最終更新日 2002年1月7日
フィンランドは、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンとともに北欧と呼ばれることが多いが、他の三国と異なった文化を持つ。日本からはヨーロッパの中でも近い国であり、清潔感のある美しい国である。
国名 | SUOMI、フィンランド共和国、Republic of Finland(英語) |
国土 | 国土は湖が多い。東にロシア、北西でノルウェー及びスウェーデンと国境を接する。 |
気候 | 南はCfb、北部はDfc |
人口 | 約513万人(1996) |
民族 | フィン人94%、スウェーデン人6%など。 |
宗教 | プロテスタント |
首都 | Helsinki、ヘルシンキ、Helsinki(英語)、Helsingfors(スウェーデン語)、Helsingi(エストニア語) |
経済状況 | 一人当たりGNP23,240ドル(1996) |
時間 | 東ヨーロッパ時間(GMT+2)、ただし夏はサマータイムで1時間繰り上がる。 |
国番号 | 358 |
観光客 | 84万人(1995) |
フィンランド語とスウェーデン語が公用語。
フィンランド語は、ウラル語族フィン・ウゴル語派。同じ語派のエストニア語、ハンガリー語の中でもエストニア語に近いそうだ。
英語は非常に良く通じる。少なくとも観光客に関係しているところでは流暢な英語が話される。デパートなどでは、ネームプレートに話せる言語に対応した国旗がマークされており、英語以外にも複数の言葉を話せる人が多いようだ。
ただ、1995/7にStockholmとHelsinkiの間のフェリーであった夫婦の2組では、夫あるいは妻が英語が話せなかった。スウェーデンやノルウェーと比較すると、言語体系が違うこともあると思うが、英語があまり得意でない人もいるようだ。いずれにせよ、こちらより上手なのだが。
ありがとう | Kiitos | キートス |
こんにちは | Hei | ヘイ、スウェーデン語と同じ? |
マルカ(Markka, FIM)、補助通貨単位(1/100)がペンニ(Penniä)。ただし、2002/1のEU通貨統合で、ユーロに移行する。1EUR=5.94573FIM
日付 | 場所 | レート |
---|---|---|
1999/8/5 | THE CHANGE GROUP HELSIKNKI OY | 1EEK=0.3713FIM、手数料10% |
1999/8/5 | THE CHANGE GROUP HELSIKNKI OY | 1$=5.4826FIM、手数料10% |
1999/8/5 | FOREX OY | 1$=5.4803FIM、手数料10FIM |
1999/8/6 | VANTAA空港のMerita | 1$=5.6112960FIM、手数料20FIM |
日本円も両替出来る。クレジットカードも使える。
日本人は3ヶ月まで必要ない。
Helsinkiには、これまで3回行っている。
1回目は、スカンジナビア半島一周の途中の1995/7/22に、スウェーデンのStockholmからフェリーで到着、同日またスウェーデンのStockholmに出発した。これが初めてのHelsinki。
2回目は、バルト三国縦断の最後の国として、1999/8/5にエストニアのTallinnから高速フェリーで到着、翌8/6にKLMオランダ航空でスキポール経由で成田に出発した。
3回目は、2001/9-10の北欧出張で、9/30(日)朝にSilja Line(フェリー)でスウェーデンのStockholmからHelsinkiに到着した。そのままFinnairでOuluに出発した。再び、10/6(土)にVaasaから戻ってきて、飛行機を乗り換えて、Finnairで成田へ出発した。
スカンジナビア半島一周の途中の1995/7/22に、スウェーデンのStockholmからフェリーで到着した。
Viking Lineの切符を、Stockholm中央駅にあるViking Lineの窓口で買った。普通の客室でよかったのだが、空きが無く、なんとLuxuaryになってしまった。しかし、ありがたいことにスカンレイルパスで半額になった。
フェリーの旅は一泊なので、7/21に出発。Viking Lineのターミナルの搭乗口の窓口にいた女性は大変な北欧美人で、緊張してしまった。手続きを終えた最後には、笑顔で"have a nice board!"とか言われ、溶けてしまいそうになった。巨大なフェリーに乗り込むと、Luxuaryの部屋に案内された。普通、船の船室はベッドが二段になっているものだが、この部屋は普通のホテルのツインのように、ベッドが横に並べられており、バス・トイレ付きで、窓からは外が見え、広い。乗るやいなや女性の従業員が酒のボトルを2本、机に置いて行き、一緒だった友人(男)と目が点になってしまった。
