ニュージーランド

最終更新日 2019年5月31日

クイーンズタウンからタウポへの道

ニュージーランドは、オーストラリアの東にある島国。北島と南島からなる。

2018年にニュージーランド・カナダ旅行で訪問。

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国について

国の概要

国の概要
国名ニュージーランド、New Zealand(英語)、Aotearoa(マオリ語)
国土主に北島(きたじま、ほくとう)と南島(みなみじま、なんとう)からなる。環太平洋造山帯の一部を無し、北東には火山がある。
気候Cfb
人口約495万人(2019)。南島より北島に人口が集中していて、北端に近いオークランドに1/3が集中する。マオリも北島に多い。
民族ヨーロッパ系68%、先住民マオリ人14%、アジア系9%など。
宗教キリスト教56%(聖公会14、カトリック13、長老は10など)
首都ウェリントン。オークランドが最大都市だが、北にありすぎる。
経済状況一人当たりGDP(PPP)40,266(2018)
時間UTC+12
観光客249万人(2010)

言語

公用語は英語とマオリ語。2006年からは手話も加わったらしい。オーストラリア同様、英語の発音は母音がちょっと違うのがわかる。Kia Oraというマオリ語の挨拶は、看板や空港のアナウンスでよく遭遇する。早口でいうと「きょおらああ」のように聞こえる。

通貨

ニュージーランド・ドル(NZD)。

クレジットカードがとても普及していて、支払のデフォルトはクレジットカードな感じで、レジには客に向けてクレジットカードの端末がどんと正面に最初からおいてある。ただ、クレジットカードの手数料が取られたりする。

1NZD=77.374~78.332円

チップ

お隣のオーストラリアと同様と思われるが、チップは不要。素晴らしい。

ビザ

短期滞在なら日本人は不要。

歴史

歴史が浅い新しい国で、イギリスの自治領から独立したのは1947年と第2次世界大戦後のこと。博物館に行っても展示はあっさりしていて、遺跡などの展示もない。

8~12世紀ごろ(資料によってまったくいろいろ)にポリネシア系のマオリが到達した。これも、世界的に見れば人類の到達時期は最後に近い。お隣のオーストラリアでは早い段階からアボリジニがいたのとは対照的。マオリたちは熱帯の島と異なる温帯のこの島で、生活を変化させて適応し、飛べない巨鳥モアを狩った。しかし、モアが絶滅してしまい、さらに生活習慣を変えていく。その後1830年代にヨーロッパ人の入植が進み、1840年の

ワイタンギ条約でマオリとイギリスの合意によってイギリスの主権が確立される。しかし、この条約は英語とマオリ語で微妙に表現が異なり、問題を残すことになり、その後イギリス政府とマオリの間でマオリ戦争を引き起こす。この戦争はイギリスの勝利に終わり、マオリは少数民族の立場に置かれるが、近年はマオリ語が公用語に加えられるなど、見直しが図られている。移民が増えた時期もオーストラリアよりは遅く、オーストラリアほどは先住民との関係が悲劇的では無かった印象。

人間が渡った時期からはアイスランドとあまり変わらない時期で、先住民がいる中で新住民が増えていった時期は北海道とあまり変わらない感じ。

1850年代に一次的にゴールドラッシュが起きて盛り上がったりするが、20世紀になると主要な市場としていたイギリスがEUに加盟するなどで輸出の競争力を失ってしまい、新自由主義的な経済改革を行って現在に到っている。こうした経済の浮き沈みがニュージーランドへの移民の数にも大きく影響している。

現在では観光も主要な産業の一つで旅行していると中国語が目立つ。

生態系

長く孤立していて、もともとコウモリとクジラ以外、哺乳類はいなかったため、地上の巨鳥モアも含め、鳥類が繁栄していた。これは恐竜が滅びて哺乳類が発展する前にゴンドワナ大陸を離れたからだとか、その後一旦水没したからなどという。しかし、人間が哺乳類を連れて到来してから絶滅あるいは激減してしまった。現在では厳しい検疫が行われているが、相当数の外来種が人為的に持ち込まれている。国立公園こそ森林で覆われているもの、それ以外は意外と木が少ない。そして、下草も含めてシダが多い気がする。人類がニュージーランドに到達した時点では国土の85%が森林に覆われていたと考えられているが、現在では25%まで減少してしまった。酪農、牧畜のための草地が多い。

食事

これといった名物料理があるわけでもないが、レストランで食事しても美味しい。ラム肉も普通に食べられる。ただし、全体的にこってりして重い。そして高い。日本の倍はする印象。

街ではフィッシュ&チップスが多く食べられているし、ホテルの朝食でもスモークサーモン、ベイクト・ビーンズ、マッシュルーム、焼きトマトが出て来るくらいにイギリス的。レストランで"Tap Water"がいるか聞かれ、頼むとただで水が出て来る。だが、パブもそれほどたくさんあるわけではない。ハンバーガーは有名チェーン店も含めて多い。日本でいうフレンチフライもChipsではなくFriesとメニューには表記されていた。

さらに、紅茶ではなくコーヒーが主流で、エスプレッソ一本槍のヨーロッパと違って、Flat Whiteというミルクを持ったコーヒーが幅をきかせている。食後にこれを頼んでもOK。

また、SUSHIをはじめ、タイ料理、ベトナム料理、印度料理、カンボジア料理といったエスニック料理も多い。その傾向は大都市の方が強い。

営業時間は"till late"という表現があり、客がいなくなったら適当に閉めるということらしい。

交通

基本的に車社会で、都市間交通もバスが発達している。高速道路ではない普通の道もすぐに速度規制が100km/hだったりするので、結構流れは速い。たまに山をつらぬくトンネルや川を渡る橋があるが、そこだけ一車線になっていて、両側から来た車が交代で通っている。交通量が少ない場合には合理的な方法かも知れない。

北島も南島も鉄道は走っていて、観光客向けの列車が走っている。北島でウェリントンとオークランドを結ぶ"Northern Explorer"に乗ったが、食堂車も連結しているし、とても快適だった。

航空網も発達していて、主要都市間は頻繁に便がある。面白い?のは、国内線ではどうやら保安検査が省略されていることがあること。感覚的には船に乗るような感じ。

市内の交通もバスが中心。均一料金というわけではなく、行き先を告げて運賃を払う必要がある。現地の人はICカードを使っているが、短期滞在には割高だし、一日乗車券のようなものもほとんどない。停留所のアナウンスはなく、クライストチャーチに到ってはどうやら停留所の名前もない感じ。なお、オークランドでは地下鉄を作ろうとしているらしい。

通信

日本ほど環境は良くない。移動していると街中以外では結構圏外のことがあった。また、ホテルでも有料だったり、通信量の制限があったりする。オークランド国際空港に着いたときにSPARKのSIMカードを買ったが、これで結構助かった。

電源

コンセントにスイッチがついている。

関連リンク

Wikipedia

ニュージーランド

クイーンズタウン(Queenstown)とミルフォード・サウンド(Milford Sound)

南島のワカティプ湖のほとりにある小さな街で、人口は2-3万人ほどだが、観光の拠点となる街なので多くの観光客が訪れ、レストラン等も充実している。かつてほんの一瞬だけ、ゴールドラッシュが起きて、盛り上がったことがあるという。南緯45度ということで、チリのプエルトモンアルゼンチンのバリローチェを抜かして訪問した南限を更新。山頂には雪が積もり、落葉樹の葉は黄色、滞在中ほとんど冷たい雨が降っていたこともあり、晩秋というか初冬だった。

ニュージーランド旅行として、2019年4月28日(日)に飛行機で羽田からバンコク経由で到着して2泊。4月29日(月)にはミルフォード・サウンドへ日帰り。4月30日(火)にクライストチャーチへ出発した。

Wikipediaのクイーンズタウン

Wikipediaのミルフォード・サウンド

到着

ニュージーランド旅行で日本から最初に到着。バンコク経由でオークランドへ、そして国内線に乗り換えて一気にクイーンズタウンまで。

バンコクへ

一週間前から荷造りをはじめて、2019年4月27日(土)は朝早めの出発。例によって中央線が遅れて、出発2時間前を切ったところで羽田空港国際線ターミナルに到着。羽田空港では初めて顔認証のゲートを通った。また、パスポートへの出国スタンプは省略となっていた。

タイ国際航空TG683のB747-400で羽田空港を10:35発。結構待ち時間が長く、離陸したのは11:00くらい。沖縄あたりを通るとき気流が乱れて1時間ぐらい揺れ続けた。タイのバンコクスワンナプーム国際空港に15:05に着陸したが、ここでもゲートに着くまでに結構時間がかかって、途中待機の時間もあった。飛行機を降りた瞬間、むわっとする暑さ。

オークランドへ

スターバックスで時間をつぶしてから、タイ国際航空TG491のB787-9でタイのバンコクスワンナプーム国際空港を18:45発、翌28日の10:30にニュージーランドのオークランド国際空港に到着。入国審査では滞在目的や期間などをそれなりに聞かれ、税関でも食べ物を持っていないかなどいろいろ聞かれ、申告がないGREEN LANEに進んだが、次の荷物受け取りで、荷物を受け取ったら税関の制服を着た女性に呼び止められ、また滞在目的から始まって、仕事も聞かれ、帰りの飛行機のチケットを見せろとか、直行便があるのに何でバンコク経由なのかとか非常に細かく聞かれ、抜き打ちかも知れないが、ちょっといやな感じだった。人間はともかく、検疫はかなり厳しいようで、これをみたら通報しろというカメムシのような虫がの写真のポスターがたくさん貼られていた。

空港全体に中国語の表示がとても多い。到着ロビーに出て、無料バスに乗り、国内線ターミナルへ。雨がぱらついた。国内線ターミナルで、キオスクでチェックインし、荷物を預けた。キオスクは日本語表示も対応していた。SPARKという事業者のSIMカードを購入。

クイーンズランドへ

ニュージーランド航空NZ623のA320Dでオークランド国際空港を14:25発。乗ってから待ち時間が長く、15:00頃に離陸。雲の上は(当然のことながら)晴れていたが、着陸に向けて雲の下を出ると雨。クイーンズタウンの周辺は山で、なぜか谷以外はあまり木が生えていない。川がいくつも見えた。定刻を40分ほど遅れて17:00頃ににクイーンズタウン空港に到着。土砂降りで、飛行機はタラップだったので、到着ロビーに行くまでに濡れてしまった。ひんやりとして涼しい。

受け取った荷物からウインドウレーカーと傘を取り出し、バスでクイーンズタウン中心部まで移動。Novotel Queentown Lakesideにチェックイン、

宿泊

Novotel Queensland Lakeside

2019年4月28日(日)~4月30日(火)に2泊。

街の中心部に近い。高層ビルではなく、リゾートホテルっぽい雰囲気。

ホテルとは関係ないが、荷物を開けると飛行機で預けた荷物に入れた液体石鹸のふたの閉め方が甘かったために噴出しており、原状回復に少々手間を要した。

クイーンズタウンの街

到着した4月28日は遅く、4月29日は終日ミルフォード・サウンドに行っていたので、ほとんど街の観光は出来なかった。ただ、街自体は小さく、生活感があると言うよりも、観光客向けのホテルとレストランの街という印象。また、到着してからずっと雨が降っていて、ようやくきれいに晴れたのは出発する4月30日だった。観光情報で見るととてもきれいな景色なのに。

着いた4月28日に外に出て夕食にラムを食べた。外は雨が降り、息が白くなるほどで、冬のようだった。

ミルフォード・サウンド

ニュージーランドで有名な観光地で、この一帯は「テ・ワヒポウナム-南西ニュージーランド」として世界遺産になっている。

Wikipediaのテ・ワヒポウナム-南西ニュージーランド

2019年4月29日(月)、日本から予約してあったRealJourneyの日帰りツアーでミルフォード・サウンドへ。地図で見るとミルフォード・サウンドへの距離はクイーンズタウンからもより南のテ・アナウからも同じくらいに見えるが、クイーンズタウンからだと、U字型に大きく回って、テ・アナウを経由して行くので、片道4時間くらいかかる。

ホテルで朝食後、7:00に送迎に拾われて旅行会社RealJourneyのオフィスへ。日本人の係員がいて、チケットを受け取り、バスへ。バスは2台に分かれていて、17番に乗ることになった。運転手が運転中もいろいろガイドしてくれるが、緩急が激しい英語で本当にほとんど何を言っているかわからなかった。休憩時間など重要な説明もあるのに、他にもいろいろしゃべっているのでなかなか辛かった。

何回か休憩していったが、テ・アナウで長めの休憩。町の名前と同じテ・アナウ湖のほとりにある。天気は良くないが、良くないからか虹が架かっていた。テ・アナウのアウトドア・ショップを覗いたら、ラパラのミノーと大きめのスプーンを売っていた。

ここでバスの不調で乗り換えるアクシデント。より小さなバスで出発。

全体的に山には木が少ないが、テ・アナウを過ぎるとうっそうとした森が始まる。気候の違いなのか、人の手の入り方の違いなのか。切り立った崖から滝のように水が流れ落ちていて、いかにも氷河地形。この様子を見るには雨の方が良いかも。所々雪崩が起きるらしい。

往路もずっと雨が降っていたのに、ミルフォード・サウンドに着いたら晴れ。バスを降ると入江の一番奥で、船着き場がある。ただし、それ以外は何もない。船に乗ると予約しておいた弁当が配られる。ここから2時間のクルーズ。

サウンドというのは音ではなく、入江の意味らしい。典型的なフィヨルドで両側が断崖絶壁になっているが、かなり木が生えている。降水量が多いからだろうか。所々で水が流れ落ちて滝になっていて、船はそこに最接近する。

なんとなく入江の入口、つまり海に近づくほど浸食が進んで普通の山に近づいているように見える。

入口まで行って引き返すと、帰りはこんな風でも逆らって進めるのかというくらい、向い風がとてつもなく強かったが、無事船着き場に到着、再びバスでクイーンズタウンへ。

いろいろ調べると、サンドフライという恐ろしい虫がいるとのことで、タンザニア訪問時に準備した虫除けも備えて臨んだが、季節のせいか全然問題なかった。

帰りのバスも、ミルフォード・サウンドを離れるとまた雨に。テ・アナウで修理が終わった元のバスに乗り換えて8:00過ぎにクイーンズタウンに到着。いろいろあったのに運転手は結構スピードを出していて、あまりスケジュールが遅れずに終わった。街に到着前、初めて、星空がきれいに見えた。この季節なのにオリオン座がはっきり見えた。

RealJourneyの事務所でバスを降り、ホテルまで歩いて帰る途中でBlue Codという魚をレストランで食べ、ホテルに戻って就寝。

出発

2019年4月30日(火)に北上開始。クライストチャーチに向けて長距離バスInterCityで出発。

朝食後ホテルをチェックアウト。ずっと雨だったのに、ついに晴れている。緯度も高いせいか、日の出も7:00過ぎと遅い。夜明け間もない中、最後に湖畔まで歩いてワカティプ湖を見てから長距離バス乗り場へ。人だかりが出来ていたが、クライストチャーチ行きのバスはいくつか出ていて、既に止まっていたバスは違うバスだった。日本人が多く、バスの係員の1人も日本人女性だった。

後に来たクライストチャーチ行きのバスが予約したInterCityのバス。運転手はスマートフォンで登録されている乗客のチェックイン手続を行って行く。荷物を預けると、"That's all you have? Great!"と言われた。旅行していると「それだけ?」っていつも言われる。定刻の8:05過ぎに出発。

クライストチャーチ(Christchurch)

ニュージーランド第3の都市で、南島では最大都市。東日本大震災が起こった1か月ほど前に地震が襲ったことも記憶に残っているが、訪問する1か月程前にモスクが襲撃されて多数の死者を出すテロが起こった。行って見ると、のんびりとした地方都市でヨーロッパ系の人がほとんどで、なぜここでテロが起きたのかよくわからないところがある。

ニュージーランド旅行として、2018年4月30日(火)にクイーンズタウンからバスで到着して2泊。平成から令和への年号の移行をここで迎えた。5月2日(木)にウェリントンへ出発した。

Wikipediaのクライストチャーチ

到着

2019年4月30日(火)、クイーンズタウンのホテルを朝食後チェックアウトし、定刻8:05過ぎに長距離バスInterCityで出発。

クイーンズランドを出てからしばらくすると濃い霧の谷を進む。地面にたくさん霜が降りている。葡萄畑がたくさんあり、網のようなものがかけられているのは霜よけだそうだ。

バンジージャンプ発祥の谷を過ぎ、果物畑を過ぎ、いくつもの湖を過ぎ、昼にテカポ湖に到着。ここでクライストチャーチから来た反対方向のバスと運転手が入れ替わる仕組みで長めの休憩。1時間弱しかいられなかったが、雨男としては珍しく?きれいに晴れていて、トルコ石のような色の水が良く映えていた。しかし、ここも含めて、やっぱり木が生えていない山が多い。

テカポ湖で運転手だけでなく乗客も結構入れ替わり、さらに休憩しながら17:00前にクライストチャーチに到着。市内に入ると、廃墟のような落書きだらけのビルがいくつかあった。バスターミナルから歩いて、壊れた大聖堂の横を通って、Rendezvous Hotel Christchurchにチェックイン。

宿泊

Rendezvous Hotel Christchurch

2019年4月30日(火)~5月2日(木)に2泊。

クライストチャーチにはあまり多くない高層ビルで、壊れた大聖堂があった大聖堂広場に近い。周囲もレストランが多い。

チェックアウトはキーを返し、ミニバーを使っていないと言ったらそれでおしまい。全体的にニュージーランドのホテルのチェックアウトは簡素で、ありがちな必要以上に大きな明細書がない。頼めばくれるのかも知れないが。

クライストチャーチの街

到着した2019年4月30日(火)は夕方だったので、ホテルにチェックインして、近所のレストランで平成最後の食事にラムを食べた。スープから始まってデザート、コーヒーまで行ってしまい、95NZDも掛かってしまった。

シェアサイクルならぬシェアスケートボードのようなものが流行っているのか、よく見る。クライストチャーチでも見たし、オークランドでも見た。見る限りかなり華奢に出来ていて、動力はついていない?

CTV Earthquake Memorial Park

街の観光は、一泊した翌5月1日(水)の令和から。朝食後ホテルを出発。まずは大聖堂(Cathedral)に向かったが、地図で見るとCTV Earthquake Memorial Parkが近くにあるので立ち寄り。

CTVビルは2011年の地震ででフロアが落ちて崩壊し、多くの犠牲者が出た。特に語学学校があったためにニュージーランド人だけでなく、日本人や中国人の犠牲者が多かった。慰霊碑には日本語のメッセージや供え物が多くて今も生々しく、手を合わせた。

仮設大聖堂(Transitional Cardboard Cathedral)

街の中心になり、街のシンボルだった大聖堂が地震で崩壊したため、段ボール素材を使って仮設の大聖堂が建てられている。切妻のとても簡素なもの。日本人建築家の坂茂が手がけたのだそうだ。

大聖堂(Cathedral)

大聖堂は街の中心の広場にあり、シンボルになっていた。8年経つのに、未だに無残な姿のままで、周りを工事中のように囲われている。修繕を始めているようにも見えない。

1864年に建設が開始されたが、完成までの間にも3度の大きな地震に見舞われていたという。

地震博物館(Quake City)

地震がある国らしく地震博物館がある。歩いて行く途中、橋を渡っているとき、観光に関するアンケートを路上で受けた。それも含めてのんびり歩いて行ったが、それでもちょっと早い時間について、開館を待たなければならなかった。

マオリが地震の原因をどのように考えていたかという展示から始まり、2011年の地震に関しては当時の時系列の流れが詳しく説明されている。地震が起こった瞬間の防犯カメラの映像や、当日のニュース映像も流れている。その後のニュージーランド政府による救助、復興の様子や、各国の支援などが説明されている。

結構地震がある割に、街の建物は壁が薄いようにも感じるのだが・・・。

カンタベリー博物館(Canterbury Museum)

ニュージーランドで初めての博物館の見学。無料なのは素晴らしい。

入っていきなりモアの骨格があったり、マオリの展示があったり、クライストチャーチの地質の説明があったり、貝殻で飾った家の展示があったり、ちょっとだけミイラがあったり、クライストチャーチの昔の職人の家が並ぶ街のジオラマがあったり、南極探検の展示があったり、バイクレースの話があったり、面白いが、ちょっとテーマが絞り切れていなくて散漫な印象。

空軍博物館(Air Force Museum)

カンタベリー博物館を見た後はアートセンター近くのカフェでカルボナーラを食べ、一旦ホテルに戻ったが、疲れてしばらくうとうとしてしまった。

午後半ばになってしまったが、がんばってそこからバスで空軍博物館へ。ニュージーランドで初めての路線バス、しかし、クライストチャーチのバスは難しくて、時刻表に載っている停留所は主要なものだけ。他にも細かく停留所があるが、名前もなく、アナウンスもされないため、目的地に近づいたら適当にボタンを押して止めてもらうしかない。スマートフォンで場所を確認しながら近くで降り、歩いて博物館へ。多数が降りるBus Interchange以外では、みんな降りるとき、"Thank you!"と運転手に言っている。悪くない習慣。

無料の博物館で展示は充実しているのに、平日のせいか空いていた。ニュージーランドの空軍が編成され、イギリスとともに戦った歴史が細かく説明されている。ニュージーランドは恵まれた?地理的条件にあるので、本土というよりも出張して戦争に参加した話が中心。そして、ついには政府の方針で縮小され、現在では戦闘機を持っていない。

何よりも圧巻は巨大な体育館のような建物の中にプロペラ機を中心とした飛行機の実物が展示されているところで、迫力がある。

夕食

空軍博物館からバスで中心部に戻って、アサリ、カリフラワーのリゾットで夕食。カリフラワーのリゾットいうとあまり美味しくなさそうだが、魔法が掛かったように美味しかった!

出発

2019年5月2日(木)に北島のウェリントンに向けて出発。さらに北上。

朝食後、ホテルをチェックアウト。キーを返し、ミニバーを使っていないと答えたら、レシートは要らない?と聞かれて要らないと答えたらそのままチェックアウトおしまい。

最寄りのバス停もあったが、Bus Interchangeまで歩いて、29番のバスでクライストチャーチ空港へ。電気自動車のバスだったが、エアコンのコンプレッサーか何かがひどい音を時々発していた。バスは空港のターミナルに着くのかと思ったら、空港入口のラウンドアバウトで女性運転手に降りるように言われて、そこから歩いた。

前の晩にオンラインでチェックインしていたので、キオスクで搭乗券と荷物のタグを印刷して、荷物を預け、ゲート近くへ。何とオークランド空港での国内線と違って保安検査がない。目の前にゲートがある。ニュージーランド航空NZ5344のATR72で10:05発。

ウェリントン(Wellington)

ニュージーランドの首都で、北島の南端、つまり国土の真ん中あたりにある。深い湾の地形になっていて、良港だったことがわかる。街は東に海、西に断層による丘があるために南北に長い。オークランドに次ぐ国内第2の都市ではあるが、クライストチャーチよりずっと都会で、高いビルがあり、人通りが多い繁華街がある。ただし、オークランドよりは東アジア系の人は少なく、ヨーロッパの都市っぽい。

ニュージーランド旅行として、2019年5月2日(木)に飛行機でクライストチャーチから到着、1泊のみで翌日5月3日(金)にオークランドへ。

Wikipediaのウェリントン

到着

2019年5月2日(木)、クライストチャーチ空港からニュージーランド航空NZ5344のATR72で10:05発。荷物を預けてチェックインしたら、出発ロビーにそのままゲートがあり、保安検査も何もなく、タラップで飛行機に乗り込む。どうでもよいが、客室乗務員が美人だった。

ウェリントン空港に11:00過ぎに到着、保管検査もなかったくらいなので、荷物の受け取りも特に制限された区画ではなく、建物の端っこでロータリーから受け取り。空港を出て、Airport FlyerというバスでWills Streetまで行き、Mercure Wellington Abel Tasman Hotelに。

宿泊

Mercure Wellington Abel Tasman Hotel

賑やかなWillis Street沿いにあり、空港からのバスでも比較的行きやすかった。

ウェリントンの街

港町で、高いビルが並ぶが、港沿いは整備されていて、開放的で歩きやすい。

テ・パパ・トンガレワ博物館(Museum of Nww Zealand Te Papa Tongarewa)

ホテル到着は時間が早かったのでチェックイン出来ず、荷物だけを預けてから、海岸沿いのテ・パパ・トンガレワ博物館へ。

ここも無料。北島のほうがマオリが多いからなのか、英語とマオリ語の二言語表記が目立つ。ニュージーランドの生態系について、人類が到達してから森林が85%から25%に減少してしまったこと、特に19世紀末に相当数の動植物が人間によってもたらされたことを展示している。また、マオリの展示は充実していて、ワイタンギ条約が英語とマオリ語で違ったことが問題を起こしたことなどが丁寧に説明されている。これは国立博物館ならではか。マオリが使っていたしゃもじのような武器や、マオリが大事にしていた翡翠のような鉱物の話、集会所の復元もあった。

マオリはいくつかの部族に分かれていて対立していたが、ヨーロッパ人と接触するようになってから鉄砲を入手できるようになり、入手した部族が他を追い出した結果として、ヨーロッパ人が入植を始めた際のウェリントンは非常にマオリが少なくなっていたらしい。

移民については、過去に移民の数がどのように変化してきたかが示されている。ゴールドラッシュが一瞬起こったときが最高水準で、経済状況が悪化したときなど、出超のこともある。現在ではいろいろな国の難民を受け入れていますよ、という展示もあった。

さらには現代美術まで展示されている。ボタンを押すとその色に表示される部屋などがあり、現代美術は相変わらずよくわからない。

展示は面白いが、建物の中が複雑で大変わかりにくい。

港沿いはきれいに整備され、歩けるようになっている。水中を覗くと水はかなり透明度が高く、日本が誇る侵略的外来種であるわかめらしき海藻がたくさんついていた。

ウェリントン博物館(Wellington Museum)

ここも無料。入ると倉庫のような凝った展示。入るやいなや鼠が出てきたと思ったら模型だった。ウェリントンの歴史が(短いので)事細かに説明されている。また、ウェリントンで起きた海難事故についても丁寧に説明されている。

ケーブルカー

街の西側は急な坂になっていて、交通手段としてケーブルカーがある。途中にも3つくらい駅があり、本格的なもの。時間が遅くて上にある施設は閉まる時間だったので、単に上り下りしてだけだが、上からはそれなりの眺め。

ラムトン・キー(Lambton Quay)

恐らく一番の繁華街。まっすぐな道が主流の中でこの道は大きく湾曲しているが、昔はここが海岸線だったかららしいという鹿児島のような話。干拓だけではなく地震による隆起もあったらしい。ブランド店やチェーン店が多く、働く人でも賑わっている。夕方のせいか鳥が異常に集まっていた。

ラムトン・キーの終わりには面白い形をした国会議事堂がある。

夕食

夕食はハンバーガーとフライドポテト。街にはエスニックのレストランが多く、寿司を含む日本食も多い。

出発

2019年5月3日(金)にさらに北上してオークランドへ出発。

朝食後ホテルを出発、路線バスでウェリントン駅まで行き、窓口で予約してあったKiwi Railの列車Northern Explorerのプリントアウトを見せて切符を受領。切符にCarriageと書いてあって何のことかと思ったら、何号車という意味。定刻7:55を少し過ぎて出発。

オークランド(Auckland)

首都ではないが、ニュージーランド最大の都市。第2の都市ウェリントンより単に広いというだけではなく、マオリを含むポリネシア系はもちろん、日中韓の人が多く、国際的な都市になっている。北島の北部にあり、複雑な海岸線で入江のようになっている。急な崖こそないが、街中は結構起伏や坂が多い。

ニュージーランド旅行として、2019年5月3日(金)に鉄道でウェリントンから鉄道で到着、2泊して5月5日(月)に日本に向けて出発。

Wikipediaのオークランド

到着

2019年5月3日(金)にウェリントンから鉄道で到着。

ウェリントン駅をKiwi Railの列車Northern Explorerで定刻7:55を少し過ぎて出発。2-3両しか連結していないが、乗客はまばら。飲食物を売る食堂車が連結されていて、窓がない展望用の車輌も連結されている。足下には電源もある。各座席にはヘッドフォンがあって、観光案内のアナウンスはそれで聞く。社内にスマフォの着信音のような音が鳴ると、アナウンスが始まる合図。英語と中国語の設定があるのは時代か。

何もないところではなく、小さな街を通るので楽しい。バスと違って開放感があって快適。北島は山が連なる南島と違ってゆるやかな丘陵が多い。しかし、渓谷の橋を渡ったりするので景色は良い。もっとも10時間乗るとさすがに飽きた。

オークランドに着いたのは既に18:30過ぎで暗くなっていた。到着は中心部のオークランド・ブリトマート駅ではなく、一つ手前のオークランド・ストランド駅。恐らくブリトマート駅が地下鉄工事をしているからだと思うが、このストランド駅は仮設のプレハブがあるだけの簡素なもので、駅舎?にはトイレさえない雰囲気。ストランド駅本体は他にあるのではないかも知れない。

何もないので仕方なく、ホテルまで歩いた。

宿泊

FOUR POINTS BY SHERATON

クイーン・ストリート沿いにあるが、ちょっと南。高層ビルのホテル。

オークランドの街

到着した5月3日(金)は遅かったので、イタリア料理店でステーキ。あまり遅くまでやっている店ではないようで、入ったときこそ人がいたが、最後は自分ひとりになってしまい、ちょっと焦ったが結局コーヒーまで飲んでしまった。

本格的な観光は5月4日(土)を1日使って徒歩で。

オークランド戦争記念博物館(Auckland War Memorial Museum)

2019年5月4日(土)、朝食後にまずは博物館へ。バスで行こうと思ったら週末の朝だからか極端に本数が少なく40分以上待たなければならなかったので、オークランド大学や、オークランド・ドメインと呼ばれる丘の公園を突っ切ってちょっとしたハイキング。天気は良いのに周囲は靄に包まれている

博物館は丘の上にある。戦争博物館という名称ではあるものの、戦争関連の展示は3フロアのうち1フロアのみで、単にオークランド博物館とも呼ばれている。

有料だけあって(?)展示はとても充実していてかつ整理されている。なお、オークランド市民は無料になっていて、その他のニュージーランド国民は有料。海外から来た人はさらに高い有料。チケット売場のお姉さんには顔を見るなり"JAPAN?"と言われた。グラウンド・フロアはマオリを中心にポリネシアの文化について説明している。東南アジアから太平洋に5000年前に進出した人類が、徐々に東進してソロモン諸島のあたりに来て、なぜか1000年くらいそこで止まった後、北のハワイ、東のイースター島、南のニュージーランドに進出した。ニュージーランドは人類の進出が800年ほど前に行われたとされていて、世界的にも遅い地域になる。なお、ニューギニアとオーストラリアは人類が東南アジアから太平洋に進出する以前に人類が50,000年ほど前に進出しており、ポリネシアの系統とはまったく別。

マオリについては、ルアーも兼ねた釣り針や凝った彫刻の船も展示されている。いろいろな飾りでも、目を剥いて舌を出している。ライフルを構えたマオリの写真もあった。ヨーロッパから銃を入手できるようになった結果、マオリの部族間の力関係が変わってしまい、銃を手に入れるために土地を売った話など、何世紀も前のアフリカの植民地化を彷彿とさせる。ちなみに、日本は苦労はしたものの銃を国産化していたんですよね。

追加料金でマオリ・ショーを見ることができるが、これも面白かった。踊りでは手をひらひらと震わせるようにするところが特徴的。紐がついたボールを使ったジャグリングの陽南ものや、短い棒を投げ合って交換するサーカスのようなパフォーマンスもあった。マオリ戦士の踊りであるハカは四股のようだが、目を剥いている表情が印象的。また、舌を出す動作もある。目を剥いて舌を出すというのはマオリの威嚇で、彫刻でもよく見られる。

1Fは自然史。火山の基礎からの丁寧な説明や、生物の起源から現在のニュージーランドの鳥、魚、虫の生態系、4大文明の説明、なぜか日本の陶器のコレクションなど。

2Fは戦争の展示で、第1次世界大戦、第2次世界大戦の展示。第2次世界大戦については当然日本についての触れられている。戦勝国の第2次世界大戦の展示は戦勝国の論理が前面に出ていてうんざりしてしまうことが多いが、日本の原爆投下から終戦の流れなどが比較的中立的に展示されていた。

パーネル・ロードとフレンチ・マーケット

中心部からオークランド・ドメインを挟んだ東側のパーネル・ロードは高層の建物がなく、低層の建物にレストランや店が並んでいる。ちょっと入ったところでは週末の午前中、マーケットをやっているとのことで覗いてみたが、小規模でさらに時間が遅くて片付け始めていた。

ヴァイアダクト・ハーバー(Viaduct Harbour)

バスで中心部まで戻り、海岸部へ。ヴァイアダクト・ハーバーはヨットが並ぶ港湾奥をレストランが取り囲んでいる。海な雰囲気なのでFISH POTとビールで昼食。

水はきれいはきれいだが、ウェリントンの透き通った水とはちょっと違う気がする。

海事博物館(Maritime Museum)

ここも有料。ここでも"Guess, JAPAN?"と言われた。苦笑いしていると、今は日本人が多いのよ、休みなんでしょう?とのこと。マオリやポリネシアの船のモデルの説明から始まり、ニュージーランドへの移民の丁寧な説明がある。移民がどのような広告に釣られてきたのか、また、どのような本国の状況から移民を決意したのかが当時の広告などで説明されていて面白い。また、19世紀のニュージーランドへの航海と20世紀のニュージーランドの航海の比較が船室の復元によって比較されていて面白い。19世紀の帆船の時代は90-160日ほど(!)かかっていたニュージーランドの航海が、蒸気船、内燃機関のエンジン船に変わることによって、一か月ほどまでになった。

アメリカズカップの展示も力が入っていて、アメリカが勝ち続けていたアメリカズカップに対してニュージーランドがいかに戦ったかを材料の発展などの説明を含めて緻密に解説、大きなヨットが飾られている。

その他、ヨーロッパ人が当初盛んに行っていた捕鯨が映像付きで展示され、ウェリントンでの海難事故について、ここでも展示されていた。

ウィンヤード・クオーター(Wynyard Quarter)

さらに港沿いを西に進むとウィンヤード・クオーターと呼ばれるここも再開発地域。倉庫か何かのような長い建物にいくつものレストランが入っている。週末であることもあって、結構賑やか。

夕食

結構疲れてしまったので、ハイ・ストリートでコーヒーを飲んで一旦ホテルへ戻ってから、クイーン・ストリートから入った路地のパブで夕食。ニュージーランド最後の夕食はやっぱりラム。

スカイタワー

ニュージーランド最終日の5月5日(日)は朝食後、ホテルをチェックアウトしてスカイタワーへ。どこから入るのかと思ったら、入口は地下。簡単な荷物チェックを受けてチケットを買って、ありがちなように写真撮影。いらないのでパスしようと思ったら、みんな撮るといわれてやむを得ずポーズ。

メインフロアからも景色がよく見えるが、窓が汚い。そこからさらに上階に登ると、今度は窓がきれいで景色もより見えた。よく見ると、オークランドの周辺には明らかな火山の火口のような地形がいくつかある。

出口ではありがちなように写真を売りつけられたが、いつものように遠慮。

出発

2019年5月5日(日)-5月6日(月)にバンコク経由で帰国。

5月5日(日)スカイタワーに登った後に、前日にオンラインでチケットを買っておいたスカイバスでオークランド国際空港へ。スマートフォンでQRコードを見せると乗れる。

ニュージーランドの到着の際の入国手続で、e-Passportという列があり、ヨーロッパや中国のパスポートの人はそちらを通っていて、いいなあと思っていたが、出国手続でAll Visitorsというところに並ぼうとしたら、"Japanese?"と声をかけて、そちらの列に案内された。機械でパスポートを読み取り、カメラに顔を向けて終了。表示されていないけども、日本もOKな模様。

残った現金でハンバーガーを食べて時間をつぶし、タイ国際航空TG492のB787-9で13:10出発、また離陸までに結構時間がかかった。混んではいたが、隣が空席だったので快適。ただし、途中でオーストラリアの上空あたりにさしかかったときにひどく揺れた。バンコクのスワンナプーム国際空港に2025着。

TG682のB747-400で22:45出発、翌5月6日(月)の6:45頃に羽田空港着。入国についても人間ではなく、機械がパスポートの自動読み取りと顔の読み取りを行っていた。

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