ウクライナ

最終更新日 2009年11月17日

夏休みにウクライナ旅行として一週間行ってきました。

ウクライナというと、日本ではチェルノブイリ原発があった国と言うくらいであまり知られていない国ですが、オデッサ、ヤルタという地名は聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。

東スラブでは歴史がある国で世界遺産となった教会や町並みが残されていますし、ウクライナ料理も親しみやすいし、ビザがいらないという点で、ロシアより日本人にとって実は旅行がしやすい国です。観光客の受け入れという点ではまだまだ課題があるように感じましたが、これから人気が出て行くのではないかと思います。

国について

国の概要

国の概要
国名Україна(ウクライナ語)、Ukraine(英語)、ウクライナ
「共和国」などはつかない。
国土ヨーロッパに東に位置し、南は黒海に面している。西部は高地があるが大半は平野。ドニエプル川が南北に流れる。ロシア、ベラルーシ、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバと国境を接している。
気候北部と北西部はDfb、南部から南西部はステップ気候BS
人口約4,852万人(2003)。
民族ウクライナ人73%、ロシア人22%、ユダヤ人1%。
宗教ウクライナ正教、カトリック、ロシア正教。
見ている限りかなり敬虔な印象で、皆教会を出入りするときは胸で十字を切るし、教会内では女性もスカーフをかぶる人が多い。
首都キエフ(ウクライナ語Київ、ロシア語Киев、英語Kiev)
経済状況一人当たり国内総生産7,347ドル(PPP,2008)
通常の物価は安いようだが、ホテルやタクシーといった観光客向けのサービスは高い。
時間UTC+2。日本より7時間遅れている。ただし夏はサマータイムで1時間早くなり、時差も6時間となる。

言語

公用語はウクライナ語。ただし、ロシア語は公式な位置づけはないものの、広く話されている。西部はウクライナ語を話す人が多いものの、東部はロシア語を話す人が多い。リヴィウはウクライナ語だが、キエフやオデッサではロシア語が多いようだ。

両者とも日本人から見ると方言のようによく似て聞こえる。文字は両者ともキリル文字なので、文字だけを見るとさらにウクライナ語かロシア語かは分からないが、使っている文字に若干の違いがあるようだ。

海外旅行者にとってはロシア語を話すことがもっとも望ましいようだが、英語もホテルなど観光客が多いところでは比較的通じる。

今回はキリル文字を覚えていったので、少なくとも地名などが読めるのは良かったと思う。

ロシア語(正確ではないかも知れないが通じたもの)
おはようДоброе утроドーブライェ ウートラ
こんにちはДобрый деньドーブルィイ ヂェーニ
ありがとうСпасибоスパスィーバ
お願いしますПожалуйстаパジャールスタ
ビールПивоピーヴァ
Вокэалヴォクザール

通貨

フリブナ(Гривна)。グリブナなどとも書かれるが、現地での発音ではフリブナのように聞こえる。略すときはГрн、英語ではUAHと書かれる。補助単位はコピーカ(Копйка)で100コピーカが1フリブナ。トイレや公共交通機関以外はほとんどフリブナ単位なので、コインはそれほど使わないで旅行できる。

両替

両替レート
日付場所レート
2009年8月10日ボリスピ空港のATM(シティバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\12.6060
1UAH=\13.0260(手数料込み)
2009年8月10日キエフ市内のATM(イーバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\12.5940
2009年8月10日キエフのレストランでクレジットカード1UAH=\12.134
2009年8月12日キエフ市内のATM(イーバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\12.2900
2009年8月12日キエフ市内のATM(シティバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\12.6440
1UAH=\13.0640(手数料込み)
2009年8月12日オデッサのホテル代をクレジットカード1UAH=\11.731
2009年8月14日オデッサ?市内のATM(イーバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\11.8800
2009年8月15日リヴィウのホテル代をクレジットカード1UAH=\12.105
2009年8月15日リヴィウ市内のATM(イーバンクのキャッシュカード)で500UAH1UAH=\12.2600
2009年8月15日キエフの空港でクレジットカード1UAH=\11.561

シティバンクのキャッシュカード、キエフの空港ではおろせたが、その後しばらく市内などで使えなかった。原因は分かりませんが、キャッシュカードは複数持って行った方が安心ということですね。

チップ

旧ソ連ではいらない、ということだったらしい。しかし、観光客が増えたことなどから必要とされている模様。レストランでは10%程度と言われていて、キエフのホテルのレセプションのお姉さんに聞いても同様の回答だった。ただし、しらばっくれて払わなくても何も起こらなかった。

タクシーについては基本的にぼったくりなので、決まった額以外はびた一文払う必要なし。

ビザ

90日以内なら不要。

この点がビザが必ず必要となるロシア等に比べて大きなところ。さらに旧ソ連の場合、入国の際のビザ以外に「滞在登録」というややこしいものが残っていたりするのだが、これも不要。ということで、西ヨーロッパの普通の国のように自由に旅行できる。

関連リンク

Wikipedia

ウクライナ

キエフ(ウクライナ語Київ、ロシア語Киев、英語Kiev)

キエフはウクライナの首都で人口250万人(2005)。ウクライナの中央上部くらいに位置している。首都と言うだけではなく、今のロシアも含めた東スラブで最初の統一国家を作ったという歴史がある都市らしい。ドニエプル川(現地ではドニープロ川)沿いの高台に位置していて、南北の交易ルートとして栄えたらしいが、モンゴルによって破壊された。

ちなみにキエフというのは英語の読みで、ウクライナ語ではキイウといったような発音のようだ。ただし、街ではロシア語がかなり聞かれる。

日本ではあまり知られていない都市だが、正教の教会など見どころも多くきれいな街なので、これから人気が出るのではないでしょうか。

ウクライナ旅行で、2009年8月9日(日)にロンドンから到着して3泊し、オデッサへ向かった。帰りの8月15日(土)もリヴィウからロンドンへの乗り換えで空港を通過。

Wikipediaのキエフ情報

到着

ロンドンから

ボリスピリ空港への到着

2009年8月9日(日)、ロンドンでせっかくヒースロー空港に隣接したSofitel London Heathrowに泊まっていたのに、起きたら飛行機の出発時間の2時間前。時差があるはずなのにいきなり寝坊。急に目が覚めて、朝食もとらずに15分後にはチェックアウトし、歩いて出発ターミナルへ。

チェックインして、BA0882便で9:45にキエフへ出発。ほとんど白人だったが、私のとなりは一人だけ黒人で話しかけてきた。彼は見かけの通りアフリカ出身だが、キエフに住んでいるとのこと。

キエフのボリスピリ空港に15:05ごろに到着。ちなみにこの空港、英語ではBrispolと書かれている。到着ターミナルは(後で見た出発ターミナルと違って)古くさい建物。入国審査のブースの前に並んだが、賄賂を要求されるという噂もあるので緊張した。しかし、人も多かったしそんな雰囲気も全くなく入国。

荷物受け取りの横の棚にキエフの地図があったのでもらって、到着ロビーへ。

市内へ

到着ロビーを出ると、お決まりの「タクシー?」の連呼。適当にあしらって、とりあえずATMで500Грн下ろした。

バスか何かで行こうかと空港の外を見たが駐車場が広がっていて、公共交通機関に向かう人の流れも全くないので困った。

空港にはブースがたくさんあるがみんなキリル文字なので、英語でinformationと書かれた六角形のブースに行って、二人いる女性の一人に市内にどうやっていけばよいのか聞くと、ホテル名を聞かれ、携帯電話でどこかに電話を始めた。するとプーチンのような顔をした若い男が来て、女性は彼について行け、と言う。ついていって空港を出て、車に荷物を載せると、700Грнだと言う。いきなりですか。そんなに金を持っていないというと、いきなり500Грнになった。それでも十分に高いので、押し問答をしていると350Грнになった。それでも渋っているといくらが良いんだ、というので150~200Грнだ、と言うとお話にならない、という様子だったが、300Грнにする、というのでそれで決まり。若い男は持っていた領収書のような紙に300Грнと書いて渡し、引き替えに金を払った。しきりに自分が下げている名札を見せて、空港のタクシーだ、と言って、最後は「こんなにまけたのを(彼を呼んだ)彼女に言わないでくれよ。」と恩着せがましく言ったがどうだか。

ちなみに初老の運転手はそのやりとりをずっと見ていたが、運転を始めると「300Грнは高いよなあ。」と同情してくれた。うーん。誰が誰に金を払っているのか、よく分からないビジネスモデルだ。

タクシーで空港を出ると、気持ちの良い薄緑の森の中を走る。最後はドニープロ川を渡り、坂道を上っていくとキエフの市街に入る。

宿泊

HOTEL KHRESCHATIK(Хрещатик)

日本からoctopustravelで予約していった。3泊で38,600円。中心部を通るフレシシャーチク通りから名前を通っていて、その通りに面している。

ホテルの中身は三つ星ホテル程度かな、という感じで、国全体の物価を考えるとホテル代はかなり割高な印象。セーフティボックスはフロント裏にあり、利用は1泊11Грнだった。

ただし、フロントやレストランの女性はとても愛想良く応対してくれる。

交通

地下鉄

市内を3路線走っていて便利。不思議なのは、それぞれの線が繋がっていないところで、線が交差したところに乗換駅を作ればよいのに、そうなっていないので、交差部分に近い駅同士で降りて乗り換えなければならない。

駅は建物と一体化していて、分かりにくい場合がある。

切符はなく、おもちゃのお金のようなプラスチック製のジェトンを買って、改札から入るときにそれを入れる。戻っては来ない。

あと、旧ソ連の国の特徴らしいが、エスカレーターが高速。日本だと高齢化が進んでスピードをゆっくりに、なんて話も出ているが、そんなものお構いなしにすごい勢いで進む。

バス、トラム、トローリーバス

安いので路線が分かっていれば便利。乗り込むと係のおばさんが近づいてくるので切符を買う。

タクシー

ぼったくられそうなので、とても乗れない。ガイドブックであるKiev In Your Pocketを読むと、「キエフではどの車も潜在的なタクシーだ。嘘だと思うなら通りで手を挙げてみろ。」などと書いてある。タクシーは特定の色が塗ってあるというものではなく、普通の車。メーターはなくて、すべて交渉と思われる。もちろん、旅行者、特に外国人向けの料金を要求するからなのだと思うが、他の物価、他の交通機関と比較して何でこんなにタクシーだけ高いのか不明。

マルシュルートカ

乗り合いバスとも言うもの。ただし、小さなミニバス。窓に路線や番号が掲げられていて、細かくいろいろな地域を走っている。ただし、どこに行くかはよく分かっていないとなかなか難しい。

正教

ウクライナはキリスト教だが、正教である。

正教というととんがり屋根のカトリックやプロテスタントと異なり、タマネギ型の屋根の教会が思い浮かぶが、それ以外についても随分違っている。

まず、教会の内部には像がない。正面にも像がない。天井がフレスコ画で覆われていたり、イコンがあるだけ。また、椅子もないので、中でみんな立っている。ひざまずいて床にキスしている人もいる。

ウクライナ人は相当に信心深い印象で、教会の前を通ったり、教会を出るとき、必ず胸の前で十字を切っている。また、女性は教会の中に入るとき、ベールをかぶっている。ベールというとイスラム教の専売特許のように思えるが、そうではない。いかにも現代的な雰囲気の若い女性が、教会に入るときにさっとスカーフを取り出して被って入ったりしている。

バスの車内でも、前面にイコンが飾ってあったりする。これだけ信心深い国なのに、ソ連時代は無神論を標榜していたというのはにわかには信じられない。

キエフの観光

独立広場

2009年8月9日(日)、ホテルにチェックインしたあと、街を散策。ホテル近くにあるのが独立広場。フレスシャチク通りを挟んで広がっていて、観光客らしき人も含めて人が多い。一方は大きな塔が立っている。塔の後ろは丘のようなショッピングセンターのビルになっていて、その上から広場を見下ろすこともできる。

広場には噴水があって、キエフを創立したといわれる4人の兄弟の像がある。

展望台

フレシシャーチク通りを突き当たったところから遊歩道を歩いて行くと公園のようになった展望台に出る。像とともに大きなアーチがあり、夜になるとライトアップされる。また、舞台上のベンチもある。

端には展望台があり、混雑しているが、ドニープロ川を見下ろす素晴らしい眺め。キエフ自体は丘の上に築かれているが、周りはひたすら森が広がる平野で、そこにドニープロ川が流れている。橋を渡った反対側は高層ビルが並ぶ市街があるようだ。

ドーヴァ・グーシャ(Два Гуся)

夕食はどこにしようか迷ったが、ホテル近くのセルフサービスのレストランへ。これはおすすめ。言葉が分からなくても見て選ぶことができる。

ウクライナ料理で有名なのは、バターを鶏肉で包んでフライにした紡錘形のキエフ風カツレツと、一般にはロシア料理と思われているボルシチ。ボルシチにはスメタナというサワークリームを入れて食べる。不思議な味がします。これ全部で46.80Грн。

あとはビール。ビールは本当にみんな飲んでいて、市中の露店の冷蔵庫は半分がビール。広場で飲んでいる人、さらには電車の中に瓶を持って乗る人までいて、相当に酒好きな印象。

キエフの街

キエフの街は世界遺産にもなっている教会があったりして歴史を感じる。イスタンブールは歴史的な建物の他は普通の建物が建っている印象があるが、キエフの場合は他の建物もきれいな町並みを残していて、街全体が整然としている印象がある。石畳も多く、ヨーロッパでもここまで残っている街も少ないのではないでしょうか。

中心部のフレシシャーチク通りは週末には歩行者天国になり、人があふれる。

ペチェールスカ大修道院

ペチェールスカ大修道院は世界遺産で、キエフ観光のハイライト。市街から南のドニープロ川沿いの丘に建っている。

2009年8月10日(月)、朝食後ホテルを出て、ドニープロ・ホテルの前のバス停で24番のバスに乗車。1.50Грн。街を南下していって、タマネギ型の屋根が見えたので下車。

入口に切符売り場があるが、いろいろな種類のチケットがあり、よく分からないまま購入して入場。

ペチェールスカ大修道院はいくつかの教会から構成されている。まず入口にあるのは聖三位一体教会と呼ばれる小さな教会。中のフレスコ画が素晴らしい。

敷地を中心に進んでいくと正面にあるのがウスペンスキー大聖堂。壮麗な建物で、朝日に輝いている姿に圧倒される。中に入れるのかと思ったが入れないようだった。その前には大鐘楼が建っていて、これも上ることはできなかった。残念。

ウスペンスキー大聖堂から左に進むと、全聖者教会がある。これもフレスコ画が見られる。

他にもたくさんの建物があるが、それぞれ博物館になっている。

トラペズナ教会はちょうどミサか何かをやっていて、入りにくく、後ろでちょこちょこ見てきた。この教会の横は展望台になっていて、ペチェールスカ大修道院の地下墓地がある側を見ることができる。

ペチェールスカ大修道院は大きく2つの部分に分かれていて、教会が建ち並ぶエリアの反対側が地下墓地のエリアになる。地下墓地は2つある。両方とも入口でろうそくを売っていて、そのろうそくを手に持って中に入る。

中は入り組んでいていくつかの部屋があるが、至る所にガラスに納められたミイラが置いてある。服を着せられているのでミイラそのものは見えないが、ガラスにみんな感極まってキスをしたりしている。近い洞窟でも一部は信者のみと書かれているが、遠い洞窟は入口そのものから信者のみと言った表示があった。世界遺産としてはどうかと思うところもあるが、ミイラを見ても楽しいものでもないし、中にいると相当場違いな雰囲気を感じるので、どうしても見学しないといけないものかは少々疑問かも。

聖ミハイルの黄金ドーム修道院

ペチェールスカ大修道院からバスで再び中心部に戻り、聖ミハイルの黄金ドーム修道院まで。ここは金色の屋根と青い壁面が美しい宮殿で、この建物はウクライナ独立後に再建されたものだそうだ。

修道院の入口には、ウクライナ大飢饉についての展示がある。"genocide"という用語が目にとまる。ウクライナ大飢饉はソ連成立後1932~1933年に発生した飢饉で、ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれるウクライナで多くの人が餓死したという。がりがりになった人の写真が掲げられている。

この飢饉自体、スターリンのウクライナ民族根絶を意図したものだという説があり、ロシアとウクライナの間で論争になっている。ソ連成立後の飢饉については私の祖父高谷覚蔵も経験しているもので、直接ウクライナではなかったものの、いろいろ考えさせられるものがあった。

ソフィア大聖堂

ペチェールスカ大修道院と並んでキエフの世界遺産となっているキエフ最古の教会。

大聖堂の中のドームの中心にはマリアが描かれている。このあたり、キリスト教におけるマリアという位置づけはよく分からない。

前にある鐘楼は階段で上るしかないが、すばらしいキエフの眺望が楽しめる。

アンドレイ教会

周りが露店で賑やかなアンドレイ坂の上にある。緑の屋根が金で縁取られ、他の教会と異なっておしゃれな雰囲気。

ウクライナ歴史博物館

アンドレイ教会の近くにある。

アンドレイ坂

アンドレイ教会の横のアンドレイ坂は露店が集まっている。お土産屋が多いが、マトリョーシカ、民族衣装、イクラを載せたパンであるブテロブロートの模造品とか・・・今ひとつなものが多い。

ポディール地区とケーブルカー

アンドレイ坂を降りた地域はポディール地区という地域になる。ここでコーヒーを飲んだが、結構良い値段がした。ポディール地区からはケーブルカーがあり、これで丘の上に戻った。

夕食

ホテルに一旦戻ってフレシシャーチク通りに出て、レストランを探した。ヨーロッパの他のレストランと違って、店先にメニューが出ていない。メニューが出ていないということは価格水準も分からない。

雰囲気の良さそうなレストランがあったので入って夕食。味はおいしくて申し分なかったが、観光客が多いのか、270Грнもした。支払をしたが、よく分からないのでチップを払わずに帰ってきてしまった。

ホテルに戻ってレセプションのお姉さんに聞いたところ、10%くらいのチップを払うよ、とのことだった。

寝台列車のチケット購入

2009年8月11日(火)の朝、地下鉄でキエフ駅まで移動。キエフの後はオデッサまで行く予定だが、オデッサからリヴィウには寝台列車で移動する予定だった。寝台列車は国外から予約するのは難しいが、直前になると埋まってしまうと言う話もあって、キエフ駅で買うことにした。

どこの国でもそうだが、鉄道駅は外国語が通じないので、ロシア語会話集を手に、おそるおそる待っていた。

すると、列の前に並んだ若い女性がちらちら見るのでどうしたのかな、と思っていたら、日本語分かりますか?と日本語で話しかけてきて、なんと通訳して切符を買ってくれた。キエフからの寝台列車ではないので、どうかな、と言いつついろいろ交渉して買ってくれた。寝台列車は上段下段といろいろあるが、上段で良い?ということで交渉成立。なんたる奇跡。

キエフ大学

キエフ駅の後は地下鉄で1駅戻り、キエフ大学の前を通過。非常にグロテスクな色をしているが、ロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否をした学生への罰としてこの色にしたそうだ。大学の道路を挟んだ向かいは公園になっている。

ウラジーミル聖堂

キエフ大学近くにある教会。黄色い色で塗られていて、やはり内部にはフレスコ画がある。

黄金の門

ウラジーミル聖堂の後は歩いて黄金の門へ。

丘の上にあるキエフは城壁で囲まれていたようで、その門がこの黄金の門。モンゴル軍に破壊されたものを再建したとのこと。

民族建築と生活博物館

地下鉄で終点のリビドスカまで行き、マルシュルートカで郊外の民族建築と生活博物館。最初はどのマルシュルートカか分からなかったが、あっちに行ったりこっちに行ったりして紙に書いて教えてもらいながら乗車。

どこで降りるのか不安だったが、運転手がここで降りてあっちに行け、と教えてくれたので、その通り歩いて行った。ウクライナの平野が見える中をとぼとぼ歩いていくと入口があった。

この博物館、ウクライナの民家等が「展示」されているが、とにかく広くて、ところどころに集落のようなものが点在しているので、全部回ろうとするとかなり大変。内部に地図や順路の案内のようなものもない。日差しが強くて暑いので、ばててしまった。

チェルノブイリ博物館

民族建築と生活博物館の後は地下鉄でポディール地区まで行き、チェルノブイリ博物館まで。わかりにくい場所にあるが、建物の前に装甲車が並んでいる。

メモやガスマスクのようなもので事実を淡々と展示しているが、そんなに広い博物館ではない。ウクライナの子供達への医療のための受け入れを世界で真っ先に申し出たのはなんとキューバだったことが展示されている。本当は日本が率先しなければならないのですけどね。また、当時は旧ソ連時代だったと思うが、ニューヨークの消防士達から、命をかけて対策にあたったチェルノブイリの消防士達をたたえるプレートが送られている。

遊覧船

ポディール地区からはドニープロ川の遊覧船が出ている。25Грнだったので、乗って見た。丘の上に輝くペチェールスカ大修道院がきれいに見える。

また、地下鉄が橋の上を通っていくのも見える。

あと、釣りをしている人が結構いる。橋の上から釣り糸を垂らしている人もいれば、ボートで釣りをしている人もいる。中州から釣りをしている人もいて、ちょうど何か釣れていたが、写真で分かるでしょうか。

フォレスターと焼鳥屋

キエフの街を歩いていると、結構スバルの車が多い。中でもフォレスターが多い。スバル、がんばっていますね。

あとキリル文字で「ヤキトリヤ」と書かれたレストランがある。これはチェーン店なのか、ウクライナで何回か見た。

夕食

夕食は今度はフレシシャーチク通りのプザタ・ハタというこれまたセルフのレストラン。高いレストランも良いけど、いろいろなものが選べてリーズナブルなこういった店の方が満足度が高い気がする。

ペリメニという餃子に似た食べ物がある。

財布拾い詐欺

キエフには財布拾い詐欺がいる、とガイドブックに書かれているが、本当にいた。

財布拾い詐欺というのはチームプレーの詐欺で、まず一人が対象者の前で財布を落とす。それを対象者、あるいはもう1人の一味が拾い、山分けにしようなどという話をしているところに最初に落とした一人が戻ってきて金を請求する、というもの。落とす財布は金と分かるように透明なビニールに包まれているものもあるという。

ということで、食事をした後、独立広場の前を展望台に向かって歩いていたら、見事に私の前で透明なビニールのようなもので包まれた紙幣を落としてくれました。もちろん、無視し、方向転換して足早に立ち去りましたけど。

出発

オデッサへ

2009年8月12日(水)にキエフを発ってオデッサへ向かった。

ボリスピリ空港までは、前日にホテルのレセプションで頼んでおいたタクシー。250Грнとのこと。結構良い値段ですね。

朝食後、チェックアウトし、セーフティーボックスを空けて精算し、タクシーは来ているかと玄関から出ようとしたら、何やら裏の通用口に案内され、タクシー、というか普通の車で空港まで連れて行ってもらい、金を払った。

オデッサ(ウクライナ語Одеса、ロシア語Одесса、英語Odessa)

オデッサは黒海に面した港町で、映画で有名なポチョムキンの階段がある。言葉は公用語のウクライナ語よりもロシア語が優勢のようです。

ウクライナ旅行で、2009年8月12日(水)にキエフから到着して1泊し、リヴィウへ向かった。

Wikipediaのオデッサ情報

到着

2009年8月12日(水)にキエフから到着。

キエフのボリスピリ空港

キエフのボリスピリ空港で、ウクライナに到着したときのビルに入ってみたが、日本からウェブで予約した目的の便が表示されておらず、ウクライナ国際航空のカウンターで聞いたところ、どうやら国内線ターミナルは隣のビルとのこと。

隣の国内線ターミナルでチェックインしようとしたが、所定の時間にならないとチェックインできない仕組みらしい。ディスプレイの表示はウクライナ語、ロシア語、英語が順番に切り替わる仕組み。

時間になり、荷物を預け、搭乗口に行ってジュースを買って音楽を聴きながら待っていると、出発時間が近づいて並び始めたので行列に加わり、バスに乗った。ボリスピリ空港、結構広いです。

アントノフ

一応国際空港なので、ボーイングの飛行機が並んでいるので、B737くらいかなあ、と思って見ていたら、見慣れない小さい飛行機の前でバスが停止。

AN-24PVというアントノフの飛行機。階段で乗り込むと、中は結構狭い。手荷物でも大きいものは預けるように客室乗務員・・・というかおばちゃんに促される。内装は結構すごい。まず、頭上の荷物を入れるべき棚は、普通の飛行機のように蓋付きのものではなく、普通の棚。前の操縦席への扉も日本の特急列車の扉みたい。出入りするときにちらっと見たら、操縦席までの間が棚になっていて、乗客がチェックインした荷物が普通に並べてあった。

指定の座席は、一番前でした。座席は当然、リクライニングなんてしない。そして、一番前なので前は壁だが、足の部分だけくりぬいたようにくぼんでいる。全体的に実用一点張り、という味わい。

エンジンが始動すると、ぶおんぶおんぶおんぶおんという音で客室内はいっぱいになる。ウクライナ国際航空PS1001で10:25に出発。なかなか快適な空の旅で、途中でおばちゃん、じゃなくて客室乗務員が飲み物をサービスしてくれました。ただの水だけでしたが。

オデッサ空港

11:35ごろにオデッサ空港に到着。飛行機から階段でぞろぞろ降りる。バスが来ると思ったらそんなことはなく、ぞろぞろ乗客は歩いて行く。ここまでは海外の田舎の空港では良くあること。

しかし、歩いた先にはただの空港を囲むフェンスの中の出口が・・・。到着ターミナルとかはないのか、荷物はどこで受け取るんだろう、と思っていたら、後ろから預けた荷物を載せた車がやってきて、そこで乗客は荷物を探して受け取る。そして、フェンスの出口からクレームタグを見せて確認してもらって出るだけ。すごい仕組みだ。

空港を出るとお決まりの「タクシー?」。ボリスピリ空港の経験でうんざりしていたので、適当にあしらったが、例によって公共交通機関の乗り場がよく分からない。マルシュルートカがあるはずなのだが・・・。

面倒になってタクシーの値段を聞いてみると、また300Грнとか言い出す。「それってキエフと同じだよ。」と言うと「場所によって違うんだ。」とか言う。キエフよりずっと街の近くに空港があるのに。面倒になってきているとマルシュルートカが来ているのを発見。「あれに乗るよ。」と言ったら慌ててメモ帳に80という数字を書いてきたが、断った。大体言い値の1/4~1/3くらいが適正な値段っぽい。

マルシュルートカ乗り場は空港前広場の端にあり、117番のバスが止まっていたので乗り込む。1.75Грнとの表示があったので払おうとすると何やら制止される。キエフとは異なり、降りるときに支払うらしい。

市内まではそんなに遠くないはずだが、道が混んでいるせいか結構時間がかかった。安いものの、タクシーと違ってどこで降りればよいのか分からないところが難しいところ。街の中心部に入ると「地球の歩き方」の地図と対応がついたが、そこに書かれているのとは違い、鉄道駅の近くを通った後はカテリニンスカ通りではなく、プーシキン通りを通って港の方面に進んでいった。窓から通りの名前を見ながら、近そうなところで適当に降りた。

宿泊

Hotel Frapolli

賑やかなデリバスィフスカヤ通りにあるホテル。

今回の旅行では到着したキエフ以外のホテルしか予約していなかったので、キエフのホテルから電話でこのホテルを予約しようとしたのだが、電子メールかファックスで予約フォームを送らないとダメ、と無理難題を言うので、オデッサに着いてから飛び込みで宿泊を試みた。

電話のイメージと違ってレセプションの女性達は愛想が良く、英語も通じ、空きがあったのでstandardを選び、1泊880Грнと良い値段だが即決し、前払いしてチェックイン。翌日は寝台列車泊なので、ゆっくり休まないと。

部屋は天井が高く、非常にきれい。なぜか部屋にパソコンもある。起動してみたが、当然ログイン画面がキリル文字で、よく分からない。

オデッサの観光

オペラ座

港近くの並木通りの近くにオペラ座がある。オペラに興味がある訳ではないが、日本で見るより安く見られるらしい。建物の隣には噴水があり、人が集まっていて、夜もライトアップされて賑わっている。

並木通り

港近くには並木通りがあって、ここも人通りが多い。ベンチが並んでいるが、ほぼ人が埋まっている。ちょうど停泊している船の船員らしき人も多く見かける。

夜もライトアップされ、日中よりさらに賑わっている。

並木通りをずっと進んでいくと、「愛の橋」と呼ばれる小さな橋があり、カップルがつけた南京錠が並んでいる。しかし、この橋、ちょっと華奢な気がして通っていると不安になる。

ポチョムキンの階段

並木通りの真ん中から港へ降りていく階段がポチョムキンの階段。私は見たことがないが、「船艦ポチョムキン」という映画に出てくる場所だそうだ。ここは観光客も多く、写真を撮っている人が多い。また、階段沿いには船員風の帽子などを売るたくさんの物売りの人がいる。中には変わった動物を置いていて、一緒に写真を撮るといくら、という商売をしている人もいる。

ポチョムキンの階段を下り、目の前の建物に入って2階に出ると、港へ続いていく。

港には大きなターミナルのビルがあり、その前には筋肉もりもりの赤子の不思議な像がある。

その先はヨットなどが泊まっている。実際に黒海を渡るブルガリアなどへの船便があるようだし、大きな軍艦も停泊していた。遠くのターミナルでは巨大なクレーンが荷物の積み卸しをしていたし、港近くを鉄道が通っているので、現在でも重要な港のように感じた。

ウクラインスカ・ラスンカで夕食

2009年8月12日(水)の夕食はホテル近くの交差点にあるウクラインスカ・ラスンカというレストランで。内装や、ウェイター、ウェイトレスの服装もウクライナ風だが、値段はちょっと高めで観光客向けっぽいかな、という気もした。

ウォッカをサービスしてくれました。

オデッサ考古学博物館

オペラ座近くの建物。オデッサはエカテリーナ2世によって整備された港町だが、黒海沿いに位置しているため、古くからギリシャ、トルコといった地域の影響を強く受けていたようだ。

デリバスィフスカ通りとパッサーシュ

街の中心にあるデリバスィフスカ通りは飲食店が並び、夜まで人通りが絶えない賑やかな通りとなっている。

通りの橋には公園があって、これまた人が多い。公園に近い通りには「パッサーシュ」と呼ばれるアーケードの通りがある。

プザタ・ハタで昼食

2009年8月13日(木)の昼食はデリバスィフスカ通りのショッピングセンターの最上階にあるセルフサービスレストランであるプザタ・ハタで29.90Грн。キエフの店も大きいが、ここもかなり広いくてワンフロア占有している。でもとても混雑している。

黒海遊覧船

港の先からは黒海の遊覧船が出ている。特に英語の表示があるわけでもなく、近郊に行く船もあるので、どれが遊覧船なのかよく分からないが、船の入口にいる人に聞いて乗船。40分で60Грнだった。

乗っている皆がしているようにビールを飲みながら景色を堪能。

近くには海水浴場があって泳いでいる人がいたり、会場にはたくさんのウインドサーフィンをしている人がいたりする。

西洋東洋美術館

プーシキン通り沿いにある美術館。一応中に入れたが、工事中で一部しか見られなかったせいか、今ひとつ。建物もずいぶんと傷んでいる印象。

出発

リヴィウへ

2009年8月13日(木)、夜行の寝台列車でリヴィウへ。

オデッサの観光を終え、カフェで休んでから、朝チェックアウト時に預けた荷物をホテルで受け取り、トローリーバスで鉄道駅へ。トローリーバスは1Грнと格安。

鉄道駅の場所自体は昼に確認してあったが、その時点で当日のリヴィウ行きの寝台列車はほとんど売り切れていた。キエフで買っておいて良かった。ちなみにオデッサの駅では、キエフの駅と違い、英語の表示も見られる。

寝台列車はかなり長く、16両くらい繋がっている。自分の客車に行くまで歩くだけで結構時間がかかってしまい、早めに来て良かったと思った。

車両には列車の名前を記したプレートがあるが、そこにあるイラストは・・・なぜか新幹線のものもあった!

寝台は「クペー」と呼ばれる1部屋4人で占有するもの。他のヨーロッパで言うクシェット。客車に乗ったとき、ジェロム・レ・バンナみたいなごつい男がいて怖いなあと思っていたら・・・同室だった。それも私の寝台の下。

列車は時間ぴったりの19:00に出発。レ・バンナにベッド下に荷物を入れてもらった。車窓にはウクライナの大地が広がっている。これが中学生の地理でやった「黒土地帯」と呼ばれる肥沃な土地なんだろうと思う。

リヴィウ(ウクライナ語Львів、ロシア語Львов、英語Liviv)

リヴィウはウクライナ西部の街で、ハプスブルク家の支配下にあった時代もあるせいか、まるでプラハのような中性の町並みが残る美しい街です。とてもおすすめ。歴史的地区は当然世界遺産となっています。

歴史的経緯から街の名称も各国語で存在していて、ドイツ語ではLemberg、ポーランド語からのLwówと呼ぶとのこと。

ウクライナ旅行で、2009年8月14日(金)の早朝にオデッサから到着して1泊。翌日キエフを経由して、帰国するためロンドンに出発した。

Wikipediaのリヴィウ情報

到着

オデッサからの寝台列車で2009年8月14日(金)の7:00過ぎにリヴィウ駅に到着。

到着ぎりぎりまで2階の寝台で寝ているつもりだったが、到着が近づくといきなり足をつかまれて起こされた。びっくりしてみると、若い女性の車掌さんが笑っていた。

駅を降りて構内を歩いていると、1人の警察官に呼び止められた。賄賂をせびる悪徳警官がいるという話を聞いていたのでちょっと緊張。さらに、普通警官は2人だが悪徳警官は1人でいるというのでさらに緊張。しかし、パスポートと入国カードを確認されるとそれでおしまいだった。まあ、何も問題がないので突っ込みようがないわけですが。

駅の前はちょっと広場のようになっていて、トラムの線路がとぐろを巻いている。タクシーにしようか歩いてしまおうか迷ったが、トラムを選択。

トラムが市の中心部に進むと、まるで中央ヨーロッパの古い町のような建物が増えてくる。市の中心部はリノック広場という広場で、そこで降りようと真剣にガイドブックの地図を見ていたら、トラムで近くのおばさんが何やら話しかけてきて、ああリノック広場ねとにっこりした。

そのリノック広場はすぐに分かった。トラムを降りてとりあえずホテルに向かった。

宿泊

Grand Hotel

リノック広場にも近い中心部にあるホテル。

オデッサ同様、旅行前にホテルを予約していなかったので、キエフのホテルから電話でこのホテルを予約した。これまたオデッサのホテルと同様、予約フォームを送って、と言う話になったが、旅行中だと説明すると、カード番号を伝えるだけで予約できた。

通りに面しているが、館内は非常に静か。英語の通用ども全く問題なし。ただし、1泊935Грнと良い値段。

早朝にリヴィウに着いたので、昼のチェックインまで荷物を預かってもらった。

リヴィウの観光

リヴィウの街並み

リヴィウの市街は「リヴィウ歴史地区群」として世界遺産(文化遺産)に登録されている。タマネギ型の正教の教会が目立つウクライナの都市とは異なり、ここは完全に中欧といった雰囲気を漂わせている。ヨーロッパの街はいろいろ行ったが、これだけ美しい街並みが残っているところは珍しい。プラハも同じように美しい街が残っているが、ずっと観光地化されている。

街のどこが、ということではなく、ぶらぶらと歩き回っていても、歴史のある街並みを見ることができる。

こうした街並みの美しさだけではなく、その「美意識」というようなものが街全体に感じられるところが素晴らしい。京都などと同じだと思うが、マクドナルドも色を落とした地味な装飾になっている。

それ以外にも、街に置いてあるベンチやゴミ箱、そしてトイレの表示といったちょっとしたものまでしゃれたデザインになっていて、街全体から洗練された雰囲気が感じられる。東ヨーロッパを旅行すると垣間見られるソ連時代の大型、無骨、機能一点張りといった建物などの痕跡がなく、旧ソ連だったという雰囲気が感じられない。

オペラ・バレエ劇場

オデッサ同様、オペラ劇場が街の中心部近くに鎮座している。前は噴水になっていて、そこからは両側にベンチが並ぶ遊歩道になっていて、昼になると人が多い。

聖アンドレイ教会

ウクライナは基本的にウクライナ正教だが、リヴィウではウクライナ・カトリックという正教とカトリックの混じり合ったものになっている。教会の中もごてごてしていてカトリックの教会風。

朝方だったが教会の周りは花を売る人など賑やか。教会の道を挟んだ向かいは市場になっていて、ここもかなり賑やか。

この教会の裏には城壁が残っていて、これがかつてモンゴルの襲撃から街を守ったのだという。

朝食

早朝から街を歩いたが朝なので店などはやっていない。ようやく朝からやっているセルフの店を見つけ、朝食。朝からちょっと脂っこいような。コーヒーもインスタントっぽい。しかし、空腹だったので、食べたら体も温まって、元気が出てきた。

リノック広場

リヴィウの中心と言えばこのリノック広場で、市庁舎や博物館などもこの広場に集まっている。古い建物が並んでいるところはブリュッセルのグラン・プラスを思わせるが、「広場」の真ん中に市庁舎が建っているので、ぐるっと周りを見渡せるのではない。

市庁舎

市庁舎は広場の真ん中にあり、現在でも庁舎として使われているようだ。この建物の時計がある塔には上ることができる。

建物の中は本当に普通の市役所のオフィスといった感じで、そこを順路に従って歩いて行くと塔に上るドアがあり、そこで金を払う。そこから階段をひたすら上っていくと途中で時計を動かす機械があり、さらに上っていくと塔の上に出る。

眺めは素晴らしい。

民俗学・美術工芸品博物館

リノック広場の東側の建物は多くが博物館になっている。民俗学・美術工芸品博物館では陶器や家具が並べられているのを見ることができる。入口は幅が狭い建物だが、中は結構奥行きがあって広い。

ドミニカ聖堂

リノック広場から少し入ると丸い屋根が特徴のドミニカ聖堂がある。宗教の博物館がある。

アルメニア教会

リノック広場から北に歩いて行くとある教会。またまた難しいが、アルメニアのキリスト教はまた特徴があるキリスト教らしく、アルメニア人が信仰するアルメニア教会というジャンルの教会があるらしい。確かにアルメニアも遠くはない場所ですね。

全体的に外観も含めて地味な印象。工事中で庭が見られなかったのが残念。

昼食

昼食は旧市街にあるカフェで。ウクライナのカフェというのは日本で言うカフェよりもずっとレストランに近いので、しっかりとした食事が食べられる。

街の外れの城壁

市街の外れの山というか丘の上に展望台がある。市街の北から坂道を上っていき、最後は林の中の階段を上っていくとテレビ塔らしきものもある道に出る。さらに上っていくと城壁があり、そこから市街を眺めることができる。

眺めは素晴らしいのでがんばっていく価値がある。列車が行き来する様子なども見られる。

クヴァース

クヴァースはロシア等での夏の風物詩になっている飲み物ということらしい。キエフのペチェールスカ大修道院でも見たが、道の横などに黒いタンクがあり、横におばちゃんが座っていて、タンクからコップに入れて売ってくれる、というのが定番。

これはリノック広場で頼んだもので、もっと近代的にビールサーバーのようなところから入れてくれた。

黒パンを発酵させたものということらしく、甘酸っぱいカブトムシが好みそうな味。でも結構おいしくて気に入った。

大聖堂、ボウイム家の廟

リノック広場の南西にある大きな建物が大聖堂。中に入ることもできる。

その裏手にあるいかにも古そうな建物がボウイム家の廟で、入場料がいるが中に入ることができる。

聖母被昇天教会

リノック広場から東に行ったところにあるこれまた大きな教会。何度も立て直されたものらしい。

夕食、コーヒーとケーキ、そしてワイン

夕食はリノック広場から少し北に行ったところにあるレストランで。味はまあまあだったが、ウェイトレス、無愛想すぎ。

なんとなく不満足だったので、食事を終えてから別のカフェへ。コーヒーを頼み、ケーキを頼むと今度は若いウェイターが陽気にサービスしてくれた。ということで調子に乗ってワインまで飲み、リヴィウの、そしてウクライナの最後の夜が終了。

出発

キエフへ

2009年8月15日(土)の朝、ホテルをチェックアウトして空港までタクシー。

空港は近代的なビル、というのではなく、何だか博物館か何かの建物のよう。正面から入ったが、どうも乗るべき便が表示されていない。で、聞いてみると、そこは国際線ターミナルで、国内線ターミナルは隣のビルとのこと。

国内線ターミナルは普通の空港、というか田舎の空港のように素っ気ない建物。列に並んでチェックインし、荷物を預けたが、何やら言われた。ウクライナ語かロシア語なのでちっともわからないが、「身振りによると荷物をラッピングしないのか?」と行っている模様。大したものは入っていないので良いよ、ということでそのまま預けた。

ウクライナ国際航空PS1082で10:00に出発。キエフからオデッサに行ったときのアントノフと違い、今度はSAAB 340A。客室は狭く、座席はリクライニングしないが、ずっと快適だった。

キエフからロンドンへ

11:35ごろにキエフのボリスピリ空港に到着。

ボリスピリ空港の国内線ターミナルに着いたので隣の国際線ターミナルまで歩き、セルフ形式のレストランで食事。市内で食べるよりずっと高いのでびっくり。

街では滅多に見ないが、空港には中国人らしき東洋人もちらほら見た。

時間があるので、最初に着いたときにも興味があった荷物のラッピングに挑戦。これは旧ソ連でよく見るものらしい。とにかく荷物の紛失などが多いので、ビニールで荷物をぐるぐる巻きにするというもので、結構多くの人が、というよりほとんどの人がやっている。ウクライナ国際航空の機内誌にも、「荷物の紛失が多くてごめん。それを避けるためにはラップしてね。」と書いてあるくらい・・・。

自動包装機のようなもので荷物を回転させながらラッピングするものもあるが、おじさんが手で包んでくれるサービスを利用。これで旧ソ連の旅行らしい?

この荷物を持って、出発ゲート近くへ移動。ただ、このボリスポリ空港の出発はちょっと変わっていて、最初にあるゲートの奥にチェックインする窓口がある。自分が乗る便が近くならないとチェックインできない雰囲気。

ということで、出発ゲート近くのバーでビールを飲んで待機。ビールを頼むと簡単なつまみも持ってきてくれて、ウェイトレスの笑顔も素晴らしい。しかし、請求は笑顔とともに90Грн!

とにかくこの空港は何をするにも割高な感じ。と思ったが、チェックインして出国手続をすると、今までとは全く違う明るく現代的な雰囲気になっていて、飲み物も普通の値段。ということでさらに残ったフリブナでワインを堪能。飲むならここまで来てが良いようです。

BA0883で15:55に出発、ロンドンに17:30頃到着。

ロンドンで1泊して翌日の8月16日(日)に成田へ出発、8月17日(月)に帰国。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで