最終更新日 2012年8月5日
2012年4月にボリビア・ペルー旅行で訪問。
南米の中でも先住民の文化が強い国で、首都のラパスでも民族衣装を着た年配の女性が普通に歩いています。最近日本でも知られるようになったウユニ塩湖も定期便が就航して以前より行きやすくなりました。ただ、何と言っても標高が高い都市が多い国なので、覚悟していく必要はありますが。
国名 | ボリビア多民族国(日本語)、Plurinational State of Bolivia(英語)、Estado Plurinacional de Bolivia(スペイン語) 2009年にボリビア共和国から改名している。 |
---|---|
国土 | 南米大陸の中西部にある内陸国で、東部は低地だが、アルティプラーノの呼ばれる西部は高地。3000mを超えるところに都市がある。これまで戦争で多くの国土を失っていて、かつては太平洋まで国土を持っていたが、これも戦争で失ってしまった。 |
気候 | 東部のアマゾン低地はAw、高原地帯はH。やたらと標高が高いせいで、赤道に近い割には涼しい。 |
人口 | 約986万人(2008)。14歳以下が42%、15〜64歳が54%、65歳以上が4%と若い。 |
民族 | 先住民が半数以上。その他、メスチソ、白人。先住民はケチュア人、アイマラ人。 |
宗教 | カトリック、伝統宗教。 |
首都 | ラパス(La Paz)が事実上の首都。憲法上はスクレ。 |
経済状況 | 一人当たり国内総生産4,330ドル(PPP,2008)。まだまだ貧しい国。 |
時間 | UTC-4。サマータイムはない。 |
公用語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語。学校ではスペイン語ともう1つ現地の言葉を教えることになっているらしい。
ケチュア語はインカ帝国の公用語だった言葉。おおざっぱに言えば、太平洋側でケチュア語が話され、ティティカカ湖周辺の高地でアイマラ語が話され、東部でグアラニー語が話されている。
旅行している分にはスペイン語で十分のようだ。英語は観光関係のみ。
ボリビアーノ(Bs)。1ボリビアーノ=100センターボという補助通貨がある。2012年時点で1Bs=12円。
日付 | 場所 | レート |
---|---|---|
2012年4月22日 | 空港でキャッシュカードで900Bs | 1Bs=\12.253 |
2012年4月22日 | 空港でキャッシュカードで90Bs | 1Bs=\12.244 |
2012年4月23日 | クレジットカード | 1Bs=\12.055 |
2012年4月24日 | ウユニのATMでキャッシュカードで700Bs | 1Bs=\12.210 |
2012年4月25日 | 空港でキャッシュカードで160Bs | 1Bs=\12.256 |
2012年4月26日 | クレジットカード | 1Bs=\12.065 |
それなりに必要な模様。
不要。
南米だけあって、ジャガイモが種類が多く、よく使われる。豆も多いようだ。米も良く出る。
南米の他の国でエンパナーダスと呼ばれるものに似たサルテーニャという揚げ餃子を大きくしたような食べ物もある。
飲み物はコカ茶がある。味はハーブティーのようなもので、あまり・・・。コカはボリビアでは普通にどこでも見られるものだが、日本を含む他の国では麻薬として禁止されている。
鉄道は少ないので長距離でもバスの移動が必要となるが、道が舗装されていないことも多い。飛行機は高いが2011年からはラパスからウユニにも飛行機で行けるようになった。
街中ではタクシーが比較的安く利用できる他、ミクロ(Micro)と呼ばれる博物館から出てきたようなバスや、小さなワンボックスカーを利用したミニバス(Minibus)が走っている。ただし、ルートは複雑で利用は難しい。ペルーで見る三輪タクシーは見なかった。
あと、異常に日本車が多い。それもトヨタ車が多い。新品もあるのだろうが、日本語が書かれたままの車が多く走っている。塗装はそのままなのに、左ハンドルに改造されている。最初から左ハンドルなのだろうと思ってみると、右側のシートの頭上にエアバックの説明が日本語で書かれていたりする。正規に持ち込まれたものなんでしょうか。
ラパスはボリビアの「事実上の首都」。3,650mの高地にある街で、すり鉢状の街の縁は4000mを超え、世界最高所の空港がある。歩いていても息が切れる。高層ビルが建ち並ぶ大都会でありながら、民族衣装を着た年配の女性が歩いている。
ボリビア・ペルー旅行で成田空港からダラス、マイアミ経由で2012年4月22日(日)に到着し、1泊して2012年4月23日(月)に飛行機でウユニへ向けて出発。そして、2012年4月25日(水)にウユニから飛行機で戻ってきて1泊して、2012年4月26日(木)にバスでコパカバーナを経由してプーノへ出発した。
徹夜明けでふらふらだったので大変だった・・・。
2012年4月21日(土)に成田エクスプレスで成田空港へ。ゆっくり寝て荷造りしようと思ったのに、仕事で朝帰りになってしまい、荷造りをして、髪の毛を切りにいったら結局一睡もせずに出発する羽目に。
成田エクスプレスに乗って一安心して熟睡してしまったら、第2ターミナルで降りないといけないのに寝過ごして第1ターミナルまで行ってしまい、時間を食ってしまった。
ようやく第2ターミナルに着いて出国手続きを終えて飛行機を待っていたら、今度はゲート前の椅子で熟睡してしまった。誰かにポンポンと肩をたたかれて起こされたら、周りにもう誰もいなかった。慌てて飛行機に乗り込み、アメリカン航空AA60便のB777で18:20に出発。
飛行機中は当然のように昏々と寝て、同日16:45すぎにダラス・フォートワース空港に着いた。
次の乗り継ぎ便はマイアミ行きの17:30発のAA1046便。
ダラス・フォートワース空港で入国手続、荷物の再チェックインをしていたらどんどん時間が過ぎていく。セキュリティ・チェックの時点で17:00を過ぎてしまった。慌てて移動しようと思ったが、空港はやたら広く、ターミナル間は環状に走る列車で移動しなければならない。慌てて飛び乗ったが、ゲートの番号をよく確認せずに乗ったため、1つ前の駅で降りてしまい、再度列車を待ってまた時間を浪費してしまった。
結局ゲートに着いたのは出発時間の17:30を過ぎてしまい、ゲートには乗客の姿がない。カウンターの女性に念のため確認すると、"Gone"のつれない一言・・・。
ダラスからマイアミへは便が頻発しているので、次のAA1828便でマイアミに向けて18:50発ということになった。マイアミで乗り換え時間は5分か10分くらいしかないが、「担当者が分かっているから」とのこと。
AA1828便には無事乗って、マイアミに出発。この路線、機内でWi-Fiが使える。もちろん有料だが、スマートフォンはPCより安く設定されている。iPod Touchで接続してみたがなかなか快適。アメリカン航空のウェブサイトで運行状況を確認すると、乗れなかったAA1046便は定刻通り、というか正確には少し前に出発してしまっていた。ゲート前で待っている客が乗り込むとそのまま出発してしまうものなのかもしれない。さらに、マイアミで乗り継ぎ予定のラパス行きAA922便のゲートを確認し、乗り換えに万全を期した。
22:20と予定より10分早くマイアミ国際空港に到着。
マイアミ国際空港内をダッシュしたが、これまた広い空港。走っても走っても先がある。ラパス行きのゲートになんとかたどり着いたがまだ人がいる。間に合ったか、と思うと、どうやら22:40発予定のラパス行きAA922便が30分以上出発が遅れるということ。今度は間に合った!
ラパスには翌日の4月22日(日)の早朝に到着予定だったが、出発が遅れた上に、空港が混雑しているということでホールディング。窓際の席ではなかったが、外をのぞいてみてびっくり。最初は海の上にいるのかと思ったが、巨大な雲海。どこまでも広がる真っ白な雲に、島のように山の頂がそびえ立っている。すばらしい景色だった。
結局、予定より1時間以上遅れて6:30ごろボリビアのラパス(La Paz)のエル・アルト空港に到着した。この空港は標高4082mにある世界最高所の空港とのこと。ひんやりとしている。
入国手続きを終え、ATMで現金を引き出した。翌日のウユニ行きの飛行機は予約してあったが、搭乗場所がわからなかったので、AMAZONAS航空の看板を見つけ、カウンターで聞いてみたところ、チェックイン時間等を教えてくれた。というより、どうやらリコンファームが必要だったらしく、手続きが済んだ。/p>
ターミナルを出て、並んでいるタクシーに乗車。国際線から出たところにタクシー料金の目安が掲示してある。
空港を出るとエル・アルトの町があるが、それを抜けるとぐんぐんすり鉢の底へ下っていく。ところが途中で対向してくる車と合図をすると急にUターン。タクシーを使った犯罪もいろいろあるので緊張して行き先を強く主張したが、当然言葉は通じない。どこに連れて行かれるのかと思ったが、混雑した車列に加わって細い道へ。後から考えると市内の立ち入り制限だったのかもしれない。
市内に行くと道が混んでいて、脇道を行こうとするのだがなかなか進まない。結局、途中で降ろされ、ここから5分くらい歩いてくれ、とのこと。通行規制がされているらしい。50Bs払って大通りを歩いてHotel Europaへ向かった。
2012年4月25日(水)にウユニからAMAZONAS航空のZ8 101便でエル・アルト空港に10:30ごろ到着。このラパスに着いたときも大変だった。
Subwayで28.5Bsの朝食セットを食べ、まずラパスのバスターミナルで、翌日のバスのチケットを買うことにした。そこで空港前のタクシーでまずバスターミナルに向かってくれと伝えると、40Bsということで走り出した。ここまでは良かったが、ここからが大変だった。
空港を出てエル・アルトの街に入ったかと思うと、ここで降りろというジェスチャー。バスターミナルに行ってくれと伝えても、ここでバスに乗り換えろと言っているようだ。バスに乗りたいのではなく、チケットを買いたいだけなので、再三バスターミナルと言ってもだめ。エル・アルトは治安があまり良くないので、ともかく降りてはまずいと思って、空港へ戻ってくれるように伝えた。
とりあえず空港に戻り、ほとんど空港から出ただけなので10Bsでも払っておこうとしたら、行って戻ってきたから40Bs×2で80Bsだという。バスターミナルまで全然行っていないしそれはないと思ったので、先方は40Bsまで下げてきたが、30Bs以上は断固拒否。運転手もエキサイトしてきて、警察に行くとか言い出して、望むところなので、英語が話せる人がいる空港のインフォメーションまで二人で行った。
インフォメーションまで着くと、運転手は担当の女性にスペイン語でまくし立てて自分の意見を主張。次に自分の主張の番になったので状況を英語で女性に説明したところ、わかったけど、タクシーは空港を出たり入ったりするだけで20Bsずつかかるルールになっているということ。それなら仕方ないので40Bs出すと、運転手はひったくるように紙幣を奪ってにらみつけながら去って行った。やれやれ。それなら最初から80Bsなんてふっかけなければ良いのに。
続いて担当の女性に話を聞くと、ラパスではデモが起きていて、市内が封鎖されているということ。地元の人であれば良いが、旅行者は状況がわからなくて危険だと思う、17:00までには落ち着くと思うが、昼に交代の女性が市内から来るので、彼女が来るかどうか、そして来た場合に状況を聞いてみるので待っていた方が良い、とのこと。
仕方がないので空港のベンチに座って時間つぶし。4,000mを超える場所にある空港なので、あまり長居したくないが、仕方がない。テレビで市内のニュースをやっているかと思うとそんなこともなく、あまり緊迫した様子もない。
なかなか交代の女性は来なかったが、13:00過ぎになっても状況を聞くと、もう大丈夫だろう、とのこと。ホテルにも電話すると、近くまで来て歩けば大丈夫だが、あと一時間くらい、だけどあと一時間くらい経ってから行った方が良い、ということなので、空港内のO2 Cafeでハンバーガー。飲み物と合わせて79Bs。
随分空港で時間を食ってしまったので、バスターミナルにチケットを買いに行くのは後回しにして、タクシーでホテルに直接向かった。60Bsとちょっと高めと思ったが、市街でも空港から遠目だし、何よりホテルに着いてほっとした。
ホテルの前にも警官が複数いて物々しいが、中に入ってチェックインするとレセプションの女性が「またようこそ!」。ウユニに行く前に泊まっていたのを覚えてくれていたようだ。今度の部屋は前回よりさらに立派で、部屋で一息着いてから街歩きに出発。
日本からbooking.comで予約していって、2012年4月22日(日)〜4月23日(月)、4月25日(水)〜4月26日(木)に一泊ずつ滞在。
ラパス市街の中心にあるが、大通りに面したHotel Plazaの横の階段を降りて少し入ったところにある。
最初にチェックインしたとき、受付の女性にボリビアは初めてかと聞かれたので、そうだと答えると、Welcome to Bolivia!"と一言。いい国じゃないですか。
ホテルの部屋は広く快適。特に2回目に滞在した部屋は角部屋で相当に広く、かなり贅沢だった。
ラパスについた2012年4月22日(日)朝、ホテルにチェックインしてシャワーを浴びてひげを剃ってから早速観光に出発。
やっぱり空気は薄く、ただ歩いているだけなのに、息が切れる。日曜日のせいか人通りが多く、普通の都市といった感じだが、編んだ髪にシルクハットのように背が高い帽子をちょこんと載せた民族衣装の女性がとてもよく目につく。ただし、こうした服装は年配の女性が多い。
ラパスには市内を観光する二階建てのバスがあり、南地区とセントロ地区の2系統あるが、両方ともイサベル・ラ・カトリカ広場の専用の停留所から発着している。50Bsと物価水準から考えるとちょっと高いが、地下鉄のような交通手段があるわけではないので、ちょっと離れたところも含めて回ってくれるこのバスは便利。乗るときにガイド役の女性から渡されるヘッドフォンのコネクタを座席に差し込んでガイド音声を聞くのだが、各国語の穴があり、日本語の穴もある。
まずは南地区のバスで10:30に出発。オープン座席の2階に乗ったが、結構電線などがぎりぎりに走っているので、とても怖くて建てない。
ラパスはすり鉢状の盆地だが、かなり低いところまで降りていく。街の上の部分と下の部分では標高に1000mほどの差があり、気温も10度ほど違うそうだ。もちろん、暮らしやすい低い場所のほうが高級な住宅地。
最終目的地は「月の谷」と呼ばれる場所で、浸食によって荒涼とした風景が広がっている。一応ここではバスから降りられるのだが、短時間なので慌てて見たが、乗客が少ないせいもあってか、ガイドの若い女性はまだいいよ、といった感じで写真も撮ってもらった。
同じイサベル・ラ・カトリカ広場まで戻ってバスを降り、ボリビアで初めての食事。小さなレストランのようなところでFricaseというメニューを注文。コカコーラと合わせて36Bsだった。見かけは豪快だが、味は非常にあっさり、というか薄い感じ。ただし、つけあわせのような唐辛子は結構辛い。
昼食後、いったんホテルに戻ったが、疲れが出て、少し寝るつもりが夜まで寝てしまった。そして、今度は夜、全然眠れなくなってしまった。
ラパスに戻ってきた2012年4月25日(水)、デモ騒ぎで遅れたものの、ホテルにチェックインしてから早速観光に出発。
ラパスには市内を観光する二階建てのバスの、今度はセントロ地区の系統に乗車。イサベル・ラ・カトリカ広場の専用の停留所から15:00に出発。
このバス、明らかにこのセントロ地区の系統のほうがおもしろい。サン・フランシスコ寺院(Basílica de San Francisco)を通り、狭い路地に入っていってザガルナガ通り(Calle Sagárnaga)を通過し、ラパスの中心、ムリリョ広場(Plaza Murillo)を回る。電線などがあって頭上がぎりぎりなのは南地区の系統と同じだが、左右が迫る狭い路地を通るのはおもしろい。
そして最後はラパスを一望できる展望台、ミラドール・キリキリ(Mirador Killi-Killi)でバスを降りて景色を眺める。最後にまたイサベル・ラ・カトリカ広場に戻って終了する。
イサベル・ラ・カトリカ広場からタクシーを拾い、バスターミナルへ。10Bsだった。
バス・ターミナルで翌日のプーノまでのチケットを購入。たくさんの会社のブースがあって、どれがプーノ行きを扱っているのかわかりにくく、少し迷った。
バスのチケットも買えて一安心したので、夕方になってしまったが、少し観光。まずは大通りに面したサン・フランシスコ寺院までタクシーで移動。10Bsだった。市内だとほとんどその料金みたいだ。時間がないので中には入らなかった。この教会の左からサガルナガ通りが伸びている。
旧市街の中心はムリリョ広場。小さな広場だが、ここに国会議事堂、大統領官邸が面している。ちょうど夕方で国旗を降ろす儀式をやっていたが、にやにや笑ったり、降ろすときに旗が木に引っかかって一人が木登りして外したり、なんとなくのんびりした雰囲気だった。
旧市街の奥にある通りで、石畳で植民地時代の雰囲気を残している。博物館があったり、ペーニャと呼ばれるライブハウスがあったりするが、ちょっと除いただけ。
暗くなったので、観光は切り上げてホテルまでゆっくり歩いて戻った。西から東に歩くとちょうど緩やかな下り坂を下りていく感じになる。結構人通りが多くて賑やか。
ホテルの近くまで戻ってきて、Cafe Ciudadというカフェで、ラパス最後の夕食。
ボリビアへ着いた2012年4月22日(日)の翌日の2012年4月23日(月)は飛行機でウユニへ。
5:00に起床して、朝食抜きでチェックアウト。前日にフロントに頼んでおいたタクシーでエル・アルト空港へ。70Bsとやや高めだが、車には料金表があり、通常は60Bs、深夜早朝は70Bsということらしい。
AMAZONAS航空のカウンターでチェックインして荷物を預け、空港税15Bsを払い、空港内のSubwayで朝食後、Z100便で出発。
2012年4月26日(木)にラパスから、コパカバーナを経由してペルーのプーノへバスで出発。
朝食後、ホテルをチェックアウト、頼んでおいたタクシーでバスターミナルへ。20Bsだった。朝だがバスの勧誘があって賑やか。
バス会社のブースの前に行くと、バスターミナルの利用料を払ってくるように言われたので、ターミナルの中央付近にあるブースで2Bs支払い。このときにくれる小さな半券のようなものが、バスに乗る際に必要なようだ。ちなみにプーノまでのバスは80Bsで、途中のコパカバーナで乗り換えが必要となる。
バスターミナルの看板には、スペイン語の他、英語、そして他にも2か国語くらいで書かれている。アイマラ語、ケチュア語といった言葉だろうか。
8:15にNuevo Continenteのバスで出発。
ラパスを出ると、またすり鉢状のラパスの街と、その後ろにイリマニ山が見える。イリマニ山は見事だが、雲が出ると見えなくなる。
巨大なウユニ塩湖はボリビアの代表的な観光地。乾期は真っ白い平原、雨期に空を映す鏡のような水面で有名。ラパスからは長時間のバスで行かなければならなかったとのことだが、定期便が飛ぶようになって行きやすくなった。行ったのは雨期が終わって乾期に入った頃だったが、水が溜まっているところと乾いているところの両方が見られて良かった。
ちなみに、ウユニも標高は3,660mと高い。
ボリビア・ペルー旅行で2012年4月23日(月)にラパスから飛行機で到着し、2泊して2012年4月25日(水)に再びラパスへ飛行機で戻った。
ウユニへはラパスから飛行機で到着。
これまでは長距離バスで行かなければならなかったが、2011年からラパスとの間に定期便が就航した。今回は直行便を運行するAMAZONAS航空を日本から予約していった。ただし、往復で1,950Bsと安くはない。
2012年4月23日(月)の朝8:15にラパスのエル・アルト空港をZ8 100便で出発。飛行機はFairchild Metro SA227という小さなプロペラ機。廊下を挟んで1列ずつの座席に乗り込んで出発。外国人観光客ばかり。
窓ガラスは汚れていて外がよく見えないが、ウユニへの到着が近くなると、白い塩湖がちらっと見えた気がする。
1時間程度のフライトで9:15ごろにウユニ空港到着。空が青い。空港施設は建物があるが中はがらんとしている。荷物を受け取ってから他の旅行客はツアーなのか、送迎の車でどんどん出発。おんぼろのバスが空港前に止まっていたので、それに乗って、7Bs払い、ウユニの街へ。空港で待っていた係員も乗り込んできていて、発着の時以外、空港は無人のようだ。
2012年4月23日(月)〜4月24日(火)に一泊。ウユニ塩湖の中にある唯一のホテルとして有名。当初は日帰りツアーだったが予定変更して泊まってみた。
夕食と朝食がついて140Bs。ただし、水道も引かれていないのでシャワーなどないし、トイレも水が良く流れず・・・。電気も宿泊者が多いと発電するくらいで基本的に真っ暗。
2012年4月24日(火)〜4月25日(水)に一泊。ホテルの予約はしていかなかったので、飛び込みで泊まった。210Bs。アパートのように一つ一つの部屋が独立して凝っている。
ウユニの街は小さな街。バスはAMAZONAS航空のオフィス前で降ろされたので、とりあえず鉄道駅のほうまで歩いて行くと旅行代理店がたくさんある。Hodaka Tourという小さな代理店で一日のツアーに申し込んだ。今すぐ出るというので、200Bs払い、荷物をオフィスに置いて、4WD車で出発。日本人の学生1人と一緒になった。
まず車で行くのは列車の墓場と呼ばれる場所。かつてはチリのアントファガスタにつながっていた鉄道が廃線となり、機関車が放置されている。空がとにかく青い。植物はあまり生えていないが、サボテンのような植物がある。
土産物屋がある集落というか場所に寄って自由時間。何も買わなかったが、塩で作った置物のようなものも売っていた。
塩湖近くにあるホテルに寄り、アメリカ人1人と日本人3人がさらに同乗。ミイラがある遺跡へ。ガイドによるとプレインカのものだという。周りの遺跡は珊瑚礁由来の石で作られており、標高3,000mを超えるこの場所が、かつて海底だったことを示しているという。
この後、ようやく塩湖。水が溜まっているというより、水たまりがあちこちにある状況で、塩が「パイル」として積み上げられている。見ていると人手でこの「パイル」を積み上げている。塩を採掘しているのだという。ちょうどこれくらいの水が残っているときが作業しやすいのかもしれない。
次に「塩の目」と呼ばれている場所。温泉のようにお湯が沸いていて、硫黄のにおいがする。
再び先ほどのホテルによってもう1人の日本人をピックアップ、今度は真っ白に完走した塩湖をひたすら走る。さすがにこの時期に水は溜まっていないのかと思ったが、走った先に水が溜まっている場所があった!ラッキー!!
水は非常に浅く、5〜10cmくらいの深さ。そこには塩の結晶が礫のようにあり、裸足で歩くのは痛そう。車から長靴を借りて歩かないと靴が塩だらけになる。
水は多くはないので、塩が水面にぼこぼこ顔を出しているところもあるが、さらに奥へは完全な水面で、写真で見るような鏡のような水面が楽しめた。ここで車で持ち込んだ食料で昼食。
ウユニ塩湖は水が張った鏡のような景色が楽しめる雨期と、真っ白な塩の平原が続く乾期にはっきりと分かれる。訪問した4月はすでに雨期は終わっているが、水が残っていた。ガイドによれば、あと1〜2週間もすればこうした水もなくなってしまうとのこと。とてもついていた。
これはどうやら少し前に雨が降ったためらしく、後日ペルーで会った日本人旅行者は、1ヶ月ほど前に行って水がなかったと言っていた。
鏡のように穏やかな水面もだが、青い空、そこに浮かぶ白い雲もこの景色をすばらしい物にしているのだと思う。
参加したのは1日のツアーだったが、一緒だった日本人旅行者は塩のホテルで一泊するという。この塩のホテルPlaya Blancaというのは、塩湖の中にある唯一のホテルで、建物自体も塩でできている名物ホテル。
ガイドに予定を変更してそこに泊まっても良いかと聞くと、良いとのことなので、一泊することにした。ウユニの街に戻るツアーから離脱し、140Bs払ってチェックイン。
ホテルでごろごろしていると、水が溜まったところにまた行く人がいるとのこと。ツアーではなく車をアレンジして旅行している日本人女性二人組で、ホテルに泊まるもう一人の日本人旅行者と一緒に急遽車に乗せてもらうことにした。
場所は昼に行ったところと同じだが、日が落ちてきていて角度が違うのか、より鏡のような景色。これもとても良かった。そのままそこで日没まで見ることができた。
ホテルに戻り、夕食。一緒に泊まっている日本人旅行者だけでなく、アルゼンチン人とボリビア人の若者と食べた。スープとパスタの簡単な食事。どうやら前日まで音楽のイベントが行われていてたくさんの人がいたそうだが、この日はその二人だけ残っていて、静か。
2012年4月24日(火)、Playa Blancaで5:30頃起き、日の出を見ようと外に出た。真っ暗だが曇っているのか、星はよく見えなかった。日の出の時間が分からないので外で待っていると、最初は自分一人だったのに、遠くから4WD車が次々と走ってきて、だんだん賑やかになってくる。みんな日の出を見ようとしているらしい。オランダ人の賑やかな女性がいて、小さなプラスチックのアヒルと一緒に熱心に写真を撮っていた。
日の出自体は曇っていて、赤く染まるところはきれいだったが太陽の形は見えなかった。クラッカーの簡単な朝食をホテル内で摂った。朝から来た人もいて結構賑やか。
一緒に泊まったアルゼンチン人の女性とボリビア人の男性は、明るくなると作業を始めた。風力発電機を設置しようとしているのだそうだ。
日本人であればまず太陽電池、と思うが、中古の部品を使った風力発電のほうが安上がりなんだろう。風車部分は日本で見るプロペラタイプではなく、鉄パイプにビニールシートを貼った物。これのほうが風向きに依存しないで良いとのこと。変速機は自転車部品を連ねて作るようで、それに中国製の中古の発電機で発電する仕組みのようだ。
昼頃に、この日の日帰りツアーの車が来て、そこに同乗。今日はアメリカ人女性2人、アルゼンチン男性4人で、そこに我々日本人2人が同乗。
この日は完走した塩湖の真ん中で昼食。その後、水が溜まったところまで行ったが、風景は前日と一変。水が流れていて水面がさざ波のようになっていて、前日の鏡のような景色は見られなかった。改めて、前日に見た景色がラッキーだったことを痛感。
その後、前日と同じ塩の採掘場、ミイラを見てツアーは終了、ウユニの街に戻った。ツアーの追加料金150Bsを払い、ラパスに戻るためのAMAZONAS航空のオフィスまで連れて行ってもらって、リコンファームをして、再び戻って預けた荷物をピックアップして街へ。日本人旅行者に声をかけられ、夜に車をチャーターして星が映る塩湖を見に行かないかと誘われたが、さすがに疲れていたので遠慮した。
ホテルは予約していなかったので、La Magia de Uyuniに飛び込みで入ってチェックイン。二日ぶりにシャワーを浴びて休憩。
その後街に出て、夕食。Lithium Clubという店で、トマトクリームスープ、ロモ、コーラで90Bs。味は悪くないが、観光客向けでちょっと高いかも。
疲れて寒気もしたので、21:00に就寝。
2012年4月25日(水)の朝、6:00に起床してチェックアウト。時間が早く朝食は食べられなかったので、AMAZONAS航空のオフィスまで歩き、空港ではなくここでチェックイン手続き。8:30ごろ、オフィスから出発。ウユニに着いたときと同じようにバスかと思ったら、今度はセダンで出発。これも7Bs。乗客は自分だけのような気がする。係員も同じ車に乗り込んで空港へ。
ウユニ空港に行ってみると日本人を含む他の旅行者も集まっていた。みんなツアーなのだろうか。待っていると来たときと同じ便のFairchildが飛んできて乗客がぞろぞろと降りた。折り返す飛行機に乗り込み、Z8 101便として9:30過ぎにラパスへ出発。
ティティカカ湖に突き出すようにある町で、ペルーに近い国境の町。標高3,814m。ここを通るのがペルーとボリビアの国境を越える代表的なルート。
ボリビア・ペルー旅行で2012年4月26日(木)にラパスからプーノへのバスの途中で立ち寄った。
2012年4月26日(木)にラパスからペルーのプーノへバスで移動する途中、昼に滞在。
8:15発にラパスのバスターミナルを出発。しばらく走るとティティカカ湖に出る。10:30頃に岸に到着。コパカバーナは島ではなくティティカカ湖沿いだが、ここで湖をショートカットする。バス毎フェリーの乗り込んで、ということではない。まず、人がバスを降りて、1.5Bs払ってボートに乗り込んで対岸に渡る。後ろを振り返ると、バスを載せたボートが遅れて渡ってくる。そしてまたバスに乗り込んで出発する。
しばらくはティティカカ湖沿いを走る。青い色の水をたたえた湖はとにかくでかい。そして、標高も3,810mもある。つまり富士山よりも高い。 湖を見ているといけすのようなものがたまにある。ニジマスの養殖をしているのかもしれない。12:00にコパカバーナ(Copacabana)へ到着。
コパカバーナは小さな街だが、バスの交通の要所になっていて、バスターミナルこそないが、広場の周りにはバスがたくさん止まり、土産物屋がたくさんある。それだけではなく、古くからインカ帝国の宗教都市だったらしい。そして、スペイン人が16世紀に建てた真っ白い大聖堂が建っている。
滞在時間は一時間しかなかったので、目についたレストランに入って昼食。ティティカカ湖ではトルッチャと呼ばれるニジマスが有名なので、反抗してペヘレイを食べようとして注文したが、ないと言われたので渋々ニジマスにした。ニジマスは日本でもいやになるほど食べていて、美味しい魚だとは思わないのだが、ニンニクで味付けされていて結構美味しかった。コーラとあわせて40Bsだったが、美味しかったので50Bs奮発。
コパカバーナでバスを乗り換え。今度はPanamericano社のバスになった。集合場所の小さな旅行代理店に戻ると、小さな女の子がキックボードで進みながら、乗るバスの場所まで案内してくれた。
13:00ごろ新しいバスで出発。ティティカカ湖沿いを走るといよいよ国境。
国境越え、バスに係員が乗ってきて済んでしまったりする場合もあるが、ここは結構大がかり。
まず、バスを降りてボリビア側の建物で出国手続きをする。そうすると、アーチのような建物があり、そこをくぐる。そして、道を結構てくてく歩く。そうすると今度はペルー側の建物があり、そこで入国手続きをする。そして、バスがそこまで来るのを待つ。
バスを待っているときに日本人旅行者に声をかけられ、少し話した。結構高山病に苦しめられた、とのこと。また、一ヶ月前ほどにウユニ塩湖に言ったが、水はなかったとのこと。私が見たときは、その後に降った雨のせいで水があったようだ。こればっかりは運。
しばらく待った後再びバスに乗り、ペルー側のティティカカ湖を走り、プーノへ向かった。
このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで