最終更新日 2009年7月21日
講談社現代新書
おすすめ度 ★★
2007年8月読了
その名の通り、日本の公安警察の実態について、警視庁担当記者だった著者が知りうる知識を元にまとめた本。日本の情報機関というと、公安警察、公安調査庁、内閣情報調査室があるが、公安警察を中心にして説明し、最後に公安調査庁と内閣情報調査室についても簡単に触れている。
特高の流れをくむのが公安警察であること、GHQで地方毎に分割された警察組織の中で、それに抗うように中央集権的な体制を維持し続けていることなど、あまり公開されていない組織について基本から丁寧に説明している。公安調査庁というと、「いらない省庁」にすぐ上がるが、公安警察については警察の中でもステータスが高いらしい。
具体的な盗聴事件なども挙げながら、その実力と共に限界や危険性も指摘している。著者は事実に即して記述しようとはしていると思うが、こういった公安警察について批判的な視点のようである。ただし、個人的にはこういう組織が無くても困る面があるとも思うので、いちがいに批判できない気もする。たとえば、批判が多いNシステムだが、それで犯人が検挙できたり、テロの危険性が減るのならば、ある程度「監視」されることもやむを得ないかな、とも思う。
ちくま新書
おすすめ度 ★★★
2007年11月読了
大阪を訪問して、公園のテントやあいりん地区を見てショックを受けたので、勉強をしなければならないと思っていたところ、本屋で目立つように置いてあったので目にとまり、買った本。結果的にとても良い本だった。
著者は変わった経歴の人のようで、大学中に釜ヶ崎問題に関心を持って通い始めてから、支援活動に関わりつつ、本人も日雇いで働いているのだという。そんなプロフィールが反映されているのか、内容は経験や体験に裏付けられたリアリティがありつつも、かつ単なる体験談ではなく、多く統計や資料を基にした客観的な分析がなされており、ついでに少々ユーモアもあって読みやすい。
ホームレスは東京でも見かけるし、昔は新宿の西口から都庁へ向かう通路は段ボールがたくさん並んでいて、匂いもすごかった。しかし、東京では最近あまり見なくなったし、大阪では市がテントを排除するのに対して抵抗している様子がニュースで流れたので、わがままな人たちだな、という程度の認識しかなかった。
しかし、この本を読んでみて、ホームレスに対する考え方が大きく変わった。それまでは、自業自得、好きでやっていると思っていたが、そういう人ばかりではない、ということである。
ホームレスのほとんどの人は、好きで路上生活をしているのではなく、できれば家に住みたいと考えているのだという。本書の冒頭では、北海道のホームレスの話が出てくるが、冬の路上生活の厳しさは尋常ではない。
では、なぜ家に住まないのか。どうして家に住まなくなったのか。それはまずは収入が家を借りるのに満たないからということのようである。ホームレスというと、ずいぶん違った世界のように思えるが、収入が減っていって、家賃を下回れば、その時点でホームレスになる。
この家、つまり住所があるとないで状況が全く変わってしまう。当然、住所がなければ選挙権はなくなってしまう。就職活動を行うにも、門前払いされるだろう。さらに、なんと生活保護も受けられないのだという。生活保護は、運用上、住居があり、年齢もたとえば65歳以上というように限られているのが現実だという。つまり、ホームレスになったとたん、「住民」ではないので、生活保護さえ受けられないところに転落し、そこから抜け出すことが出来なくなる。住民票は、どこかに置けばよい、という考え方もあるが、先日報道されたとおり、ホームレスが仮に置いていた住民票を大量に行政側が削除するという事件があった。居住の実態がないので、ホームレスに住民票を与えない、というのは考え方としてはあり得る。しかし、著者が指摘するように、学生で住民票を移動していない人もいるし、アザラシやシャチホコに特別住民票を出している自治体があるのに、ホームレスにはなぜそれが許されないのか、というのも一理ある。
家を失う前に生活保護、というのもいろいろ難しいところはある。生活保護は、家を持っていると支給対象にならないらしく、家を売らなければならない。賃貸になれば、家賃を払えなくなった瞬間、生活保護をとりそびれば、ホームレスに転落する。昔と違うのは核家族化が進み、家族や親戚が手をさしのべるという考えが希薄になっていることだ。
なにより、日本のホームレスは「乞食」ではないということだ。つまり、彼らは「自立」している。主な仕事は廃品回収らしいが、それを行うことによって自立して生活しているという。ただし、家賃を払う水準に達していないと言うことだけだ。驚くのは「自分でなんとか食っていけるから、生活保護のお世話にならないでやっていく」という人がいるのだという。これは、働くということが人間の尊厳にも関わっていると言うことだろう。従って、ホームレスを「自立」させるという言い方は正しくないという。自立しているが、家がないだけなのだ。
余談だが、労働時間も相当長く、きついらしい。日雇いでも、廃品回収でも早い者勝ちなので、どうしても朝が早くなる。また、夏の酷暑で歩き回るのはきついので、夜働いている者もいるという。結果として、昼間は寝ることになるが、そのために、「働いていないで、昼から寝ている。」と思われてしまう面もあるそうだ。
大阪市での強制執行に出された弁明書で1人のホームレスは次のように言っている。ずいぶん皮肉が効いている。
「今、私は自立しています。自力で稼いでいます。アパートを借りて家賃を払えるほど稼いではいないけれども、公園の片隅で野宿しながらであれば、何とか生活できています。野宿生活を始めてから、いろいろと苦労して試行錯誤しつつ、地域の人たちと関わりあいながら、今の生活を築いてきました。どこかの銀行や空港会社や娯楽施設などとは違い、行政の手助けは一切なしで生活してきました。」
こうした路上生活でも「自立」していれば良いということかといえばそうではない。仕事は危険で、無防備なままアスベストの除去作業にかり出されることもあったという。多くの人が身体をこわしていて、釜ヶ崎では10人に1人が結核といわれているとのこと。また、なんと「国境なき医師団」がホームレスを支援していて、先進国では例がない「支援対象国」に日本はなってしまっている。路上で死ぬ人も多いそうだ。さらに、こういう人たちを食い物にして詐欺まがいの行為をしたり、強盗で金を奪ったりする輩もいる。また、何より心が痛むのは、心ない人の襲撃などで大けがをしたりするホームレスがいることだ。
わが国には厚生労働省の調査によれば、18,564人だという。こうした人たちに憲法第25条で定められた「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活」を与えるかどうかは、政府の、そして国民の意思の問題なのではないかと思う。
星和書店
おすすめ度 ★
職場の先輩に貸して頂いた本で、三枚橋病院という精神病院で、開放病棟を実践している著者の体験やノウハウを綴ったものである。
精神病院というのは馴染みがない世界だが、本書の中で、通常の病院でのひどい状況を記述した部分は、恐ろしささえ感じる。病院という名でありながら、治療だけではなく管理も目的にしており、特に後者が主目的になってしまっているようだ。一方、著者の実践する病院では、治療の原則に立ち返り、患者が治りやすいような環境を追求していった結果、患者が自由に出入りできる開放型の病棟を実現しているという。本の中ではさらっと書かれているが、実際には地獄のような場面や苦労もあったことは想像に難くない。
精神病の場合、直る見込みが薄い場合もあるようだし、家族の負担が重いのも現実としてあるようだ。その点で、以前に見た痴呆老人の収容された老人ホームのことも思い出した。どこかの政治家のように、家で面倒が見たほうがいいのは確かだが、核家族化、高齢化が進む中での現場は、きれいごとを超えており、誰かに「管理」して欲しいと思うのもやむを得ないし、当たり前だと思う。そういう人達を家族はどのように扱って行けばいいのか、社会はどのように扱って行けばいいのかを考えていかなければならないと思った。
幻冬舎
おすすめ度 ★
2000/1/29読了
またまた京都駅で買って、家に着くまでに読み終わってしまった。
五木寛之の本はこれまで、生きるヒントとか、夜明けを待ちながらとか、最近は他力とかを読んだりして、それはそれなりに色々考えるきっかけを得たが、今回は意外にさらさら読み終わってしまった。何のために生きるのか考えるほど若くなく、人世の目的を省みるほど老いてはいないからかもしれない。最近は刹那的だが、人世は目的ではなく、過程が重要だと思うことも多い。
本全体で、人世の目的とは・・・と語るのではなく、それは前半だけで、むしろ後半は著者自身の半生記のような話が続いている。
草思社
おすすめ度 ★
2006年1月読了
元新聞記者だった著者が、インターネットによって将来紙の新聞がなくなるというテーマで書いた本。
期待して読んだが、少々期待はずれ。いろいろな人に取材もしているのだが、根拠や構成が弱い気がする。
内容としては、インターネットで情報が手に入るようになる、若い人は新聞を読まない、韓国や米国ではすでに新聞社がインターネット事業に軸足を移している、日本独自の個別配達制度は部数減少に脆弱で崩壊する、ということから、「紙の」新聞が将来なくなるでしょう、というもの。
この論拠であれば、なぜ若い人は新聞を読まないのか、と言ったところまで踏み込んで欲しかった。団塊の世代の特性、と言うのでは物足りない。
私の意見としては、やはりインターネットが理由だが、「紙の」新聞がなくなるというのではなく、マスコミというモデルそのものが成り立ちにくくなると思う。大勢から金を集め、それによって質の高い情報を発信する、という構造自体が崩壊するのではないかと思う。細かくは別の機会に書きたいと思いますが、理由としては以下のようなもの。
結局、双方向性を持たして反論を許したり、専門の記者ではない専門家等とネットワークを組んだりしながら情報を提供していく、というモデルにならないと、今のメディアは生き残れないのではないか、と思います。そして、彼らのメンタリティからは、それは相当な改革が必要なのではないか、とも感じています。
草思社
おすすめ度 ★★★
2006年4月読了
とても話題になっている本で、職場でも周りで読まれていた本なので、読まなければならないと思いつつ読めず、出張したときに新幹線の中でようやく読み終わった。
Web2.0とか、最近よく聞く言葉はまた何かを売ろうとしている人が作った言葉じゃないかとか感じていたし、本書の副題の「本当の大変化はこれから始まる」という言葉もうさんくさいビジネス書のようで、はっきり言ってあまり期待していなかった。
しかし。とても良い本でした。感動した。新幹線の中で読んでいて、大変興奮しました。これは、浜野保樹監修のゴア副大統領の「情報スーパーハイウェイ」を読んだとき以来のことです。皆さん、これは一読を勧めます。
よく知らなかったのだが、著者はMy Life Between Silicon Valley and Japanというブログを書いている人で、その筋では有名な方だそうだ。
これから始まる変化と言うよりも、今何が起きているのかをわかりやすくまとめているところに本書の価値があると思う。私も本書で触れられている断片、断片については知っていたが、それ全体をまとめてどう見るか、ということはとても新鮮だった。
80年代後半からパソコンが普及し、90年代前半からインターネットが普及してきた。ここでキラーとなった発明は、電子メールとWWWで、最近話題になっているSNSもblogも基本的にはこれら発明の改善に過ぎないと思う。ただ、技術だけではなく、違う変化が起きつつあると言うことが本書の主張ではないかと思う。
本書ではGoogleについて、大きく取り上げられている。最近検索エンジンでの競争が激しくなっているのは、単に情報のデジタル化が進んで10年以上経ち、デジタル化された情報の蓄積が進んでいたからだけだと考えていたが、それだけではない社会的というか、考え方に変化が生まれていると言うことではないかと思う。
そして、変化は連続的なものだから、Web2.0といったように区切るのはどうかと思っていたが、確かに不連続な変化はあるような気がしてきた。
私がインターネットに触れたのは、会社に入った1年目のときだった。電子メール、FTPを見て驚き、これは世界を変えると思ったことを思い出す。WWWの威力もすさまじかった。そして、世の中をインターネットが変えていく様子をどちらかと言えば、普及させる側から見てきた。古いものに対して、いかにネットの利便性を訴えて置き換えていくか、という発想だったと思うが、正直言って、ネットにも完全ではないところもある、とどこかで感じていたし、自分たちはまだマイノリティだ、という意識もあったと思う。。
しかし、今、あるいはこれから活躍しようとする人たちは、物心ついたときからインターネットがあり、親しんでいる。そうした人たちには、自分たちがマイノリティだという意識もないし、何よりもこれだけ普及して動いているものを見て、無条件に「信じて」いるところがあるのではないか。つまり、ネットが発展すれば、世界はもっと良くなる、と我々の世代よりもっと深く信じているのではないか、と思った。ここに不連続な違いがある。
ネットこそが民主主義だ、と言う考え方は、「情報スーパーハイウェイ」を分散コンピュータにたとえたゴア副大統領の時代からあったと思うが、それがもっと現実に近いところまで来て、多くの人が信じるようになったと言うことかも知れない。
この本が良い本だと思うのは、技術面も含めたネットの現状認識が的を射ていることに加えて、バランス感覚である。これは、村井純の「インターネット」を読んだときにも感じたことで、とても重要なことだと思う。とにかくこういった本は、これからは新しいものが正しく、古いものや古い世代はもう駄目だ、という極端になりがちだが、本書ではそういった力みはない、というか、古いものにも新しいものにも目配りをして書かれているように思うし、程度というものを心得ているように感じる。
たとえば、序章では、「本当の大変化」は長い時間で緩やかに起こると述べている。また、第四章でblogで総表現者社会になるという議論でも、現在の1万人に1人が表現者でそれ以外は大衆という二層構造が、1万人に100人の新たな表現者が加わった三層構造になるだろう、という手をたたきたくなるようなうまいことを言っている。ともすれば、全員が表現者だ、いや、それでは質が低い便所の落書きだ、といった議論になりがちなところなのですが。
この目配りについては、最後の「終章」を読むと得心する。著者のねらいは、ネットに住む人、ネットに住まない人の橋渡しをしたい、ということのようだ。明確な問題意識や信念を持って作られた本は良いものになると思うが、本書はその典型だと思う。
魚住昭
おすすめ度 ★★
2004年8月読了
野中広務という政治家は、私にとって、突然現れて、「こんな人前からいたっけ?」と思っていたら、いつの間にか実力者になり、今度はあっという間に消えてしまったという印象だった。本書では、その野中広務が生まれてから政界を引退するまでの軌跡を追っている。かなりおもしろく読んだ。中央政界に出てからの後半はやや難しくなるが。
よく知られているように、野中広務は京都の被差別部落の出身で、そこから町議、町長、府議、副知事、そして衆議院議員と上り詰めていく。
中学まで進んだ野中は、国鉄に就職し、そこで仕事で頭角を現すが、差別に会い、辞職して政治の世界に身を投じることになる。前半は、守旧派というよりも、旧来の因習を打破していく若いやり手の政治家、という感じで出世していく。
以前、テレビで野中広務が福祉関係の施設を訪問している場面を見た。政治家らしい「やらせ」ではないかと思ったが、どうもそうではないらしく、政界で見せる非情な面とのギャップに驚いた。この本で見ても、野中広務の弱者への視線と、自分の的への非情な攻撃の二面性が出ていて、同じ人間にどうしてこの2つが共存するのか最後までよくわからない。
本書の中で著者は野中広務を「潮目を作るのではなく、潮目を見る政治家」と読んでいるがそれはそのとおりだと思う。利害関係の対立する状態の間に立ち、その潮目を読んで乗り換え、まとめ上げていく。調整役という意味では、行政の立場でも、政治の立場でもたぐいまれな能力を持っているのだと思う。「自らの主張を貫いているため、冷遇されるのも厭わず」といったやり方とは対極にあり、潮目を見ては過去の敵ともあっさりと組んでしまい、その中で問題をどんどん処理していってしまう。結果的にどちらが物事を進めたか、という評価をすれば、結果は明らかである。
一方で、では、何がやりたかったのか、ということはよくわからない。政治家にとって、「政策」と「権力」のどちらが目的で、どちらが手段なのか、という根本的な疑問がわく。その中で、部落問題については、単なる優遇策は嫉妬を招くため、自分の努力で道を切り開くべきとの信念が感じられる。
こういう自伝は、著者自身が当人をどう評価しているかに影響を受けてしまうものだが、魚住昭というのがどういう人かは他の本も読んでみなければわからない。
二見書房
おすすめ度 ★★
2000/8/6読了
ダイエット中だが、今一つ進捗が悪いので、理論武装が必要だと思い、購入してそく読み終わった。ダイエットの本は、怪しいものは論外として、単純な食事制限の本だったり、単純なトレーニング本だったり、女性向けだったりするが、非常に明快に必要なことが書いてある。こういう本が多く出回るといいんですけどね。
エクスナレッジ
おすすめ度 ★★
2005年11月24日読了
初心者向けのWebサイト作成解説書。
Webサイト作成の解説書はひどいものが多く、たいていの場合、以下の問題がある。
「学問に王道なし」とはよく言ったもので、「簡単にできる」「すぐできる」と称する本は簡単にできる適当な事しか書いていない。
ところが、この本は上記の問題をすべてクリアしている。さらに初心者向けで、Windows XPの操作も含めて丁寧に書いてある。正直言って感心した。
今まで、HTML関連のちゃんとした本は、神崎正英「ユニバーサルHTML/XHTML」ぐらいしか知らなかったが、この本は正直言って初心者向けとは言い難い。
その点でこの本は初心者向けにもかかわらずポイントをバランス良く押さえているので、これからは人にこれを勧めようと思う。
たとえば、冒頭に色の指定について書いてあるが、いろいろなことができることを説明した上で、Webセーフカラーが望ましいことを説明し、さらに読みやすくするための色の使い方を解説している。また、導入ではどのように発信する情報を選ぶかをきちんと説明しており、「メニューの選択肢は5つ程度に」なんてこともさらっと書いてある。
こういう本がよく売れるようだと良いんですけどね。
ポプラ社
おすすめ度 ★★★
2005年11月24日読了
その名の通り、NHKスペシャルの「ワーキングプア」を本にしたもの。生田武志の「ルポ最底辺」を読んで、次に読んでみた。こちらは釜ヶ崎といった特定地域にフォーカスしているのではなく、年齢も地域も様々な人を対象にワーキングプア問題を扱っている。テレビの番組自体は見られなくて残念だが、この本は大変に充実している。
家でだけでなく、外にいるときも読んでいたが、涙が出るのを押さえられないところがあった。本の前文でも触れられているが、現在の日本では、憲法第25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」が全く保障されていない。
ここに出てくる人たちは、働きたいと考え、事実働いているのだが、生活は楽にならず先が見えない状況に追いやられている。
離婚、死別、病気、工場の移転、会社による解雇、不況。様々な理由で貧しい生活に転落してしまった人、高い収入を得るだけの技能を身につける機会を失ってしまった人。身を粉にして働いても貧しい。そして、より高い技能をつけたくても時間もお金もない。こうした人達に、「自助努力」、「自己責任」といった言葉をとても軽々しく口にすることは出来ないのではないか。
岩波新書
おすすめ度 ★
1999/9/22読了
決して楽しく読める本ではないのだが、ベストセラーになっている本。テレビでもこの本の特集をやっていて、本屋で買った人にインタビューをしたりしていた。さーっと読んだだけで、重要とされている要約の問題も面倒くさくてやらなかったが、それぞれの問題は、小学校や中学校のときにやった国語のテストのようだった。また、「お茶を一杯」として随所に挟まれているコラムが面白かった。
おじさんになったからかも知れないが、最近、いろいろな所で読んだり、聞いたりしているとき、言葉が雑に扱われていると感じることが多くなった。それはアクセントの平板化であったり、カタカナ語や英語の過度の使用であったり、ら抜き言葉であったり、意味不明な形容詞の多用であったりするが、共通する傾向として、表現の多様性が失われているように感じる。言い換えれば、語彙や表現方法の選択肢が少ないために、微妙な違いがあることが、全て同じ表現になってしまっていることが多いように思う。これは自分自身に対して持っている問題意識でもある。
本でも、雑誌でも、読みやすくて表現豊かな文を書く人はたくさんいる。そういう文章を少しでも多く読むことが大切なのかも知れない。
言うまでもなく、言葉は人と人が意思を伝え合ったり、知識を蓄積したりするために不可欠なもので、複数の人から構成される社会というものが成立するための礎になるものだと思う。その点、意味や意図を正確に伝える技術はとても重要だと思うが、現在の学校教育における国語の授業はその要請に応えるものだろうか。一例を挙げれば、文章が伝えていることを読み取る練習は多くされているが、文章で伝える練習はあまりされていないのではないか。私自身、日記、読後感想文など、作文をさせられた記憶はたくさんあるが、それらはあくまでも何を伝えているかという点で評価され、どのように伝えるかという「技術」や「手法」については重視されていなかったように思う。難しい漢字がいくら書けても、表現力は向上しないと思う。
サンマーク出版(訳 小沢瑞穂)
おすすめ度 ★
1999/5/6読了
ベストセラーになっている本。この出版社は出している他の本を見るとかなり怪しいが・・・。テレビに来日したRichard Carlsonが出ていて、なかなか感じの良い人だったので、読んでみた。これを読むと人生が変わる、というほどのものではないが、読むととても自然な気持になれる。ダニエル・ゴールマンのEQともちょっと違った視点で、EQが人と人との関係をやや理屈っぽく考えているのに対し、この本は、人に対するときに自分の内面を哲学的に見ているといったところか。
春秋社(訳 小沢瑞穂)
おすすめ度 ★★★
1999/5/21読了
落ち込みや悲観から抜け出すには、習慣となった思考を無視し、心が持つ「自然本来の働き」を取り戻すことが重要であるという。落ち込んだり悲観的になっているのは、問題となっていることが原因ではなく、問題についての思考が原因であるという指摘はごもっともである。悲観的になるときは大抵、「過去」のことを悔いたり、「未来」のことを心配したりしているが、「現在」のことに集中するのが大事だと主張している。
全編を通して、同じようなことを繰り返しているようにも感じるが、共感できる内容だった。
主婦の友社(ジョセフ・ベイリーとの共著、訳 大沢章子)
おすすめ度 ★
2000/3/11読了
頭で考える分析的思考ではなく、流動的思考が重要だと主張している。「今」に集中することが大事であり、1つ1つのことを順番にやっていこうと述べている。
私自身は性格的に気分の変動が激しいし、重要な問題ほど「分析的思考」でぎりぎりとやってしまい、余計ややこしくしてしまうことが多々あるので、考えさせられる部分が多かった。
光文社
おすすめ度 ★
1999/7/4読了
東京大学教授、養老孟司との対談であり、日本人にとって「身体」とは何か、という副題がついている。日本の古武術から見た、日本人の「身体感」とでも言うべき思想について、などをとりあげている。武道をやっていると、どうしても心と身体の関係について考えることが多い。非常に心と身体を一体として扱うというスタンスを感じるし、思想が運動で表現され、運動から思想が生まれるという相互作用が感じられる。武道の稽古で、単純な反復練習よりも、考えることが多い、というような記述が見られたが、全く同感で、これほど頭を使う運動も少ないような気がする。皮膚感覚、アプローチの手段、イメージといったものを非常に要求されるという点で、座っていても稽古になるし、突然思い付いた着想で技のかかり方が変わったりする。
新潮社
おすすめ度 ★★★
2005年9月読了
外務省の国際情報局分析第一課主任分析官として対ロ外交に活躍したが、鈴木宗男との活動について、背任容疑、偽計業務妨害容疑で逮捕され、第一審で有罪判決を受けた佐藤優氏の手記である。テレビで見て「ふてぶてしい人物だなあ」と思っていたが、読んでみた。
本の帯には「これは国策捜査だ。」とあるので、中身は憤りに満ちあふれた感情的な内容か、と思ったが、中身を見ると拍子抜けする。「国策捜査」についてもそういうことはあるものだ、と理解しているようにさえ見える。それは、著者が神学研究科修了というバックグラウンドを持ち、情報という特別な世界にいたこと、国家権力というものを直視せざるを得ない職場だったことにあるようだ。
独房生活はなんと512日間に及んだとのことだが、情報の仕事は「出来る仕事だが好きな仕事ではない」し、外に出て騒がれるより中で「思索したり、やりたかった語学を勉強したい」と思ってしまうところもある。
中身は拘置所の生活と検事の取り調べが主で、その合間に事実関係の回想が入るというもの。その細かさや会話の再現を見るだけで、著者が記憶力を含めて非凡な才能を持っていることがわかる。
拘置所の生活については、意外に食事が充実していることに驚いた。私の普段の食生活よりもずっと健康的かも知れない。
本書でおもしろいのは検事の取り調べで、担当した西村検事という人物がとても魅力的に描かれている。著者と西村検事は対立している、というよりも互いに尊敬して一緒に仕事をしている、というような書き方がされている。もちろん、検察は検察が描いた構図に佐藤氏をはめようとするし、佐藤氏は佐藤氏で否認するところは否認する。西村検事は、「僕はどうしてこんな変な人を調べなければならないんだ。」と愚痴をこぼす。
著者が主張する事実関係や、容疑の不当性については、本を読むとそのとおりだと思うが、本当かどうかはわからない。ただし、著者が国益を追求する情熱を持ちすぎるあまり、その手段の選び方においてやりすぎてしまったのかな、とは思う。鈴木宗男も好意的に書かれているが、あの下品さはちょっと・・・。
登場人物の回想シーンで、涙を流す人物が多いことが印象的。涙を流すほど情熱を持ってできる仕事に出会えるのはそれはそれでうらやましい気がした。
全体を通して唖然とするのは、外務省という組織の末期的な状況。著者自身はあまりそのことに疑問を持っていないように思えるのだが、「スクール」毎に全く独立してしまっているし、職制が全く機能してないし、特定の政治家と近すぎる。「組織」の体をなしていない。
著者は裁判でも容疑を否認し続けるのだが、自分の意見が通るとも思っていないようだ。「国策捜査」であり、ひっくり返ることがないことは自身でも理解している。そのため、さっさと執行猶予付きの有罪判決を受け入れ、第二の人生に踏み出すことが得策と理解しているのだが、それでも否認するのは、「歴史に対する責任」だと言う。そのために、裁判記録を通して、正確に事実を記録しておく必要がある、という考えである。
産経新聞社
おすすめ度 ★★
2006年4月読了
「国家の罠」に続く、外務省の佐藤優氏の本。ただし、「国家の罠」と違って、本人の手記ではなく、産経新聞でモスクワ支局長を務めた斉藤勤氏が聞き手となってまとめた形式となっている。ただし、そうだからと言って会話調で軽い内容という訳ではなく、深い議論がなされていて、読み応えがある。
内容としては、前作のように逮捕された事件については軽く触れられてはいるものの、大半は、日本の外交や国際情勢について自由に語っている。対ロシア外交については当然十分に語られているし、中国についてもネオコンについても語られている。単純に外交のパワーゲーム、交渉術を語っているだけではなく(それも相当おもしろいのだが)、歴史、思想、文化といった幅広い視点から議論が進むので大変に深みがある。
ネオコンについては多くページが割かれていて、単純に「先制攻撃」する人たち、というのではなく、宗教観も詳しく書かれている。このあたりは、神学部出身の佐藤氏の面目躍如という気もするし、逆に私には難しかった。
産経新聞社の本だからサービスしているという訳ではないと思うが、靖国問題、竹島問題でも中韓に対してかなり国益中心の議論がなされている。一方で、BSE問題は日本が米国に譲るべきと言った論調。
逮捕の原因にもなったイスラエルという国については本書でも好意的に書かれていて、中東ではイスラエルに肩入れをするべきだし、それは中東研究、対テロ研究のためにも重要だという。
おもしろいのは靖国問題の部分で、神学部出身でプロテスタントの佐藤氏が靖国神社には抵抗がないし、手を合わせると神は感じないが、英霊を感じる、と言うところだった。そして、ロシアやイスラエルの友人は必ず靖国神社と遊就館を案内するという。すると、彼らは抵抗無く、それどころか涙を浮かべるのだという。
全体を通して外交には原則が重要である、外交官は国益を重視すべきであると言った論調である。そして、靖国の議論、イスラエルの支持なども含めて考えると、宗教と国家というものが佐藤氏という人間の中でどのように理解されているのかに興味がわく。
産経新聞社
おすすめ度 ★★
2006年8月読了
タイトルや、帯の「どんな国際スパイ小説よりスリリング」といった文では内容がよくわからないと思うが、これは佐藤氏が外務省に入省してから、1991年のソ連のクーデター未遂までの経験をつづったもので、ノンフィクションであると同時に自伝的な内容になっている。
ソ連という帝国は、内部から崩壊した、つまり自壊した帝国であるということがタイトルの由来である。
著者は同志社大学の神学部卒だが、もともとチェコの宗教家について研究をしたいと考えていて、外務省の専門職(いわゆるノンキャリア)ならチェコで研究する機会が持てるのではないかという動機で外務省に入省する。しかし、ソ連課に配属されてしまう。そして、英国でロシア語研修を受け、ソ連大使館に配属される。
当時のソ連では、西側の外交官の行動は厳しく規制、監視されているのだが、著者はキリスト教というバックグラウンドと、酒が飲める体質を武器に人脈を築いていく。
まず、ロシア語の「研修」をしていたモスクワ大学で、「科学的無神論学科」のゼミに顔を出す機会があり、そこで「サーシャ」に出会う。科学的無神論学科は、無神論の立場から宗教を研究するという意味なのだが、実質的にやっていることは神学科と変わらないようなものだったらしい。
サーシャはラトビア出身だが、ソ連は崩壊させなければならないという信念を持っている。彼を中心に、著者の人脈は広がっていく。
さらに、著者は好きではないものの酒が飲める体質であり、互いにウォッカを飲み干すことでロシア人と深い関係を築いていく。
ロシア人のアルコールに対する執着はすごいようで、ゴルバチョフが書記長になってアルコールが手に入りにくくなると、オー・デ・コロンを飲むものが現れたり、果ては靴クリームでアルコールを得る者まで出たという。具体的には、靴クリームをパンに塗り、アルコールがパンに浸みてきたところで、黒くなった部分をちぎり取ってから食べるのだという。すごすぎる。
そうして外交官として人脈を築いていく中で、ソ連はがたがたになっていく。バルト三国はサーシャの出身である関係もあり、関わりを持つことになる。リトアニアで独立派が最高会議建物に籠城しているとき、著者はリトアニアの共産党を訪れ、武力攻撃の意思がないことを確認する。そしてそれを籠城している独立派に伝えるのだが、それがなければ独立派は武力攻撃を恐れて籠城を解除するつもりだったという。杉原千畝もそうだが、遠く離れたリトアニアの歴史に日本人が関わっているというのは興味深い。
そして、ソ連のクーデター。この本では、ゴルバチョフの評価はきわめて低く、無能と評価されているようだが、一方でクーデターを起こした守旧派については、人間的にも立派だったという評価が下されている。おもしろいのは、クーデターの最中に、ソ連のKGB等の官僚は、何事もなかったように毎日通勤して黙々と働いていたという話。
本の最後はまた、著者が逮捕されるシーンで終わっている。
ソ連という国を知る上でも、大変に興味深い本。
角川書店(訳 伊藤真)
おすすめ度 ★★
2005年10月30日読了
曽我ひとみさんの夫であるジェンキンスさんが自身の経験を書いた本。
なかなか実態がわからないお隣の国の実態についてなので、興味深く、さらっと読むことができる。
ジェンキンスさんは、特に共産主義に傾倒して、ということではなく、第三国経由で送還されることを期待して、北朝鮮に渡ったところ、出ることができなくなってしまった、とのこと。
貧しいだけではなく、規律も乱れた北朝鮮の様子が描かれている。曽我ひとみさんとは最初から結婚させることを意図して引き合わせたらしく、会って40日ほどして結婚したとのことである。
ジェンキンスさんが韓国からDMZを渡り、北朝鮮に渡るところだが、やっぱりどうしてなのか、読んでも今ひとつ気持ちがよくわからない。そもそもジェンキンスさんがこの本を書いたのは、どうしてだろう、誰に何を伝えたかったのだろう、と思う。逃亡したのは軽率だったが、その結果北朝鮮に幽閉されて、その報いは受けた、ということだろうか。英語を教えさせられたが適当に教えた、など、北朝鮮にはできるだけ協力しなかった、といった主張が目につく。
講談社現代新書
おすすめ度 ★★
2007年7月読了
日経新聞でも堺屋太一がチンギス・ハンについて連載小説を書いていて、興味があったので読んでみた。うっすらとした知識しか持っていなかったモンゴル帝国について、全体像がつかめておもしろかった。
13世紀に突然現れて、ものすごい勢いで拡大していったモンゴル帝国が段々と求心力を失ってゆっくりと分解していく。しかし、その過程で世界が1つになっていくという「時代」が感じられる。個々の地域で発展してきた文明が、多民族国家であるモンゴルという「システム」で統合されていく。著者によれば、それは単にモンゴルが強かったということではなく、統合を望んでいた時代というものがあるという。
著者は幾分モンゴルにひいき目な書き方をしているようにも感じるのだが、モンゴルは軍事を司っていたものの、行政はウイグル人、キタン族、イスラムなど様々な人たちに任されていた。また、イスラム商人が東に西に帝国を行き来して商売をし、その売り上げから税を取る形で帝国が運営されていたという。つまり、征服してそこの住民や農民から搾取する、というよりも、帝国を広げて貿易をしやすくし、拡大した貿易から利益を得る、ということになっていて、今風に言えばいろいろな民族とwin-winの関係を作ることによって帝国という「システム」が形成されていったという。
イデオロギーとか、宗教などに寛容、というか無頓着なところも特徴で、それぞれの地域の宗教は特に禁止されなかった。というか、モンゴル自体、西に行ったものはイスラムになってしまったり、キリスト教になってしまったり、全然統一されていない。多民族が暮らすユーラシア大陸に、突然そのようなシステムが生まれた、というのが不思議な気がする。
しかし、やっかいなのが代替わりで、長子が相続する、とか先代が後継を指名する、ということではなく、一応「クリルタイ」という一族の合議で大ハーンを決めることになっているものの、実態としては、先代が死んだときに、有力者それぞれがユーラシア大陸のどこにいて、どれくらいの軍事力を連れているか、ということが決定的になる。そのため、代替わりの際にはいろいろ混乱するので、ヨーロッパへの遠征も中断したし、もちろん日本への遠征も2回で終わった。
また、あまりに広くなりすぎたのと、チンギスの子供に領土を分けたせいで、東西が遠くなってしまい、西の方ははんば独立したようになってしまうし、東は中国と一体化してしまう。そのため、首都も北京に移ってしまう。ちなみに、北京を作ったのはモンゴルだなんて知りませんでした。
で、中国と一体化すると、いつのまにやら官僚が力を持ってしまい、派閥争いで子供を大ハーンにつけたり、クーデターを起こしたりして、大ハーンは弱体化してしまう。また、東西をつなげる中央アジア部分は、跡目争いに巻き込まれたりして、どうも不安定になってしまう。ということで、段々統率がゆるんできて、ゆっくりと各地域が分解していってしまう。
モンゴルの後に出来た明にしろ、独立した朝鮮にしろ、日本にしろ、世界が1つになった時代の後は、なぜか閉鎖的で内向きの時代に入ってしまうのも時代というものなのだろうか。
著者はモンゴルにひいき目、と書いたが、言い換えればもっと視座が高いところを目指していて、欧米によるキリスト教史観や、中華思想からみた歴史によって、残虐だ、文明が低いといった評価が与えられてきたモンゴルの歴史を見直そう、ということがあるようだ。確かに、ローマ教皇がモンゴルを改宗しようと考えて、使者をモンゴルに送ったことなど、多民族の世界経営をしていた巨大帝国との関係で見れば、滑稽でさえあるかもしれない。
晶文社
おすすめ度 ★★
2006年3月2日読了
高級洋食磁器を作っている大倉陶園を育てた初代支配人日野厚という人物ついてまとめた本。ストーリーのある伝記と言うよりも、史実を整理してある。
大倉陶園は、1919年に、大倉孫兵衛と和親という父子によって創業され、日野厚の活躍もあって今では世界的にも評価されるトップブランドになっている。
実はよく知らなかったのだが、この大倉父子は大変な実業家で、ノリタケ、日本ガイシ、TOTO、INAXといった窯業分野では知らない人がいない企業をすべて生み出しているのだそうだ。そして、その上で、「良きがうえにも良きものを作りて、英国の骨粉焼、仏国のセーブル、伊国のジノリー以上のものを作り出したし。」という理想を掲げて設立されたのが、大倉陶園である。
日本には昔から陶磁器があるのに信じられないことだが、当時はウェッジウッドのような高級な洋食器を作る技術は日本にはなかった。そのため、洋食器を作るには、大変な研究と苦労と時間が必要だったとのことである。日野厚という人は、経営面でも、そして芸術的な面でも才能があった人で、大倉陶園の礎を築いた。
さて、ところで、何で私が大倉陶園に興味を持ったかというと、工場を見学したことがあるため。大学では、昔で言う「窯業」をやっていたので、学科の工場見学でいくつも会社を見に行った。その中の1つが大倉陶園だった。学生だった当時、高級洋食器なんて縁も興味もなかったが、案内してくれた方が例の「道楽でなければできない云々」という創業の理想を説明してくれて、ろくろで皿を作ったり、さらには絵付けをしているところを説明してくれた。高温で焼成していて、白い色を出していることや、しゃれっ気を出して、青いバラを書いていることなどなども説明され、最後に学生全員に小皿を1つずつおみやげにくれた。
今でもその小皿は持っていて、使っているが、素人(?)が見ても、異常に白くて、他の磁器と全く違う雰囲気を持っており、印象に残っていた。ちなみに、吉祥寺には武蔵野珈琲店という喫茶店がありますが、そこには大倉陶園の食器がずらりと揃っていてびっくりした記憶がある。
さて、この本の話に戻ると、読んでびっくりしたのが、主要な人物が悉く、「東京高等工業学校」を出ていること。この東京高等工業学校というのは私が出た大学の前身で、さらにはここの窯業科というのは、私が出た学科のルーツそのもの。つまり、みんな私の大先輩と言うこと。全然「窯業」とは関係ない仕事をしている私ですが、先輩方の活躍に頭が下がります。
講談社
おすすめ度 ★★★
2006年7月21日読了
二度にわたって実施された日朝首脳会談によるノンフィクション。
著者は、日朝首脳会談の舞台裏を紹介しながら、この会談が実は、日米同盟にとって大変な危機であったこと、主張すべきを主張しなかったために国益を十分に追求できなかったことなどを批判している。
北朝鮮にとって、第1回の日朝首脳会談は本当に日朝国交正常化が進むと思っていただけに得るものがなくだまされたため、第2回はその意趣返しを行ったという。また、朝銀への公的資金投入も政治的なねらいがあった。
同じ著者の「北朝鮮の外交戦略」を以前読んであったこともあって、主張としては一貫したものが読み取れた。
著者の主張はこうである。
興味深いのは、著者が好意的な人間と批判的な人間を明快に分けていることである。前者については安部晋三、筑紫哲也、アーミテージ、中山恭子と言った人物である。小泉首相は微妙である。一方、批判されているのは、田中アジア太平洋局長(当時)をはじめとして、福田元官房長官、ヒル国務次官補、金丸信、山崎拓、平沢勝栄、A教授(仮名)などなど。これまでに訪朝した議員(著者は議員外交に批判的)のリストが巻末に載せられているという念の入れようである。
自民党の総裁選が近いこの時期に、このような本が出版されるというのは、やはり一定のねらいがあるのだろう。
これだけはっきりと人物評を書くのはかなりいろいろ検討されたものなのだろう。田中元局長についても、田中局長とか、アジア太平洋局長とか、担当局長とか、A局長とか、場所によっていろいろな表現がされている。
元上海総領事であった杉本氏は、がんと戦いながら「大地の咆哮」を執筆し、2006年7月の出版間もなく、8月に亡くなった。人生の最後の大切な時間を使って残してくれた本を大切にしたいと思います。
PHP研究者
おすすめ度 ★★★
2006年8月17日読了
上海総領事館と言えば、中国の工作に追い詰められて職員が自殺したことが記憶に新しいが、そのときの総領事であったのが杉本氏である。
本屋でこの本を見つけたとき、この件についての興味もあって買ったが、冒頭や後書きに目を通すと、著者は末期ガンに冒されており、闘病しながら書いたことを知った。買ってから読もう読もうと思っていたところに杉本氏の訃報に接することとなってしまった。
読み始めたところ、非常に興味深い内容ばかりで、一気に読んでしまった。経済、軍事と情報があふれているようでいて、実は表層的な情報ばかりであり、本当の中国の姿が見えていなかったことを痛感した。夏のこの時期、靖国問題などで中国が報道番組でもとりあげられることが多いが、この本を読んでからはうすっぺらな議論しかなされていないように感じる。「中国が反対している」ということを報道しても、中国の主張は筋が通っていないと批判しても、なぜそういうことをするのか、という本当の理由に迫らないと解決に近づけない。
本書を書くに至った経緯と言い、同僚の自殺という経験と言い、感情的な内容もあるのかと言えば、実はそのようなものはなく、自殺事件も前文で少々触れているだけで、新しい事実はなく、それを期待すると拍子抜けである。杉本氏の外務省入省からの自伝的な内容も含み、かつその間に行われた緻密な分析の集大成とも言える緻密な本である。私も重要だと思う事実を含んでいるので、それら内容についても紹介したい。是非多くの人が手にとって読んで欲しいと思う。
胡耀邦は極めて親日的で、その結果山崎豊子の「大地の子」も綿密な取材による執筆が可能となった。しかし、胡耀邦は親日的すぎると批判されて失脚した。中曽根元首相の「自省録」でも、靖国神社の公式参拝をとりやめたのは、親日家である胡耀邦の立場が危うくなることを懸念したからだと書いている。その胡耀邦によって出世街道に引き上げられたのが胡錦涛である。そのため、胡錦涛は靖国神社問題で日本に甘くすると胡耀邦の二の舞になるのではないかと考えている可能性がある。
日本の対中ODAについて、中国があまり感謝していないと考えられるのは、歴史問題があって賠償が当然だという考え方、援助に対する中国側の理解不足、援助方式による構造的な問題がある。中国側の理解不足とは、低利融資が多く、日本企業の落札も多いことから、金は返しているし日本も儲かっているではないかという誤解である。しかし、低利である分は日本が贈与している贈与要素があるということであり、国際入札の結果日本企業が受注しただけであるという。また、援助方式については、日本は優等生的な援助をしていて、中国が申請した事業に対して資金を出していた。そのため、他の事業を押しのけて事業が採択されるかどうかの判断は中国内部の問題となってしまい、現場も意思決定者に感謝してしまっているという。そのため、事業の採否に日本が関与していくことが必要なのだという。
著者は大型インフラ整備のODAではなく、すでに実施している草の根援助の方が効果があるのではないかという。これは、地方の学校に校舎を建てるといった1000万円程度の少額のものだが、とても感謝され、学校名に「日中友好」といった言葉を入れてもらえることもあるという。そうすると、履歴書にもその名前が残ることになり、効果は大きい。
なぜ、このような草の根援助が効果的で、かつ必要なのかは、中国政府による所得の再分配が全く機能しておらず、貧富の差がどんどん広がっているからである。
中国には農村戸口、城鎮戸口という2種類の戸籍がある。前者は農民に与えられ、後者は都市住民や役人に与えられる。はっきりいって、これは身分制度で、農民は徹底的に搾取されている。都市住民は、年金制度もあるし、税金でインフラが整備され、義務教育も税金で提供される。しかし、農民には国のものである農地を利用できるが、都市住民にはある年金制度がなく、インフラ整備は自分たちで行う義務が課されていて、義務教育もほとんど国から金が出ていない。この身分はほとんど変更することができないし、裕福な都市から集めた税金が貧しい農村に回ればよいのだが、実際には制度の不備もあって裕福な都市住民は税金を払っていない。そのため、格差はどんどん広がるばかり。これは著者が、「社会正義に反している」という表現を使うほどの惨状らしい。
ODAは軍事費に回る、という批判があるが、この「社会正義」の面もあるし、中国の失政のツケが回されないようにするためにも、中国への支援が必要ではないか、それが日本の国益ではないか、ということである。
環境の面では水不足が深刻化していて、黄河が海に届かない断流現象が頻発、1997年に至っては、黄河が一日中海に流れ込んだのはわずか5日間。砂漠化も進む。経済も不動産バブルが加熱しており、所得格差が広がるばかりなので投資の割に消費が増えない。
このような問題が起きてしまうのは、中央政府からはじまり、省、県、市、郷鎮と何段階もあり、中央政府がコントロールできていないからだと言う。さらに政府と党の二重構造になってしまっているため、役人がたくさんいすぎて彼らが自身の利益や保身に走る。共産党独裁による一枚岩という印象とはほど遠い。
反日運動についても、政府がコントロールできていない部分があり、それがある程度組織化されていると言うことは、人民解放軍の勢力、反政府勢力があるのではないかとまで言う。中国共産党自身も、実は自分たちの支配がいつまで続くかは悲観的だとも言う。
本の最後の部分には、中国人に質問をされた際のために、ということで、「日本はドイツと違って謝罪していない」と言った中国の主張に対する日本としての反論がこれまでに杉本氏が書かれた文章の再掲も含めて整理されていてとても有用である。
あとがきは次の文章で結ばれている。ご冥福をお祈りします。
最後に、本書を、上海で自らの命を絶った同僚の冥福を祈るために奉げる。また、奇跡を信じて完治を祈ってくれている家族、両親、兄弟に感謝の気持ちを込めて贈りたい。
新潮新書
おすすめ度 ★
2006年4月読了
ずいぶんと前に進められたことがあって、気にはなっていたのですが、やっと読んだ。
タイトルと言い、「理屈はルックスに勝てない。」という帯の宣伝文句と言い、かなり刺激的だが、内容的にはきわめてまっとうなものとなっている。一言で言えば、ノン・バーバルコミュニケーションについて解説した物。ハウツー物、という訳ではなく、日常に見られることはこんな意味があるのですよ、といった紹介になっている。つまり、こうした方が良いですよ、という情報が得られるわけではない。
日本人的、と言うわけではないだろうが、漫画を多く例として引いているが、私自身はあまり漫画を読まないのでぴんと来ないところもあった。
河出書房新社
おすすめ度 ★
2005年12月16日読了
神道の考え方、歴史についてコンパクトにまとめた新書。難しい解説ではなく、さらさらと読める。
無宗教とされる日本人だが、実は生活習慣や考え方に神道が深く浸透していることがわかる。
日本のクリスマスは、単なるお祭り騒ぎになってしまっているが、著者によれば、これも神道なのだそうだ。人々が楽しめば、神様も喜ぶ、というお祭り好きの日本人が海外の異文化を神道化して取り込んでしまっているのだ、という。
歴史的に見れば、天皇による支配の根拠付けに用いられたり、国家神道として利用されたりしたこともあったが、それは一面に過ぎないことがわかる。
神道には、キリスト教における聖書、仏教におけるお経のようなものが存在していない。基本的に何かで人々の行動様式を縛る、ということではなく、人それぞれが時代に合わせて考えなさい、ということのようだ。
神道は、「人々が生命力に満ちた楽しい暮らしをすること(産霊、むすひ)を最大の善とする。」ということであるという。1つの「正しい」ルールがあって、それに沿うものが善である、ということではなく、極めて相対的な考え方である。基本的に性善説であって、「神をまつり、自然を大切にして、人間どうしが信頼しあって助け合う世界が望ましい。」という神道の考え方は、日本人の考え方そのものに思える。
多様な価値観が存在する世界において、1つの神様や1つの宗教が正しく、他は間違っている、という価値観では、相互理解は永遠に進まない。何かに沿っているのが善でそれ以外が悪、というのではなく、みんなが楽しく仲良くするのが善というこの神道の価値観こそ、日本が目指す方向を示しているのではないかとも思う。
集計社新書
おすすめ度 ★★
2007年6月読了
トルコを旅行して帰ってきて、イスラム世界についてさらに知りたくなったので手を取った。
帯には、「なぜジダンは、06年ワールドカップ決勝戦で頭突きをしたのか?」と書かれている。知りたくなりますよね?
中身はムスリム(イスラム教徒)が何について怒りを感じるのか、ということを述べ、特に西欧社会との衝突がなぜ起きるのかを書いている。
イスラム教に肩を持ちすぎているのではないかという気もするが、考え方として非常に興味深かった。こういうことを言うと暴力的になるほど怒る、というのはたとえば・・・
といったようなもの。最後の部分はパレスチナ問題やイラク戦争などが典型的で、イスラム以外の先進国は、戦闘員か、非戦闘員かということを重視して犠牲者への扱いを変えているが、ムスリムにとっては、無辜の女性や子供が傷つけられている、というのがとても重大で、許せないことらしい。
キリスト教の欧米と衝突する理由は、欧米が歴史を通じて獲得してきた「世俗主義」という考え方をイスラム教国ではトルコくらいしか取っていないので、いわば自分の過去を見るような気持ちで欧米が攻撃しているのではないか、ということ。
良く言われるイスラムの一夫多妻制も実際は国の法律として認められていないことが多いようだが、ムスリムの反論として、「一夫一婦という欧米はそれを守っているのか?」というのは皮肉が効いている。イスラム教では4人まで妻をもてたとしても、彼女たちを平等に遇することが求められる。これは簡単ではない(だろう)。
幻冬舎新書
おすすめ度 ★★
2007年6月24日読了
現実の裁判で、裁判官が判決理由、説諭などで発した人間くさい発言をまとめた本。
タイトルの「爆笑お言葉集」というのは極めて誤解を招く命名で、内容としては笑うどころか、考えさせられたり、感動したりするものが多い。決しておもしろ半分に変な発言を集めているわけではなく、裁判官の印象的な発言を集めたものとなっている。
かといって、堅苦しい本かというとそんなことは全くない。著者は司法試験を志して挫折した人らしく、法律の知識、裁判の知識はあるが、その上でユーモアを感じさせる軽妙な語り口で解説をしている。右側に発言があり、左側に著者の説明があるというコンパクトな構成。
良いな、と思うのは本文以外にもコラムがあって、日本の裁判制度について解説があるところ。また、それぞれの「お言葉」には、裁判官の実名と、当時の年齢が書いてあり、同じ裁判官の他のお言葉も参照できるようにページが入れてある。
つまり、さらりと読めて、内容としては裁判というものがより身近に、より深く理解できるものとなっている。
本書に挙げられている裁判官の発言は、決して蛇足の発言、無駄口ではなく、被告人にアドバイスをするのもきちんと決められた手続きだそう。また、量刑自体は良くも悪くも相場を見た横並びになってしまっている面があるが、それを補うために、厳しい言葉を付け加えたり、優しい言葉をかけたりしているようである。
本書の中で、印象に残った言葉を挙げておきます。考えさせるでしょう?
エムディエヌコーポレーション
おすすめ度 ★★
2001/2/4読了
仕事や仕事外でも(このサイトか!)、Webを作っているので、パルコブックセンターで目に付いたこの本を買ってみた。
よいWebサイトを作るには、使いやすさが重要なことと、どのようにすれば使いやすくなるかをまとめた本。豊富な実例を批評しながら解説していて、とても役に立つほか、読んでいて面白い。Webサイトを作成しようとする人は、一回目を通すと良いと思う。
とても残念なことですが、どうしてこういうきちんとした本は、海外のものだけなんでしょうね。日本人が書いた「超はやわかり、誰でも簡単ホームページ!!」のような本を見るたびに頭を抱えてしまう。ギリシャ時代からの真実。学問に王道なし。簡単に身に付くものは、うすっぺらなことだけ。
角川oneテーマ21
おすすめ度 ★★
2007年7月読了
これは野中広務と在日朝鮮人である辛淑玉の共著となっている。というよりも、辛淑玉が野中広務にインタビューし、さらにその合間に辛淑玉が解説文を挟むという形式になっている。そのため、実際には野中広務の意見というよりも辛淑玉の意見が随分書かれている。また、インタビューも野中広務の意見を引き出すと言うよりも、辛淑玉自身が意見をぶつけている部分も多い。
駅で電車を待っているときに構内の本屋で発見。野中広務については、魚住昭の「野中広務 差別と権力」がおもしろかったので、直ちに買って読んだ。
よく知られているように野中広務は京都の被差別部落出身で、そこから町議、町長、京都府の府議、衆議院議員とたたきあげて来た政治家である。政治家だった頃はなんとなく裏でいろいろやっていそうだし、豪腕そうだし、そもそもリベラルっぽい面も感じられて好きな政治家ではなかった。というか嫌いな政治家であって、今でもそれは変わらない。ただし、前述の「野中広務 差別と権力」でも描写されているが、明確な主張があるように見えず、そのときそのときで潮目を読んで生き延びて来ていて、正直偽善かどうか分からないのだが、福祉施設を手伝ったり、弱者の味方という面も持っている。
また、今話題の麻生首相の差別発言についても、野中自身が語っている。
正直、辛淑玉のサヨク的な発言や解説も私と全く意見が異なるので鼻につくが、本としては非常におもしろかった。石原慎太郎の話になると、「昨夜一緒に食事をした」とけろっと発言し、辛淑玉が熱くなって非難しても、「あれはいい男だから」としれっとしている。このあたりのつかみ所のなさがおもしろい。
さらに、部落問題についても、差別に対する闘争心を持つ一方で、差別を理由に特権を得ようとする人々へも批判的である。
サンクチュアリ出版
おすすめ度 ★
2000/7/1読了
毎週恒例のパルコブックセンター巡りで発見して購入した本で、あっという間に読み終わってしまった。この本は、5人の若者の自殺に関するノンフィクションである。いじめや鬱、それぞれ理由は異なっているが、死を選んでしまった若者の遺書、遺族の手紙、経緯などを、同じ世代の若者達が制作した本である。一人の人間が死を選んでしまった結果が、どれくらい周りの人を傷付け、追いつめるのかを考えさせられる。自殺に至った経緯は理解できるものもあれば、理解できないものもある。いずれにせよ、悩んだり、苦しかったり、辛かったりするときには周りの誰かが手を差し伸べて私達は生きているが、何かの拍子に孤独な、いわば空白の状態に追い込まれてしまうということがあるんだな、と感じた。
主婦の友社(訳 藤井留美)
おすすめ度 ★★
2001/2/3読了
随分前から本屋で目立つように売っていたので、知ってはいたが、あまりにもありきたりな内容な感じがして、買いはしなかった。しかし、テレビを見ていたら、この本の特集をやっていて、相当面白かったので、早速本屋で買ってきた。
これは相当面白い。さっと読めるし。暫くの間、人に会うたびにこの話ばかりしていた。左脳と右脳の違いや、男性と女性の脳の違いについては、いろいろなところに書いてあるが、ここまでまとめて書いてあると、面白い。テストがついていて、男性脳か、女性脳かも判定できる。
私の場合、地図を読むのは得意ではないし、相当な方向音痴だし、本を読むのが好きだし、左利きだったし、男性脳ではないかな、と思ったら、そうではなかった。110点。一応男性脳です。
説明の仕方も実例や、ちょっとしたストーリー仕立てになっていて、楽しく読める。女性は本当に地図を読んだり、頭の中で図形を回転させたり、左右を判別したりするのが苦手らしい。車を運転して喧嘩になるところなど、誰でも思い当たるはず。
一方、女性はコミュニケーションの能力が発達していたり、触覚が敏感だったり、視覚や聴覚の特性も随分異なっているらしい。恐ろしい話です。女性のほうが一般に視野が広いし、人の話を聴きながら自分の話をしたり、「マルチトラック」で脳を働かせることが出来るそうです。一方、男性は一度に一つのことしか出来ない。テレビを見ていれば、返事は上の空になるし、運転中に話し掛けられるとうまく運転できない。
良いか悪いか、優れているか劣っているかということとは別に、男女は違った能力を持っているのだ。というのが本書の結論。なるほど。浅薄な男女同権を訴える人には読んでみて欲しいですね。
扶桑社
おすすめ度 ★★
2002年2月読了
とても話題になり、国際問題にまでなってしまった教科書の市販本である。
高校の日本史の時間はなぜか微分積分の勉強をしていて、日本の歴史についてざっと勉強しておきたいと思っていたことと、問題になっている教科書が本当はどんなものなのかを知りたいと思って読んだ。
さすがに構えて読み始めたのだが、拍子抜けするくらい普通の教科書だった。というより、教科書としてしっかりと書かれているな、というのが率直な印象だった。
確かに、最初のカラー写真の紹介から、日本の美術品を西洋の美術品に「匹敵するものである」など、相対的な評価が多くみられ、鼻につく。しかし、歴史の基本的な流れは書いてあるし、そもそも歴史の記述に面白みがある。ただ、どこが攻めた、どこが勢力を伸ばした、誰が悪い、ということではなく、どのような状況で、どのように考えてどのように行動したのか、というストーリーが記述されている。
市販したのも英断だと思う。これだけ批判している人が多いが、何よりも実際に読んでみて、自分の頭で判断して議論してほしい。あまりにも形式的、感情的、抽象的な議論が多い。具体的にどの記述がどうすべきだ、と議論すればとても有意義なのに。その意味で、市販をすることに反対した人達の罪は重いと思う。
それにしても、テストされないという前提で教科書を読むとおもしろいですね。テストされると思うと、ゴシック体の字が出てくるたびに覚えなきゃ、と緊張してしまいますが、テストがないとさーっと流し読みして歴史を流れとしてとらえることができます。
扶桑社
おすすめ度 ★★
2002年2月読了
「新しい歴史教科書」を読み終わったが普通だったので、さらに考えてみようと思って読んでみた。ムズカシイ本ではなく、60くらいのトピックについて、「新しい歴史教科書」の記述、他の教科書の記述を掲載した上で、解説をし、どっちの勝ちかを「判定」するというもの。さらに、何人かの賛成・反対双方の論者の教科書問題への意見をコラムとして掲載している。
通読してみてわかったのは、以下のようなことだった。
一方で、既存の教科書についてもいろいろなことに気がついた。
紙面が限られていることによる難しさはあるが、教科書としては、主要な事実は漏らさず採り上げる必要がある。それでも不十分でその事実の背景や理由を解説する必要がある。議論があるのであれば、両論併記すればよい。そうして初めて、歴史について考えることができる。そういった意味で、「新しい歴史教科書」も他の教科書も完全ではない。もっと実質的、具体的な身のある議論をして、よりよい教科書作りを競ってほしい。
この本を教科書の副読本にしたらおもしろいのに。
新潮新書
おすすめ度 ★★
2006年9月16日読了
いわゆる「セクハラ事件」で共産党を離れた元幹部が日本共産党について書いた本。
セクハラ事件の詳細について真実を暴露するというのではなく、日本共産党の現状と問題について、党を離れた立場から意見を書いているというもの。手のひらを返したように党を批判する、というよりも、行間になんとなくマルクス主義、日本共産党に関する未練も少し感じられる。
内容としては日本共産党の組織構造を説明し、地方組織の疲弊の状況、そして党中央、特に不破議長に対する批判、無謬性という問題点を指摘している。
一言で言うと、現在の共産党は、だめな宗教団体のようだ。みんなどこかおかしいと思いながらも、実現しそうもない理想的なお題目を唱えている。でも、誰もおかしいと言い出せない。みんなで自分たちは正しいのだ、と唱えて安心している。また、純真な末端の人たちを酷使して、トップは責任を取らない。筆坂氏自身も、信念でやっていたと言うよりも、組織人としてサラリーマン的にやっていたという感じである。
そもそも本部は誰がトップなのかはっきりしないおかしな組織構造であるが、それ以下は軍隊のような上下関係が出来ている。これは、公安などと戦ってきた結果だ、ということらしい。また、トップはみんな高学歴で、中小企業や庶民の味方という政策。無知な大衆にインテリが教えてあげる、という心理があるのではないか。その結果、党中央は無謬で、上に物言わない雰囲気。共産党は討論番組でも最初の発言は勇ましいが、反論されると同じことを繰り返したり、ぼろぼろになってしまうが、これは内部で十分に議論が行われていないことが理由なのかと思った。
みすず書房
おすすめ度 ★
2001/2/24読了
随分昔から、いろいろなところで引用されており、名前だけ知っていた本である。いつか読んでみたいと考えていたのだが、本屋にいったら発見した。1961年初版という古い本である。
内容は、副題にもついているように、ドイツ強制収容所の体験記録である。著者フランクルは、ユダヤ人であり、アウシュビッツに収容されたが帰還した。ただし、妻や子供は命を失った。
冒頭に、70ページ程度もある解説が設けられており、歴史としてのナチスによるユダヤ人迫害がえんえんとまとめられている。
ドイツに行った後だったのだが、さすがにここまで書かれてしまうと、ドイツという国に抱く印象に微妙な変化が生じたようにも思う。戦時のパニック的な、あるいは暴走した結果による虐殺や、というよりもまるで工場の生産計画のように極めて体系的に、そして計画的に人が消されていったということである。
読んでみて、冒頭の解説には非常に考えさせられるものがあったが、その後の本編は史実として読めてしまった。これは、この書が怒りや悲しみという感情を伝えるというスタンスよりも、心理学者である著者が客観的に、経験を記述しようと努めているせいかもしれない。
PHP研究所
おすすめ度 ★★
1999/5/11読了
謙譲を美徳とする日本の人間関係の中で、「いい人」として自分を見失ってしまう人について精神科医が臨床経験を元に分析した本。ただし、「いい人」に同情しているのでは全くなく、むしろ「いい人」になろうとする人の心の中に、見かけのやさしさに隠れた自己愛的弱さを指摘し、「いい人」や「いい子」を批判的に分析している。結論として、「いい人」よりも「必要な人」になるべきと説く。全体的に、社会の風潮、家族、教育現場に対しての批判が多く含まれており、読んでいて説教されているようだった。傷つけられるのを恐れ、希薄な人間関係しか築かないことにより、自我の確立ができていない人間が多いことを問題視している。
ブロンズ新社
おすすめ度 ★★
2001/3/4
ずっと前から吉祥寺の書店では置いてあり、気になっていた本ではある。立ち読みしても結構オカシイし。買ってきて、読んだがあっという間に読み終わってしまった。
私は中央線人度19、中央線人の生き方が理解できない?
このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで