最終更新日 2015年10月12日
2015年8月にブルガリア旅行で訪問。
EUの最貧国などとブルガリア人自身が自嘲気味に言ったりしますが、山あり、海あり、食べ物も美味しく、楽しく旅行出来ました。そもそも、こんなに古い歴史を持つ国だとは行く前には知りませんでした。
国名 | ブルガリア共和国、Република България(ブルガリア語)、Republic of Bulgaria(英語) |
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国土 | バルカン半島北東にあり、ルーマニア、セルビア、マケドニア、ギリシャ、トルコ、そして黒海に面する。北側はドナウ川でルーマニアと接し、中央部はスターラ山脈、南部はロドピ山脈が東西に走る。バルカン半島最高峰があるように、結構山がち。山は東西に走るので中央のソフィアからブルガスに向けて谷になっていて、名物のバラが育てられている。なお、地震もあるらしく、ホテルには火事と並んで地震の際の注意が書かれていた。 |
人口 | 約740万人(2012)。となりのルーマニアが2000万人近いので規模が結構異なる。 |
民族 | ブルガリア人84%、トルコ人9%、ロマ5%。ルーマニアやウクライナほどロマは見なかったが、屋外で清掃に従事している人はロマのような風貌の人が多かった。今は多くないようだが、第二次世界大戦ではドイツとともに枢軸国でありながら、ホロコーストには非協力的でユダヤ人の人口を維持した。立派だ。 |
宗教 | ブルガリア正教が84%、イスラム教が12% |
首都 | ソフィア |
経済状況 | 一人当たり国内総生産12,340ドル(PPP,2008)。冷戦終了後、混乱の中で経済が縮小し、2007年にEUに参加したものの、「EUの最貧国」ということも言われる。旅行する限りそれほど経済状況が悪いように見えないが、仕事がなくて人材が西ヨーロッパに流出するなど問題はあるらしい。 |
時間 | UTC+2。日本より7時間遅れているが、サマータイムがあり、その時期には日本より6時間遅れとなる。 |
公用語はブルガリア語。文字はキリル文字。キリル文字を作ったのはブルガリア人という話。ロシア語とはちょっと発音が違って、Щはシシャーではなく、シターと発音する。
こんにちは | ドーバル・デン。チェコ語、スロヴェニア語、クロアチア語と似ている。 |
ありがとう | ブラゴダリャ。ただし、軽いありがとうはメルシーでOK。そういえば、トルコもイランもそうだった。 |
バスターミナル | アフトガーラ。ザパッドは西、ユクは南、セヴェルは北なので、どの街でもアフトガーラ・ユクといえば、南のバスターミナル。 |
ビール | ビーラ。他のスラブ系言語ではピーヴァという発音が多いが違う。 |
ブルガリア正教。オスマン帝国に支配されていたので、街中にはモスクもある。
バルカン半島にあるので、結構複雑な歴史を持っているが、おおよそ知っておくと役立つ。
びっくりするほど紀元前からの遺跡がある。古くはトラキア人と呼ばれる人々が住んでいて、古代ギリシャとも交流があった。黒海沿岸にはギリシャ人が移住して都市を造っていた。アレキサンダー大王に征服され、さらにはローマ帝国の属州になっていた。
スラブ人が侵入してきて、これをアジア系のブルガール人が征服して、681年にブルガリア帝国を建国。この時代のクルム・ハーンは大きく領土を広げ、現在でも広場の名前になったりしている。ギリシア正教に改宗。
また、キュリロスとメトディオスがキリル文字を考案したとされ、キュリロスが字が書かれた紙を持った絵が教会に良くある。
1018年にビザンツ帝国によって第一次ブルガリア帝国は滅亡。ビザンツ帝国の統治。
1187年にアッセンとペタルが蜂起し、ビザンツ帝国から独立して第二次ブルガリア帝国を建国。首都はヴェリコ・タルノヴォ。
1396年、オスマン朝に併合される。
ロシア・トルコ戦争によって、オスマン朝から1978年に独立。ソフィアが首都となった。
第二次世界大戦に枢軸国として参加したが、1944年にクーデターが起こり、1946年に社会主義のブルガリア共和国へ。
ベルリンの壁が崩壊した1989年に共産党政権が崩壊。1990年年にブルガリア人民共和国からブルガリア共和国へ。
ブルガリアはワインが有名で、レストランでもものすごく色んな種類がある。でも、ビールも美味しくて、Zagorkaとか、Kamenitzaとか、暑く、乾燥した空気の中で飲むと美味しい。でも、ビールはロシア語のようにピーヴァではなく、ビラという。
食べ物はヨーグルトが有名で、確かに朝食でも普通に出てくる。夏にはスイカも道ばたで山積みで売っている。煮込み料理が多いが、オスマン朝に征服されていた時代が長いせいか、キョフテ(肉団子)、ドネル・ケバブも普通にあり、ラキヤという蒸留酒もある。
レヴァ。単数形はレフ。BGNと表記もされる。補助通貨はストティンカ、ストティンキ(複数)。ちなみにレフはライオンという意味だそうで、ブルガリアではライオンがとてもよく出てくる。
1レフは70円くらい(2015)。
90日以内なら不要。
都市間の移動は鉄道よりもバスが便数、所要時間の両面から便利。ただ、大きめの都市にはたいていバスターミナルが複数あり、行き先によってどこから出発するのか、あるいはどこに到着するのかわかりにくい。出発時刻もウェブで調べられたりはしない。町のTourist Informationで聞くと、時刻やアクセスも含めて親切に教えてくれる。
チケットは予め買って席も指定されている場合もあるし、近郊のバスはバスの中でおじさんまたはおばさんから買う。
ソフィアはブルガリアの首都。行くまで知らなかったが、数千年の歴史を持つヨーロッパ最古の都市の一つらしく、ローマ時代の遺跡もある。中心の地下鉄駅はセルディカだが、かつては街自体がセルディカと呼ばれていて、その後、聖ソフィア教会の名にちなんでソフィアとなった。
ブルガリア旅行で起点としたので、2015年8月8日(土)に成田からイスタンブール経由で到着し、2泊して8月10日(月)にブルガスに向けて出発。
8月14日(金)にヴェリコ・タルノヴォから戻ってきて、1泊して8月15日(土)にイスタンブール経由で帰国。
いつもありがちだが、前日の仕事が終電までかかり、結局2時間しか眠れなかったが、6:20吉祥寺発の成田エクスプレスで成田空港第1ターミナルへ。
Turkish AirlinesのTK51のA330-300で9:55に成田空港を出発、16:00過ぎにイスタンブールのアタチュルク空港に到着。どこを飛ぶのかと思ったが、ヨーロッパに向かうのと同様、ロシアを通過。最後に黒海が近づいたあたりで、急に迂回するので、なぜだろうと思ったら、ウクライナ(の東部)を避けていた。
19:10発予定のTK1029のB737-700は、40分ほど遅れて出発。成田で受け取った搭乗券の席は5Dだったのに、3の次は6で席が存在せず、搭乗してから客室乗務員に違う席に変更してもらった。
21:00過ぎにソフィアの空港に到着。入国審査、荷物を受け取り、ATMでレヴァを引き出し、地下鉄でセルディカ駅へ、歩いてホテルに到着。
飛行機の中でガイドブックを読んでいて行きたくなったブルガスへの飛行機とホテルを予約してから就寝。
バスでヴェリコ・タルノヴォから到着。17:00発予定がまた15分くらい遅れた。
隣の男性がいきなり日本語で話しかけてきてびっくりした。日本語を勉強していると言うことで、少し日本語で話し、後は英語で話した。ブルガリアの人材の西欧への流出の話、賃金は上がらないけど物価が上がって大変という話もあった。街や家の前でよく見る、人の写真のチラシのようなものをはってあるのは何かを聞いたら、やはり人が亡くなったことを示すお知らせのようなものらしい。亡くなると、40日後、3か月後、6か月後、、、(だったかな?)のように法事のようなものがあるらしく、それをお知らせするのだそうだ。
ソフィアの中央バスターミナルには20:30頃到着した。地下鉄でセルディカまで行き、ホテルにチェックインした。
ブルガリアに到着した2015年8月8日(土)から8月10日(月)に2泊、ブルガリアを発つ8月14日(金)から8月15日(土)に1泊。
セルディカ駅から歩いて行け、ヴィトーシャ通りから近く、機能的。
停留所の近くに切符売場があり、そこで切符を買う。停留所毎に人がいる売り場があるというのも公営だからか。ただ、この売り場には「休み時間」があるようで、そのときは買えない。乗ると、車内でパンチする。いかにも東ヨーロッパ。でも、車内にも券売機があって、そこで買った場合はパンチ不要。検札も結構ありますね。
2015年にはソフィア空港まで延伸し、中心街に行けるようになった。切符を買ってから乗るが、日本と違って自動改札の機械はなぜか左側にあり、バーコードを読ませて、すぐに抜いてから通る。切符は窓口でも買えるし、自動販売機でも買える。
自動改札があり、出口は何もチェックされないが、切符をチェックする検札があったりするので、切符は大事に持っている必要あり。
着いた翌日の8月9日(日)は世界遺産のリラの僧院へ。ここはブルガリア最大のブルガリア正教会の修道院。
ホテルを出て、No.5のトラムでアフトガーラ・オフチャ・クペルへ。Googleマップで見てトラムを降りたが、ここは小さなバス停のようなバスターミナルで見落としそうなところ。
リラの僧院へは一往復しかバスがなく、10:20のバスで出発。途中、リラ村での休憩を挟んで、リラの僧院に13:00過ぎに到着。
リラの僧院は山の中にあり、空気も少しひんやりしている。日本で言うと、永平寺のような感じ。バスで来た観光客も多い。建物に囲まれた構成になっていて、その真ん中に聖母誕生教会がある。リラの僧院自体の歴史は10世紀に遡るというものの、聖母誕生教会は1833年の火災の跡に再建されたもの。周囲や内部にフレスコ画がびっしりと描かれているが、古い教会のイコンのように様式的ではなく、漫画のような絵。
僧院内にある19世紀僧院の生活展示、歴史博物館を見学し、昼食代わりにドーナツを食べ、イコン・ギャラリーを見てから、再び15:00発のバスでソフィアのアフトガーラ・オフチャ・クペルへ。バスは一日一往復なのに、なぜか往きより帰りのバスのほうが混んでおり、立っている人がいるほど。また、空調が弱く、酷く蒸し暑かった。トラムで市内まで戻った。
ソフィアの目抜き通りと言えるのがヴィトーシャ通りで、終日歩行者天国になっている。夜はレストランに人が集まり、賑やかで、そのほかにもアイスクリームの店や、土産物屋、クラブが並んでいる。
どうでも良いが、ブルガリアの大きな街にはなぜかセックスショップと称する大人の店がある。
トラムで市内に戻ってすぐに、365主催のソフィア・ツアーに参加。これは無料のウォーキング・ツアーで、1日に2回、開催されている。申し込みは不要で、裁判所のライオンの下に集合し、聖ネデリャ教会、聖ペトカ教会、地下鉄駅の遺跡、バーニャ・バシ・ジャーミー、浴場跡、セルディカの遺跡、大統領官邸と聖ゲオルギ教会、市民庭園、国立美術館・国立民族学博物館、聖ソフィア教会、アレクサンダル・ネフスキー教会までおよそ2時間歩いた。
木に結ばれている紐のようなものは、マルテニツァというお守りで、春が来ると取り外して木に結ぶらしい。
外から見るだけで、それぞれの建物の中には入らないが、後から見て回るための予習として良かった。無料ではあるが、寄付歓迎と言うことで、最後は皆5〜10Lvほど払って解散。
一旦ホテルに戻ってから、ホテル近くのレストランで夕食を食べて就寝。一日目からなかなかハードだった。
ヴェリコ・タルノヴォから戻っていて、このたび最後にまたソフィア観光。
旅の最初のソフィア滞在で、365主催のソフィア・ツアーに参加して、ソフィア市内の要所はざっと見ていたので、今回は中に入ったりじっくり見たり。
8月14日(金)の夜は、ソフィアについてホテルにチェックインした時間は遅かったので、ホテル近くのレストランで夕食。イタリア料理の店だったが、家庭的な雰囲気で、素晴らしいグラスワイン(赤)、サラダ、イカスミのパスタで50Lv。ちょっと体調が悪化していたのが残念。
ブルガリアで最後の8月15日(土)は、ソフィアを観光。まずは世界遺産のボヤナ教会へ。
ソフィアのホテルをチェックアウトして、荷物を預け、ヴィトーシャ通りを歩いてP.エフティミ通りまで。この時間だととても道が空いている。
トローリーバスの切符を買おうとしたら、何とブースが閉まっている。休憩時間があるらしい。開くまで少し待ち、切符を買ってNo.2のトローリーバスで終点まで。
最初はどこに居るのか分からなかったが、少し歩くと国立歴史博物館。ここは後回しにしてまずはボヤナ教会に行こうと思ったが、これは大変。地図ではそんなに遠くないが、日差しが強い中をずっと登り坂で疲れた。行くならバスでボヤナ教会に先に行った方が良かった。
道を渡ると石畳の登り坂になるが、いつまで経っても教会はなく、登山道の入口のようなところまで来てしまった。さすがにおかしいと思ったので調べたら、やっぱり通り過ぎてしまっている模様。来た道を引き返したが、全然看板などなく、壁の向こうの木々に囲まれた中にある建物がそうらしい。
入口もよく分からず、塀に沿って随分回り込んだところで見つけた。さすがにここには観光客が溜まっていた。
中は公園のようになっていて、その先にボヤナ教会がある。これは11世紀に創建されて、その後改築された古い教会で、中にはフレスコ画が良い状態で残っている。中には同時に8名しか入れないということなので、順番を待ち、中に入った。
ボヤナ教会から来た道を下って引き返し、国立歴史博物館。
大きな建物だが、展示は2Fのワンフロア。いろいろなものがあったが、特に印象的だったのはトラキア人の金の工芸品。古代のものとは思えない精巧さで作られている。
また、その後のブルガリアの歴史を見ると、かつては相当広い国だったこともあるのですね。
再びNo.2のトローリーバスでソフィアの中心部、ソフィア大学のあたりまで戻り、外からしか見ていなかったアレクサンダル・ネフスキー教会の中へ。
ブルガリア独立のきっかけとなったロシア・トルコ戦争で犠牲となったロシア人兵士を慰霊するために作られたというが、相当に大きい教会で、多くの人が祈りを捧げている。
ちなみにこの教会も東に向けて祈る向きとなっており、入口は西にある。
教会の前を歩いていると、日本語の石碑が。日本とブルガリアの友好のために桜を送った、とのこと。
ソフィアにあるから聖ソフィア教会なのではなく、聖ソフィア教会があるからソフィアという街の名前がついたという由緒ある教会。6世紀に建てたというが、現在のものは再建されたもの。
中では洗礼?か何かをやっていた。
面白いのは、この教会の鐘は、建物の中ではなく、建物の前の木に据え付けられているところ。
教会の横では、無名戦士の墓として、炎が燃え続けている。その前にはまたライオンの像。
アレクサンドル・ネフスキー教会の近くにある小さな教会。同じ正教でもロシア正教の教会ということで、中ではやはり洗礼か何か行事をやっていた。
同じ建物に国立民族学博物館、国立美術館が入っていて、建物の入口は一緒なのに、中で二つに分かれていて、それぞれ切符を買うというややこしいシステム。
結局両方入ったが、美術館は現代美術に分類されるだろう絵画を中心に展示していて、ユーモアがあるものもあって面白かった。
ここまでで結構時間を食ってしまったので、アラカルト方式のレストランで、ビール、串焼き、キョフテ(ミートボール)。これで10Lv。
4世紀のローマ時代に建てられたというとても古い教会で、周囲にはローマ時代の浴場跡が残っている。しかし、現在は大統領官邸、シェラトンホテルに囲まれ、中庭のようになってしまっている。
ここでも中で何か洗礼のような行事をやっており、邪魔にならないように見学。毎週土曜日がそうなのか、たまたまそういう日だったのか・・・。
聖ゲオルギ教会の外側の建物の一つが大統領官邸。小さな国の大統領官邸なので、普通のビル、といった感じ。何やら始めたと思ったら、衛兵交代をやっていた。
ちょうどこの訪問した頃、大統領のお子さんが亡くなったかで、官邸前にはブルガリアの人達が花を手向けていた。
セルディカ駅がある中心部には、知恵の女神であるソフィアの像が立っている。ただし、ソフィアという街の名前は聖ソフィア教会からつけられたもので、知恵の女神とは何の関係もない。
この像は実は近年になって立てられたものであり、共産主義時代はレーニンの像が建っていたとのこと。
地下鉄セルディカ駅の前、半地下のような高さで小さな教会が建っている。オスマン朝時代に建てられた教会ということで、内部装飾が美しいらしいのだが、またもや何か行事をやっており、中には入れなかった・・・。
地下鉄セルディカ駅の周囲は工事中のようになっているが、これは工事ではなく、遺跡。地下鉄の工事はなかなか進まなかったが、これは掘れば掘るほどいろいろなものが出てきてしまうためだったという。
オスマン朝時代に作られたモスク。中に入ってみたが、普通のモスクだった。
ソフィアは温泉が出る。このこともローマ時代にも都市が発展した理由なのかも知れない。公衆浴場だった建物が残されていて、一角にはお湯が汲める(飲める)ようになっている。ただ、水温はそれほど高くなかった。
かつての中央市場だった建物。今ではショッピングセンターになっていて、ここでお土産用のワインを、店のおじさんと相談しながら購入。
だんだん時間がなくなってきた。
旧共産党本部の建物は、いかにもスターリン・クラッシックといった威圧的な建物。この前には地下道があって、単なる道路を渡るためのものではなく、遺跡が見られる。かつてのセルディカの城壁だったあたりらしい。
聖ネデリャ教会は大きな教会で、オスマン朝支配から解放された後にこうした大きな建物になったという。昔、国王を狙った爆破事件が起きたが、国王は遅刻したために助かったという。
これで見学はおしまい。締めにヴィトーシャ通りの入口でアイスクリームを食べ、ホテルに戻った。
2015年8月10日(月)に、ホテルをチェックアウトして地下鉄でソフィア空港まで。予約してあったブルガリア航空のエンブラエル190のFB981でブルガスへ10:30発。
2015年8月15日(土)の晩、ソフィアの観光を終えてホテルで荷物を受け取り、地下鉄でソフィア空港に19:40ごろ到着。
ターキッシュ・エアラインTK1030のB737-800でソフィアを21:20発、イスタンブールに22:40頃到着。離陸後から寝てしまって機内食を食べ損なった。
ターキッシュ・エアラインTK52のB777-300ERでイスタンブールを8月16日(日)1:15発、成田空港に18:30過ぎに到着。成田エクスプレスで東京まで行き、中央線で帰宅。
ブルガスは黒海沿いの都市で、ソフィアと鉄道で結ばれることによって発展した新しい都市。ラテン文字転写は、Burgasとも、Boulgasとも書かれる。ブルガス湾の最奥にあり、黒海に向かって右にソゾポル、左にネセバルがある。これら2つの街の方がずっと歴史が古く、ネセバルは世界遺産になっているくらいだが、ブルガスが発展することによって今では古い町並みが残る観光地になっている。
元々行くつもりではなかったが、日本からブルガリアに行く機中でガイドブックを見ていたところ、ネセバルなど黒海沿岸沿いにどうしても行きたくなり、ブルガリアに着いてから飛行機とホテルを急遽手配して来てみた。結果としてとても良かった。
ブルガリア旅行で2015年8月10日(月)にソフィアから到着し、ネセバルに行ってから1泊し、8月11日(火)にソゾポルに行ってからプロヴディフに向けて出発。
2015年8月10日(月)に、ソフィアのホテルをチェックアウトして地下鉄でソフィア空港まで。予約してあったブルガリア航空のエンブラエル190のFB981で10:30発。客室乗務員がスーパーモデルのような美人だった。飛行時間は短く、11:20にブルガス空港着。
空港前からバスに乗り、ブルガス市内へ。駅とアフトガーラ・ユクがあるところで、降りたかったが、同乗の女性が教えてくれた。しかし、アフトガーラ・ユクは工事中のようだったので、まずホテルにチェックイン。
2015年8月10日(月)から8月11日(火)に1泊。
ブルガスの中心にそびえ立っており、遠くからもよく見える。泊まった部屋も10Fだったので、眺めもよかった。Wi-Fiはロビーなど一部のみと室内に説明されていたが、部屋で普通に使えた。
ブルガスに着いた日は、世界遺産のネセバルに行ってみた。ネセバルはかつてメセンブリアと呼ばれた古代都市。最初はトラキア人が住んでいたが、紀元前にギリシャの植民地となった。この時期には、黒海沿岸からイタリア、スペインまでギリシャの植民地が広がっていたので、その一つということになる。
その後、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国に支配されるが、20世紀初頭にギリシャとブルガリアの住民交換が行われるまで、相変わらずギリシャ人中心で、独自の文化が保たれ、狭い旧市街にキリスト教の教会が密集している。
教会はたくさんあり、時代も異なるが、すべて東向きに祈る構造になっていることを発見。知識として知っていると、こういうところが面白いですね。
ホテルに荷物を置いてからTourist Informationまで歩き、ネセバル、ソゾポルへのバスの情報を入手。やはりアフトガーラ・ユクは閉鎖されており、少し遠いアフトガーラ・ザパッドからバスが出ているとのこと。
言われたとおり、駅まで歩き、No.5のバスでアフトガーラ・ザパットまで行き、13:30のバスでネセバルの新市街へ。アフトガーラ・ザパッドから出発したが、工事中のアフトガーラ・ユクの前でも停車したので、そこから乗っても良かったかも知れない。バスはブルガス空港の横を通っていく。観光シーズンなのか、渋滞に近い車の多さ。
バスはサニー・ビーチ行きだが、ネセバルの新市街に寄るので、そこで下車。
旧市街まで緩い坂道を降りていくと、黒海と、地峡でつながった島のような旧市街が見える。渡ると門があり、振り返ると新市街が見える。
地峡を渡り、門を通り抜けてすぐ右にあるのが考古学博物館
入口の外で立ってタバコを吸っている若い女性がいるな、と思っていたら、入口を入るとその女性も入ってきて、入場券を販売。ちなみになかなか美人であった。ちなみに、ブルガリアは結構禁煙が進んでいて、例えば、ホテルの部屋の中では禁煙。
大理石の像やら、ギリシャ文字で書かれた石碑やら、赤絵の陶器、アンフォラなどギリシャやローマでよく見るものが置いてある。
さらに島の奥に入っていくと聖パントクラトール教会がぽつんと建っている。第二次ブルガリア帝国時代の14世紀ごろに建てられた。
奥までは入れずに、入口付近で古地図の展示をしているところまで入れる。
ちょっと窪んだ位置に立っている。10世紀末ごろ、つまり第一次ブルガリア帝国時代に建てられたもので、
中は少ししか入れず、かつ、古地図の展示場になっている。入口から少し離れたところに座っている女性がいて、中に入ろうとすると着いてきて、チケットを確認。外は暑くて中は冷房が効いていて涼しいのに、何で外にいるんだろう。
内部は十字型をしている。
小屋のような形をしていて、1609年と新しいもの。つまり、オスマン帝国時代に作られたことになる。新しいせいか、フレスコ画がかなり残っている。
これは古い教会で、5〜6世紀、つまり第一次ブルガリア帝国以前に作られたもので、今では骨格しか残っていない。しかし、ネセバルの他の教会と比較しても、大きいものだったことが分かる。
中心の通りから少し外れたところにある。13〜14世紀に建てられたものとされるが、屋根は失われていて、そうとう残念な修復になっている。Wikipediaの写真を見ると瓦屋根になっているので、最近このような姿になってしまったのかも。
建物自体がネセバルの古い建物。2階しか見学できないが、生活用具や服などが展示されている。ブルガリアのこういった博物館では服装の展示が結構多い。
聖ソフィア教会の近くで昼食。ビールとカレイ。日本人としては魚を食べられるのはうれしいけども、箸が欲しくなる。フォークとナイフで四苦八苦して完食。きれいに食べたせいか、笑顔でお礼を言われた。
これは11世紀くらいに建てられてから修復を重ねているとされる教会。フレスコ画が壁をおおうように結構残っている。
最後はネセバルの街をぶらぶら散歩。入口近くや目抜き通りは土産物屋が並び、観光客で賑わっているが、奥まで行くと住宅が並ぶ。。住宅は2階が張り出してつっかい棒?のように支えている、独特の形式で、ブルガリアではよく見た。
帰りは島の入口のバス乗り場から乗るバスがあったので、それによってブルガスへ。待っている間も日差しが強くて暑かった。
ブルガスのアレクサンドロフスカ通りのイタリア料理店に入り、鶏肉で夕食。ビールを飲みながらゆっくり食事をするのは最高に気持ちよかった。
ソゾポルもネセバルと同様、古代からの都市で、ギリシャ人が入植し、アポロの像を建てていたので、アポロニア、あるいはアポロニア・ポンティカ(黒海のアポロニア)と呼ばれた。その後、アポロの像をローマ帝国が持ち去り、ソゾポルと呼ばれるようになった。こちらはネセバルと異なり、島と言うより半島のような地形になっている。
ブルガスのホテルをチェックアウトして荷物を預け、No.5ののバスでアフトガーラ・ザパッドに行き、10:00のバスでソゾポルへ。
ハン・クルム広場で降りると観光のロバが並んでいる広場を囲んでレストランや土産物屋が並んでいる。そこから進むと、右に教会、左に考古学博物館、前に旧市街が広がっている。
考古学博物館は2階が展示場所になっていて、結構広い。ここもまた、ギリシャかローマにいるのではないかと言うほど、赤絵の陶器、アンフォラなどがある。
ネセバルの同様の博物館よりは広く、展示も博物館的。昔の写真や服装も展示されている。
ネセバルと同様、中心部は観光客が多いが、奥まで歩いて行くと住宅地やレストランが並ぶ。近くにビーチがあるようで、泳ぎに来ている人も多いようで、リゾートっぽい。
最後に南城・展望台博物館に。入口がちょっとわかりにくい。各国語の説明チラシを準備しており、受付の女性に「何語が良い?」と聞かれたが、なんと日本語の解説があった。ちょっと癖があったけど。
さらに、受付の女性は話し好き?で、博物館を見終わっても止まらない。何でも、昔ブルガリア人の女性と初めて国際結婚した日本人がいて、その後放送局のトップになった。その人のことは最近映画になった。日本とブルガリアは昔から友好関係にあるのだ、と力説。近くにいたドイツ人観光客にも(多分)同じ内容を説明。ドイツ語のほうが英語より流ちょうみたい。
帰国してから調べると、NHKの会長になった前田義徳という人の話みたいですね。Wikipediaの情報には全くそのことは書かれていないですが、LAST CENTURY’S LOVE STORYという映画みたいです。これ、日本で見られるんでしょうか。
ハン・クルム広場の時刻表は意味がよく分からなかったのだが、なんとか13:00のバスで14:00頃にブルガスに戻ってブルガス観光へ。
ソゾポルから戻って、ようやくブルガス観光。
まずは昼食と言うことでレストランへ。時間がずれていたせいか空いていて、ビール、イカ、リゾット。美味しいし、サービスも良くて満足。
あと、食べているときに歩いていた子供から物乞いをされた。ロマの子だろうか。ブルガリアで最初で最後の経験だった。
ブルガス自体は古い街ではないが、この近辺で発見された物が展示されている。
ここは企画展としてカザンラクの紹介をしていた。あとで行くのですが。2階にあがると、やはり民族衣装を展示していた。
2015年8月11日(火)、ソゾポルから戻ってブルガスを観光した後、ホテルで荷物を受け取り、No.5のバスでアフトガーラ・ザパッドまで行き、バスでプロヴディフへ向かった。17:50出発予定が18:10頃の出発となってしまって、本当にバスが来るのかどきどきした。
プロヴディフはブルガリア第二の都市。何でも、紀元前から残っている都市の第6位だそうだ(第1位はパレスチナのジェリコ)。古くはフィリッポポリスと呼ばれた。
7つの丘の上に築かれているとされ、起伏が多い。
ブルガリア旅行で2015年8月11日(火)にブルガスから到着し、1泊して8月12日(水)にカザンラクに向けて出発。
2015年8月11日(火)、ブルガスからバスで到着。バスの車窓からは、ヒマワリ畑がたくさん見えた。皆、花を東に向けて整列しているのでなかなか不思議な光景。
バスは17:50出発予定が18:10頃の出発となってしまったため、プロヴディフに着いたのは22:30過ぎ。どこのバスターミナルに着いたのかも分からなかったが、Googleマップで調べるとアフトガーラ・ユクだったので、真っ暗な中を歩いてホテルへ。ちょっと怖かった。着いたのは23:00過ぎで、そのまま夕食をとらずに寝てしまった。
2015年8月11日(火)から8月12日(水)に1泊。
伝統ある建物だが、狭く、バスルームもタオル以外のアメニティがなかった・・・。
2015年8月12日(水)プロヴディフのホテルをチェックアウトし、荷物を預け、まずはTourist Informationでカザンラクへのバスの情報を入手した。
旧市街は狭い道に古い家が並び、観光客が多い。
旧市街の丘を登っていくとてっぺんにある。かつてトラキア人が要塞を築いた場所だが、今では廃墟のようになっている。しかし、何と言っても眺めが良くて、プロヴディフの街を一望することが出来る。
建物自体も立派だが、中の展示はこの地域の産業の歴史についても紹介されて面白かった。今では有名なバラの栽培も、昔から行われていたのではないとのこと。
これもアルメニア商人のものだった立派な家。各部屋には絵を飾るのではなく、ニッチに直接絵が描かれている。このパターン、他のプロブディフの家でも多い。
富豪の家だったが、素晴らしい絵画が飾られたギャラリーのようになっている。
もともとは紀元前に遡る門の跡。
ヒサル・カビヤを過ぎて右に曲がると塔の跡が残っている。遺跡の上に、普通に家が建っている。
比較的大きな建物で、資料などが展示されている。こういうのって、ブルガリア語が読めないので難しい。
鍵がかかっていて、入口にいる女性が開けてくれた。これも昔の立派な家。以上。
ここはディミタール・キロフ(Димитър Киров)という一人の画家の絵のギャラリーになっている。抽象的な絵もあるが、日本を題材にした絵もあって、ちょっと親近感が湧く。
建物自体の意匠がなんとなくイランで見たものを思い出させて、文化のつながりというものを感じる。
ここもズラトュ・ボヤジエフという一人の画家の絵を展示している。
薬局を開業していた家が博物館になっている。女性がいろいろ説明してくれる。薬品がたくさん並んでいるが、薬品名は英語で書いてあった。
プロヴディフに夜に着いて歩いているとき、トンネルの上に怪しくライトアップされていたのがこのローマ劇場跡。丘の斜面にあるが、現在では真下をトンネルが貫通しているので、不思議な景色。とりあえず、かなり暑い。
新市街へ。坂を下りて行く途中にある聖処女教会、また花瓶の花の意匠。
新市街は長い一本道が歩行者天国となっている。暑いので、皆日陰の近くを歩いている。マクドナルドもあるが、これをキリル文字は大文字と小文字の対応関係もラテン文字と異なるので難しい。
歩行者天国の通りの真ん中にあるリムスキ・スタディオン広場には、ローマ時代の競技場跡が顔を出している。残っているのは端の部分だけで、長細く延びた競技場の形にほぼ沿う形で、現在の通りが延びていることが分かる。
広場にはオスマン朝の時代に建てられたモスクが建っている。オスマン朝時代のモスクなので、ミナレットは一本。
通りを南に歩いて行くと、中央広場に突き当たる。無味乾燥した広場だが、広場の脇に、また公開会議場の跡が顔を出している。
中央広場横に広がるのが自由公園。公園の中には噴水もあり、木陰があり、照り返しが強い中央広場に比べると、涼しい。
中央広場から少し歩いた大通りの下の地下道にトラカルト文化センターという施設がある。トラキア+アートでトラカルトだが、実際にはローマ時代のモザイクがきれいに残されている。工事をしていて見つかったらしい。
英語の説明を渡され、丁寧に説明してくれるが、何よりもクーラーが効いていて涼しい!
最後は北に歩いて行って、考古学博物館。1Fだけの展示。ここで時間いっぱい。荷物を受け取りにホテルに。
2015年8月12日(水)の午後、ホテルで荷物を受け取り、99番のバスでアフトガーラ・セヴェルまで行った。なかなかわかりにくいバスターミナルだが、またもや、同乗の女性が教えてくれて、無事下車。この左の建物の裏にバスが止まっている。
16:00発のバスでカザンラクへ出発。
カザンラクはバラのお祭りで有名な街で、それ以外のシーズンはひっそりとしているが、この街の歴史も古く、トラキア人の都市セウテポリスがあった。
ブルガリア旅行で2015年8月12日(水)にプロヴディフから到着し、1泊して8月13日(木)にヴェリコ・タルノヴォに向けて出発。
2015年8月12日(水)の午後、プロヴディフのアフトガーラ・セヴェルを16:00発のバスで出発、18:00にカザンラクに到着。バスでうとうとしていて、終点だということで起こされてしまった。
駅近くのアフトガーラまで行くのかと思ったが、セヴトポリス広場近くで降ろされた。
2015年8月12日(水)から8月13日(木)に1泊。
便利な場所、広い部屋で快適。ただし、端の部屋のせいか、Wi-Fiも不安定。
いろんなものをコンセントにつなごうとしているうちに、日本から持参した分岐をつないだら200Vに対応しておらず、火花が出て、ブレーカーを落としてしまった・・・。
フロントに行って、Google翻訳でブルガリア語で見せても通じない。男性従業員が部屋まで来てくれて、ブレーカーを挙げてくれて復活。ドアの上にあるのに気がつかなかった。焦った。
カザンラクに到着した2015年8月12日(水)はセヴトポリス広場のレストランで夕食。ビールに、グラスワイン(赤)、タラトールというヨーグルトの冷たいスープ、サチという鉄板焼き。後ろにあるメニューを見ても分かるが、ブルガリアのレストランでは、ワインの種類は多い。蚊に刺されたけど、食事は美味しかった。
ホテルに戻ってこの日は就寝。
一泊した2015年8月13日(木)は、ホテルをチェックアウトして、荷物を預け、まずはTourist Informationでヴェリコ・タルノヴォへのバスの情報を入手。
街を抜けて歩き、少し離れたところにあるトラキア人の墓へ。これは世界遺産だが、墓を覆う建物の入口には鉄格子があり、何と実物を見られない。ここから少し歩いたところにある博物館で、「レプリカ」を見ることになる。まあ、同じようなものとしても、本物がある場所まで来てレプリカを見るというのも味気ない。
トラキア人の墓から少し戻ったところにあり、古い商家と農家が保存されている。入場料を払うとバラのリキュールを少し味見させてくれ、後は自由に見ることができる。
さらに街に戻って中心部のイスクラ歴史博物館。見られたのはワンフロア。
カザンラクの最後はジェネラス・スコベレフ通りの食堂っぽいレストランで昼食。ビールにキョフテで10Lv、とても美味しかった!!
2015年8月13日(木)に昼食後、ホテルで荷物を受け取り、バスターミナルへ。途中、珈琲の自動販売機がある。海外で自動販売機はあまり見ることがないが、なぜかブルガリアではこの珈琲の自動販売機がよくある。結局試さなかったけど。
さらにスーパーマーケットに寄って、ブルガリアらしい?ヨーグルトドリンクを購入。まあ、想定通りの味。
バスターミナルまで行き、バスでヴェリコ・タルノヴォへ出発。12:30発のはずが13:00過ぎの出発だった。
ヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア帝国で首都だった街で、琴欧洲の出身地でもある。ヤントラ川が何度も蛇行して街を通過しており、その間の丘に市街が形成されている。そのため、歩いていても絶景が続く。
ブルガリア旅行で2015年8月13日(木)にカザンラクから到着し、1泊して8月14日(金)にソフィアに向けて出発。
2015年8月13日(木)にカザンラクからバスで到着。12:30発のはずが13:00過ぎの出発だったため、15:00過ぎにアフトガーラ・ザパッドに到着した。暑い。
アフトガーラ・ザパッドは街から離れているので、10番のバスでマイカ・ブルガリヤ広場まで行き、Tourist Informationでソフィアまでのバスの情報を入手した。対応はちょっと素っ気ない感じだったが。そこからさらに歩いていってホテルにチェックインしたが、暑くて大変だった。
2015年8月13日(木)から8月14日(金)に1泊。
ヴェリコ・タルノヴォでも目立つ、大きなホテル。
チェックインするとやたら広い部屋。そして、窓からの景色が絶景。
あまりにも暑くて消耗したため、冷房が効いたホテルの部屋ですっかり落ち着いてしまった。
いや、とにかく暑い。
街は尾根に広がっているので、両側はすぐ谷。ところどころ建物の間に展望台があり、絶景。ちなみに展望台の下にも街が広がっていて、その間は急な階段で移動することになる。このあたり、地図で見てもよく分からない。
地球の歩き方のブルガリ・ルーマニアに載っている写真では川の水が茶色いが、今回はもっときれい。
尾根に広がるヴェリコ・タルノヴォの街は、どこが中心かよく分からないが、旧市街と新市街が切り替わるあたりにある広場。
とりあえず、暑い。
ホテルの冷房が効いた部屋ですっかり落ち着いてしまったが、がんばって夕方に観光。
銀行家の邸宅だった建物だそうで、今は博物館になっている。ブルガリアの民族衣装は面白い。
大聖堂の下にある博物館で、人形を使って歴史を展示している。
職人街といったような地区で、小さな店がたくさん並んでいる。泊まっているホテルに近いが、行く道がよく分からないと思ったら、小さな階段だった・・・
いったんホテルに戻ってから夕食に出て就寝。
TripAdvisorで1位の店だけあって、サービスもきびきび。ビール、サラダ、ナスのラザニアのようなもので20Lvだった。
ホテルに戻ると、窓から見えるツァレヴェッツの丘で光によるショーをやっていた。これも部屋から見えるとは贅沢。明日はあそこに登るぞ。
2015年8月14日(金)はヴェリコ・タルノヴォのホテルをチェックアウトし、荷物を預けて、まずは涼しいうちにツァレヴェッツの丘へ。
第二次ブルガリア帝国の時代にこの丘は宮殿だったが、オスマン朝の攻撃で破壊されてしまったという。
朝でも日差しが強いが、てっぺんにある大主教区教会まで登った。ここは観光客が多い。
丘を降りて、40人教会へ。道のすぐ下にあるが、最初どこから入れば良いのか分からなかった。
ここも第二次ブルガリア帝国時代の建物だが、オスマン朝から解放されたブルガリアが独立宣言を行った重要な場所。
これも第二次ブルガリア帝国時代の教会。フレスコ画がきれいに残っている。
ヤントラ川を渡り、トラペジッツァの丘に。聖ディミタル教会、聖ゲオルギ教会を見ようと思ったが、閉まっていて入れなかった。残念。
旧市街まで戻り、民族復興博物館、考古学博物館、近現代史博物館へ。3つの博物館が固まっている。
ここでもイランで見かけた、花瓶から花が広がる意匠を見つけた。
ホテルに戻って荷物を受け取り、サモヴォドスカ・チャルシャのカフェでサンドイッチで昼食。食べにくい。
このまま出発かと思ったが、少しの時間でヴェリコ・タルノヴォ美術館へ。ここはヤントラ川を渡った岬のような地形の上にある。街には観光客が居るので混んでいるかと思ったが、ここはとても空いていたが、落ち着いてみられた。
2015年8月14日(金)バスでソフィアに出発。
バスが出発するホテル・エタルまで来たが、時間があって、かつ暑いので、近くのバーでビール。結構飲んでしまったが、乾燥した空気の中で飲むビールはとにかく美味しい。
バスは17:00発予定だったが、また15分くらい遅れた。
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