Viking Line、Silja Lineの2つがStockholm-Helsinki間にフェリーを運行しているが、共に超巨大なフェリーである。これらが前後に並んで海を進んでいく。Stockholmを出ると夥しい数の小さな島の間を進んでいく。中には人工的な工作物で固められた島もあり、近くのおじさんによると軍事施設だそうだ。フェリーの中には、免税店(皆酒を買っている)、レストラン、ディスコとなんでもあり、1つの大きなホテルのような感じ。
ターミナルに着くと、皆そのまま出ていってしまうのだが、良く見ると通路に、Non-EUはこっちという表示があり、小さな窓口がある。同行の友人は面倒だからいいよ、と不法入国しようとしたば、念のため二人ともそこで入国のスタンプをパスポートに押してもらった。
Helsinkiには日中いただけで、再び夕方に、同じフェリーでStockholmへ出発。
夜に1人でフェリーの中のバーで飲んでいると、フィンランド人の男が話し掛けてきた。酔っ払っているらしく、同じことを繰り返し繰り返し言っており、日本と共同で船か何かを作っている、あるいは日本に対して売っているらしく、それを俺は誇りに思っている、ということらしい。
彼は夫婦で来ており、小柄な妻が近くにいるのだが、彼女は英語を話すことが出来ない。しかし、彼が相当酔っ払っているため、彼の目を盗んでは、彼のビールのグラスを私に差し出して、飲んでしまってくれ、と言う感じ。そのうち、彼女は怒って私にグラスを渡すとどこかへ言ってしまった。男は「彼女は怒ってるかもしれないなー。」と陽気だが、誰が見たって相当怒っているってば。そう伝えると、にやりとして「じゃあ、部屋に戻ってからサービスしてやんなくちゃな。」
次には、妻は英語は話せるが、夫は英語が話せないというフィンランド人夫婦がいて、妻のほうと少し話した。どこに行きたいか、という話をしていて、ギリシャに行きたいといっていた。やはり南の国、というものにあこがれがあるようだ。
バルト三国縦断の最後の国として、1999/8/5にエストニアのTallinnから高速フェリーで到着した。
フェリー切符は出発前日の8/4にTallinn旧市街のESTRAVELで買った。ESTRAVELはAMERICAN EXPRESSの代理店にもなっている。中に入るといくつかのカウンターが並んでいて、それぞれの窓口には名刺で担当者の名前が示されている。対応は非常に手際が良く、好感が持てた。フェリーの切符とホテルを予約して、手数料は80EEK。
TallinnからHelsinkiまでのフェリーはいろいろな会社から数え切れないほど出ている。窓口でTallinnまでのフェリーを予約したいというと、NORDIC JET LINEを薦めてくれた。TallinnからHelsinkiまでの1999夏の時刻表は以下の通りである。HelsinkiからTallinnまでも同じように出ている。なお、エストニアではHelsinkiはHelsingiと表記されている。
Tallinn発 | Helsinki着 | JET CLASS | BUSINESS CLASS |
---|---|---|---|
0720 | 0855 | 445EEK | 715EEK |
1030 | 1205 | 445EEK | 715EEK |
1145 | 1320 | 445EEK | 715EEK |
1500 | 1635 | 525EEK | 823EEK |
1630 | 1805 | 525EEK | 823EEK |
1930 | 2105 | 525EEK | 823EEK |
早起きするのはいやなので、11:45発のものを選んだ。JET CLASSにするか、BUSINESS CLASSにするかと聞くので、それらがどう違うか聞いたところ、BUSINESS CLASSには食事が付いたりする、というので、シンプルなJET CLASSにした。"Have a nice trip in Helsinki!"と言われてその場を辞した。
NORDIC JET LINEはTallinn港のC-Terminalから出発する。ターミナルに行くと、窓口があり、そこでVoucherを渡してチェックインする。時間が来ると出発口が開けられ、出国審査窓口を通ると岸壁に出る。フェリーまで歩いて乗り込む。フェリーは、catamaranというもので、日本語では双胴船というらしい。単純に言えば、竹輪を縦半分に切って切り口を水につけたような形をしていて、水中に没する部分は2つに別れている。水の抵抗が少ないから早く進めるのかな?
フェリーの中には、大規模ではないもののDuty Free Shopがあり、カウンターではサンドイッチや飲み物を売っている。座席に座って静かな海を見ていると、あっという間にHelsinkiに着いてしまう。
Helsinkiの港に着くと、岸壁からターミナルに入り、入国審査を済ませる。入国審査官も比較的愛想が良い。ターミナル内には、期待していた両替所がなかった。ああ、Tallinn到着のときと同じだ、やっぱりTallinnでFIMを用意してくれば良かった、と思った。
ターミナルの外に出て左右を見ても両替所はなさそうなので、なんとなく街の方向に歩きはじめた。今回の旅ではHelsinkiは通過点に近い位置づけだったので、地図もガイドブックもなかったが、時間も早かったし、以前に来たことがある街なので、のんびりと歩きはじめた。
街が近づくと、どこかで見たような景色で、最初(1995)にHelsinkiに来たときと同じ港であることがわかった。港の奥の部分では、お昼過ぎなので閉めはじめている部分もあるものの、市場が開かれており、中には料理を出している屋台のようなところもある。FIMを持っていればな・・・と思いつつ通り過ぎて、街に着くと、両替所があったので、FIMを入手した。
マーケット広場の奥にはすぐにTourist Informationがある。中に入ると、銀行のように窓口がずらっと並び、大勢の人で賑わっている。とりあえず地図を入手しようと、地図があるか聞くと、笑顔で渡してくれた。いくらなのか聞くと無料だという。地図に着いている広告料で費用を賄っているようだ。そこのところに並べてあるパンフレットもみんなただだよ、と言うので見てみると、日本語のHelsinkiガイドまであり、早速入手した。ガイドは20ページほどのもので、Helsinkiの歴史から、見所、乗り物の乗り方等が書いてある非常に丁寧なもの。さらに、予約していたHotelへの行き方を聞くと、鉄道駅の横のバスターミナルからバスに乗れ、と教えてくれた。
街に出ると、至る所に緑のTシャツを着たガイドが立っていて、観光の手助けをしてくれる。以前来たときにはいなかったような気がする。非常に観光に力を入れていることを感じた。
スカンジナビア半島一周の途中の2001/9/30に、スウェーデンのStockholmからフェリーで到着した。
1995年にはViking Lineだったが、今度はSilja Line。Silja Lineに乗るには、Stockholmから地下鉄で少し行った乗り場から乗る。Helsinkiで降りる場所も、港の反対側となる。
1999/8/5-8/6に1泊。エストニアのESTRAVELで予約してもらった、VANTAA空港近くのホテル。8/6にVANTAA空港7時過ぎ発の飛行機に乗らなければならなかったので、空港近くのホテルとして予約してもらった。
鉄道駅の横から出ている、空港行きのバス(615番)で行く。切符は運転手から買う。
降りる場所はよくわからなかったが、とりあえず空港方面に行ってしまえ、と思ってバスに乗って行くと、空港が近くなってからRAMADAという看板を掲げたホテルがあったので、バスを降りた。いくつかのホテルがかたまったホテル街のようになっている。
RAMADA AIRPORT HOTELの外観の写真(53KB)
シングル1195EEK(朝食付き)、エストニアのESTRAVELで予約してもらった。
長い日本への旅の前日だったので、ちょっと良いホテルに泊った。空港近くのホテルに泊まるのは初めてだったのだが、非常に良く出来ている。朝食は4:30からとることが出来るし、6時頃でさえ、10分おきに空港へのバスが出ている。空港へは15分くらいだった。
部屋はきれいで広く、衛星放送も入り、くつろげるものだった。
RAMADA AIRPORT HOTELの部屋の写真(55KB)
RAMADA AIRPORT HOTELの部屋(バスルーム)の写真(88KB)
バス、トラムが市内を走りまわっているが、歩いて回れる。
Tallinnとのフェリーや、Stockholmとの超大型フェリーが発着する。港の奥は市場が開かれている。
結構立派な建物で、街歩きの目印になる。中には両替所、ニューススタンド、コインロッカーがある。1999年に来たときは、コインロッカーに荷物を預けて、待ち歩きをした。しかし、その夜に行ったら、入り口付近に黒人が多くたむろしていて、なんとなく雰囲気が悪かった。
レストランは非常にたくさん種類がある。食べ物の種類もバルト三国に比べると雲泥の差があり、特にシーフードの種類が豊富なのはうれしかった。喫茶店のようなものも多い。何といってもフィンランドはコーヒーの大消費国として知られているくらいだから。
英語は完全に通じる。
やっぱり高い。日本のファミリーレストランで食べたのと同じくらいかもしれないが、エストニアから来ると2.5倍くらいだろうか。エストニアはEEK、フィンランドはFIMだが、表示されている「数字」はほぼ同じ大きさである。また、1995に来たときには気が付かなかったことだが、EUR単位が併記されているのを多く見た。チップは、普通のヨーロッパと同じと思われる。
TallinnからHelsinkiに着いたときにすぐ、昼食を食べた店。まず店に入ると、店員がとても愛想が良く、きびきびしている印象を受けた。ビールを頼み、バルト三国で、牛肉、豚肉、鶏肉のローテーションに飽きていたので、シーフードパスタを頼んだ。海老や貝を久しぶりに食べて感動した。パスタを食べようとすると、「これを使う?」と言ってウェイトレスが笑顔で箸を持ってきた。日本ではパスタを食べるときにフォークを使うんだよ、と言って断ったが、ウェイター、ウェイトレスの笑顔といい、まるでぼったくりバーのようにサービスがいいのにびっくりしながら食事をし、最後に勘定をお願いすると、また「えーっ!!!」とびっくり。バルト三国とは物価水準がまるで違う・・・。道理でエストニアにフィンランド人の観光客が多いわけだ。
Koffというビール、シーフードパスタ、カプチーノを頼んだ結果のレシート。EUROでも値段が示されている!
AYRIAISPASTA | 67,00 1 |
Koff III 0,5l | 27,00 1 |
Cappucino | 15,00 1 |
Välisumma EUR | 18,30 |
Välisumma MK | 109,00 |
Yhteensä | 109,00 |
Veroton myuunti | 89,34 |
22,00%-ALV 1 | 19,66 |
Verollinen myynti | 109,00 |
Läsku yhteensä | 109,00 |
TallinnからHelsinkiに着いたときの夕食に、魚に飢えていたので、白身魚に薄く衣をつけて揚げたような料理を食べた。一人で食事をするのがちょっと恥ずかしいくらいやや高級な店だったこともあり、店員の応対はこれまた立派なもの。しかし、上に書いた昼食と同じ日の夕食だったが、こうして振り返ってみるといかに毎日ビールを常習的に飲んでいたかはっきりする・・・
Koff III 0,5l | 27,00 1 |
Paistettua Kuhaa | 89,00 1 |
Koff III 0,33l | 18,00 1 |
Espresso | 13,00 1 |
Välisumma EUR | 24,70 |
Välisumma MK | 147,00 |
Yhteensä | 147,00 |
Veroton myuunti | 120,49 |
22,00%-ALV 1 | 26,51 |
Verollinen myynti | 147,00 |
Läsku yhteensä | 147,00 |
1995年に初めてHelsinkiに着いたときは、非常に地味な街だという印象を受けた。Helsinkiの街は、尖った建物が多いスウェーデンとも違い、玉ねぎ型の等など、柔らかい曲線の建物が多い。人もまばらで、閑散とした印象を受けた。
しかし、1999年に来たときは、人、人、人で賑やかな街だった。バルト三国からHelsinkiの街に着いたせいでもあると思うが、全く異なる印象を受けた。建物も現代的なものが多く、人もとにかく多く、デパートがあちこちにあり、いろいろなものを売っている。1995年に来たときに食事をしたレストランもあって、懐かしい感じがした。
Internetに接続するための本や機器を売っている店もたくさんあった。LINUXの本もたくさんあって、こんなところまで、と思ったが、よく考えたらここがルーツだった。
フィンランドは現在では、IT先進国として有名である。
フィンランド人は、アジア起源とも言われるように、スウェーデンやドイツとは風貌が違う。白い肌に金髪なのだが、背はそれ程高くなく、真面目そうな顔をしている。
男性はやや背が低く、がっちりした体つきをしている。
バルト三国の旅行を終えて、Helsinkiに着てびっくりしたのは、人々の愛想の良さ。バルト三国でも、無愛想ということはないのだが、旅行者に慣れていないこともあるのか、事務的な対応をされることも多かったのだが、Helsinkiに着いた途端、対応する人対応する人、笑顔笑顔で、レストランやTourist Informationはもとより、両替所の窓口の女性まで冗談を言ったりする。まるで皆、宝くじが当たったかのように機嫌がよい。ガイドの充実といい、旅行者を歓迎する雰囲気が町全体から感じられた。
Ouluはフィンランド北部にある人口10万人くらいの都市だが、携帯電話会社のNOKIA発祥の地として有名で、今でもフィンランドのIT産業の集積地として知られている。日本人のビジネスでの訪問も多いようだ。
2001/9-10の北欧出張で、9/30(日)にHelsinki到着し、そのままFinnairでOuluに到着した。3泊して、10/3(水)にVaasaへVR(鉄道)で出発した。
仕事で行ったのだが、対応していただいた方々がとても親切で感銘を受けた。
フィンランドの冬ということで、9月にもかかわらず気温が10度を切っていて、しとしとと雨が良く降っていました。現在はITの街ですが、製紙工場もあるらしく、独特の臭いにおいが海沿いに行くとしていた。
Ouluの製紙工場?(46KB)きれいな風景だが、匂いがすごい
Vaasaはフィンランドの中西部にあり、ボスニア湾に面している。フィンランドの南部と西部にはスウェーデン語を話す住民が多いが、Vaasaもその1つであり、3割がスウェーデン語を話している。街の中でも、フィンランド語とスウェーデン語の2ヶ国語で表示されている。
2001/9-10の北欧出張で、10/3(水)にVaasa到着した。3泊して、10/6(土)にHelsinkiへFinnairへ出発し、飛行機を乗り換えて帰国した。
観光地としてそれほど有名ではないせいか、外国人に対しても親しみを持って対応してくれる。街ですれ違ったおばあちゃんがにっこりとしてくれたり、レストランでも酔っ払いが話しかけてきたりする(フィンランド人の酔っ払いに話しかけられるのは3人目だが・・・)。
このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで