最終更新日 2019年8月22日
グアテマラは、メキシコの南にある国で、マヤ文明の中心地。現在もマヤ文化を色濃く感じる常春の国。
2019年に中米旅行で訪問。ちょうど雨季ですが、なんと雨は降りませんでした。
国名 | グアテマラ共和国、República de Guatemala(スペイン語)、Republic of Guatemala(英語) |
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国土 | メキシコの南にあり、カリブ海と太平洋に面している。 |
気候 | 沿岸部はAf-Aw、中央の高原帯はH |
人口 | 約1403万人(2008)。 |
民族 | ラディーノ60%、マヤ系インディヘナ39%。 |
宗教 | カトリック系76% |
首都 | グアテマラ・シティ |
経済状況 | 一人当たりGDP(PPP)7,290(2013) |
時間 | UTC-6 |
観光客 | 188万人(2010) |
公用語はスペイン語。
ただし、マヤ系の人達はそれぞれの言語を話しているようだ。ただし、街を歩いて書かれているのはスペイン語。
識字率は7割にとどまる。
ケツァル(Q)。1ケツァル=約14円。グアテマラの国鳥である美しい鳥、ケツァル鳥の名前をとっている。
札は写真のように左上にケツァル鳥が描かれ、右上に横棒や点のような形をしたマヤ文字で数字が書いてある。マヤ文字は点が1、横棒が5である。そして縦に20進数の位取りをするので、50ケツァル札なら、(点2個×1×20)+(横棒2×5)=50ということになる。
コインも何種類かあるようだが、1ケツァルコインをもらうことが多かった。
米ドルもかなり通用し、1US$=7Qで換算されることが多い。
日本人は90日以内の短期座滞在なら不要。
中南米の文明として代表的なアステカやインカはスペイン人が到着する直前の14-15世紀のことである。これに対してマヤ文明は紀元前に遡り、さらに現在もその文化が残っていることが特徴である。
また、暦と文字を持っていたため、石碑にはマヤ文字で暦が刻まれており、年代が正確にわかる。
マヤ文明については、青山和夫「マヤ文明 - 密林に栄えた石器文化」を読んでいったがとても参考になった。今でも発掘が続けられて新事実が次々と明らかになっているので、新しい本を読んだ方が良いようだ。
ざっくりとした時代区分がある。なお、マヤ文明は常に複数の都市が並立しており、統一国家が生まれることはなかった。現在でも「マヤ」と呼ばれる人の言語はバラバラであり、それぞれの帰属意識が強く、互いに対抗意識があるようだ。このことが侵略したスペイン人につけ込まれることにもなった。
日本で言えば縄文時代に対応する。
中南米は人類が遅く到達した地域だったが、このころにはトウモロコシの栽培が始まった。トウモロコシの原種はとてもちっぽけなもので、長年の品種改良によって生産性が高い主食になった。
日本で言えば縄文時代から弥生時代に対応する。
この時代をさらに前期、中期、後期に分ける。この時代になると大都市が生まれ、遺跡が建設され始める。
日本で言えば古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に相当する。
この時代をさらに前期、後期、終末期に分ける。いわばマヤ文明の絶頂期で神殿が建設されていくが、終末期になると特にマヤ低地南部で衰退してしまう。この原因は諸説あり。
日本で言えば平安時代、鎌倉時代、室町時代に相当する。
大都市というよりも中小都市が並立する。
互いの対立も利用されてスペイン人が到着した後、征服されてしまう。しかし、文明が跡形もなく消滅したのではなく、言語はもちろん、宗教も現代まで色濃く残っている。
グアテマラ総督府はメキシコの一部とコスタリカまでを統治していたが、1821年にスペインから独立し、中米連邦共和国を形成する。
しかし、肝心のグアテマラが連邦から離脱してしまい、中米それぞれの国が成立することになる。
経済的には染料を輸出していたが化学染料の登場によって衰退し、コーヒー、そしてバナナが主力産品となっていく。しかし、米国資本ユナイテッド・フルーツ(現在のチキータ)は強い力を持つことになる。1940年代に民主化が進んだが、土地を独占して搾取するフルーツ会社を規制しようとしたところでアメリカの怒りを買い、時のアルベンス政権はCIAによって転覆されてしまう。キューバにしろ、イランにしろ、こうしたアメリカのやり方が現代まで禍根を残しているのだが。
その後は1960~1996年までという長い内戦に入ってしまい、1996年にようやく平和条約が調印されて、現在に到る。
一人当たりのGDPは3,000ドルを超えているものの貧困層が半数を超え、中米諸国の中では中位の状況、出稼ぎの送金に依存している。治安も深刻。
トウモロコシ、豆、バナナを中心とした食事。トウモロコシはそのまま出てこずにトルティーヤなどにして食べる。
豚肉、牛肉、鶏肉、魚(ティラピアなど)も食べる。
鉄道があったが、廃線になってしまった。都市部ではチキンバスと呼ばれるボンネットがある派手な彩色のバスが走っていて、地方都市ではトゥクトゥクも見る。
道路では信号をあまり見ない。グアテマラ・シティでは大通りの交差点に見るくらい。
携帯電話が圏外になる地域もあった。そしてまた、なんと郵便システムは2016年に停止してしまっている。
日本と同じコンセント。
グアテマラの首都。正式名称はラ・ヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオン(La Nueva Guatemala de la Asunción)というらしい。
中米旅行として、2019年8月10日(土)に到着して2泊。8月11日(日)に日帰りでアンティグア・グアテマラ(Antigua Guatemala)に行った後、8月12日(月)にホンジュラスのコパン・ルイナス(Copán Ruinas)へ出発した。
2019年8月10日(土)、成田エクスプレスで成田空港第1ターミナルへ。ツアーで集合し、チェックインして、出国手続。成田空港にも顔認証のゲートが出来ていた。
アエロメヒコAM57のB787-8で成田空港を14:25発、夏休みシーズンのためか満席で、3×3×3のど真ん中の席になってしまった。メキシコ・シティのベニート・フアレス国際空港に同日13:30頃に到着。飛行機の中にハンカチを忘れてしまった。
トランジットでも入国審査が必要で、長蛇の列。審査自体は質問もなくあっさり終了。再度セキュリティ・チェック。比較的真面目にチェックしている。
続いてアエロメヒコAM687のエンブラエル190で14:30頃に出発し、グアテマラ・シティのアウロラ空港に17:30頃に到着、着陸寸前に富士山のように三角形のアグア山、他の火山、カルデアらのような湖がよく見えた。バスでGrand Tikal Futura Hotelへ。
2019年8月16日(金)、チチカステナンゴからバスで戻ってきた。
2019年8月10日(土)から8月12日(月)まで2泊。ツアーで利用した。
立派な部屋からアグア山が正面に見え、ショッピングセンターに隣接している。部屋のセーフティボックスの暗証番号を間違えてしまい、開けてもらう羽目になった・・・。
グアテマラでは8月11日(日)が大統領の決選投票だが、前日の土曜日から月曜日の朝までレストランや店では酒を出さないのだそうだ。
治安の問題もあり、街歩きは出来なかった。バスから見ていても、きれいなところもあれば、簡素な家が建ち並ぶ地区もある。
見ている限りそれほど物騒な感じはしないものの、(グアテマラ・シティ以外の都市でもそうだが)ショッピングセンターなどは小銃で武装した警備員が入口にいる。
一方で、街は比較的きれいで、ゴミが落ちていない。中米の中できれいな都市を目指しているそうだ。
グアテマラ・シティの街中にあるマヤの遺跡公園。いくつかの遺跡が残っているが、本当はもっと広い地域に遺跡があるが、市街化してしまったそうだ。
かつてこの辺りには湖があり、ここの街では黒曜石を含む様々なものが取引されて賑わっていた。
先古典期に遡る建築物もあり、石を積み上げるのではなく、石をコンクリートのように粘土に練り込んで作っている。日干しレンガを使っているので簡易な宿で保護されている。テオティワカンの影響を受けた建造物などもあるが、こんもりとした山のままの神殿もある。
何よりも、ここは遺跡というよりも現在もマヤの人達にとって聖地になっているようであり、そこかしこで木に花を飾り、そこに向かって四つん這いで祈っている人達がいた。
最終日の8月16日(金)は国立博物館に行く予定がなんと休みで、動物園に行くことになった。なかなか立派な動物園で、アフリカ、アジア、そしてアメリカと地域別に動物が展示されている。中南米の動物についてみると、鳥、猿、爬虫類が多い印象。
コパンに向かって出発した日、グアテマラ・シティの近郊にある黒曜石が露出した場所に立ち寄り。
金属器を持たなかったマヤ文明において、黒曜石は刃物として使うためにも重要な材料であった。黒曜石はSi-Oのガラスを主成分にしていて、マグマが急冷されるという特殊な条件で形成されるため、宝石ほど貴重ではないものの、算出される場所は限られる。従って、遺跡で発見される黒曜石がどこから持ってこられたかを明らかにすることによって、かつての交易範囲に関する情報を得ることが出来る。
これは日本でも良く聞かれる話で、伊豆諸島の神津島の黒曜石が本州の広い範囲で発見されることから、縄文時代にも航海が行われていたことがわかる。
ホテル近くのウォルマートに立ち寄り。食品などを見たが、日本と余り物価が変わらなかった。ただし、バナナと衣類はとても安かった。
2019年8月12日(月)、ホンジュラスのコパンへバスで出発した。
2019年8月16日(金)、アウロラ動物園を見た後にアウロラ空港へ。
荷物を預け、出国手続を済ませ、残ったケツァールで買い物をして、アエロメヒコAM679のエンブラエル190でアウロラ空港を定刻より遅れて19:00頃に出発。グアテマラ・シティからメキシコ・シティまで、南米の都市の夜景がよく見えた。22:30にメキシコ・シティのベニート・フアレス国際空港に到着。
日が変わって8月17日(土)、アエロメヒコAM58のB787-8でベニート・フアレス国際空港を1:40に出発、14時間は長いし、窓際の席になってしまったので、何かと辛かった。
8月18日(日)朝の6:00過ぎに成田空港に到着。朝早くて成田エクスプレス、京成スカイライナーがなかったので京成本線で日暮里を回って中央線で帰宅。
1543年にスペイン人によって建設され、現在のメキシコ南部のチアパスから中米5か国を支配するスペイン植民地グアテマラ総督府が置かれていた。1773年の大地震で壊滅的な被害を受けたため、グアテマラ・シティに遷都することになった。その結果、いくつかは再建されたものの、崩壊した教会が今でも残る古い街並みが残ることになった。かつては翡翠、コーヒー、染料のコチニールを扱って栄えていたという。
現在は32あった教会のうち12が再建され、古い街並みが残る観光地となっていて、世界遺産となった。スペイン語学校が集まる街とも知られている。不動産価格も高いらしい。
街並みはキューバのトリニダーに似ている。
中米旅行として、2019年8月11日(日)にグアテマラ・シティから日帰り。この日はグアテマラの大統領選挙の決選投票日だった。
バスでグアテマラ・シティを出発し、アンティグア・グアテマラへ。市街は路地が狭いため、大型バスは入れない。
簡単な展望台となっており、南から市内を一望できる。その先にはアグア山がそびえている。街は中南米の都市らしく碁盤の目となっており、北から南を見ていることになる。
街の北の要にイチするバロックの教会で、入口にはイエズス会のシンボルがあった。ファサードはトウモロコシのような文様があり、マヤ系にキリスト教を受け容れさせようとしたことがうかがえる。全体としては東に向かって礼拝するようになっている。
大きな噴水を囲む中庭があり、再建された2階はコーヒーを干すためにも使われていたとのこと。訪問日には大統領の決選投票の投票所となっていた。
周囲にはスペイン語学校の施設も見えた。
時計台になっているが、実は橋で、右側の修道院から修道女が左側の教会に行くために使われていた。北から見ると時計台の奥にアグア山が見え、Windows10のログイン前の壁紙にもなった。行ったときはちょうどカップルがプロポーズしていた。
近くにはこの地がもっとも盛り上がるセマナ・サンタ(聖週間)で用いられる、キリストの一生を模した山車が収納されていた。
立派なファサードだが、教会は崩壊しており、周囲は露店が並ぶ土産物売場になっている。いかにもアンティグアらしい風景。
地震まで修道院として使われていた建物。娘をここに入れると、その後は窓から賛美歌を歌う声を聞くことしか出来なかったという。中には入ることは出来なかった。
グアテマラの名産である翡翠はマヤ文明で重視されていた。このことを展示するとともに販売もしている。翡翠はグアテマラ以外に、ミャンマー、日本、ロシアでも採れるが、品質が良いものはグアテマラとミャンマーから得られる。
昼食はマリンバという木琴の演奏が行われているレストランでとった。
その後、再び観光開始、カプチナス修道院に入れなかったので、コンパニア・デ・ヘスス修道院に入場。中は簡単な博物館になっていて、マヤ文明の展示と、現代のアンティグア・グアテマラの写真の展示があった。
中央広場は木で覆われた広場で、公園のようになって木が植えられており、歩く人、休む人も多い。ここから自由行動開始。
この中央広場に面してカテドラルがある。ファサードの中央にはマリアがいて、その上になぜか神もいる。中は比較的簡素だった。東向きに祈る向きとなっている。
街の南東にあり、中には駐車場があって、多くの人が祈りに来ていた。右側が崩壊しているように見えるが、教会として機能している。東向きに祈る。
最後にもう一度時計台を見て、観光終了。東京ほどではないが、日差しが強く、暑かった。
バスでアンティグア・グアテマラを出発し、グアテマラ・シティへ。
古典期に栄えたマヤ遺跡で、世界遺産になっている。
中米旅行として、2019年8月13日(火)にホンジュラスのコパン・ルイナス(Copán Ruinas)からフローレスに行く途中で立ち寄り。
マヤの都市であったキリグアは5世紀になって本格的な王朝が成立したが、現在のホンジュラスにあるコパンに従属していた。しかし、コパンの13代王の「18兎王」(コパンでは重要な王様)の時代の738年に、コパンに勝ってこの王様を殺害しコパンの支配を脱する。このときがキリグアの頂点であり、交易の要として周辺都市に影響を及ぼし、石碑もたくさん建てた。中には、この周辺で最も高い石碑もある。しかし、この後2代ほどで放棄されてしまう。雨が降らなかったことも原因と考えられている
空いていて他の観光客にあまり会わなかった。
階段と建物に囲まれた広場は音響が考えられているようで、話したり柏手を打つとよく反響する。
ティカルはグアテマラ北部にあり、グアテマラのマヤ遺跡のハイライトとも言うべき遺跡で、世界遺産になっている。このティカルへの観光の拠点となっているのがペテン県の首都フローレスで、ペテン・イツァ湖に浮かぶ小さなフローレス島にホテルやレストランなどの観光施設が集まっている。
中米旅行として、2019年8月13日(火)にホンジュラスのコパン・ルイナス(Copán Ruinas)からキリグア(Quiriguá)経由で到着して2泊。8月14日(水)にティカル遺跡を見学してから、8月15日(木)にチチカステナンゴ(Chichicastenango)へ出発。
2019年8月13日(火)にホンジュラスのコパン・ルイナス(Copán Ruinas)を出発して、国境を越えてグアテマラへ。行きも出入国管理は簡単だったが、帰りは停車もせずに通り抜けてしまった。
キリグア(Quiriguá)を見てから、イサベル湖の湖畔で昼食。ティラピアとタパードというガリフナ料理を食べた。パンを水面に投げるとティラピアがすごい勢いで集まってきていた。
さらに北上していくと、「フルーツ検問」なるものがあり、先ほど通過した国境よりずっと厳しい検問があった。
さらに北上して、暗い中を橋を渡り、フローレス島に入り、バスを降りてホテルへ向かった。
フローレス島にたくさんあるホテルの1つで、湖に面している。
ティカルは最盛期には6万人が住んでいたという巨大な都市で、今回他に見たキリグア、コパンと比較しても圧倒的に広く、高い神殿が建ち並ぶ。現在ではジャングルに覆われており、ジャングルからピラミッドが頭を出している景色は、スターウォーズの撮影場所にもなったという。
ジャングルに覆われているので日陰がほとんどなのでまだましなものの、とにかく暑かった。また、今回の旅行で訪問したコパン、キリグアと違って観光客が多い。
入口を入るとチケットを買ったことを示す腕輪がまかれる。
入ってすぐのビジターセンターにはティカルの遺跡の模型がある。
遺跡に向かって歩いて行くとセイバの木がある。このまっすぐ高く伸びる木はマヤ文明で天上界と地上界を結ぶ木として大切にされた。
最初に現れるこの建物は、小さな部屋があり、兵士が詰めていた建物だと考えられている。
最初に現れるピラミッド。ピラミッドの右側に道の跡があり、かつては登れたようだが、現在は登ることはできない。
その名の通り、7つの神殿が並んでいる。これらの神殿の前には、マヤ遺跡につきものの球技場もあった。
この建物には階段の横にはボックスのような構造がある。これは、雨の神を設置したが、雨が降らなかった場合、「この神様はだめ」ということで封じ込めてしまったもの。スリットが入っているが、これは後に作られたもの。
ティカルは一時現在のメキシコに存在した都市国家ティオティワカンの影響も受けており、ピラミッドの稜線が斜めでタルー・タブレロ様式になっていること、そして、ティオティワカンの神が彫られていることがわかる。
大神殿は横に木の階段が設けられ、上まで登ることができる。登った上は広くなっており、写真撮影が出来る。
ティカル遺跡のハイライトがこのIV号神殿で、この地域で最も高い。階段を登るのは大変だが、上まで行くとジャングルの上に出て視界が開け、風も吹いていて暑さを忘れる。
近くにある石碑と祭壇はレプリカ。
グランプラサには、I号神殿とII号神殿が東西に向き合い、北に北アクロポリス、南に中央アクロポリスがある。II号神殿は登ることができ、正面にI号神殿が見える。
北アクロポリスでは内部に大きな顔。日差しが強く暑いが、ここはなぜか湿っていて、緑色の苔が見える。
食事の後は博物館。ティカル国立公園文化遺産保存研究センターは、日本の国際協力で建てられたものだそうで、ワンフロアのコンパクトなスペースに土器などが展示されている。建物はきれいだが、内容は解説も含めてちょっと寂しいか。
石碑博物館は、その名の通り石碑が並んでいる。遺跡にあるレプリカの本物が展示されているが、終了時間ギリギリで時間がなくて残念だった。
ティカルは複合遺産だけあって、いろいろな鳥や獣を見ることができる(虫も多い・・・。)。いかにも南国風の鳥がパパイヤを食べていた。
ティカルからは再びバスで戻り、サンタ・エレナ地区のショッピングセンターを見て、そこから船でフローレス島へ戻った。
翌8月15日(木)は早朝の出発。ホテルをチェックアウトすると暗い道の電線に夥しい鳥が止まっている。当然落下物もある・・・。
湖に出ると月が出ていて静かな湖面に映り、幻想的だった。
月明かりが朝日に変わる中、バスでフローレス空港まで移動し、朝食後アビアンカ航空AV7979のATR-72で出発、グアテマラ・シティのアウロラ空港に到着し、バスでチチカステナンゴへ。
グアテマラ南部の高地にある街で、毎週木曜日と日曜日に市が立つことで知られている。市では露店が並び、民族衣装を着た女性がたくさんいて、話している言葉もスペイン語ではない響き。マヤの歴史がラテン文字で書かれたポポル・ブフはこの地で発見された。
なお、グアテマラの地名でよくある「~テナンゴ」というのは、~という場所、といった意味らしい。
中米旅行として、2019年8月15日(木)にフローレス(Flores)から到着して1泊、8月16日(木)にグアテマラ・シティ(Guatemala City)へ出発した。
遺跡が中心の今回の訪問の中で、現代のマヤ系の人々の暮らしに触れることが出来て良かった。
2019年8月15日(木)にフローレス(Flores)からグアテマラ・シティに飛行機で飛び、バスに乗り換えてチチカステナンゴへ。途中、日本の水田のようにトウモロコシ畑がたくさんある。ただ、水田と違ってトウモロコシ畑は起伏がある斜面やちょっとした崖の上の平らなところなどにも植えられている。
最後につづら折りの道を登るとチチカステナンゴに着く。
街の中心からは外れた場所にあり、平屋の部屋が敷地に拡がっている。高地のせいか涼しくて快適だった。朝、出発するときには雲海が見えた。
何よりも、大人から子供まで来ている色鮮やかな女性の民族衣装が楽しい。これほど鮮やかになったのは化学染料が使われるようになってかららしいが、地域毎に模様が異なるとのこと。
他のグアテマラの街もそうだが、犬がたくさんいる。
小さな街の縦横に走る道に露店がひたすら並んでいる。衣服の店が多い。野菜の市はそれほど多くなく集まっていて、肉の市もさらに少ない。
観光客目当てで声をかけてくる店もあれば、のんびりとしている店もある。
写真の左側に映っている、街の中心にある教会。
キリスト教会としては規模も内装もそれほどではないが、面白いのはマヤの信仰を色濃く残したシンクレティズム。中央の通路の床には直径1mちょっとの円形の場所が間隔を置いて並んでいて、そこにろうそくを立てて祈っている。まるでマヤ遺跡にある祭壇で祈っているようだ。
街の外れにまとまった墓地がある。色とりどりの家のような建物になっていて、向きも東西に揃っていて、これまたマヤ遺跡の建物のよう。
露店の裏にひっそりと建っていて、大きな部屋二つと小さな部屋一つの1フロア構成。ほとんどスペイン語の説明だが、ポポル・ブフに関連した展示、石器・土器の展示、マヤ系の人の写真などがあった。
8月16日(木)に、前日来た道を戻ってグアテマラ・シティ(Guatemala City)へ出発した。
途中で、現在も噴火を続けているフエゴ火山がよく見えた。
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