日本の小説

最終更新日 2017年4月9日

浅田次郎

福音について 勇気凛凛ルリの色

講談社

1999/4/18読了。

週間現代に連載されたエッセイを本にした、「勇気凛凛ルリの色」全4巻のうちの3巻目。全4巻は、「ほとんど無名」の小説家だった著者が人気作家になるまでの時期をカバーしており、この3巻目はちょうど直木賞受賞の時期にあたる。他の3冊は既に読んでしまっていたので、この3巻目を最後に読むことになった。

浅田次郎というのは不思議な作家で、美しい物語を書くと思えば、下品ともいえる本も書く。このエッセイは後者に近く、とりあげているトピックも著者周辺の日常的なものがほとんどである。浅田次郎という作家自身に興味があれば面白いと思う。以前少し読んだ遠藤周作のエッセイを思い出した。

くだらないものがあれば、社会的な問題をとりあげたものがあり、悪趣味なものがあれば、心動かされるものもあり、バラエティに富んでいる。あれだけの数と種類の物語が一人の人間から生み出されるのはすごいと思うし、その片鱗をうかがわせるエッセイではある。何かのテレビで評していたように、「物語のたくさん詰まった人」なのだろう。

地下鉄に乗って

講談社文庫

2000/3/13読了。

鉄道員の前に書かれた本で、吉川英治文学新人賞を受賞し、著者が世に出るきっかけの1つになった本である。

さえない神田の衣料品会社に勤める主人公が、ふとしたきっかけから、地下鉄を通して過去にたびたびタイムスリップしてしまい、幼少時代に経験した兄の自殺の謎が解けていくというストーリーである。東京の新興成り金の家の設定、衣料品を扱う会社という設定などは、著者の経験が投影されているのかもしれない。

昔の東京を知っている人にとってはきっと懐かしさが込み上げる小説なのだろうと思う。

最後の酒場の場面、浅田次郎の小説特有の、感情で頭がいっぱいになり、息が詰まるような思いをする。ただ、現実にみち子のような女性が存在するかはわからない。ちょっと小説のストーリーのために都合良すぎるよう書かれているとも感じた。

日輪の遺産

講談社文庫

2000/10/3読了。

前に文庫本を買っておいたまま読んでいなかった。東京で過ごす時間が増え、通勤時間に読みはじめたら勢いがついて、家に帰っても読み、2日で読み終わってしまった。

主人公ともいえる丹羽が、競馬場で老人に会うことからストーリーが始まる。この老人を鍵として始まる、終戦時に帝国陸軍が隠したという財宝を巡る物語である。現在と、終戦時という2つの物語が交互に進んでいく。

歴史物としては良く出来ていると思うが、最後の終わり方は少し物足りないようにも感じた。プロットの「種明かし」も比較的早く行われてしまうし。ただ、舞台が住んでいるところの近くなので、この辺りで多くの人が命を落としたことについて、改めて考えさせられた。

薔薇盗人

新潮社

2000/12/10読了。

いつものようにパルコブックセンターに行ったら、新刊として出ていたので、単行本をまた買ってしまった。

六編の短編を集めた本である。浅田次郎の作品には、純粋な感動物、ちょっと毒があるユーモア物などがあるが、この短編には両方のものが含まれている。あと、やや怪談っぽいものも含まれている。

そこそこに面白かったが、これまでに読んだ浅田次郎の短編集と比較すると、読んだあとに残る印象は弱かった。面白かったと思うのは、「あじさい心中」と「ひなまつり」で、ほかのものはそれほど面白くなかった。単純に感動物が好きなだけかもしれないが。表題ともなっている「薔薇盗人」は特に良く理解できなかった。子供が父にあてた手紙という形式によって表現が制約されているからかも知れないが。

姫椿

文藝春秋

2001/2/17読了。

八編の短編を収めている。あっ、また出ていると思って買ってきた。

なんだか、あっさりと読めてしまった。これまた薔薇盗人と同じで印象が弱い。やはり感動物だけではなく、ユーモア物も半分くらいを占めているからだろうか。確かに主人公もさまざまだし、テーマもさまざまだが、なぜか感動物でも、パターンが見えてしまうようなところがある。懐かしさ、とか優しさ、というエッセンスが不足しているのかも。

最近、書きすぎなのかな?もちろん、飽きずに読み進められるのだが。

シェエラザード

講談社文庫

2003年5月22日読了。

しばらく小説を読んでいないので、読もうと思い、文庫で上下に分かれていて量があるので買ってきた。

これは弥勒丸という、戦時中に沈没した豪華客船の話である。豪華客船が最後を迎えるまでの戦時中の物語と、弥勒丸を引き揚げようとする現代の物語が交互に進んでいく。

それなりにおもしろく、さーっと読めたが、特に感動すると言うこともなかった。最後の部分に盛り上がりがあって、感動のラストというようにも感じなかった。

モデルとなった客船が実際にあると言うことで、純粋なフィクションというよりも、歴史的な事実を小説にした、という印象が強かった。過去についてのストーリーと同時に進んでいく現代のストーリーは、都市銀行員がドロップアウトして闇金融をやっている男が主人公、ということで、浅田次郎にはありがちな設定で、ちょっと新鮮みがないように感じた。

NEW!霧笛荘夜話

角川文庫

2012年7月2日読了。

久しぶりに浅田次郎、というか久しぶりに小説。例によっていつ買ったかわからないまま机の上に積んであった中から引っ張り出して読んだ。最近の浅田次郎というのも読んでいなかった。

これは7つの短編集というか1つの長編というか、ちょっと凝った作りになっている。霧笛荘という港の外れにある共同住居が舞台だが、そこに住む一人一人の物語が一つの短編になっている。また、それがばらばらなのではなく、一つの主人公の話に脇役として出てきた別の一人が次の短編では主人公担って、というようにつながっている。

昔浅田次郎を読んだときのように号泣することはなく淡々と読めるが、さすが名手というか、それぞれ読ませるし、違った味わいの作品になっている。

ただ、いろいろな人が登場するものの、浅田次郎の作品としていかにもありそうな、どこかでもにた人が出てきたようなキャラクターではある。よく読む作家の白石一文の登場人物のように政治経済について語ったり一線のビジネスの世界にいるわけでもないし、大崎善生の登場人物のように虚無感や疎外感にとらわれているわけでもない。ここに出てくるのはみんな人と人の感情の中で生きている人であり、ややこしいようでいて、純粋に、シンプルに生きているようにも感じられる。

石田衣良

約束

角川書店

2005年読了

喪失の傷から立ち直る、というものをメインテーマに、7つの短編が収められている。

池田小事件に刺激を受けて書かれた冒頭の「約束」も良い短編だと思うが、「ひとり桜」が一番良かった。

井上明久

惜春

河出書房新社

2001/4/14

京都と東京を舞台にした小説で、以前から買ったまま机の上に置いていたのだが、机を整理したので、それをきっかけに読んだ。本書は著者の二作目のようである。

目次を見た瞬間から、著者のこだわりというか美意識を感じる。

読んでみたが、ちょっとなじめなかった。三人称で語られる物語だが、登場人物に「さん」とか「君」とかついているのは違和感がある。また、登場人物の悩みや感情が伝わってこない。生活感がないのだ。細かい地名や芸術に関する薀蓄もぴんと来なかった。

大石直紀

パレスチナから来た少女

光文社

1999/5/8読了

本屋で目に付いて購入し、帰ってから一瞬で読んでしまった。あとがきを見ると、作者の明確な問題意識をもとに書かれた本であることがわかり、興味をそそられて買った。共にレバノンの難民キャンプで両親を殺された記憶を持つ、女性テロリストと日本で養子として育った二人の女性を軸に、イスラエルとパレスチナ側が複雑に混じった物語が日本を舞台に展開する。すーっと読めたが、登場人物や小説の世界にぐいぐいと引き込まれるようなことはあまりなかった。例えば、登場人物が緊迫した状況におかれても、あまりどきどきしなかった。人物の造形や、細かいストーリーの作り込みが不足しているのかな?

小説とはともかく、中東問題は一刻も早く解決して欲しい。National Geographicでみたベイルートはとても魅力的な街に見えた。平和でさえあれば、是非足を運んでみたい、魅力的な地域だが。

大崎善生

札幌で生まれ、東京に出てきて、将棋の雑誌の編集者をやっていたらしい。ヨーロッパにもよく行っているようだ。現在は西荻窪あたりに住んでいるらしく(結婚して引っ越したかも)、札幌、西荻窪、吉祥寺、ヨーロッパの街というのが作品の中に繰り返し出てくる。

これらの場所を舞台に、浅田次郎のように感情を揺さぶり、ちょっと村上春樹のような雰囲気も持つ本を書く。ただし、浅田次郎のようにべったりとはしていないし、村上春樹のよりもメッセージはストレート。本人は村上春樹を読むらしい。

吉祥寺のパルコブックセンターにも来て、自分の本をチェックしているらしいので、私もパルコブックセンターでは、周りに本人がいないかチェックしている。結構個性的な風貌のようだから。

九月の四分の一

新潮社

2003年5月21日読了

パルコブックセンターで目について、久しぶりに単行本を買ってしまった。非常に目立たない装丁だが、品の良い美しい装丁である。

ぱらっと見て、ブリュッセルのグラン・プラスが舞台の短編も含まれていて、行ったことがある場所だったので買ってみた。4つの短編が含まれた短編集である。ブリュッセルの他にも、パリやロンドンも出てくる。

非常にさらっと読めてしまい、後にもあまり感情が残らないが、1つ1つ楽しく読める短編である。どれが好きかと言われれば、「悲しくて翼もなくて」、表題にもなっている「九月の四分の一」でしょうか。

著者のバックグラウンドでもあるのかも知れないが、音楽と将棋がテーマとして何回かとりあげられている。

ロックンロール

マガジンハウス

2005年読了

2004年に父が癌ではじめて入院したときに、東大病院の購買で赤い装丁が目立っていたので、なんとなく買った。そのときは、「九月の四分の一」と同じ作者だとさえ気がつかなかった。買ったまま全然読まずに放っておいたが、年が明けてから読み出したらおもしろかった。

主人公植村は小説家で、作品を書くためにパリにいる。担当の編集者は高井という男だが、その(3人目の)彼女である久美子が突然部屋を訪ねてきてしまう。そこから回想を織り交ぜながら、植村、久美子、高井、久美子の(前の?)彼氏との関係が始まる。

主人公の「ノシイカのような人生観」というものに妙に共感してしまった。自分に重ね合わせてしまって。

パイロットフィッシュ

角川文庫

2005年読了

珍しく文庫。「ロックンロール」が結構気に入ったので、著者の小説デビュー作の「パイロットフィッシュ」を読むことにした。今思い出してみれば、前にパルコブックセンターで結構目立つように置かれていたような気がする。

冒頭が「人は、巡りあった人と二度と別れることは出来ない。」というもの。主人公はアダルト雑誌の編集者。ある日大学時代に別れた女性からの電話がかかってくる。昔の回想も交えながら物語が進んでいく。二人が再び会うシーンもあるが、さらっとしている。

ちなみに、パイロットフィッシュというのは高級な熱帯魚を飼う際に、その魚を入れる前に水槽に入れて、バクテリアなどの生態系を作るために使う魚だそう。用が済むと捨てられてしまうのだという。

この小説の中に、以降の作品のタイトルとなる「アジアンタムブルー」という言葉が出てくる。「傘の自由化」のくだりは、小説家はこんな仕掛けをするのか、と感心してしまう。

アジアンタムブルー

角川書店

2005年読了

「パイロットフィッシュ」に続く小説。「パイロットフィッシュ」という言葉も作品の中に出てくる。

はじまりのシーンは、なんと吉祥寺の東急百貨店の屋上。私は子供の時以来登ったことはないが、今でもあるのかな。そこで主人公がぼっとしていると「H.N.」という女性と会う。

ストーリーとしては、主人公の恋人葉子に胃ガンが見つかり、治らないことがわかる。そのため、南仏のニースまで行って、最後の時間を過ごす、というもの。帯にも書いてあるが、ニースの海岸でのとても印象的なシーンがある

「もうひとつだけお願いがあるの」

葉子は静かな表情をしていた。空からの真っ直ぐな光を反射して、葉子の髪と頬を伝わる涙が輝いていた。僕はその光の粒をじっと見ていた。

「私が死んでも・・・」

そう言って、葉子は声を詰まらせた。そして、声を振り絞るようにして続けた。

「優しい人でいてね。」

僕は何も言わずに、海を見た。透明な水の中に青い水彩絵の具を溶かした青い海をーーー。

「私にしてくれたように、いつまでも優しい人でいて。私が死んで、いつか次に出会った人にも同じように優しくしてあげてね」

時代劇のように先が見えているストーリーだが、タクシードライバーのフレデリックといい、周りの人物もイイ感じ。

孤独か、それに等しいもの

角川書店

2005年読了

これは短編集。相変わらず、札幌、ヨーロッパ、吉祥寺。

「八月の傾斜」、「だらだらとこの坂道を下っていこう」。タイトルが中身と会っていて、秀逸。たとえば、「だらだらとこの坂道を下っていこう」だとこんな感じ。

由里子は静かに僕の手を取り、つないだ。それすらも恵美が生まれてからはじめてのことかもしれない。それから、昔のように僕の胸に頭を埋めた。それは、二人が付き合い出した頃から由里子が好きな姿勢だった。

僕も変わってはいないし、そして由里子も変わっていないのかもしれない。由里子の髪を撫でながら、ふとそう思った。

変わっていることがあるとすれば、僕たちがきっと坂を下りだしていると言うことなのだ。

別れの後の静かな午後

中央公論新社

2005年読了

これも短編集。長編も短編も書ける作家だ。

短編集のタイトルとなっている短編「別れの後の静かな午後」もタイトルと中身がぴったりとあっている。主人公は、日曜日の午後にいつも、東京郊外の山に行き、東京を眺めて過ごしている。パイロットフィッシュが昔の恋人と自分とが過ごした同じように長い時間を認識するものだとすれば、この短編は、自分と別れた恋人が過ごした全く違う時間の流れを対比させるものだろうか。

「ディスカスの記憶」は推理小説の趣。

ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶

新潮社

2006年6月読了

4つの短編集。例によって、装丁は秋を感じさせるとても美しいでき。

著者得意の、ヨーロッパを舞台にした物語、社会になじめない若者の物語が入っている。しかし、さすがにこのパターンも少々マンネリ化しているような気もする。大崎善生の作品は、ストーリーがある長編のほうが私は好きなのかも知れない。

「容認できない海に、やがて君は沈む」は比較的良いできかな。

優しい子よ

講談社

2006年11月読了

4つの短編集だが、それぞれ独立している訳ではなく、2004年から2005年にかけての出来事を扱っている。つまり、ノン・フィクションでもある。

大崎善生の本は基本的に出ると買っているのだが、不思議な絵の装丁で、買ってからしばらく机の上に放置していた。

最初の短編「優しい子よ」は、女流棋士である妻に、9歳の茂樹という少年からファンレターが届き、文通が始まる。彼は治る見込みのない病気であるが、自分の病気との闘いだけでなく、かつての事故の後遺症がある妻の足を心配してくれている。この病気の子とのやりとりが、新婚間もない大崎夫婦にどのように受け止められていくかを描いている。

「テレビの虚」と「故郷」は、大崎善生の「聖の青春」をドラマ化したプロデューサーである萩元の死とそれをきっかけに彼の故郷を訪ねる物語。

最後の「誕生」は、その名の通り、新しい命の誕生を描いている。

死と生という題材に、結婚した著者の初々しい?生活もからめて描かれている。4つのばらばらな短編というよりも、この4つの組み合わせで死と新しい生、継承という物語になっているように感じた。本当に忙しいときに読んだので、生活の日常を描いた物語がかえって新鮮だった。

タペストリーホワイト

文藝春秋

2006年11月読了

「タペストリー」とは、Carole KingのアルバムTapestryであり、「ホワイト」とは、札幌の街を覆った雪のことだと思う。

長編だが、4つに分かれていて、それぞれ、"Will you love me tommorow?"、"You've got a friend"、"It's too late"、"Tapestry"という名前がつけられている。これらは上記のTapestryというアルバムの曲名となっている。

主人公の女性が札幌から東京に出て行き、生活の基盤を固めていくまでの物語だが、名前から想像されるのと異なり、明るい小説ではなくて、はっきり言って暗い。グロテスクなシーンというか状況もある。

でも、学生運動がピークを過ぎた後の閉塞感と虚無感という時代を、Carole Kingの音楽と共に生き生きと描いているように思う。

大崎善生は村上春樹をよく読むと言うが、村上春樹がやはり音楽にちなんだタイトルの「ノルウェイの森」で学生紛争当時の青春を生き生きと書いたとすれば、続く時代を大崎善生が書いた、といったところでしょうか。

Carole KingのTapestryは、読んだ後に買って聞いてみた。普通のおばちゃんが歌っているような声で肩すかしを食った気がしたが、シンプルで、乾いていて、小説の印象からかノスタルジックな感じがする。さすがに有名なアルバムで、カバーも多いらしく、どこかで聞いたことがあるメロディーばかり。"It's too late"なんて、私が持っているCDの中でも3曲もあることになってしまった。

傘の自由化は可能か

角川書店

2006年11月読了

タイトルは、大崎善生の小説を読んだ人であれば、にやりとしてしまうものだろう。これはエッセイ集。新聞や雑誌に書かれた短い文章がたくさん収められている。日経新聞に書かれていたものもあるので、そのときに読んだ記憶があるものもあった。

「優しい子よ」、「ドナウよ、静かに流れよ」、「アジアンタムブルー」、「ロックンロール」、「聖の青春」と言った大崎作品の裏話のようなものも含まれている。読んでいないものはまた読みたくなる。

ただ、ヨーロッパへの取材のことなど、同じことを同じように何度も書いている。うーん。ちょっと仕事を引き受けすぎ?

スワンソング

角川書店

2009年10月読了

久しぶりに読書。それもべたべたの恋愛小説。

大崎善生の本は基本的には読むことにしているので、買うだけ買って随分長い間机の上の積んであったが、久しぶりの読書の対象として選定。

恋愛小説ではあるが、三角関係の恋愛で、全くさわやかではない。主人公が振ってしまった女性が傷つき、その後輩で主人公が選んだ女性が傷つき、救いないような話がずっと続く。

つらいなあ、とは思うものの、そもそも主人公が優柔不断だからではないか、という意識が頭にあって、今ひとつ共感できないところがある。

物語が進んでいくのは本当に最後のところで、一人、そしてもう一人と悲しい結末を迎える。そして残された手紙。

最後はこれでもか、これでもか、と泣かせる技巧が繰り出されるので、食傷気味ではあるが、やはりそれぞれのシーン、ぐっと来るものはあります。個人的には美術館のノートの文章、平凡すぎる文章だが、そうだからこそのリアリティがあって、ああ、恋愛ってこういうものだよな、と思った。

ドナウよ、静かに流れよ

文藝春秋

2009年11月読了

書店で目についたので買ってきて、ずっと机の上に積ん読状態だった。

読み進めていつもと違うな、と思ったら、どうやらこれはノンフィクションらしい。19歳のハーフの日本人少女と渡辺日実(カミ)と33歳の自称指揮者千葉師久がドナウ川に飛び込んで心中した事件について、少女の両親や関係者に聞いて明らかにしていくというもの。

肝心の二人の心情が全く理解できないのし、特に千葉は非常に問題がある人格なので、今ひとつ感情移入できなかった。

しかし、最後のページに渡辺日実の写真が出てきていて、ちょっとどきっとする。実際に生きていた少女なんだな、と。

渡辺日実の両親についても私生活も含めてこんなに書いて良いのかと思うくらい、赤裸々に書かれている。

白石一文

一瞬の光

角川書店

2000/4/23読了

ひさしぶりにまた面白い本に出会った。たくさんの本の中で1つの本を手に取るというのは大変な確率だと思うのだが。

日曜日に、家で仕事をしていたのだが、食事をしようと外に出て、そば屋に入った。新聞があったので、書評を読んでいるとこの本が載っていて、面白そうだったので、帰りにパルコブックセンターで買ってかえった。ちょっとだけ読んでみようと思ったら止まらず、最後まで読んでしまい、その日の仕事に多いに差し支えた。

主人公の橋田はエリートである。それも単純な頭でっかちなエリートではなく、しっかりとした考え方、能力、努力、人を見る目を兼ね備えたスーパーマンのような男である。自分でもそれを自覚し、責任感を持って仕事をしている。その主人公が、あるとき偶然、就職活動をしている短大生香折と知り合う。彼女は、大変に複雑な家庭環境を抱えてきていることがわかり、それを支える主人公との不思議な関係が始まる。

一方で、主人公の橋田には、瑠衣という家柄、性格、容貌の面で全く非の打ち所のない恋人がいる。さらに、会社内では激しい権力闘争が行われている。主人公と香折、主人公と瑠衣、社内の権力闘争の3つが物語を形作っていく。

本来は橋田と香折の関係がこの小説のメインになのだろうが、随所にある橋田自身の独白のような世の中に対する見方、過去の経験が作っている心の傷、そして何よりも瑠衣という女性の魅力と奥深さが面白かった。最後の部分の瑠衣の潔さと優しさは心を打つものがある。

この本の最後の終わり方については、これで良いとも思えるし、物足りないようにも感じるし、評価が分かれるところだと思う。

装丁が今一つ地味なので、書評を読まなければ手にとることもなかっただろう。本の後ろを見てみると再版まで行っているようだが売れるかな。良い本だと思うけど。

不自由な心

角川書店

2001/2/25読了

「一瞬の光」以降、続編を楽しみにしていた。第二作というのは楽しみであり、不安でもある。第一作と同じようなものを書くのだろうか、全く違うものを書くのだろうか、と。またもや非常にシンプルで美しい装丁である。しかし、またもや地味なので、本屋で目立つか心配だが。

今度は長編ではなく、五つの短編集である。相変わらず、読み応えのある緻密な文章である。内容的には一瞬の光ほどは暗くなく、猟奇的な面はないが、やはり同じ著者だな、と思わせる。主人公はいずれも企業で活躍し、それなりの実力を持つサラリーマンである。その仕事一筋で走ってきたとき、ふと、仕事以外の価値に気がつく、あるいは女性との関係が生まれる、といったストーリーである。文章にしばしば出てくる社会批評、ところどころに垣間見せる主人公の肉体志向、暴力性も一瞬の光に似ている。これが作風なのかもしれない。

文章の一端、一端に心に響く表現が出てくる。ただ、今回の作品の主人公とその設定が、妻子がいながら職場の女性とも恋愛関係にある、といったもので、私にとってはあまり共感できない部分、違和感を感じる部分がある。むしろ、その相手の女性にこそ、感情移入してしまうところがある。その悲しみが心の底まで伝わってくる。

一年半もあれば、自分の気持ちや言葉が結局みんなうそになるには十分だった。あの晩ね、すすり泣く恵理を見ながら人間がこれほど深く悲しむ姿を見たことがないと思った。いまなら彼女の人生はまだやり直せるのだから、と自分に言い聞かせた、訳知り顔でね。恵理は二十五でしたから。---

人間がこれほど深く悲しむ姿を見たことがない、か・・・。

すぐそばの彼方

角川書店

2001年読了

以前に読んでいたのだが、内容を忘れていて、再び読み返した。なかなかおもしろい。

また例によって、帯には現代日本の政界の実情と内幕をリアルに浮き彫りにして描き、人間の存在意義と人生における愛の意味を問う、究極の物語!と書いてあって、違う気がする。

主人公の柴田龍彦は、大物代議士柴田龍三の次男である。あまりぱっとしない兄と比べて、父からも目をかけられ、将来を嘱望されていた。

しかし、この龍彦が、これまでの白石作品のスーパーマンのような主人公と違うところは、不祥事を起こし、ショックで精神的にも破綻してしまっていて、今では父親の事務所に籍をおきながらも、ほとんど何もできずに生活を送っている。

彼は家柄の良い申し分のない妻がいて、小さな子供もいる。しかし、不祥事以来、その妻子とも別居状態にあり、一人で暮らしている。また、不祥事の際に無理矢理別れさせられた薫という女性への思いを引きずっている。

そんな彼は今は高円寺に住む由香子という女性と関係を続けている。この由香子という女性は実は龍彦とは昔から縁があった女性なのだが、今では事故で亡くなった自分の子供の記憶を引きずって過去を向いて生きている。

美容師だった由香子が、公園で龍彦の髪を切る、というシーンはなんだか小さな幸せ、という感じで暖かい場面である。

この物語のもう1つの柱が政治の世界で、父龍三は現職の総裁を辞任させることによって、総裁への就任を目指す。この動きが急展開していく中に龍彦も巻き込まれ、龍彦も徐々にかつての精気を取り戻していく。父龍三の片腕として活躍し、権謀術数渦巻く世界で相手を次々と倒していく。

そんな龍彦を見て、由香子は自ら身をひいてしまう。

あなたはもう私なんかと付き合わない方がいい。私はこれからのあなたには何の力にもなれないから。きっと迷惑をかけて、そのうちあなたは私を憎むようになる。そして、私との時間なんてみんな忘れて、あなたはまた昔のような自信に満ちた、大きな目的に向かって進む人になってしまう。私がそうなって欲しくないと願っても、きっとなってしまう。そんな風になりたくないでしょう、お互いに

妻子の住むマンションへと戻り、龍彦は父をしのぐほどの活躍をし、ついに龍三は権力の頂点の座を射止める・・・。

ここで終われば、一人の男の再生というありがちな物語となるがここでは終わらない。過去についていろいろなことが明らかになっていく中で、最終的に龍彦は違った道を選んだところで物語が終わる。どこか一瞬の光を思わせる終わり方である。

他の白石作品でもそうだが、登場人物、特に女性という形を通して、「どの生き方を選ぶか」と読者に問いかけているように感じる。本当に大切なことは何なのか、ということである。

過去から立ち直れないで生きているだけで精一杯な由香子との世界、経済的社会的な成功に結びついた妻郁子との世界、そして社会的成功とは無縁であまりにも普通な薫との世界。また、当初は軽蔑さえしているように見える兄の生き方に対する龍彦の見方が変わっていくことも象徴的である。

ちなみに、著者はパニック障害になって療養した経験があるらしく、それがこの作品にも生かされているようだ。

僕のなかの壊れていない部分

光文社

2003年読了

これまでにない真っ黄色の装丁に、長い題名。帯に書いてある書評もかなり大げさだったので、期待して読んだが、正直言ってよくわからなかった。

主人公が出版社に勤めていて、これまた美人で完璧な恋人がいる、というのがありがちな展開なのだが、主人公は完璧にはほど遠いところがある。

冒頭から主人公は恋人の枝里子に対して「意地悪」であり、シニカルでいちいち揚げ足取りのような会話をしているところも引っかかる。とても長い引用があったり、性的な描写が延々と続くところがあったりするところもよくわからないところ。

最後の部分の事件も唐突でどういう意味があるんだろう。うーん。

草にすわる

光文社

2003年読了

結構派手な装丁で置かれていたので、すぐに気がついて買ってきた。

短編というか中編集で、2つの中編が納められている。1つは題名と同じ「草にすわる」であり、もう1つは「砂の城」である。

あんまりそういうことは無いように思うのだが、今回は本についている帯のメッセージは正確で、2つの中編とも「覚醒」というか、「生きていることをかみしめられますか」というようなことをテーマにしている。その意味で、全然内容は違う中編だが、著者の言いたいことは1つのように感じる。

「草にすわる」は結構気に入って読み返したりしている。主人公は「挫折しただめタイプ」で若く設定されているが、最後の部分の味もなかなか良い。ストーリーにはあまり関係ないが、主人公の父親が主人公に言うせりふも決まっている

「洪治、もう二度と、女から死んでくれと言われるような隙を作るな。男が死ぬときは一人で死ね。誰も連れていくな。」

一方、「砂の城」は今ひとつに思う。主人公が魅力的ではないし、三人称で書かれた小説とは言え、いきなり「しかしすでに与えられた紙数も半ばをとうに越えている。ここは多少乱暴ではあるが、結論を急がねばならない。」なんて著者に言われても興ざめしてしまう。

全然関係ないが、年末に、自分が死ぬ夢を見て、朝方に目が覚めた。とても怖い夢で、暗い部屋に一人で起きて、「生きているだけで幸せだから文句を言っていてはだめだ。」、「体を大切にしよう。先送りにしている病院の検査も年が明けたら行こう。」と強く思った。

見えないドアと鶴の空

光文社

2004年2月読了

仕事で外出した途中に銀座を歩いていたら、銀座の書店の窓の外側にこの本の大きなポスターが貼ってあった。これは一大事と思い、その週末にパルコブックセンターに買いに行った。

装丁は「僕のなかの壊れていない部分」を踏襲している、というよりも色が違っているがほとんど同じ感じで、初期の作品の固い感じのする装丁と比較するとなんだかな、という感じがする。帯はプラスチック製で弾性が高いため、本を開くたびにびろーんと外れてしまう。

さて、物語は主人公の昂一がカツサンドを作っている場面から始まる。昂一は出版社をやめてしまっていて、妻の絹子が広告代理店で働いているため、家で専業主夫のような生活をしている。ちなみに住んでいるのは国分寺のマンションである。

妻の絹子には、古くからの友人の由香里がいる。由香里は不倫相手と別れ、シングルマザーとして子供を産もうとしている。絹子が海外出張している間、昂一は絹子の依頼で、吉祥寺に住む由香里の面倒を見ているのだが、予定より早い出産に立ち会ってしまう羽目になる。

このことは絹子にとっておもしろくないのだが、昂一自身は特に感慨もない。

しかし、昂一に言わせると、あれは別に絹子が考えるほど神秘的なものなんかではなかったし、女の人が勝手に排便するのをそばで見るようなものだった。

ところが、仕事で忙しい絹子にかわって、子育てをする由香里の面倒を見る中で、由香里との関係が進展してしまう。これが絹子にばれて、由香里とマンションにいるところに踏み込まれる。

と、ここまでは普通のお話なのだが、絹子はその足で昂一を祈祷師のところに連れて行くのである。ここから話は少しSFじみた色彩を帯びてくる。ここがこれまでの現実的な白石一文の作品とは全く異なっているところである。さらに、絹子と由香里の隠されていた過去のつながりが謎となり、舞台は二人の出身地である北海道にまで広がっていく。

これまでの、そして最近の白石作品同様、説教くさい面もあるが、超能力というSFの要素が入っている上に、謎解きというミステリーも加わって、ストーリーは文句なくおもしろく、次へ次へとページをめくる手を急いでしまう。

Webでこの本に関するページを読んでいたら、1つおもしろいことが書いてあった。この本の25章だけ、25という数字が太字になっている。25章は内容的にも1つのメッセージとなっているが、ここが重要、という意味なのかな?

作品中、仏教の高僧の話が1つのキーワードになっているが、そのほかにも1つ、心にとまる言葉があった。

月影の至らぬ里はなかりけれども、ながむる人の心にぞ住む。

この言葉の意味するところは、前作の「草にすわる」のテーマと同じように思う。

この本は、2003年7月に著者が出版社を辞して、作家専業になって初めての作品だそうだ。昂一の専業主夫という設定にもその経験が生かされているように感じる。

仕事で遠くに外出する電車の中で読み終わって、またそのまま最初からもう一度読んでしまった。久しぶりの、そして今年初めての殿堂入り。

私という運命について

角川書店

2005年読了

今度はこれまでと一転した白を基調とした装丁。

読み始めて1章を読み、2章を読み始める。???。うまくつながらず、これを何回か繰り返してしまった。先入観というものは恐ろしいものだ。なんとこの小説は、主人公が女性。これまでの白石作品からは考えられない流れ。仕事ができて容姿も優れているというやはり白石作品の主人公、という感じだが。また、これは1年や2年という時間の流れではなく、女性の10年にもわたる人生を描いている。

前半に出てくる言葉が全体を貫く1つのメッセージではないかと思う。

亜紀さん。選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもないのです。未来など何1つ決まってはいません。しかし、だからこそ、私たち女性にとって一つ一つの選択が運命なのです。

主人公の義理の妹の話も心を打つし、著者の生まれ故郷である福岡の情景も印象的に書かれている。いつものように企業小説のような雰囲気もあるし、事件も取り入れられている。最後は2004年10月に起きた中越地震も取り入れられている。最初からこの最後が考えられていたのか、地震の後に書かれたのか、少し不思議。

もしも、私があなただったら

光文社

2006年6月読了

40過ぎで会社を辞め、離婚し、地元博多で一人で流行らないバーをやっている藤川啓吾。彼の元に、かつての会社の同僚の妻の美奈が訪ねてくる。彼女は強引に藤川の家に押しかけて泊まっていってしまう。このことから啓吾と美奈の関係が始まる。

お互いに人生を経てきているために、二人の関係は自制的のようでもあり、一方で、峠を越えて年を重ねつつある者同士の激しさがある。

藤川は、意を決して美奈の夫の神代に会いに行くが、そこで聞いたのは会社での自分が知らなかった事実だった。

全体的に、これまでの白石小説のように説教くさくなく、淡々と進んでいく。あえて言えば、タイトルの「もしも、私があなただったら」というキーワードであり、勢いだけの恋愛ではなく、美奈の気持ちを想像してみながら自分のやるべきことを考えていく、という主人公の行動だろうか。そして、最後、唐突に終わってしまう。読んでいて、さあ次のページ、とページを繰ったら終わっていた。うーん。よくわからない。

初期の、社会情勢も織り交ぜた硬質な小説、というのとは随分と雰囲気が変わってきているように思う。そのこと自体、良いか悪いかはわかりませんが。たまたまこの小説がそうなのか、だんだんと作風が変わってきているのか。次の作品を待ちます。

どれくらいの愛情

光文社

2006年11月読了

本屋で新作として並んでいたので、迷わず購入。

中短編集で、4つの作品を納めているのだが、実際には表題作である「どれくらいの愛情」が長く、本全体の半分を占めている。これだけは書き下ろしらしい。

仕事や生活の合間合間で、読み続けたため、上品な装丁な本だが、立ち食いそばの汁とか、広島風お好み焼きのソースとかが着いてしまった(はまると食事をしながらも読みます。子供の時から。)。

率直に言って、かなり気に入った。それに、人生について少し考えた。

1つ目の「20年後の私」は、「私という運命について」と同様、女性が主人公。でも、やはりやり手。「私という運命について」にも似ているところがある。表層的なことだけでは、人間は理解できない、人生にはきちんと向き合うべきだ、ということだろうか。

3つ目の「ダーウィンの法則」も、強いメッセージを伝えている。ちょっとした描写だが、印象深いこんなシーンがある。主人公が決心をする瞬間をいきいきと描いていると思う。

とりあえず博多警察署を目印に歩を進めながら、誰もいない路上で知佳は両腕を点に突き出すように全身を伸ばして深呼吸した。酔いの抜けた身体に秋のひんやりとした夜風がしみ入ってくる。

しかし、なんと言っても圧巻なのが4つ目の「どれくらいの愛情」。1つ目も3つ目も博多が舞台だが、この4つ目も博多が舞台。ただし、この作品だけは標準語ではなく、登場人物が博多弁でしゃべっている。また、「見えないドアと鶴の空」のように少しオカルトっぽいところもある。

主人公が晶に裏切られて心の傷を抱えている言う設定は、ちょっと「一瞬の光」も思い出すが、意外な事実が明らかになる。

人生で何が大切なのか、そして、結局は何を選ぶかは自分の判断で、それで自分の人生が変わるのだ、という白石作品で繰り返し現れている(と思う)主題が明確に示されていると思う。

最後のシーン、特に3行が印象的。博多弁だからこそ、登場人物が生き生きとしているように思えるし、一方で、どんなニュアンスや語感なのかよくわからなくて想像してしまうところがある。是非博多弁で誰かに音読して聞かせて欲しい気がする。

それぞれの作品、かなり率直なメッセージを書いている気がするが、それでも言い足りなかったのか、著者自身のあとがきが着いていて、さらにいろいろ論じている。

永遠のとなり

文藝春秋

2007年6月24日読了

主人区の青野精一郎は、鬱病が原因で、離婚し、地元福岡に帰ってきて無職で暮らしている。友人の津田敦(あっちゃん)は小学校からの友人で、ガンを患ってから青野より一足先に福岡に帰ってきている。

と言う設定からは、「もしも、私があなただったら」を思わせる。実際、雰囲気も似ているように思う。作者の新しいパターンとなったと言えるのだろうか。二人の交流を通じて、過去の経緯が少しずつ語られていくところも似ている。

ストーリーらしきものは特になく、あっちゃんが妻を置いて家を飛び出して別の女と暮らしてしまったり、あっちゃんと二人で老人を訪ねたり、老人が亡くなったり、東京に就職活動に行ったり、といった細々とした日常が描かれている。

そして、その中で、主人公はこれまでの人生を考える、というものだが・・・。正直言って、あまりぴんと来なかった。

心に龍をちりばめて

文藝春秋

2008年12月25日読了

買ってあったのだが、ずっと読みそびれていた本。年末にまた読書を始めて、机の上に放置してあったこの本を読んだ。装丁は女性の背中ですね。タイトルの横には、"Miho the Dragon Heart"と書かれています。

今回はまた「私という運命について」と同様に女性が主人公。それもフードライターとして自立した生活を送り、政治記者のエリートの恋人がいる。さらに主人公の特徴となっているのが「美貌」であるということ。いかにも白石一文の小説の主人公。

ストーリーは、美帆が幼なじみである優司と再会し、恋人の丈二は政治家を目指すがその不誠実さに美帆が気づく、という一言で言うと身も蓋もない話。

ちなみに、再会した優司は背中に龍の彫り物をしており、やくざになっていた、という設定。正確に言うと足は洗っているが。

登場人物はそれほど多くなく、また、中心人物の3人以外の人物はそれほど深く描かれていないので、全体的にあっさりとした印象を受けた。丈二の出自の問題、優司が美帆の弟を助けるエピソードなども書かれているが、それがストーリーにどのような意味を持っているのか消化できなかった。

しかし、主人公が「美人ですが、何か?」と1ページにわたって啖呵を切るシーンはなかなかすごい。

・・・美人だから何だっていうんですか。私は努力してこの顔に生まれたわけじゃないし、別にきれいに生まれたいと望んだ覚えもありません。ただ、人より多少整った顔に生まれてしまった。それだけのことです。・・・

確かに年齢を重ねてみると、容姿は人生に大きな影響があるとは思うものの、若い頃ほどは重大だとは思わなくなってきた気はする。家が金持ちか貧乏か、といったようなものと同じかも知れない。なので、案外美男美女にとっては「私は、これまでこの容姿で得をしたことも何度となくありますが、それ以上に損もしてきたんです。(美帆)」という程度のことなのかも知れない。

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け

講談社

2009年3月5日読了

白石一文の久々の新刊、本屋でも目立つように置かれていて、上下一括購入。

このデザイン、賛否が分かれるところでしょうが、一時のあのプラスティックの絵本のような装丁よりずっと良いですね。色合いも良い。

しかし、読み始めてみると???。

???。

なぜか知らないが、登場人物の名前がカタカナになっている。たとえば、主人公は「カワバタ」。ただでさえ、私は人の名前を覚えるのに苦労するので、小説を読むときは大変なのに、これは厳しい。何度も前に戻る羽目になった。何かの意図があるのかも知れないが、実用上の理由で、やめてほしい。困った。

ストーリーも???。

いきなり冒頭は、主人公のカワバタが、雑誌のグラビアに載せてやるという仕事との交換条件で新人グラビアアイドルを抱くというよく分からない展開。

話は一応進んでいくのだが、やたら引用が多く、小説、お話というよりもまるで著者の持論を展開しているアジ演説を聞いているような気がしてくる。もはや小説という体裁さえ保っていないような感じ。

そして、その主張の内容は、格差社会、新自由主義を批判する、といった言いようによっては時宜にかなった内容。つまり、私自身の考え方とは全く反対とも言える。

ということで、気に入らなかったと言えば・・・気に入った。

主人公であるカワバタは冒頭のエピソードからして、どうしようもない人間かというとそうでもない。小さな子供を亡くした経験を持ち、自らは40代にして胃がんの手術をして薬を飲んでいるという背景を持つ。このことが現実に対する冷めた視線になっていて、いろいろなことが見えるし、執着がないので容易に人にだまされない。そう、彼も白石作品にありがちなスーパーマン主人公と言える。

私は「格差社会」という言葉はもともと嫌いで、それを問題視する主張もひがみ根性が浮き出ているものもあって嫌い。結果の平等よりも何よりも機会の平等が重要だと信じている。努力をする人が報われる社会でないとおかしい。ただし、貧困問題については関心があり、最低ラインについてはたとえ自己責任であっても救う必要がある、とは思う。つまり、重要なのは貧困問題であって、格差社会ではない、ボトムラインは改善する必要があるが、トップを引き下げようという発想は嫌い。

しかし、この本を読んで少し考え方が変わった。トップが高くても、格差があっても構わないと思うが、1票の格差ではないが、2倍とか3倍ならともかく、何百倍も所得が違うというのはちょっと行き過ぎではないか。人の価値って、そんなに違うものではないはず。また、一方で貧困に苦しんでいる人がいるところで、それだけの所得を得て何も思わないってどういう性根なのか。

ということで、ボトムラインだけではなく、トップについてもこのままでは問題があるのではないか、と考えが少し変わった。

これはもともと私も思っていたことだが、「機会の平等」という言葉は大事だが、それだけ神聖視することもない。人間は親などの環境でそもそもスタートラインが違うし、持って生まれた才能によって、努力をした結果は同じではない。もっと言ってしまうと、努力できるのも才能。なので、「機会の平等」というのは「みんながんばりましょう」という程度のお題目でしかない。でも、それを認識していればこそ、トップにはトップの自覚が生じるものだし、だからといっていきなり「結果の平等」のみに走るのは極端にすぎる。

結局、差があることだけを持って「格差社会」とひとくくりに、情緒的に議論することが危険なのではないかと思う。

後半になると人の名前が漢字になったりして、最初は単なる「記号」だった人物達が生きた人間になってくる。でも、最後もとってつけた終わり方をします。「この胸に深々と突き刺さる矢」とは何かが明かされます。

ちなみに、この上下で赤と緑の装丁、登場人物がカタカナだったりするところ、20年前にベストセラーになった村上春樹の「ノルウェイの森」を思わせます。何か意味があるのでしょうか。

ほかならぬ人へ

祥伝社

2010年12月20日読了

ついに直木賞をとった作品。初の親子受賞だそうです。

「ほかならぬ人へ」と「かけがえのない人へ」の中編2二本立て。

「ほかならぬ人へ」は名家に生まれながらそれになじめず、キャバクラ嬢と結婚して幸せを探す明生が主人公。しかし、長編ではないせいか、明生以外のなずな、渚、真一といった人物について、深く描かれていないのが残念。また、最後もばたばたばたっと事実関係の説明があって話が終わってしまう感じで消化不良。

「かけがえのない人へ」も最近あった大手電機メーカーの買収が背景になっているようでいてその説明も中途半端で物語との関係もあるようでないようだし、主人公の女性の不倫も全く必然性とか共感がもてなかった。ボーイフレンドの聖司に関してはほとんどどんな人物か印象が残らないし。

直木賞ということでこの作品を最初に読む人が多いかも知れないですが、どう感じるか。この作品が悪いということではないが、「白石ワールド炸裂」という訳ではないからなあ。

しかし、それにしてもどうしてこんなに結婚について否定的なんでしょうね。本当に「うまくいっている結婚」という話が出てきません。

砂の上のあなた

新潮社

2016年9月19日読了

タンザニア旅行中にKindleで読了。

読書が趣味だ、小説を読むのが好き、と言いながら、最後に小説を読んだのは2012年7月2日。実用書はぽつぽつ読んでいたものの、すっかり本を読むのではなく、本を買うのが趣味になってしまっていました。白石一文はすべて読むと決めている作家ですが、これも買うばかり。どこまで読んだのかわからなくなっていて、久し振りに読んだこの本も読み始めて既に読んだことを気がつく有様。

しかし、やはり小説は良いですね。日々の生活に疲れて旅行に行くことが多いですが、小説は一瞬にして心を遠くに連れて行ってくれます。振り返ってみれば、迷ったり、行き詰まったりしているときに本を読んでいたことが多い気がします。どうしようもなくなったときに自分を救ってくれるという意味では、いろいろある趣味の中でやはり読書が一番なのだと改めて思います。そういえば、2012年7月も体調を崩して入院していたころのような気がします。

さて、本作は、またしても女性が主人公。特に前半は「女性」というものをかなり踏み込んで書いています。それが的を射ているのかは男性である自分にはわかりませんが。

ストーリー自体は推理小説のようで、ふとしたところでつながった人間関係がまるで蜘蛛の巣のように絡み合って自分を取り巻いていくことが明らかになっていきます。タイトルの「砂」というのも意味を持っていますが、本書のメッセージはどういう意味でしょうか。一つ一つの人間関係は全体の中の一つに過ぎない、その一方で、世の中はそれで出来ている。身の回りの人間関係だけに拘泥するな、ということでしょうか。

しかし、登場人物達の結婚生活は悉く破綻あるいは問題を抱えていて、白石一文は相変わらず結婚について否定的な気がしますね。

白川道(しらかわ とおる)

天国への階段

幻冬舎

2001/4/26読了

幻冬舎創立七周年記念特別作品だそうだ。幻冬舎のWebを見ていたら、黒谷友香のこの本に関する感想文が載っていた(本の裏表紙にも載っている)。本屋に行っても目立つように置いてあった。上・下に分かれており、1冊もページが二段になって字が並んでいる。これは本好きにはたまらない。

主人公は、柏木圭一という実業家である。彼は一代にしてカシワギ・コーポレーションという企業グループを築き上げた男である。政界への進出も目論んでいる。しかし、彼には過去に負った心の傷があった。

清掃会社に勤めていた前科を持つ及川という男が何者かによって殺される。この殺人事件を端緒に、柏木の歯車は狂い始める。

舞台は東京と、北海道。登場人物は柏木をはじめ、彼を慕って運転手に応募してきた本橋、柏木と同業で国会議員の江成の家族、及川事件を追う警察の桑田と清水を中心に進んでいく。

一人の男の深い挫折とそこから這い上がって築き上げた栄光、そして小さな過ちが、ほころびから次第に大きな亀裂となって、磐石な秩序を破壊していく。この物語の主な登場人物は誰もが美しい心をもちながら、そして正しいことをしようともがいているにも関わらず、他の人物を後戻りできない状況に追い込んでいく。

読み終わったとき、ジーンとして目頭が熱くなり、放心状態になってしまった。最後の部分の手紙はクライマックスである。

・・・今、これを読んでいる未央の驚く顔が目に浮かびます。未央が肌身離さず首に吊るしているガーネットのペンダント。そっと手を触れてみてください。きっとお父様の心が伝わってくるはずです。・・・

どうも私は、こういう「モノ」のエピソードに弱いようだ。

全体として、及第点だし、今年読んだ本の中で一番良かった。ただ、少し物足りなさを感じる。柏木の挫折の深さがちょっと書き込み足りない。最後の桑田の疑問ももっともである。柏木のいるビジネスの世界のストーリーももっと構築しても良いように思った。

何よりも、人が多く死にすぎる。死は全てを終わらせてしまう。物語が進むに従って、登場人物間の歪が大きくなり、修復不可能となってくる。それがどのように解決されるのか、未来へ継続する着地点を見つけるのかを読者は期待して読みすすめるのだと思うが、死を解決方法にしてしまうのは・・・。死を選んだ者の意味、理屈よりも、残された者にとっての解決を残して物語を終えて欲しかったと思った。

高倉健

南極のペンギン

集英社

2001/4/14読了

これは絵本である。絵を書いているのは、唐仁原教久であり、私の大好きなイラストレーター?である。この人が書いた絵は、線を中心としたとてもシンプルで、素朴さと洗練さを兼ね備えているのだが、本書ではなんとカラーで書いていて、絵の手法も少し違うようだ。

本の内容は、健さんの世界中での経験を語るという内容で、期待に違わないものである。だが、この本は、誰を対象にしたものなのだろう。丁寧に振り仮名が振ってあるのだが、子供にわかる内容なのかな?

手嶋龍一

NHKの元ワシントン支局長。

ウルトラ・ダラー

幻冬舎

2006年6月読了

パルコブックセンターで平積みされていたのを見つけて買った。「これを小説だと言っているのは著者だけだ!」という帯が着いている。また、フィクションだと思われるところは本当で、本当だと思うところはフィクションだ、なんてことも言われているようだ。

本書は北朝鮮が偽ドル札を製造し、その利益でミサイルを入手しようとする、というストーリーである。「ウルトラ・ダラー」とは、きわめて精巧に作成された偽ドル札の名称である。

日本から腕の立つ彫刻職人が消息を絶つ。そして、スイスからは紙幣製造用の精巧な印刷機が、香港に出荷された後、どこかに横流しされてしまう。さらに、アメリカではドル札用の特殊な紙が盗まれてしまう。それから何年も経ってから、突然ダブリンで精巧な偽ドル札が現れる。

日本の偽ドル検知器の製造会社には不明な輸出の疑いがかかる。偽ドル札封じの切り札としようとしたICタグの技術者には、韓国の技術者が忍び寄る・・・。さらに、日本の外務省のアジア太平洋局長にも北朝鮮の手が伸びる。

北朝鮮のねらいは、偽ドル札にとどまらない。その偽ドル札で得た利益で、ミサイルを入手しようとする。ウクライナから流出したミサイルをパリで受け渡しをする。

つまり、著者がこの本で主張する構図はこうだ。北朝鮮は不正に入手した技術者や製造装置、材料で偽ドル札を製造し、その利益で、ウクライナから流出したミサイル技術を入手しようとしている。実は、中国もこのことを裏では支援している。中国は台湾との間で有事が生じた場合、日本が介入することを嫌っている。そのため、北朝鮮が日本を脅すことによって、日本が動けないように牽制しておきたい。そして、日本の企業、外務省まで、北朝鮮、中国の影響が深く及んでしまっている。

ちなみに、小説の主人公は、表向きはBBCのラジオ特派員、実はMI6のスティーブンである。スティーブンは日本語に堪能で、日本人の恋人がいるという設定である。ただし、この本は小説としては今ひとつの印象。書きたい「事実」のために構成された小説という面は否めない。特に最後の部分はまさに蛇足というしかないと思う。もっと丁寧に書くか、あるいは全くなかった方が良かったと思う。また、衒学的な表現が随所にあって、鼻につくところもある。あくまでも北朝鮮問題の真に迫る本、というとらえ方をしたほうがよいかもしれない。

この本を読んだ後、ウクライナからイラン・中国にミサイルが流出し、その一部が北朝鮮に流れたのではないかという報道がなされ、同国を訪問した麻生外相もウクライナの対中武器輸出に懸念を表明している。そして、北朝鮮のミサイル発射。小説のできはともかく、今、一読の価値がある本と言える。

天童荒太

永遠の仔(えいえんのこ)

幻冬舎

1999/8/20読了

上下に分かれており、上巻422ページ、下巻490ページ。細かい字で二段で組まれている。またもや活字好きにはたまらない本。

ベストセラーになって随分経っていた本。本屋でもいつも見て知っていたが、いかにもペンネームといった人工的な著者の名、不気味な装丁に近寄り難かった。上を買ってからも序章を読んだだけで、あまりにも暗いので読むのをやめてしまった。しばらくたって、上だけの本を置いておくのも将来に禍根を残すので、はんば義務的に読みはじめた。ところが、読みはじめると止められず、会社に行くとき、昼休み、帰るとき、寝る前、一気に読んでしまった。といっても一週間くらいかかってしまったが。

四国の双海病院の児童精神科と多摩桜病院の老年科、20年前と現在。2つの場所を対照的な舞台としながら、物語は進んでいく。人を傷付けないために、思いやる気持からの嘘から生じる苦しみ、どうしようもない、出口のない状況の中で、必死に生きようとすることから生まれる悲劇の連鎖、この本の世界が作る世界は重苦しい。しかし、この物語のベースに流れるのは著者の人間に対する暖かい視点であり、それが一人一人の登場人物に対する共感を感じさせる要因となっている。何人も登場する脇役ともいうべき人物の人生や言葉、それが何枚も織り込まれて優希、笙一郎、梁平の三人の物語を進めていく。

下巻の後半になると、伏線として編まれていた事実が予想外の真実として次々と明らかになっていく。どうしてもすれ違ってしまうそれぞれの思い。

読み終えて、改めて題名の意味が深く心にしみとおる感じがした。本の帯には、山田詠美、宮本輝、村上龍、小池真理子というそうそうたるメンバーが感想を連ねているのは、それだけこの作品が深い内容を含んでいるからだろう。それにしても、作家というものの物語を作り出す能力には驚嘆する。

あふれた愛

集英社

2000/11/11読了

土曜日の朝、テレビを見ていたら、本の紹介をやっていて、この本のことにちらりと触れていた。永遠の仔は良い本だったので、早速近くの本屋で買ってきた。4つの中編から構成されている本なのだが、本を買った帰りに寄った喫茶店で、コーヒーを飲みながら1編を読んでしまい、家に帰ってその日のうちに残り3編を読んでしまった。

それぞれ違うストーリーながらも、永遠の仔と同じように、不安、自責、孤独といった心理をとりあげている。また、状況の描写、風景の描写はきめ細かく書かれていて、とても美しい。

すっと読めてしまったが、やはり中編だからかもしれない。1つ1つの物語は、必ずしも暗いものだけではないこともあり、読み終わった後の印象はそれほど強くなかった。

ちょっと変わった感想だが、本の最後の謝辞がとても良い。2ページしかない文章だが、この本を買ってよかったな、と思わせる心地よく、暖かい文章だと思った。

少年とアフリカ

文藝春秋刊

2001/3/3読了

なんだかあっさりとした明るい長細い本が置いてあると思ってみたら、天童荒太と坂本龍一と書いてある。なんじゃこりゃ?と思ってみたら、なんと二人の対談である。坂本龍一と村上龍のエッセイ&写真集なんてものを読んだこともあったので、買ってきて、その日に読んでしまった。

どちらかと言えば、坂本龍一がしゃべり、天童荒太が合いの手を入れたりする調子である。ありがちな対談のようにお互いに調子をあわせて進めていくのでもなく、平行線のように思える部分もある。かといって、衝突するかと思うと、どんどん話が進んでいっているのがおもしろいところ。

内容的には、小説のこと、音楽のこと、昔話、政治、科学、教育、と多岐に渡っていて、おもしろい。芸術的、というより社会的なテーマが多い。こんな話は非常に面白いし、意見にも共感するところ多だった。こういう大人ばかりだったら面白いのに。

---個性を持つということは、なぜいま自分がそうしているのか、どういう位置にいたいのかを常に意識し、その結果起きることのもろもろは、自分で引き受けるということだと思うんです。---

天童荒太

家族狩り 第一部~第五部

新潮文庫

2004年8月読了

結構反響を呼んでいたらしく、本屋でもよく見たのだが、時間がなくて読めなかった。夏休みにまとめ読み。

「家族狩り」という同名の作品があり、それを文庫本にする際に「完全に」書き換えたというものである。また、第一部から第五部までの五冊に分かれているが、毎月一冊ずつ刊行されたそうだ。各冊に後書きがあるという工夫もある。物語の各章にも章番号ではなく日付が書かれている。

ストーリーは途中から結果が見えてくるものの、この先どうなるのかが気になって気になって、ページをどんどん進めてしまう。

物語としては、誰かが主人公というのではなく、高校教師の須藤俊介、刑事の馬見原光毅、児童相談センターに勤める氷崎游子、女子高生の芳沢亜衣といった主人公級の登場人物の物語が並行して進んでいく。「家族狩り」というタイトルになっているが、テーマは家族であり、親子、夫婦の人間関係が物語の主軸をなしている。須藤の親との関係も複雑で、それが彼の家族観に影を落としているし、馬見原は息子の死をきっかけに、妻は精神を病んで入院し、娘とは絶縁状態にある。

もう1つテーマとなっているのは、「世界」というか「戦争」というか、国際レベルで起きている悲劇であり、家族という小さな単位の悲劇と、世界レベルの悲劇は無関係のものではないのではないか、というのがメッセージとなっている。

テーマは重いし、問題意識はわかるものの、何か解決なり救いが提示されるわけではないので、自分の中でまだどのように消化すればよくわからない。

悼む人

新潮文庫

2009年1月12日読了

帯に「七年の歳月を費やした著者の最高到達点!」と書いてあって、永遠の仔以来のすごい作品化と期待して買ってきた。ただし、装丁は舟越桂の彫刻の写真で、真正面からの写真なので永遠の仔より不気味な感じがする。天童荒太は船越桂の彫刻が好きらしいが、個人的にはちょっと・・・。

読み始めると、厚い本にも関わらず引き込まれてどんどん読み進んでしまうが、かなり変な話だと感じた。タイトルの通り、主人公静人は「悼む人」で、人が亡くなった場所を訪れては、その人が「誰に愛され、また誰を愛していたか、どんなことで人に感謝されていたか」という3点を周囲の人に聞き、悼む仕草を行う、という旅をしている。ひたすら、どこでどのような人が亡くなったので悼みを行う、という話が続いているのが物語の1つの軸。

それに、静人の家族として、癌を患っている母、それを支える父、妹、そして静人の従兄弟の物語が並行して進んでいく。さらに、低俗な週刊誌記者である蒔野抗太郎、夫殺しをしてしまった奈義倖世が静人と交わることによって、影響を受けていく。

静人がなぜそういった行動を取るのかは物語で語られるが、天童荒太のメッセージである、人の死はどれも平等だ、という思想に共感できるかどうかによって、この本が受け入れられるかが決まると思う。私自身は共感でも反感でもなく、ちょっとどう考えて良いか戸惑い気味。

静人は(そうして著者の考えでもあろうが)、どんなちっぽけな死、悪者の死でも悼むことにしている。しかし、これが単なる極端なヒューマニズムかというと、ちょっと違う。静人は前に挙げた「誰に愛され、また誰を愛していたか、どんなことで人に感謝されていたか」のみを記憶に留めようとしており、たとえば殺された人を悼む際に、犯人が許せないとか、そんな死に方をしてかわいそうだ、という感情からはあえて自分を切り離している。そうでないと自分が持たないから、ということらしい。つまり、無関心でもなく、同情でもなく、悼むのみの人である。

私は、テレビを見たり、新聞を読んでいたりしても、最近は罪が全くない女性がむごい殺され方をしたりしていて、本当にかわいそうだと感じる。一方で、その他たくさんの多くの人が亡くなったことについては無関心ですらある。いわば静人はそういったことと対極にあるといえる。

どう考えれば良いのか、意識の中の片隅において、毎日のように報道される死をどう考えればよいのか考えてみたい、と思わされた。

万人受けする話ではないなあ、と思っていたが、直木賞を取ってしまった。

中島らも(なかじま らも)

らもさん、死んじゃいましたね。いかにも「らしい」死に方だったようにも思いますが、残念です。

中島らもの明るい悩み相談室

朝日文庫

2000/11/18読了

パルコブックセンターで見かけて、すぐに買ってしまった。朝日新聞に連載されていることから大好きだったシリーズである。

内容は、中島らもに寄せられた「明るい悩み」に答えるQ&Aである。とにかくこれが面白い。悩みの内容もおもしろいし、中島らもの答えも、いろいろな経験や知識に裏付けられた「くだらなさ」なので最高に面白い。本を買った後、食事をしながら読んでいて笑ってしまって困った。

これは第一弾であって、1~7まであるようだ。早速読んで行こうと思う。

本当に最高です。私のツボにはまってます。「犬のごはんまでのぞく隣人」なんておもしろいし、「キス離れはお早めに・・・・・・」なんて、質問自体ユーモアがあっておもしろい。

蓮見圭一(はすみ けいいち)

水曜の朝、午前三時

新潮社

2004年2月読了

白石一文の「見えないドアと鶴の空」を買うときに、近くに装丁のきれいな本があったので買ってしまった。

形式的には、女性翻訳家が自分の娘に残したテープや手紙によって話が語られるというものである。テープや手紙は病院で書かれたり録音されたものなので、ところどころに病院の様子、ガンで亡くなった子供とその親の話などが挿入されている。

構成としては、かつて話題になったマディソン郡の橋に似ているところがある。

さて、舞台は1970年の万博である。その女性翻訳家、直美は、東京の名門の家の出で許嫁まで決められてしまっているのだが、その窮屈さから脱しようと万博のコンパニオンとなって大阪に行く。

そこで臼井という男と恋をし、実りそうになるのだが・・・、残念ながらとある事情から突然の形で終わってしまう。その後も直美はその思い出を残しながら、というよりもかなりはっきりとその関係を残しながら生きてきた、という告白である。

Webで感想を見てみると、その「とある事情」の書き方に問題があるとか、ストーリーが大したことがないとかあまり評判も良くない面もあるようだ。だが、私はこれでいいんじゃないか、と思う。小説だからと言って波瀾万丈のストーリーである必要はないし、どこにでもありそうな平凡なことからも何かの気づきはあるものだと思う。そういえば、何かそのようなことを高校時代の私の読書感想文に対して国語教師に言われたことがある。

何よりも、1970年の日本、万博に沸く日本が生き生きと描かれているところが印象的。また、後半で、直美が自分の人生を総括して、娘に残す言葉もいい言葉だと思う。

・・・ただ漫然と生きていては何も見つけることは出来ない。でも、耳を澄まし、目を見開いて注意深く進めば、きっと何かが見えてくるはずです。・・・迷ったときは急がずに立ち止まりなさい。慌てたって、いいことは一つもないのです。物事を理性的に、順序立てて考えるのは悪いことではないし、勉強や読書は常にあなたの助けになってくれるでしょう。でも、これだけは忘れないように。何にもまして重要なのは内心の訴えなのです。あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間として、どんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか、それともやむにやまれぬ本能の訴えなのか。耳を澄まして、じっと自分の声を聞くことです。歩き出すのは、それからでも遅くはないのだから。

ちなみにタイトルの意味は読み終わっても完全にぴったりする内容があるわけではなく、疑問に思っていたが、歌のタイトルらしい。

心の壁、愛の歌

角川書店

2006年12月読了

本の帯には、「絶賛の声」とか、「広がる感動の声」なんて書いてある。多分、あまり本を読んだことがない人の感想ではないかな、と皮肉も言いたくなる。ただ、そこまで絶賛するかは別として、良い小説で、楽しめます。

これは短編集で、「心の壁、愛の歌」、「夜光虫」、「テレーゼ」、「結構な人生」、「アーノンクールのネクタイ」、「ハッピー・クリスマス、ヨーコ」という6作を納めている。どれもスタイリッシュな都会的な作品、というのではなく、バラエティに富んだ作品が収録されていて、著者の幅の広さを語っている。

特に意外だったのは「夜光虫」と「テレーゼ」で、太平洋戦争を扱っている。「ハッピー・クリスマス、ヨーコ」では父親の一人語りという形式だし、「結構な人生」も特殊な病人を扱う異色の作品。

原寮(はら りょう)

さらば長き眠り

ハヤカワ文庫

2001/4/19読了

原寮とは、非常におもしろい作家である。ジャズ・ピアニストだったのだそうだ。現在は、佐賀県の鳥栖に住んでいるのだそうだ。

Chandlerの影響を強く受けて小説を書き出したそうで、本書のタイトルも、「さらば愛しき女よ」、「長いお別れ」、「大いなる眠り」というChandlerの作品のタイトルを思い出させる。本書は「沢崎」シリーズの第三作にあたる。

主人公は、新宿で私立探偵をやっている沢崎という男である。元のパートナーの名前をとった、「渡辺探偵事務所」に勤めている。彼が400日ぶりに東京に帰ってきて早々、事務所に浮浪者が寝ているのを発見し、そこから事件が始まる。11年前の高校野球での八百長疑惑に関連して、自殺した姉について調べて欲しいと言う依頼者にたどり着く。

最後の部分といい、どうして沢崎が犯人や真相に気がつくのかは唐突な気がするが、そこはChandler的な小説とすれば、本質ではないのだろう。

Chandlerの小説では、Marloweという、金持ちではないが正義感を持つ主人公と、金持ちだがどこかおかしくなってしまった上流社会の衝突が物語の背景としてある。一応、能の世界がとりあげられているのだが、どうも緊張感が弱いように感じる。最後にしか出てこないし。また、Marloweはとってもセンチだったりするが、沢崎はいつもクールである。主人公と対置されるヒロインがいないのもちょっと物足りないかな。

第一作から問題となっている「渡辺」の問題の解決も、あっけなさ過ぎるように思う。

全体としては、よく出来た小説だと思う。

原田宗典(はらだ むねのり)

人の短編集

角川文庫

2000/2/6読了

最近、住居のスペースの関係で、努めて文庫に目をやることにしているが、きれいな装丁に引かれて買ってしまった本。

内容的には、短短編といった感じでさらさらと読めるし、それなりに楽しめる。ちょっとひねりが入ったものもあるし、いかにも短編と言う感じ。

何といっても気に入ったのは、写真。短編の1つずつのはじまりに挿入された写真が気に入った。カレンダーがあったら是非買いたくなるような、白黒できりっとした写真が入っている。単なるデザインというわけではなく、短編の内容とちょっとかけたような写真が多い。久山城正という写真家のようだ。

春江一也(はるえ かずや)

在チェコスロバキア日本国大使館員として「プラハの春」を目撃してその第一報を日本に打電、その後東西ベルリンの日本国大使館及び総領事館に赴任した経験を持つ外交官だそうだ。

プラハの春

集英社

1998読了

春江一也のデビュー作。平積みにはなっていなかったのだが、厚い上に美しい装丁の本で、六本木の青山ブックセンターで見かけてすぐに買ってしまった。

在チェコスロバキア日本国大使館員の堀江亮介は、ウィーンで休暇を過ごした帰りのプラハへの路上で、車が故障して立ち往生していた母娘をプラハまで同乗させることになる。その母娘、カテリーナ・グレーベとシルビアは、チェコスロバキア人ではなく、日本と国交を持っていなかったDDR(東独)人であった。

チェコスロバキアでは、「人間の顔をした社会主義」を目指した「プラハの春」という政治的な改革が進んでいく。亮介もカテリーナもそれぞれの立場からこの改革に関わっていく。しかし、次々と打ち出される改革は加速し、これに危機感を持つソ連、DDRをはじめとする共産圏の国々との緊張は限界に近づいていく。そして、1968年8月20日夜、プラハのRuzyne空港には突如としてソ連の軍用輸送機アントノーフが爆音とともに次々と飛来し、DDR、ポーランド、ソ連、ハンガリーとの国境では、ワルシャワ条約機構軍の戦車隊が国境を突破してチェコスロバキアになだれ込む。

国の主権というものの大切さと、それが踏みにじられてしまう理不尽さについて考えさせられる。最初のほうは、やや堅さを感じたが、進むにつれ、ぐいぐいと引き込まれる。ストーリーも迫真である上、亮介、カテリーナ、チェコスロバキアの人々といった登場人物も魅力的である。

本は辞書のように厚く、小さい字で二段で書かれている、という活字好きの私にはたまらない外見。このような、経験から書かれた本の場合、一作切りになってしまうものだが、なんと第二作「ベルリンの秋」が出た。

最近文庫が出た!!是非おすすめ。

ベルリンの秋

集英社インターナショナル

1999/9/13読了

「プラハの春」に続く物語。今度は上下2冊に別れており、二段にはなっていないが、やはりおすすめ。本屋でも目立つように平積みにされており、きっと好評なのだろう。

堀江亮介は、プラハを去り、東京で外務省職員として働いている。プラハの春以降、東欧は再び共産主義による抑圧された社会へ後戻りしてしまっている。しかし、DDRの内部では、ソ連体制の崩壊を予言する極秘文書があるグループによってまとめられていた。

1973年、堀江亮介は日本が新たに国交を樹立したDDRの日本大使館への赴任が命じられる。一方、美しく成長したシルビアはDDR外務省儀典局に勤務していた・・・

前作「プラハの春」で登場した人物が再び登場し、舞台を東西ドイツに転じて物語は進んでいく。国家治安省「シタージ」によって監視されたDDR内部における、密かな活動。歴史は進み、1989年11月9日、遂にベルリンの壁は崩壊する。

東独というと、東欧の優等生で、オリンピックでメダルを取りまくった国という印象しかなかった。また、西ベルリンという、壁に囲まれた奇妙な都市が東ドイツの中に存在することを知ったのは中学生か高校生ぐらいのときだったように思う。ハンガリー動乱を起こしたハンガリー、プラハの春を起こしたチェコスロバキアに比べ、東独の崩壊は突然だったように思っていたが、やはり一つ一つの出来事には、それにつながる伏線というものがあるのだろう。

物語としては、シルビアがどうなってしまうのか心配で心配で、焦って読み進めてしまった。シルビアが単純なほど一途に描かれているのに対し、それを正面から受け止めて展望を描かずに、その場その時の運命に何となく流されてしまうような亮介の優柔不断さには違和感を感じた。前作「プラハの春」よりも長い時間にわたって物語が進行することや、亮介も年を取っていることもあると思うが、亮介自身の政治へのコミットも抑制的で受動的に感じた。

読んでみて、ドイツ、そしてベルリンに是非とも行ってみたくなった。

最近文庫も出た!!是非おすすめ。

カリナン

集英社文庫

2006年1月2日読了

「プラハの春」、「ベルリンの秋」に続く作品だが、堀江亮介の物語としては、次の作品「ウィーンの秋」が続編に相当しており、この「カリナン」は主人公も別となっている。ただし、このカリナンにも少しだけ、堀江亮介が登場する。

主人公は、柏木雪雄、獄中にいるシーンから物語が始まる。大銀行の役員として次を狙っていたはずの主人公は、バブル崩壊に伴う銀行の破綻の責任の一端を被って獄中生活を行っている。獄中生活の夢の中でかすかに思い出すのは、幼少のときのフィリピンの思い出だった。すべてを失った自分が行くところはそこではないか、と考える。

柏木が生まれたカリナンとはフィリピンの南部、ミンダナオ島のダバオ近郊の町の名前である。かつてここには多くの日本人が移住し、アバカと呼ばれるマニラ麻を育て、発展していた。しかし、第二次世界大戦の開始、そして終戦によって、日系人の社会は崩壊してしまい、父母を失った幼少の柏木は日本に戻ることになる。そして、フィリピン人には日本人に対する反感だけが残ってしまう。

幼少育ててくれた女性「イナ」を探して柏木はダバオを訪ねる。一方、ダバオに住む「イナ」の孫娘は、弱っていく祖母の願いとして、柏木を探し出しはじめていた。この2つの物語が交わるまでが1つのストーリーである。

邂逅を果たした後の柏木は、カリナンでストリートチルドレンを助けることに、残りの人生の意味を見いだすのだが・・・。

ストーリーの中で、ダバオの日本人社会、戦争に巻き込まれるフィリピン、フィリピン人の日本人観も説明されていく。ただし、著者のフィリピンに対するまなざしは、一方的にフィリピンに対する日本の責任をえぐり出す、というのではなく、冷めているとも言える。フィリピン人自身の問題にも容赦ない。

はらはらして、先へ先へと読み進んでしまうが、ちょっと後半はどうかな、と思った。ストリートチルドレンの話はなんとなく中途半端で、もっと掘り下げるか、あるいは書かないかのほうが良い気もした。また、主人公とアリシアの感情、最後のシーンも蛇足というか、とってつけた気がする。書きたいテーマを書くために、ストーリーでつなげたという印象がぬぐえない気がする。

これまでフィリピンという国を全く知らなかったことを思い知らされた。韓国、中国、台湾、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、といった国々に比べて、フィリピンのイメージは薄い。近い国なのに、まわりに観光に行った人も少ない。ただ、戦地になったことは確かだし、沖縄と同じようなことが起こったことも容易に想像できる。貧富の差がひどく、人心もすさんでいて絶望的なフィリピンの現状。楽園のような亜熱帯の美しい自然。また、いつものパターンだが、実際に行ってみたくなった。

ちなみに、本書で触れられているダバオのストリートチルドレンの保護施設はHouse of Joyとして本当に存在するようだ。

ウィーンの冬

集英社

2006年1月1日読了

堀江亮介の物語として、「プラハの春」、「ベルリンの秋」に続き、中欧三部作の完結編、という位置づけだそうだ。舞台はウィーン。

またもや500ページを超える本でたまらない。装丁もなかなかかっこいい。

海外勤務を終えて日本に帰ってきた堀江亮介は、外務省から外郭団体に突然出向を命じられてしまう。腐っていると、なぜか突然ウィーンへ行くように誘導される。何かの策略を感じながら、それに身を任せてウィーンに行くと、待っていたのは予想外の任務であった。

ソ連崩壊後の武器の流出、日本のカルト集団の不穏な動き、中東のテロリスト、これらの要素がウィーンで絡み合っていく。

前作ベルリンの秋で出てきたシルビアにも触れられるが、え?これでいいのか?と思うような触れられ方。あえて触れる必要があるのか、という気もするし、そもそも主人公が堀江亮介でなくてはいけないのか、という気もする。さらに、そもそも、堀江亮介がストーリーというか事件の解決にあんまり関係がない気もする。そう言った意味で、舞台が準備されたものの、人のストーリーが描き切れていない気がした。サビーネの人物像も弱いし、亮介の弟洋三が巻き込まれた事件もストーリーへの連結が弱い気がする。

さて、ウィーンは2回ほど行ったことがある街で、日本人のイメージからすると、音楽の都、とか華やかな印象があります。しかし、この物語では、テロリストや各国の諜報機関が暗躍する最前線といった描かれ方をしている。ジョン・ル・カレの、たしか「パーフェクト・スパイ」でも同じような描かれ方をしているから、この物語のための設定というよりも、本当にそうだったのだろう。

カリナンと同様、書きたい設定のためにストーリーをつけているような気もする。その書きたい内容とは、日本の外務省、警察に対する歯がゆさというか問題意識である。国益追求や危機管理がまるでできていない、ということである。そういった点は、現在の日本の外交状況から、確かに共感できる。また、日本のカルト教団というのは明らかにオウムをモデルにしていて、その点でもあの事件から10年経つ日本や自分について考えてしまった。

上海クライシス

集英社

2006年5月読了

中国を舞台とした新作。575ページ。たまらない。

「在上海総領事館員自殺事件」を題材にしたフィクションだとされている。ただし、基本的な構図や舞台を借りただけで、内容は本当に全くのフィクションなように感じる。

プロローグから衝撃的で、中国のウルムチで自爆テロが起きるところから始まる。生き残った少年がアフガニスタンに逃れて戦死になり、その妹は上海に出てくる。そこに日本から派遣された大使館員が絡んでいく。

テロリストを必死に追う中国の公安、さらには党内の権力闘争が絡んでいく。

舞台設定としては十分すぎる。展開もスリリング。しかし・・・。

カリナンでもそうだったのだが、人物の描写が弱い気がする。主要登場人物間の重要な接点である恋愛についても、ただ会っただけで強い恋愛感情に発展する、という極めて唐突感があるもの。さらに、またまたラストが弱い。竜頭蛇尾というか、ストーリーの終わりが近づくと、急に話が説明調になり、シナリオの台本を読んでいるようになる。不要な人物はあっさりと殺されてしまい、恋愛は陳腐な週末を迎える。最後のオリンピックの話は、お話という面からはない方が良かったかも知れない。この構図について書きたいというなら別ですが・・・

どうも、またまた小説の体裁で国際政治を書きたいのか、国際政治を舞台にして小説を書きたいのか、中途半端になってしまっている気がする。温という青年の話もストーリーにどういう関係があるのか不明だし。

着想は良いのに・・・もったいないなあ。

東野圭吾

片想い

文藝春秋

2001/4/8読了。

東野圭吾という作家は、たくさん本を書いているようだが良く知らなかった。ミステリ物が多いようだ。いつものように、装丁の美しさに惹かれて買った。

「片想い」というありがちなタイトルがついているが、恋愛小説とはちょっと違っていて、なかなか複雑である。性同一性障害とか、半陰陽とかテーマとしては単純な恋物語ではない。

プロットもよく練られているし、話の筋も複数織り込まれてそこそこ面白いのだけど、ちょっと惜しい。主人公哲朗の目のエピソードなど、ちょっと安直かな、と。哲朗と安田の関係などももっと膨らませられるのにな、と思った。

本多孝好

1971年生まれの若手作家。

MISSING

双葉文庫

2002年読了。

いつも回遊しているパルコブックセンターで、目立つように置いてあったので、読んでみた。若手作家で、私と変わらない年齢なので、どんな小説を書くのだろうと思った。

MISSINGは、300ページちょっとの中に5つの短編が収録されていて、1つ1つも無駄のない良くできた短編である。

著者が若いせいか、出てくる主人公や女性も大学生だったり、高校生だったりする。そういった意味で、ちょっと「青春」を思い出させるものがある。

収録されている中では、「瑠璃」がとても印象的。途中までで十分に完成されているのに、さらに付け加えられている最後の部分もなかなかいいし、ぐっと来る。その中の、主人公と、小さな甥との会話の部分。

「うん。だから、ねえ、続き」
「お話より、おもしろいことがある」と言って、僕は甥に耳打ちする。
「でも、だって、そんなこと、見つかったら叱られる」と言う割には、その目は話を聞いているときよりきらきらしている。その目の中に瑠璃色の輝きを見つけたと言ったら、ルコ、君は笑うのかな。

ALONE TOGETHER

双葉文庫

2002年読了。

MISSINGに続いて、今度は長編小説。

主人公はまだ医大をやめて間もないという若い男性という設定。中学生を対象とした塾で働いている。ストーリーは、やめた医大の教授が、14歳の女子中学生を守ってくれ、と主人公に依頼するところから始まる。主人公は相手の心をコントロールする超能力のようなものを持っていて、少しSFっぽいところもある話である。

小説が自分に合うかどうかは、情景の描写が自分の感覚にあっているかが大切だと思うが、この小説の場合は、書出からピンと来るものがあった。

風向きが変わった。僕の頬を湿った風が撫でていった。風は梔子の香りを乗せていた。僕は開け放たれたガラス戸から続く庭を見遣った。金木犀、椿、梔子、百日紅。小さな庭に整然と植えられた木々があった。狭い和室の中、黒塗りの机を挟んで、僕も教授も足を崩さずにいた。---

FINE DAYS

祥伝社

2003年読了。

4編の短編を収めている。

この作者は好きだが、横文字の題名というセンスは好きになれない。また、帯に、「『MISSING』の著者が贈る4つのラヴ・ストーリー」なんて書いてあると、書店で手を取るのに躊躇してしまう。

でも、良い本です。「ラヴ・ストーリー」という感じではなく、ちょっとSF的だったり、ホラーが入ったような話が4つ。その中の「イエスタデイズ」も、ありがちな構図だし、結論が見える話だが、とても良く書けていると思う。ちょっと浅田次郎的な味もある。

MOMENT

集英社

2005年読了。

全体としては1つのストーリーだが、4つのエピソードから構成されたシリーズのようになっている。

主人公は病院でアルバイトをしている大学生だが、その病院では、死を前にした人達の願いをかなえる仕事人がいるという噂がある。ということで、その仕事人の仕事がそれぞれの章となっている。

会話が2時間サスペンスドラマのように説明的だったり、ちょっとどうかな、と思った。

真夜中の五分前 side-A

新潮社

2005年読了。

side-Aとside-Bがセットで双子のようになっているので、同時に買った。本の内容も双子について。広告代理店に勤める著者が、「かすみ」という女性に出会うのだが、彼は「ゆかり」という女性と双子。「かすみ」と「ゆかり」は何もかも似通っていて、「かすみ」は「ゆかり」の婚約者に恋愛感情を持ってしまうが、それを振り払うために主人公を利用する。しかし、それが発展していく・・・ところで話が終わる。

全然関係ないが、私の本は、著者サイン本です。

真夜中の五分前 side-B

新潮社

2005年読了。

side-Aから1年半、「かすみ」はスペインの列車事故で亡くなってしまっている。「かすみ」と「ゆかり」で旅行しているときに事故に遭い、「ゆかり」だけ助かっていた。「ゆかり」は婚約者と結婚して生活している。

しかし、生き残ったのは、本当に「ゆかり」なのか?

着想は良いと思うが、小説としてはどうだろう。最後の終わり方もとってつけたようだし、何も残らない気がする。

メッセージがあるのではなく、そのとき楽しく読めるという本も、悪い意味ではなく好きではあるけど・・・。著者によると、「恋愛関係でなく恋愛感情を書いたエンターテインメント小説」とのこと。

三上洸

マリアの月

集英社

2009年10月読了

以前から買ってあって、読まなかった本。挟まっていたレシートを見たら、2007年12月16日に買ったものだった。

この作家の本を読むのは初めてで、ストーリーに興味を持って手に取った。

主人公は洋画家である本庄敦史が、知的障害者更生施設「ユーカリ園」で絵の指導を始めるところから物語は始まる。5人の知的障害者を教えることになるが、その一人が22歳の女性、河合真理亜である。彼女は幼少期の事故で頭部を打った結果、知的障害者になってしまい、聞くことはできるものの、読み書きも話すこともできない。

ところが絵を描かせてみると、真理亜はすごい勢いで絵を描き始め、それも大変精密な具象画で、本庄も衝撃を受けてしまう。言語を失った影響か、真理亜は直感像記憶(カメラアイ)の能力を持っていることが分かる。

真理亜の画才は知れ渡り、マスコミも注目していくことになるが、あるとき真理亜は凄惨な殺人現場の絵を描く。実際に見たことしか書けず、カメラアイの能力を持つ真理亜の絵は過去の事実に違いない。

そこからその殺人を隠そうとしている勢力との戦いになる。その勢力は、病院だけではなく、政治の世界まで広がっていた。そしてもう一人、真理亜に強い興味を持つ新聞記者が1人。その男小田島は、仕事を続けながら、行方不明となったかつての婚約者の真相を探し続けていた。そして最後は息つく間もないアクションシーンに突入していく。

プロットは完璧。491ページの分量も読み応えがあり、一晩で読み切った。しかし、ちょっと物足りない感もあり。テーマ設定上、絵についてはよく調べてあり、それは優れた効果になっているが、車についてのうんちくなども盛りだくさんの文章はうっとうしいところもある。

あと、人物の造形にもう少し厚みが欲しかった。主人公である本庄や真理亜はそれなりだが、小田島の14年間ももっと書きようがあったのではないか。小田島が現実に直面する場面は、他のドタバタ劇の中の1シーンになってしまっていて、もっと書きようがあったのではないか、という気がする。指輪の話は良いですが。この本の前に読んだ大崎善生の「スワンソング」で使われているような「泣かせるテクニック」がもう少しあるといいのかな、と思った。

宮本輝

創価学会員だそうです。なんだか読む気がなくなりました。

私達が好きだったこと

新潮文庫

2000/10/29読了。

宮本輝は比較的よく読む作家で、この本も後で読もうと思っていて、買ったものの、読まないままになっていた。

本の帯に「長編青春小説」なんて書いてあったりするのだが、登場人物の年齢は高い。主人公は私と同じ31歳である。主人公は、公団住宅の抽選に当たるのだが、ひょんな経緯から友人の男性1人と、飲み屋であった女性二人の計4人で住むことになってしまう。その4人での生活のはじまりから終わりまでの物語である。

すぐに2組のカップルになってしまい、それぞれにおきるいろいろな事がストーリーの大半を占める。

おもしろいはおもしろいのだけど、終わりかたが唐突すぎるようにも思った。最後の部分のベッドの話の部分は、ちょっと現実味にかけるようにも思うが。

胸の香り

文春文庫

2000/12/11読了。

単行本は場所をとるので、文庫、文庫と探して買ってきた。

7つの作品からなる短編集である。

いずれの短編も、短い中に起承転結を凝縮させた形式のものではなく、あたかも断面を切り取ったような作品である。言い方を換えれば、唐突に始まって、特に結論のようなものもなく唐突に終わってしまうような作品である。

7つの中では、一番最初の「月に浮かぶ」が一番好きかな。

避暑地の猫

講談社文庫

2000/12/23読了。

またまた京都駅で買って、家につくまでにほとんど読み終わってしまった。

しゃれたタイトルの作品だが、中身は暗い。

冒頭で医者が登場するが、その医者の患者の一人が語る物語が、その後の物語となっている。とにかく暗い。善人が登場しない。謎が多く、絡み合っていて、推理小説のようでもあるが、最後はどうでもよくなってきた。主人公の心情も、善に染まっているわけではなく、悪に染まっているわけではなく、とらえどころがない。

今まで読んだ宮本輝の作品とかなり違うように感じた。

葡萄と郷愁

文春文庫

2002年読了。

1985年の10月17日という同じ日、同じ時間に、日本の大学生沢木純子と、ハンガリー・ブダペストのホルヴァート・アーギの物語が同時進行していく。

凝った構成の小説だが、結局は2つの話がかわりばんこに書かれているだけで、つながりがよくわからない。特に、アーギの物語は、最後結局どうなったのかよくわからないところで突然終わってしまったように感じる。それがいいのかな?

真夏の犬

文春文庫

2002年読了。

これは短編集で、著者の幼少期の影響を思わせるような関西らしき地域を舞台にして、少年を主人公にした小説などが含まれている。全体的に設定が、昔の日本のような感じである。可もなく、不可もなくといった印象。

村上春樹

風の歌を聴け

講談社文庫

1999/12/25読了。

忙しくて、忙しくて、本が全く読めなかった中で、本当に3ヶ月くらいぶりに読んだ本。新幹線の中で読もうと思って京都駅で購入したが、あっという間に読み終わってしまった。ああ、読んだ日はクリスマスじゃないか。

1970年、帰省した主人公の夏の物語である。「ジェイズ・バー」というバーを中心に、鼠という友人の男と、バーで知り合った女の子との関係で物語が進む。特にストーリーがあるというでもなく、エピソードが挿入されたり、意味不明のラジオの実況のようなものが入り込んだりして、よくわからない。最初はいきなり文章についての話から始まるし、これがこの物語にどのような意味を持つのかもよく分からない。いろいろな時に書いた文章の断片を無造作に入れたような感じの本。

国境の南、太陽の西

講談社文庫

1999/5/1読了。

主人公が小学生の頃から、30代の半ばまでの話。小学生の頃の、足の悪い同級生の女の子との思い出から物語が始まる。よくできた小説を読むと、しばらくの間小説の世界から完全に離れられず、余韻が頭の中を占めているようなことが起こる。この小説を読んで、久しぶりにそのような経験をした。

一人称の小説では、主人公の感じ方や考え方にいかに共感できるかが小説自体に引き込まれるか否かを決定していると思う。村上春樹の小説はそれほど多く読んでいるわけではないが、何となく、主人公は受動的で決断をせず、言われたことに対して「そうかもしれない」とばかり言っているようなイメージがあり、何となくなじめないところがあった。しかし、そのような「ずれ」はこの小説の主人公に対しては感じなかった。小説の終わりもハッピーエンドといっても良いと思うが、最後の一行までとてもよくできていると思う。

それにしても、カバーにある「日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作」というのはちょっと違うような気がするが。

ねじまき鳥クロニクル

新潮文庫

2000/10/30読了。

第一部、第二部、第三部とかなり分量があり、さらに文庫なので、私にはちょうど良いと思って買ったものの、なかなか読む機会がなく、机の上にたなざらしになっていた。読みはじめたら、一週間くらいで読み終わってしまった。

村上春樹自身の書いたものによれば、これはかなり重要な作品らしい。ただ、正直言って全く理解できなかった。ちょうど「風の歌を聴け」と同じような印象だった。

主人公の妻が出て行ってしまうという事件、ノモンハンの話、ナツメグとシナモンという不思議な親子の話など、複数のストーリーが絡み合っているのだが、それぞれ全体にどのような意味を持ち、どのようにお互い関係があるのかさっぱりよく分からなかった。それ以外にも、細かいストーリーが随所に押し込まれているが、それらの「必然性」がわからない。

私は多分、小説にリアリティや一貫したストーリーを要求するので、この類の本は理解できないのかもしれない。

アフターダーク

村上春樹

2007年1月8日読了。

村上春樹は特別に好きという作家でもないのだが、作風も変化してきているとも言うし、近作は読んでいなかったので、本屋で手に取ってみたところ、私のイメージと文体が全然違うので、買ってみた。

装丁もメルヘンチックなものではなくて、どちらかといえば陰鬱なもの。章ごとに時計が描かれ、一晩という物語の時間を効果的に表現している。

読み始めるやいなや、都市を鳥瞰する「私たち」という変わった表現が出てくる。全体として、「私たち」が都市で真夜中に起こる物語をあちこち移動して、観察する、という構成になっている。そのため、明確な主人公が誰かははっきりしないで、いくつかの登場人物を行ったり来たりするが、時間は真夜中から朝まで、一方向に流れていく。

一番主要な登場人物はマリという気の強そうな若い女性で、そこに若い男が声をかけて物語が開始する。ここはいかにも村上春樹とも思ったが、中国人の売春婦とか、彼女に暴力をふるう会社員も登場する。それらが一晩という時間の中で、交差する。

ウェブでいろいろな感想を読むと、意味がわからないとか、結論がないとかあまり好意的な評価がないようだが、私は結構すいすいと読んでしまったし、楽しめた。一晩という限られた時間で物語を描くという設定だから、もっと長い時間を扱った長編のような結論がないというのも自然だと思う。登場人物一人一人に割り当てられたストーリーも過不足なく印象的で、全体としてうまくまとまっているように思う。

設定自体はウィリアム・アイリッシュの「暁の死線」を思い出す。もちろん、内容は全く違うが、真夜中の都市の雰囲気を生き生きと描いていると思う。こんな調子なら、次の作品も読んでみたいなあ、と思う。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」

講談社文庫

2000/10/7読了。

インターネット上で公開されていた村上朝日堂での、村上春樹への質問メールとその回答が、282選ばれて収録されている。

村上朝日堂は前々から好きだったので、買ってみて、その日のうちにつまみ食いして読み終わった。質問の内容は、作品に関するもの、恋愛、行き方に関するものなど多様だが、ユーモアが聞いていて面白い。

何より凄いというのは、これだけの回答を書くだけのエネルギー。文章を書くことにそれほど抵抗は感じないほうだと思うけど、ここまではとても・・・。作家はやはりすごい。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで