松江・石見銀山・萩

最終更新日 2010年9月25日

2年前の松江に味をしめ、2010年9月18日(土)〜9月21日(火)の三泊四日でまたまた山陰へ。

9月の連休の旅行をしようと貯まったマイルの特典航空券を確保しようと思いましたが、さすがに埋まっていて、往復でとれないので一時断念。しかし、よく考えたら行きと帰りで違う空港にすれば空きがあることに気がつき、米子空港まで行き、萩・石見空港から帰ってくる予定にしました。海外旅行では良くやるオープン・ジョーですね。

米子空港から入って松江に泊まり、石見銀山を見て萩まで行き、萩を見て翌朝帰ってくるという3泊4日。連休で、といいながら微妙に連休からはみ出しています。

山陰、交通は不便ですが風景の美しさ、食べ物のおいしさ、やっぱり良いところですね。古くからある街でありながら、幸か不幸か発展による街の変化から守られています。

松江

1日目は松江。

米子空港から松江へ

最初は夜に最終便で着く予定だったが、こまめにチェックしていたら空きがあって13:30発の便にすることができた。ボーディングブリッジではなくバスで登場し、ANA815便、B737-800で出発。飛行機の窓から、昔懐かしいヘリコプターの塗装の全日空の飛行機が離陸していましたが、あれは何だったんでしょう。

米子空港からはバスで松江へ。前回は暗くてよくわからなかったのだけど、中海を通る橋を通り、中海の北側に出て松江に行くルートのようで、なかなかおもしろい風景だった。

バスを降りた松江駅の観光案内所で地図をもらい、駅前のホテルにチェックイン。

島根県立美術館

ホテルを出て宍道湖方面まで歩く。西日に向かって歩くので相当暑かった。宍道湖沿いにあるのが島根県立美術館。宍道湖沿いの道より岸側にあり、夕日を見るには絶好の場所。閉館時間も日没から30分ということになっているらしい。

美術館自身も小さいながら、展示や説明がとても丁寧で良かった。アンケートへの回答を求められたのでそこにも書いておいた。

夕日

有名な宍道湖の夕日。前回は見られなかったので今回は是非見たかった。美術館を出て湖畔を歩き始めるとちょうどいい時間。さすがに夕方になると日差しも弱まって来る。日没の30分くらい前からがちょうど地平線に太陽が浮かんで良いようだ。

有名なので、湖畔には人だかりができています。公園のようになっていて、座ってみるにも良い。特に嫁が島の後ろに夕日が見えるあたりには人が集まってみんな写真を撮っている。

陽が沈んで光がふっと消えてしまうと、みんなぞろぞろ帰ってしまいます。でも、陽が沈みきってから空、山、湖の色が微妙に変わっていき、薄暗くなると一斉に虫が鳴き始める、という時間の移り変わりがとても良かった。

水燈路

夜はなんとこの日から始まった水燈路。松江城の堀川沿いに行燈が並べられる。

バスで大手前まで行くと、縁日のように屋台が出ていて、サザエのような小さな巻き貝を買って食べた。そこから堀川巡りの船の夜の特別運行へ。普通夜はやっていないが、この期間は一部だけ運行され、堀川から景色を楽しめる。

塩見縄手のあたりまで来ると、照明役の船もあるようで、光の中を進んでいく。でも、松江城側の森の中から子供のきゃあきゃあいう声が聞こえて、なんでも肝試しをやっているらしい。

堀川巡りの船を下り、地ビール館でお土産を買って地ビールを飲み、揚げ天を食べて、帰りは歩いて見た。

道沿いに行燈が並んでいて、実際に灯されるのは3時間くらいだが、これ、電気とかのまがい物ではなく、本当にろうそくを燃やしている。行燈はいろいろな文が書かれているが、子供も含めた地元の人が書いたもののようだ。

街灯も落とされるので、すれ違う人の顔もよく見えず、幻想的な雰囲気。

夕食

歩いてホテル近くまで帰り、伊勢宮町あたり(ここはいろんな意味で賑やか)のあたりの水産居酒屋のようなところで刺身などを食べ、日本酒を飲んた。日本酒は好きなのか聞かれたので、大好きだと答えたら、たくさんついでくれた。

石見銀山

二日目は世界遺産石見銀山。

朝松江のホテルをチェックアウトして松江駅へ。大田市までの切符を買った。「おおたし」ではなく、「おおだし」なんだ。

スーパーまつかぜ1号で8:36に松江駅を出発。二両連結の「列車」だった。松江駅を出発するとしばらくは宍道湖を見ながら走る。車中のアナウンスでは観光案内もされる。

9:28に大田市駅に到着。降りてすぐにバスに乗り換え、10時過ぎに大森まで。バスの車内にとてもわかりやすい観光地図が置いてあるので1枚もらった。

石見銀山は、かなり広い部分が世界遺産になっているが、観光の中心となるのは、1kmくらい古い街並みが続く地域と、そこからさらに上った龍源寺間歩までの山道、そして最近出来た世界遺産センターになる。

