最終更新日 2007年11月25日
地味なイメージ、あるいはかつては物騒なイメージがあったアイルランドですが、最近は景気も良く、物価は高いですが、のんびりとした旅行には良い国かも知れません。まだまだ観光地としての開発はこれからという気もしますが。
歴史を知ると、大変に苦労をした国ですね。
国名 | Éire(ゲール語)、Ireland(英語)、アイルランド共和国 |
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国土 | アイルランド島は北海道とほぼ同じ大きさの島で、北側の一部は英領北アイルランドとなっている。この分割にはいろいろな歴史的な経緯がある。 |
気候 | Cfb。北にある国だが、北大西洋海流の影響で相対的に温暖で、かつ安定している。夏も15℃くらいと涼しいが、冬もほぼ東京と同じ気温で雪もあまり降らない。旅行したときは、毎日雨だった。 |
人口 | 約424万人(2006)。 実はかつてはもっと多くの人口がいたのだが、19世紀中頃のジャガイモ飢饉(ジャガイモの病気が原因)によって大きく減少してしまい、現在でもその水準に戻っていない。ただし、極めて若年層が多い人口構成になっており、これが最近の高成長にもつながっていると思う。 |
民族 | ケルト系のアイルランド人が主体。 |
宗教 | カトリック ただし、十字架の形も独特だし、かなりアイルランド化したもののように感じる。 |
首都 | Dublin(Baile Átha Cliath、ダブリン) |
経済状況 | 一人当たり国民総所得29,800ドル(PPP,2003) |
時間 | GMT。日本より9時間遅れているが、サマータイムでは1時間早まる。 |
国番号 | 353 |
ちなみに、アイルランド島には蛇がいないのだそうです。
ゲール語が第1公用語で、英語が第2公用語となっている。ただし、ゲール語を使っているのは人口の10%程度になっているらしく、旅行した際も、ゲール語で話すのを聞いたことは無かったし、町中の広告などもすべて英語。
どうしてこんなことになってしまったかというと、かつては皆ゲール語を話していたのだが、イギリスに征服された際に法律で英語の使用を強制された歴史があるらしい。
ただし、ゲール語というのが民族のアイデンティティの象徴になっているのか、交通看板は必ずゲール語と英語が併記されているし、Dublinの路面電車LUASでも、行き先が車内に併記されているほか、車内放送でも両方で流れる。
ちなみに、ゲール語は英語とスペリングも発音も全く違うようだ。
2回参加したツアーのガイド(運転手)が説明してくれたので、記憶に残っている。
もともとアイルランド島には先住民がいたのだが、その後ケルト人が進入して、ケルト人の島になる。そして、アイルランドは5世紀にキリスト教化される。
8〜10世紀にはたびたびヴァイキングが来襲し、アイルランドの修道院等を襲うが、彼らは街を作ったり、城を造ったりして、さらにはケルト人にも同化していく。
その後、イギリスの支配が始まる。ややこしいのは、イギリスはプロテスタントとなり、アイルランドはカトリックのままなので、しばしば対立がプロテスタントとカトリックの対立となることだ。
イギリスは、英語を強制したり、カトリックを弾圧したり様々なことをやる。土地を取り上げられて、イギリス人が地主になり、アイルランド人は小作人になってしまう。アイルランドもイギリスと対立しているフランスと組んでしばしば戦ったりするのだが、勝つことできない。
そのうち、1847年にはジャガイモの立ち枯れ病による大飢饉が起こる。アイルランドはジャガイモ以外の作物をやめてしまっていたので、悲惨なことになって、人口を大きく減らしてしまう。食べ物を求める小作人に対し、プロテスタントに改宗するなら食べ物をやる、といった嫌がらせをしたイギリス人の地主もいたという。ちなみにアメリカのインディアンは、わずかながらアイルランドに義援金を送ったらしいが、イギリスは十分な対策を行わなかったという。北アイルランド問題の解決に尽力したイギリスのブレア前首相は、このときの件についてアイルランドに謝罪したとのことで、アイルランドでの評価は悪くないように感じた。
様々な抵抗の結果、イギリスから独立することになるのだが、イギリスとの厳しい交渉の結果、北部をイギリスに残したまま独立という形になる。この北部アイルランドでのカトリックとプロテスタントの争いが北アイルランド問題である。
90年代になって急速にアイルランドの経済は成長している。Galwayでのツアーの運転手によれば、自分の親の世代はたくさん子供がいて、そのうち何人かは移民していて、という厳しい状況だったらしい。EUの支援もかなり行われているようで、道路やLUAS(Dublinの路面電車)駅には、EUの支援を受けたことを示す看板が立っているのを見かけた。
ユーロ。
町中にATMがあるので、CITIBANKのキャッシュカードで下ろすのに不便はなかった。
日付 | 場所 | レート |
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2007年7月23日 | クレジットカード | 1€=\170.4870 |
2007年7月23日 | クレジットカード | 1€=\170.4890 |
2007年8月5日 | クレジットカード | 1€=\166.1580 |
2007年8月11日 | 成田空港の両替所 | 1€=\167.1600 |
2007年8月12日 | Dublin市内のATM | 1€=\169.5400 |
2007年8月13日 | Dublin市内のATM | 1€=\169.7500 |
2007年8月14日 | クレジットカード | 1€=\162.9590 |
2007年8月15日 | Galway市内のATM | 1€=\166.4667 |
2007年8月16日 | クレジットカード | 1€=\166.1606 |
必要なようです。レストランで10-15%程度。
フィッシュ・アンド・チップスもあるし、イギリスに似ている感じで、素朴な料理が多く感じる。ジャガイモは多く使われているようだ。
朝食もイギリスと同様に盛りだくさん。ただし、イギリスのホテルの場合、基本料金に含まれているのは「コンチネンタル」で、「イングリッシュ・ブレックファスト」は追加料金が必要なのが普通。しかし、アイルランドでは「アイリッシュ・ブレックファスト」が基本料金で着いているので、かなり充実している。目玉焼き、焼きトマトに、分厚くてでかいベーコン。さらに、Black & White Puddingという黒と白っぽいソーセージ(必ずセットで出る)などが着く。全体的にちょっとしょっぱい気もするが。
パブで"Bacon & Cabbage"というものを食べたときも、まず暑さ1〜2cm切りの巨大なベーコンがステーキのように鎮座していて、その横にたくさんのマッシュポテト、そして端にキャベツ、という料理だった。
飲み物については、なんと言ってもギネス。パブに行くと、本当にみんなギネスばかりを飲んでいる。そのほか、ウイスキーも有名なようで、アイリッシュコーヒーというのもある。サイダーというリンゴ酒もあるけど、ちょっと熟れすぎたリンゴのような味で爽やかさが欠けるかな。
3か月以内の観光なら不要。
アイルランドの首都。人口は112万人(2002)。ゲール語の正式名称がBaile Átha Cliathらしい。
アイルランド・ロンドン旅行で、2007年8月11日(土)に成田から着き、3泊してから、8月14日(火)にGalwayに向かった。
夏休みを一杯に使った旅行だが、出発はさすがに午前ではなく、午後の便にしたので、新宿から成田エクスプレスで成田空港の第1ターミナルに向かった。
いつものようにBritish Airways。今回の旅行は、2か月前から手配をしたのだが、格安の航空券が手に入らず、British Airwaysのウェブサイトで、38万円くらいかけて正規のエコノミーのチケットを買う羽目になってしまった。チケットレスということなので、メールをプリントアウトして持っていった。Londonで乗り継いでDublinに行くのだが、成田からDublinまでは、前日にウェブでチェックインをすることが出来たが、Aer Lingusとの共同運行であるLondonからはDublinまではうまく出来ないようだったので、成田空港で窓口に行ってチェックインした。
搭乗口で待っていたら、何人か名前を呼ばれ、その中に私の名前も入っていた。なんだと思っていったら、プレミアムエコノミーへのアップグレードだった。さすがに正規だからか。
BA008便で2007年8月11日(土)の13:20に成田発。同日17:15にLondon Heathrow Terminal 1に到着。ここでややこしいのは、LondonからDublinまでがイギリスの国内線扱いとなっているところ。そのため、"Terminal 1 Domestic Flight to UK, Republic of Ireland Departures"というところに進む。当然、ここで入国審査があり、イギリスのスタンプを押される。国際線への乗り換え、通常の入国審査(Londonで入国)とも違うルートなので、知ってはいたのだが、係員に確認しながら進んだ。
Heathrowからは、Aer Lingusとの共同運行であるBA5977/EI177で19:10発。Dublin国際空港に20:25着。ここでもパスポートを見せるのだが、まじめに何日いるのか、目的は何かとまた質問されて、入国した。
空港を出ると、薄暗くなってきていた。いくつかのバスがあるが、ルートを確認して、airlinkの747番というバスに、自動販売機で切符(€6)を買って乗り込んだ。このバスはO'Connell Streetでも止まるが、終点のBusárasというDublinのバスターミナルまで行った。バスターミナルを出ると、真っ暗で、かつ大雨。折りたたみの傘を出して、ホテル(Arlington Hotel)まで歩いた。
23-25 Bachelors Walk, O'Connell Bridge, Dublin 1
電話 +353 1 804 9100
FAX +353 1 804 9152
はじめて日本からbooking.comで予約して行った。このサイト、日本語でも情報が表示されていて、なかなか優れもの。8/11(土)が€129、8/12(日)が€109、8/13(月)が€99と、合計€337となかなか良い値段。
場所はO'Connell StreetからRiver Liffey沿いに少し歩いたところと、交通の面でも観光の面でも便利なところにある。1Fは、かなり広いパブ・レストランになっていて、チェックインした際もかなり騒々しい中を入っていって、パブと通路を挟んだフロントで手続。英語でいろいろ言われて、よく分からなかった・・・。
部屋の中は広めで、バスタブの横にあるシャンプーが入った機械がちょっと調子が悪かったが、それ以外はまあまあ。
朝食はその1Fのレストランで取るが、対面式で目玉焼き、ベーコン、"Black & White Pudding"というソーセージ、焼きトマトなどを盛ってもらえる。なかなか充実していて良かった。
1Fのパブでは、毎日アイリッシュ音楽のショーをやっているので、これも便利。
LUASというのは、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる路面電車で、2004年から走っているそうだ。つまり、新しい。Red LineとGreen Lineという2つの路線があるが、市内中央を流れるRiver Liffeyに沿って流れるRed Lineに乗った。
路面電車なので、路面に駅がある。自動券売機があって、そこで定期券大のチケットを買って乗る。混雑時間帯には係員が立って売っていることもある。距離(ゾーン)によって値段は異なるが、検札は基本的に無く、見つかったら高額の罰金、というヨーロッパ方式。
中央駅というのは無くて、Heuston駅、Connolly駅と複数の駅がある。LUASで移動できる。
Busárasと呼ばれる中央バスステーションがあり、ツアーも含めて長距離バスが出ている。
Dublinに着いて翌日の2007年8月12日(日)に、NEWGRANGEのバスツアーに参加した。バスツアーに参加したのは、NEWGRANGEはちょっと不便なところにあり、なかなか単独では行きにくいということだったため。このツアーは、日本からBus Eireannのサイトで予約してあり、€28.8だった。チケットについては"Collect Tickets at: Central Bus Station, Busaras, Dublin"としておいた。
前日はDublinに着いて、夕食も食べずに寝てしまったので、朝起きてアイリッシュ・ブレックファストをたっぷりと食べ、Busárasまで歩いていった。メールのプリントアウトをチケットオフィスに差し出すと、黄色い矢印のような形をしたチケットをくれた。Bus Eireannのロゴが真ん中に印刷され、端にかすれて文字が印刷されているだけで、なんとなく頼りない。&euro32.00と印刷されているので、ウェブで事前予約すると割引があるのかも知れない。
10:00出発ということなので、バスターミナルを出て、朝のO'Connell Streetなどをぶらぶらして、水を買ってからバスターミナルに戻った。
ツアー名を表示した乗り口に行くと、係員がいて、名前を言うと、持っているリストと照合して、バスに乗るように指示される。
時間になると、バスが出発するのだが、驚いたのは、運転手がバスガイドを兼ねていること。運転席にマイクが伸びていて、しゃべりながら運転する。これがアイルランドスタイルなのかも知れないが、降りて観光している時以外、走っている間、ずっとしゃべっていた。ツアーの説明、アイルランドの歴史と極めて博識で驚くが、運転に集中して欲しい気もするし・・・テープを流せば済むような気もする。
Dublinを出発し、市街を抜けてまず向かったのがHill of Tara。これはかつてケルト人の聖地だったとのこと。ケルト人の王が宗教的な儀式を行っていたらしい。
バスから降りると小さな教会のような建物に案内され、簡単な紹介ビデオを見せられる。そこからはガイドが案内してくれる。建物近くのケルト式十字架をまず説明。ケルト式十字架というのは、普通の十字架のクロスした部分に円がくっついているもので、キリスト教が土着の宗教とまじって出来たものらしい。
その説明が終わると、丘の上までのぼっていく。古い古墳のようなものがあり、また溝があり、真ん中の小高い部分の上には石が立っている。この一帯の丘全体が聖地だったらしい。この場所が選ばれたのは、周囲の見晴らしが良い場所だったからではないか、とのこと。
しかし、夏だと思ったのに寒く、シャツ1枚で来て、失敗したと思った。
Hill of Taraを出ると、次はTrimという小さな街を通る。ここは、River Boyneという川沿いの街だが、川沿いで写真撮影に降りただけで通り過ぎた。
景色は美しいが、雨のせいかわからないが、川の水は茶色く濁っている。
バスで走って午後になってから、Newgrangeに到着。Newgrangeと言うが、正確には、Brú na Bóinneと呼ばれるこの地域一帯が世界遺産らしい。その中に、Newgrange(ニューグレンジ)だけでなく、Knowth(ナウス)、Dowth(ダウス)といった古墳のような遺跡がある。
バスを降りると、まずVisitor Centreに案内される。ここには遺跡の説明やレストランなどがある。たくさんの観光客が来ているが、Newgrangeには自由に行けるのではなく、ガイドの指示に従う形式になっている。時間が書いたシールをくれて、それを胸に張る。時間が来ると、バス乗り場まで進み、待っている何台かのバスに分乗してNewgrangeまで行く。降りるとガイドがいて、引率されてNewgrangeを見る。
これらの遺跡は、5000年以上も前のものとされていて、ケルト人がアイルランドに来る前にいた先住民が作ったものらしい。
Newgrangeはその中でも大きな古墳のようなもので、入り口から中に入ることが出来る。周りの白い石は復元したものらしいが、中はそのままとのこと。入り口には渦巻き模様の石がある。背をかがめて並んで入っていくと、中は暗くて、狭い通路になっている。通路は完全にまっすぐではなく、少し曲がっている。通路の先に、広くなった中心部の部屋がある。適当に作ってあるように見えるが、石組みの構造は部屋に水が入ることを許さず、また、冬至に入り口からこの部屋まで光が差し込むように設計されている。
外から眺めると、緑と、青い空が映えて、絵はがきのように牧歌的だった。
このNewgrange以外にもKnowth、Dowthといった大きな古墳があるのだが、それ以外にも周りを見ると、小さな古墳も残されている。
見学し終わると、またバスでVisitor Centreまで戻る。大混雑だったレストランが空いていたので、サンドイッチを買って急いで食べ、ツアーのバスに戻ってDublinへの帰途についた。
ツアーから戻り、Temple Barという繁華街のレストランで、ワインと共にラム肉を食べた。それから、ホテルの1Fのパブでギネスを1杯だけ飲んで、就寝。
ちなみにギネスは、どこでもまじめに二度つぎをしている。このときは初めてで、グラス8分目くらいまでついで私の前に出し、おつりもくれたので、そのまま飲んでしまった。そうしたら、ウェイターに「え?」という表情をされてしまった。なんだか少ないな、と私も思ったのだけど。
Dublinに着いて3日目の2007年8月13日(月)は、市内観光。しかし、天気はこの日も雨が降ったり止んだりだし、着いた翌日にいきなりツアーに参加した疲れが残っていて、体調がさんざんだった。
River Liffeyの北に延びるO'Connell Streetは、Dublinの目抜き通りで、広い歩道に店やオフィスが並んでいる。
O'Connell Streetを南に下り、River Liffeyにかかる橋を渡ると、狭い街中に入ってきて、Trinity Collegeが見えてくる。入り口を入ると、落ち着いたキャンパスが広がっている。ここの図書館には様々な展示がなされているが、中でもBook of Kellsと呼ばれる1000年以上も前に作成された装飾本が展示されていることで有名で、行列が出来ている。€8払って中に入った。
Book of Kellsは通常の紙ではなく、革でできた艶のある用紙でできていて、様々な色を使って文字が絵と一体となっていたり、非常に装飾的な作りとなっている。
Trinity Collegeを過ぎてさらに進むと、歩行者天国になっているGrafton Streetに入る。
Grafton Streetを進むとSt.Stephen's Greenという公園に出る。ここから東に進んで回り込むと、博物館や美術館が集まった一角になる。本当は考古学・歴史博物館を見たかったのだが、月曜日で休みだったため、国立美術館で絵をざっと見た。
国立美術館の前は広い通りだが、両側に並んだ街灯のデザインがしゃれている。シャムロックと呼ばれるアイルランドのシンボルがデザインされている。また、イギリスと同じで、結構監視カメラ(CCTV)が街に目立つ。
国立美術館を見てから、市庁舎がある西に向かう途中、雰囲気が良さそうな"The Old Stand"というパブで昼食を取ることにした。ギネスをハーフパイント頼み、スープとチキンラップを頼んだ。全部で€17.30。ビールもスープもおいしかったのだが、それを食べたあたりから何だか腹の調子が悪くなってきて、チキンラップは途中であきらめ、トイレに直行。まずい感じになってきた。
西へ歩いていくと、左側に市庁舎、そして重厚なDublin Castleがある。
Dublin Castleを過ぎると、右側にChrist Church Catedralがあり、その先にDublinia & the Viking Worldがある。これは別の建物なのだが、実は道路を越えた通路でつながっている。
まずはDublinia & the Viking Worldに入る。お城のような建物を入り、入り口の受付で、Cathedralに行くのか聞かれ、行くと答えると、€6.25に€3.95を加えた€10.20ということなので、支払って館内の案内図をもらって中に入る。
中は結構楽しくて、昔のDublinの生活の様子などが、「夕張市石炭博物館」のように展示されている。
3Fまでに上っていくと一転してヴァイキング関連の展示になる。ヴァイキングは8世紀から10世紀にかけて、たびたびアイルランドに来襲し、略奪を行うと共にアイルランドに住み着いていった。多くの城や街を築き、アイルランドに大きな影響を与えた。そんなヴァイキングが利用した船の模型などが展示されている。
おもしろいのだが、このあたりで体調最悪。何度もトイレにこもり、結局2時間くらい博物館にこもってしまった。
3Fから連絡口を通ると、そのままChrist Church Catedralにつながっている。まあ、これもざっと見る。
Christ Church Catedralを出て、南に歩いていくと、St. Patrick's Cathedralという大きな教会がある。これは、アイルランド最大の教会ということ。ガリバー旅行記を書いたジョナサン・スウィフトは、この教会の司祭長をしていたという。
とにかく体調が最悪なので、ホテルに戻って小休止。ちょっと落ち着いたので、気を取り直して再出発。
LUASでJame'sまで行き、歩いてGuinnes Storehouseへ行く。Guinnessの工場はとても広くて大きくて、工業地帯のようなところを歩いていくと、観光客が集まっているGuinness Storehouseがある。€14。結構良い値段ですね。
これはGuinnessに関する博物館、といったもので、原料からビールを造るまでの様子が順番に展示されている。最後のほうに、今ではGuinnessはこんなに世界中に出荷されている、という壁一面の世界地図がある。日本を見ると、北方領土の部分が南クリルとしてしっかりロシア領になってしょうがないなあ、と思ってみていたら、なんと日本列島の左側もがりがりと削られていて、Sea of Japanという字がはがされ、ボールペンでEast Seaと書かれていた。そんなことするかねえ、全く。
見学の後半では、当然試飲が出来る。見晴らしの良いフロアのバーで、入り口でもらった不思議なプラスチックの固まりを出すと、端の黒いプラスチック部分をちぎって、代わりに1杯のGuinnessをくれる。ここからの景色はすばらしく、Guinnessの工場や、Dublinの街が一望できる。
Guinness Storehouseを出て、再びLUASで市内に。歩いて今晩もTemple Bar。さすがに調子が悪かったので、軽く済ませよう、ということで、"The Bad Ass Cafe"というちょっと変わった名前の軽食レストランで、サイダーとチーズバーガーを食べた。€18.70で、サービス料が€1.88が加算されており、$euro;20.58。ちょっと多めに払おうとしたら、サービス料が含まれている、ということなのか、多いよ、と戸惑った顔をされ、きっちりとお釣りをくれた。
ホテルまで戻り、1Fのレストランでまた、Guinnessを頼み、今度はきっちり二度つぎをしてもらって、ショーを見る。最初は歌だったのだが、その次はアイリッシュダンス。
こういうところでやっているのが、本物なのか、観光客向けにアレンジされたものなのかは、判断が難しいが、見事なものだった。男性と女性が出てきて踊っていて、男性は必要に応じて両手を振ったりしていたが、女性は完全に両腕を体側に垂らしたままで踊っていた。
タップダンスのようなものだと思っていたが、踵で音を出すだけではなく、膝を折った状態からつま先を打ち付けることによっても音を出している。また、かなり派手に前蹴りのようにも足を上げる。全員が揃って踊るとなかなか迫力があって、盛り上がる。
2007年8月14日(火)朝Arlington Hotelをチェックアウト。歩いてDublin Castleの裏にあるChester Beatty Libraryという図書館というか博物館へ。10:00開館だが、ちょっと前に着いた。10:00をちょっと過ぎたくらいに玄関が空く。入り口で指示されたようにロッカーに荷物を入れて見学。
この図書館はChester Beattyという個人が寄贈したものとのことで、入場は無料。時間がないので3Fの宗教美術ギャラリーを見学。中は照明を落としたしゃれた内装になっていて、仏教、イスラム教、キリスト教解説がビデオ映像も使ってわかりやすくされている。
もっとゆっくり見たかったところ。
歩いてJervisからLUASに乗って、LUASでHeuston駅まで移動。
11:10のInterCityに乗って、Galwayに出発。
アイルランド島西部の中心都市。River Corribの河口にある小さな街だが、Cliffs of Moher(モハーの断崖)などの観光の拠点になる都市。
アイルランド・ロンドン旅行で、2007年8月14日(火)にDublinから鉄道で到着して2泊し、2007年8月16日(木)にLondonに出発した。
2007年8月14日(火)にDublinのHeuston駅で切符売り場まで行って、Galwayまでの切符を買う。値段はいろいろ割引があるらしく、買った切符は€30。DAY SAVERという割引チケットのようだが、RETURN(往復)と書かれている。
Galwayまではバスでも行けるのだが、Galwayから戻ってくるときにバスを利用するので、行きは鉄道にすることにした。海外で最近鉄道に乗っていないので、久しぶりに乗ってみたい気持ちもあった。鉄道のほうが割高だが、若干時間も短い。
売店で水を買い、11:10にGalway行きのInterCityで出発。車内は結構混み合っていた。
出発すると、柔らかい緑の中に花がたくさん咲いているアイルランドの風景の中を結構飛ばして快調に進んでいく。と思ったら、しばらくすると、途中で止まってしまった。どうやら信号故障とかそんなことらしい。日本の中央線でよくある信号故障をここでも経験するとは・・・。車内には携帯電話で連絡を取っている人もいる。
結局結構な時間止まってしまっていたが、しばらくして走り出し、14:30ごろGalway駅に到着した。ダイヤでは13:51到着予定だから、40分くらい遅れたことになる。
Galway駅は終着駅だが、列車が2つくらいしか入らない小さな駅。トイレを済ませて、外に出ようとするとものすごい雨。荷物から傘を出して、ホテル(Victoria Hotel)に向かった。
Eyre Square, Galway
電話 091 567433
FAX 091 565880
電子メール victoriahotel@eircom.net
このホテルも日本からbooking.comで予約して行った。2泊それぞれ€109、合計€218。予約をしたら、丁寧にホテルからメールが来た。"Ms. Toru Takaya"になっていたが。
Galway駅から、すごい雨の中、ホテルに向かったが、なかなか見つからなかった。地図を持っていけば良かったのだが、住所がEyre Squareと書いてあるので、駅前の公園に面しているのだろうと油断してしまった。公園を何周かしたが、ホテルはたくさんあるものの見つからず。結局公園に観光案内所があるので、そこで聞くと、受付の女性が地図をくれて親切に教えてくれた。公園に面しているのではなく、そこから通りを入ったところにあった。
外から見ると、入り口も狭く、小さな看板が出ているだけなので、中級ホテルのように見えたが、入り口を入ると結構広い。チェックインして、部屋にはいると・・・とても広い。一応シングルなのだが、広い部屋の端にベッドが置いてある感じ。
ホテルの受付の人も若くて愛想が良くて、派手ではないが、なかなか快適なホテルだった。
朝食もレストランで取れるが、席に着くと、またてんこもりのアイリッシュブレックファストを持ってきてくれる形式で良かった。出発日は朝が早かったので、1日しか食べられなかったが。
Galwayは非常にこじんまりとした街。観光案内所で小さな地図をくれるが、そこには一筆書きのようにルートが書いてあって、その通りに歩くと、主要な場所がまわれてしまう。
2007年8月14日(火)、ホテルにチェックインした後、雨が弱まったので街に出た。
St. Nicholas's R.C. Cathedralは名前の通り大聖堂で、River Corribの中州にある。中州と言ってもきちんとした陸地で、島のようなもの。
傘を持たずに出たが、ホテルから向かう途中で雨がひどくなってきた。戻るのも面倒なので、雨宿りしながら駆け込んだ。
Cathedralは外観も立派で結構大きな建物。
Galwayを支配したLynch家の城、というのがあるのだが、現在は銀行になっていて、道沿いにあって誰も立ち止まったりしていないので、うっかりすると気がつかない。
雨がひどいので、一旦ホテルまで戻って傘を取ってきてから、St. Nicholas Churchへ。
これはこじんまりした教会で、最初入り口がどこかわからなかった。紙に印刷された簡単な案内があるが、日本語のものもあった。
1477年には、クリストファー・コロンブスがこの教会を訪れているとのこと。
Galwayの繁華街と言えるのは名前は変わっていくがほぼ一本道で、進んでいくと最後はRiver Corribに出る。ここにはSpanish Archという古い門が残っていて、音楽を演奏している人がいた。夕方には大学生らしい若い人も多い。
Galwayは河口だが、川は結構水量が多くて流れが速く、川岸にはところどころに浮き輪が備えてある。川沿いには遊歩道があって、散歩には良い感じ。天気が良ければ。
レストランはいくつかあったが、シーフードのMc'Donagh'sというところで食べた。
結構混んでいて、Galway1日目の8月14日(火)は、早い時間に行ったので入ってすぐに座れたが、2日目は行列が出来ていた。
中は右が座って注文を受けるレストラン、左はカウンターで注文するFish & Chipsのコーナーになっている。8月14日(火)は、右側のレストランでサーモン&モツァレラを食べた。白ワインといっしょに食べたがかなり良かったので、翌日も来て、今度は左のFish & Chipsで食べた。魚とソースが選べるので、"Cod"の"Garlic Source"にしたが、これもボリューム満点だった。
当然ながら、パブがたくさんある。ツアーから返った2007年8月15日(水)は、食事の後、2軒ほどはしごをした。1軒目は、ちょうど音楽をやっていた。アコーディオンのようなものやバイオリンで演奏しているのだが、ひたすら同じような節を繰り返しているような音楽だった。
ちなみに、以前テレビのニュースで報道しているのを見た覚えもあるが、アイルランドではパブでも禁煙になっている。そのため、パブでは、飲んでいる人がいても、たばこを吸っている人は一切いない。
ただのショッピングセンターなのだが、作っている途中で遺跡が出てきてしまったらしく、建物の端に中世の壁が残されている、という変わったもの。
世間がどうなっているのかも知りたい、ということで、ホテルに置いてある地元の新聞を読んだが、思いっきり、地方紙だった。最大のニュースは、Aer Lingusが、近くのShannonとLondonのHeathrowの間の便を休止するというもので、反対している人の意見や、地元経済への影響を心配する意見が何面にも渡って掲載されていた。
なので、サブプライム問題で株が大変なことになっていることは知らなかった。
2007年8月15日(水)は、日本からBus Eireannのサイトで予約してあったCliff of Moherのバスツアーに参加。
どこで切符をもらうのかよく分からなかったので、朝ホテルを出て、Tourist Informationまで行った。これは売店も入った大きなビルで、翌日に乗るcitylinkバスのコーナーもあったので、ついでにその出発場所も教えてもらった。肝心のツアーについては係員がいないので、案内窓口で聞いたところ、駅に行け、とのこと。そこでGalway駅のBus Eireannのオフィスに行くと、なんとツアーがキャンセルだと係員に聞かされた。翌日では駄目かと言われたが、朝からLondonに向かってしまうので駄目。すると、電話で連絡して他社に振り替えてくれた。Dublinのときと同じ、矢印形のBus Eireannのチケットをくれて、外の出口に行くと傘を持った係員が時間に来るから、それに着いていけ、というわかったようなわからないような説明。
外に出ると、中国人のグループに囲まれ、どうやってチケットを入手したのか聞かれた。彼らもツアーに参加しようとしたができなかったらしい。なんで私の場合は振り替えられたのかわからなかったが、多分すでに日本から予約して金も払っていたからかも知れない。どこのツアーに参加するのか聞かれたが、私もわからなかったので、答えられなかった。ちょっと悪いことをした。
時間になると、バス乗り場に人がたまっている。いくつかのツアーがあって出発していくので、どこに待っていればよいか不安になったが、バスがないところに立っている係員にチケットを見せると、ここだと言われた。傘を差してなんかいなかった。
同じような扱いの人は何人かいたらしく、時間になるとその係員に連れられて歩いていく。着いたのは、止まっているThe Victoria Hotelのすぐ近くで、そこに止まっているバスに乗り込んだ。すでに乗っている人もいて、バスは満席に近かった。多分、O'Neactain Toursという会社だと思う。
バスはまたまた、運転手がガイドとしてしゃべりながら走る形式。今度の運転手は結構ユーモアがある年配の人で、解説もおもしろかった。
Galwayを出発してしばらく行くと、Kinvaraという港町を通り過ぎる。運転手によると、ここは今上天皇が皇太子だった際に、お忍びで来たことがあるそうだ。なんても、典型的なアイルランドのパブで、Guinnessを一杯やりたい、ということで、そのために選ばれたのが静かなこの町だったらしい。パブの主人も厳重に口止めされていたとのこと。
バスが最初に訪れたのはAillwee Cave。国立公園のようになっているらしく、料金を払って丘を登っていくと、駐車場があり、そこでバスを降りる。
洞窟にはグループ毎にガイドが引率する形式になっていて、出発時間毎にCDくらいの大きさのプラスティックの板をもらえる。その板の色によって、出発時間が決められている。
この洞窟は1940年に発見されたとのことで、ツアーが出来るようになったのも1976年になってからのこと。子供の時から日原鍾乳洞や鳴沢氷穴を見たり、スロベニアのPostjnaの鍾乳洞を見たことがある私としては、あまり感動はなかった。はじめて鍾乳洞を見る人にはおもしろいかも知れないが。
次にバスは、バレン高原(BURREN)に進んでいく。発音は「ブレン」とか「ボレン」に近い。この高原は、石灰岩で出来た地形であることが特徴で、土地が土ではなく岩なので、草木があまり生えていない殺風景な風景になっている。もっとも、岩を取り除いて農地にしてしまう農民もいて、開発と自然保護という問題もあるようだ。
Portal TombはDolmenとも呼ばれる遺跡で、バレン高原の真ん中にある。有名な遺跡として観光地になっている、というより、道ばたに突然ある。一応駐車スペースが近くにあって、そこで降りて歩いて見に行く。
これは紀元前に作られた墓で、石をたてて、上に石の屋根が乗せてある。上の石はスロープを造って乗せたとのこと。
見ていたら強い雨が降り出して、バスに駆け戻った。
バスはLisdoonvarnaという街を通る。これは、「マッチングの街」だという。昔みんな農民だった頃は、年頃の男女が出会う機会が無かったので、ここに集まって相手を見つけていたとのこと。今でもお見合いフェスティバルが行われているらしい。
昼頃になって、Doolinという街でバスを下ろされる。街と言うより小さな村だが観光の拠点になっているらしい。キャンプをしている人もいるようだ。アラン諸島の対岸にあたるので、島が見える。
村の中心にあるGUS O'CONNORS PUBというところで昼食。カウンターで席の番号を言って頼む形式。混み合っていたが、席を確保し、Bacon & Cabbageと水を注文。€14.45。このBacon & Cabbageは名前のままの料理で、アイルランドの典型的な料理らしい。真ん中に鎮座するベーコンは、日本のベーコンとは違って、分厚くてでかいもの。厚いところで2cmくらいあって、それが3枚くらいある。ステーキと言った方が良いかもしれない。キャベツは端にあるのだが、それよりもマッシュポテトのほうが量が多い。以下にも、農家が自分の家のもので作った、という料理だが、ボリュームがあって、味も素材の味を生かした素朴なものだが悪くなかった。
昼食の後出発して、最後はいよいよCliffs of Moher。この日もときおり雨が降る天気だったが、このときばっかりは鮮やかな快晴だった。ちなみに、この日の天気が異常というわけではなく、1日に四季があるこのような天気がアイルランドの天気らしい。その一方で、年間の気候の変化は少ないのだが。
Cliffs of Moherには大きな駐車場があるのだが、そこに入る前で下ろされ、拾う時間を指定されてバスはどこかに行ってしまった。なんでも、駐車場の値段を急にむちゃな値上げをしたことにツアー会社が反発して、利用をボイコットしているらしい。
Cliffs of Moherで下ろされる前に、運転手からくれぐれも崖に立たないように注意された。「頼むから」ということ。崖自体は安全だが、風が強いので、端に立つと落ちる可能性がある。特に若い男性が調子に乗ってやることがあるので、やめてくれ、とのこと。そうでないと、「私が両親に、『お宅の息子さんは今、アイルランドとアメリカの間にいます』と電話しなければならなくなる。」とのこと。
断崖に行く前には売店やレストランが入った建物があり、そこを過ぎると歩道が整備されている。階段も整備され、柵で守られているので、安全に見ることが出来る。ただし、確かに風はものすごく強い。
歩道は左右に分かれているが、どちらも景色はすばらしい。観光客も多く、みんな写真を撮っている。右側に上っていくと、塔が立っている。登れれば良いな、と思ったが入れないようだった。
Cliffs of Moher動画(QuickTime)、とにかく風が強い!
崖の景色も良いが、反対側も青い空に、緑で覆われたなだらかな地形、といういかにもアイルランドといったきれいな景色だった。
売店で絵はがきを買って、待ち合わせ場所まで歩き、バスに乗った。
Cliffs of Moherの後はGalwayに帰るだけだが、天気が良くなったので、ということで途中の海岸で下ろしてくれた。きれいな景色でみんな写真を撮る。
アイルランドは全体的に気温が低いが、北大西洋海流の影響で年間の気温差は小さく、特に海の温度はほとんど変わらないとのこと。蛇もいないし、地震もなく、津波もない土地なんだ、と運転手は自慢していた。日本には全部ありますが・・・。
帰路にはDunguaire Castleという城もあって、そこでも写真を撮った。こういった城はアイルランドのそこかしこにある。
雨上がりのせいか、Galwayに近づいた頃、虹を見ることが出来た。最初は薄いものだったが、見ているうちに段々と濃くなってきた。Galway市街に入ると渋滞していて、到着時間は少し遅れた。中国人らしいカップルはその後に予定でも乗るのか、ちょっと焦っている様子だった。
2007年8月16日(木)、Londonに向けて出発。Dublin空港まで行って飛行機に乗るルート。
早かったので朝食をとらずにホテルをチェックアウトして、観光案内所を通り過ぎた奥にあるcitylinkのバス乗り場に行く。このバスも日本から予約をしてあって、メールのプリントアウトがチケットになっている。同じ場所からShannonに行くバスもあるので、間違えないようにDublin Airportに行くバスを確認して乗り込み8:00発。
直通かと思ったら結構いろいろなところで止まって、乗り降りする人がいる。Dublinに近くなってから道ばたに止まり、Dublin市街に行くバスに接続する。市外に行く人が降りて乗り換えてから、バスは再び出発して空港へ。ただし、なんとなく遅れてしまっていて、Dublin空港着の予定が11:15だったのに11:40過ぎ。ちょっと焦った。
搭乗するBA8083便は12:40発だったので、カウンターでチェックインして、いそがしくおみやげなどを買って、朝から何も食べていないのでサンドイッチを買って口に押し込み、搭乗口まで行ったが、飛行機も出発が遅れたので、待つことになってしまった。
Dublin空港を出発し、14:00過ぎにLondonのGatwick空港のTerminal Nに到着。
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