最終更新日 2016年9月14日
2013年4月~5月にベトナム旅行で訪問。
暑いところは苦手であまり東南アジアに入ったことがないのですが、いざ行こうとすると周囲から「私も行った」との声ばかり。人気がある観光地のようです。
さらに2016年6月にアンコール遺跡旅行でもハノイで乗り換え、ホーチミンに一泊。
私たちの世代だと、ベトナム戦争とか、ベトナム難民とか暗いイメージもありますが、順調に経済発展しており、今の日本の若い世代にはそんなイメージはないのかも。
南北に長い国土を持っている。
国名 | ベトナム社会主義共和国 |
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国土 | 南北に長い。降水量が多いためか旅行をしているととても川が多い。交通の便という意味では大変だろうなと感じる。 北に紅河のデルタがあり、南にメコンデルタがあり、間は山。前者にある都市がハノイで、後者にある都市がホーチミン。現在のベトナムは紅河にルーツを持つ国。 |
気候 | 南部はAwで北部はCw。雨が多いが北部、南部、中部で時期が違う。2013年に行った8月はちょうど北部の台風シーズンだったようだ。 |
人口 | 約8,424万人(2005)。8,973万人(2012)。 |
民族 | 多民族国家だが、キン族が大多数を占め、そのほかの少数民族が53とされる。 キン族は他のインドシナの国と比較すると色が白く、中国人に似ている。 |
宗教 | 大乗仏教が多い。隣のカンボジアやタイは現在では上座部仏教が多い。 |
首都 | ハノイ。一番の大都市ホーチミンではない。 |
経済状況 | 一人当たり国内総生産2,783ドル(PPP,2008)、4,012ドル(PPP,2013)。 |
時間 | UTC+7。 |
公用語は主要民族であるキン族の言語であるベトナム語。ただし、地域による方言がかなりあるらしい。かつてはチューノーム(ノにアクセントを置くようだ)という漢字をベースにした字を使っていたが、ローマ字表記を受容し、結果として識字率が向上した。よほどの高齢者でないと今では漢字がわからないという。
ただし、漢字や中国語の借用語は未だに多く、ありがとうのCam onは「感恩」、さようならのTam bietは「短別」だそうだ。日本語からの借用語は少ないが、バイクは普通名詞として「ホンダ」であり、ベビーシッターはなんと「おしん」と言うそうだ。おしんの世界的な影響はものすごい・・・。
ドン。インフレが進んだせいかやたら桁が大きく、20,000ドン=100円。桁が大きいので、下三桁の0は省略して書いたり言われたりする。観光客向けにはドルで値段を言われたりすることもあるので、ちょっと混乱する。下3桁を無視して5倍すれば円になると分かるとだんだん慣れてくる。
紙幣しか見ない。紙幣と言っても、10,000ドン以上はポリマーでできている。それ以下は紙でできている。
基本的にはないが、ガイドには枕銭を勧められた。
不要。
同じインドシナ半島のタイやカンボジアと異なり、箸文化圏。
いろいろな料理があって楽しめる。中華料理にエスニックなハーブを加えたような感じ。味は薄めで、日本に帰ってきて食事をしたらしょっぱく感じた。
鶏、豚、牛は食べるし、エビ、魚、イカも食べる。しかし、タコはなぜか見なかった。果物も豊富で、バナナ、マンゴー、スイカ、ドラゴンフルーツなどがあふれている。フランス統治の影響かフランスパンも普及していて路上でも売っている。
街中に飲食店があふれていて、路上で食べさせる屋台や大衆食堂も多い。
2016年にホーチミンを歩いて気がついたが、スターバックスもあるものの、しゃれたコーヒーハウスが多くあり、街歩きの一休みに最適。アイスコーヒーがある。
家の形は特徴的で、地方では平屋も見るが、都市や郊外でもウナギの寝床のような不思議な家屋を見る。入り口の幅は5mほどで奥行きは20mくらい。高さは3階建てが多い。コンクリートでできている。全面は入り口のほか、大きな窓をとっており、上階には広いベランダを確保している。一方、側面にはほとんど窓がない。
郊外の家にはバナナの木が生えている。植えていることもあれば、自生もしているらしい。もちろん実を食用とする種類もあるが、実を食用とせずに葉を食べ物を包んだりするための種類もあるとのこと。
とにかくバイクが多い。それも2人乗り、3人乗りもよく見かける。子供が含まれる場合4人乗りも。信号が非常に少ないので、道路を渡るのは大変だが、バイクもそれほどスピードを出しておらず、器用によけていく。信号があると、9割ぐらい守っている。「みんなルールはよく分かっていないが、テクニックはすごい。」(ガイド談)。車は高い関税が課されており、公共交通機関がないのでバイクがないといけない、とのこと。普通は自動車が普及していなければ路線バス、ミニタクシー、トゥクトゥクのようなものが発達しても良いと思うが、路線バスが少し走っている程度。
バイクは8間年程度で入手可能だが、彼女を作るためには20~30万円のいいやつを買わないといけないらしい。
雨が降ると雨合羽を着て走る。普通のものもあるが、前後にマントのように広がってバイクごと覆えるバイク用の雨合羽もある。雨が降り始めると一斉に道ばたにバイクを止めて雨合羽をかぶる。
女性はスボンがほとんどで、スカートはほとんど見ないが、これもバイクに乗るのに良いからとのこと。なるほど。
2016年にホーチミンを再訪した際には、相変わらずバイクは多いものの、車の割合が高くなっているように感じた。バスもきれいで、タクシーも東京以上と思えるほど走っている。
公共交通機関が未発達なので、離れた交通機関を回るためには現地ツアーに参加するのが効率的だが、日本の旅行者が斡旋する日本語ガイド付きのツアーは、現地での英語によるツアーと比較すると(相当)割高になっている。
ハノイは紅河のデルタにあるベトナムの首都。緑が多く、バイクが多い。首都ではあるが、ホーチミンよりのどかで、社会主義っぽい雰囲気。
ベトナム旅行で2013年8月8日(木)に成田空港から直行便で到着し、2泊して2013年8月10日(土)にフエへ向けて出発した。
2013年8月8日(木)に早起きして日暮里で乗り換えて久しぶりにスカイライナーで成田空港第1ターミナルへ。スカイライナーは以前乗ったときはがらがらという印象だったが、結構混雑していた。
成田空港に到着後、ツアーなのでまずe-ticketを受け取り、ベトナム航空のチェックインカウンターに並んだがとても混雑。30分前に出発するホーチミン行きと重なっていることもあるが、チェックインするまでに1時間近くかかった。荷物検査もピーク時の国内線のように混雑していて、出国手続も大変かと思ったが、これはなぜか空いていた。しかし、結局、搭乗口まで行くのに1時間以上かかって、ゆっくりする時間がなかった。
ベトナム空港VN311で10:00出発。これも混雑していて、窓側でも通路側でもない真ん中の席。睡眠不足だったので、ひたすら寝た。
ハノイのノイバイ国際空港に13:35に到着。飛行機から出たとたんにむわっとした湿気。そして、台風のような大雨。というか、本当に台風が来ていて、1つ前に到着する予定だった大阪からの便はハノイに着陸できなかったそうだ。名古屋からの便、バンコクからの便と重なったためか荷物の受け取りにも時間がかかった。入国審査は簡単に終わったが、送迎が同じ客を待ったので結局15:00すぎになってしまった。
送迎の車でGio Bao Grand Hotelへ。
ツアーで指定されたホテル。ベトナムに到着した2013年8月8日(木)から8月10日(土)まで2泊。
9階まであるが、1階に3部屋くらいしかない細長いホテル。部屋は新しくてデザインもいいが、Wi-Fiが電波が干渉しているのかほとんどつながらなかった。
ホアンキエム湖のすぐ近くにあり、観光にはとても便利な場所にある。近くに似た名前の似たホテルがある。
到着した2013年8月8日(木)、17:00を過ぎていたし、雨も降っていたし、疲れていたが、せっかくなので市内散策。
湖というか池という感じだが、街中にあり、広い遊歩道が周囲を走っているので散策する人が多い。魚釣りをしている人もいた。
特に歴史的な町並みが残っているわけではないが、道ばたには食事をする人があふれ、店が並んでごちゃごちゃしている。小さな道にまでバイクが多く、なぜか信号がないので交差点を渡るのは緊張する。
旧市街を抜けて、西のホーチミン廟まで歩いた。本当は世界遺産のタンロン遺跡を見たかったが、時間が遅くて通りから除くだけで残念。夜でライトアップされていたが、人通りが少なかった。雨が強くなってきた。
帰り道にヨーロッパ人風の顔つきの像があるのでなんだと思ったらレーニンだった。社会主義国なのだと思い出した。
屋台など食べるところはたくさんあるが、なかなか敷居が高いので、一晩目の8月8日(木)も翌日の8月9日(金)も、それぞれ英語メニュー有りのフォーの専門店で食べた。ラーメンと違ってあっさりとしていて、日本で食べると物足りない気もするが、空腹だったこともあって満足。40,000ドン(200円)くらい。出されたおしぼりを使うと2,000ドンくらい課金されることを学習。
ハロン湾に行った2013年8月9日(金)は、夕食にフォーを食べた後、ハンダオ通りから始まる露店をドンスアン市場まで歩いて見学。基本的に衣料品が多い。アクセサリーも多い。交差点には食べ物を供する屋台も出ている。どの店も同じようなものを扱っているように見えるが、とても人通りが多い。
ハノイ近郊にあり、海の桂林とも呼ばれる不思議な風景で有名。世界遺産。
2013年8月9日(金)は日本でオプションとして申し込んでおいたハロン湾のツアーに参加。ハロン湾までは結構距離があり、片道4時間。往復で8時間。結果としてハロン湾で船に乗るのは3時間程度で、本当のエリアのさわりだけ。日帰りだとかなり強行軍になる。
7:40にホテルに迎えに来たバスに乗ってハロン湾に向けて出発。途中、運転手の休憩のためショッピングセンターで30分休憩し、12:00ごろにハロン湾に着いたが、道も一部冠水していて、出航するときも台風並みの雨が降り、雷が鳴っていた。しかし、この天気はだんだん回復した。シーフードを食べながら湾を進む。
途中水上生活者の集落を通る。岩の間が狭くなったところに家を浮かべて生活しており、家の下では魚を養殖しているそうだ。夜は暗くなるため、防犯のために各戸で番犬を飼っている。集落には小学校まであるそうだ。
さらに、香炉島、闘鶏岸を見て、ダウゴー島に上陸してティエンクン洞を見学してから、再び乗船して船着き場に16:00ごろ到着。台風の影響で前日まで船が出なかったこともあるのか、非常に観光の船が多かった。
バスに乗ってハノイのホテルに20:00ごろ到着した。
2013年8月10日(土)にチェックアウト後、ホテルに来た送迎で8:40に出発して、ハノイのノイバイ国際空港に10:00着。
ベトナム航空VN1515で11:30出発のはずだったが、空港の表示は12:00発。しばらく待っていると遅れて12:00になるというアナウンス。搭乗したがなかなか離陸せず、12:30ごろ離陸、ダナン国際空港に13:30に到着してフエへ向かった。
フエはベトナム中部の都市でダナンの北に位置する。ベトナム最後の王朝である阮朝(グエン朝)の首都であり、王宮をはじめとする遺跡が世界遺産となっている。現在はベトナムの中で第4の人口を持つ都市となっていて、観光客が多い。
ベトナム旅行で2013年8月10日(土)にハノイから飛行機、車で到着し、2泊して2013年8月12日(月)にホイアンへ向けて出発した。
2013年8月10日(土)にハノイからダナン国際空港に13:30に到着して待っていた送迎の車でフエまで。客は私1人だけだった。本当はフエにも空港があるのだが、2013年8月時点では工事をしていて使えないため、ダナン経由となった。9月には空港が再開するらしい。
ハノイは雨ばかりだったが、ダナンに着くと快晴。中部の雨期は9月かららしい。台風もこの時期は北部にしか行かないとのこと。車はしばらく海沿いを走るが、エメラルドグリーンの海は本当にきれいだった。
海から離れ峠を越える。ハイバントンネルという日本のODAでできたトンネルを通り、さらに峠を2つ越える。トラックやバスが多いが、特に超低速のトラックがいて、非常に時間がかかった。
結局16:00ごろにフエに到着。
ツアーで指定されたホテル。新市街のホテルやレストランが集まった地区にあって、食事をするにも便利。王宮までは橋を渡って30分くらい歩く。部屋も広くて快適だが、セーフティーボックスが部屋になくて、フロントに貴重品を預ける必要があった。
ハノイと同様にバイクが多いが、なんと交差点に信号があってみんなそれなりに守っている。
2013年8月10日(土)にフエのホテルにチェックインしてから、昼食抜きだったのでブン・ボー・フエ(麺)を食べた。ベトナム料理の中でもフエは独特の料理で知られていて、ブン・ボー・フエもその一つ。でも、普通のフォーのように感じた。
麺はともかく、一緒に出された餅のようなデザート(無料ではない)がおいしくて、いくつも食べてしまった。
ハノイで満席で見られなかった水上人形劇をフエでもやっているので、劇場に行ってみた。18:30開演かと思ったら19:00開演だったので、川沿いで時間をつぶしていたら蚊に刺された。
19:00前に戻って入場したが、ほかの欧米人のグループと併せて7人くらいしかいない。どうなるのかと思ったら19:00には開演せず、待っていると観光バスで来た集団が入ってきて結局9割近く席が埋まったが、開演は19:30頃となった。
ストーリーは有って無いようなもので、龍がボールを取り合ったり、人が農作業したり釣りをしたり、鳥が踊ったりするもの。池の後ろはすだれのようなものが降りていて、底の後ろで人が人形を操作しているのだが、劇の最後の方で一瞬すだれが巻き上げられて、操作している人の様子を見せる。劇が終わると完全に巻き上げられて、挨拶する。結構激しい動きをするので男性がやっているのかと思ったら、半分は若い女性でびっくりした。
人形は場所を動かすだけではなく、向きもきびきび変わるため、どうやって操作しているのだろうと思ったが、水中部分に舵のようなものが着いていて、それで向きが変わる仕組みのようだ。
水中人形劇場近くのクオック・ホックの前には大きな廟があるが、古びて放置気味で、表面も削られている。何だろうと思っていたが、これはフランスがフランス人の犠牲者を讃えるために作ったものだそうだ。ベトナム人にとっては複雑な感情を持たざるを得ないものなのだろう。
チャンティエン橋は夜にライトアップされるが、その袂の川沿いは露店が並ぶ夜市となっていた。西側は水産物を焼くバーベキューの店で、その東には衣服などの店が並ぶ。これを冷やかしてからホテル近くのレストランで春巻きと牛の串焼きとビールで夕食。
2013年8月11日(日)は、朝から王宮へ。強い日差しの中チャンティエン橋を渡ると外堀があり、トゥオントゥ門という門を通って旧市街に入る。
蓮で覆われた内堀を歩いて行くと王宮門(午門)の前にフラッグタワーがあり、ベトナムの旗が翻っている。ベトナム戦争時の弾の跡が残っていると言うが、近くに寄って見てみても、埋められてしまったのか目立たない。
宮殿は堀と壁で囲まれており、王宮門(午門)から入る。工事中。
王宮門(午門)をとって進むと正面に太和殿がある。北京の紫禁城に似ていて、黄色の瓦で皇帝を表しているところなど、中国の影響を感じさせる。しかし、建物の格を屋根の怪物の像の数は表している紫禁城とは違って、どの建物も屋根は龍で飾られている。龍自体中国の伝説の生き物だと思うが、中国以上に龍が多用されている印象。
内部は漢詩で飾られていて、観光客向けに音楽を演奏していた。
太和殿を抜けると左右に土産物屋などに使われている廊があるが、その先はがらーんとしている。もともと何もなかったのではなく、ベトナム戦争で破壊されてしまったとのこと。アテネのパルテノン神殿もオスマン帝国時代に戦争で大きく破壊されてしまって今の状態。戦争で失うものは大きい。
壊されてしまったとはいえ、周囲にはいくつもの宮が残されていて、修復も進められている。長寧宮の入り口には立派な門が残されていた。他の建物もそうだが、専用のタイルを焼くのではなく、なぜか割ったガラスや磁器で装飾されている。
王宮の外、少し離れたところにフエ宮廷骨董博物館がある。大きな古いお寺のような建物の中に、王朝ゆかりの物が展示されている。
ざっと見て、暑いので一旦ホテルに戻ってシャワー。
フエに着いた日に連れてきてくれたガイドの誘いに乗って、午後は日本語ツアー。半日で5,000円(1,000,000ドン)。
ホテルに来た車で出発してまずは昼食。そして帝廟巡りへ。帝廟はフエにいくつもあるが、今回周ったのはその中でも有名な3つ。
最初は、トゥドゥック帝廟。この帝廟は1864年から建設が進められたもの。
廟は皇帝が生前に自分の墓とすべく建てたものであり、別荘も兼ねている場合もある。建物の特徴としては、まず、象、馬、人の象が並ぶ広場が有り、その奥には生前の業績を記した石碑が有り、両側に塔がある。皇帝の建物であることを示す特徴としては、黄色の瓦、五本指の龍、9または3の数字を意識した構成が挙げられる。皇帝を示す瓦の色が黄色というのは、中国の北京紫禁城と同じである。
トゥドゥック帝は、阮朝が実権を持っていた最後の四代目の皇帝であり、政治より詩を好み、内省的な性格だったようだ。そのため、他の皇帝と異なり、実際に1年の4ヶ月を帝廟で過ごしたとのこと。幼少より病弱で、子にも恵まれず、王朝の将来を案じていたという。実際にトゥドゥック帝の後は甥や弟が帝位を継ぐが権力争いから短命に終わり、王朝は不安定化していってしまう。
トゥドゥック帝廟は池も湾曲させて、歩くと次々と景色が変わるように工夫されている。業績を記録する石碑も子がなかったために自ら記しているが、通常の皇帝のものとは異なり、良いことだけではなく悪いことも書かれており、業績は後世の人が評価してほしい、と書かれているという。謙虚の「謙」の字が帝廟の建物の名称にもしばしば使われている。
墓の前の石は分解されてしまった切り口が残されている。これはベトナムを支配したフランスが隠されている宝物がないかを探した跡という。浅ましい。
ただし、ベトナム戦争後の貧しい時代にも盗掘が相次いだという。確かに財産も一所に埋めたらしいが、埋めた人も一所に埋めてしまう(!)などして場所を分からなくしていたらしい。
次はミンマン帝廟。1840年から建設が進められたもの。
ミンマン帝は第4代のトゥドゥック帝と対象的に政治に力を入れ、朝から晩まで働き、それでいながら142人の子を残した。そのため、ミンマン帝廟は生前はほとんど使われなかった。
帝廟は中国の思想に忠実に作られており、建物が直線に並び、それぞれの建物は9匹の龍、3つに分かれた階段のように9と3という数字が意識されている。また、方形と円形が組み合わされている。
園内の道沿いの木は根元を白く塗られている。こうした習慣は一般に防虫のためと説明されることが多いが、実はベトナム戦争時の灯火管制で木の位置が分かるようにしたことが起源だとガイドが説明してくれた。
最後はカイディン帝廟。1920年から、帝の死後まで建設が続き、11年かかって完成したもの。
阮朝13代の最後の一つ前の皇帝と言うことになる。カイディン帝の時代はほとんど実権をフランスに奪われていた。カイディン帝自身もフランスの影響を強く受けており、洋装していた。
そのため、廟は伝統的な形式と異なり、各種の文化が取り込まれた派手なものとなっている。塔はインドのストゥーパのようで、西洋の影響も受けている。柵はフランスの様式であり、建物自体は西洋の影響を示すピラスター(角柱)、儒教の影響を示す卍、仏教の影響を示す蓮の花の意匠など何でもありであり、装飾もバナナの木をデザインしたりしている。
内部は非常に凝ったモザイクらだけで、時計やランプを表現したり、内部の四季を4枚のパネルで示したりしている。世界中から材料が集められ、磁器は中国から、ガラスは日本から持ってきていたとのことで、茶色いガラスは日本のビール瓶で、「ビール」というカタカナが見えたりするのがおもしろい。
夕食はビールを飲みながら揚げ麺。美味しかったのだけど、ウェイターがどこに泊まっているのだとか、一人で旅行しているのかとか妙に探りを入れてくると思ったら、ベトナム・ガールをお薦めしてきた。いやはや。
2013年8月12日(月)の8:00にホテルからツアーの送迎の車でホイアンへ出発。
ベトナム中部、ダナンの南東にあり、古くから貿易都市として繁栄していて、江戸幕府の海禁政策前には大規模な日本人町が形成されていた。日本からは銀、ホイアンからは香木、シルクが輸出された(ちなみにベトナムの香木はベトナム戦争時の米軍の枯葉剤で随分と減ってしまったとのこと)。西洋ではファイフォ (Faifo)とも呼ばれた。 阮朝の海禁政策、港が浅くなってしまったこと、近くのダナンが港として発展し始めたことから衰えていってしまったという。
中国、そして日本の影響を受けた古い街並みが残り、世界遺産となっている。街並みを活かした店が並び、欧米人を中心とした観光客がとても多かった。
ベトナム旅行で2013年8月12日(月)にフエから車で到着し、1泊して2013年8月13日(火)にホーチミンへ向けて出発した。
2013年8月12日(月)にフエのホテルからツアーの送迎の車でホイアンまで。運転手に女性のガイドがいたが、客は自分1人だけだった。朝のフエは雨だったが、ハイヴァントンネルを抜けると晴れていた。途中ショッピングセンターで休憩してから、12:00ごろにホイアンのホテルに到着。
ツアーで指定されたホテル。旧市街からは一本道だが3kmくらいのところにある。
ベッドやバスルームのタオルには小さな生花が飾られていて、部屋も良いにおいがして気持ちが良かった。
チェックインして少し休んだ後、ホテル近くの食堂で昼食。
ホイアンには三大名物料理というのがあって、揚げワンタン、ホワイト・ローズ、カオ・ラウ。
というわけで、まずは揚げワンタン、鶏とカシューナッツの炒め物。料理はとても安くて美味しい。高級レストランではないけども、野菜の飾り方などしゃれている。このあたりは店の個性もあると思うが、ホイアンの街の文化的蓄積も感じる。
ウェイトレスにまたどのホテルに泊まっているか聞かれ、「疲れていたらマッサージは?」と聞かれたが、どんなマッサージか分からないので断った。このあたり、どうなんだろう?
運転手だけの車を依頼して、ミーソン遺跡を見学。
フエからホイアンへの車に同乗していたガイドが進めるのでせっかくなので行ってみた。世界遺産だし。繁忙期で同乗する余裕がある車がなく、日本語ガイドも手配できないと言うことで、一人のみ、運転手のみで70$、ちょっと高めだが時間の自由もきくので依頼した。
ミーソン遺跡はホイアン近郊ということになっているが、結構距離があり、車で1時間くらいかかる。さらに車を降りてから何もない道を少し歩く。周りに何もない森の中にぽつんとあり、時間帯も関係しているのかもしれないが、観光客でごった返しているわけでもない。おかげでゆっくり見られて良かった。
ミーソン遺跡は阮朝より古いチャンパ王国の遺跡。チャンパ王国はチャム族が作った国で、彼らはインド文化の影響を受けてヒンズー教を信じていたため、ミーソン遺跡もヒンズーの遺跡。チャム族はチャンパ王国が滅ぼされた後、南に移ったが少数民族となってしまい、現在では1,000人くらいしかいないとのこと。チャンパ王国時代の文化も失われてしまった。
建物は木ではなく、煉瓦でできている。屋根はアーチを使っておらず、かなり苦しい作り方。この煉瓦造りの建物は、煉瓦がぴったりと張り付いたかのように組み合わされてできているが、これをどのように実現したかは分からないという。表面の凹凸を組み合わせた、樹液を使った、生のまま組み立ててから建物まるごと煉瓦を焼いたといった説があるが、定説はないとのこと。フランス統治時代に修復した部分には苔が生えてしまっているが、もとの部分は苔が生えていないということ。
こうした高い技術で造られた建築群だが、ベトナム戦争で甚大な被害を受けてしまった。残っている建物は表面に掘られたヒンズーの彫刻等が確認できるが、それ以外の建物はひどく崩れていたり、土の山と化してしまっている。
ホイアンの旧市街は保存地区のようになっていて、街並みが保存されている。また、砂州で土地が狭いため、新しいホテルは旧市街から離れたところに並んでいる。なので、たいていのホテルから送迎がある。それぞれのホテルから送迎するのではなく、共同でシャトルバスでも走らせれば頻度をより高められると思うのですけど・・・。
旧市街は川沿いに広がり、中国風の建物が並んでいる。時間帯によっては歩行者天国となっていて、ベトナムの街に多いバイクが来ないため、ゆっくりと散策できる。観光客、特に欧米からの観光客が非常に多い。夜は橋がライトアップされ、灯籠流しが行われ、提灯の明るく灯り、まるで縁日のような雰囲気になる。
古い建物を利用したしゃれた土産物屋やレストランが並ぶが、テーラー、シルク、靴屋も非常に多い。これは観光客向けのお土産を売っているのではなく、本格的なもので、当地では着ないようなコートなども含めてしゃれたデザインのものが並んでいる。貿易の街として栄えた歴史から職人の技術の蓄積があるためにこうした商売が行われているようで、観光客が採寸してもらって服を作ってもらっているのも見た。
ミーソン遺跡を見た後、ホテルに戻ってからホテルのシャトルバスで夜のホイアンの旧市街を見た。ライトアップされており、ホイアンの顔とも言える日本橋でも写真を撮っている観光客が多くいた。
夕食は川に面した小さなレストランでホワイトローズとイカのニンニクとレモングラスの炒め物を食べた。これはとても美味しかった。市街のバス乗り場まで歩き、最後の時間のシャトルバスでホテルに戻ってこの日は就寝。
交差点には大きな看板があり、社会主義国だということを思い出させる。
ホイアンは一泊だけ。一泊して明けた2013年8月13日(火)、出発は午後なので再びそれまでホイアンの街へ。
ホイアンのホテルをチェックアウトして荷物を預け、前日に食事をした隣の食堂で自転車を借り(1日$1!)、ホイアンの市街まで。これはとても快適。バイクも多いが直進している限り気にならず、他の旅行者も多く利用している。博物館等でも入り口かそこを入ったところに駐められる
ホイアンの街の観光は仕組みがしっかりしていて、各施設共通の回数券を利用する仕組みになっている。逆に言えば、それを買わないと観光できない。街の何カ所かに売り場があり、5枚綴りを2回買ってちょうど使い切った。
昼も街並みは趣があるが、夜にライトアップされ、灯籠流しが行われていた川は、あまりきれいとは・・・。
旧市街の端には市場があり、朝からとても混雑している。
寺のような建物が博物館になっている。建物の前には日本とベトナムの友好を願う碑があり、杉良太郎の名前が。随分昔からベトナムを支援しているようだ。
中国人の街で良くあるように、同郷の人があつまる集会所がたくさんある。福建会館は名の通り福建省出身者のためのもの。
渦巻きになったものがぶら下がっていると思ったら、これは何と線香。
陶磁器が飾られている博物館で、日本産の物もたくさんある。ホイアンが貿易の中継地だったこともよく分かる。
建物自体、ホイアンの典型的な町屋。解説には、ホイアンの町屋は京都の町屋と似ていますね、と図解されている。入り口の建物、中庭をとって奥の建物、という構造になっている。
ここも古い町屋。屋根を支える独特の構造が見える。ホイアンの町屋は皆このような構造になっているようだ。
広州と肇慶(ちょうけい)出身者によって建てられた集会所。
ここは英語で説明をしてくれる。2階の床には格子戸があり、これは洪水となった際に2階に物を運び上げるのに使うらしい。
ベトナム中部でチャンパ王国前に栄えた文化について紹介している。
日本語で説明したカードを貸してくれ、お茶を出してくれる。
入り口を入って振り返るとなにやら祀ってあり、この構造もホイアンの町屋に共通。奥の部屋には数値の書かれたシールが貼ってあり、何だと思ったが、おそらくこれは過去の洪水の水位を示している物と思われる。
なぜか名刺がたくさん貼ってある。
これも古い建物を利用した博物館。かなり大きい。絹織物の作り方などが説明されていて楽しい。
ホイアンの洪水の写真もあり、1階がほぼ浸水した街を船で行き来する様子が写されていた。
中国様式の寺。中には鯉と一所になぜかナマズが泳いでいる。これで2冊目の共通回数券が終わり、ホイアンの観光おしまい。
昼食はホイアン名物と言うことでカオ・ラウ(うどん)、ホワイトローズ(水餃子のような物)、揚げワンタン、春巻のセット。カオ・ラウは日本の伊勢うどんがルーツとも言われる。食後に自転車でホテルへ。
自転車をホテル横の食堂に返し、ホテルから送迎の車でダナン空港へ。空港には南沙諸島の領有を主張する看板があり、清の時代にベトナム領としている地図などが大きく掲げられている。日本もやればいいのに。
ダナン空港のターミナルは供用が始まったばかりらしく新しく、バーガーキングまであった。
ベトナム航空VN1317で16:00発、ホーチミンへ。
ベトナム南部のデルタ地帯にあるベトナム最大の都市。ホーチミン市、Ho Chi Minh City(HCMC)と呼ばれるが、かつてはサイゴンと呼ばれた。古びた感じのハノイと異なり、高層ビルが建ち並び、ブランド物の店が並ぶ大都会。
ベトナム旅行で2013年8月13日(火)にホイアンから飛行機で到着し、1泊してメコン・ツアーに参加、日が変わった2013年8月15日(木)の未明に出発して帰国した。このときはメコン・ツアーに参加してしまったので、ホーチミンはあまりよく見られなかった。
そこで、アンコール遺跡旅行の帰りに2016年6月17日(金)に1泊して、6月18日(土)にじっくり観光。日が変わった6月19日(日)の未明に出発して帰国した。
ホイアンから到着。
2013年8月13日(火)にダナン空港をベトナム航空VN1317で16:00発、ホーチミンのタンソンニャット国際空港に17:00過ぎに到着。
送迎の車でホテルへ。これまた運転手、女性ガイドの他の乗客は私一人。
これまで見たベトナムの都市と違って大都会でびっくり。高層ビルが建ち並び、世界的なチェーン店も目につく。バイクは相変わらず多いが、路線バスも結構走っている。
2016年6月17日(金)にカンボジアのシェムリアップから到着。
シェムリアップの空港でチェックインするときにベトナムに行ったことがあるかを聞かれた。ベトナムには日本人はビザなしで入国できるが、30日以内に再度入国する際はビザがいるためと思われる。
Cambodia Angkor AIRとの共同運行のVN3824のA321でシェムリアップ空港を13:30発、14:30頃にホーチミン空港に着陸。シェムリアップの空港で珍しくお土産のお菓子を買ったら、見事に機内に忘れた。
ATMで現金を下ろしてから、クーポンタクシーでGrand Hotelまで。220,000ドンだった。
2013年8月13日(火)に1泊。ツアーで指定されたホテルだが、中心部のドン・コイ通りにあって非常に便利。ただし、セーフティ・ボックスは部屋になく、フロントの金庫に預ける形式。
2016年6月17日(金)に一泊。booking.comで予約。ドンコイ通りの川の近くにあり、屋上のRooftop Barからは川も含めた夜景が見られる。老舗ホテルで朝食も充実。利用しなかったが、プールもあるらしい。
ホテル屋上のバーで夜景を見ながらカクテルを飲んだ。音楽がうるさかったが。
2013年8月13日(火)にホイアンから着いたときはホテルで一休みすると日が暮れてしまったが、ホテルのフロントに貴重品を預けてから、少し街歩き。また、翌日の8月14日(水)にもメコン・ツアーのツアーバスを降りた後、まだ明るいのでホーチミンを少し観光。ほとんどの建物はライトアップを見るだけで中には入れなかった。
サイゴン大教会、中央郵便局、市民劇場、人民委員会のライトアップを見て歩くと、ベトナムの他の都市より植民地だった歴史が刻まれているように感じる。
2016年は6月18日(土)の1日を市内観光に割いたので、博物館も含めてじっくり見られた。
2013年8月14日(水)に訪問。ホーチミンで最も高い高層ビルで、49Fにサイゴン・スカイデッキという展望台がある。しかし、入場料は200,000VNDとベトナムの物価水準を考えると馬鹿高い。これはちょっと考え物。
展望台に上って夕暮れの街を見学。中にはビルの建築に関する展示もある。このビルはベトナムのシンボルである蓮のつぼみをイメージしていて、ビルの途中に巨大なヘリポートの台が突き出している。ある程度組み立ててからクレーンで引き上げたそうで、それなりに難しい工事だったようだ。
ドンコイ通りは中心通りの一つ。途中にしゃれたヨーロッパ風の市民劇場がある。2016年に行ったときは、地下鉄の工事をしていて、日本の国旗があった。日本企業も参画しているらしい。
グエン・フエ通りも目抜き通りの一つで、中央に広い歩道がある。2016年に行ったときはここに人が集まり、セグウェイらしきものをやったりと賑やかだった。
道の奥には人民委員会の建物があり、これは入れないが、夜はライトアップされる。
そこで、2016年6月18日(土)に見学。ベトナム戦争の展示が行われており、日本人写真家の写真も展示されている。当然ベトナムの視点であり、一党独裁の国なのでプロパガンダのように感じる。しかし、戦争がいかに不毛なのか、ということは強く伝わってくる。アメリカ人らしき見学者も多い。
一つ印象的だったのは日本人写真家の写真で、米軍が農村で、農民に籾を火にくべさせている場面。ベトコンにまわって食料になる可能性があるから、というのだが、農民が汗水垂らして働いた結果得た米を、自身で焼くシーンからは無念さが伝わってくる。
ベトナム戦争が終わった時点で、ベトナムは多くのインフラを失ってしまっていた。しかし、アメリカを相手によく戦ったものだと感心する。
かつては南ベトナムの大統領官邸だったところで、ベトナム戦争末期に、解放軍がここに戦車でなだれ込み、ベトナム戦争を決した。本当は中に入りたかったが、2013年訪問時は時間が遅くて外から見るだけで残念。ここで撮影してデジカメが故障。
そこで、2016年6月18日(土)は満を持して見学。見学できる時間は結構限られているので、それにあわせて訪問する必要がある。外交用の豪華な部屋や会議室があるが、屋上に上るとヘリポートがあり、ものものしい雰囲気。
さらに地下に行くと、殺風景な作戦室が並び、地図や通信装置が並んでいる。
中央郵便局はフランス統治時代の建物で、現在も使われている。面白いのは、近くでよく見ると、前面にはゲーリュサック、ガルヴァニ、ファラデー、フランクリン、ラプラス科学者の名前が並んでいるところ。
街の中心から少し離れているが、ベトナムの古代からの歴史を展示している。現在のベトナムは、ハノイがある紅河のデルタから、ホーチミンがあるメコン川のデルタまで南北に広がっているが、特に昔の話では北側のハノイ周辺の話が中心になる。何度も中国に脅かされてきた歴史がよくわかる。
ドンコイ通りに大きなショッピングセンターが出来ている。中は、まあ、普通のショッピングセンターだが、ようやく中間層が育ってきた勢いを感じる。
ホーチミンにはリトル・トーキョーと呼ばれる区画があり、日本語の看板やメニューも目立つ。ミニスカートをはいた若い女性が勧誘するマッサージなどもあるが、それほど猥雑な雰囲気でもない。
ホーチミン最初の食事は、2013年8月13日(火)に、翌日参加するメコン・ツアーの旅行代理店で支払手続をして、帰りに焼きそば。普通の都市にあるようなきれいな店で安心して食べられる。
2016年のホーチミン再訪時にもこの店を探したが、既に無かった・・・。
2013年8月14日(水)の晩は統一会堂近くのニャーハン・ゴンという人気レストランで夕食。入り口に並ぶほど混んでいて、また焼きそばと春巻を食べた。ビールを頼むと氷を入れて出てきたが、薄まってしまうのでこれはあまり好きになれなかった。
会計しようと思ったら何とスカイデッキで使ってしまって現金がほとんど無く、ベトナムで初めてクレジットカードで支払い。
2016年にグエン・フエ通りで揚げ春巻きとフォーで夕食。カンボジアの料理より馴染みやすい気がする。
2016年にフォーで昼食。日本にもある使い捨てのおしぼりは優良な模様。安いですが。
ホーチミンには非常に雰囲気が良い喫茶店がたくさんあるが、日本のスターバックスのような明るいチェーン店もある。HIGHLAND COFFEEというチェーン店らしき店や、THE COFFEE HOUSEという大学近くに店に行ってみた。
2016年の最後の食事はフエ料理。揚げ春巻きとフォー。
2013年8月14日(水)、ホーチミンのホテルを6時前にチェックアウトして荷物を預け、旅行代理店まで歩き、メコン川のツアーに参加。これはシンカフェという会社で、日本の旅行会社のツアーよりも相当安い。
7時に出発。ベトナムの人口9000万人のうち、1000万人がホーチミンに住み、バイクの保有台数が500万台だそうだ。バイクは1000ドル程度から入手できるが、車は50,000-60,000ドルであり、庶民にとっては高嶺の花だととのこと。
ホーチミンから2時間ほどバスに乗ってからバスを降り、ボートに乗りかえてカイベーの水上マーケットを見学。
いろいろな農産物を積んだ船が集まり、取引をしている。野菜や果物はあるが、肉はない。
陸上での取引を求める政府の政策もあるようで、以前に比べて水上マーケットは随分規模が小さくなってしまったとのこと。
ボートを下りて上陸し、養蜂を見学してハニーティーを試飲。さらに歩いて移動してココナツキャンディー作りを見学。ココナツを搾り、砂糖と合わせて溶かして長く伸ばして切るという素朴な行程。おみやげにいくつか購入。ココナツからの酒造りも見学。
キャンディーはライスペーパーで包むが、これもおもしろくて、蒸した布の上にさっと米を溶いた液を広げて棒で引っ張り上げてはがして乾燥させる。
さらに移動して米菓子作りを見学。燃料は籾殻を使っていて、鍋に焼いた塩に米を一気に入れてポップコーンのようにはじけさせる。それをふるいにかけて米だけ取り出し、ショウガ味などをつけて固める。
再び船に乗ってレストランに移動して上陸し、象耳魚などのランチ。フランス、ドイツ、イタリアから来た旅行者と話しながら、というか話を聞きながら食事。象耳魚というのは熱帯魚のような形の魚。名物らしく、かりかりに揚げてあって良いにおいだが、結構鱗が固くて一所に食べるとちょっと。
食後はメコン川を1時間ほどクルーズ。バンコクを流れるチャオプラヤ川のように茶色いが、かなり広い。ここでもホテイアオイが。これ、南米原産の植物だと思うのですが。
クルーズの後はヴィンロンに上陸。市場を見学するといろいろな野菜、果物、そして工具も売られている。米を売っているのを見たが、結構いろいろな色や形の物を売っている。
ベトナムは所得水準でいえば貧しい国だが、至る所に食べ物が溢れており、食うには困らないという印象。
ヴィンロンを見た後はメコンに泊まるグループと別れて再びバスに乗り、途中でメコン・レスト・ショップに寄ってからホーチミンに戻った。
8月14日(水)の夕食後ホテルに戻り、汗まみれになってしまったので服を着替え。21:00に送迎でホテルからタンソンニャット国際航空へ。
日が変わった8月15日(木)の0:05発のVN300便で出発、8:00過ぎに成田空港に到着、帰りも京成のモーニングライナーで新宿経由で帰宅。
2016年6月18日(土)の夜、夕食後ホテルに戻って荷物を受け取り、タクシーでホーチミン空港へ。141,000ドンだったので150,000ドン支払い。
空港でのチェックインに時間がかかったが、それでも時間があったので足と腰のマッサージをしてもらい、ちょうど良い時間になって、ベトナム航空VN300のB787-9で、1:00頃に離陸。翌19日(日)の8:15頃に成田空港に着陸し、成田エクスプレスで帰宅。
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