龍源寺間歩

大森のバス停で降りて歩くとすぐに石見銀山公園という駐車場がある場所に出る。龍源寺間歩まで行く無料ガイドサービスがあるのというので、参加することにした。10:30に20名くらいのグループで出発。龍源寺間歩までは2km以上あり、かつてはバスがあったが今は歩くしかない。

公園からは山道のような道を上っていく。歩きながらずっといろいろ説明してくれるのだが、石見銀山が世界遺産に登録されたのは鉱毒が無く自然と共生したからということ。銀山川にも魚がいるのはその象徴です、と言われた。地元でハヤというと言っていたけどウグイですね。ウグイって汚染された水や酸性の水に強いんだよね、と思ったけどそこは大人になった。

今でこそ山道で寺がぽつぽつあったりするだけだが、かつては多くの民家があったらしい。仙の山という山が銀山で、博多の商人が山が光っているのを見て発見した、というが、この山が光っているというのは鉱山を見つけたときの定番の昔話らしい。

山の中ではあるが、少し行けば海であり、最初は製錬技術が無く鉱石を朝鮮まで持っていったらしい。しかし、灰吹法という技術が導入されてから銀まで精錬できるようになった。戦国時代に見つかったので、毛利、尼子、大内のとりあいになったが、関ヶ原で毛利が敗れてからは幕府直轄領になった。

最盛時には20万人が住んでいたと言うが、それは誇張で1/3くらいだったのではないか、ということ。それでも多く、まさに砂糖に蟻が群がるような状態だったのではないか、とも。鏝絵というこった造りも見られる。

精錬するためには木が必要だったが、この木を提供する村を6つ決め、ローテーションで提供させていたらしい。これらの村では木を切ると植林をすることによって持続可能なシステムになっていた。

上って行く途中に清水谷精錬所跡がある。これは大阪の藤田組(今の藤田観光や同和ホールディングスの前進ともいう)が作ったものだが、鉱山の質も悪くて1年半で閉鎖されてしまったとのこと。

上って行ったゴールが龍源寺間歩。坑道のことを間歩と呼ぶがその中で公開されているのがこの間歩。

鉱脈は岩の割れ目にマグマから銀などが吹き上がったものと言うことで、銀山にまんべんなくあるのではなく、ひだのようにかたまっている。銀山の採掘の方法は時代によって変わり、最初は地表に露出した鉱山を掘っていて、それを掘り尽くすと鉱脈沿いに掘る方法になった。最後の頃は横相という方法で、広がる鉱脈に対して直角に掘り進み、鉱脈にあたる毎に横に脇道を掘っていく方法。脇道は掘り終わるとその後掘り進んだ際の岩で埋め戻されてしまうので、どれくらいの長さがあったのかはよくわからない。しかし、えらく狭い。

掘り進むというのは簡単なことではなく、暗いので照明が必要だし、空気の循環も必要だし、地下水を排水する必要もある。地下水が出てくるのは、下にも並行して穴を掘り、そこに水を流したそうだ。こうすると空気も循環する

ちなみに鉱夫は今で言うじん肺になるので30歳まで生きると長生きという世界だったらしい。給料は良かったらしいけど。罪人を連れてきて掘らせるという話があるけど、実際はそれは無理だったとのこと。結構職人の世界で、薄暗い坑道の中で、手で一握りした鉱石の比重で銀の含有量を確かめながら作業したらしい。なので、子供の頃から修行しないとできない仕事だったという。

体調を崩した鉱夫や家族には社会保障のような仕組みもあったらしい。

今は仙の山にぼこぼこ坑道の跡が残っているけどうっそうとした森になっている。しかし、昔は民家が並んでいたはず、とのこと。シュロの木があるのは民家があった証拠だという。かつては家の近くにシュロを植え、いろいろな用途に使ったという。

龍源寺間歩を見たら、折り返して下り、1時過ぎにまた公園に戻ってツアーは解散。

世界遺産センター

公園近くのカフェでカレーを食べ、大森のバス停から世界遺産センターを見た。

世界遺産センターからバスで大森に戻り、五百羅漢を見た。

街並み

昔の古い街並みが残っているのも石見銀山の観光の売り。

公園のあたりからのんびり道を下っていくと、電柱電線がない街並みが続く。

石見銀山に限らないけど、山陰の立派な瓦葺きの家を見ていると、端にしゃちほこみたいな瓦が良く乗っている。さらによく見ると、そこに恵比寿さんの顔がはめ込んであるのをよく見る。

建物の一部は公開されていて、役人の家だった旧河島家、商家だった熊谷家を見られる。熊谷家のほうが大きくて見どころがある。

最後に石見銀山資料館(大森代官所跡)を見学。ここで16:00近くになってしまった。石見銀山は交通の便が悪い。鉄道から石見銀山へのバスの本数は少ないし、鉄道自体も1時間に1本とかしかない。本当は15:32のバスで大田市に戻り、萩まで行くはずだったが、逃してしまった。次のバスだと萩に着くのは23時近くになってしまう。仕方ないな、と思っていたが、16:10のバスで大田市ではなく仁万駅に出れば、当初予定通り20時頃に萩に着けることを発見。

バスで仁万駅まで行ったが、友人だがとても小さな駅。ここで萩までの切符を買い、ジュースを飲んで電車を待つ。

アクアライナーという高速で浜田駅まで行き、乗り換えて鈍行で益田駅まで行き、また乗り換えて鈍行で東萩駅に20時過ぎに到着。鉄道の乗客は高校生までの子供と高齢者と観光客のみ。厳しいですね。

3日目は萩。

2日目の夜に東萩に着いてホテルにチェックイン。中心部の居酒屋で、刺身、甘鯛の焼き魚、ノドグロの煮付けなどと日本酒で夕食。食べ過ぎ。

3日目はホテルで朝食を食べて朝から観光。萩は三角州の上にできた街で、そもそも交通が不便だが、JRも街の中ではなく三角州の外側をぐるっと回り込んでしまっている。一応メインは東萩駅。市内は2系統の「まぁーるバス」という観光用のバスが走っている。/p>

萩しーまーと

東萩駅からバスに乗り、まずは「萩しーまーと」へ。ここは漁港の前の直売所のようになっていて、道の駅でもある。おもしろいんだけど、すぐに見終わってしまった・・・。

松陰神社

萩しーまーとからバスに乗り、松陰神社へ。このあたりで天候がおかしくなり、お天気雨がぱらついたりした。

松陰神社は吉田松陰を祭った神社。神様にまでなってしまっている・・・。境内には松下村塾の建物などが公開されている。

吉田松陰墓所

松陰神社から歩いて行くと伊藤博文の旧宅別邸のあたりを過ぎて、玉木文之進の家がある。除いたらボランティアの方がいて説明してくれた。

ここで道を曲がって上ると吉田松陰墓所。吉田松陰をはじめとする志士の墓が集められている。また、ここからは萩の街を一望できる。ぽこっと出ているのが指月山。毛利氏はここに城を築いた。 この指月山は昔島だったのに、三角州が堆積して陸とつながった。

東光寺

吉田松陰墓所の近くにあるのが東光寺。毛利氏の菩提寺であり、石灯籠が並んだ毛利氏廟所がある。

ウニ丼

バスで市内に戻って昼食はウニ丼。刺身が載った海鮮丼にさらにウニを載せた豪華版。値段も豪華だった。

萩博物館

再びバスで萩博物館。萩の歴史が展示してある。どうしても、幕末が中心になる。

堀内

萩博物館からは歩いて指月山方面へ。このあたりは堀内として街並みが保存されている。堀内をぷらぷら歩いても本当に時代劇ができそうなくらい古い街並みが残っている。何より素晴らしいのは、文化遺産として保存されているというのではなく、そこに今でも人が住んで生活しているところ。

これもよく見るとアパートの建物なんだけど、周りの景観を損なわないような建物にしていることがわかる。こうしたことの積み重ねなんだろう。これ以外に学校などの建物、テニスコートなども壁で囲むなど景観に配慮されている。

萩八景遊覧船

指月公園に行くあたりから遊覧船が出ている。水辺から見てもきれいな街で、ごみも全然落ちていない。

橋本川を上り、折り返して下って指月山の横を通って海に出る。川をすすんでいるときは良かったが、海に出たときは、波が激しくて、やや、というかかなり怖かった。

指月公園

指月山にあった萩城は明治維新直後に解体されてしまい、今は城址公園だけ残っている。

堀内、城下町、浜崎

再び堀内に戻り、口羽家住宅や鍵曲を見て城下町に進み、さらには港近くの浜崎まで歩いてからホテルに戻った。

寿司

夕食は気合いを入れて寿司屋に行ってみたが、なんでも連休で市場が閉まっているらしく地の魚はほとんどないみたいだった。無念。金太郎が食べたかったのに。

寿司屋の大将とも話したが、萩の人は本当に萩が好きみたい。

帰りにバーで少し飲んでからホテルに帰った。

萩・石見空港から帰宅

朝、ホテルをチェックアウトして街中心のバスセンターまで。途中で撮影した商店街。朝だからがらーんとしているけど、昼もそう。厳しい。

バスセンター7:20発の萩・石見空港経由益田行きのバスに乗ったが、結局空港まで乗客一人だった。萩・石見空港は東京便、大阪便が1便ずつしかなく、その東京便に接続するバスのはずだが・・・。ちなみに大阪便も休止予定。

空港はとても小さく、お土産を買って保安検査を通るともう何もない。9:20発のANA576で東京へ。B737-700だった。まっすぐ東京に行くのではなく、米子を経由し、大阪の北あたりを通過して太平洋に出て、伊豆半島の南を通って羽田空港に着いた。

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