スロバキア

最終更新日 2018年4月22日

ブラチスラバ

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国について

国の概要

国の概要
国名スロバキア共和国、Slovak Republic(英語)
国土国土の大半はカルパティア山脈の西端の山地、南部に平野。
気候地域によって異なる。Cfa、Cfb、Dfb
人口548万人(2012)
民族スロバキア人86%、その他、ハンガリー人、ロマ、チェコ人。いわゆる「白人」しか見ない。
宗教カトリックが7割、その他、プロテスタント、ギリシャ正教。
首都ブラチスラバ(Blatislava)
ブラチスラバは国土の西端にあって、人口が集中している。
経済状況一人あたりGDP22,040ドル(2009)
時間中央ヨーロッパ時間(GMT+1)、ただし夏はサマータイムで1時間繰り上がる。
国番号421
観光客133万人(2010)。

言語

インド・ヨーロッパ語族スラブ語派のスロバキア語。同じ国だったチェコ語とは会話可能とのこと。

スロバキア語
こんにちはDobrý deňドブリー・デニュ

通貨

2009年からユーロ€。補助単位はユーロセント。

チップ

良いサービスを受けたときには、くらいか。

ビザ

日本人は90日間まで必要ない。

歴史

「チェコスロバキア」という国の記憶があるが、ソ連崩壊後の1993年にチェコとの連邦を解消。

関連リンク

Wikipedia

スロバキア

在スロバキア大使のエッセイ「HOTスロバキア、ホッとスロバキア~スロバキア小さな旅~」

現地の文化が生き生きと描写されていて面白い。ブラチスラバ・ロール寿司開発の話など。

Blatislava(ブラチスラバ)

ブラチスラバはスロバキアの首都。ブラチスラヴァとも表記される。首都にもかかわらず国土の西端のドナウ川沿いにあり、ウィーンにも近い。ウィーンの空港からも直行バスが出ている。

中欧・西欧旅行の2都市目として、2017年8月14日(月)の早朝に寝台列車でポーランドのクラクフから到着、1泊してオーストリアのウィーンに船で出発した。

観光したのが月曜日で、美術館・博物館は軒並み休みで残念だった。

Wikipediaのブラチスラヴァの情報

到着

2017年8月13日(日)、ポーランドのクラクフ本駅から22:02発のブダペスト/ウィーン行きの夜行列車IC/ENでスロバキアのブラチスラバに出発。

出発したクラクフ本駅の切符売場はいつも長蛇の列だったので、2日前のウィエリチカ岩塩坑に行った日に切符は購入済みだった。それが良かったようで、クシェットは満室。イギリス人の若い女性二人組と、スペイン人の若い男性、そしてスイス人の若い男性二人組。この若者達が親しげに会話を楽しんでいるので、ちょっと疎外感。

早々に寝たものの、終点まで行かずに途中下車なので緊張していたこともあり、あまりよく眠れなかった。列車はポーランドを出てからチェコを通ってからスロバキアに入るが、国境を越える2回の前の駅で、入国手続が行われるわけでもないのにそれぞれ結構長く停車する。

朝5:00くらいに起きてしまったが、Googleマップで位置を確認してもまだまだ着きそうにない。ようやく6:00くらいに車掌が起こしに来て、同じくブラチスラバで降りるスイス人二人も起きた。結局、定刻の5:36を1時間ほど遅れてブラチスラバ中央駅に到着。

駅を出てトラムで市内へ。駅前がバス乗り場になっているのにトラムが走っておらず、しばらくよくわからなかったが、トラムの乗り場はとなりの一段低いところにあり、一度出た駅に戻って構内を通って降りなければならなかった。

切符は乗り場に自動販売機があるが、有効時間によって細かく分かれており、これも戸惑ったが一番短い15分以内、0.70€のものを買った。初めて行くところだと、どのくらい時間がかかるかわからないと思うのですが。

中欧・東欧らしく、自分で切符にパンチする形式。

SNP広場を過ぎた辺りでトラムを降り、Hotel Avanceまで歩いていって荷物を預けた。

宿泊

Hotel Avance

2017年8月14日(月)~8月15日(火)に宿泊。

朝7時ごろに着いたので、チェックイン時間を聞いたところ、やはり14:00だというので荷物だけ預けて一旦観光に。

旧市街のドナウ川近くにある。旧市街の中心に近い、というか、旧市街は狭いのでどこでも近い。

部屋はとても広くて快適だったが、広いせいか、入口から離れたベッドのあたりはWi-Fiの電波がちょっと弱かった。

ブラチスラバの旧市街

観光した2017年8月14日は月曜日、美術館、博物館はすべて閉館で、ちょっと残念。

早朝から歩き回って、何も無いと思ったブラチスラバの街ですが、目立った建物こそ少ないもののヨーロッパの街並みとして美しく、適度に観光地化されていて店のサービスも良く、のんびりとした良いところでした。

白人の比率が高く、黒人や東洋人はほとんどみません。

青の教会(Kostel sv Alžbety)

ブラチスラバへの到着が朝早かったため、街をてくてく歩いて、青の教会まで。20世紀の初めに建てられたと言うことでそれほど古い教会ではないし、小さい。様式としてはアール・ヌーヴォーとのこと。

フラヴネー広場と旧市庁舎(Stará radnica)

ここが街のへそ、中心と言うことになるが、のんびりとしている。朝早いから?

ミハエル門(Michalská brána)

かつてのブラチスラバは城壁で囲まれていて、これはその名残。ゴシック、ルネッサンス、バロックと時代ごとの影響を受けてきた。

ブラチスラバ城(Bratislavský hrad)

丘の上にあり、一応ブラチスラバ観光の華ということになるが、地味ではある。建物の構造もテーブルをひっくり返したようでシンプル。

建物が並ぶ中の坂道を登っていくと、門があり、それを通り抜けていくと丘の上に出る。建物は近くで見てもやっぱりシンプル。横には庭園があり、きれいに整備されている。

建物自体よりも、この丘からの景色が良い。ドナウ川沿いに広がった街がよく見える。

聖マルティン教会(Katedrála Sv. Martina)

これもブラチスラバ観光の華の一つか。ブラチスラバ城がある丘の麓にある。3廊式のゴシック形式とオーソドックスなもの。時間が有り余っているので、超ゆっくり見学。

UFO

時間が有り余っているので、カフェでチーズケーキとエスプレッソで休憩。

ブラチスラバ城の丘から見えたUFOに登ることにした。これは橋のたもとにあるタワーで、展望台がUFOが飛んでいるように見える。

タワーに行くには橋を渡る。車道とは別に歩道が設けられている。

入口で7.40€払ってエレベーターで登る。100mに満たないが、"THE SMALLEST FROM THE GREATEST TOWERS IN THE WORLD"と標語が書かれ、他のタワーと張り合っている。内部には東京タワーを始め、他のタワーの紹介が掲示されていて、小さいが心意気を感じる。周囲にそれほど高い建物がないので、景色は良い。

ビールとブリンゾベー・ハルシュキで昼食

ようやく、ようやく昼時になったので、ブリンゾベー・ハルシュキとビールで昼食。このブリンゾベー・ハルシュキというのはスロバキアの郷土料理で、すり下ろしたジャガイモと小麦粉をゆでて作ったダンプリングと牛乳で溶いた羊乳のチーズソースを絡めたもの。在スロバキア日本国大使の新美大使がその魅力?をコラムで語っている。味としてはカルボナーラに似ている。要するにかなりこってりと重いが、おいしく、ビールとはぴったり。

夕食

昼食後、ようやくチェックインしてシャワーを浴びたら、疲れとビールの酔いと満腹感で寝てしまい、あっという間に夕食の時間に。

繁華街というか、レストランが多い区画が2-3ブロックあり、レストランで白ワインと豚肉を食べて就寝。

出発

到着した翌日の2017年8月15日(火)に、ドナウ川の双胴船でオーストリアのウィーンへ。

ブラチスラバとウィーンは近く、バスが最も効率的な移動手段。ウィーン空港とブラチスラバの間も空港バスで結ばれているくらいだが、せっかくなので船での移動を選んだ。

朝食後にホテルをチェックアウトして、Twin City Liner社の双胴船でウィーンへ出発。

切符は予め、日本でウェブで予約・印刷してあった。しかし、乗り場がすぐにはわからなかった。ブラチスラバには建物がある船着き場があるが、Twin City Liner社の乗り場はここではなく、もっと上流のUFOがある橋に近いところ。

朝の便なので船が待っているのかと思ったらなかなか来ず、列に並んで待つ。時間ぎりぎりに到着して乗り込み、定刻の10:30より少し遅れた10:37にウィーンに向けて出発。

出発してしばらくして、窓から見える丘(写真)がかつてのウィーンとブラチスラバの境界だったとのこと。

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