最終更新日 2011年5月21日
2011年5月にインド旅行で訪問。
国名 | インド(日本語)、India (英語)。ヒンディー語ではバーラトというらしい。 |
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国土 | ヒマラヤ山岳地帯、ヒンドスタン平原、インド半島からなる。 |
気候 | 冷帯気候が多い。しかし、訪問した2010年は記録的な猛暑! |
人口 | 約11億3104万人(2007)。 |
民族 | インド・アーリア系72%、ドラビダ系25%、モンゴル系、トルコ系、イラン系。 |
宗教 | ヒンドゥー教82.7%、イスラム教11.2%、キリスト教2.6%、シーク教1.9% |
首都 | ニューデリー(New Delhi) |
経済状況 | 一人当たり国内総生産2,762ドル(PPP,2008)。 |
時間 | UTC+5:30。他の時間帯と1時間単位ではなく、30分の端数があるのがややこしい。 |
公用語はヒンディー語。準公用語が英語。ただし、非常に多くの言葉が話されていて、州毎に公用語がある。
英語はなまっているが(人のこと言えないが)、意思疎通に必要な程度には相当通じる。
ルピー(INR)。補助単位の1ルピー=100パイサがあるということだが、見なかった。大まかに言って、1ルピー=2円(2011年5月)
インドでお金について難しいことがいくつかある。1つは高額紙幣の使い勝手で、両替するとどうしても500ルピー札をもらうのだが、これがなかなか「お釣りがない」と言って受け取ってもらえない。これしかなくなると、小銭難民になってしまう。また、お釣りをちゃんともらえるかというのは他国でもあるが、よく確認する必要がある。さらに難しいのは、汚い札は通用しないということで、ばば抜きのような状況になっている。そのため、お釣りをもらった際は、金額があっているかどうかだけではなく、汚い札が混じっていないかもチェックして、あった場合はその場で受け取りを拒否しなければならない。
両替所は多い。
イギリスの植民地だったが、あまり習慣はないようだ。
必要。
インド料理。
日本でもインド料理の店があるので、同じようなものかと思ったら、ちょっと違った。
1つは、宗教上かベジタリアンが幅を利かせていて、レストランもベジタリアンのレストランがあり、肉が出ない。当然酒も出ない。そうでない店でも、メニューは"Veg"と"Non-Veg"に分かれていて、前者の方が品数が多かったりする。
あともう1つは主食で、日本だと滴のような形をしたナンが出てくるが、これはちょっと高級なようで、もっと薄くて小さいチャパティというピザの生地みたいなものが食べられている。
あと、右手でしか食べない、手で食べる、というが、あんまり手で食べている人は見なかった。
露店でも揚げ物が多く売っているし、果物も露店で多く売っている。しかし、インドは水に問題があるので、挑戦はしなかった。果物も、それだけなら良いが、見ていると乾かないようにしばしばペットボトルに入れた水をかけていて、それが濁った水だったりする。
水については、観光地には"Drinking Water"というコーナーがあり、インド人達はそこで水を汲んでいたが、日本人にも大丈夫なものかは不明。
インドは全土を鉄道が網羅している。旅行者には便利だが、実はこれがとても大変だった。
Indian Railway Catering and Tourism Corporation Limited(IRCTC)のサイトからオンラインで予約が出来、プリントアウトしたE-Ticketで乗ることが出来る。
しかし、このサイトでは、インド国外のクレジットカードでは決済できないという話があって、Cleartripといったインドの旅行代理店で購入するという話があった。しかし、2011年4月の段階で、Cleartripでは海外(日本)のクレジットカードでは決済できず、途方に暮れていたら、なんと本家IRCTCのサイトで海外(日本)のクレジットカードで決済できるようになっていた。
もう1つの問題は、混んでいること。クレジットカードの決済方法で悩んでいるうちに、一週間前では満席ばかりになってしまった。ここからが複雑でWL(Waiting List)なる変な状況のチケットが買える。つまり、空席待ちのチケットが買えてしまう。これ、当日にキャンセルが出ていれば乗れるが、そうでなければ乗れず、返金される。
しかし、インドの駅、特に窓口は大変な混雑で、列には並ばないし、現場で状況を確認するのは大変。
クラスはエアコンの有無などで細かくクラスが分かれていて、値段も随分違う。2等席なら予約不要だが、これがまたすごい。びっしりとあふれんばかりに人が乗っていて、かつ、窓が鉄格子。外から見ると、動物を運んでいるみたいなひどい状況。
そして、最大の問題が遅れること。今回の旅行でも15分くらい遅れるならかわいいもので、7時間も遅れたことがあった。その間の情報提供もよくわからない。というか、いろいろな掲示板で表示されるが、それぞれ違ったりするのでさっぱりわからず、到着間際にホームが変わったりする。
寝台列車の場合、エアコン付き車両でSU(Side Upper)なんて選ぶと窓がないので、今どこにいるかわからない。時間が遅れたりすると、時刻表通りではないのでますますどこにいるかわからない。
ということで、大いに改善の余地がある鉄道ですが、一旦のってしまうと、いろいろなものを売る人が次々と乗りこんだりして、おもしろい。
列車内の盗難は多いようで、インド人もチェーンで荷物をくくりつけていた。
インドの航空会社と言えば、エア・インディアということですが、遅れも多かったり、あまり評判は良くない。ただし、今回利用したJet Airways、JetLiteの他、Kingfisher Airlines、SpiceJet、IndiGoなど、いろいろな航空会社が参入していて、そっちのほうがよさそう。
今回旅行した2011年5月は、エア・インディアが一週間近くストライキをやっていて、国内線は壊滅状態だった。
今回旅行した中では、デリー、コルカタに地下鉄が開通している。特にデリーの地下鉄はものすごい勢いで整備されているようで、インディラー・ガンディー国際空港から市内へも、Airpot Metro Expressという地下鉄で15分ほどで出ることが出来るようになっていた。
通常の地下鉄の中は、車両毎ではなく、一つながりの座席毎に、ここはLadiesなどと決まっていて、男女が分けられている。
あと、金属探知機のゲートを通る場合が多い。もっとも、みんな金属を持ったまま通って、係員が身体をチェックする、と言うやり方。
インドと言えば、これ。いわゆる三輪タクシーで、日本語の人力車から来た言葉らしい。ただし、発音はオートリキソウのように聞こえるし、単純にAutoと呼ばれることも多いようだ。これは自転車こぎのサイクルリキシャーとの区別かも知れない。もちろん、サイクルリキシャーも未だにある。
一応メーターが着いているが、まあ、観光客は交渉しないとダメ。結構ふっかけてくる。私が乗ったときは30〜150ルピーが1回あたりの金額だったが、本当は多分もっと安い。まあ、交渉の時間をどう見るかですし、日本の感覚から言うと圧倒的に安いですが。
運転はかなり荒い。というか、車線も何もないので、対向車が来てもすり抜けるように走っていく。
また、私はほとんど一人で乗っていたが、インド人はこれでもかというくらい相乗りしていて、4〜5人は当たり前、後部座席だけではなく、運転手が乗る全部座席の両方にも鈴なりになって乗っていたりする。定員という概念はない模様。
ただ、コルカタだけはほとんどオートリキシャーがなく、黄色いタクシーばかりだった。
一応、タクシーもある。ただ、エアコンも効いていないことが多いし、なんとなくオートリキシャーの倍くらいの値段に感じるので、あんまりメリットは感じない。
インド旅行では入出国の拠点としたので、2011年5月1日(日)に成田空港から到着し、2泊して2011年5月3日(火)にバラナシへ向けて出発。このときは日帰りでアーグラーに行ったのみ。そして、2011年5月7日(土)にコルカタから戻ってきて1泊して観光し、2011年5月8日(日)に成田へ向けて出発。
2011年5月1日(日)に成田エクスプレスで9:25に空港第2ビルへ。最近は京成のほうが早いが、震災の影響かウェブで予約できないというとんでもない状況なので、今回は高くて時間がかかっても成田エクスプレス。
空港はゴールデンウィークなのに思ったより空いていた。11:35発の日本航空JL749便で出発。これもゴールデンウィークなのにがらがらで、1人で3人分の座席を使えるような状況。CAはタイ人の人も多かった。
同日の17:30ごろにデリーのインディラー・ガーンディー国際空港に到着。直行便だと楽。
到着したのは新しくできたTerminal3で、良く言われる「人がぶわっと押し寄せてくる」ということもない。空港で100ドルのT/Cを両替した。
空港からのプリペイドタクシーもいろいろ評判は良くないが、空港からは開通したばかりの地下鉄Airport Metro Expressというものが出来ている。切符の購入時にコンノート・プレイスまで行きたいというと、Shivaji Stadiumまで行って歩けと言うことなので、その通りにした。20分単位で出発していて、60ルピーで15分ほどで中心部まで行ける。まだあまり知られていないのか、結構空いていた。歩いてホテルにチェックインした。
コルカタまで行って2011年5月7日(土)に再びデリーへ。
インディラー・ガンディー国際空港に18:30頃に到着。地下鉄Airport Metro ExpressでShivaji Stadium駅まで行って、歩いてホテルにチェックイン。
15, Parliament Street, New Delhi 110001 India
ニュー・デリーのコンノート・プレイス近くにある大型ホテル。日本からオクトパス・トラベルで予約していった。
初めてインドに到着した2011年5月1日(日)Airport Metro ExpressのShivaji Stadiumからコンノート・プレイスに向かって歩き、ちょっと回り込むような形で歩くと着いた。
X線検査をして中に入ると、チェックイン手続はスムーズ。パスポートも一旦預かると言うことだが、後で部屋まで持ってきてくれた。しかし、夕食をホテルのヴァイキングで食べたら、1600ルピーもした。
私もよくわからなかったのは、デリーかニュー・デリーかということ。首都の名前、飛行機での行き先などばらばら。
インドの街は、もともとあった街と、イギリスが植民地時代に作った街(新市街、Cantonmentなどとも呼ばれる)に分かれていることが多い。デリーの場合、後者の部分についてニュー・デリーと呼ばれているらしい。そして、前者はデリーなのだが、区別をするためにはオールド・デリーと呼んだりする。つまり、デリーという大きな街の中に、ニュー・デリーという新市街の部分があり、それ以外の部分をオールド・デリーと呼んだりするという構造。首都はどこかといわれると、ニュー・デリー部分にあるのだけど、そもそもニュー・デリー自体がデリーの一部、ということらしい。私の理解では。
到着した2011年5月1日(日)は、夕食も機内食で足りてしまったので、少しコンノート・プレイスあたりを歩いてから就寝。ちょっと歩いただけで、暑くて人が多くて、臭いがして・・・。しかし、これは本当に序章だった。
デリーに戻ってきた2011年5月7日(土)、デリーで初めてホテル以外で夕食。ホテルの近くで結構混んでいるレストラン。
久しぶりにビールを飲み、チャパティではなくナンを頼み、スープとキーマカレー。やっぱりチャパティよりナンのほうがおいしい気がする。陽気なウェイターに乗せられて、ビールを2本飲んでしまった。
インド最後の宿泊の晩、飲んで食べて機嫌良く寝たが、未明に強烈な腹痛で目が覚めた。吐き気もする。いよいよインド名物・・・。トイレに行って、日本伝統の正露丸を飲み、ベッドに戻ったがうめきそうな腹痛だった。
水も気をつけていたので、原因はよくわからない。
朝になってとりあえず収まってきたようなので、朝食は本当に軽くとり、午前中はデリー見学を諦めてホテルで静養。チェックアウト時間の正午ぎりぎりにチェックアウトし、荷物を預けてようやくデリー見物に。
時間が無くなってしまい、世界遺産のフマーユーン廟や、クトゥブ・ミナールは見られなかった。クトゥブ・ミナールは飛行機から見えたけど。
まずはオールド・デリーから。
ホテルからコンノート・プレイスまで歩き、地下鉄のRajiv Chowk駅まで。何だか交通量が少なくてのんびりしていると思ったら、日曜日だった。
Chandni Chowk駅まで行って、人の流れについていくと、チャンドニー・チョウクという通りに出る。途中でものすごくゴミが山積みになっている場所があった。
チャンドニー・チョウクには店が並び、シーク教の寺院があったり、ジャイナ教があったりして人通りが多い。ここから伸びる路地も店がたくさん並んでいる。
道の突き当たりがラール・キラー、英語ではRed Fortとも呼ばれる赤い城。ムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンがアーグラーから都を戻して築いた城。インドの旗が翻り、威容を誇っている。
切符売り場でまた外国人用の高い切符を買い、X線検査を受けて外壁の門をくぐると、ラーホール門という門がある。ここをくぐると両側に店が並ぶトンネルのようになっていて、そこを通り過ぎると庭に出る。中には建物がいくつも建ち並び、皇帝が座った玉座もある。とにかく暑い。
ムムタージ・マハルという建物は博物館になっているが、冷房が無く、インド人の観光客がいっぱいで見づらかった。平気で横入りするし。
ラール・キラーの後は、オールド・デリーの迷路のような路地を歩いて、ジャマー・マスジットまで。途中、迷ったかと思った。
これはいわゆるモスクだが、かなり大きなもので、入口も立派なもの。靴を脱げと言うので脱ぎ、入場料を払えと言うので払って中に。
広い広場に入るが、どこの建物もそうだが、床が石で、暑くてとても裸足では歩けない。絨毯を敷いた獣道のような経路を通って建物まで。よくわからなかったが、ミフラーブらしきものもいくつかあり、熱心にお祈りをしていた。
さらにお金を払って、ミナレットへ昇った。入口から入り、外壁の上を通ってミナレットまで行き、階段で上まで。景色は良かったが、一番上は狭くて混んでいた。
ジャマー・マスジットの後は、チャウリ・バザールへ突入。店が建ち並び、人通りが多く、これぞオールド・デリーという雰囲気。Chawri Bazar駅で地下鉄に乗ろうと思ったが、途中で道がわからなくなってしまった。
近くのカメラ屋で聞くと最初はよくわからなかったが、右に左に曲がっているがひたすらこっちに行け、というように言うので狭い路地を進む。
肉を売っている地区などいろいろあって、臭いもきつい。途中、小さなチャーイの店に入ったら、座れと言うので、席に座って飲む。とても熱くてゆっくり飲んでいたら、店の子供が水を汲んで笑顔で出してくれた。うれしかったが、お腹を壊したばかりで、口を付けられず、ちょっと申し訳なかった。インドに人って飲んでも大丈夫なんだろうか。
かなり歩いた気がしたが、路地から大きい道に出て左に進むとChawri Bazar駅を発見。
Chawri Bazar駅から地下鉄でCentral Secretariat駅まで。降りるとオールド・デリーとは一転して広い通りがまっすぐと続く。このあたりが大統領官邸や議事堂がある中心部。インド門も見える。
国立博物館をさっと見学。ほとんど時間が無くて残念。カメラもクロークに預けろ、など結構厳しかった。
時間がないので、国立博物館の出口に待っているオートリキシャーでホテルまで。最初100ルピーだといい、メーターを指さすと、壊れていてこれがメーターだ、とか言って速度計を指さす。気分が悪いので動き出したが降りようとしたら、70か80ルピーになった。まだ高いが時間もないので乗りこむ。近くのジャンタル・マンタルで下ろしてもらい、ホテルへ。
2011年5月8日(日)、国立博物館からホテルに戻り、預けてあった荷物を受け取り、地下鉄Airport Metro Expressでインディラー・ガンディー国際空港へ。
チェックインして、出国手続。列が長いし、出国でもカードを記入しなければならず、結構時間がかかった。
出国してからは余ったルピーで夕食。出国手続きした後はルピーから両替できないし、免税店もルピーを受け取らないので、食べたり飲んだりして使ってしまった。
19:35発のJL740で成田へ向けて出発。帰りの飛行機はインドの古代の歴史の本を熟読して復習。
翌5月9日(月)の7:00過ぎに成田空港に到着、成田エクスプレスで東京まで行って、中央線で帰宅。
世界遺産タージ・マハールがあることで有名なデリー近くの都市。ムガール帝国の都になっていた時期もある。
インドに着いてデリーにいた2日目の2011年5月2日(月)、早起きして朝食抜きでNew Delhi駅まで。ホテルの人にタクシーを呼んでもらって100ルピーだった。メーターでは半分くらいだったが。
New Delhi駅はまだ薄暗かったが、人がたくさん座り込んでいたり、寝転んだりしていてびっくりした。
日本で予約したE-Ticketで、6:15発の特急Bhopal Shatabdi Expressに乗車。これは一応高級な特急のようで、簡単な朝食や紅茶のサービスがあった。
Agra Cantt駅に8時過ぎに到着。
ファテープル・スィークリーはムガール帝国3代目のアクバルが14年間都をおいた跡で、世界遺産。
Agra Cantt駅の外に出ると、プリペイドのオートリキシャーの小屋があった。Idgah Bus Standまで行きたいというと、42ルピーだという。外に30ルピーって書いてあるじゃないか、というと、「ごめん、間違えた、手数料込みで32ルピーだ」と言われた。このあたり、よくわからない。
オートリキシャーに乗ると、運転手はアーグラーではどこを観光するんだ、貸し切りで案内するぞ、と一生懸命営業して来たが、生返事でかわした。
Idgha Bus Standに着いて、ファテープル・スィークリーに行きたいんだ、というとあのバスに乗れ、という。乗って見ると、すでに観光客らしき欧米人も乗っていたが、相当に、相当にくたびれたバスで、座るだけで服が汚れそうなもの。運転手が乗りこんで、ギーギー言いながら出発したが、途中で止まり、職人のような人が乗りこんできて、運転席の横から油を差していた。それで直るのか謎。とにかく再度出発し、ファテープル・スィークリーに到着。料金は27ルピー。
バスを降りた周りは果物を売る露店をはじめとするびっしりとした商店街で暑くて騒々しい。来た道を少し戻って坂道を上り、ファテープル・スィークリーへ。
ファテープル・スィークリーはモスク部分と宮殿部分の2つに分かれている。
まずはモスク部分、近づくと巨大なブランド門が見えてくる。階段でこの門まで昇るとモスクに入ることが出来る。男が話しかけて、俺はガイドではないが案内してやる、というので無視した。門自体相当立派なもの。ウズベキスタンにあるティムール帝国時代の建物に形は似ているが、赤い石で作られている。ジャマー・マスジッド(金曜モスク)に入るには靴を脱ぐ必要があるので、入口あたりの人に靴を預け(チップがいる)、中に入ったが、まあ、モスクだった。
モスクから出て、階段を下りていると、子供が10ルピーくれ、としつこく着いてきたが、無視した。
一方、宮廷部分は、入場料が必要。インド人と違って外国人は結構高い。中に入るといろいろな建物、区画があって広々としている。しかし、全然使っていたものという感じがしなくて、きれいになっていて、どこまでがオリジナルでどこまでが再建・修復されたものなのかよくわからなかった。
中を歩いていると、また俺はガイドではないが案内する、という男が話しかけてきたので、無視した。
ウズベキスタンで見る建築と異なり、建物の柱や天井にも木は使われておらず、形や模様は似ていてもすべて赤い石で作られている。形はティムール帝国の建物に似てはいるものの、最上部にくっついている、細い柱で支持され、茶碗をひっくり返したような天井を持つ小屋の様式はインド独特のもの。インドの他のイスラム建築でも同じよう。
ディーワーネ・ハースという建物の中には天井を交差するところにアクバルが座ったという。
再びバスでIdgah Bus Standまで戻り、道に出て歩くとオートリキシャーの運転手が声をかけてきたので、60ルピーでタージマハールまで。
これは言わずと知れた世界遺産で、ムガール帝国5代目のシャー・ジャハーンが王妃のムムターズ・マハルの死を悼んで建築した霊廟、つまりお墓。
これもファテープル・スィークリーと同様に赤い石で出来た立派な門がある。その門をくぐると、視線の先にタージマハールの廟が見える。ここでみんな写真を撮っている。ドーム部分が巨大になってはいるものの、これまでに見たイスラム建築と同じように見える。ただし、この廟だけ色が白い。廟に入るにはまた靴を脱がなければならない。中には墓があるが、以外に狭かった。
廟の裏はヤムナー川に面している。シャー・ジャハーンは川を挟んで自分の墓を造り、橋で結びたかったらしいが、これはかなわなかった。
タージマハールは白い廟だけではなく、左右にモスクなどの建物があり、前は庭園になっている。モスクはやはり赤い石造り。庭園には黒と灰色のカラス?のような鳥がいて、リスもいた。写真にもわかりにくいが、真ん中の鳥の上のあたりにリスが写っている。
タージマハールの後は、再びオートリキシャーでアーグラー城へ。今度は50ルピーだった。アーグラー城もファテープル・スィークリーと同様、アクバルによって築かれた城。門から入ると90度左に入るような形になっていて、防御のための城という感じがする。城の中は広々としていて、いろいろな建物がある。敷地内には猿もいて、まったく人間を警戒せず、芝生に座った人間の横で食事をしたりしていた。
ヤムナー川に面しており、タージマハールも見える。
アーグラー城を見た後、さらにオートリキシャーでAgra Cantt駅へ。アーグラー城の前でオートリキシャーの運転手に声をかけたら、最初の運転手は80ルピーと言う。そして、奥の運転手が50ルピーと言うので乗りこんだが、運転手同士でちょっとした言い争いになった。旅行して感じたのだが、誰か1人の運転手と料金交渉しているとき、他の運転手は寄っては来ても見ているだけなのが普通のようである。最初の交渉が決裂すると、次の人、という感じ。なので、どこどこまで行きたい、と言って、その場で逆オークションのようなことにはならない。何かマナーやルールがあるのかも。
とにかく、Agra Cantt駅に戻ったが、時間があるので抜いていた昼食をと思い、駅のレストランでチキンヌードルを食べた。110ルピー。これがホテル以外で食べたインド最初の食事。手で食べるのかと思ったら、ちゃんとフォークが着いてきた。味は縁日で食べる焼きそば、という感じ。
駅の中にも普通に猿がいた。インドは本当に動物が多い、というか人間と動物が一緒に住んでいる。
帰りは、特急PUNJAB MAILでNew Delhi駅に向けて出発。17:55発の予定なのに遅れてきて、到着も遅れて21:15の予定が22:30頃にNew Delhi駅へ着いた。
昼食は遅かったが、夕食も食べようと思って駅から少し歩いたが、さすがにこの時間だと店が閉まっている。仕方ないので、オートリキシャーでホテルに戻ることにした。近くにいた運転手に聞くと、夜だから70ルピーだという。朝のタクシーの100ルピーより安いから良いか、と思い、乗ることにした。出発前に運転手が露店で何か買っているので、「それ何?」と聞いたらゆで卵の上に野菜のみじん切りを載せたようなもの。半分に切ったものが4つあったので、1つくれた。おいしかった。そうしたら、もう1つくれた。つまり、買ったものの半分食べてしまった。ちょっと恐縮したので、ホテル前に着いて降りるとき、「卵の分だ」と10ルピー余分に払おうとしたら、誇示された。なので、ありがとう、といってがっちり握手してきた。
ホテルに戻って、1階のレストランのヴァイキングでビールと食事。なんと1600ルピーもした。
ヒンズー教の聖地として有名なガンジス川沿いの街。良くも悪くもインドらしいところなんでしょうか。汚さと臭いがかなりきついものがあった。
Varuna川とAssi川に囲まれているのでVaranasiということだが、この街の呼び方には色々あって、英語読みから来たベナレスという呼び方もあった。
インド旅行で2011年5月3日(火)にデリーから到着し、1泊して2011年5月4日(水)にガヤーへ向けて出発。
2011年5月3日(火)、朝食後、チェックアウト。地下鉄Airport Metro Expressでインディラー・ガンディー国際空港へ。ちょうどこのときエア・インディアはストライキ中のようで、軒並みキャンセルになっていたが、日本で予約してあったJetLite 9W723で10:50に無事出発。B737。機内食が出たが、両側の男性ともベジタリアンだった。
バラナシ空港に12:00過ぎに到着し、空港から出るとプリペイドタクシーのテントがあった。同じ飛行機だった日本人観光客2人に声をかけられ、プリペイドタクシーに相乗りしてVaranasi駅へ。480ルピーだったが、駐車場料金の40ルピーは別途とられた。宿は決まっているのか、Varanasi駅から街までは100ルピーで乗せてやる、などいろいろ営業して来たが、生返事でかわした。
Varanasi駅で、駅の観光案内で地図をもらった。ここからは宿を予約していないので、宿の候補をいくつか書いてもらい、その附近まではオートリキシャーで65ルピーだと書いてもらった。
駅を出ようとするとオートリキシャーの運転手が声をかけてきた。いくらか聞くとふっかけてきたが、65ルピーって聞いたよ、ということで65ルピーになった。先ほどの学生2人にまた遭遇し、じゃあ一緒に、ということで、さらにオートリキシャーでVaranasi駅から旧市街へ。運転手は陽気で、おまえは結婚しているのか、No Wife, No Lifeだぞ、と言われた。紹介された宿についてもあれが良い、これは良くない、と言いだし、1つのホテルに誘導しようとする。まあ、行ってみて決めれば良いか、ということで着いていった。
Varanasi駅で紹介され、かつオートリキシャーの運転手に連れて行かれたガンジス川沿いのゲストハウス。高級ホテルから急にゲストハウスに。
オートリキシャーの運転手は車を止めると、迷路のようなバラナシの旧市街を進んでいく。壁に案内がゲストハウスの名前が書いてあって案内してあるが、結構歩いて到着。
最初に見せてもらったシングルの部屋は、明けた瞬間、ヤモリがささっとベッドの裏に隠れるのが見えた。扇風機しかないようなので、エアコンがついた部屋はないのか聞いたら、別の従業員に話をして、このゲストハウスで一番良い部屋に案内されたのでこれに決定。それでも1,000ルピー。エアコンがあるが、停電がしばしばあるので、そのときは動かないですよ、とのことだった。
部屋のベッドには掛け布団はない。トイレもインド式で紙はないし、シャワーも水しかでなかった。エアコンはついていたけど、結局動かしても冷たい風が出なくて夜も暑かった。ウェブサイトの写真とは随分違う。鍵もついていなくて、自分のを使ってね、ということなので、カバン用のダイヤル錠をはめることにした。でも、窓からはガンジス川が目の前に見えるのは良かった。
ホテルのレセプションでは地図をくれた。シルクの店やツアーも紹介されたが、かわした。
泊まる場所が見つかったので、ガンジス川沿いを歩いて見た。ガンジス川は現地ではガンガと呼ばれていて、ここで沐浴することがヒンドゥー教徒にとっては重要なことらしい。岸沿いにはガートと呼ばれる建物が並んでいて、川に階段で降りられるようになっている。沐浴している人もいる。
川沿いに出たところでチャーイを売っていて、初体験。素焼きの入れ物に煮出した甘いミルクティーを入れてくれて、5ルピー。
訪問したときは乾季だったが、雨季と乾季で水位は大きく変わるらしい。対岸は不浄の地ということになっていて、何もないが、水位が上がるシーズンには水没するらしい。
水が汚いというのは話に聞く通りだが、多摩川下流か神田川のような感じ。何よりも、陸地も臭くて汚い。下水のようなものも流れ込んでいるし、牛、犬、ヤギのような動物がたくさんいて、そこら中に落とし物がある。
ガート沿いに上流まで歩いて見たが、今度はいちいち、おまえは日本人か、ボートはどうだ、と客引きがうっとうしくてしつこい。"No Boat!"というTシャツが欲しくなる。
途中でまたチャーイを飲んだら、そこにいた子供がまた物乞いをしてきて、しつこかった。無視したら、とても嫌な目で見られた。
マニカルニカー・ガートというガートは、死者を火葬する場所として有名で、近くに行くと、インド人が「カソーバ、カソーバ」と声をかけてきて、これもうっとうしい。
上流に行く途中の通り道なので仕方なく通ったが、焼かれている火の外に出ている頭と足を見てしまった・・・。これがなぜか観光地となっていて、見ている日本人観光客もいた。しかし、火葬なんて日本でもやっているのに、何でこれを見たいのかよくわからない。焼かれた後は、灰を川に流してしまう。そのすぐ下流でまた沐浴しているわけだが・・・。
さらに、焼いているすぐ横を犬がうろうろしている。いやな感じ。寝ている別の犬を見たが、顔の周りや前足がやけどのようにただれていた。どうやら火葬場で焼け残りをかじって食いつないでいるようだ。
ちょうど真ん中あたりにあるダシャーシュワメード・ガートは特に人が多く、夜になるとライトアップされて、礼拝が行われる。ここから街に向かってダシャーシュワメード・ロードという賑やかな通りがつながっている。人の間を縫ってオートリキシャーやサイクルリキシャー、バイクが走り、クラクションがうるさい。
さらにこの通りからは迷路のような狭い小径がいくつも延びていて、ヴィシュナワート寺院の門前町が広がっている。ここもすごい。こうした小径にも牛が入って歩いていて、すれ違わないといけない。歩いていて横道を見ると目の前に牛のおしりがあって、ジャーッと用を足していたりする。牛だけではなく、人間も道ばたで立ちションしている。そうした向かいで地面で食器を洗っていたりするし、結構な割合で裸足で歩いている人がいる。うげー。
道ばたには日本の地蔵のように、たくさんヒンドゥー教の神を祭った祠があるが、聖なる街という前に、とにかく汚くて臭い。鼻のスイッチをオフに出来ないかと思うくらい、くらくらする。
ちなみにヴィシュナワート寺院は、入口にX線検査のゲートがあってものものしい。ものも持ち込めないようだし、本気の宗教施設のようなので入らなかった。
夕食は街中にあるレストランで。中庭があるレストランだったが、ベジタリアンのレストランで、酒も当然無し。暑くてビールぐらい飲みたかったが。食事も悪くはないのだろうけど、チーズと野菜で作った肉もどきみたいな感じで、エネルギーが切れてきた・・・。
暑くて熟睡とは行かなかったが、2011年5月4日(水)朝、起床。
朝はガンジス川沿いもさわやかかと思って歩いたが、空気は既に生暖かく、川面から吹いてくる風も、相変わらず臭い。
朝は沐浴している人も多く、写真だけを見ると、暑さと臭さが捨象されるので、一見「聖地」という感じがするのだが・・・。聖地ならもう少しきれいにすればいいのに。ただ、あれだけ落ちている牛の○○を、もしかしたらインド人は汚いと思っていないのかも知れない。パンチャガヴヤといって、牛から得られる牛乳、ヨーグルト、バター油、尿、糞の5つは極めて浄化力があるものとされ、穢れを受けたものはこれを飲むことが律法経やマヌ法典で進められているらしい。うげえ。さすがに近年では尿、糞を砂糖、蜜に置き換えて、パンチャアムリタとして飲まれるとも言うが。
しかし、ヤギまでいて糞をしまくっているのは何なんだろう。
宿をチェックアウトしてから、街中で遅めの朝食、というか昼食。また、入ったところがベジタリアン・レストランだった。ドーサーというピザというか、お好み焼きというかを食べたが、食べているうちに蚊に刺された。最悪。
65ルピーだったが、小銭難民になっていたので500ルピーを出したら、お釣りがない、と拒否。これしかない、と粘ったら、レジまで行ってお釣りをくれた。
午後はバラナシ近郊のサルナートに行くことにした。サルナートは、悟りを得たブッダが最初に説法をしたという仏教の聖地の1つ。
昼食でもらったお釣りの小銭を使ってVaranasi駅まで行こうとして、ゴードウリヤー交差点まで出てオートリキシャーを拾おうとしたが、Varanasi駅まで50ルピーと言ってみたら、あきれて無視されてしまった。二人目が来て、交通規制がどうのこうので120ルピーだというので、とりあえず100ルピーまで値切って乗った。この運転手はターバンを巻いたシーク教徒の兄ちゃんで、飛ばしまくって、運転は相当に荒かった。駅までついて、バイバイといって運転手とお別れ。
Varanasi駅のプリペイドのオートリキシャー乗り場に行って、絡んでくる運転手を無視しながらサルナートまでと言ったら、看板には70ルピーと書いてあるのに、120ルピーになった。いろいろ理由を言っていたが、このあたりわからない。
オートリキシャーでサルナートに向かうと、バラナシの周りは交通量がものすごい。誇りがすごく、その脇でテントしかないスラムのような地域もあった。さらに行くと舗装されていないところもたくさんあって、結構時間がかかった。120ルピーも仕方ないかな、という気もした。
サルナートに着いて、オートリキシャーを降り、あまりに暑いので水を買って飲んだ。まず行ったのが、ムールガンダ・クティー寺院。これは結構新しい寺院らしい。最初は時間の関係で入れず、ダメーク・ストゥーパを見てから中を見たが、細長い中の一番奥に仏像があり、中一面は一周するようにブッダの一生が描かれている。生まれて、出家して、がりがりになるまで修行して、悟りを開き、各地で奇跡を起こし、最後は横になって亡くなるというもの。これは他の寺院でもよく見る。ただ、ここにある絵は、戦前に日本政府の支援も得て日本人画家が描いたものだそうだ。
なんとなくこういう作りはキリスト教の教会を思わせる。キリストの像、ステンドグラスやフレスコ画で示されたキリストの一生というものである。日本のお寺だと、仏像の周りにもいろいろごちゃごちゃ飾りがあったりするがそういったものはあまりない。また、建物自体も木ではなく、石で出来ている。形やデザインを見ても、日本で感じる仏教とはずいぶんと距離を感じるが、こちらがオリジナルに近いのかも。
ムールガンダ・クティー寺院のとなりには、巨大なダメーク・ストゥーパがある公園のような場所になっている。ここは入場料がいる。特に外国人向けは高い。
ダメーク・ストゥーパは塔というより、魔法瓶のような形をしているが、6世紀頃に作られたものとのこと。このストゥーパだけではなく、周りには土台だけ残った遺跡がある。
次は考古学博物館。1フロアの小さなものだが、入口でカバンを預けてから入る必要がある。内容は仏教に関するもの。
考古学博物館を見てから、オートリキシャーでVaranasi駅まで。行きと同じ、120ルピーで交渉成立。今度の運転手は若いが本当に運転が荒かった。交差点のロータリーでは時計回りに走って渋滞しているところを、人が歩いているところを逆送し、警備員に止められているのを怒鳴って振り切っていた。そのとき蹴られたのか、途中で修理所によって、修理をすることになり、待たなければならなかった。
なんとかVaranasi駅に到着。降りてからこの兄ちゃんにチップを要求されたが、無視した。
Varanasi駅からGaya駅への列車は、日本から2つ予約してあった。1つは20:40に出発し、0:55にGaya駅に着くもので、座席も確定しているものの、エアコンなしで、到着も深夜なので避けたかった。
もう1つは16:25に出発し、21:17に着くDoon Express。ただし、これは座席がWL(Waiting List)でしかとれなかった。このWLというのはキャンセル待ちでも切符を売ってしまうと言うインド特有のシステム。
電車の到着は30分くらい遅れた。さらに、WLだが乗れるか駅員に聞いても、来てみないとわからないという。列車が来てから聞くと、あっちの係員に聞け、と言われ、なんとかわかっていそうな係員に聞くと、48がとれている、とのこと。インドの列車はとても長いので、該当のクラスあたりの号車に走るが、どれかわからない。近くの係員にまたWLのチケットを見せると、座席があるかわからないとか言い出すので、48と言われたと主張して、48がある号車を教えてもらって乗りこんでしまった。本当によくわからない。結局乗ってから検札にも来なかった。
列車に乗ると、私の席は誰か座っていたが、切符を見せると空けてくれた。
周りのインド人はグループのようで、賑やかにやっている。少ししてから話をしたが、コルカタで安全製品の会社のマーケティングを担当している人達だそうだ。日本から来たというと、地震、津波、原子力発電所について質問された。政府の対応がどうか聞かれたので、やってはいるけど不十分かな、と答えておいた。
列車の中にはしょっちゅう物売りが来て、彼らは夕食を頼んで買っていた。私はコルカタまで行かず、Gaya駅で降りるので、そこで食べようと思っていたので買わなかった。そうしたら、彼らがお菓子を買ったときに、1つ分けてくれた。何だか日本の和菓子のような甘いお菓子だった。
疑問に感じていた、列車は時間が遅れているのに、今どこにいるかどうしてわかるのかを聞いたら、うーんと考えて、やはり彼らも駅名を見たりしているらしい。この駅名も、ヒンディー語で大きく書かれた横に小さく英語で書かれ、夜は暗かったりするのでなかなか大変なのだが。しかし、ネットにPCをつないで調べてくれ、Gaya駅には30分くらい遅れで着くよ、と教えてもらった。
インド旅行で2011年5月4日(水)にバラナシから到着し、1泊して2011年5月5日(木)、というか夜が明けて2011年5月6日(金)にコルカタへ向けて出発。
2011年5月4日(水)に、バラナシからDoon Expressで到着。Gaya駅に着くと、周りのインド人グループも確認してくれてここだというので降りた。予定の21:17より30分くらい遅れて22:00近くなので暗くなっている。結構大きな駅でたくさん寝ている人がいる。
とりあえず宿を確保しなければということで、駅を出た。
Gaya駅を降りて、ロータリーを横切り、道路向かいのホテルに空きがあるか聞いたら、満室だという。他にホテルがないか聞くと、2階に上がって奥に行け、と言われた。
2階に上がって奥に行くとテーブルに座った男性がいて、どうやらつながってはいるが、別のホテルの様子。
1泊450ルピーで空きがあると言われ、部屋を見せてもらった。なかなか気合いが入っていたが、もう夜遅いので決めてしまった。なぜかデポジット込みで500ルピーを前払いさせられた。
部屋の窓はホテルの通路側と、隣のビルの間側のみ。後者からは料理の匂いが吹き込んでくる。ちょっと窓を開けるのは気が引ける。ツインだが、ベッドの片方は枕にほこりが溜まっており、掛け布団なし。トイレはインド式で紙はなし。昆虫も発見。素敵だ。
窓を十分に開けられず、暑かったが、水のシャワーを浴び、天井の扇風機の風に当たりながら就寝。インドの安宿、エアコンは滅多にないが、必ず天井に大きな扇風機はある。暑いもの。
疲れていたのか、熟睡してしまった。しかし、夜中には断続的に停電して扇風機が止まっているようだった。
ガヤに着いた2011年5月4日(水)の夜は、何とか宿が決まったので、最初に入ったホテルのレストランで食事。肉に飢えていたので、チキンが入ったビルヤーニーというピラフのような食べ物を食べた。あと、野菜スープも頼んだが、実はこれが結構おいしかった。全部で182ルピーだった。
ブッダ・ガヤ、現地ではボード・ガヤは、ブッダが悟りを開いた仏教の聖地で、ガヤから少し離れたところにある。
ゆっくりしてから10:30ごろにホテルをチェックアウトし、デポジットの50ルピーを無事返金してもらい、Gaya駅まで出てオートリキシャー。150ルピーという言い値で出発。
ガヤからブッダ・ガヤーまでは結構距離があり、インドの田園地帯というか田舎を走る。抜かしていくオートリキシャーにはかなり無理矢理何人も乗りこんでいる。
マハーボディー寺院の門前町の前で降りた。
ブッダが悟りを開いたとされる場所に立つ寺院。紀元前3世紀に仏教を保護したアショカ王によって建てられた寺院が改修されて今に至るという。
露店や店が並ぶ門前町があり、そこを通ってここも中には靴を脱いで入る。寺院の敷地は広いが、本殿の中は狭く、仏像がぽつんとおかれているだけ。
本殿の後ろ側には、ブッダが悟りを開いたとされる場所に金剛座がおかれ、当時の木の末裔とされる菩提樹がある。
広い敷地を一回りしてみたが、一応仏教徒である日本人として少し感傷的な気分になる。
ブッダ・ガヤにも小さな考古学博物館がある。マハーボディー寺院の欄楯(らんじゅん)という石の柵の本物が納められている。また、マハーボディー寺院の昔の写真もあり、修復前は非常に荒れた状態だったことがわかる。
考古学博物館を出ると、しまりのないにやけた顔の男のサイクルリキシャーが声をかけてきた。断って歩き始めたがにやにやしてしつこく追っかけてくるので困った。
マハーボディー寺院近くのレストランで昼食。チキンカレーを頼んだ。インドに来て初めてのカレー。しかし、これはとてもおいしかった。しっかり炒めたタマネギの味がして、多分ショウガやトマトも少し入っている気がした。120ルピーくらい。
仏教の聖地であるブッダ・ガヤには、各国の仏教の寺がある。仏教といっても、国によってさまざまな変化を遂げていて、順に見ていくとおもしろい。
しかし、l歩いていると、またどこに行くのか、ホテルは決まっているのか、スジャータ村に行かないか、と声をかけてくるインド人がうるさい。何度も声をかけてくるしつこいインド人とは、放っておいてくれ、ということで険悪な雰囲気になった。それとは別に、単にどこから来たの?と親切に声をかけてくるだけのインド人もいるからややこしい。
チベット寺院、スリランカ寺院、中国寺院、タイ寺院と各国の寺を回った。仏像一つとってもなんとなく雰囲気が違う。
さらに、大乗寺という日本のお寺を見て、続いて大仏も見学。この大仏も日本によって作られたものらしい。チャーイを飲んで一休みし、最後は日本寺。各宗派共同で建てたものらしく、敷地も広い。ただ、寺の敷地の周囲がひどくゴミで汚れていたのが、何だか残念だった。
オートリキシャーでガヤへ戻る。帰りは100ルピーで帰ってこられた。
Gaya駅で夜の列車を待つ必要があるが、人がたくさん座ったり寝ていたりする。どこに居ようかと思ったが、UPPER CLASS WAITING ROOMと言うところに行くと、日本の水準の普通に椅子がある待合室があることがわかり、そこで待つことにした。待合室もクラスによって、性別によっていくつかに分かれている。
適当な時間に前日に食べたレストランに行って、夕食。チキン・カレーとベジタブル・ガーリック・スープを頼んだ。それなりの味だったが、昼に食べたチキン・カレーのほうがおいしかった。144ルピー。
予定では、23:03発の夜行列車CHAMBAL EXPRESS。UPPER CLASS WAITING ROOMで待ったが、全然来ない。見ていると、表示されるexpected timeもどんどん遅れて、10分遅れ程度から、2時になった。2時くらいになると、今度は4時だという。それって動いていないってこと?
待合室で別の日本人旅行者に会ったので、話しながら待つ。とにかく蚊が多いので、携帯式の電池式蚊取りを動かしながら待つ。
朝4時になり、ホームに行くが、来ない。到着予定のホームには別の列車が止まったまま動かない。ついには夜が明けて明るくなり、別の列車が次々と到着する。
何となく全部遅れがちになるならわかるが、特定の列車が極端に遅れたりするようで、その原因もわからない。
ホームは待合室以上に蚊が多く、身体の周りを蚊が取り巻いている感じ。
結局、6時頃になってようやく到着し、乗りこんだ。駅で徹夜してしまったことになる。やれやれ。はじめから乗っていた乗客は、夜の間に当然寝たらしく、もう既に起きて元気。目的地のコルカタは終着駅なので寝台で横になった。
インドの東、バングラディシュに近いベンガル地方の都市で、かつてはカルカッタと呼ばれていたが、ベンガル語の名称に変わった。
インド旅行で2011年5月6日(金)にガヤーから到着し、1泊して2011年5月7日(土)にデリーへ向けて出発。
Gaya駅から乗った特急CHAMBAL Expressは、2011年5月6日(金)の13:30頃、コルカタのHowrah駅に到着。6:45到着の予定だったから、7時間近く遅れた。
駅前に出ると、プリペイドタクシーのブースがあった。いろいろ運転手が声をかけてくるが、無視して窓口でホテルの名前を言うと、100ルピー。エスプラネードまでは75ルピー、手数料5ルピーと書いてあると言ったが、変わらなかった。よくわからない。
紙に書いてあるナンバーと同じタクシーを探して、ガヤから一緒の旅行者と乗りこんだ。結構道が混んでいて時間がかかる。バイクやオートリキシャーではなく、車が多い。
また、これまで旅行してきた街より若干気温が低く感じる。湿度は高く、東京のような気候。
日本からBooking.comで予約していったホテル。
タクシーの運転手は場所を知らなかったのでエスプラネードで降りたが、そこから目の前。地下鉄の駅も近くてとても便利な場所にある。
到着するとチェックイン時に青い色をした冷たい飲み物と、パウンドケーキをくれた。部屋には小さな袋に入ったチョコレートもあった。
安ホテルと夜行列車での宿泊が続いていたので、天国のようだった。早速風呂に入り、3日ぶりにひげを剃って復活した。
コルカタに着く列車が大幅に遅れたため、駆け足の観光になってしまった。インドで初めての雨も体験。夕立のようだった。
エスプラネードからチョウロンギ通りを南下し、少し街に入ったところにあるマーケット。イスタンブールのグランバザールを小さくしたようなもの。
また例によって、男が話しかけてついてきて、何がいるんだ、ここは安いとか言ってくるが、無視した。
このマーケットの周辺も賑やかな街が広がっていて、チョウロンギ通りから入るところには果物を並べたフレッシュジュースの店が軒を並べている。大いに興味をそそられたが、我慢した。
サダル・ストリートは、細い道で、バックパッカーが集まるホテル街。ここに泊まっているわけではないが、歩いて見ると、奥に行くにつれ、小さなホテルやレストランが並んでいる。この道を過ぎると男が着いてきて、日本人の友達がいるとか、予定はどうなんだとか話しかけてきたが、生返事でかわした。
パーク・ストリートは、車がたくさん走る大通りで、店が並び、ここのほうが街っぽい。
地下鉄でカーリー女神寺院の場所だけ確かめに行ったが、中には入らず戻ってきて、モイダン公園を縦断。
これは街とフーグリー川の間に広がる公園で、ロンドンの公園のようにやたら広い。セント・ポール寺院というものがあるが、あんまりすごい建物とも思えなかった。
広場では人々が地面に寝ている、というのとは違ったように芝生でくつろいでいて、それまでに見たインドとはちょっと違う風景だった。ただし、公園の端に行くとまた立ちションする人を多数目撃した。
夕食は、ホテルに入っているAaheliというベンガル料理のレストラン。やや高級。メニューを見ると、一応アルファベットだが、ベンガル料理の名前ばかりでさっぱりわからないので、ウェイトレスにお任せでターリ(定食)となった。さらにジュースをお勧めされたので、それを頼んだ。
ジュースはココナッツの味にマンゴーを加えたようなものでまずまず。
ターリは、いろいろな前菜やカレーが並んだもので、味もまずまずだったがとにかく量が多く、右回りに食べていったのだが、2時のあたりにあるチキンカレーでギブアップした。本当に苦しかった。
部屋に戻るとホテルのバーのビール1杯無料券があったがとても・・・
多神教であるヒンドゥー教のカーリー女神が祭られた寺院。Wikipediaによるとコルカタがあるベンガル地方で信仰されているらしいが、女神と言っても優しいイメージのものではない。
入るにはカバンなども持ち込めないので、コルカタに着いた2011年5月6日(金)に門前町まで行って大体の様子をつかんでおき、翌日の2011年5月7日(土)に、ホテルで朝食後に荷物を置いて行ってみた。
門前町を進み、寺院近くの小屋のようなところで靴を預け、裸足で中に突入。話には聞いていたが、朝にヤギの首をはねる儀式が行われたらしく、周りのインド人にあっちあっちと言われて、血まみれのそれらしきものを見てしまった・・・。血は苦手です。
寺院の真ん中に建物があり、その中に女神が祭られているのだろうが、建物を一周するような長蛇で、インド人ばかりなので、宗教的な場所でもあり、中に入るのははばかられた。
カーリー女神寺院からホテルに戻って、チェックアウト。荷物をホテルに預けてインド博物館。
ここもまた、インド人ではなく外国人だと相当に高い入場料を取られる。中は本当に「博物館」。仏像やらヒンドゥー教の神の像があったり、象や鯨の骨格、動物の剥製があったり、植物の標本がひたすらあったり、岩石の標本がひたすらあったり。
それぞれよく見るとおもしろいんだろうけど、ただ保存してあるだけ、並べてあるだけ、という感じでちょっと惜しい。
一番おもしろかったのは、文化人類学のコーナーで、インド各地の生活や服装のディスプレイ。こういうのが好き。
2011年5月7日(土)、インド博物館を見てからホテルに戻って預けた荷物を受け取る。ホテルでタクシーを拾ってもらい、空港まで。
タクシーに乗るとき、ホテルの人に空港までは230ルピーくらいと聞いて、運転手にも念を押してくれたが、乗ると市街は混んでいるからハイウェイに乗るかとかいろいろ言い出す。メーターを止めるので、メーターをまた付けさせ、これで安心かと思ったら、今度は結局大回りしたのか郊外のハイウェイを通り、メーターで、というかメーターをもとにしたチャートでなんと530ルピーくらいになってしまった。それでも500ルピーしか払えないとがんばったけど、運転手は600ルピーを主張。押し問答になって、550ルピーで降りてしまった。やれやれ。
空港まで地下鉄の工事が進んでいるようなので、こうした面倒なことは将来的には無くなるかも。
結果的にタクシーは郊外を大回りしたけど、郊外には高層マンションやショッピングセンターが次々と開発されていた。その初老の運転手の解説によれば、"rich people"がすんでいるそうだ。
コルカタ空港でチェックイン。荷物を預け、空港内の店でお菓子とチャーイ。あんまり話題にならないが、インドには菓子屋があって、洋菓子とも違う菓子が売っている。味付けなど和菓子に近い感じ。
買ったときにくれた紙の皿は緑色で葉っぱを模しているが、街中ではこうした取り皿、使い捨ての皿は本当に葉っぱで出来ていたりして、そのイメージで作られているのだと思う。
鉄道ほどではないが、飛行機もなぜか出発が遅れ、JetLite 9W7096便で定刻から1時間弱遅れて16:30頃にデリーのインディラー・ガンディー国際空港へ出発。
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