくれたのは若い男性で、完璧な英語で地図をくれ、現在の位置に印を付けてくれた。

バスターミナルへ向かう道は、やはり道の両脇に街路樹がある。昨晩に見たときはうっそうとした樹が不気味でもあったが、太陽の光の下で見ると、なかなか雰囲気が良い。

車道と歩道の間には側溝のようなものがあって、水が流れている。ガイドブックによれば、Mendozaは乾燥した地域だが、灌漑によって農業が行われているそうだ。

歩いていくと、大きな車道に出て。右折して歩いていく。通りからはときどきアンデス山脈が見えて、少し感動する。

バスターミナルがある交差点まで来たが、ちょっと引っ込んであるようでわかりにくい。交差点の近くには大きな川というか水路があって、きれいな水が勢いよく流れている。ただ、ゴミ、というか大量のペットボトルが流れに溜まっていて複雑な気持ちになる。きれいな水と大量のゴミが対照的。人口密度が少なくて自然が豊かであるが故に、自然保護とか、環境保護とかそういう意識が希薄なのかな、とも思った。

バスターミナルへと渡る交差点には若者が3人くらいたまっていた。何をしているのか見ると、交差点で車が信号で止まるたび、モップのようなもので車を掃除している。勝手に掃除して料金を請求しているのか、サービスとしてやっているのかはわからないが、なんだか南米っぽいと思った。

出発 - アンデス山脈越えでSantiagoへ

バスに乗り込む

入り口がわかりにくいがバスターミナルは結構大きな建物だった。建物はブーメラン型をしていて、中にはいるとひたすらバス会社のオフィスが並んでいる。

それぞれのオフィスにはなにやら行き先や時間が掲げられているがよくわからないので、ブーメランの真ん中にあるインフォメーションで聞くことにした。Santiagoに行きたいとインフォメーションの女性に言うと、午前中の便をいくつか書いてくれた。

最初の行ったカウンターでは、女性が書いてくれた時間とちょっと違っていたので、El RAPIDOという会社のカウンターに行って、10:30発Santiago行きのバスのチケットを買った。$25。日本円で言えば、700円か800円で、かなり割安に感じる。

どこからバスに乗るのか聞くと、すぐ前だとジェスチャーで言われた。チケットを見ると"PLATAFORMA"は29と書いてあるので、29という番号のバス乗り場に行ってみた。しばらくするとバスが来たので、乗ろうと思い、荷室に荷物を入れてもらおうと荷物を渡すと、どこに行くのか聞かれた。Santiagoだというと、あっちのバスだ、と言われた。危ないところで別のバスに乗るところだった。たまたま聞かれたから良かったが。

言われたところに行って、止まっていたバスにSantiago行だと確認して、荷物を預けて乗り込む。座っていると、おばちゃんの集団が来て、私の席の横に座ってきて、なにやらぶつぶつ互いに行っている。ここに仲間と座りたければ良いよ、という感じで席を譲ろうとしたが、「いい、いい」という。そこで思い当たった。チケットに書いてある29は席番なのだ。おばちゃんにチケットを見せて、29番の席に座った。前には修道女?らしき格好の中年女性の集団が座る。

Mendozaを出発

バスが出発すると、すぐにチリの入国カードと税関の申請書のようなものが配られる。よくわからないところがあるが、とりあえず埋めてみる。後ろのおじさんに、書くジェスチャーをしながら話しかけられた。書き方を教えてくれようとしているのだと思い、書き方はわかっていたので、笑顔でGracais!と言って、自分のカードの記入を続けた。しかし、後で考えると、書くものを貸してくれ、と言われていた気が・・・

しばらく走ると前面に雪をかぶったアンデス山脈が絵のように見えてくる。そのアンデス山脈に向かってバスは走る。本当にあんな山を越えられるのだろうかと思う。

今度は横に居た大柄な若い男に書くものを貸してくれ、というようにジェスチャーで言われたので、今度は間違えずにボールペンを貸した。大柄で無骨な感じの男で、勝手に「ガウチョ」と心の中で名付けた。

そのアンデス山脈に入ると、バスは川沿いの道を走っていく。雨が少ないせいか、川に沿って崖のような地形もあって、どうやってできたのだろうと考えるながら見ていると、なかなかおもしろい。また、道沿いに鉄道の線路が走っているのが見える。この鉄道は残念ながら廃線になっているらしく、一見今でも使えるように見えるが、ところどころ土砂に埋まってしまっているところもある。

国境管理所

川に登って休憩もなくさかのぼっていくと、国境管理所のようなところの前でバスは止まる。バスの中で何かスペイン語で説明されるが全くわからない。わからないので、前にいた修道女の集団について行く。自家用車で通過する場合、バスで通過する場合で何か違うようなのだが、我々のバスの乗客みんなが並んでいるところで並んで手続きをすると、それはアルゼンチンの出国手続きのようだった。

出港手続きを済ませると、バスを降りている運転手がこちらに行け、というのでそこに並ぶと今度はチリの入国手続きのよう。ここもパスポートを見せるだけであっさり終わる。しかし、せっかく書いた税関手続きの紙は見ずに返される。

これで終わりかわからないので、近くに来ていた運転手に聞いたがバスに戻れという感じ。

どうすればわからないところに、さっきの「ガウチョ」が来たので、聞いてみると、「スペイン語わかる?わからない?困ったなあ?」という感じ。ジェスチャーでバスに戻れば良いのか聞くと、そうという感じ。とりあえず、両替所があったので、US$を一部チリのペソ$に両替し、バスに戻った。

バスはまた出発したが、また先ほど手続きをした国境管理所の建物に入って止まってしまう。どうするのかな、と思っていると、「ガウチョ」が、あごをしゃくって、来いっのように言うのでついていった。出入国手続きをしたところと通路を挟んだ反対側にX線装置と、その前にベンチが並んだところがあり、乗客みんなでベンチらしきところに並ぶ。我々のバスの荷物は次々とX線装置にかけられ、それを立って見る。チリの農業省?らしき係官が税関申告書の用紙を集めていく。

その後、バスの運転手がプラスチックのコップを持って回ってきて、みんなそこにコインを入れる。となりの「ガウチョ」も入れていたが、私はわからないのでとまどっていると、パスされた。しかし、「ガウチョ」は平然としているので、問題はないようだ。どうやら、チップを集めていたらしい。税関をこえるのに運転手にチップ?

X線検査も含めてあっさり終わったが、選ばれたいくつかの荷物は中を開けてチェックされていた。前にいた修道女の一人も対象となっていた。

ちょっと時間がかかったが、出入国の手続きが終わり、バスに乗る。「ガウチョ」にGracaiasと言うと、一瞬無骨な顔を歪めてうれしそうな顔をした。

チリへ

国境管理所をすぎるとバスはいよいよチリ。これまで登ってきたが、今度は下りとなり、つづら折りとしか言いようがない道を降りていく。

つづら折りを降りた後、舗装された道路が未舗装の道となってしまう。工事中のようだ。そしてしばらく行くとバスは止まってしまった。何だろう?と思ったが、特に説明はなく、ずっと止まっている。なんだかわからないが、しかたなく待っていると、しばらくして対向車が来た。どうやら、道が工事中で対向した車を変わりばんこに通しているようだ。未舗装の道からあがる砂埃で、鼻や肺が気持ち悪い。

バスが走り始めると、今度は横に下っていく川が並行して走っている。山の中の道を下り終わると、ブドウ畑が広がる平原となり、さらに走ると、Santiagoの町中に入っていく。町中に入ると道がとても混んでいて、車はなかなか進まない。渋滞の中を進むと、ようやくのバスターミナルが見えてきた。

さあ、Santiagoだ!

San Carlos de Bariloche(バリローチェ)

単にBarilocheと呼ばれることが多いようだが、正確な名前はSan Carlos de Barilocheとちょっと長い。

南米南部のパタゴニアと呼ばれる地方にあり、アンデス山脈の麓、湖の畔にある美しい街。観光地として有名で、「南米のスイス」と呼ばれているそうだ。かなり長い期間スキーができるそうで、気温はかなり低い。日本で言うと、軽井沢にちょっと似た雰囲気。

アルゼンチン・チリの旅行で、2004年10月18日(月)にチリPuerto Monttからバスと船を乗り継ぐCruce de Lagosというツアーで夜に到着し、1泊だけして明朝のBuenos Airesへ向かった。

到着

2004年10月18日(月)にバスと船を乗り継ぐCruce de Lagosツアーで、チリのPuerto Monttから到着した。

着いたときは夜の9時頃になってしまっていたが、ホテルの予約を取っていないので、探さなければならない。暗いし寒いので、ちょっと焦る。

降ろされたときにCruce de Lagosの女性スタッフに示された方向ように大通りに出て、右に歩いていくと、たくさんの観光客向けの店があり、華やかな雰囲気。ぽつぽつとホテルがある。

どのホテルが良いか、外からは値段などは全くわからないのだが、1つ大きなホテルに入ったところ、修学旅行か何かでいっぱいだった。そのため、反対方向に歩いて戻ると交差点から大きめのホテルが見えたので、そこへ向かった。

宿泊

Hotel NEVADA

Rolando 250
R8400GQF
Bariloche, Argentina
phone +54(2944)52-2778
fax +54(2944)52-7914
電子メール info@nevada.com.ar

値段

シングル$160(朝食付き)

泊まってみて

ホテルに入り、少し階段を下りると広いロビーがあり、フロントがある。フロントに座っていたのは若い男性で、部屋の空きがあるか聞くと空いていると言うこと。1泊止まることに決める。「寒いね。」「どこから来たの。」と話をしながらチェックイン。

手続きが済むと、部屋まで案内してくれた。ちょうど旅行をしていて一週間くらいだったので、職場へ電話をしようと思い、国際電話の使い方を教わった。

チップを渡した方が良いかと思ったが、笑顔であっという間に帰ってしまった。こういうときってチップが必要なのでしょうか。未だによくわからない。

翌日の朝食はフロント奥の広いレストランで。結構年配の客が多かった。

食事

ホテルが決まったので、ちょっと遅かったが、食事に出た。ホテルから出た少しのところに落ち着いた雰囲気のレストランがあり、入り口のメニューにBariloche名物の鱒が合ったので、そこに入った。

疲れ気味だったので、サラダも頼み、鱒のガーリックソースのようなものを頼んだ。ワインは何が良いか聞くと1つを進めるので、それにした。

鱒の味はまあまあ。ワインはずんぐりしたボトルのMendoza産の白ワインだったが、なかなか良かった。ホテルも決まり、食事もできてほっとした。

Barilocheの街

翌日10月19日(火)の朝、ホテルをチェックアウトし、街に出た。

歩いてみたが、観光地なので町並みはリゾート風で、街のそこここから湖と山が見える。

Centro Cíco

Barilocheの中心となる広場がCentro Cíco。山小屋風の建物に囲まれている。

山小屋風の建物の1つが観光案内所になっていて、混んでいるが地図をもらった。

Cnetro Cícoから見る湖も美しい。見ているとカップルが湖を背景に写真を撮ってくれ、というので撮影。ついでに私も撮ってもらった。

Lago Nahuel Huapi(ナウエル・ウアピ湖)

BarilocheはLago Nahuel Huapiという湖の畔にある。湖の背景には雪がある山々が見えて、とても美しい。チリから船を乗り継いできた前日こんなに晴れていれば、良かったのだが。

ナウエル・ウアピ湖のビデオ(Real Media形式)

郵便局

溜まっていた絵はがきを出すために街の中の郵便局に。地図で探してから行ったのだが、わかりにくい建物で最初は気がつかなかった。

結構中は混んでいたが、スムーズに発送は終了した。

出発

翌日10月19日(火)にBuenos Airesにアルゼンチン航空で出発した。

切符

朝、Barilocheの中のアルゼンチン航空のオフィスで切符を買った。交差点の角に立っているのだが、入り口がわかりにくかった。Buenos Aires行の飛行機はいくつかあったが、Barilocheの街を少し見たかったので、14:25発のAR1685便にした。

Barilocheの空港までどうやっていくか聞くと、向かいにレミースのオフィスがあるとのこと。

空港までのレミース

街を見て周り、おみやげなども買ってから、アルゼンチン航空向かいのレミース(ハイヤー)のオフィスに行った。若い女性が一人座っていて対応してくれたが、全く英語が通じない。

単語を並べて空港まで行きたいということは伝わったが、まだ何か言っている。しばらくするとおばさんが入ってきたが、彼女も英語がわからない。空港のチケットを見せたり、いろいろやったが、お互いにうーんと困ってしまった。

すると、突然彼女が"now?"と一言。私も"now!"と答えて解決。今すぐに行くのか聞いていたらしい。その後は運転手を呼んでくれ、あとから来たおばさんが店の前に止まった車まで案内してくれた。

レミースでBarilocheの街を出ると、急に乾燥した風景が広がる。スペインを旅行したときの風景に似ている。チリのPuerto MonttからBarilocheまで森と湖の風景だったので、ちょっと街を離れただけで風景が一転する。

空港で降ろしてもらう。空港から見る雰囲気も非常に乾燥している。

空港

空港に入り、カウンターでチェックイン。担当の若い女性は、英語で話しかけると、「英語?」という感じで、ちょっと緊張していたようだった。

彼女の説明によると、1:55搭乗が2:30搭乗に変更になったとのこと。

時間はあったが搭乗口に入ってしまった。すると、店も何もなく暇。さらに飛行機は到着が遅れたのか時間が遅れてしまい、他のBuenos Aires便がどんどん出発するのに見送らなければならなかった。ちなみに、行き先はBuenos Airesとは表示されず、国内線空港の呼び名であるAeroparqueと書かれている。

随分待つと、ようやく飛行機が到着し、乗り込み、Buenos Airesに出発した。

NEW!Buenos Aires(ブエノス・アイレス)

ブエノス・アイレスはアルゼンチンの首都で、ラ・プラタ川の畔に栄えた街。タンゴの街というイメージがあるが、南米のパリとも呼ばれるヨーロッパ風の町並みである。南米の都市らしく、街には碁盤の目のように道が走る。人口は300万人近い都市で、地区によってずいぶんと雰囲気が違うことがおもしろかった。

街の名称は、良くBsAsという表記がされている。

アルゼンチン・チリの旅行で、2004年10月19日(火)にSan Carlos de Barilocheから飛行機で到着し、2泊だけして2004年10月21日(木)の夜にアメリカのDallas経由で成田に発った。

到着

2004年10月19日(火)にSan Carlos de Barilocheからのアルゼンチン航空AR1685便でJorge Newbery空港(Aeroparque)に着く。料金は合計$411.88だった。空港の荷物受け取りで荷物が回ってくるのを待っていると、そこに街の中心まで行く方法がいろいろ解説されている。バスもあるようだ。

外に出ようとして、ガイドブックを飛行機の座席においてきてしまったことに気がついた。Buenos Airesは最後だったし、もういいかと思ったが、Baggage Claimのカウンターに言って、座っていたおじさんに相談してみた。そうすると、おじさんはちょっと待ってろ、と電話をしてくれて、出口の方に私を連れて行くと、係員が渡してくれた。よかった、よかった。

到着口を出て、Manuel Tienda Leónというカウンターに言って、バスのチケットを買おうとしたが、なんだかいろいろ回るので時間がかかり、少し待たなければならないようだったので、またレミースにした。

$18を払ってチケットをもらい、車に乗り込む。どこへ行くのかと言われて、またホテルが決まっていなかったので、San Martín広場だと告げると出発した。

街中に行くには高速道路に乗るのだが、高速のゲートをくぐると、運転手がちらっちらっと私を見る。なんか変だな、と思うと、フロントグラスに貼ってあるクレジットカード大の黒い板のようなものを指さす。どうやら、これが高速道路を自動で通り抜ける、日本で言うETCのようなもので、それを自慢したかったようだ。なんでも、これがあればクレジットカードで支払いが出来るのだそうだ。日本のはこんなに大きいんだよ、という話をしたら、とても得意そうだった。

確かに日本のETCは何であんなに大きくて、かつ支払いも不便なんでしょうね。

San Martín広場で車を降りると、ホテルを探しに歩き始めた。

宿泊

Hotel Crillon

Av. Santa Fe 796
C1059ABO
Buenos Aires, Argentina
phone +54(11)4310-2000
fax +54(11)4310-2020
電子メール info@hotelcrillon.com.ar

値段

シングル$324.52(朝食付き)

泊まってみて

2004年10月19日(火)に1泊。実は、このホテルは今回の旅行で南米に着いた最初の日に宿泊する予定のホテルで、日本から一泊の予約をしてあった。しかし、南米へ来るときに台風のせいで1日遅れてしまい、予約が無駄になってしまった。

ホテル自体はSan Martín広場の近くで交通の便も良さそうだったので、泊まってみようと行ってみた。

入り口にはサッカー選手らしき人がおり、その横を通ってフロントに行った。2泊したいと伝えると、1泊しか空きがないとのことで、その部屋もちょっと高い部屋のよう。フロントの若い女性が「案内してあげるから見てみる?」というので着くと、案内された部屋は角部屋で確かに豪華な雰囲気。1泊なので泊まることにした。

フロントに戻る途中、「サッカー選手が泊まっているの?」と聞くと、急にぱっと表情を変え、「そうそう!でも、彼らは特別なフロアに泊まっているの。」とのこと。2泊目については、明日の朝マネージャーが来るので、空きがあるか再度確認してくれ、と言われた。

部屋からはSan Martín広場が見え、なかなか良かった。しかし、明朝、マネージャーに聞くと、2泊目は空きがなかった。残念。

Bisonte Palace Hotel

Marcelo T. de Alvear 910
C1058AAN
Buenos Aires, Argentina
phone +54(11)4328-4751

値段

シングル$145.20(朝食付き)

泊まってみて

2004年10月20日(水)に1泊。

Hotel Crillonに1泊しかできなかったので、朝にチェックアウトしてホテルを探した。朝だし、すぐに次のホテルが見つかると思ったら大間違い。行くところ行くところ、みんな満室と断られてしまった。「予約していないの?じゃあ、だめ。」といった感じで、だんだんへこんで来た。Buenos Airesでは飛び込みは少ないんでしょうか。確かに、バックパッカーのような旅行者は見ない。ホテルはたくさんあり、片っ端から行ってみたところ、ようやくこのホテルに着いた。

ないだろうな、と半分あきらめで、1泊したいというとフロントに座っていた中年の女性はあっさりとOK。四つ星ながら値段もHotel Crillonよりずっと安かった。

荷物を運んでくれた男性もなかなか親切だった。部屋にセーフティボックスはなかったが、フロントの後ろのセーフティボックスに貴重品は預けることが出来る。

部屋は質素で窓がなかったが、かなり広く、やっとホテルが見つかったのでほっとした。

交通

地下鉄

Buenos Airesにも首都らしく地下鉄があり、Subteと呼ばれている。そして、この地下鉄は日本とも縁があるものらしい。なんでも、日本で地下鉄を作るときに参考にしたのがこのBuenos Airesの地下鉄だそうだ。そして現在では逆に、日本の古い車両が一部で走っているそうだ。

A線からE線まで5つの線があるが、中心の広場Plaza de Mayoから放射状に広がるようになっていて、観光スポットを網羅しているわけでもないので、観光者にはあまり便利ではない。

B線に乗ってみたが、ホームも車内も薄暗い。駅が近くなると照明が一瞬消えていた昔の銀座線を思い出す。

Buenos Airesの街

Buenos Airesの町並みは、南米の他の都市と同様、碁盤の目。碁盤の目の町並みと言えば、京都や札幌や、New Yorkもあるが、Buenos Airesはもっと徹底している。1つのブロックは100m間隔になっている。道は細いCalleという道が4本続くと次はAvenidaという大通りがある、というように規則的に出来ている。Calleは一方通行で隣のCalleとは向きが違うというように互い違い。番地も1〜100が1ブロック、というように極めて規則的。帰りの飛行機から夜景を見たが、飛行機から見ると、この碁盤の目が非常によくわかる。

1日目の2004年10月19日(火)はRetiro地区からFlorida通りを見て、Puerto Madero地区で夕食を食べた。2日目は中心部を見て、Boca地区まで足をのばし、3日目はRecoleta地区、Palermo地区を見た。ちょっと歩けば一回りできる街ではなく、いくつかの地域に分かれている。歩いてみると、それぞれの地域で結構雰囲気が違っていておもしろい。

Retiro地区

 

私が泊まったホテルがあるのはRetiro地区で、San Martín広場や鉄道駅のRetiro駅があり、空港からの交通の便も良い。

San Martín広場とアルゼンチン空軍広場(Plaza Fuerza Aérea Argentina)

非常に立派な広場で、公園のようになっている。片一方が高く、もう一方が低くなっている。低くなっている方がアルゼンチン空軍広場(Plaza Fuerza Aérea Argentina)というようで、英国塔という塔が立っている。これはイギリスからの移民がたてたものだそうだ。

英国塔の横にはRetiro駅があるが、これも立派な建物。

中心部(San Nicolas地区、Monserrat地区)

Frolida通り

Retiro地区のSan Martín広場からFrolida通りという歩行者天国の道がずっと続いていて、ここが一番の繁華街らしい。たくさんの店があり、たくさんの人が歩いていて賑やか。Buenos Airesに着いて歩いてみたが、前を歩いている人が突然振り返って後ろを気にしたり、なんだかあまり治安が良くないような雰囲気。まあ、人通りが多いので安心感はあるが。この通りと直角に走っているAvenida CorrientesやCalle Lavalleも人通りが多く賑やか。

Plaza de Mayo

Buenos Airesの中心部とも言える広場で、5月広場という意味。地下鉄の起点となっていて、ここから3つの地下鉄が始まっている。道もここから大きな通りが広がっている。

1日目の2004年10月19日(火)に横を通った際には、夜だったので誰もいなくて薄暗く、ちょっと怖かった。ここに限らないのだが、Buenos Airesは街灯が少ないのか道が広いのか、夜は非常に暗くなり、ちょっと怖い。

2日目の昼間に行くと観光客や観光客目当ての物売りも多く、賑やかだったが。

大統領府La Casa de Gobierno

Plaza de Mayoの端にあり、ピンク色なので、Casa Rosadaとも呼ばれているそうだ。

Avenida 9 de Julio

Avenida 9 de Julioのビデオ(Real Media形式)

 

7月9日通りという意味だが巨大な通りで、片側だけでも8車線くらいある。交差点で見ていると、広告をやっている人がいる。どういう事かというと、信号が赤になると、止まっている車の前に出て行き、持っている広告板を頭上に掲げて、止まっている車に見せる。信号が変わると赤になった方に移動する。なかなかおもしろいアイデアだと思った。何人かのチームでやっているのだが、車の前に出るときや広告を掲げるときはいちにのさん、という感じで動作をそろえてやっている。

国会議事堂Placio del Congreso Nacional

Plaza de Mayoからは地下鉄A線で行くことが出来る。前は広場になっていて、ベンチにはたくさんの人が居る。

ごみ

夜に街を歩くと、ごみをあさっている人が結構いる。あさっているなんて言う簡単なものではなく、相当本格的なもので、自分の周り半径3mくらいにゴミを集め、真ん中に座って何かやっている。何かを見つけているというよりもより分けているように見え、相当真剣にやっている。あれはいったい何なんでしょう?

Puerto Madero地区

Puerto Madero地区というのは、Buenos Airesの港沿いの地区で、再開発をされたのか、立派なHiltonが立ち、レストランが並んでいる。水面にライトが映え、「ベイエリア」というようなしゃれた雰囲気を醸し出している。

Buenos Airesに着いた2004年10月19日(火)の夜、ここで夕食でもとろうと行ってみた。

Puerto Madero地区へ渡る大通りは全く人通りがなく、薄暗い。最初に行ったときは本当にここで良いのかとても不安になった。薄暗い大通りを歩いていると、旅の疲れが出てきたのか、突然鼻血が出てきた。そのため、しばらく待機を余儀なくされた。

夜風に当たりながら少し休んで、気を通り直して道路を渡る。薄暗い水面にライトが照らされ、水を横に見ながらの道はなかなか雰囲気がよい。凝った形のオブジェのようなものや、橋がある。

しかし、ここも人通りがほとんどない。雰囲気はよいが、治安は大丈夫なのか?と歩いていると、通りに面したレストランには人がいっぱい入っている。みんな結構静かに食事をしているので、人が居るのに気がつかなかった。

少し行ったり来たりして、空いているがきれいな店に決定。一人だと告げ、席に案内される。イケメンのウェイターが来て、メニューは何にしようかと思ったが、アルゼンチンと言えば、当然ステーキでしょう、ということで頼む。サラダも頼んだ。飲み物は何にするかと聞かれ、赤ワインが飲みたいのでどれが良いか聞くと、1つの銘柄を選んでくれた。

背の低い丸いボトルに入ったワインが来て、飲んでみるとなかなか良い。これまたMendoza製。ウェイターがうまいか聞くので、うまいと答えると、あちらもにやっとして、親指を立てて答えてくれた。

さて。サラダを食べると、いよいよステーキ。予想はしていたが、でかい。誇張ではなく、正確にだが、ステーキは、幅約7cm×長さ約20cm×厚さ約3cm。ブロック肉のよう。欧米のようにでかいだけで大味なのかと思ったが、表面はぱりっと焼いてあり、塩味もとても加減良くつけてあり、うまい!

赤ワインとともに全部食べて、相当苦しくなった。でも、デザートも食べた。気分良く帰ろうとしたら、ウェイターに「シェイシェイ」と言われた。中国人ではないんです。

Boca地区

Buenos Aires2日目の2004年10月20日(水)は、Boca地区まで足をのばしてみた。Boca地区は、Buenos Airesの古い港があった地区らしい。

San Telmo地区を通り過ぎて行くと、何もない住宅街となり、工場のようなものも多くなってくる。さらに歩き続けると、サッカーチームBoca Juniorsの本拠地Bomboneraが見え、その横を通り過ぎるとCaminitoという画家が集まる小道に出る。地下鉄も通っていないので、がんばって歩いていったが結構距離があり、バスで行けば良かった。

Boca Juniors

Buenos Airesには2つのサッカーチームがあるが、Boca Juniorsはどちらかというと労働者階級に人気があるチームらしい。

サッカースタジアムは、治安があまりよろしくないらしく、試合がある日は近づくな、とガイドブックには書いてある。しかし、近づいてみたら試合の日だった。

試合が始まるよりも結構早い時間から、チームのユニフォームを着た若者(男性ばかり)が集まっている。周囲も彼らに対してバーベキューを売る店が出たり、警官が交通整理をしたり、賑やか。日本語で「ボカ命」と書いたユニフォームを着た若者もいた。

Caminito

 

Bomboneraを過ぎてしばらく歩くと突然Caminitoと呼ばれる小径になり、道ばたで絵をたくさん売っている。観光客も多い。最後まで行くと港に出る。港に出たあたりはタンゴを踊るパフォーマーがいたりして、賑やか。中国人観光客がバスで乗り付けていたが、特に長い間見るようなものでもないように思った。行って帰れば十分な気がした。

San Telmo地区

San Telmo地区はBuenos Airesの中でも古い雰囲気を漂わせている地区で、道も石畳だったりする。Buenos Aires2日目の2004年10月20日(水)にBocaへの行き帰りに通過した。歴史的な町並みを保存しようともしているようで、看板などで建物の由来が説明されている。カフェやレストランもあり、観光客にはおもしろい。

ステーキ

San Telmo地区を歩いていて、昼食をどこでとろうか考えていたら、年配の男性に小さなチラシをもらった。チラシにメニューが書いてある。見ると、ステーキの店らしい。ねだんも極めて安いようなので、入ってみた。ちなみに、こうやってメニューが書いた小さなチラシを配るレストランは結構多いようだ。

店の中にはいると、安食堂のようにビニールのテーブルクロスが机に貼られ、全体的に脂っぽくくすんでいる。しかし、結構混み合っている。店の片側の壁側には、幅3mくらいある大きな肉焼台のようなものがあり、上に大きな排気用の煙突がついている。そこに愛想の悪そうな男が陣取っており、注文が入るたびに200〜300gぐらいある肉のかたまりをつかんでは焼いている。テーブルに来たウェイターにステーキとコカ・コーラを頼んだ。コカ・コーラはサイズを聞かれたので普通の奴らしきものを頼んだが、ウェイターが冷蔵庫の前に戻り、1.5Lくらいのペットボトルを出して、本当にこれで良いのか、と聞くので、あわててPequeño!(小さいの!)と言うと、笑って普通のサイズの瓶のものを出してくれた。

出てきたステーキは、大きさもでかく、焼き具合も味付けも非常に良く、とても満足した。値段も庶民的。

タンゴ・ショー

Buenos Airesと言えば、タンゴ。ということで、タンゴを見に行こうと思った。といっても、どうやってみればよくわからない。観光客向けのものから、地元の人向けのものまであるらしい。時間があればいろいろ比較できるのだが、厳しい日程なので、1回見るのが精一杯。

2004年10月20日(水)の午前中に、Florida通りのTourist Informationに行って若い女性にタンゴを見たいと相談した。観光客向けのものから伝統的なものまでいろいろあるということだったが、ツアーに参加するのが良いということになり、Buenos Aires Visionという旅行代理店の場所を教えてくれた。でも、ちょっと自分の英語能力が落ちていて、今一会話の理解度がよくなかった。最後にどこから来たのか聞かれたので、またスペイン語で日本からだ、と答えてTourist Informationを出た。

教えてもらった旅行代理店はObeliscoの近くのEsmeraldaという通りにあるので歩いていって、そのあたりらしきところに行くが、ただのビル。入り口が閉まっていたが、中の人に開けてもらい、旅行代理店に行くと言ってエレベーターに乗る。このエレベーターも自分で扉を開閉しなければならない映画に出てくるような代物。8Fに上ってみると、それらしき部屋があるのだが、特に看板もない。とりあえず、閉まっているドアをノックしたが反応がないので、あきらめて帰ろうとするとドアが開き、若い男性が出てきた。「わかりにくいね。」と言うと「そうなんだ」というと中に入れてくれた。中はまるっきりただの事務所で入り口にカウンターらしき机があり、そこに座った。

タンゴショーには、食事付きのものと食事なしのものがあるというので、食事なしのものにした。値段は$105。ホテルまで迎えに来るとのこと。その場で現金で払った。

夕方ホテルに戻ってから疲れて寝てしまい、起きたのが送迎間近の時間。身支度を整え、ホテルのロビーで待つと、時間を少し過ぎて送迎の運転手がロビーに呼びに来た。車に乗ると、すでに別の客も乗っていた。車で着いたのはSan Telmo地区のEl Viejo Almacenという店。中にはいると既に席が決まっていて、私の席はステージに向かって左側の後ろの方の壁側の席。座るとシャンパンを渡される。カメラマンが客の写真を撮っている。よくあるパターンで帰り際までに焼き付けて良い値段で売ろうとするものらしい。ある客は写真を撮ろうと言われ、"No Obligation?"と念を押してから撮ってもらっていた。私のところへは一人だったせいかカメラマンが来なかった。しかし、近くの客に写真を撮ってくれと言われて写真を撮ったり、私も撮ってもらったりした。

さて。ショーの内容は・・・。あんなものでしょう。スペインのSevillaで見たフラメンコの件があったので、あまり期待しないで見たが、ある意味期待通りで、良くも悪くも観光客向けのもの。まあ、それはわかっていたので、それはそれで楽しめた。非常に「かっこつけ」な踊りですね。ある程度滞在期間がわかればいろいろ見て比較できるのでしょうけど、短期間では治安も含めて土地勘がないので、なかなか難しい。

ショーが終わって店を出ると、人混みの中でまたホテルの行き先を呼ばれ、車に乗り込み、出発。送迎付きは楽は楽。車の運転席の横には、「ツアー料金にチップは含んでいない」としつこく書いてある。しかし、行くときはチップを払わなかったし、チップはやはりよくわからない。

Recoleta地区

 

Buenos Aires最後の3日目の2004年10月21日(木)にRecoleta地区へ行ってみた。南のほうに行ったSan TelmoやBocaが下町という雰囲気であるのに対し、Recoleata地区がある北の方は、高級住宅街といった地区らしい。

夕方にはEzeiza空港から帰らなければならないので、朝ホテルをチェックアウトして荷物を預けた。大通りAv. 9 de Julioを渡り、Av. Alvearという通りを歩いていったが、明らかにこれまで見た地区と雰囲気が違う。建物もきれい。Buenos Airesは「南米のパリ」と呼ばれていると聞いていたが、それまではあまりそうは思っていなかった。ゴミあさりもいるし。しかし、この地区にいると、本当にパリにいるように感じる。

レコレータ墓地(Cementerios Recoleta)

Recoleta地区の目的地は墓地。なんで墓地なんか、という気がするが、これが観光地になっている。

墓地は刑務所のように高い塀で囲われているので、入り口からしか入れない。入り口には、誰の墓がどこにあるか示した地図がある。それぞれの墓は、小さな館のような形になっていて、肖像や、死んだ日やいろいろ書いてある。人気がある人の墓には人だかりがしている。

SIDA?

墓地を出ると、小さな露店のようなものがいくつかあって人が出ている。歩いていると話しかけられ、"SIDA"と書いてあるチラシを渡された。絵を見ても何となく言わんとすることはわかったのだが、説明によるとこれは英語で言う"AIDS"のことらしい。寄付を求められたので、少々国際貢献しておいた。「日本の小銭を持っている?コインを集めているのだけど。」と言われたが、残念。ホテルに預けた荷物の中でした。

レストラン街

墓地の周りは、レストラン街になっていて、しゃれた店が並んでいる。少し早かったがそのうちの1つに入った。アルゼンチンのレストランでは最後の食事になると思ったので、また牛肉がメインのコースを注文。十分に堪能した。

Palermo地区

Recoletaで昼食を食べた後は、さらに北のPalermo地区を目指した。結構距離があるので、地下鉄D線の駅まで歩くことにした。しかし、これも結構距離がある。地図を見ると、1ブロックが100mなので距離はすぐにわかるのだが。ようやく地下鉄駅まで着いてD線でEstación Plaza Italia駅まで行った。

動物園(Jardín Zoológico)

Palermo地区の目的地は動物園。地下鉄駅D線Estación Plaza Italia駅で下車して地上に登ると、結構人が居る。流れに乗って歩いていって、動物園の入り口に着いた。

動物園の内部には追加料金がいる地域もあるようで、それに入れるかどうかでいくつか入場料金があるようだ。迷ったときは一番高いやつ、というルールに従って、Passaporteという$9.90のものを買った。

中に入ると雰囲気は日本の動物園と変わらない。しかし、日本の動物園と大きく考え方?が異なるのは餌をやれること。柵のところどころに、中にいる動物へ餌を流してやることが出来る滑り台のようなものが着いている。それもあって、人間が柵の近くによると、餌をくれるのかと思って中の動物も寄ってくる。

チリのSan Pedroで見た動物も含めて観察して、復習した。そのほか、追加料金が必要なところとして、植物園のようなところや、爬虫類館、アシカなどの動物がいるところなどを見て回った。これらは"Passapote"があれば、見せるだけで入れる。

ゆっくりと動物園を見終わると、再びホテルに向かった。

出発

ホテルへ

2004年10月21日(木)にPalermoの動物園を出ると、地下鉄のD線で中心部に戻った。C線に乗り換えて、Retiro地区まで行って駅をちらっと見た。

San Martín広場近くで両替所があったので、両替をした。この両替所は、最初の窓口でUS$を渡して番号札をもらい、次の窓口で番号が呼ばれて$をもらうというもの。2週間の旅の成果か、スペイン語で番号を呼ばれたのが理解できて、満足。

ホテルに戻り、荷物を受け取ると、レミースを呼んでもらい、Ezeiza空港へ向かった。

Ezeiza空港

Ezeiza空港に到着し、アメリカン航空のカウンターに向かったが非常に混んでいる。南米であまりテロを気にすることもないと思うのだが、アメリカへの便は違うらしい。カウンターに行く前に、荷物のチェックをしている。私の順番が来て、男性と女性の二人組にいろいろ英語で説明された。よくわからなかったので、もう一度説明してくれるように頼んだら、「えっ、全部?」と言われてしまった。すみません。私は荷物のチェックはしなくて良いと言われたが、チリからアルゼンチンに来るときに参加したツアーCruce de Lagosのプラスチック製のタグがとれなくて困っていたので、はさみを借りて外した。

受付に行くと、カウンターの女性は非常に陽気な若い女性。"Hi, How are you today?"と言うので、教科書通り、"Yes, and you?"と答えると、"Yes, very good!"という調子。

チェックインを済ますと、裏表に英語、スペイン語で書かれた紙をもらった。英語で書いてある側を見ると、「チェックインの後に、出国税US$18を窓口で払うのを忘れるな。」と書いてある。そこで、窓口に行って支払った。$で払うというと、$53.28だった。しかし、その後飛行機に乗るまで、この税金を支払ったかどうかは全然チェックされなかった。アルゼンチン国内の空港ではいつも税金の窓口があったが、もしかしていつも払わないといけなかったのでしょうか。

荷物チェックを終えると、まだ時間があるので、軽食カウンターに行って、余った$で、ワインとEnpanadasを注文して食べた。Enpanadasはいくつか種類を試してみた。

免税店でおみやげにワインを買い、時間になったので搭乗口に行った。搭乗するときに、再び係員がセキュリティ関連の質問をしている。係員は若い女性で、"English?"と聞かれた。少々酔っぱらっている事もあって、"Japanese is better."と回答したら、なんと本当に「ダレカニ、ニモツヲ、アズケラレマシタカ?」と日本語で聞かれた。"I was surprised!"と言うと、フフフと笑っていた。

Dallas Fort Worthへ

Ezeiza空港を21:25発のAA996便でDallas Fort Worthへ出発。11時間くらい飛行機に乗って、翌10月22日(金)の6:00過ぎに到着した。

南米に行くときは髭が伸びきってしまったので、今回はDallas Fort Worth空港のトイレで、顔を洗い、髭を剃った。しかし、洗面台で隣にいた男は上半身裸でかなり真剣に洗っていた。

成田へ

10月22日(金)の10:10発のAA175で成田空港へ出発。さらに12時間くらい飛行機に乗って、翌10月23日(土)の14:00過ぎに到着し、成田エクスプレスで新宿まで行って中央線に乗り換えて帰った。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで