最終更新日 2026年1月4日
1994年7-8月、2001年11月 、2008年11月、2010年2月、2025年8月に訪問。
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2010年には1ドル90円だったのに、2025年には1ドル150円ほどに。
キャッシュレスが進んでいるが、ホテルなどチップは紙幣を準備しなければならず、とても面倒。
食事のチップは20%、そしてカウンターで注文するコーヒーなどでも端末でチップを選ぶ形式が増えており、むしろチップがいる場面が増えているような気がする。とても面倒。
90日以内の観光・商用は不要。ただし、事前にESTA(電子渡航認証システム)にウェブで登録が必要。これは毎回必要なのではなく、一定期間有効のようだ。
しかし、イランに行ってしまうとビザ免除プログラムの対象外となってしまい、ESTAで入国できない。観光旅行に行くためには、B-1/B-2ビザを取る必要がある。
2025年の米国美術館旅行ではこれに挑戦し、DS-160という長大・詳細な申請書をオンラインで完成させて提出し、アメリカ大使館での面接。そして、これがかなり先でないと予約ができない。一旦1-2か月先を予約しておいて、空きがあったら変更していきました。面接自体は日本語で対応してもらえ、10年有効を取得。
最初に行ったのは同時多発テロ直後の2001年11月の米国出張で11/10(土)にボストンのLogan空港到着。2泊して、11/12(月)にニューヨークへ出発した。
ボストンは無国籍のような西海岸と違って、イギリスのような印象を受けた。町並みは、赤レンガで、黒地に金文字の看板のパブがたくさんあって、ロンドンよりロンドンのようだった。そして紅葉が美しかった。ただ、とても寒かった!
そして、2025年8月10日(日)~8月12日(火)に米国美術館旅行で観光のために再訪、ボストン美術館を見学。
仕事では来たことがあっても、観光は2025年が初めてのボストンです。
ChatGPTによると、建築様式はボザール様式(Beaux-Arts style)。
古典主義の要素を重視した様式で、左右対称、アメリカでは特に1893年のシカゴ万博(World’s Columbian Exposition)で大流行し、官庁・博物館・図書館などに採用されました。
すごいやGhatGPT。
ちなみにトイレは、"MEN Self Identified"と書いてありました。
企画展としてをやっていて、アルルのRoulin家との交流を中心に紹介。ゴッホがRouin家を書いたのは、モデルを見つけることができなかっただけではなく、私的な交流もあったという。郵便局員の夫だけではなく生まれたばかりの子供達も含めて全員の絵を描いている。
背景を花で埋めたり、赤や黄に塗ったりするのは浮世絵の影響、ということでさっと豊川国周の浮世絵を並べたりするところがこの美術館はすごい。
日本美術のコーナーは端っこにある"Asian Art"の2階部分のみ。ボストン美術館はフェノロサが所属していたことがある経緯もあり、10万点もの日本美術を有しているということですが、展示しているのはごく一部のようです。
能や茶室、寺を模した仏像の展示の他、河鍋暁斎の地獄太夫、池大雅、浦上玉堂、尾形乾山の陶器などが展示してあった。
狩野探水の百鬼夜行図も面白い。
浮世絵は北斎の富嶽三十六景、広重の東海道五十三次、鳥居清長の美人画、恩地孝四郎の版画など。これも江戸後期のもの中心だが時代ばらばらに同じ部屋に展示されている。浮世絵の体験コーナーのようなものがあった。浮世絵はWoodblock printingというらしい。
お土産コーナーを見ると、とにかく日本美術は北斎で、カレンダーも売っていた。さらに言うと富嶽三十六景の神奈川沖浪裏"Great Wave"で一角はそのグッズばかり、ジグソーパズルまでありました。
東南アジアとしてクメール王朝の展示がり、韓国の磁器の展示がありました。中国は磁器や書、唐三彩や墓石、青銅器、仏像の展示、絵は少ない。
アジア美術というカテゴリはかなり雑で、南アジア・東南アジアと、東アジアは分けるべきだと思うんですよね。
西洋美術は真ん中にあり、人が集まっています。逆に、それ以外は貸し切りのように空いています。オランダなど北部ヨーロッパの展示、イタリアのルネサンス、印象派(特にモネ)とポスト印象派は分かれていますが、それ以外はごそっと大広間に飾られていて、時代区分も色々でした。
南北アメリカ美術の展示というのもありますが、かなり北米の展示で、そこは美術館側も問題意識はあるようで何が描かれていないかの展示や、フィードバックを下さいというメッセージなどがありました。
また、古代ギリシャ、ローマ、特に古代ギリシャの展示が充実しています。
エジプトのミイラを含む時代別の展示があり、ヌビア遺跡の展示、アフリカ美術、太平洋諸国の展示もあります。
イスラムの展示は陶器やカリグラフィー。ミニアチュールもありました。
世界の楽器の展示、宝石の展示もありました。
ここまでいろいろあるとすると、逆になかったものについて考えさせられるところで、中米アステカ、南米インカの展示、東欧のイコンやロシアの美術などはありませんでした。
夕方に海まで歩き、旧州議事堂とそのとなりのボストン虐殺地跡を見て、戻ってBoston Commonまで歩いて州議事堂を見ました。
地下鉄もあるのだが、それはそれは年季が入っていて、2001年に初めて見たときは、トンネルがつぶれやしないか、と心配になるくらいだった。
1994年7-8月のNew York一週間で7/30(土)~18/6(土)に6泊(うちNew Jersey2泊)した。ちょっと曖昧・・・。このときには、もちろんWTCにも上った。
次に、2001年11月の米国出張で訪れた。テロ事件の後のニューヨークだった。11/12(月)に車でニューヨーク到着した。本来、ボストンから飛行機で来るはずだったのだが、JFK空港で飛行機の墜落事故が起き、NYの全ての空港が封鎖されてしまったため、急遽車をチャーターしてNYに入った。2泊して、11/14(水)に再びAAでロサンゼルスへ出発した。WTCがあった場所には行かなかったこともあり、街は平静のように見えたが、ミュージカルを見に行くと、終わった後に、女優が9/11についてコメントをして、こんなときに来てくれて本当にありがとう、と言っていた。
2010年2月14日(日)にも米国出張3で訪れて、2泊してAmtrakでフィラデルフィアへ。
そして、2025年8月14日(木)~8月16日(土)に米国美術館旅行で観光のためにAmtrakでワシントンD.C.から到着して再訪。
2010年2月14日(日)はJRで東京駅まで行き、成田エクスプレスで成田空港の第1ターミナルへ。全日空NH010便で11:00に出発。アメリカのJFK空港に同日の9:30過ぎに着。
時間があったのでタクシーではなく、Express Busを使って空港からPenn Stationまで。ターミナルを出たところにいるNYASというロゴが入った服を着ている係員から切符を買う。片道$15と安いが、バスが来るまで時間がかかるし、Penn Stationに行くにはGrand Stationで乗り換えないといけなかったし、時間がかかるので1回の経験で良いかな、という感じ。
1994年7-8月のNew York一週間では、最初2泊は、New Jerseyの友人宅。次に、The Empire State Buildingのちょっと南の中級ホテルに4泊。ツアーで指定された。あまりきれいでなく、エアコンもオンとオフしかないので、暑かったり寒かったり。フロントの男性は、ヒスパニックのようで、スペイン語が話せるくせに、到着した客がスペイン語で話したら、英語で話せと言っていた。うーん。
2010年2月14日(日)から2月16日(火)まで2泊した。
39Stの8th Ave.と9th Ave.の間くらいにある。42nd St.までは歩いて行くことができる。
1994年の最初に行ったときはジェトンというコインのようなものを購入して乗る方式だったが、2010年に行ったときは磁気カードの切符を購入する形式になっていた。しかし、これが今ひとつ。時期の部分を自動改札ですっと通して"Go"の表示が出たらバーを押して通るのだが、感度があまり良くなくて、やり直す必要があることが結構ある。
2015年に行ったら、クレジットカードを改札にタッチするだけで乗れるようになっており、劇的に便利に。
2010年にPenn Stationから乗った。駅の構内にキオスクのようなチケットの自動販売機があるのだが、なぜか手持ちのカードは全部使えなかった。これはフィラデルフィアでも同様。カウンターでは普通にカードが使えた。
良く言われていることだが、高層ビルが建ち並んでいて壮観。
JFK空港から来ても飛行機から見ても分かるが、周囲には高層ビルがほとんどないのに、マンハッタン島だけにょきにょきと高層ビルが建ち並んでいる。
2010年に行ったときは結構雪が降っていたし、気温ももちろん、風が冷凍庫から出てくる空気のように冷たかった。
2025年はガザの解放を求めるデモをやっていて、そこにイスラエル支持者がくっついて回っているというのも見ました。
最初にニューヨークに来たのは1994年。 ワールとトレードセンターに登りました。 ビルが破壊された日はスペインのロンダという町にいたことをよく覚えています。
2025年は新しいビルの展望台に登りました。 展望台の切符販売機には親切なお姉さんがいて画面表示を日本語にしてくれたけど、結局全部操作してくれました。
ChatGPTによると、これもボザール様式。 でも、ちょっとバロックっぽいじゃないか、と反論したら、
三連アーチと列柱の構成は古典主義的(ギリシャ・ローマ由来)。 しかし、入口に至る大階段と強調された中央部はバロック的演出に近い。 建物全体はシンメトリーで整然としているため、基本はボザール様式だが、装飾感や迫力は「バロック風」に見えるのです。
とのこと。 すごいやCatGPT。
でも、日本美術の一角が全て閉鎖中でした・・・。ひどい。
フラ・フィリッポ・リッピ、フェルメール、ルノワール、モネ、マネ、ゴーギャン、マティス、ピカソ、セザンヌ、モジリアーニ、エル・グレコなど。
中国は絵画や書がなく、青銅器や唐三彩、磁器などモノ中心。エジプトは充実。ギリシャ・ローマのうち、古代ギリシャは全然人がいない。アフリカは奇妙な像ばかり。
やはりロシアの絵画はありません。ネイティブ・アメリカンの展示はちょっとだけ。
各部屋毎に時代背景、様式、画家の説明がしてあってわかりやすい。
2025年8月16日(土)にニューヨークのAirTrainのJamaica StationからJFKのターミナル8へ。 1994年に来たときはこんなものがなく、タクシーで空港まで移動でした。
ただ、ニューヨーク市内からE線で行くと、Jamaica何とかという駅が他にもあるのに、AirTrainの"Jamaica Station"に行くにはSutphin Boulevard–Archer Avenue–JFK Airportという長くて覚えにくくJamaicaが入っていない駅で降りる必要があります。そしてちょっと歩く。
JALのA350-1000で羽田まで。やはりカムチャツカ半島の火山の影響で遠回りのようです。 A350-1000、スクリーンも大きいし、ウォシュレットも着いていました。
2010年2月16日(火)にAmtrakでニューヨークのPenn StationからPhiladelphiaの30th Street Stationまで。1泊してワシントンDCに向かった。
Jim's Steakという店でCheese Steakを食べた。これはいわゆるステーキではなく、炒めた肉をパンに挟んだもの。
2010年2月16日(火)から2月17日(水)まで1泊した。
インターネット接続は無線LANだけだったが、ちょっと電波が弱かった。
2008年11月の米国出張2で11月16日(日)に到着、3泊して、11月19日(水)にサンフランシスコへ出発した。行くときのタクシーの運転手によれば、「一番良い季節」とのことだったが、もちろん、観光はできず。サンフランシスコに行くために空港へ向かった際のタクシーの運転手は、エチオピア出身とのことだったが、「オバマになって良かった。戦争がない。そうだろう?」と熱心に語っていた。
2010年の2月17日にもフィラデルフィアから到着して2泊して、帰国した。
そして、2025年8月12日(火)~8月14日(木)に米国美術館旅行で観光のために再訪。
2010年2月17日(水)はAmtrakでフィラデルフィアからUnion Stationに到着。前の週に記録的な大雪となり政府機関が休みになったと言うことだが、まだ結構雪が残っていた。
2025年8月12日(火)はボストンから飛行機で到着しました。着陸寸前、ペンタゴンのすぐ横を飛んでしました。
2008年11月16日(日)から11月19日(水)まで3泊し、2010年にも2月17日(水)から2月19日(金)まで2泊した。
最寄りは地下鉄Red LineのDupont Circleだが、ちょっと歩く。
2025年、空港から地下鉄に乗ろうとして、1日券のようなものを買おうと自動販売機で四苦八苦していたら、改札の中から女性の駅員が出てきて、クレジットカードを改札でタッチして乗れば良いんだよ!とのこと。便利になった!
2025年8月12日(火)にボストンからワシントンD.C.に飛行機で移動。 ワシントンD.C.は仕事で来たことしかなく、ホワイトハウスでさえ見たことがありませんでした。 観光は初めて。
ワシントンD.C.は美術館、博物館てんこ盛りで、かつ入場料が無料です。

隣のアーサー・M・サックラー・ギャラリー(Arthur M. Sackler Gallery)と地下でつながっていて、一体化している。
フリーア美術館はアジア美術に特化していて、日本美術にも強い。 琳派も充実しているようだが、創立者が「コレクションは外に出すな」と面倒なことを言ったため、海外の展覧会に出品されない。行って見るしかない。
茶の湯や金継ぎの説明があった。 ふすま絵は4つほどしかなく、後は達磨絵などが展示されていました。 それ以外は、インド、韓国、アメリカ絵画、中国絵画など。
空いていました。もったいない。そして、国宝級の日本画は展示されていませんでした(涙)。
いきなアメリカ合衆国の建国の話から始まります。 東京国立博物館の日本の歴史は人類がいつ頃日本列島に来たかとか、縄文時代から始まるのに。
我々がどこから来てどうやって国を作ったかという話。アメリカの文化の話、産業の話、歴代大統領の話、ファーストレディーの話、服も展示されています。
皆大好き国立航空宇宙博物館。ここだけは無料であるものの予約が必要でした。
入るといきなりソビエトの弾道ミサイル、SS-10とアメリカのパーシング2が展示されています。冷戦時代を知る世代にとってはなかなか感慨深いものがあります。
なぜかボーイングではなくエアバスの展示もありました。
初の動力飛行を実現したライト兄弟。 自転車屋だった彼らは経験と試行錯誤で飛行機を作ったのではなく、計算したり実験したり、理論に基づいて進めていったようです。
飛行機を開発・発売した後は特許紛争を行っていたという話。 また、技術の進展は激しく、ライト兄弟の初飛行1903年のあと、1911年には戦争に飛行機が投入されています。
月面着陸したアポロなどもありました。 スプートニクショックから力を入れていたアポロ計画が成功したあと、急速にアメリカは関心を失い、予算も減らされてしまったそうです。
気候変動に関する展示もありました。第二次トランプ政権の中でもこんな展示しているんですね。大丈夫かな。
かなり混雑していました。
恐竜の骨格展示と、なぜ恐竜が絶滅したか。 最近は、隕石が衝突して即座に絶滅したのではないという話になっているようですね。
そして、どのように哺乳類が海に進出したか。人間の登場後にどれくらい動物が絶滅したか。
その他、単細胞生物のサイクル、南北アメリカが接続しての動物の移動。深海の魚。南米、アフリカ、オーストラリアの動物。
アメリカのWhalingの話もありました。
さらには岩石や宝石。
かなり混雑していました。
アメリカ合衆国が色々なTreaty(条約?)を各部族と結ぶが反故にしていったこと。 それぞれのTreatyについてインディアン側、US側のView Pointが対置して説明されています。
その他、アートなど。
インディアンの強制移住、その後の政治的な活動なども。
空いていました。
西館でレオナルド・ダ・ビンチ、フェルメール、マネ、ルノワール、モネ、ゴーギャン、セザンヌなど。
東館でピカソ。
他のワシントンD.C.の博物館と同様に、無料ですが、解説はしょぼい気がします。
開館前、一応、ホワイトハウスも寄って見てきました。結構小さいという印象。
2010年2月19日(金)にタクシーでワシントン・ダレス空港(Wahington Dulles Airport)まで。全日空NH001便で11:20発、成田空港第1ターミナルに20日(土)の15:30着。成田エクスプレスで帰宅。
飛行機は途中で結構揺れたが、同経路でほとんど同じ時間のユナイテッド航空は揺れて負傷者が出たとのこと。
2025年8月14日(木)はユニオンステーションからAmtrakでニューヨークへ。
2001年11月の米国出張で11/9(金)早朝にシカゴのO'Hare空港着。1泊して、11/10(土)にAAでボストンへ出発した。着いたときは夜行便だったが、時差の関係もあって3時間くらいしか眠れなかった。つらかった!
しかし、早朝に、着陸直前に見たシカゴの夜景は美しかった!
2001年11月の米国出張で11/16(金)にサンフランシスコ到着。1泊して、11/17(土)にSan Francisco空港からANAで成田へ出発した。
2008年11月の米国出張2で11月19日(水)に到着、3泊して、11月22日(土)にSan Francisco空港からユナイテッドで成田へ出発した。この出張では全く観光できず。
こじんまりとはしているものの、西海岸で行ったロサンゼルス、サンノゼ、サンディエゴなどと異なり、歩いている人が多い街だった。きれいな街だったが、裏に行くとちょっと都会的な汚さもあった。
2001年11月の米国出張で11/15(木)にSan Jose空港到着。1泊して、11/16(金)に車でサンフランシスコへ出発した。
Silicon Valleyということだったのだが、あまりにも広く、大通り沿いに大きな店がならんでいたりするだけで、これまた街という感じはしなかった。
2001年11月の米国出張で11/6(火)に成田からANAでLos Angeles空港へ到着し、車でサンディエゴに向かった。11/8(木)に戻ってきてLos Angeles空港からUAの夜行便でシカゴへ出発した。そして、11/14(水)にニューヨークからLos Angeles空港到着し。ようやく1泊して、11/15(木)にLos Angeles空港からAAでサンノゼに出発した。この旅行だけでLos Angeles空港に4回も行ってしまった。
ロサンゼルスはとにかく大きな町だった。車で移動するように街が作られているのか、密集して人が歩いている、いわゆる繁華街のようなものはあまりなく、ぽつぽつと駐車場つきの店やレストランが並んでいた。ハイウェイは5車線もあったが、それも渋滞していた。
2001年11月の米国出張で11/6(火)に成田からANAでLos Angeles空港に降り、車でサンディエゴに行って2泊した。11/8(木)にLos Angeles空港からUAの夜行便でシカゴへ出発した。
サンディエゴというよりもLa Jollaに泊まったが、静かなところだった。La Jollaと言えば、Raymond Chandlerが晩年を過したところ。気候は確かに温暖で、朝夕は冷え込む。なぜか、走っている人が多くいた。それならあんなにたくさん食べなければいいのに。
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