最終更新日 2018年12月31日
キューバは、カリブ海にある島国。カリブの島の中で一番大きい。
2018年にキューバ・カナダ旅行で訪問。
国名 | キューバ共和国、República de Cuba(スペイン語)、Republic of Cuba(英語) 英語、日本語ではキューバと発音するが、スペイン語ではクーバ |
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国土 | 西インド諸島最大の島 |
気候 | Aw |
人口 | 約1125万人(2012) |
民族 | スペイン系白人65%、ムラート25%、黒人10%。 |
宗教 | カトリック・サンテリーア |
首都 | ハバナ |
経済状況 | 一人当たりGDP9,500ドル(2008) |
時間 | UTC-5、サマータイムあり |
観光客 | 251万人(2010) |
1万ドル近い一人当たりGDPにもかかわらず、生活レベルはもっと低いように感じられる。都市はともかく、バスから見る田舎の家は平屋で馬小屋のような簡素なもの。馬小屋のような粗末な平屋が多い。ガラス窓ではなく、粗いブラインドのような窓で、外から丸見え。
小さな自家経営のホスタルでは部屋のタオルはきれいだが、家族の洗濯物を干してあるのを見ると、タオルは変色していて、服も穴が空いている。
ハバナでこそブランド品の店があったりするが、地方都市のスーパーマーケットは暗く、品数が多くない。棚が埋まっているように見えても同じ製品がたくさん並んでいる。地元の人はテイクアウトのような店を利用していて、小さな窓口に列が出来ている。また、タイルの素っ気ないカウンターがある店でジュースやコーヒーを飲んでいる。後ろの壁にメニューが掲示されているだけで、薄暗く、見栄えの良い陳列も皆無。
生活習慣の違いかも知れないが、ホテルでお湯が出なかった。ぬるい水が出るくらい。
ハバナは別として、それほどレストランは発達しておらず、レストランによってはそれほどメニューの種類がない。
ビールはCristal、Bucaneroがよく見るブランドで、カマグエイではPresidenteというブランドもあった。味は日本のビールに似ている。コーヒーはあまり美味しくない。
観光客向けのレストランでは生演奏がされていて、チップを求められるが、レベルはなかなか。
一般的に食材は豊富でないように見えるが、フルーツは豊富。マンゴー、バナナ、西瓜、パパイヤなど盛りだくさんが朝食に出て来る。
車は古いものが多く、道路も交通量が少なく、幹線でもトラックの行き来をほとんど見ない。観光客向けのバスは幹線もたくさん走っているが、キューバ人のバスは少なそうで、小さな都市ではトラックを改造したり、何から改造したかよく分からないような車に多くの人が乗って移動しているのを見かける。
幹線でも交通量が少なく、観光客を乗せたバスと新旧様々な乗用車のみで、普通見かけるはずのトラックをほとんど見ない。人も物資も輸送が明らかに発達していない。道沿いの工場も見ない。幹線は舗装されていても、集約の道は土のまま。車が通らないからか。自転車で移動する人は多く見て、bici taxi(ビシタクシー)も見る。馬車も未だに使われている。
写真でも良く見るクラッシックカーは情緒こそあるかもしれないが、音と排気ガスがすごい。衝突安全性は低いだろうし、シートベルトもエアバッグももちろんない。スピードを出すと冷や冷やする。中身は相当改造されていて音楽はかけられるようになっているが、なぜかウィンカーはないか、使っていないように見える。
バスからはよく人が観察できる。夜でも出歩いている人が多いし、家では玄関やベランダでのんびりくつろいでいる人が多い。食事をしているわけでもなく、のんびりしているか、会話を楽しんでいるようだ。田舎では、バスに手を振る人がいる。上半身裸の男性が多い。
旅行者が都市間を移動する手段としては、Viazulのバスが一般的。
中国製のバスで、外装がさびている場合もあるが、冷房が効いている。効き過ぎていると言う意見もあるが、もともと暑がりなのであまりそうは感じなかった。時間はたいてい正確。これは、交通渋滞というものがないことも関係しているように思われる。ただし、遅れる場合は結構遅れる。
乗員は2名体制。
Viazulは外国人向けのようで、乗客は旅行者ばかり。ちなみに、東洋人はあまり見ない。バスターミナルもキューバ人の利用するバスとは別のエリアが設けられていか、そもそもバスターミナルが別。ほぼ満席に近いので、旅行前に予約しておくほうが良さそう。今回の旅行でも1か月くらい前に見たら既に席数が限られていることを発見し、事前に全て予約していった。
予約をした上で、30分前までにチェックインする必要がある。この際に、予約した際にウェブでMy Reservationというところで表示されているページを印刷しておいて渡さなければならない。今回はそれを知らずにカードで支払後に表示されるページを印刷して持っていたところ、「これはチケットではない」と言われたり、戸惑われてしまったりと難儀することが度々あった。ただし、システムには予約の記録があるようで、パスポートを見せて確認してもらうと乗ることは出来た。
チェックイン時に大きな荷物を預けると、預かり証のようなものをくれる。1CUCを要求されることもある。事前に荷物を預かってから積むことで、降りる場所別に整理して乗せているようだ。
街々のバスターミナルに順番に5分ほど停車しながら走って行くが、昼食時は45分ほど休憩する。ただし、休憩時間はそれほど正確ではなく、たいていそれより早めに出発してしまうようで、トイレに行くにも、食事をするにも、バスや乗務員を見張っておく必要がある。
バスはキューバ国民向けでルートも複雑で乗り心地もひどそうなので、街中の移動はタクシーに頼ることになる。メーターが使われることは皆無で、事前に値段を交渉する。当然、観光客向けにはふっかけてくる。深夜や早朝はタクシーの台数も少ないので5-10CUCくらい上乗せして言ってくる。結局日本とあまり変わらない値段になる。彼らからすると相当に良い収入だと思われるが。ふっかけられたとしても事前に値段を合意していれば、それ以上の支払を求められることはないようだ。
ドコモの国際ローミングが使えることは使えたが、3Gのようで遅いし、圏外となることも多い。
インターネット接続はETECSAという国営通信会社が独占しているようで、ホテルでWi-Fiが使えたとしてもここにつなぐ必要がある。そして、ETECSAに接続するには街のETECSAでWi-Fiカードを買う。シエンフエゴスで買ったところ、1時間分1CUCで、5枚買った。カードの裏にはユーザーIDとスクラッチ式で隠されたパスワードがある。このスクラッチも繊細で、コインでごりぎり乱暴に削ったら、文字の部分の紙も削れて1枚は読めなくなってしまった。
公園などの公衆Wi-Fiの電波が飛んでいるところに行き、WIFI-TECSAという電波を捕まえて接続し、カードのユーザーIDとパスワードでログインする。使い終わったらログアウトする。時間内であれば、何度でも使える。
こうした状況なので、みんな公園などに集まってスマートフォンをいじっているが、夏の日中はかなりきつい。涼しい部屋でインターネットしたい。
通信が不自由な結果、Google Mapも使いにくいので、Maps.Meというオフラインでも使える地図アプリを使用。キューバに行く前に必要な地図をダウンロードしておく。
コンセントは形状が日本と同じで110V、旅行者用か220Vも準備されているようだ。
スペイン語が公用語。英語はあまり通じない。
通常の旅行スペイン語ということになるが、特に重要なのは、この言葉。これで行列の最後を見つけて並ぶことになる。
最後? | Última? | ウルティマ? |
CUCと呼ばれる兌換ペソと、CUPまたはMNと言われる(人民)ペソの二重体系になっていて、旅行者が使うのは前者。博物館などは外国人向けの値段はCUC、キューバ人向けはMNで表記されていたりする。当然、キューバ人向けが圧倒的に安いが、CUCとMNは固定レートで簡単に両替できるようで、あまり意味がないように思うのだが。
CADECAと呼ばれる両替所で両替できるし、銀行でも両替できるらしい。しかし、両方とも行列が出来ている。大きなホテルでも両替できる。
日付 | 場所 | レート |
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2018年8月9日 | ハバナのホセマルティ国際空港 | 100€=112.10CUC |
2018年8月10日 | ハバナのHotel Nacional de Cuba | 100€=110UCちょっと |
2018年8月14日 | カマグエイのGran Hotel by Melia Hotels International Cuba | 100€=106CUC |
2018年8月15日 | ハバナの銀行 | 105CUC=120CAD |
2018年8月16日 | ハバナのホセマルティ国際空港 | 100€=110.3CUC |
物価も二重価格になっていて、観光客が利用するタクシーやレストランは決して安くない。日本と同じが高いぐらい。恐らく、地元の人はとても手が出ない価格になっていると思われる。
観光客が多く、レストランでは必要だと思われる。タクシーは事前交渉制で運転手と握った値段のみでOK。
ビザの代わりにツーリスト・カードが必要。日本で取得するのが原則のようだが、時間がなく、エア・カナダのトロントからハバナの便で配られたものを使用した。旅行保険の英文(またはスペイン語)の証明書が必要だと言われたので準備したが、結局入国時には求められなかった。宿泊の予約記録も見せる必要がなかった。
旅行保険の証明書は、Lonely Planetによれば抜き打ちでチェックされるらしい。
もともと、フロリダ、メキシコ、そして島伝いにベネズエラの三方向から人がわたってきて住んでいたが、スペインに「発見」されたあと、虐待や疫病により絶滅した。
スペインの植民地として、アフリカから労働力として黒人を奴隷として連れてきて砂糖生産を発達させたが、独立の機運も高まっていき、独立戦争を繰り返した上で、アメリカとスペインの戦争にも巻き込まれる形で独立し、1902年に共和国となった。
しかし、アメリカの政治と経済の両面による支配が強く、禁酒法自体には酒が飲めるリゾートとして発展したが、貧富の格差が大きいままで不満が高まり、1953年7月26日からはじまったフィデル・カストロらの革命が成功し、1959年に革命政権が成立。
アメリカとの対立が決定的になったことで、ソ連との結びつきを強め、東側陣営に加わり、キューバ危機も起こすことになったが、ソ連崩壊後経済が深刻に低迷、その後中国やベネズエラとの関係を深めると共に、アメリカとの関係も徐々に改善している。
キューバの首都で、キューバ島の中では西寄りにあり、北側で深く切り込んだ入江になっている。英語ではHavana、日本語でもハバナだが、現地のスペイン語ではLa Habanaで、発音もラ・アバーナというらしい。旧市街は「ハバナ旧市街とその要塞群」として世界遺産になっている。
キューバ・カナダ旅行として、2018年8月9日(木)に飛行機で羽田からトロント経由で到着してまず1泊。翌日8月10日(金)にシエンフエゴスへ。8月14日(火)にカマグエイから戻ってきて2泊、8月16日(木)にトロントに出発した。
夏休み初日の2018年8月9日(木)に台風13号が近づく中、羽田空港国際線ターミナルへ。このところの台風の経路はおかしく、わざわざ関東に上陸しそうな勢いだったが、結局上陸は避けられて、さらに東京での風雨のピークは前日夜から朝方までだったので、午後は晴れた普通の夏の日だった。夕方出発だったので、荷造りはもちろん、洗濯まで終えることが出来た。
カードラウンジでコーヒーを飲んでから、羽田空港からエア・カナダAC002のB777-300ERで17:40発。台風が北上しているはずなのに、青森、旭川と北上していく。初めてのエア・カナダは良くない意味で米系航空会社のような印象。ちょっとサービスが雑かも。
トロント・ピアソン国際空港に16:05着。カナダ着、アメリカ行き、それ以外行きと分かれて誘導され、それ以外に進むと、キオスクと係員がいてパスポートと搭乗券のチェック。セキュリティ・チェックを経由するか振り分けているが、どうも欧米人はそのまま遠し、日本人はセキュリティ・チェックに回しているようで、ちょっと嫌な感じ。行き先による区別かも知れないが。
時差のせいか、飛行機を待っているうちに猛烈に眠くなってきた。トロント・ピアソン空港をエア・カナダAC1876のA319で20:10に出発。19:30出発だったのに40分遅れ。この便だけビジネスクラスで予約されていたので、食事とビールとワインで爆睡。税関申請書と日本で取得できなかったツーリスト・カードも配られ、一安心。到着も22:55着予定が23:38にハバナのホセマルティ国際空港に到着。着陸寸前に見えたキューバは黄色い照明がまばらについていて薄暗かった。着陸寸前に天井近くに殺虫剤のようなものをスプレーしていた。
入国手続は長蛇の列。パスポートとツーリスト・カードを提出し、写真を撮られてあっけなく終了。わざわざ準備した英文の旅行保険の証明書や、プリントアウトしたホテル予約書一式は求められなかった。あと、Immigrationではなく、Inmigrationと堂々と表示されていた。
入国手続の次には長蛇の列の手荷物検査。網タイツをはいた女性が結構いる。流行っているのだろうか。中国が支援したと表示された検査機もあった。
チェックインした荷物を無事に受け取り、網タイツの女性係員の税関を通過し、到着ロビーに出て、両替しようとするとなんと両替所が閉まっていた。中にまだ人がいるのに日が変わって閉まったらしい。男が話しかけてきて、明朝両替するかホテルで両替するしかない、タクシーに乗るか、35?30?20?と言ってきたが生返事でやり過ごし、外に出ると外側の両替所は空いていた。長蛇の列でユーロをCUCに両替し、タクシー乗り場から30CUCでHotel Nacional de Cubaへ。道は薄暗く、言われているように標識がとても少ない。たまに歩いている人がいて、ヒッチハイクのように手を上げている人もいるが、車の通行量はとても少なく、変なところに連れて行かれたらまずいよな、と少し思ったが、無事に日が変わった1:00近くに到着。いつものことだが、疲れ切った。
バスターミナルでチェックインして、ハバナ行きのバスで出発。13:40発だったが、バスは遅れて到着して、出発は14:50だった。何だか途中で遅れている気がしたが、急ぐ様子も無く途中で休憩。夕食を食べようと思ったが、メニューの種類も乏しく、後でいいやと思ったら、ハバナに着いたのは21:00予定が23:30。
バスを降りるとタクシーの客引きがやたら親切に荷物を降ろすのを手伝ってくれ、まあ、いいかと思ったら25CUCとのこと。値切ったが夜だからということで、20CUCにしかならなかった。ホテルLoft Habanaに着いたが、遅い時間で夕食が食べられなかった。
2018年8月9日(木)~8月10日(金)に1泊。
えらく立派な外見のホテルで、中も重厚。館内を案内するツアーもやっているようだ。プールもあって、朝食時には生演奏があるなど豪華だが、設備はちょっと古びている。
電源は110Vでプラグも変換が要らないとは便利。
2018年8月14日(火)~8月16日(木)に2泊
ロフトになっていて、(必要以上に)広くておしゃれ。窓から港が見える。フロントがないので両替ができない。朝食は屋上のテラスで。Wi-Fiはつなぎ方が分からなかった。場所はビエハ広場に近い。
空港へのタクシーも手配してくれた。
観光したのはカマグエイから戻ってきて1泊した2018年8月15日(水)の1日。満を持して8時からホテルで朝食を摂り、出発。
さすがに首都だけあって、観光客も多いし、きれいな海外ブランドの店などあってちょっとびっくり。ここだけ見る観光客は、キューバのイメージが随分と違うかも知れない。
まずはホテルに近くのラム博物館(Museo del Ron Havana Club)に行ったが、英語のツアーは11:00からと言われたので、ビエハ広場(Plaza Vieja)、アルマス広場(Plaza de Armas)を通ってカテドラルを見学。バロック様式。
カテドラルから元に戻り、ビエハ広場の近くの銀行で両替し、11:00からラム博物館。
ここはHavana Clubのラム酒の博物館のようだった。英語のガイドにぞろぞろと着いていって説明を受ける。かなり精巧に作られたラム酒工場の模型も見学する。列車が走る。
最後はもちろん試飲。熟成期間が異なる種類をテイスティングできる。お土産に買っていこうか迷ったが、帰りは直行便ではないし、日本でも普通に買えるので断念。
再びアルマス広場まで行って、フエルサ要塞へ。ハバナでいくつかある要塞の中で、最も古いという。中は博物館になっている。見学していたら、女性係員が、チェ・ゲバラは好きか?と話しかけてきて、チェ・ゲバラの紙幣を見せてきた。これは、人民ペソの紙幣で、これを兌換ペソと勘違いさせて観光客に両替させるのが流行っているそうだ。なので、お断りした。
アルマス広場に建っているグレコローマン風の建物。ハバナ創設時に最初のミサが行われたというが、なぜグレコローマン風なのかよくわからない。
これもアルマス広場に面していて、スペイン総督官邸、大統領官邸として使われたという由緒ある建物。中は2階建ての博物館になっている。
博物館前は石畳のようになっているが、これは馬車の足音がしないように作られた木製だという。
市立博物館を見てから、オビスポ通りを歩いて途中で昼食。牛肉を頼んだらないと言われたのでチキンにした。でも、チキンはそれなりに美味しかった。観光客らしくモヒートを頼み、さらにビール。奥で生バンドが演奏していた。
オビスポ通りをずっと西に歩き、クリスト公園という公園が公衆Wi-Fiスポットだったので、インターネット。相変わらず暑い。涼しいところでインターネットしたい。
と思いきや、今度は天気が悪くなってきた。なんとか革命博物館にたどり着いたが、夕立のような雨で、中庭を横切るのも大変だった。
入口で荷物を預けなければならない。展示の内容はいつもの、キューバ革命の革命家たちの活躍、革命後の教育や医療水準の向上。そして、革命後のアメリカの様々な妨害工作も展示していた。
建物の外には、カストロやチェ・ゲバラがキューバに再上陸した「グランマ号」が展示されている。また、戦車や打ち落としたU-2が展示されている。
いよいよ雨が強くなり、出口でずっと雨宿り。おかげで隣の国立美術館は行く時間が無くなってしまった。
雨が弱まったので、そろそろと観光再開。カピトリオと呼ばれる旧国会議事堂を外から見学。この建物、仇敵であるアメリカの議会議事堂にそっくり。本当にそれをモデルにしたとか。
このあたりは観光客目当てか、クラッシックカーがずらりと並んでいた。
暑かったり雨だったり、歩き回って疲れ果てたので、一旦ホテルへ。
夕食はホテルからほど近いビエハ広場で。ビールを売りにしている店に入ったが、あまり好きな味ではなかった。しかし、豚肉は美味しかった。女性ボーカル、フルート、バイオリンを前面にした生演奏が行われていて、とても良かった。
体調が余り良くなかったので早めに就寝。
2018年8月10日(金)にHotel Nacional de CubaをチェックアウトしてタクシーでViazulのバスターミナルまで。15CUCと言われて20CUCを払ったら、3CUCしかお釣りがないと申し訳なさそうに言うので、それで良いと言ったら恐縮していた。
Viazulのバスは事前に予約していてもチケットへの引き換えが必要。カウンターは担当者がいなくて長蛇の列。ようやく動き出して自分の番になり、支払記録のプリントアウトを示したら、「これではない。こういうプリントアウトされたチケットが必要だ。」と言われて、「これしかない」と繰り返したら、結局チケットに引き換えてくれた。システムに予約の記録はあるようだ。
Trinidad行きのバスは既に来ていて乗り込む。チケットには1Dと書かれているが、車内に席番号などなく、適当に座るようだ。10:45出発だったが、10:43に出発。
2018年8月16日(木)、前の晩に依頼したとおり、5時にチェックアウト。呼んだはずのタクシーがなかなか来ないと思ったら乗り合わせで他の客を拾っていたらしく、既にカップルが乗っている。最後の客としてまたもやクラッシックカーに乗ってホテルを出発。
運転手はこの車はイタリアのエンジンに取り替えたんだ、とか行っていたが、クラッシックカーはうるさいし、万が一事故を起こしたら潰れそうなので余り落ち着かない。ただし、安全性がうるさくなる前だけあって、中は広いし視界が良い。
ホセマルティ国際空港へ30分ほどで到着。残ったCUCをカナディアン・ドルに両替し、チェックインして出国手続を済ませた。朝早いこともあるかもしれないが、出発ターミナルも店は限られていて、時間をつぶすにも手持ち無沙汰。
エア・カナダAC1877のA319で、トロントに出発。定刻の7:45より10分近く早く出発した。離陸直後、ハバナの街がよく見えた。
キューバ島南部の海に面した都市で、フランス系移民によって築かれた都市。その影響がある碁盤の目の街が世界遺産になっている。
一応世界遺産なのに、静かな街で、観光客向けの店もほとんど無い。キューバで観光した最初の都市なので、この後どうなるのかと思った。
キューバ・カナダ旅行として、2018年8月10日(金)にバスでハバナから到着し、1泊してトリニダーへ。
2018年8月10日(金)にハバナのViazulのバスターミナルからトリニダー行きの10:45のバスで出発
13:00少し前にサービスエリア?のようなところで一旦休憩となり昼食。これがキューバで初めての外食。10CUCのバイキング形式を選んだが、なんとも微妙な味だった。
定刻通りシエンフエゴスに16:00着。碁盤の目の街なので、バスターミナルからどちらに行けば分からなくてしばらく迷ったが、なんとか方向を見つけてBR& El Colonialにチェックイン。
2018年8月10日(金)に1泊。もともと違うところを予約していたが、booking.comから、「予約した宿に空きがないため、ホテルは代わりにここを予約してくださいと言っている」というメールが来た。指示通りに予約すると、もとの予約は自動的にキャンセルされた。こういうことは初めて経験した。
バスターミナルから近いが、街が碁盤の目になっているので、最初は方角が分からなくて苦労した。家族経営の民宿といった感じで、入口はブザーを押して入る。スペイン語以外通じない。2Fの広い部屋が割り当てられ、快適だったが石鹸などのアメニティは持参したものを使う必要がある。
Wi-Fiはカードを持っていれば割安だが、持っていなければ割高とのこと。ホテルのPCを見ていると、ホテルのPCを国営会社ETECSAにつないで、Wi-Fiルーターで、部屋に電波を飛ばしているようだった。
朝食はフルーツ山盛りの一皿から始まって、しっかりしたものだった。
碁盤の目になっていて、ある意味歩きやすいし、ある意味迷いそうになる。新古典様式のような派手な色の建物が多い。
ルネサンス様式人混みというほど混み合ったところはなかったが、街がお祭りの日なのか、派手な山車のような車が何台か出て、その上で子供たちが踊っていて、人だかりがしていた。
街の中心は、José Martí広場。というか、これ以外にこれといった見所があるわけではない。広場には旅行客がいるものの、人ばかりで賑わっている、ということでもない。店が出ているわけでは無い。しかし、ぐるっと周囲に歴史的な建物が並んでいる。
ホセ・マルティは、キューバの独立運動の英雄。
1887-1889に建設された立派な建物だが、工事中だった。
州立博物館。いろいろ雑多な歴史展示があるが、説明がスペイン語。中はそれほど広くない。
1869年建造の教会。
キューバの独立を記念しているキューバ唯一の凱旋門だが、はっきり言ってしょぼい。
フェレル(Ferrer)宮殿とも呼ばれる。新古典主義で、階段のついたクーポラが印象的。
ひときわ大きな建物だが、役所の建物のようで、中には入れない。
ホセ・マルティ広場では目立たないが、実は街の最古の建物で、街を作ったLouis D'Clouetが一時住んでいた。
シエンフエゴスの街は、ホセ・マルティ広場の他、長く延びたPunta Gordaも有名。海辺の夕暮れは雰囲気があった。ここもお祭りのせいか、延々と縁日のように店が並んでいて、人通りも多かった。
ただし、店は多いものの、売っているものは全体的に少なく、簡素な印象。あまりモノが溢れた豊かな国ではない、ということがわかった。
到着した日、最初の外食の夕食だったが、中心部にはほとんどレストランが無い。とりあえずやっていたレストランに入った。中はそれほど広くない。
料理を頼んだが、まあ、質素。メニューも少ない。海に近い街だから、一応小エビを頼んだ。黒い米料理はキューバの典型的な料理で、これから後も何度もお目にかかることになる。
食事は質素だが、一応観光客向けなのか、途中で狭い店の中で三人組のミュージシャンが来て、歌い始めた。黒人女性のボーカルはとても迫力があった。
2018年8月11日(土)にトリニダーへ出発。シエンフエゴスのホテルBR& El Colonialをチェックアウトして荷物を預け、出発前にCatedral de la Purísima Concepción Churchを見た。ETECSAで列に並んでWi-Fiカードを買い、ホテルで荷物を受け取ってからバスターミナルへ。
前日のハバナでは、バス予約のプリントアウトがなくてちょっと大変だったので、緊張してターミナル片隅のカウンターというか部屋に行ったところ、名前を確認されてあっさりチケット発行。荷物を預け、預かり証をもらってバスを待つ。
バスターミナルにはいろいろなバスがあるが、地元の住民が乗るらしきバスというか乗り物は、かなり気合いが入っている。11:40発のトリニダー行きのバスで出発。観光客が乗るViazulのバスは中国製でまだきれい。
キューバ中部、南部の都市で、植民地時代の赤い瓦屋根の街並みが良く残り、世界遺産になっている。今回キューバを旅行した中で、最も観光地っぽかった。
キューバ・カナダ旅行として、2018年8月11日(土)にバスでシエンフエゴスから到着し、1泊してサンティアゴ・デ・クーパへ出発した。
2018年8月11日(土)にシエンフエゴスのバスターミナルを11:40発のトリニダー行きのバスで出発、13:25にトリニダーのバスターミナルに到着。街に近づくと石畳の狭い道をごとごとと走っていく。
2018年8月11日(土)から1泊。
バスターミナルから歩き、このあたり、というところまで来てもドアが閉まっている。結局ノックをして開けてもらう必要があった。割り当てられた部屋は窓が無いが、3つもベッドがある細長い巨大な部屋。家族用だそうだが、一人で泊まるのはなんとも落ち着かない。ベッドカバーはこれまた鮮やかなオレンジ色。
朝食は中庭で食べる。バスに時間が早く、女主人は愛想が良かったが、準備してもらうのがちょっと申し訳なかった。
トリニダーの街は緩やかに傾斜していて、宿から登って行くと出るのがこの広場。
正面にはサンティシマ教会、左にはグアムアヤ考古学博物館、右に建築博物館がある。
マヨール広場の正面にある。イタリアのルネサンス形式っぽいが、1892年に建造されたものだそうだ。
マヨール広場の左側の平屋の博物館。内容はキューバにどこから人が来たか、といった典型的なもので、普通。
マヨール広場の右側、これも平屋。邸宅のような作りで、キューバの建築の意匠などが説明されている。建物を通り抜けると中庭になっており、昔のシャワー室も見ることができる。
マヨール広場の斜め前のロマンティコ博物館は閉館だったので通り過ぎ、革命博物館へ。外観は教会のよう。展示自体はキューバでいつもの?革命の話。
ここからはトリニダーの街を眺めることが出来る。横の道は露天のようになっていて、女性たちがレースを売っている。
あまりにも暑いので、食堂のような店でジュースを飲んで休憩し、ホテルへ一旦戻った。熱中症になりそうだった。
少しホテルで休んで復活したので、夕方の街を再びマヨール広場まで。右奥に抜けると周囲に店がある広い階段に人がぎっしり。ようやく見つけた公衆Wi-Fi。シエンフエゴスで購入したWi-Fiカードをスクラッチして、心ゆくまでインターネット。
Wi-Fiができる階段の奥に観光客らしい店が集まっていたが、ホテル近くのMonte y Marで夕食。2階に上がってビール2杯、サラダ、そしてロブスター、プリン、コーヒーで夕食。ロブスターは剥いて裏返しのような状態で出てきた。とても美味しかったが、場所のせいか客は少なく、ウェイトレスたちも手持ち無沙汰で下の道を通る観光客を眺めていた。
一泊した2018年8月12日(日)にサンティアゴ・デ・クーパへ出発。
BR&Hostal TiTiで早めの朝食をとってチェックアウト、バスターミナルへ。
外国人観光客の移動手段はほぼViazulのバス一択だが、現地の人は乗っていない。どうやって移動しているのかを観察していると、何だかいろいろな「乗り物」で移動している模様。トリニダーのバスターミナルにも、電車を無理矢理トラックの台車に乗せたような謎の乗り物があった。
チェックインして荷物を預け、8:00発のサンティアゴ・デ・クーパ(Santiago de Cuba) 行きのバスで出発。
キューバ東部の都市で、ハバナに次ぐ第2の都市。キューバ革命が始まった街として知られている。
今回の旅行でキューバの中で最も遠いところ。キューバ・カナダ旅行として、2018年8月12日(日)にバスでトリニダーから到着し、1泊してカマグエイへ出発した。
なぜかチーノ(中国人)と声をかけられることが多し。また、2回くらい時間を聞かれた。
2018年8月12日(日)にトリニダーを8:00発のサンティアーゴ・デ・クーバ行きのバスで出発、
今回の旅行で一番長い、一日がかりのバス旅。サトウキビ畑がたくさん見える。窓から見えるキューバの田舎の家はとても質素で、平屋で窓が無く、中が見える。言い方は悪いが、馬小屋のような建物。その前の玄関で、椅子に座って、特に何も食べたり飲んだりせず、のんびりと人が話しているのをよく見る。これは都市部でも同じ。
カマグエイでかなり降りた。定刻を過ぎた21:30ごろにサンティアゴ・デ・クーパのバスターミナルに到着。かなり立派なバスターミナル。
入口を出るとタクシーが待っているが、タクシーの客引きは10CUCから負けず、乗ろうとするとおんぼろのクラッシクカーで、さらに別の同乗者が2人いた。他の2人を送り届けてから、かなり回り道をしてホテルに着いた。夜遅いのに。ただ、クラッシックカーは幅が特に広くてトラクターのような音がして、なかなか楽しかった。ドアが壊れていて、運転手に外から開けてもらわないと乗り降りできない。ホテルHotel E San Basilioにチェックイン。
繁華街近くの、でも少し道を入った静かな通りにある邸宅のような建物。部屋は広かったが、窓は無かった。
到着した時間が遅かったが、開いているレストランを紹介してくれたどころか、予約して、店まで案内してくれた。
到着した日は夜遅く、ホテルの人に紹介してくれたレストランで夕食。建物の屋上にあり、夫婦でやっているらしい、小さなレストラン。鶏肉を食べたが、なかなかしゃれていて美味しかった。やはり都市部は洗練されている。
一夜明けた2018年8月13日(月)、Hotel E San Basilioをチェックアウトして荷物を預け、街の探検開始。まずはバカルディ博物館。あのラム酒「バカルディ」は一族がこの地で生み出したが、キューバ革命の際に国営化を恐れて国外に出て行ってしまった。今は博物館になっていて、キューバの歴史などが展示されている。ちなみに、ハバナ・クラブは国有化された。
ホセ・アントニオ・サコ通りは、サンティアゴ・デ・クーバの目抜き通り。店が並び、人通りが多く、これまでキューバで見た中で最も賑やか。ただ、並んでいる店の商品はそれほど多くない。ぎっしりと商品が並んでいても、同じものがたくさん並んでいたりする。店も明るくは無い。タイル張りのカウンターの店があり、そこで何やらコーヒーや飲み物を注文しているようだ。なぜか炊飯器が店頭のディスプレーに並んでいた。
ホセ・アントニオ・サコ通りを橋まで歩き、マルテ広場(Plaza Marte)を横切り、7月26日モンカダ兵営博物館へ。敷地が広くて、入口がどこかよくわからなかった。
通りにはバスがたくさん走っていて、これまで見なかった大都会。
この7月26日モンカダ兵営博物館は、1953年7月26日カストロらが襲撃した場所で、その試みは失敗して、カストロは逮捕されてしまった。実際にバティスタ政権を倒せたのはずっと後の1959年1月1日だが、革命記念日は7月26日ということになっているようだ。
建物はここで誰が倒れて、と生々しいし、お決まりのキューバの革命政権の正当化といった感じ。
ホセ・アントニオ・サコ通りを戻り、パドレ・ピコと呼ばれる階段へ。キューバらしい建物は並んでいるが、普通の階段。暑い。
パドレ・ピコを登ったところにルチャ・クランディスティナ博物館がある。残念ながら休みで入れなかった。
セスペデス広場に戻って、広場に面しているキューバ歴史博物館へ。ここはベラスケスが住んでいた建物だという。博物館部分の奥には古い家具などが説明されていて、係員の女性が説明してくれた。
このセスペデス広場はWi-Fiスポットとなっていて、みんなが集まっている。前日の夜は幻想的で美しかったが、昼は暑い。Wi-Fiを試みるが、あまりにも暑い。ノートパソコンは使っているとシャットダウンして温度計のマーク。高熱でシャットダウンしてしまったらしい。そこで、広場に面しているHotel Casa Grandaのレストランで、昼食をとりながら接続。ここは涼しくて良いけども、ウェイターの態度が良くない。
2018年8月13日(月)に街を観光してからホテルに戻って、タクシーを呼んでもらって、Viazulのバスターミナルへ。15:15のハバナ行きのバスでカマグエイに出発。
キューバ東部の都市で、ハバナ、サンティアゴ・デ・クーパに次ぐ第3の都市。シエンフエゴスの碁盤の目とは違い、入り組んだ街並みが残り、世界遺産となっている。
キューバ・カナダ旅行として、2018年8月13日(月)にバスでサンティアゴ・デ・クーパから到着し、1泊してハバナへ出発した。
2018年8月13日(月)にサンティアゴ・デ・クーパを15:15のハバナ行きのバスで出発。隣に座ったのはイタリア人で、4週間の旅行だという。
いつものようにバスは順調に走っていたが、Las Tunasを過ぎたあたりで、走っている右車線のみぴったりと止まってしまった。反対車線は車が何回か通過していく。キューバのバスの空調は強すぎて悪名高いが、予定ではそれほど長く乗らないはずだったので、こんなときに限って薄着で、空調もきつくて寒かった。
交通事故だった模様。何時間か止まった後、カマグエイに22:45着予定だったところ、日をまたいだ2:30ごろに到着してぐったり。ただ、星がきれいだった。
荷物を受け取り、バスターミナルに1台だけ止まったタクシーでGran Hotel by Melia Hotels International Cubaに行って就寝。結局夕食は摂れなかった。
2018年8月13日(月)に1泊。
トラバハドレス広場(Plaza de Los Trabajadores)にも近く、立地は良い。ホテルの入口の前は歩行者天国となっているため、近くでタクシーを降りる必要がある。
建物の中は立派で、従業員のサービスも丁寧。朝食は最上階5階の眺めの良いレストランで摂る。夜はバーもあるらしく、試してみたかった。ただ、泊まった部屋のセーフティボックスは動作せず、バスルームの排気口から微妙な臭いがした。
8時過ぎに起きて眺めの良いレストランで朝食を摂った後、チェックアウトして荷物を預け、賑やかなリパブリカ通りを街歩き。
南に向かっていると思ったら北に歩いてしまい、線路を越えてしまい、イグナシオアラゴンテ州立博物館があったのでそこを見学。
結構広い邸宅のような作りの博物館。入口で荷物を預ける必要があり、ちょっと不安だった。
再びリパブリカ通りを南下して、ホテルの前を通り過ぎて、小さなトラバハドレス広場。ここにはメルセー教会がある。
更に歩いてイグナチオ・アグラモンテ公園。周囲には店があり、カマグエイの中では、観光地という感じ。暑いので一旦サン・ファン・デ・ディオス広場に行った後、Café Ciudadという店でビールと水を飲んだ。身体に吸い込まれていく感じ。
サン・ファン・デ・ディオス広場まで南下して折り返し。周囲には土産物屋のような店があるが、あんまり人がいなかった。そして暑い。
2018年8月14日(火)、さっとカマグエイを歩いた後、ホテルに戻って荷物を受け取り。未明に着いたので、本当に短時間の滞在。
ホテル近くからタクシーを拾ってViazulのバスターミナルまで。タクシーは5CUC。キューバに来てはじめて10CUC以下を提示された。
途中で制服を着た警察か公務員の男性2人、女性1人ををちょっとだけだから、と同乗させた。和やかな雰囲気で3人は笑顔だったが、彼らが降りた後運転手は、キューバでビジネスをするのはいろいろ難しいんだよ、分かるかな。彼らはパワーを持っているからね、とのこと。どうやら、あそこまで行くから乗っけてくれ、と言われたのを断れなかった、ということらしい。
バスターミナルでチェックインして、ハバナ行きのバスで出発。13:40発だったが、バスは遅れて到着して、出発は14:50だった。何だか途中で遅れている気がしたが、急ぐ様子も無く途中で休憩。夕食を食べようと思ったが、メニューの種類も乏しく、後でいいやと思ったら、ハバナに着いたのは21:00予定が23:30。タクシーでホテルLoft Habanaに移動したが、遅い時間で夕食が食べられなかった。
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