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これまでの出来事

2024年

2024年1月

2024年1月2日

年々物事への感動が薄くなっている気もしていて、クリスマスだ正月だというのも何となく他人事のようにも感じます。年末年始もちょっと長い休みという感じですね。

昨年2023年は仕事も大変だったし、車もぶつけたりした一方、バス釣りでは50cm超を2匹も釣れたりという浮き沈みのある1年でした。

そして、自分の会社が何歳が定年なのかも知らないくらいだったのに、身近な人が定年になったりして、自分のサラリーマン人生の終わりも急に意識するようになった1年でした。仕事以外にやりたいこともたくさんありますしね。ただし、残りが少ないからと行って、向上心は失わないようにしたいものです。

2023年

2023年4月

2023年4月2日

毎年年度末が仕事のピークとなるところ、今年は3月上旬に片付いてしまい、桜の開花と同様、例年になく早めにのんびりしています。

母の十七回忌も終えて、ほっと一息。桜はもちろん、街路樹も次々と芽吹いて季節がめまぐるしく変化していくこの時期、16年目もそうだったと思いつつ、やはり遠い記憶になりつつあることも感じます。

2023年1月

2023年1月2日

大晦日の晩に悪寒がして元旦に起きると微熱で倦怠感。ついにコロナかと思って東京都から送ってもらった抗原検査をしたけれど陰性、体調も元通りになりました。疲れが溜まっていたのか、旅行中に食べたものに当たったのか・・・。今年は(今年も)健康第一で。

2022年

2022年10月

2022年10月2日

コロナ禍になってから再度はまっているバス釣り、ついに河口湖で50cm(自己新記録)のバスを釣りました。

今日のことはきっと一生忘れないと思います。

2022年

2022年7月

2022年7月16日

仕事が(一旦?)一段落したところで自転車を買ってみました。

以前は自転車に乗っていました。でも、今の場所に引っ越す前に古くなって処分してしまい、それからは自転車なしの生活でした。

3km以上離れると車だし、1kmちょっとなら歩いてしまいます。でも、2kmくらいのところって、やっぱり自転車が便利なんですよね。近所は起伏がないし。

あまりにも久し振りで乗れるかと思いましたが、一応?買ってから乗って帰ってきました。でも、買って一か月、全然乗れていません。

太ってしまっているし、少しでも運動になるといいです。

2021年

2021年12月

2021年12月31日

今年も新型コロナウイルスに振り回された1年でした。

結局、旅行らしき旅行はせずに終わった1年でした。年末にちょっと、と一瞬思いましたが。

その代わりに今年はかなり、かなり魚釣りに熱中し、趣味としても一つ階段を上った感じです。旅行はしていないけれど、泊まりがけで魚釣りは行っているんですよね。道具もかなり買いましたし。そういう意味では分岐点となる年だったと思います。そして、この大晦日も釣り納めに行ってしまったので、今年の大晦日は疲労困憊です。

11月からは以前のように一人でバーに行ったりという生活も復活。やはり飲み過ぎるし、帰りにラーメン食べてしまうし、健康に気をつけなければなりませんね。

2021年12月12日

2016年から使っていたノートパソコンSurface 3、バッテリーが膨張してディスプレイの液晶が剥がれてきたので、Surface Go 2を買いました。このバッテリー膨張事件もあったので、次はSurface以外を買おうと思ったのですが、結局Surface。小型で、LTEの通信機能を持っていて、電源が長く持つWindowsのPCってあまりないんですよね。

なんでそんな仕様なのかと言えば、旅行に行くときに使うから。移動中の長距離電車の中とか、飛行機の中とかで調べ物をしたりメモをしたり。もちろんちょっとした調べ物であればスマートフォンで済んでしまいますが、やっぱり閲覧だけではなく入力もそれなりにするとなると、キーボードが欲しくなるんですよね。ホテルはともかく、いちいち店に入る毎にWi-Fiの設定をするもの面倒だし、テザリングばかりだとスマートフォンの電源がすぐになくなってしまうし。

スマートフォンほどではないとしても、以前より移行は楽になりました。Microsoftアカウントで管理されているし、クラウドサービスが主体だし。それでもある程度のインストールし直しは避けられないし、設定しなおしも避けられません。最初に起動してから一日ほど、Windows Updateばかりなのも閉口しました。でも、なんとどうやらWi-Fiの設定もMicrosoftアカウントで覚えているんですね。また、Windowsの顔認証が便利すぎて、パスワードやPINには戻れそうにないです。PCの前に座るだけでロックが解除されるのですものね。

このタイミングで買ったのは、新型コロナが落ち着いてきたことで、次にいつ旅行に行くかな、と考え始めたこともあります。デビューはいつになるでしょう。

2021年9月

2021年9月27日

コロナの第5波も落ち着きつつあり、緊急事態宣言明けも報道されています。

いつもの秋ならば旅行に精を出しているところ、今年はバス釣りです。期末で法律上の要請もあって休まなければならない日もあり、バス釣りです。

対象は変わっても、はまるとそればっかりというのは変わらないかも。

不幸にも道具をなくしたりして(奉納・・・)、道具の近代化も進みました。ちょっと良い道具を買って長く使うのが良いかと思ったら、道具の進化は著しく、中級者向けを買って新しいものに買い換えていくのが正解かも。

2021年7月

2021年7月4日

父の十七回忌に行ってきました。コロナ禍の初めての法事、こじんまりと。もうそんなに時間がたつのかな、という感じです。当時は30代だったのですね。当たり前ですが。

2日前にモデルなの予防接種(第1回)を受けたので、体調どうかなと思いましたが、打った肩の痛みも前日のみで、普通でした。

2021年5月

2021年5月9日

スマートフォン、機種変更しました。Xperia Performance SO-04Hから、Xperia 5 II SO-52Aです。

この一年くらいはメモリが不足しているし動作は遅いし電池の減りは早いし、もう限界と思いつつ、次に買い換えるときは5Gだと引っ張ってきましたが、ついに電池が膨張し始めて真ん中が厚くなってきたので限界に。ドコモショップに持って行ったら修理はできないと言うことでそのまま機種変更となりました。5年使っているのは長い方だそうです。

ということで、5Gにしました。まだ当分、住んでいるところはエリアになりそうにないのですが。

新しいスマートフォン、速いし、電池は持つし、USBはType-Cだし快適ではありますが、ドコモショップで3時間かかった上、1つ1つのアプリにログインし直したり、半日以上を費やしました。端末も10万円くらいするし、そうそうほいほい機種変更はできないですよね。

2021年1月

2021年1月31日

年明け早々に緊急事態宣言が出る中、コロナ太りが止まらず、今月は一瞬80kgを超える事態に。こちらも緊急事態。

寒くて魚釣りもオフシーズンなので週末は近所を歩いています。チェーン店で食事をするくらいだったのに、人も少なめの街を歩くと個性的な店が多く、入ったことがない店に入って買い物をしたり、入ったことがない店に入って食事をしたりしています。これがなかなか楽しい。

吉祥寺ってとりたてて目立って良いものはなく、でもそれなりのものは色々あるので行きたい街ではなく住みたい街だと思っていましたが、美味しい店も結構ある。良い街ですね。知らなかった。

2020年

2020年12月

2020年12月31日

昨晩飲み過ぎた結果調子が上がらず、だらだらと過ごした大晦日になりました。

今年は何と言っても新型コロナウイルス感染症でした。東京都でも第三波が拡大し、今日は新規感染者数が初めて1,000人を超え、1,300人とのこと。もともと感染症には関心があり、その恐さを知ってはいたものの、危機をもたらすのは新型インフルエンザかなあ、と思っていました。鳥インフルエンザもこのところじわりと増えているのですが。

趣味は旅行ということだったのに、国内も含めて旅行は1月に徳之島に行ったきり。その代わりに釣りに精を出しました。

仕事も3月から在宅となったものの、大きな影響を受けずに済んでいます。生活も仕事も新型コロナウイルス感染症の影響を受けずにいられることはとてもありがたいことです。人に会えずに落ち込んでしまう人もいるようですが、幸か不幸かもともと人間関係が希薄なのであまり変わった気もしません。考えてみると、緊急事態宣言以降、そもそも人と食事をしたのは3回のみ。後は1人で食事です。

コロナ太りとなった以外、平穏な1年だったと言えます。でも、コロナ明け(いつになるのか)したら、リアルに色々な人と話して、喜んだり悲しんだりしてみたいですね。

皆様、よいお年をお迎えください。

2020年9月

2020年9月22日

相変わらず感染が広がり、仕事も在宅主体。今年は旅行に行けないので、細々と続けていた釣り、特にバス釣りに精を出しています(あまり釣れない)。

夏休みは旅行の代わりに平日に講習を受け、小型船舶2級の免許を取ってみました。

2020年5月

2020年5月24日

緊急事態宣言もあと少しでしょうか。生活も適応しつつあり、またスーツを着て電車で毎日通えるかの方が不安です。

旅行や魚釣りに行けないので本当に小説を読み始めたところ、すっかりインドアモードになってしまい、出かけるのがおっくうです。何かモードが違うんですよね。両方を同時に行うのは難しいです。

2020年5月6日

13年ぶりに海外旅行どころか旅行にさえ行かなかったゴールデンウィークも終わりです。

久し振りに料理をしていくつかメニューを開拓し、録画がたまったテレビ番組を見て、久し振りに本、そして小説も読むことができました。

2020年4月

2020年4月29日

コロナウイルスの緊急事態宣言の中、ゴールデンウィークに突入。

調べてみると、2006年にゴールデンウィークに初めて海外旅行をした後、2007年は休んだものの、2008~2019年まで毎年海外旅行をしていたんですよね。ゴールデンウィークは高いといいますが、それでも年末年始ほどではありません。

ということで13年ぶりの国内でのゴールデンウィーク、どうなるのでしょうか。毎年海外旅行から帰ってくるとつつじが咲いていることに目を奪われますが、今年は暖冬だったせいか、既に結構咲いていますね。

2020年4月19日

年度が明けてのんびりしている時期なのに、このコロナ騒ぎ。1年前に、2020年は感染症が世界中に拡がって、オリンピックも中止になって皆外出自粛になる、と言ったら信じる人はいたでしょうか。

職場は3月早々に原則在宅となったものの年度末の繁忙期でもあり、行ったり行かなくなったりの状態でしたが、4月に入ると業務も一段落すると共に緊急事態宣言も出たので、ほとんど在宅になりました。

元々テレワークの制度と設備はあったものの、近くのテレワークオフィスで仕事をすることが多かったので、在宅は新鮮です。テレビ会議をここまで使うことも初めてでしたが、結構なんとかなってしまうものですね。

自宅で洗濯や料理をしながら仕事、夜はたまにZoom飲み会。週に2日買い物に外出。雨が降っても通勤しなくて良いのは良いですけどね。

魚釣りも旅行もしたいけど、我慢、我慢です。

2020年1月

2020年1月1日

明けましておめでとうございます。いよいよ2020年代ですね。

年末は慌ただしく八重山旅行に行っていて、ようやく休みらしくなった元旦です。

新居で迎える初めての新年でもあります。

新年の抱負などというものは今さらありませんが、健康を大切に、時間を大切に、人とのつながりを大切に過ごしたいと思います。

2019年

2019年11月

2019年11月5日

即位正殿の礼が行われた10月22日に近所ですが、引っ越しました。

旧居の更新が近づき、確認したら16年も住んでいたことに気がつき、近所の不動産屋で2件見て1件に決定。

予め引っ越し屋にもらった50箱では足りず、あいにく雨の当日、見かねて荷造りも手伝ってもらってしまいました。本が多いのはわかっていましたが、それ以外もいちいち多く、反省しました。

住所の変更、重要な物は終えました。住所も電話番号も変わり、荷物は全然開けられていないものの、少しずつ普通の生活に戻っています。

2019年

2019年7月

2019年7月9日

6月に受けた健康診断の結果が返ってきました。

今回から上部内視鏡検査が加わりました。毎年自主的に検査を受けていたので、珍しいことはなかったものの、早速ファーター乳頭が炎症のように見えるとのことで生検になってしまいました。結果的に3箇所から採取したいずれも異常なしでほっとしましたが、この歳になるとがんが見つかってももうおかしくないということを思い知らされました。

その他については、直前の頑張りによって昨年より改善したものの、相変わらずメタボ気味で、昨年まで続いていた「脂肪肝(軽度)」が晴れて「脂肪肝(無印)」にアップグレードしていました。

アルコールや肥満が原因でしょう。健康診断は終わったものの、しばらく節酒とダイエットは続けなければなりません。

2019年5月

2019年5月31日

ゴールデンウィークの疲れか、仕事が一息するからか、気温の変化が激しいからか、毎年この時期は風邪を引いてしまう気がします。体重も増えすぎ、健康診断に向けて体調管理が大切です。

2019年4月

2019年4月1日

新しい年号「令和」が発表された日。毎年のことですが、年度が開けて、仕事が一息つきました。誰も酔っ払っていなくて、でも混んでいる電車で帰ったり、夕食を時間をかけてゆっくり摂ったり、まだ多くの店が明るい街を歩いたり、家に帰ってからも一息つく時間があったり、そうした当たり前の生活に感動しています。

仕事もそれなりにあるし、散らかって荒れた部屋を片付けるのも少し時間がかかりそうですが、仕事と生活のバランスを戻して、この季節を過ごしたいと思います。

2019年3月

2019年3月2日

毎年の確定申告の手続を終えました。高所得者ではないものの、細々とした収入や細々とした寄附があってかなり複雑で、慣れてきてすいすい、と言うわけにはいきませんでした。何かの情報が必要となると、それを調べるためのアカウントのIDとパスワードを忘れていて、メールや郵便物を探すといった有様。

マイナンバーが導入されたら、マイナンバーの通知カードと運転免許証のコピーを添付する、という余計な手間が増えただけ。なんとかならないものでしょうか。

2018年

2018年12月

2018年12月31日

12月に入っていきなりパソコンが起動しない、というか、正確にはWindows7がUSBをまったく認識しなくなってしまい、ログインすら出来なくなってしまいました。これを機会に新しいパソコンを買ってしまい、冬休みになってようやく届き、年賀状を印刷し、環境も移行してウェブサイトの更新まで出来るようになりました。

いつものように一人の年末ですが、来月に50歳になることもあり、感慨深いですね。いろいろな区切りはあると思いますが、やはり50歳というのは重く、なんとなくそれまでにいろいろなことをやっておこうと思った一年でした。

人生100年時代といえば折り返しですが、平均寿命を考えれば、2/3くらいは来たでしょうか。少なくとも「これから」より「これまで」のほうが長くなったのだと思います。30代と違って、40代は「老い」というものに向き合わなければなりません。まさか自分が老眼になるとは思わなかったし、こんなところにも白髪が生えるのか!、という新発見の日々です。おじさんどころか、おじいさんに近づいていくのですね。

漠然と大人になったら結婚して子供を作って、という当たり前?の将来があるのかと思ったら、なんと独身貴族です。人生というのはわからないものです。楽しかったこと、悲しかったこと、出来たこと、出来なかったことを思い出します。これまでに既に失ったことも大きいけれど、その代わりに得たものがありました。ないものを挙げればきりはないですが、何よりも、それなりに健康で、それなりに稼げて経済的な心配をしなくて良いということは、大切なことだし、本当にありがたいことだと感じています。それがあれば、何にだって挑戦できますからね。さて、「残りに」に何をしましょうか。

2018年9月

2018年9月6日

ホスティングサービスをWebArenaからさくらインターネットに移行し、SSL化しました。予想よりすんなりとメールも含めて移行できましたが、まだ細々とした修正が残っています。

2018年8月

2018年8月9日

ばたばたしましたが、いよいよ夏休み。今年はキューバに行ってきます。またもや台風直撃かと思われましたが、どうやら飛行機飛びそうですね。

2018年3月

2018年3月25日

昨日3月24日は放送大学の学位授与式で、NHKホールまで行ってきました。NHKホールなんて行くのは、高校生の時以来ではないでしょうか。

写真撮影している人が列を成している正面を通って入場すると、地域別におおよそのブロックが決められていて、座ります。東京、関東が大きな場所を占めています。学生の比率なのか、ここまで足を運べる人の割合なのか。袴をはいた女性もいました。風邪を引いたようで鼻の奥と喉が痛く、本調子ではないのでおとなしくしていましたが、頻繁に立ったり座ったりするので大変です。

今年度の卒業生は5,000人以上。大学院の博士課程の修了者も初めて出たようですが、数えるほどのようでした。また、前列には「名誉学生」という、放送大学の学部のコースをすべて卒業した人がいて、40名以上の名前が発表されていました。

学長の挨拶は、人間は成熟すると経験を積み、自分の中の無知や未知の自覚を失ってしまうが、学び続けて欲しい、といったような内容でした。学生の謝辞も、学部、修士、博士のそれぞれ面白い話でした。

修了後は列に並んで学位記を受け取り、10台以上のバスでハイアットリージェンシーに移動し、パーティー。立食パーティーですが、これまた地域別に場所が割り当てられています。学長の挨拶なども、午前中の式よりはずっとくだけたものでした。

年度末で仕事も気になっていて、酒は控えようと思ったのに、全国の所長からの差し入れの銘酒コーナーもあるし、周囲の人に勧められるので、たしなむ程度に。樽酒って、木の匂いがして美味しいですね。周囲の人もそれぞれのペースで卒業まで到った話をしてくれて、皆頑張っているんだな、と改めて思いました。単位を取っているうちに卒業になってしまった、再入学した、という人も多く、生涯教育というものは終わりがないものなのかも知れません。

現在49歳で、卒業には9年かかりました。つまり、40代は何をやっていたのか、と問われれば、放送大学で勉強していた、と言うことになります。家族を持っていればそうはいかなかったかも知れませんが、違う時間の使い方ができました。何が良いのか悪いのかわかりませんが、これも人生ですね。

放送大学のウェブサイトに掲示されていたメッセージにも励まされましたし、会場の人を始め、会う人会う人におめでとうございます、と言われ、何だか良い気分の一日でした。

2018年1月

2018年1月27日

大雪や草津白根山の噴火でびっくりでしたが、1月23日は49回目の誕生日でした。ちなみに49年前も雪だったそうです。

49回も誕生日を迎えると、これからの誕生日よりも、これまでの誕生日の方が多くなります。これまでの誕生日のことを思い出します。子供の頃は、親が同級生を集めて誕生会をやっていたのを覚えています。後に聞いたところだと、著しく社交性に欠けた子供で友達もほとんどいなかったため、心配してやっていたのだそうです。大人になってからも、一人の時もあれば、いろいろな人にお祝いしてもらったこともありました。その時一緒にいた人の名前を思い出すのに少し時間がかかったりするのも長く人生を生きたと言うことでしょうか。

今年も覚えやすいせいか、いろいろな人にお祝いをしていただきました。ありがとうございます。

40代最後の一年であり、セブンイレブンのPOSの年齢区分でも一区切りの年です。生活も仕事も良くも悪くも安定していますが、長く続けてきた放送大学も卒業見込みですし、いろいろ続けていたことを変えていく変化の一年にしたいと思っています。

2018年1月1日

本年もよろしくお願いいたします。

2017年

2017年12月

2017年12月4日

なんと久し振りにぎっくり腰になってしまいました。多分、以前に初めてなったのは27-28歳の頃だと思うので、20年ぶり。何か無理な動作をしようとしたというのではなく、朝から腰が張っているな、くらいの違和感はあったものの、仕事中に椅子から立ち上がろうとした途端に激痛でした。

出張中だったので、激痛に耐えながら飛行機、そしてタクシーに家に着き、寝返りも打てない状況でどうなるのかと思いましたが、翌朝に病院でボルタレンという痛み止めと、モーラスパップXRという湿布をもらってきたら、数時間で劇的に改善し、大人しくしている限りは激痛から解放されました。医学ってすごいですね。

腰痛についてSNSに書くと、皆さんが次々と「俺の・私のぎっくり腰」を語ってくれました。これって皆なっているものなんでしょうか。

とりあえず、週明けからの仕事がどこまで出来るかどうか。

2017年11月

2017年11月5日

放送大学の卒業論文が11月2日の提出(消印有効)で、この一週間はそれにかかりきりでした。それが終わったら連休で、旅行にも行かなかったので、すっかり弛緩しています。

家にこもっていて卒論を書いているとき、いろいろな音楽を聴いていて、ユーミンなんて聞いてしまい、提出後にバーで一人で飲んでいたら、隣のカップルでは男が意識高く人生や仕事について語っているのが耳に入りました。家で、久し振りに前の大学で書いた卒業論文を見つけ、26年前に自分の文章を読みました。

静かに一人で過ごしていると、自分が若いときから随分と違うところに来ている、ということをぼんやりと考えます。

2017年10月

2017年10月8日

携帯電話のガラスにひびが入ってしまい、同じSO-04Hに交換したところ、アプリはともかく、おサイフケータイの移行が結構大変でした。

さらに、クレジットカードに情報流出の可能性あり、ということで新しい番号に切り替わったところ、これまたいろいろなサービスや支払いの番号変更が大変。こういう事務手続、なんとかならないものでしょうか。

2017年7月

2017年7月3日

高谷家当主として、父の十三回忌を済ませました。

早いものだ、というのがこうしたときの決まり文句ですが、どうでしょうか。顔を合わせる人、そして自分も相応に年を重ねたように感じます。

2017年5月

2017年5月20日

3月から歯医者に通っています。気をつけていたのですが、奥歯の虫歯が進行した状態で見つかってしまい、神経を抜いて、金属をかぶせてもらいました。残っている歯を大切にせねば。

ついでに、子供の頃から欠けている前歯も少し埋めてもらいました。

2017年4月

2017年4月9日

ずっと続けていた放送大学も単位がほぼほぼ揃ってきて、今年度は卒業研究をしてみることになりました。

オリエンテーションがあり、いよいよ開始。受け身の授業ではなく、主体的な取り組みが求められるのはかなり新鮮です。報告書をまとめるのは仕事でもあり、勘所がないわけではないですが、週末の時間を使っていつもよりアカデミックな内容にするとなると、どんなペースでやるのか考えねば。

2017年1月

2017年1月2日

明けましておめでとうございます。

平和な正月を迎えています。

このところ酒量が増えて不規則な生活になっていますが、健康で有意義な一年としたいと思います。

2017年4月1日

年度が開けました。

働き方改革が世の中の話題となっていますが、今回は仕事量も例年になく落ち着いた年度末でした。今回が特別、ではなくこれを普通にしたいです。睡眠は健康の基礎ですし、毎週の休暇は生活が荒まないためにも重要です。

不規則な生活、睡眠不足、ストレスが溜まるとイライラして声を荒げてしまったりすることもあるのですが、今年はそれがありませんでしたね、と言われて反省。大人にならないといけませんね。

就職して25年目に突入。人生の半分を会社員として過ごしたことになります。人の出入りもあって、年度の切り替えというのはいろいろな気持ちになります。

今年は桜の開花も遅れているので、ゆっくりと花見も出来そうです。

2016年

2016年10月

2016年10月15日

毎年のバリウム検査は胃腸がおかしくなるのでこのところパスしていました。ただ、父を食道がんで亡くしており、、少し心配だったので先日胃カメラを飲んできました。といっても鼻からですが。

食道はきれいなものでしたが、十二指腸にポリープが二つ。病理検査をすることになり、今日結果を聞いてきました。結果的になんともなかったのですが、経過を見るため、来年もう1回やりましょう、とのこと。まずは一安心ですが、体は大切にしなければなりませんね。今日は久し振りに泳いできました。

2016年9月

2016年9月26日

(南極大陸を除いて)未踏の大陸だったアフリカ大陸。ついにタンザニアに行ってきました。疲れましたが、宿題を一つ終えたような気持ちです。

2016年7月

2016年7月24日

10年近く乗ったLEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORTから、LEVORG 1.6GT EyeSightに買い換えました。毎回進化に驚きますが、今回は自動運転関連の進化に驚きです。

2016年6月

2016年6月26日

イギリスのEU離脱騒動で金融市場は大騒ぎなのに、新発売のスマートフォンに機種変更しました。スマートフォンからスマートフォンへの機種変更、いろいろ工夫はされていますが、待ち時間も含めて、やっぱり大変です。

2016年5月

2016年5月8日

バルカン半島、言ってきました。疲れ果てました。明日から仕事です。やれやれ。

2016年4月

2016年4月29日

年度が開けて一か月。随分と色々片付いたものの、一部残していてすっきりとは行きませんが、ゴールデンウィークは昨年の9月以来の久し振りの海外旅行に行ってきます。

目的地はバルカン半島。おおよそのイメージはあるものの、鉄道、バス移動で事前に予約できなかったので、往復の航空券と到着したベオグラードのホテルしか予約していません。

物騒な世の中なので、気をつけて行ってきます。何だか風がすごく強いんですが、飛行機飛ぶんでしょうか。

2016年4月17日

年度が開けて半月。この年度末は大変ではあるものの、前回、前々回に比べてずっと楽でした。まあ、前回、前々回が特別だったと思いたいですが。

年度が開けたらあれをしよう、これをしようと思っていたことがありますが、どこから手を付けて良いか分からず、ぼけーっとしています。

まずは健康的な生活と、部屋の片付けあたりからでしょうか。

2016年2月

2016年2月7日

帯状疱疹になったりしていたこともあって、運動をしていない結果、目下体重が最大記録更新中。

2016年1月

2016年1月31日

今年は年始早々、帯状疱疹になってしまい、さんざんな一年の始まりでした。

この二年は法事がありませんでしたが、いよいよ十三回忌シリーズということで、祖母の十三回忌を高谷家当主としてやりました。振り返ってみれば、祖母が亡くなった翌年に父が亡くなり、その翌々年に母が亡くなり、その間に妹も結婚しましたから、短い期間に家族構成が激変しましたが、そのころから十年くらい経つのですね。一人暮らしも板につくはずです。

今月は誕生日も迎えて一つ歳をとり、放送大学の単位認定試験も無事終えました。いよいよ、年度末の忙しい時期です。

2015年

2015年12月

2015年12月31日

歳をとると時間が過ぎるのが速くなると言いますが、一年一年の重みも薄れていくような気がします。なんとなく過ぎてしまった一年ですね。健康ですごせたので良しとするのでしょうか。

年末が長い冬休みと言いながら、ばたばたしてしまってようやく年末気分です。

2015年11月

2015年11月2日

今年もあと2か月、カレンダーも残り2枚となり、年賀状も発売され、カレンダーも家に届きました。毎年のことですが、仕事も忙しくなってきました。この時期にワークライフバランスと健康をどう保つかが課題です。

2015年9月

2015年9月27日

シルバーウィークは中国の河西回廊を旅行してきました。海外旅行して帰国するといつもですが、季節が一つ進んでいるような気がしますね。虫の声が聞こえ、朝ドラは終わっていました。今年の海外旅行はこれが最後ですかね。

2015年8月

2015年8月17日

夏休み、久し振りに自由旅行・個人旅行でブルガリアに行ってきました。

行ったことがない、というあまり確たる理由もなく選んだ行き先でしたが、遺跡あり、気持ちのいい人達、と良い意味で予想外の経験でした。きれいな店が並び、英語も通じます。

東ヨーロッパは、1998年にルーマニアから、ハンガリー、オーストリア、チェコまで旅行しました。ベルリンの壁、ソ連崩壊から落ち着きつつあるところで、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれた頃だったでしょうか。バルト三国を旅行したのは1999年です。まだまだ共産主義の痕跡が残されていて、経済的にも貧しく、英語よりドイツ語が通じたという記憶があります。

ブルガリアはEUの最貧国とも言われていて、そんな感じだろうな、とも思っていたところ、どうしてどうして街もきれいだし、物価は飲み物を除いてそれなりだし(円はやっぱり安すぎると思う)、人々の表情も明るいです。人材の流出など問題はあるようですけど。英語もホテル、レストラン、バスターミナルでそれなりに通じて、共産主義以降の時間がもう25年以上経っているんだな、と感じました。

結構、いろいろなところに行ったとはいえ、旅行は、その場所のその時間を見るに過ぎないのだということを思い知らされました。世の中は変わっていきますね。

2015年4月

2015年4月19日

年度末が明けて、4月は心も体もリハビリという感じです。あれもやろう、これもやろうと思っていたことを片っ端から手をつけています。

特に最近は、放送大学で「日本美術史」を履修していることもあり、美術館巡りをしています。この週末は、練馬区立美術館の「小林清親展」、サントリー美術館の「若冲と蕪村」を見てきました。歴史や美術なんて以前は全く興味が無かったのに、人間は変わるものですね。

2015年4月6日

仕事の特性上、年度末に集中して大変なのですが、今年も年度が明けました。

「去年よりは楽。」というのが、つらいときに思い出したことですが、よく考えると去年はともかく、なかなか激しい年度末でした。来年はこういうことが無いようにしなければ。

まだまだくすぶっているものがあって鎮火まではもう少し時間がかかりますが、久し振りに休み。やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあって、どこから手をつけて良いか迷いましたが、美術館に行って浮世絵を見て、伸び放題だった髪の毛を切り、久し振りにパルコ・ブックセンターに行って本を買いました。毎週のように巡回していた本屋なのに、レイアウトが変わっていました。

少し服を買い、預けていた春夏物のスーツを受け取り、料理を作り、勉強をして、溜まった郵便物を片付けて、今、ビールを飲んでいます。

仕事中心の生活でしたが、自分が何をするのが好きなのか、何のために仕事をしているのか、どんな感情を持っているのか、ゆっくり取り戻しながら普通の生活にリハビリしてきたいと思います。

2015年1月

2015年1月24日

46歳になりました。

歳をとると言うことは、人生の「これから」よりも「これまで」が多くなると言うことです。誕生日を迎えたときも、これまでの誕生日にどんなことがあったのかな、と思い出したりしました。

ITの発達によって、誕生日になると企業やサービスから誕生日祝いの電子メールが届いたりするようになりました。さらに最近ではSNSが普及した結果、誕生日というのがもっと身近な行事になったように感じます。

誕生日がうれしい歳ではありませんが、誕生日を祝ってもらうのはいつになっても良いものですね。皆様、ありがとうございます。

2014年

2014年12月

2014年12月31日

この年末年始は9連休だそうです。旅行に行ったりする人も多いようですが、ちょこちょこ出かけてはいるものの、勉強をしたり、本を読んだりしようと思っています。本はまだ読めていませんが。

社会人になって20年以上過ぎ、ある意味では仕事に慣れてしまっているところもありますが、それなりに責任もあります。

仕事以外はどうかと言えば、放送大学の勉強がそれなりに大変で、さらに旅行に行ったりしてしまうと、それ以外のことがとてもできなかったりします。

今年は無茶な働き方をしたわりに大きな病気もしなかったし、海外はあまり行けませんでしたが、国内を旅行していろいろなことを知ったり、感じたりすることができました。良い年だった、と言って良いと思います。

ただ、両親が亡くなったのが共に64歳ですから、その人生の2/3を過ぎてしまっています。残りの人生で何ができるのか。

そう考えると、来年2015年は、「それ以外の何か」を求めたいと思います。

2014年9月

2014年9月28日

9月の最後の週末。年度の前半の終わりの週末であり、放送大学の学生としての夏休みの最後の週末でした。

普段は何かといろいろやることを詰め込んでしまうのですが、何もせず、買い物に行ったり、喫茶店でコーヒーを飲んだり、美術館に行ったりして過ごしました。

次は何、次は何というのではなく、時間が過ぎていくというのは贅沢ですね。

2014年9月14日

長い海外旅行に行けなくて少しストレスが溜まっていますが、その代わりに?国内の旅行や出張がものすごく多いです。それも東北。被災地にも含まれるので、震災から3年半の状況について考えさせられますね。

今日は久し振りに東京で休日。秋晴れと言って良い素晴らしい天気に、いろいろなことを考えます。

2014年8月

2014年8月21日

新疆ウイグル自治区の旅行から帰ってきました。海外旅行をして帰ってくると毎回思うのですが、季節が少し進んでいるように思いますね。

2014年8月8日

暑い日が続きます。放送大学の単位認定試験も終わり、会社もようやく夏休み。先月は福井旅行に行ってきましたが、新疆ウイグル自治区に旅行してこようかと思います。例によって、旅行の直前はばたばたです。

2014年5月

2014年5月6日

例年になく大変な年度末、そして例年になく忙しさが続いていますが、半年ぶりに海外旅行、ウラジオストク・ハバロフスク旅行に行ってきました。旅行は強制的に日常を遮断して非日常を経験します。気分転換としては一番良いですね。また、普段当たり前と思っていたことが当たり前ではないということを感じる良い機会ですね。

2013年

2013年12月

2013年12月31日

今年は世の中は日の並びが良い年末年始らしいですが、仕事もばたばたしていたし、東北にも行かなかったので、普通の休みみたいに年末になってしまいました。

結構年末には感傷的になったりするのですが、今年は何だけ普通ですね。ある意味何にもチャレンジしなかった一年と言うことでしょうか。

何だかどんどんやることが増えて忙しい毎日。やることとやらないことを選択する勇気が必要なのかも知れません。

2013年10月

2013年10月20日

何だか急に涼しいというか寒くなりました。仕事も何だか急に忙しくなりました。

一応ダイエット継続中ですが、夏休み以降、ほとんど減っていないです。増えてもいないけど。停滞期で挫折、これも教科書通りかも。

2013年8月

2013年8月3日

健康診断でいろいろ指摘されたのですが、心臓の再検査は幸い異常ありませんでした。しかし、脂質代謝、糖尿病指数の結果はかなり厳しく、医者からの具体的な指摘は、一昨年の2011年の水準まで痩せなさい、ということでした。2011年は72.3kg、2012年は72.7kg、そして今年2013年は75.4kg。今回悪かった数値は2011年時点では正常だったので、体重が増えたのが原因だよ、とのこと。

ひどい肥満ということでもなかったと思うのですが、これは体質による部分もあるようで、残念ながら肥満の影響を受けやすい傾向があるようです。実際問題として、ズボンも苦しくなってきていたし。

さあ、痩せなければということで体重を量ったところ、飲み会が続いていたこともあり、6月26日には自己最高の77.6kgを記録。健康診断の時よりさらに太っていた・・・。

プチダイエットはしばしば試みていましたが、今度は健康に関わることなので、間食を控え、食事も原則夕食は自炊で腹八分目とし、週に2~3回、プールで2kmほど泳いでがんばりました。

明らかに以前よりも体重が減りにくくなっていて、代謝が減っているのかな、とも思いましたがじわじわと痩せてきて、現在は72kg半ばと言ったところ。ようやく医者の指摘した水準までは減りました。停滞期に入ったのかここ1週間ほどあまり減りませんが。

腹回りにぽこっとついていた皮下脂肪も認識できるほど小さくなり、ベルトの穴も1つずれましたが、まだまだ腹回りはぽっちゃりしています。まだ医者に言われたぎりぎりの体重なので、少しくらいマージンは作っておきたいところ。さて、どこまでがんばりますかね。標準体重を目指すとするとなんと68kg、あと4kg以上かあ・・・。厳しいですね・・・。

2013年6月

2013年6月30日

今年も半分。仕事ばかりの3か月、それが終わってからももう3か月。

昨年は体調を崩してそれ以来気をつけてはいたのですが、健康診断でHDLが低い、中性脂肪が多い、HOMA-Rが高い、つまり、もっと痩せて運動しろ、と言われてしまいました。会う人会う人に太ったと言われていたので予感はしていましたが・・・。心臓も再検査です。この時期にはきちんと健康を取り戻さねば、ということでにわかに運動しています。

仕事。勉強。健康。人間関係。いろいろなもののバランスが重要です。

2013年6月16日

長く使っていた携帯電話のディスプレイが再び故障してしまってメールを心眼でしか読めない状態になってしまったため、ついにスマートフォンデビューしました。Xpreia Aです。

PHSから始まり、初めての携帯電話がNECの501i、それ以来NECを使ってきましたが、ついにお別れです。

iPod Touchを使っていたので、違和感がないかと思ったら、結構違います。実のところ、携帯電話も2台目でようやく電話帳登録できるようになったくらい、機械音痴なのでこれからしばらく修行です。

2013年5月

2013年5月13日

ゴールデンウィークは早めに入って遅れて終わるようにして、イスラエル旅行に行ってきました。いろいろなイメージを持たれる国ですが、観光客も多く、興味が尽きない旅行でした。

その代わり、帰国してから仕事に勉強に大変です・・・。

2013年4月

2013年4月14日

今日は母の七回忌でした。

祖母、父、母が続いて亡くなったので、このところは毎年法事だったのですが、昨年は久し振りに間が開き、2年ぶりの法事でした。おかげで主催者なのに忘れ物をしてしまったりしましたが、無事に終えることができました。

これで七回忌シリーズは一巡し、次は2016年に十三回忌シリーズが始まるまで法事をやる必要がありません。ちょっと一区切りです。

七回忌という時間。そこから自分は何が変わったんだろうと少し考えます。

2013年3月

2013年3月30日

この仕事に就いてから20回目の年度末が終了しました。人間らしい生活に復帰です。

2013年2月

2013年2月2日

月が変わってしまいましたが、44歳になりました。

誕生日はサプライズ?どっきり?という感じで待ち伏せされたり、カードを沢山もらったり、44回の誕生日の中でも印象深い日になりました。本当にありがとう。

2013年1月

2013年1月6日

新年明けましておめでとうございます。

受験生のように引きこもっていましたが、いよいよ仕事も始まりです。

2012年

2012年12月

2012年12月31日

今年の年末は最後が平日一週間あったこともあって、ぎりぎりまで年末という気がせずに終わろうとしています。

毎年毎年大晦日には一年を振り返り、過去の大晦日を振り返るとそのとき、そのときに自分が考えたり感じていたりしたことを思い出します。

両親は二人とも64歳で亡くなりました。それを自分に当てはめると、もう2/3を生き、残りは1/3です。これからの人生より、これまでの人生が長くなった、そんな歳になったことを感じます。これまでの人生には人並みかどうか分かりませんが、楽しいこともあり、悲しいこともあり、ともすればそうした「これまでの人生」について考えてしまったり、その延長で「これからの人生」を考えてしまいがちです。

諸行無常。会者定離。すべてのものは永遠では無く、人との別れも生きる上で避けられません。自分に残された時間、残っている気力、体力、能力の中で何をすれば良いのか。何をしたいのか。不惑と呼ばれる40歳を過ぎでも迷うことが多いです。

でも、そうして座礁しそうになったとき、手をさしのべてくれる人たちがいることも強く感じます。

では、2013年もよろしくお願いします。

2012年9月

2012年9月30日

ようやく涼しくなり、いろいろなことをするのに良い季節になりましたが、仕事がばたばたです。

2012年8月

2012年8月19日

体調は万全ではないのですが、東京に居ても暑いので、青森、中国の大連と4日間ずつの旅行をしてきました。長期の旅行をするにはもう少し体力をつける必要があるかも。あと、暑い中の旅行はやはりきついことがわかりました。

2012年8月5日

梅雨明け一週間くらい暑いのは仕方ないですが、連日のこの高温、かなりきついですね。

加えてロンドン・オリンピック、睡眠不足になりがち。

2012年7月

2012年7月1日

一年も半分。今年の前半はボリビア・ペルーに旅行し、ハードディスクレコーダーを買い換え、テレビをようやく液晶テレビに買い換え、パソコンも買い換えました。

しかし、後半はややペースダウンしないときついかも。いろいろな意味で。

2012年5月

2012年5月9日

ゴールデンウィークに早めに入り、ボリビア・ペルーを旅行して来ました。南米は遠いですが、スケールが大きな自然と、複雑な歴史が興味深いです。

2012年3月

2012年3月11日

普通に仕事をしていた休日ですが、やはり3月11日は特別な日でした。テレビやtwitterを見ていても、震災を思い出さざるを得ませんでした。

一年前、会社で開催した報告会でプレゼンしている途中で地震が起き、その晩は会社の会議室で、USTREAMやtwitterで流れてくる情報を見て、来場者と一夜を明かしました。

日本人同士が助け合い、多くの国々にも助けられました。その理想的な世界の一方で、買い占めや根拠のないがれき受け入れの拒否など、自分さえ良ければいいと言う醜い人の姿も見なければなりませんでした。どちらも現実の世界です。

個人的にも大変な一年でした。もっと違うことができるのではないかな、と考えたりします。新しい道に進む人を応援したいし、自分も新しいことをしなければと思います。

2012年1月

2012年1月14日

新年の気分もすっかりなくなってしまいましたが、お正月は親戚の家を訪問し、おせち料理を食べました。独り暮らしだとおせち料理なんてまず食べませんが、やはり良いものですね。子供の時はああいう料理はいやでしたけど。

2011年

2011年12月

2011年12月31日

今年は何と言っても東日本大震災の年でした。そして原子力発電所。タイの洪水。日本という国が今後どのように進んでいくのか。試された年だったと思います。

twitterに続き、Facebookも急速に普及してきました。コミュニケーションの手段が発達する中で、絆とも言われますが、原発問題の議論といい、お互いに理解しようとしない集団に分化してしまっているようなことは心配なことです。

個人的にも忘れられない年になりました。悲しくつらいこともありました。全般的にうまく行かないことが多かったように思います。ちょうど厄年の時期だからでしょうか。

不惑とは言うけれど、より人生がわからなくなったように感じます。他人に対する信頼。自分に対する信頼。そうしたものへの自信がこの歳にして揺らいでしまったように思います。これからの人生で特にこれをやっておきたい、という目標も今の自分にはないので、義務感や責任感だけでいろいろなことをこなすことがきついようにも思います。

一人で過ごす年末年始も慣れては来ましたが、自分の人生についても考えます。誰のせいでもなく、自分自身の努力と判断の結果ですが、やはり家族というのは大切なものだな、と感じます。

両親のことを考えたりもします。二人とも64歳で亡くなりました。それを考えると、私ももう人生の2/3を生きたことになります。あと1/3、20年をどう生きるのか。

くたびれてきてはいるものの、健康な体を与えられていることは幸せなことです。震災で亡くなった人がいる一方で、生きている自分がいます。生きているからには自分も周りの人も幸せにしたいし、少しでも世の中の役に立つことをしたいと思います。

この歳になると、いろいろなことに経緯やしがらみがつきまといますが、そうしたものにとらわれず、残りの20年を心新たに生きてみたいと思います。1つ1つのことに一生懸命取り組み、周囲の人達から学んでいきたいと思います。一から。

2012年もまた出会いと別れがあるでしょう。会者定離。諸行無常。どんな一年になるでしょうか。

皆さん、よろしくお願いします。

2011年9月

2011年9月26日

アイスランドに続いて、連休を使って北京を旅行してきました。しかし、その前後の週末は仕事で出張で、仕事も溜まってちょっとふらふらです。

2011年9月4日

夏休みはアイスランドを旅行してきました。本当に刺激的な旅でしたが、仕事が忙しくなってしまい、整理するにはちょっと時間がかかりそうです。

2011年6月

2011年6月25日

父の七回忌が終わりました。七回忌というのは気持ちの上での一つの区切りで、そもそも1か月を切るまで忘れていて近くに旅行の予定を入れてしまったりしていました。

64歳で亡くなりましたから、生きていれば70歳。

父が自分と同じくらいの歳の時に、どんなことを考えていたのかな、とか、今生きていれば今の自分に対してなんて言ったかな、とか少し考えました。

2004年に祖母が亡くなってから8年、2007年に母が亡くなってからは自分が喪主となって5年、毎年法事が続いてきましたが、再来年の母の七回忌まで、久しぶりに来年は法事がありません。

礼服をクリーニングにでも出しますか。

2011年5月

2011年5月9日

インド旅行から帰ってきました。海外旅行もついに30回になりましたが、インドはこれまでに行ったどの国とも違って強烈でした。最後の日にお腹を壊しましたが、帰国してみて、風邪気味な感じです。明日から仕事なんですが・・・。

2011年4月

2011年4月4日

年度が明けました。というか、年度末が終わりました。毎度のことですが、今年は例年異常に厳しかったように思います。1つ終われば今まで放置していたいろいろなことが出てきますし、いろいろなことを考えますね。

停電や原発のニュースは相変わらずですが、東京も物不足も含めて、一時の非常事態から抜け出しているように思います。

とりあえず私も、きちんとした生活をして、心身の健康回復に努めます。

2011年3月

2011年3月13日

一昨年、3月11日(金)の東北の大地震、ちょうど溜池山王のビルで講演しているところでした。長い間、電車が走っているような揺れ方でした。

外部の方もたくさんいらっしゃったので、その日は一泊し、一段落して土曜日の昼に帰宅しました。

前日の3月10日は亡くなった父の誕生日でした。父はガンで長く入院していたのですが、いろいろな本を読み始めましたが、最後はなぜか地震にはまり、「徹、大きな地震が必ず来るから気をつけろ。」と力説していました。そんなことを思い出しました。

地震や津波は落ち着いてきたように感じますが、がんばらないといけないのはこれからです。大げさですが、日本のために、自分の持ち場でがんばります。

2010年

2010年12月

2010年12月31日

1年、早いもので2010年も終わりですね。

冬休みはいろいろやることがあるし、このところ忙しくていろいろな整理が溜まっていたので、ばたばたしてこの日を迎えてしまいました。一人での年末年始も慣れてきたといったところでしょうか。

40を超えていますが、人生迷うことばかりだし、力不足を感じることばかりです。とりあえずのことをこなすことは出来たとしても、より高いレベルを目指すにはどうすればいいのか。自分がやりたいこと、できること、期待されていること、それらのバランスをうまくとった解をみつけていく器用さが欲しいところです。全然出来ないですが。

バブル崩壊後、失われた10年、15年、20年と言われてきましたが、特にこの1年は閉塞感が強まったように感じられました。既存の日本のシステムが行き詰まっていることが顕在化したように感じます。若い人、そして能力と志がある人にもっと活躍してもらえるような社会システムにしなければ、大げさではなく国の存亡に関わると思います。そうした危機感が足りないこと自体が危機のように感じます。

私個人の力なんてたかが知れていますが、1人の日本人として、自分に対して、大切な人達に対して、周囲の人々に対して、国に対して責任ある生き方を2011年は目指したいと思います。ちょと大げさですが。

今年お世話になった皆さん、本当にありがとう。

2010年10月

2010年10月19日

会社が引っ越して今週から新しいオフィス。出向期間はあったけど、ずっと同じビルで仕事をしてきたので、感慨深いものがあります。というか、通勤経路も変わってしまうし、食事もどこに食べに行くかまだわからないし、そもそもビルの中がよくわからなくてそれなりに大変です。住所も電話番号も覚えられないし。

2010年9月

2010年9月23日

今週は山陰旅行から帰ってきてきました。日本もまだまだきれいなところがありますね。

今日は祝日なのに天気が悪いですが、一雨、一雨季節が進んでいくように感じます。

2010年8月

2010年8月15日

ロシア旅行から帰ってきました。報道通りの酷暑でしたが、報道と違って空気はきれいでした。

2010年8月1日

8月。放送大学の試験も終わり、いよいよ夏ですね。

2010年6月

2010年6月12日

ウズベキスタンに行ってきました。良い国でした。しばらくは片付けと仕事です。

2010年6月2日

ちょっとウズベキスタンに行ってきます。忙しいです。

2010年5月

2010年5月8日

久しぶりに二週間の旅行として、キプロス、ギリシャに行ってきました。

地中海の深い青、青い空、たくさん咲いている花、紀元前から始まる遺跡の数々、忙しかったけど充実した旅行になりました。現地の人々は本当に親切でした。日本人はあまり見ませんでしたが、良いところです。

今話題のアテネの騒動にも巻き込まれて大変でした。

二週間ぶりの日本、新緑が美しいですね。家の前の通りでは、新緑の街路樹の根元につつじが咲いていてとてもきれいです。

旅行中にメールサーバーの容量をあふれさせてしまったようです。5月2日から5月8日までにtoru@takayas.jp宛にメールをいただいた場合、、エラーとなって受信できていない可能性が大きいので、再送いただければ幸いです。

2010年4月

2010年4月4日

新しい年度、久しぶりに休みをとれて、リフレッシュできました。

放送大学も2年目、新学期です。

洗濯をし、掃除をし、料理をし、植木の手入れをし、本屋で買い物をし、春物のスーツを出し、旅行の計画も慌てて立てています。

2010年3月

2010年3月14日

伊勢丹吉祥寺店、閉店してしまいました。寂しいですね。。

2010年2月

2010年2月21日

アメリカ出張から帰ってきました。いろいろな国に旅行しましたが、やはりアメリカは世界でも特別な国だと感じます。

2010年1月

2010年1月30日

放送大学の単位認定試験終了。そんなに難しいものではないですが、やっぱり終わるとほっとします。

さて、次は何を履修しようか。

2010年1月24日

23日で41歳になりました。さて、どんな歳になるんでしょう。

24日は祖母の七周忌。法事も慣れてきましたが、やはり1つ終えるとほっとします。

2009年

2009年12月

2009年12月31日

2009年も終わり、2010年を迎えようとしています。

母が亡くなったのが2007年の4月ですから、家族がいない年末年始は2回目、本当に静かに過ごしています。

一人でも一人なりに普段やらなかった部屋の掃除や整理などがあって、それなりに忙しいですが、やはり年末年始という時節柄もあって、いろいろなことを考えます。

2010年は、自分ができること、自分がしたいことをしっかりと逃げずに見つめ、しっかりと前に進める一年にしたいと思います。

2009年10月

2009年10月25日

先週、今週と放送大学の面接授業で中国語の発音(ピンイン)を勉強してきました。

土曜日二日間みっちりで疲れましたが、知らない言葉を習うのはおもしろいです。中国語の子音に濁音がないというのは知りませんでした。あと、声調はもちろん、チとかツの類の子音がたくさんあったり、無息音と有息音があったり、子音の発音は結構難しいですね。

2009年8月

2009年8月17日

さらに海外旅行しまくり、今年3回目としてウクライナに行ってきました。

まだ旅行者の受け入れ体制が十分とは言えないものの、日本人はビザがいらなくなったし、歴史的な建物や町並み、素朴でおいしい食べ物などがあり、今後は人気が出て行くんじゃないかな、と思いました。

久しぶりに情報が少ない国への難度の高い旅行でしたが、結果的には非常に充実したものになりました。しかし、帰国した今になってどっと疲れが出てきついです。

2009年7月

2009年7月5日

6月末に中国の広州を旅行してきました。海外旅行しまくりですね。食べ物がとてもおいしく、かつ安かった。

インフルエンザの検疫、かなり真剣にやっていて、着陸すると全身防護服の検疫官が乗り込んできて、座ったままの乗客の体温を全員計測していました。

2009年5月

2009年5月10日

ゴールデンウィーク、トルコに一週間ほど行ってきました。見所が多い国で、相当忙しい旅行でした。

日本に帰ってくると、出国前から始まっていたブタインフルエンザ騒ぎがさらにエスカレートしているのにびっくり。多少浦島太郎になっているせいもあるかも知れませんが、ちょっと騒ぎすぎのように感じます。症状はそんなに重くないようですし、ここまで来て水際で防ぐのは鎖国しない限り不可能ではないでしょうか。

2009年4月

2009年4月11日

母の三回忌を済ませました。大した手間ではないですが、やはり終わるとほっとします。

これで祖母、父、母の三回忌は一通り終わり、来年からは七回忌が始まります。

2004年から毎年法事です。やれやれ。

2009年4月5日

新しい年度。

放送大学に入学してみました。

2009年3月

2009年3月22日

毎年この時期は忙しくて行けなかったのですが、お彼岸と言うことで墓参りをしてきました。

連休の三日目で、天気が悪かったせいか、墓地にあまり人はいませんでしたが、ほとんどの墓には花が手向けられていました。

しかし、中には花がない墓もありますし、墓の後ろにある木の卒塔婆も新しいものもあれば、古いものもあります。

ちょっと人生を考えますね。

2009年1月

2009年1月25日

1月23日を持って、不惑となりました。

何もかもすっきりと惑わなくなるかと思ったら、何も変わりません。当たり前ですが。

記念すべき40代最初の出勤の日、電車の中で何気なく顔に手をやると・・・じょりじょりしてる・・・。社会人になって初めて、ひげを剃るのを忘れて出勤してしまいました。コンビニでひげそりとタオルを買って、会社に着くやいなやトイレでひげを剃りました。

歳を取っても成長するかは本人次第、という教訓です。

2009年1月12日

この連休は、短いですが福井県の小浜に行ってみました。雪で大変でしたが、食べ物、特に鯖が最高でした。

最近どうも、裏日本好きなことに気がつきました。かつては海運などで栄えたために文化の香りがあり、しかし、その後伸び悩んでしまったために、皮肉にも美しい町が保存されているという街が多いように思います。

地図を持ちながら、知らない街を気の向くまま歩き続け、ここに暮らしたらどんな生活なんだろうと想像してみる。夕食に入った寿司屋で、飲みながら、隣になった現地の人と話をする。電車を待つ、1時間、2時間という時間、耳慣れない言葉の会話を聞きながら、本を読んで待つ。やっぱり一人旅って、素の自分に戻れるようで良いよなあ、と思いました。

考えてみると、旅行はたくさんしているようで、一人旅はちょうど一年前に松江に行って以来だということに気がつきました。

もちろん、仲間と行く旅行も違う楽しみがありますけどね。

2009年1月4日

あけましておめでとうございます。

今年は大切なことを見失わずに、主体的に過ごしたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。

2008年

2008年12月

2008年12月31日

あっという間に年末。

今年は曜日の関係で休みに入る日が早かったので、久しぶりの年賀状も早めに出し終えました。

いつもより気合いを入れて掃除をしましたが、未完に終わりました。

これはいつものことですが、包丁を研ぎ、試し切りをかねてカレーとミートソースを作っています。さて。今年中に完成するかな?

2008年8月

2008年8月14日

夏休みで普段できない役所回りをしようと思って、市政センターが入っている吉祥寺の商工会館に行ったら、戦時中の中島飛行機関連の展示がされていました。

今の中央公園のあたりにあった中島飛行機は国内の戦闘機の3割を生産していて、グアムに米軍が基地を作って日本の本土の空襲を始めた際、最初で最大の爆撃目標だったそうです。当然、多くの人が亡くなりました。

おかげでこのあたりは不発弾が多いようで、小学生の時は学校の裏を掘り返して退避勧告が出たし、今の市役所も工事をしたら出てきました。

子供の頃から住んでいたマンションは隣がメッキ工場でした。なんでこんなところにメッキ工場があるんだろう、と思ったものですが、昔の地図を見ると、横河電機あたりから、今は市民文化会館になっているあたりまで、中島飛行機に納入したであろう、工場が建ち並ぶ地域になっていたようです。

中島飛行機の敷地まで、中央線から引き込み線があったことは知っていたのですが、三鷹ではなく、武蔵境からつながっていたことは初めて知りました。今は公園や広い道路になってその名残をとどめています。

2008年8月12日

今年のお盆休みは、海外旅行に行きそびれてしまったので、国内で過ごしています。

北京オリンピックを楽しむ、というと聞こえは良いですが、普段行けなかった銀行や役所関係の手続、部屋の片付けをしようと思っています。

それはそれで違う充実があるようにも感じますが。

2008年4月

2008年4月13日

今日は母の一周忌でした。一応、これで喪明けと言うことになります。

何だか一年前のことがずいぶん昔に感じます。

この間に随分お手紙などをいただいているのですが、忙しさにかまけて失礼しています。

もう一段落したら、きちんとお礼をしないといけないですね。

2007年

2007年12月

2007年12月4日

週末に携帯電話の機種変更をしてきました。NTT DoCoMoのN905iμです。

機種変更をしたのは、1つには、これまで利用してきたN901iCが、突然電源が切れたり、通話時の雑音がひどくなったりしてきたため。もう1つは、PHSのP-in m@sterを使っていたのですが、PHSが来年初めに停波になるため、解約に対して優遇があったため。この優遇というのは、PHSを解約すると、その後新規に携帯電話を契約するか、現在持っている携帯電話を機種変更するのが無料となるもの。前者はPHSから携帯電話への切り替えですから優遇するとしても、後者はよく分からないですね。それを利用したわけですが。

携帯電話・PHSは、6台目になります。

そして、今度はN905iμ。本当はN905iにしようと思いましたが、実際に端末を見ると、N905iは厚くて、不細工なアンテナが着いてた。ワンセグも試してみたかったが、たまに見るために、いつも厚くて重いのを持ち歩くのも今ひとつなので、薄いN905iμにしました。液晶、音も美しく、軽くて薄いので結構気に入っています。

さらにHSDPAだからか、端末の性能のせいか、iモードもすいすいと動くし、何より海外でも使えるとのことで良いことです。充電器も240Vまで対応しているようです。

2007年11月

2007年11月12日

週末は祖母と父の残した写真を整理していましたが、妹が小さいころ、つまり、父が私と同じ歳だったころの写真が出てきました。自分そっくりでびっくり。やっぱり親子なんだなあ、と思いました。

2007年9月

2007年9月18日

先月の夏休みのアイルランド・イギリスの旅に続いて、タイ、マレーシアに小旅行して来ました。バンコク2泊、クアラ・ルンプール1泊です。

ヨーロッパの旅行が多くて、アジアはシンガポールと台湾に行ったことしかなかったのですが、とてもおもしろい旅行でした。特に、タイは奥が深い国ですね。また行ってみたいと思う国が増えました。

2007年8月

2007年8月5日

新車来ました。LEGACY Touring Wagon 2.0i B-SPORT。うーん。でも、乗る暇がしばらくないかも。

2007年7月

2007年7月29日

1996年から長く使ったLEGACY Touring Wagon Brightonを、車検を機に手放しました。走行距離42,672km。初めて買った車なので、ちょっと寂しい。

2007年7月24日

月曜日は振り替えで休みましたが、母の住んでいた家から、いよいよ仏壇を運んできました。重かった!

いやあ、一人暮らしで仏壇があるというのも何とも言えないですね。やたらでかいし。

最近は核家族にあった小さな仏壇があるらしいのですが、何だか「高谷家代々」とかいろいろな位牌が入っていて、今あるものだけでもぎゅうぎゅうです。引き出しにもいろいろなものが入っていて、おいおい研究します。

しかし、線香とか焚いても、火災報知器は大丈夫なのかな。

2007年7月16日

世の中は連休ですね。

そう言う私も先週の金曜日を振り替え休日にしたので、四連休です。天気がすぐれないので、出かけるには良くないのでしょう。

私はいつものように引きこもり、ではなくて、金曜日は新盆でお寺に行ってきて、土曜日は母の保険の関係で病院から診断書を取ってきて、植木の手入れをし、日曜日は朝、ディーラーに行って車の手続きをしてから、家でこれまた相続関係の書類整理に没頭しました。ずいぶんと片付きました。

月曜日も書類整理をして、後は・・・仕事かな。

2007年6月

2007年6月30日

今日は、父の三回忌でした。天気が不安定でしたが、無事に終わりました。

4月から、母の葬儀、母の四十九日、そして父の三回忌と、礼服を着てばかりでしたが、これでしばらく着ずに済みます。おめでたいことで着たいですね。

来年は母の一周忌、再来年は母の三回忌、翌年は祖母の七回忌、その翌年は父の七回忌、とこれからは毎年法事です。

2007年4月

2007年4月18日

無事滞りなく母、高谷利子の通夜、葬儀、告別式を終了しました。

ご参列、弔電、メッセージ、本当にどうもありがとうございました。追ってお礼を申し上げたいと考えていますが、皆さんの励ましが大変力になりました。

2007年4月15日

突然の事だったのですが、母が亡くなりました。

通夜、告別式については、4月17日、18日を予定しています。詳細は、高谷利子死去のお知らせをご覧下さい。場所はわかりにくいですが、JR三鷹駅南口の法専寺となります。

昔から心臓が悪くしていて、最近も不整脈がかなりありました。昨晩、外出した帰りに、自宅近くまで来たところで倒れているのを通行人に発見され、救急車で運ばれたとのことです。発見時には息があったようなのですが、救急車で搬送する段階では心肺停止状態になり、病院で蘇生しましたが、意識が戻らないまま、翌朝である今朝、息を引き取りました。

昨晩に所持品を調べた病院から私に連絡があり、病院に行きましたが、結局言葉を交わすことはできませんでした。

しばらく、ばたばたしていろいろご迷惑をかけますが、よろしくお願いします。

2007年1月

2007年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

ついつい忙しさにかまけて時間が過ぎてしまいますが、今年は、謙虚さを忘れないようにしながら、主体的に過ごしたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

2006年

2006年11月

2006年11月19日

本当に久しぶりの休日。いろいろ整理したり、片付けをしたり。人間、休息が大切です。

2006年8月

2006年8月26日

会社の泊まりがけの研修から帰ってきました。内容はヒューマンスキルというものだと思いますが、一緒になったメンバーと互いに深いディスカッションをして、とても良い経験になりました。ああ、私もがんばらないとね。

2006年7月

2006年7月8日

やっとやっとですが、Googleで「高谷」で検索すると、一番になりました。ちょっと幸せ。

2006年6月

2006年6月26日

週末の土曜日6月24日に、父の一周忌を終えました。長かったとか、短かったとか言いますが、私としてはずいぶんと時間が経ったように感じます。

いろいろな整理もずいぶんと片付いてきました。まだ残っていますけど。

2006年5月

2006年5月27日

5月なのに雨ばかり。仕事も忙しいのであまり関係ないですけどね。本を読んだり、うまく時間を作りたいです。

2006年5月1日

世の中はゴールデンウィークですね。私もちょっとオーストラリアに行ってきます。みんなが休むこの時期に海外旅行に行くのは初めてです。4月になってから、旅行代理店に行ったところ、ヨーロッパもアジアもすでにいっぱいだ、ということでオーストラリアになっただけですが。

2006年4月

2006年4月12日

年度があけて、普通の生活に戻そうとして、休日を休んだり、規則正しい生活をしようとしているのですが、仕事はまだ終わっていないものが多く、落ち着くにはもうちょっと時間がかかりそうですね。でも、少なくともきちんと眠れるようになったのはうれしいです。

いくら寝ても眠いのですが、これは春だからでしょうか?

さて、「高谷」でGoogle検索すると1位だったのですが、サイトを引っ越ししてから上位に来なくなってしまいました。あきらめていたのですが、最近急速に順位を上げ、2~3位に入るようになりました。何ででしょう?

目指せ、「高谷」1位。

2006年3月

2006年3月5日

この前まで寒かったのに、随分と暖かくなりました。花粉も飛び始めているようですね。

今日は確定申告の書類をウェブで作りました。生命保険料控除、寄付金控除で還付を受けるのが目的ですが、昨年は不動産所得とか株式譲渡所得もあったので、結局返ってくるのは\1,300という計算。かけた時間に比べると割に合わないかな。

2006年2月

2006年2月19日

ちょっとここのところ、忙しすぎ。

先々週は、名古屋、山口に日帰り出張し、先週は岡山と広島を一泊でまわってきました。それ以外の平日も12時間とか、15時間とか働いていて、世の中がバレンタインデーで浮かれていた日なんて18時間半も会社にいた。やれやれ。

今日は久しぶりに休みましたが、昨日飲み過ぎてちょっと不調。これからも少し仕事をしないといけないですしね。

2006年1月

2006年1月23日

37歳になりました。

さすがにいろいろ考えますが、健康でまた一つ歳を重ねられたことは良いことなのかな、とも思います。

さあ、一年がんばらないと!

2006年1月21日

昨日からの雪、結構すごいですね。

今日は、天候にも関わらず、法事でした。祖母の三回忌ですが、一応私が喪主というか主催者となるので、ちょっとプレッシャーを感じていましたが、無事終わってほっとしました。

本当に寒い中お経を読んでもらって、その後僧侶の話を聞いたのですが、今日の話はなかなかおもしろいものでした。高野山の話から僧兵の話になり、鉄砲が伝来してそれを最初に使ったのが僧兵で、長篠の合戦で信長が鉄砲を使ったというのは、鉄砲を持つ僧兵を傭兵として雇ったのだという話。根来で相当な勢力となったが、秀吉に滅ぼされたという。その他、いろいろ話があり、枕経は本来臨終の前にあげるもので、ターミナルケアだったという話などもありましたが、最後は阿弥陀の話になりました。これは、ちょっとキリスト教でも聞きそうな思想だな、とも思いました。

2005年

2005年12月

2005年12月31日

年賀状を書く仕事がなかったにもかかわらず、あっという間に年末ですね。

今年は意識的にでもありますが、予定を入れず、人と会ったり、出かけたりせずに静かに休みを過ごしています。

本を読んだり、考え事をしていると、なぜか10年近く前のころ、20年近く前のころがしきりに思い出されます。1つは18歳の頃。日本がバブルに突入していく頃。もう1つは27歳の頃。地下鉄サリン事件が起きたり、阪神淡路大地震が起きた頃。世相が今と似ているところがあるし、日本にとっても転換期だったと思う。自分にとっても深く考えさせられることがあった時期だった。

そして今36歳(もうすぐ歳をとるけど)。この10年、できるだけ無理はせずに、1日1日、あるいは1週間の単位で自分が何をしなければならないか、自分が何をしたいかを考えて、やることを決めて過ごしてきた。目標を決めて自分から何かをする、ということはせず、自然にまかせてきたけど、そろそろ主体的に何かをしなければならないのかな、と思うこともある。人生にもジュグラー・サイクルのように転機が来るものなのかも知れない。

今年一年、出会った人、再開した人、別れた人を振り返りながら、自分の立ち位置ということについて考える年末です。

2005年12月29日

昨日で仕事納め。少し早めに休暇に入る人も多いようですが、ぎりぎりまでばたばたしました。終わった、というか、年明けでもいいか、いくつかの予定を調整して、何とか整理した、というところでしょうか。

仕事も忙しかったし、酒量も過ぎたりしたこともあって疲れていたので、今朝は目覚ましをセットしないで起床し、野菜中心の食事をし、とっておきの大倉陶園のカップを引っ張り出して、コーヒーを入れて飲み、音楽をかけながら、ぼけっとしています。

今年は喪中で年賀状を書かなくても良いので、いきなりばたばたということではないのですが、部屋の整理はしなくてはならないし、勉強もしなければならない。本も買い込んだので読みたいところです。

いろいろやることがたくさんあるのですし、窓から見える空もとても青いのですが、ちょっとゆっくりです。

2005年11月

2005年11月25日

かつてはGoogleで「高谷」というキーワードで検索すると、1位に出てきていたのですが、ドメイン名を変えたりいろいろあって30位くらいまで落ちてしまいました。もうだめなのかな?と思っていたら、最近再び順位を上げてきていて、現在6位。がんばれ!

2005年11月1日

今日は振り替え休日で休んだのですが、週末家を空けていたこともあり、掃除、洗濯、整理と家事をしていたら終わってしまいました。

週末は出張の後、秋田を旅行してきました。秋田県を訪れるのは初めてでしたが、なかなかきれいなところでした。

11月、随分涼しい、というか寒くなりました。年賀状も売り始めました。

2005年9月

2005年9月25日

急に涼しくなって秋らしくなりましたね。

昨日、突然来客があり、なんだと思ったら、国勢調査の調査員の方でした。オートロックのマンションだとなかなか大変そうです。

実は前回の平成12年国勢調査の時は、回答していません。調査員がなぜか来ませんでした。ということで、はじめて自分で記入するような気がします。

国勢調査自体はよく集計結果を仕事で利用しているので、内容は知っているつもりでしたが、いざ書こうとすると、「住宅の床面積」とか、「1週間に働いた時間」なんていう項目があるのですね。「住宅の床面積」は賃貸契約書を見て記入しましたが、「1週間に働いた時間」については、来週にならないと書けないです。

2005年9月9日

月日が経つのは早いもので、先週末に父の49日が終わり、法事も一段落しました。49日はいろいろイベントがあり、納骨もします。位牌も白木から黒塗りのものに代わり、忌が開けて、忌中→喪中というように変わったことになります。

今週中に終わらせなければならない仕事がいくつかあり、結構大変でしたが、今日は振り替えで休み、銀行などに行って相続関係の手続きをしました。これがまた面倒。「莫大な財産を相続」というのであれば、やる気も出ますけど。まあ、いろいろ仕組みがわかって楽しいですが。

2005年8月

2005年8月13日

昨日、飲みに行って疲れたので、今日は一日部屋にこもって、溜まった作業の片付け。読んだ本について怒濤の更新をしました。

夏休みも明日で終わり。今回は事務作業などが忙しくて、全然休んだ気がしない。

2005年8月8日

早いものでもう8月ですが、とりあえずとてつもなく暑いですね。

一部で話題?になっていた私の追徴課税ですが、解決しました。事の顛末は次のようなものです。私は寄付金控除などの関係で毎年確定申告をしているのですが、先日税務署から「おたずね」と称する手紙が来て、平日の昼に時間を指定されて来るように指示されました。

あわてて書類をひっくり返して調べたところ、債権の償還に伴う利息収入が年度の前半にあり、それを雑所得として申告することを忘れていました。

平日の昼間に行くと一日つぶれてしまうので、電話をかけて時間を変更できるか確認したところ、午前中に来て頂ければ、空いている時間で対応しますよ、とのことなので、朝に行きました。

かなりびびって行ったのですが、対応はとても丁寧で事務的なもので、雑所得として申告を修正する書類を作るだけで終わりました。しかし・・・。修正した結果払う金額に加えて、1割の重加算税が加わり、さらに日割りの延滞税がかかります。金額が増えないように、即日支払いました。単に忘れていただけなんですけど、1割は大きいですよね。次回からは良く確認して作らないと。少々の還付を受けようと思ったのに、高くつきました。

今日はなんと言っても郵政解散。会社が今日から一週間一斉休暇なので、今日は1日相続関係の書類集めで、法務局、市役所、銀行と回っていました。市政センターで戸籍、住民票、印鑑証明、固定資産税課税証明書と大量の発行申請を書いているときに、置いてあるテレビで国会中継をしていました。私が見たときはまさに採決前の最後に、自民党の議員が賛成演説をしているときでした。これがすごかった。民営化の意義から始まり、初代郵政大臣の言葉、自身のNTT勤務経験を騒然としている議場の中で述べきっていた。やっぱり政治家は演説がうまいものだな、と感動しました。その後採決して否決されるシーンも見ました。夜家に帰ってからは小泉さんの会見を見ましたが、これもなかなかのものでした。賛成、反対はともかく、これぐらいの演説や議論を毎回やっていれば、国会中継も楽しいのにね。

休みに入ったので、Webサイトもいろいろ手を加えています。掲示板も新しいものを作ってみましたし、なんとblogも2つ準備してみました。さて、続くのでしょうか。blogの練習やシステムの善し悪しを調べることもかねてやってみます。so-netのblogでは個人的なこと、Yahoo!のblogではちょっと社会的なことを書いてみようと思います。まだ何も書いていないですけど。

2005年7月

2005年7月26日

携帯電話を機種変更しました。これまではDoCoMoのN503iSだったのですが、N901iCにしました。

携帯電話はN501iが一番最初で、それからN502i、N503iSとほとんど毎モデル買ってきていました。仕事の関係で、というのもありましたが、N502iはN501iで明らかに荒削りだった部分が改善されて、画面も白黒からカラーになったし、N503iはJAVAの搭載というのが売りでした。しかし、N504iはあまり代わり映えがしなかった印象でしたし、何よりもどんどん小さく軽くを追求してきた携帯電話端末が、どうも機能を追加して大きくなる方向になってきたのであまり魅力を感じませんでした。

W-CDMAのFOMAについては、仕事で一時期並行して使ってみましたが、これは笑ってしまうような代物でした。普通の携帯電話の2倍くらいあるし、都内でもエリアではないところがありました。さらに、あきれてしまうのは電源で、気がつくと電池が切れてしまっていて、お話になりませんでした。

音質がきれい、などとも言われましたが、エリアが狭くて音質がきれいで、というならPHSと何が違うのかわからず、値段がただ高いだけ。普及しないのも当たり前、という評価でした。

しかし、最近になってようやくFOMAもまっとうになってきて、2G端末の開発も打ち止めになってきたので、どうしようかと考えはじめました。パケット通信が主体の私は、明らかにFOMAにしたほうが安いのです。

本当は来年の番号ポータビリティーまで待とうと思っていましたが、端末の一部にひびが入ってきて物理的に破損寸前になり、電源の持ちも極めて短くなってきたので、買い換えてしまいました。

N901iSが出た直後で安かったことと、デザインが好きだったことからN901iCを買いました。

N503iSよりもiモードの通信速度も速いので期待していたのですが・・・。ただのメニューなどもカラーでアニメ付きのものが表示されるので、結果としてデータ量が多くなっているせいか、あまり体感できず。テキストだけのメニューにしたい、とか思っても、端末側では何も出来ない。ここが携帯電話サービスの嫌いなところ。

ただ、文字変換の精度や、音質も含めてなかなかいいです。エリアについては今の生活の限り、地下鉄など以外で圏外になることはないです。カメラもおもしろいですね。しかし、誰に何を送るのかよくわからないですけど・・・。

1つ気になるのは、長話をしていると、結構発熱してくるところ。それも耳に当たる端末の上部が。またまだ枯れてはいないのかな。

2005年7月12日

亡くなる2ヶ月ほど前、京都の清水寺で

7/9に病気療養中の父が亡くなりました。

7/11に通夜、7/12に葬儀・告別式となったため、実家やお寺に泊まり歩き、久しぶりに自分の部屋に帰ってきました。

死はやはり厳粛なものでしたが、その途端、それまでとは一転してばたばたとしたものとなりました。何しろ、体をきれいにして病室から出るところから、葬儀屋の力を借りないといけないのです。

合理的ではない形式張った儀式というものは元来好きではありませんし、既に死んでしまった人に対して何をしても意味がないのに、とこれまでは思っていましたが、今回喪主を務めて、考えが変わりました。

葬式は何のためにやるのでしょうか。まず、結婚式などと違って、故人の亡骸がありますので、それを火葬し、埋葬するということがどうしても必要となります。これは役所の手続とも連動しているものです。

もう1つは、故人を悼むということです。死んだ人に何をしても無駄ではないか、とも思いますが、これを機会に集まった人が私も知らない父の話をしたり、父の亡骸を見て涙している人を見ると、人の心の働きとして自然なものなのでしょう。

そして、今回はじめて強く意識したのが、残された家族を励ますということです。父と面識がないにもかかわらず、足を運んで下さった私の職場の方、知人の方、友人の方は、何のために貴重な時間を割いてくれたかと言えば、私に対する気遣いなのだと思います。こういう儀式ではとにかく「ありがとうございます」という言葉が連発されるものですが、今回は本当に一人一人に対して自然に頭が下がる思いです。本当に皆さんありがとうございます。少しでも、これからがんばってお返しをしていかなければならないですね。

亡骸を家に迎え、一緒に過ごし、棺に入れ、お別れをし、火葬し、壺に納める、という一連のプロセスを進めていくことは、周囲が死を受け入れるために、これまでに先人達が工夫を重ねてきた結果出来上がったプロセスなのかも知れません。一週間前には弱ってはいても話を出来たりした人間が、小さな壺になってしまうのですから。

親父なんていても煙たいし、うっとうしいし、別に住んでいて普段会わないし、1年以上病気でいて徐々に覚悟をしていたので、正直なところ大きなショックという訳ではありません。しかし、葬式のために作った写真で、穏やかな笑顔を浮かべている父を見ると、子供の時に一緒に竹ひごを曲げて紙を貼って飛行機を作ったり、コマ回しをしたり、じゃれあって「降参」するまで押さえつけられたりしたことなどがあふれるように思い出されます。悲しい、というより寂しくなってしまったな。お父さん、これまでどうもありがとう。

2005年7月9日

Londonでのテロ、とても重い気分です。

Londonは私が初めて海外旅行をしたときに行った街であり、それからも一番多く訪ねている街であり、とても好きな街です。

人の命というのは、もっと大切にすべきものだと思います。

2005年7月3日

今日は都議選で、朝投票してきました。武蔵野市は、定数1で、自民、民主、共産の3候補者という状況で、自民と民主が接戦となりましたが、民主の新人が自民の現職を破って当確のようです。

投票率はまた低かったとの報道がされていますが、投票しない人が投票する人より多いというのは異常だと感じます。よく、「魅力的な候補者がいないから棄権した。」などという人がいますが、今回の選挙結果を見るとわかるように、投票率が下がると、組織力があったり、特定団体から支持を受けている候補者が当選します。棄権するのはそれらの候補者を利しているのと同じということです。つまり、選択を避けるという選択肢はないということです。

それにしても、なんで日本の選挙はこんなみょうちくりんな仕組みなんでしょうか。

まず、中選挙区制。学校で習ったとおり、選挙区に定数が1人なのが小選挙区制、複数なのが大選挙区制。しかし、日本は「中選挙区制」と呼ばれています。これはどういう事かというと、1つの選挙区に複数の定数があるにもかかわらず、投票する際には1人しか書けない単記制であるところに特徴です。これによって、ある一定の支持があれば、他の人から全く支持されていなくても当選してしまう。少数意見を尊重することは悪くないですが、これはちょっとやりすぎかと思う。

次に、インターネットの利用禁止。特に国政選挙と異なり、地方選挙ではマスコミの報道も限られ、入手できる情報が限られている。さらに、たった二週間しか選挙期間がない。候補者の選挙運動も名前の連呼ばかり。このように情報入手が制限され、ほとんど判断材料がない中で投票しなければならない。こんなに制限された選挙では、独裁政権が信任投票をしているような国を笑えないのではないのでしょうか。

2005年6月

2005年6月20日

いつの間にか梅雨になってじめじめしてますね。

株を買っている会社から株主総会の案内が次々と届き、全部目を通して、議決権行使の書類を書くのは結構大変でした。まあ、ほとんど反対するものはないわけですが。

インターネットで行使できるものもあり、試してみましたが、ブラウザをIEとNC4.Xに限定しているなんていう時代錯誤のものもあってまだまだ。そもそも行使する側ははがきに○をつけるのとあまり手間は変わらないです。

2005年5月

2005年5月31日

久しぶりに風邪を引いて、馬鹿ではないことを証明してみました。ようやく治ってきましたが、鼻水、発熱、喉の痛み、なかなか苦しいです。

2005年5月15日

いろいろ腹に据えかねる事があり、書きたいと思っていたのですが、書くだけで腹が立ってくるので、しばらく更新していませんでした。

外来生物法が6月から施行されます。オオクチバスが特定外来生物に指定されました。これは平成日本の禁酒法だと思っています。

法律の趣旨自体に反対しているわけではありません。特定外来生物の選定がおかしいと思います。ややこしい問題ではありますが、私の意見は次の3つになります。

まず、私たちの生活は外来生物なしではなりたたなくなってしまっている、ということです。過去24時間に食べたものは何ですか?外来生物ばかりのはずです。固有の生態系を守ることは大切なことです。しかし、完全に固有の生態系を維持する、とすれば私たちの生活が成立しません。相反する人間にとっての便益と生態系の維持をどうバランス良く両立させていくか、という程度問題として議論しないと話が進みません。稲や鯉が外来種であることからも明らかなように、完全な「固有の生態系」というものは既に存在していないのです。

次に、人間にとっての「便益」は「食べる」ことだけではないということです。これだけ豊かな社会になり、物質的ではなく精神的な豊かさも求められる中で、「釣りの対象魚」ということは簡単に切り捨てるべきではない価値だと思います。イエネコは侵略的外来種ワースト100に入っていて、食べるものでもないですが、排除すべきでしょうか?

最後に、オオクチバスについては、わが国の従来の生態系への影響を小さくする形での利用が可能だと思います。これは意見が分かれる点かも知れません。しかし、すべての事例で従来種を駆逐しているのではなく、全く共存しているところもあるのです。貴重な種への大きいところは当然駆除すべきです。ただし、すべてがそうではない、ということです。

私もパブリックコメントなるものに意見を初めて出してみました。特定外来生物への指定に関するものと、法律施行令に関するものです。パブリックコメントは、指定された法律なりに対する意見のみを述べるものなので、揚げ足取りのようになってしまっています。ただし、私も現状のままで良いとは思っていないのです。

オオクチバスについての問題は、むやみな放流などによって、社会的コンセンサスを得ないままに生息域が拡大してしまったことだと思います。この社会的コンセンサスと生息域を一致させることが大切です。それには関係者が話し合う場を設け、社会的コンセンサスを作る仕組みが重要です。オオクチバスの特定外来生物への指定の議論では、専門家会合で、「合同調査委員会」を設置して議論することが決まりました。これはいままでいがみ合ってきた関係者が合意したはじめての事で、とても意義あることでした。しかし、馬鹿なマスコミが意義を理解せずに、「半年先送り」と大騒ぎした結果、これまた馬鹿な大臣が専門家会合の議論をひっくり返して指定してしまいました。その結果、「合同調査委員会」も幻のものとなってしまいました。このことによって、本当の問題の解決が遠のいてしまったように思います。

オオクチバスが実業家、赤星鉄馬氏によってわが国にもたらされて80年経ちます。皆様のNHKと同じくらいの歴史です。そのような問題について、「半年」を大騒ぎすることにいったい何の意味があったのでしょうか。

2005年2月

2005年2月13日

この連休、初めて沖縄に行って来ました。

私の周囲には言ったことがある人が多く、かくいう私も沖縄関係の仕事もしたことがあったりして、知識がなかったわけではないのですが、かなりおもしろい旅行でした。まるで海外旅行みたいです。「ありえねー」の連続でした。

まず、那覇空港に着陸する直前から、海の色が日本の他の地域で見るのと全然違うエメラルドグリーン。レンタカーを借りて、走り出すと、建物の形や色も全然違う。特に、墓の形は全く違う。地名も全然漢字と読みが一致しない。食事をすれば、ゴーヤーチャンプルー、タコライス、沖縄そば、ソーキそば、ミミガー、とかなり特殊。夜になっても暖かい。道行く人の顔つきもすれ違うと「ありえねー」と思う人の顔つきの人も多し。商店街を歩けば、なんだか古き良き戦後の商店街(見たことないけど)と言ったような素朴な感じ。歴史関係のものもなかなか考えさせられるものがありました。

飛行機代、レンタカー、ホテル代、ととても支出の多い旅行でしたが、また言ってみたいですね。おみやげのオリオンビールを飲みながら書いています。

2005年2月5日

「特定外来生物被害防止法」による「特定外来生物等」の選定に関するパブリックコメントが始まりました。私も意見を出そうと思っています。

パブリックコメントのために自分の考えを整理しなければならないと同時に、現在報道されている情報には一方的な立場からのものや、誤解を招くものがあるので、いくつかの基本的なポイントを書きたいと思います。

よくある論調はこんなものだと思います。

「得体の知れない外来生物が現れ、日本古来の生物を食い荒らしている。生態系を守るため、規制すべきなのに、釣り関係者は自分の利益のために反対し、密放流でブラックバスを広げている。」

実にわかりやすく、感傷に訴えるキャッチフレーズで、すばらしい。世論もこれに流されるのも無理はないと思います。だからこそ、中立的な報道や意見を期待したいのですが・・・。

「特定外来生物被害防止法」なんていう名前があると、外来生物とは悪いものだ、というように聞こえてしまいます。しかし、外来生物だから悪いと言うのは少し考えればおかしいことに気がつきます。国外からであっても、国内からであっても移入種が悪いのだ、という考え方もできます。たとえば、北海道にいるヒグマを本州に連れてきてしまうのはそれはそれでまずいでしょう。国内と国外で区別される話ではありません。さらに考えると、元からいたとしても人間に迷惑をかけるのは悪いのではないか、という話にもなります。ニホンカモシカも増えすぎてますし、ニホンオオカミも絶滅したのは残念ですが、たくさん残っていればそれはそれでやっかいです。

稲も外来種で日本の生態系を大きく変えて広がってしまっていますが、人間にとって有用なので、誰も駆除しようなんて言いません。むしろ積極的に育てています。ですから、人間にとって有用な面が害よりも大きければ外来種だろうが、国内の他の地域からの移入種だろうが問題がない、害が利より大きければ外来種はもちろん、在来種であっても問題、というのが1つの本質です。ザリガニやタンポポも外来種になってしまい、コスモスもそこらに咲いていますが、大して人間に迷惑ではないので、看過されてきました。

ただ、どうでも良さそうな生物でもいつか何かに役立つ可能性がありますし、また、生態系は一度変えてしまうともとに戻らない場合があります。そのため、(固有の(というよりも既存の)か?)生態系を変えてしまうようなことは安易にやらずに、慎重にやりましょう、というのが最近の論調と思います。

生態系を変えてしまう要素は、国内からの移入種、生活排水の汚染、無理な公共工事など、今現在でもたくさん進行中ですが、人為的な国境の外から来た「外来生物」についてという1つの要素のみ、まず規制しようというのが今回の法律の趣旨です。従って、生態系を守るか、経済利益を優先するか、の分かれ目なんて大げさな原理主義に惑わされない方がよいです。この法律で「外来生物」の影響を取り除けば生態系の問題はすぐに解決、などという単純な話ではないです。ダムを造るにしても、道路を造るときも、生態系への影響と人間の利害を個々の事例で比較検討して進められます。それと同じでことでしかありません。外来種というイメージで感情論を煽るのはおかしいです。

「特定外来生物被害防止法」自体、以下のような記述があります。

(目的)

第一条 この法律は、特定外来生物の飼養、栽培、保管又は運搬(以下「飼養等」という。)、輸入その他の取扱いを規制するとともに、国等による特定外来生物の防除等の措置を講ずることにより、特定外来生物による生態系等に係る被害を防止し、もって生物の多様性の確保、人の生命及び身体の保護並びに農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資することを目的とする。

(定義等)

第二条 この法律において「特定外来生物」とは、海外から我が国に導入されることによりその本来の生息地又は生育地の外に存することとなる生物(以下「外来生物」という。)であって、我が国にその本来の生息地又は生育地を有する生物(以下「在来生物」という。)とその性質が異なることにより生態系等に係る被害を及ぼし、又は及ぼすおそれがあるものとして政令で定めるものの個体(卵、種子その他政令で定めるものを含み、生きているものに限る。)及びその器官(飼養等に係る規制等のこの法律に基づく生態系等に係る被害を防止するための措置を講ずる必要があるものであって、政令で定めるもの(生きているものに限る。)に限る。)をいう。

2 この法律において「生態系等に係る被害」とは、生態系、人の生命若しくは身体又は農林水産業に係る被害をいう。

(以下略)

名称から感じられる「自然を守る高尚な法律」、という訳でもなくて、人間の利益を妨げるものは排除しましょうという色彩も強いです。野菜なんて外来種ばかりですから、外来種の野菜が外来種の虫に食べられてしまった場合でも、農林水産業に被害→(この法律で言う)「生態系に被害」→虫を防除(駆除とは限らないことに注意)しないと、となる法律です。悪い、と言っているのではなく、非常に現実的な法律だと思います。どこかの新聞のように「理」と「利」なんていう構図ではありません。

一部の学者が純粋に生態系を心配してブラックバスに否定的なのは事実ですが、それだけではなく、これまでにいた魚(在来種とは限らない)を採っていた内水面漁業関係者がブラックバスの規制に向けて活動していて、それに対して釣り関係者が活動していて力比べをしている、という「利」と「利」が現在の状況です。学者でもブラックバス容認派の人も居ます。ですから、ほとんど全員が賛成していて、釣り関係者だけが経済的利益のために反対して政治力を行使している、なんていう記事は取材が浅いとか、偏っていると言われても仕方ないと思います。

新聞などを読むと、貴重な日本の固有種がブラックバスのせいで、日本全国で絶滅の危機、なんて思えてしまいますが、これもそんなことないことを知っていて欲しいです。貴重な生物が減少し、非常に問題となっている地域がある一方で、大正時代からブラックバスがいて、漁業権の対象になっていて、地域に受け入れられている芦ノ湖のような例もあります。河口湖もブラックバスの釣場として人気が高く、ブラックバスの放流までしていますが、最近ワカサギ(ちなみにこれも移入種!)も大量に育ったりしています。そもそもダム湖や貯め池のようなものはそれ自体が人工的なものなので、自然に存在した水系と同一の議論になじまないように思います。

つまり、ブラックバスが在来種を絶滅に追いやっている、いや、共存してる、など議論されていますが、どちらも場所によっては正しいので、ミクロな例で日本全体を語るのはどちらもナンセンスです。場所によって共存したり、ブラックバスが圧倒的に増えてしまったりするのは水位の季節変動や水温などいろいろな要素が影響しているようです。自然は奥が深いですね。

非常に「利」の問題として、ブラックバスが釣り人の放流などによって拡大したことによって、釣り人や釣り具業界はメリットを享受した一方、内水面漁業に携わる人はその恩恵を受けるどころか一方的に被害を受けた(と少なくとも「感じている」)ことが現在の根深い感情的な対立を生んでいます。そのため、「完全に駆除だ」、「このままでいいんだ」と二元論でやってきて、結局何もしなかったのが問題が生じてからのこの30年です。両方な極論を無視すれば、大多数の常識的な人達にとっては、ブラックバスが居ても問題が少ない水域(たとえば孤立した水系や本来の生態系がないダム湖など)では大いに利用して、害が問題となる水域(絶滅の危険がある固有種が居る水系など)では駆除しましょう、としごく当たり前の結論になるのではないかと思います。そういった棲み分けが成立するかは意見が一致しない論点ですが、少なくとも何もしないよりもそう言った段階に進むことが必要と思います。

ブラックバス釣りはとてもおもしろい遊びで、日本で出来るようになったことはとても幸せなことです。日本独自の技術も生まれ、日本メーカーの道具は品質が高く、本場アメリカでも高い評価を受けています。このような趣味を良い形で次世代に引き継いで行ければよいと思います。しかし、その一方で、被害を受ける人達が存在している状況は憂慮すべきで、早急に解消する方法を考えなければなりません。

そう考えるからこそ、今は冷静な議論こそが大切だと考えています。だからこそ、「駆除して当然。やりたければ北米で。」なんていう思いつきの論調を書いて得意になっている人が許せないのです。再び完全駆除か放置かの二元論の感情的対立に火をつけてしまい、問題を解決しようとしている良識ある人達の努力を無にするものだからです。

ああ、また随分長くなってしまいましたね。

2005年1月

2005年1月23日

最近「特定外来生物被害防止法」によるオオクチバスの指定が議論を呼んでいます。最近魚釣りを趣味として復活しつつある私としては他人事ではないのですが、問題が非常に複雑でこじれているにも関わらず、一方的な情報が賛否両方から出されていて議論が深まらないことに非常に危機感を持っています。

マスコミの中立性については、他でも話題になっていますが、この問題については単純な感情論に基づいていて残念です。

1月20日の日経新聞社説でもこの問題が取り上げられましたが、これは以下の点で相当ひどいです。

 ブラックバスは淡水魚だから、太平洋を泳いで日本に来たわけではない。小骨が多くて処理に手間がかかるから、食用として持ち込まれたわけでもない。「ゲームフィッシング」のために、ひそかに不法に放流された疑いが濃厚である。近年の全国の湖沼への拡大ぶりは、意図的な密放流以外には説明がつかない。 (日経新聞)

日本への持ち込みと、日本国内での拡大が混同されてしまっています。オオクチバスの日本への導入は実業家の赤星鉄馬氏によって大正時代もたらされました。その後、進駐軍によって放流された、とかいう話もあります。これは限られた水域であって、全国への展開はこの時点ではありませんでした。

その後、日本全体に拡大しましたが、釣り人の放流以外にも、当然生き物ですから自然に広がることもありますし、それ以外にアユなど日本国内の別の魚を他の地域から持ってきて放流する際に紛れてしまったという影響もあります。どれが影響が大きいかを議論するのは生産的ですし、密放流以外に説明がつかない個別事例もあるかと思いますが、密放流だけに言及するのは乱暴と思います。

また、食用として持ち込むのは良いのか、という不思議な言及もあります。ちなみにブラックバスは釣りとしての価値が高いと考えられていたことは事実ですが、食べてもおいしいと考えられていたのです。

 釣り具メーカーや釣具店、バス釣りの愛好者などの猛烈な圧力に、環境省は指定を当分は見送る公算が大だとみられている。バス釣りの市場規模など「利」を論じるのは大切だが、利益が正当な「理」にかなっているかがまず問われるべきだ。(日経新聞)

「外来生物」という考え方自身、単純ではありません。わかりやすさのために極端な例を示すと、稲も外来生物な訳です。また、環境への影響を考えるのであれば、国内の一部でしかない種を、地域間で移入することも問題となってしまいます。時間軸を長く考えると、そもそも固有種というのは何なのか、ということになってしまいます。

動植物の移入は生態系に対して脅威であり、悪いことという認識は、かつては一般にはあまりありませんでした。たとえば、オオクチバスと共に議論になっているブルーギルは、国際親善のために現天皇がシカゴ市から贈られたものです。外来種以外では、もともといなかったところに鮭や鯉を放流する行為も良く行われています。

だとすると、オオクチバスだけがなぜこれほど話題になるのかが奇異に見えることでしょう。釣りの対象魚なので反対する人が居るはわかりますが、駆除をしようとする人も居るので、議論が大きくなるのです。

これはオオクチバスはこれまで既存の内水面漁業を脅かしたりして、オオクチバスが迷惑を受けている人達がいるからです。つまり、「利」「害」関係が大きいためです。

こういった「利」と「利」の問題を、「理」の体裁で解決しようとするからややこしくなってしまうのです。

直接的な金銭的価値だけではなく、文化や、学術的価値などの価値も含めて、どのように生物を扱っていくかという「利」の調整こそが事の本質だと思います。

今回の議論で思ったのは、結局人は自分には関係ないことには無関心だと言うことです。趣味なんて、まさに人それぞれで、他の人の事なんて全く理解できないですからね。

2005年1月16日

今日は免許の更新に行きました。

以前よりはずっと迅速にできるようになったと思いますが、まだまだお役所仕事な感じがします。基本的には、書類と古い免許証を提出し、新しい写真を撮り、講習を受けて終わりなのですが、書類を持って、あっちに行ったりこっちに行ったりしなければなりません。

最初に必要書類を受け取ってしまい、それと並行して写真を撮ったり、講習をしたりすれば良いと思うのですが、どうでしょう。そうであれば、仮にもっと長く講習をしても時間の使い方としては有効と思うのですが。

2005年1月2日

新年明けましておめでとうございます。

2004年

2004年12月

2004年12月19日

世の中はクリスマス・年末気分ですが、この週末も部屋に引きこもって仕事です。やれやれ

先日の休日にテレビを見ていたら、絵本の朗読をやっていました。山下久美子が「しょうぼうじどうしゃ じぷた」を朗読するのを見ていたら、山火事でじぷたが所長さんから出動を命じられるところでぽろぽろ涙が出てきてしまいました。

疲れているんでしょうか。ええ、疲れています。

しかし、子供向けの絵本とはいえ、なかなか深い内容でしたね。今になって考えると。

2004年10月

2004年10月23日

旅行から帰ってきました!

今回の旅行は非常におもしろく、つくづく旅行は良いものだな、と思いました。現地で10泊でホテルも10か所で連泊なし、飛行機も現地で7回乗るといとても忙しい旅で、全然余裕はありませんでしたが。本当なら3週間くらいで行く旅行を2週間で終えた感じです。

写真も新しいデジカメで撮ってきたので、順次整理します。

2004年10月4日

昼間は暑いことも多いですが、日が短くなり、夜も涼しくなりましたね。

10/9(土)から、南米のアルゼンチンとチリに行くことにしました。毎年9月に休みを取るのですが、今年は仕事の都合などもあり、10月になりました。

この一年はいろいろ大変で、仕事も忙しく、やることなすことが、すべてこなすだけになってしまったように思います。そういった意味で、日常から離れて見ることはとても大切だろうと思います。

振り返ってみれば、過去9年連続でヨーロッパに旅行しています。まだまだ行きたいところはあるのですが、どうも慣れてしまってきて、「冒険」や「刺激」が足りなくなってきたように感じていました。

そこで、どうせなら「これ以上遠いということはないところ」に行ってやれ!ということで南米です。旅行するために調べてみると、南アメリカは言葉こそかなり均質ですが、人種的にも気候も多様で興味深い地域ですね。今回始めていくのですが、はまってしまうかも。

今回の旅行は、ただっぴろい国を旅行するので、暑いところから寒いところ、湿ったところから乾燥したところ、さらには標高が高いところまでいろいろ行きたいと思っています。旅行まで体調管理が大切です。といっても仕事が・・・。

2004年9月

2004年9月4日

ここしばらく更新をしていませんでした。いつもそんなことを言っているような気がしますが、忙しかった(忙しい)ということでしょうか。何事も継続するのは大変です。

2004年5月

2004年5月5日

連休が終わっちゃいましたね。2日行って、休みですが、とっても憂鬱。

2004年4月

2004年4月18日

イラクの邦人誘拐事件、5人とも無事でよかったですね。でも、非常に後味が悪い事件になってしまいました。

今回の政府の選択は間違っていなかったと思いますし、世論も家族に最初は同情していましたし、本来なら彼らが助かって、みんなでよかった、よかった、と終わるはずでした。

しかし、人質家族の一部がおかしな発言をしたこと、一部の人達や団体が、この機会を自分達の政治活動に利用したことの2つが事をおかしくしてしまったと思います。

まず、そんなことは本来口に出すまでもないことですが、人質は政府の勧告を無視して入ったのですから、自己責任の原則と言うのがあります。その前提の上で、彼らは日本人ですから、政府は彼らを助けようとしたし、多くの日本人も心配しました。

ところが、家族の一部は努力をしている政府に感謝するどころか、批判してしまった。これは越えてはいけない一線を越えていて、多くに人を怒らせてしまった。自衛隊の撤退を「希望」するのは彼らの立場としては理解できる。当然とも思う。でも、それを「要求」するのは、テロリストにも、彼ら家族にも許されるものとは思えません。民主的なプロセスによって、決定されたことだし、変更する場合も民主的なプロセスによって決定すべきものです。彼らがいかに普段、公と私というものを考えていないかということを露呈してしまった。

2つ目に、今回の事件を利用しようとした左翼団体、「市民団体」などの問題。まず第一に批判する対象はテロリストなのに、いきなり政府に対してテロリストと同じ要求をしてしまった。自分達の政治目的の実現に利用してしまった。

本来なら、署名活動も「自衛隊撤退」でなく、「無事解放にベストを尽くせ」ということを目的とすべきでした。そうすれば、自衛隊派遣に意見が異なる人も、みんなが心を一つにして署名できたと思います。にもかかわらず、そこに自分達の政治的主張を抱き合わせにしてしまった。結果として、市民団体、NGOというもののイメージを徹底的に損なった。当然、市民団体、NGOはいろいろなものがあることを忘れてはいけませんが、今回目立った市民団体、NGOはひどかった。

しかし、その反動で、「3人は謝罪を」なんて話が強まってしまっているのも行き過ぎと思います。彼らは、政府や関係者に感謝するならわかりますが、誰に何を謝罪するんでしょう。問題なのは、上述のように、「人質家族が」「一線を越えた政府批判、要求をしたこと」と思います。個人攻撃をしている人は、ヒマだなあとも思います。

むしろ、今考えなければならないのはファルージャの戦闘のエスカレートだと思います。モスクまで攻撃してますし、死者も多い。きっと、歴史に残る遺恨をイラクの人達に残すと思います。パレスチナ情勢も不穏です。

自衛隊も永久に派遣するものではなく、最終的にはいつかは撤退することになるわけですが、それがいつかを考えなければなりません。主権委譲、アメリカの大統領選がマイルストーンでしょうか。

2004年4月10日

イラクの邦人誘拐事件、とても憂慮すべき事態と思います。

書きにくいことですが、あえて書きます。

テレビで誘拐された家族が「自衛隊の撤退を選択肢に」と述べているのを見て、違和感というよりも、怒りを感じました。

例えて言えば、今回の事件は、登山が禁止されている冬山に登って遭難したようなものだと思います。イラクについては、政府から退避勧告が出されています。にもかかわらず、それにあえて逆らって、自分の意思でイラク入りした人達には、それ相応の責任が求められています。安易に政府に責任を転嫁するようなことはあってはなりません。

「善意で行った。」、「微力ながら力になろうとして行った。」というのは、戦闘状態にある国に行くことに対しての言及としてはあまりにも無知で、無責任に感じます。その明らかかどうかわからない「微力」のために、命の危険にさらされながら復興に従事している自衛隊を初めとする人達の努力、そのおかげで支えられている人達の生活を無にしてしまう危険を冒して良い、挙げ句の果てに、困ったことになったら政府が力になってくれないと批判をする、というのは、あまりにも近視眼的、自己中心的で、バランス感覚を欠くと言わざるを得ない。

自衛隊の派遣は、反対意見が多かったにせよ、最終的には、日本での民主的な意思決定によって行われたものです。背景には、もちろん、放置できないイラクの復興がありますし、東アジア情勢を考慮した場合に、日本がどのように国際社会に関与していくべきか、という判断があります。例えば、ここで自衛隊が撤退してしまったことによって、結果的に将来の日本の安全(より多くの人達の命)が危険にさらされることになってしまった場合に、彼らはどう責任をとるのでしょうか。今後どのような展開になるかわかりませんが、彼らを助けるために、命を危険にさらさなければならない人が出てきた場合、彼らはどう責任をとるのでしょうか。たった今も、彼らを救うために働いている政府関係者、そのための税金を負担している国民に対して、彼らはどう感じているのでしょうか。

そう思うと、それらの責任を棚に上げて、政府に対して「自衛隊の撤退を」とテロリストと同じ主張をしている家族を見ると、この家族にして彼らあり、と思わざるを得ない。公に対する責任感が全く欠如しているように思う。

それらを考慮した上でですが、一番攻められるべきは、誘拐を行ったテロリストであることは間違いありません。一刻も早く解決し、三人が無事に戻ることを祈ります。イラクの人達へのマスコミ等を利用した呼びかけ、情報収集などやれることはたくさんあります。家族の皆さんの声を報道してもらうこと、日本の立場を説明することによって、イラクの人達の支持を勝ち取ることも重要です。ベストな方法ではないにせよ、メリット・デメリットを勘案した上で、金による解決ということも考えなければならないかも知れません。関係者の方々がベストを尽くしてくれることを望みます。

イラク戦争の開始自体については、私は諸手をあげて賛成というわけではないし、懐疑的です。アメリカの占領政策、現場レベルの横暴な振る舞いには反感を感じます。しかし、ここまで事態が進んでしまった以上、今になって各国軍が撤退して、国としての統治が行われていない状況を放置することはできません。もともと反対だったから、といって評論家的にけちをつけていれば済むのではないのです。社民党のように。

大切なことは、1つの地域でも良いから、外国の支援を受けて、復興が進んでいく地域を作り、モデルを提示することだと思います。自分達もそうすれば、復興できるんだ、という希望をイラクの人達に与えなければなりません。その意味からも、モデルを作りやすい比較的安全な地域において、人道支援を行っている自衛隊の仕事は、言われるように居ても居なくても良いようなものではなく、今後のイラクの復興を帰趨を決める、極めて重要な役割を担っていると思います。

2004年4月7日

年度末でばたばたしているうちに、桜が開花し、葉桜になってしました。いやあ、こんなことが毎年続くんでしょうか。

仕事は一段落してきたように思いますが、いろいろと考えたり、片づけたりしないといけない問題があります。

2004年2月

2004年2月29日

風邪引いてます。鼻がぐすぐすします。2月も最後で仕事をしなければならないのに不調です。

2004年1月

2004年1月1日

明けましておめでとうございます。静かに新居で新年を迎えました。

2003年

2003年12月

2003年12月29日

ようやく休み。最後の家具であるテーブルも届き、部屋も随分片づいてきました(2か月も経っているけど)。

年賀状も書き終わりましたが、やることを書き出してみるとたくさんあって、結構忙しい!!

2003年11月

2003年11月16日

今日は、大学の合気道部の35周年記念パーティーに行って来ました。久しぶりの大学を訪れると、自分がそこにいたとき、どんなことを考えていたかを思い出します。

部屋の整理はまだ続いています。この週末でかなりかなり改善されそうです。

2003年10月

2003年10月28日

10月24日に引っ越しました。新しい連絡先等が必要な方は、メール下さい。年賀状でお知らせしますが。

直後に友人の結婚式に行ったりして時間がとれず、部屋の中はゴミ屋敷のようです。また、駅から遠くなってしまったので、駅までの行き帰りがちょっと大変。

2003年9月

2003年9月15日

旅行から帰ってきました。家族旅行だったので、私にとっては再訪の土地が多かったのですが、初めて行った南仏は良かったですね。詳しくは地球の旅行記にまとめていきます。

2003年8月

2003年8月25日

8月30日から9月13日まで海外旅行します。日程は地球の旅行記をどうぞ。旅先から絵はがきなど欲しい人は連絡下さい。

2003年8月12日

今週は一応夏休み。でも、いろいろ溜まっている(溜まりまくっている)ので、会社に通っています。フルに働いているわけではなく、少し遅めに行って、早く上がって夕方に泳いだりしているので、優雅なものですが。

8月の上旬は、いろいろ考えさせられる日が多い季節ですね。先日、たまたまテレビを見ていたら、長崎の被爆者代表が手話で話をしていました。表情としぐさがとても迫力がありました。原爆投下直後、疎開先から、姉がいたはずの長崎市内の家に戻ったときの話。家の近くまで来て、燃えている家へ母が走り出す。そして、母が拳を地面に打ち付けながら泣き出したのを見て、何が起こったのを理解した、と。

戦争とは無縁ではいられない国際政治の現実と、そうした悲惨な戦争体験。両方を踏まえて、自分の考え、というものを作っていかなければならないな、と思いました。

2003年7月

2003年7月20日

梅雨はなかなか明けませんね。

この時期なのですが、仕事が非常にたくさんあって、忙しいです。明日も出社予定です・・・。

秋に家族と旅行をしようと思っていて、計画を立てています。一人と違って、準備がいろいろ大変ですね・・・

2003年6月

2003年6月11日

梅雨入りしたそうです。じめじめとしたいやな季節になりましたね。

やっぱり夏は苦手です。暑くてだるいし、服もべたべたするし、何よりも大嫌いな蚊がでます。

このところ、ばかばか本を読んでいます。だいたい2日に1冊くらいのペースです。部屋には読み終わった本が散乱しています。もうだめ。絶対もう本棚に全部入らない。

2003年6月1日

風邪は随分直ってきました。今日くらいの体調が続けば、完治といっても良いでしょうか。それにしても、直るまで2週間もかかりました。

先日管理釣り場にマス釣りに行きました。季節的にも良かったせいか、最終的に6匹くらい釣りました。ただ、10回くらいばらしました。フックにかからないのではなく、かかってからはずれてしまうのです。

新しく買って持っていったロッドは「スーパーウルトラライトアクション」ということでしたが、柔らかすぎる気がしました。かかった瞬間にロッドが根本から曲がってしまうので、しっかりとあわせることが出来ません。そのため、かかってからすぐ外れてしまうのかな、と思いました。これまではこんなにばらしたことはないので。実はこれまでは、中学生のときにかった、ミディアムライトアクションのものをものを使っていました。これだと、かかってからバシッとあおってあわせられるのです。小さなルアーは柔らかいロッドの方が投げやすい、といいますが、どちらにせよ狭い釣り場ではロッドのしなりを使わなくてもいいくらいの距離を投げれば十分ですから。

ただし、これまでのミディアムライトアクションのものだと、あわせたときに糸が切れてしまったり、小さな魚だと川から吹っ飛んで来たり!することもあったので、それでは硬すぎるのかも知れません。そうすると、ライトアクションくらいのものが良いんでしょうか。皆さん、ウルトラライトアクションで不満なく釣っているんでしょうか。

ルアーは、今はあまり使う人がいないらしいスピナーでほとんど釣りました。ある程度数を持っていきましたが、結局2つくらいのスピナーでほとんど釣りました。ある程度釣れてからはスプーンに換えてみて、1匹釣りました。最後は、今まで釣ったことがないミノーに挑戦してみましたが、2回くらいばらしてしまったきりで釣り上げられませんでした。ミノーは難しいですね。操作ももちろんですし、早引きしないので、スピナーのように最初は向こうあわせというわけにもいきません。今後の課題です。

2003年5月

2003年5月24日

風邪を引いてしまって、1週間不調でした。直ってきているような気がしますが、症状が変化してきていて、鼻水がものすごく出ます。

今度、久しぶりに管理釣り場でマス釣りに行こうと思っています。リールが壊れてしまっていたので、思い切って、ロッドとリール、それにルアーを少々買いに行きました。

これまで使っていたロッドとリールは私が中学生の頃ですから、20年前のものです。また、ルアーについても高校生くらいまでに買いそろえたのがほとんどです。その世界の記憶のまま、釣具屋に行ったら・・・浦島太郎でした。

まず、ロッドについて。小学生の頃はグラスファイバーが主流で、カーボンファイバーのものは高級品でした。私が持っていたものも全てグラスファイバー製。その後、私が釣りから離れてからカーボンファイバー製が主流になった。これは、知っていた。今度買ったものもウルトラライト、5フィート6インチのカーボンファイバー製。

次にリール。これはまだ比較的変化が少なくて、当時から大手メーカーであったシマノ製のものを購入。

さて、ルアー。これは全然知らなかったので本当にびっくりした。まず、店を見回してみても、知らないメーカーばっかりで、かろうじてわかるのは、ヘドンとか、ラパラとか、ボーマーくらいでしょうか。日本製らしきものが多くなっている。マスの管理釣り場用のコーナーに行ったのだが・・・何か違う。店員さんに説明されて・・・。えーっ!

昔は、湖でバスを釣るならプラグ(ちなみにコクチバスなんて魚は日本にいなかった)、川でトラウトであればスピナーと相場が決まっていた。スピナーは壁一面に飾ってあって、スプーンはどちらかというとマイナーで、ちょっと変化をつけたいときに使う感じだった。ところが。今は管理釣り場でも、スプーンが主で、ミノーで変化をつける、という感じらしい。「スピナーも1つくらいあったほうがいいね。」だって。うっそー。どおりでスピナーが隅っこにしか置いていないんだ。

ルアーの種類といえば、ABUのルアーも見あたらなかった。昔は、トビーとか、ドロッペンと言えば、誰でも持っていたものだったのに。帰ってWebでいろいろ見てみてびっくり。私の持っているルアーのほとんどが、音楽の「オールディーズ」ではないが、今は手に入らない懐かしのものになってしまっていた・・・。もったいなくて、とても使えない・・・。

さて、全然話は変わりますが、レガシィの新型が出ましたね。私の車は、先々代になってしまいました。先代はあまりかっこよいと思えなかったので、興味を引かれませんでしたが、今度のやつは結構かっこよく、ちょっと引かれます。ただ、B4はかっこいいですけど、ワゴンは後ろがかっこわるいですね。まあ、すぐに買えるものでもないし、マイナーチェンジでかっこよくなっていってくれればいいな、と思います。

2003年5月18日

近所のタイ料理屋が移転したので、どこに移転してみたか見に行ったら・・・。

Tea Clipperという紅茶が飲める喫茶店があった場所に入っていました。ああ。また吉祥寺のいい喫茶店が消えてしまったのでしょうか。

2003年2月

2003年2月23日

ADSLを、8Mbpsから12Mbpsにしましたが、速度計測サイトで測るとやっぱり1.5Mbps程度しか出ません。

リンク速度を見ると、10Mbpsくらい出ているので、ISPのネットワークが遅いということでしょうか。

2003年2月11日

Gavin Lyallが死去したそうです。残念です。

2003年2月2日

最近、寒いですよね。電気のファンヒーターを買いました。これはとても暖かく、エアコンとホットカーペットと組み合わせるとなかなか良いです。

しかし、ブレーカーが良く落ちる。電子レンジはもちろん、ちょっとしたものも加えて使うとすぐ落ちます。やれやれ。

スペースシャトルが墜落してしまいましたね。なんだか重い気分です。

2003年1月

2003年1月23日

1/23は誕生日!34歳になりました!

2003年1月

2003年1月19日

この週末もどうも体調が良くありませんでした。疲れ?風邪?

インフルエンザが流行しているようなので、注意しなければなりませんね。

2003年1月13日

仕事が始まって一週間。疲れて風邪を引いてしまったようです。金曜日の昼から腹痛、寒気、節々の痛み。まだ完全じゃありません。

今日はでも、初稽古をしました。

2003年1月6日

新年あけましておめでとうございます。また仕事です。いきなり夜までいろいろやっていて、睡眠不足です。

2002年

2002年12月

2002年12月29日

ようやく冬休みになりました。年賀状も出し終え、洗濯と部屋の掃除もしました。勉強とか、部屋の整理とかやっておきたいことはたくさんあるのですが、とてもそこまでは手が回りません。

今日は久しぶりに昼間に井の頭公園を散歩しました。冬ですから、殺風景ですが、久しぶりに木の匂いをかぐのは良い気分です。

子供のころと、随分変わったように思いました。歩道もきれいに整備されましたし、公園に降りる階段もバリアフリーのスロープが設けられているところがありました。トイレもずいぶん前からきれいになりました。

一番びっくりしたのは、神田川です。昔はひょうたん池から流れ出るところから、いきなり3面コンクリートが打たれた溝のようになっていて、まるで排水溝のように汚い感じで続いていた覚えがあります。しかし、今日見たら、自然の川のように護岸が整備され、川の中にも岩があったりしてとてもきれいになっていました。川沿いが歩けるようになっていたので、歩いてみました。途中からはやはり、深いコンクリートの溝になってしまっていましたが、そこまでの数百メートルは、小川のようでした。

ずいぶん前ですけど、子供の頃は枯れていた玉川上水や千川上水にも水が流れるようになりました。

こういう公共事業は悪くないですね。

2002年12月9日

今日は朝から雪で寒かった。ホットカーペットを入れました。

2002年12月2日

11月のこと。寒くなったし、とエアコンの暖房を入れようとすると・・・壊れていた。見に来ただけで修理をしなかったり、いろいろばたばたしましたが、12月に入って、やっと交換になりました。一時は家の中でコートを着なくては、と思うくらいでしたが。

暖房って良いですね。部屋が暖かいんですよ!

朝も布団から出やすくなりました。

2002年11月

2002年11月4日

連休も終わってしまいました。この連休は珍しくやること目白押しでした。筋肉痛で体がだるいし、やることも結局全部終わらず、今も悪あがきしていろいろやっています。いつまでかかるのやら。

めっきりと寒くなりましたね。カレンダーはもちろん、年賀状も売り出しています。

2002年10月

2002年10月27日

この週末は久しぶりに小説を読みました。本当に、この1年くらい、全く小説を読んでいませんでした。

普段の仕事とは違う、脳の部分を使うことで、何かとてもすっきりしましたし、違う感覚や感情が戻ってきたように感じました。

毎日、とは言えなくても、週に1度はこういう経験をしないと、視野が狭まり、気持ちが毛羽立ってしまい、なんだか人間としてのバランスを欠いてしまうな、と思いました。

2002年10月20日

この週末は久しぶりに運動をしました。秋を楽しみたいものですね。

ようやくクロアチアの整理を終えました。あまりに大変で、しばらくイタリアに手をつける元気がないです。

2002年10月15日

秋ですねえ。皆さん。

忙しくないですか。なんだか師走みたいですよ。

旅行の整理には全然手が回りません・・・。

2002年9月

2002年9月16日

日本に帰ってきました!

今回の旅行は、途中で体調が良くなかったのが残念でしたが、トラブルもほとんどなく無事に終わりました。なかなか魅力的な場所ばかりでしたよ。

日本は結構すずしいですね。まだ、タマちゃんの話題をやっていたんですね。

旅行の整理をしています。仕事もたまっているんだろうな。

2002年9月1日

明日9/2から旅行なのですが、まだばたばたしています。一応、荷造りはほぼ終わりましたが、なんと仕事が残っている・・・

とりあえず、では行ってきます!

2002年8月

2002年8月7日

いつもいつもそんなことを言っている気がしますが、忙しい。しっかりと三度食事して、ゆっくり寝たい。

今日、もったいぶった郵便物が来ていて、あけてみると、噂の11桁の住民票コード通知票でした。みなさんのところにも来ましたか?

2002年7月

2002年7月28日

同じ歳の友人が突然亡くなってしまいました。

あまりにも突然だったので、今にも元気に電話がかかってきそうです。今いるこの部屋にも来たことを思い出したりします。携帯電話の電話帳に、もう使えなくなったアドレスが残っています。

絶対に弱音を吐かずに、何でも一生懸命やる男だったのに、その結果がこれだと思うとなんといえないむなしさを感じます。

二人で話したことや、あったいろいろな事を思い出します。自分にしてもらったことに比べて、してあげられたことは十分だったのかな、とか考えます。

葬式に行きましたが、写真が飾ってあるのが何か悪い冗談のように感じました。人が亡くなってしまうのはとてもあっけなくて、何事もなかったように日常が流れていくことにむなしさも感じます。

新幹線で葬式から帰ってきて、東京駅のファーストフード店の前を通って帰ってきました。刺した男も、刺された店長もほぼ同じような世代です。

亡くなる人がいて、自分がこうして生きているということについて意味とか価値とかそんなことを考えてしまいます。

2002年7月14日

外に出る気もしないほど暑いですね。もういやです。

2002年6月

2002年6月30日

ワールドカップ、終わっちゃいましたね。一喜一憂してしまって、自分でもこんなにはまるとは思いませんでした。

この週末は休んだのですが、かなり忙しくて、ぐったりです。明日から仕事。でも、これからはワールドカップがないので、いろいろ集中できますね。

バーゲンのシーズンが始まり、吉祥寺の服屋も朝から行列が出来、百貨店も混み合っています。今年ももう折り返しです。

2002年6月10日

6/9の対ロシア戦、日本が勝ちました!よかったですね。会社から急いで帰ってみましたが、街の喫茶店などはがらがらでした。

2002年6月6日

Mozilla 1.0がついに出ました。おめでとうございます!

2002年6月2日

5月までの仕事があったので、少しだけ、落ち着きました。この週末は本当にお休みでした。

朝、稽古にいこうと思ったら、車のバッテリーが上がっていました。JAFを呼んで助けてもらい、ガソリンスタンドで直してもらおうと思ったら、タイヤにもひびが入っていて、交換になってしまいました。さらにミッションオイルなども交換になってしまいました。合計9万円。うー。

2002年5月

2002年5月12日

連休が終わったのにばたばたしています。なんとかならないんでしょうか。

2002年3月

2002年3月31日

明日からいよいよ新年度!なんと社会人10年目突入です。みなさん、がんばりましょう。

2002年3月17日

ムネオ議員が離党しましたね。

記者会見の涙は、うそ涙だという人もいますが、私はかわいそうで、結構ぐっと来ました。あれだけ有頂天になっていた姿が、短期間にあんなにしょんぼりした姿に変わってしまうのかな、と思いました。さんざんの批判や報道も当たり前と思っていましたが、もう降参している人を責めるような気はなくなってしまいました。

普通に考えて、自業自得ではあれ、自分の悪口や経歴の批判が、毎日テレビや雑誌、広告にあふれていれば、落ち込むはずだと思います。

結局、彼は政治家の器ではなかったということだと思います。志も、目的と手段の峻別もつかず、手に入った権力におぼれて子供のように調子に乗ってしまったということだと思います。

議員を辞職するべきだという声もあり、その通りなのですが、これだけ速い展開の中で、彼自身も自分の置かれた状況を受け入れるだけの時間がないのではないでしょうか。

器ではないのだから、彼が再び政治家としての道を歩むことはあってはいけないと思います。しかし、政治姿勢がどうの、と責めたところで、それだけの能力がないのだから、意味がない気がします。「政治家として悪いことはしていない」という彼の言葉は本心だと思います。ただ、彼が理解している「政治家」の定義が間違っているということだと思います。

ムネオ議員に問題が集中していますが、彼が力を持っていたときにはこびへつらい、力を失った途端、手のひらを返したように態度を変えた人達が一番卑しいように思います。

2002年2月

2002年2月17日

クレジットカードのポイントが、出張が多かったせいもあり、随分とたまっていました。期限が終わる年度末までに使おうと思い、シャープのPDAであるZaurusと交換しました。

来たのですが、マニュアルが3冊もついていて、理解するだけでも大変でした。スケジュール、通信、アドレス帳、MP3の再生、MPEG4の再生などなど。しかし、結果的にわかったのは、「付属品がないとほとんど何もできないや。」ということでした。

結局、単体ではスケジュール管理くらいしかできない。でも、電子手帳って、紙に比べて便利とは思えないんですよね。

また、通信についても、一生懸命、携帯電話やPHSとつないでメールが読めたとして、何がうれしいんでしょう?それだけだったら、iモードで可能ですよね?

2002年2月9日

少し前に話題になった、「新しい歴史教科書」と、その教科書と他の教科書を比較した「どうちがうの?新しい歴史教科書VSいままでの歴史教科書」という本を読みました。

結果から言うと、「新しい歴史教科書」は、そんなに問題になるようにはとても思えませんでした。問題にする人がいることも自然だと思いますが。

教科書問題を振り返ってみると、議論がかみ合っていない、というか、この問題には3つの問題が独立して存在していると思います。

まず教科書自体の内容や出来栄えの問題です。「新しい歴史教科書」は、確かに鼻につく表現や、一方的な評価が一部にあります。しかし、明快で興味を持てる記述もあります。つまり、絶対的な基準による評価はともかく、他の教科書との相対的な基準の比較では、「どっちもどっち」で優劣つけがたい気がします。「偏向」についても一部感じますが、許容範囲と私は思いましたし、むしろ他の教科書でも「ちょっとおかしいな」と思うところがあります。その意味で、他の教科書も俎上にのせて、出来・不出来を議論するべきだと思います。

次に、教科書の市販についての問題です。「新しい教科書」を市販するにあたって、差し止めを求める裁判が起こされたとのことです。でも、それははっきり言っておかしい。議論があるのなら、むしろ多くの人達に読んでもらうべきです。その点、「新しい歴史教科書」の市販本のはじめに書いてある、「国民に内容が知らされていないのに一方的に新聞が批判した」というのは全く正しい。何事も、より多くの人が自分で見て考え、判断して決めていくことが大切だと思います。そもそも、公正取引委員会の規定で、中学校の教科書採択関係者に無料および安価で配ってはいけない、とあるのもどうかと思う。大学の教科書なんて、売っている本をそのまま使っているし、先生が自分が書いた本を学生に売りつけているじゃないか。逆に、税金を使ってでも、採択関係者といわず、一人でも多くの人達に教科書を配布して考えてもらって、その地域地域で教科書の採択を決めていくべきではないか。現状は決定があまりにも密室だと思う。

最後に国際関係について。筋論から言えば、中国や韓国の批判は筋違いだと思う。内容はともかく、日本の教科書は国定教科書ではなく、執筆者が自由に書いたものが複数存在し、それを地域で自主的に選択していく形式をとっている。これはとても大切なことだ。「新しい歴史教科書」の内容についての議論とは独立して、国の関与を最低限にして、多様な教科書を認める今の制度は絶対に守らなければならない。ただ、国の外交政策としては、やはり反省すべきところはある。受動的な対応ではなく、もっと主張すべきところは主張し、積極的に理解を求めていくべきだった。ついでに言えば、中国や韓国の教科書自体、相当に偏っているという意見もある。これについては機会をみて、勉強してみたいと思います。

2002年2月3日

近所でも梅の花が咲き始めました。桜の木も、芽が膨らんできて、遠くから見ると全体が赤みがかかって見えます。季節は進んでいきます。

2002年1月

2002年1月31日

今日は仕事の段取りが悪くて、久しぶりに徹夜してしまいました。朝、着替えるために電車で家に帰ったのですが、ラッシュと逆方向で空いた電車の中で、進行方向に晴れて冷え込む中で富士山がくっきりと見えました。いつも乗っている電車でも、向きが違うだけで全然違うものが見えますね。

では、おやすみなさい。

2002年1月27日

吉祥寺のサンマルクカフェの前で、割引券を配っていた。チョコクロとコーヒーで300円というので、入ってみた。チョコクロとは、小さな暖かいクロワッサンの中に溶けたチョコレートが入っているもの。

結構いいかも。

2002年1月14日

昨日、めずらしく服を買いに行きました。最近ではめったに服を買わないので、この機会にまとめて買わなければという強迫観念に駆られ、シャツを5枚、ネクタイ4本、セーター1枚、下着2枚を買いました。ははは。合計8万円。国内消費支出の増加に寄与しました。

2002年1月7日

今日から仕事ですね。一昨日まで国内旅行に行っていたのですが、そこで食べた何かが当たったらしく、一昨日の夜から悪寒がし、寝込んでしまいました。昨日になって悪寒はなくなりましたが、微熱があり、一日おなかの調子が最悪でした。やれやれ。

2002年1月1日

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年はこれをやるぞ!という大層な目標はないのですが、小さなことでも1つ1つのことを丁寧に、少しでもうまくできるように努力し、工夫していきたいと思います。このWebサイトも3年目になりました。最近はペースが落ちていますが、こつこつと維持していきますので、よろしくお願いします。

皆さんにとっても良い年でありますように。

2001年

2001年12月

2001年12月15日

今日はとても寒く、北関東では雪が降ったとも聞きました。毎年遅れてしまう、タイヤの交換を急いでしました。スタッドレスタイヤになったので、これで雪が降っても大丈夫です。

2001年12月2日

ADSLにしました。激速です。速度計測サイトで計ったら、上り600Kbps、下り5Mbps出てました。30MBくらいのファイルをダウンロードしましたが、1分で10MBくらいいける感じです。200~300KBくらいのファイルだと、ダウンロードのウィンドウが一瞬出て消えるだけなので、ダウンロードしていないかと思ってしまうくらいです。図が多いページでも、図が1つずつ出るのではなく、ぱっと1ページ一度に表示されます。

会社でのインターネット接続より早いどころか、社内のサーバーにアクセスしているより速い感じです。ああ、インターネットってバックボーンではこんなスピードで流れているのか、という発見をした感じです。WWWは、World Wide Waitの略だ、なんて言われたのは過去の話ですね。

ネット上の音楽や動画も試してみましたが、全くストレスありません。単純に電話やISDNの延長にあるというより、全然別の世界です。こんなことがあと2~3年早く実現されたらどんなによかったでしょうか。皆さん、三度の飯を抜いてもADSLにすべきです。

ついでにOSもWindows XPにしてしまいました。これもなかなか快適です。今までWindows Meを使っていましたが、これはひどかった。まるでWindows 3.1で、すぐにリソース不足になるし、しょっちゅう落ちました。今回のアップグレードは、Windows 3.1からWindows 95に変わったときに味わった感動を再び味わっています。ただ、よく考えてみれば、Windows 95はそれくらい安定していたってことで、一体Windows Meまでのバージョンアップはなんだったのかということです。

Windows XPは、マシンにパワーがあるのでストレスなく使えています。OSの起動に関しては、Windows Meとは比べ物にならないくらい速いです。

2001年10月

2001年10月25日

お知らせ

携帯電話の番号とメールアドレスを変更しました。古いものを登録されている方は、新しいものを連絡しますので、メールください。

2001年10月13日

スウェーデンとフィンランドの出張からも帰ってきて一週間。ようやくスペイン旅行の整理をはじめました。まずは旅程だけ載せましたが、旅行記も順次整理します。今回は写真をたくさんとったので大変です。

2001年9月

2001年9月18日

スペインから無事に今日の朝、帰ってきました!

飛行機

今回の旅行では飛行機が鬼門でした。ちゃんと時間通りに飛んだことが1回もなかった・・・

  1. まず、成田→Londonでは、成田空港でシステムの不調からチェックインが一時中止され、いきなり出発が遅れた。
  2. そのせいで、Heathlowでの乗換えがぎりぎりになってあせったが、火災報知機かなんかが動いたらしく、空港内の移動が一時制限され、さらにあせった。しかし、London→Barcelonaの飛行機も結局遅れた。
  3. Barcelona→Granadaの飛行機も2時間くらい遅れた。早く空港に行ってしまったため、半日を空港で過ごしてしまった。
  4. Madrid→Londonもなぜか遅れた。
  5. Heathlowでの乗り換えは、通常荷物も自動的に乗り換えられ、チェックインもせずに人だけ乗り換えればいいのだが、テロの影響で、全ての非EU国籍者のトランジットは一端荷物を受け取って英国に入国し、再度チェックインして出国しなければならなかった。窓口は込み合って大混乱。時間ぎりぎりでLondon→成田の飛行機まできたら、席が二重に予約されている、とか。結局エコノミーがいっぱいで、ビジネスにアップグレードしてしまった。終わりよければすべてよし、と思っていたら、荷物が乗り遅れていて、次のLondonからの到着便を成田空港で待った。うー。
イスラム

今回のテロで、イスラムに対する風当たりが強いですが、スペインで見たイスラムによる建築物はそれはすばらしく洗練されており、美しいものでした。報道される一部のイスラム過激派とは異なった面を理解する必要を感じました。

フラメンコ

3回ほど見ましたが、観光客相手のものはそれはそれはひどかった。技術そのものはすばらしいのでしょうが、迫力がなく、強く訴えるものがない内容。ツアーで着た日本人観光客が前の席を陣取っていましたが、途中で寝ている人も多かったくせに、終わったとき大拍手していました。自分の目で本物を探して見極めたいものです。

闘牛

楽しみにして見ましたが、想像したよりずっと残酷でした。良い悪い、楽しいつまらないは全く別としてものすごく強い印象がまだ残っています。

2001年9月4日

今日からちょっとスペインに行って来ます。9月4日にバルセロナに着き、三泊し、9月17日にマドリッドを発ち、9月18日に成田に帰ってきます。途中は・・・何にも決めていません。では!

2001年8月

2001年8月18日

本日ようやく航空券が取れる見通しが立ちました。いつものことですが、直前にしか準備をしないので、苦労しました。9月4日出発です。今年はスペイン!

2001年8月13日

今日は突然小泉首相が靖国神社を参拝しました。いろいろ意見があった件ですが、結果的には一番良い解決策だったように思います。戦争は起こしてはならない、現在の繁栄の礎となった人たちに敬意をささげる、そういった感情からはじまっているにも関わらず、中国や韓国と摩擦を生じさせたのはとても残念だと思います。

反対論も、賛成論も極めて形式的、一面的なように感じていました。過度に問題を先鋭化させたマスコミや、ナショナリズムを煽った各国の政府の責任は極めて重いと思います。各個人が、立場を超えて、一人の人間として、それぞれの方法で、歴史からの教訓、平和の大切さを考え、内省して欲しいと思います。

2001年8月3日

明日からしばらく夏休みをとって、北海道に行って来ます。最近少し精神的に疲れていたのでリフレッシュ!

あと、Mozilla0.9.3がリリースされてますね。今回も安定志向で、派手な機能追加はないですが、デザインは随分かっこよくなってます。

2001年7月

2001年7月26日

アクセスカウンターが3500を超えました。最近、更新をサボりがちですが、よろしくお願いいたします。

2001年6月

2001年6月30日

Mozilla 0.9.2がリリースされました。

前回に出た0.9.1と同様、安定志向で開発が進められました。結果として、目立つおかしな動作が一掃され、今までのMozillaの中でもっとも安定しています。スピード、安定性、ようやく満足できるレベルになった0.9.1からさらに改善されているようです。今までは、バグが多くて、いやになったこともありましたが、気分よく使えそうです。私の環境では、ちょっとボタン周りの色が変ですけど。

レンダリングの美しさとCSSへの対応は、依然Internet Explorerを超えているし。

開発ツリーから分岐してリリースされた0.9.2ですが、このままさらに改善されて、次のNetscape6.Xになるようです。一方、元のツリーは引き続き開発がすすめられて、0.9.3に向かいます。現時点で500もの修正すべきバグが0.9.3に向けてリストされていますが。

いずれにせよ、Internet Explorerがいやで、仕方なくNetscape4.Xを使っていた人、Netscape6があまりにも不安定なので、Netscaspe4.Xを使っていた人も、ようやく安心して使える新しいブラウザが現われたということでしょう。

2001年6月4日

日曜日に自転車を買った。

街中なのにマウンテンバイクというのはいかがなものかと思う反面、ロードレーサーに乗るほど元気はないので、「クロスバイク」なるカテゴリーのものを選ぶことにした。安物買いはいやなので、ちょっとよいやつを買おうと思ったが、店員に「やはり良いものは10万円をこえてしまう」と言われてしまった。ちょっと迷ったが、週末にしか乗らないしもったいないと思ったので、それは遠慮し、BIANCHIのADVANTAGEというものを選んだ。

この会社のものでは一番入門用のものみたいですね。色はチェレステグリーンなる微妙な緑。これがBIANCHIのコーポーレートカラーなのだそうだ。なかなか美しいし、結構スピードが出る。

3年くらい前に、それまで乗っていた自転車が壊れて以来、自転車には乗っていなかった。駅にも街にも近いので、無ければ無いで過ごしていましたが、やっぱり「中距離」が不便だった。歩くのは1km以内、車はやはり停めるのが面倒だし、一方通行など動きにくい。その点、自転車は便利!!思いついたらさーっと井の頭公園を一週走ってこられるし、風を切って走るのは爽快快適!!

2001年5月

2001年5月31日

今テレビでワンダフルを見ていたら、引っ越したい町TOP10をやっていました。赤坂とか新宿とか原宿とか出てきて、駅から徒歩10分圏の1Rの値段も特集していました。

いよいよTOP5になって、吉祥寺は何位かに入るかなあ、と思ってみていたら、代官山とか自由ヶ丘とか出てきたのに、ちっとも登場しません。おっかしいなー、さすがにTOP 10ならどこかに入るよな、と見ていたら、下北沢が出てきたので、この流れから行けばもしや?と思っていたら、なんと、吉祥寺第1位!やったー!

でも、駅から10分以内の1Rで、7万円台後半から8万円台前半だって。あのー。私の部屋は高いんでしょうか・・・

2001年5月23日

アクセスカウンタが3000を超えました。早いですね。でも、実は掲示板をつけてから、結構自分でチェックするために見ているからかな?

2001年5月21日

いつもいつも夜にお金をおろしていて、調べると3回に2回は時間外手数料を払っていました。とてもしゃくなので、何とかしようと調べました。

まず、東京三菱銀行の口座をメインバンクサービスにしました。これで、東京三菱銀行の口座から引き落とすとき、いつおろしても時間外手数料がかからないようになりました。吉祥寺支店は24時間開いているので、とても便利になりました。

さらにシティバンクに口座を作りました。これはすごい。吉祥寺に一応出張所がありますが、口座開設は全てインターネットと郵便で完了しました。シティバンクのATMでは、24時間、入金しても、引き出しをしても手数料無料です。郵便局のATMでも、入金しても、引き出しをしても手数料無料です。都銀・地銀のATMでは、引き出しが手数料無料です。すごい。とどめに、他行への振込みも、事前に登録しておけば、インターネットで手続する限り手数料がかかりません。で、どこでお金を下ろしても、家賃を振り込もうと、一切手数料を払わないでよい身分になりました。

トラベラーズチェックの発行も手数料がいらないらしいし、世界のどこでも現地通貨で引き出しができるらしい。すごいですねえ。

ただし。シティバンクの場合、上記のサービスを受けるには、残高が100万円を超えていなければなりません。有り金を人質に入れました。

2001年4月

2001年4月29日

いよいよゴールデンウィークですね。休みなのに、吉祥寺の街の人でも明らかに少なく、店も空いています。おかげで、ゆっくりと喫茶店で昼食をとり、夜にも喫茶店でコーヒーを飲むという優雅な一日でした。

2001年4月17日

いつのまにか、桜も散ってしまいました。でも、街を歩くと、椿、チューリップ、つつじ、いろいろな花が咲いていて、淡い緑色も目にまぶしいです。

2001年3月

2001年3月20日

休みですが、仕事です。

晴れていて気持ちがいいです。窓の外にすぐにある桜の木のつぼみも膨らんできました。写真を載せておきます。観察日記です。

2001年3月14日

確定申告デビューしました。高額所得者なので。

というのはウソで、ちまちまとした控除で還付を受けられることがわかり、興味半分で何事も経験と思っていってきました。

昔から税務署があるのは知っていましたが、入るのは初めてでした。当たり前ですが、混んでいる。建物で用紙をもらってから、臨時に立てられたプレハブに入りました。プレハブの中に机と椅子があり、たくさんのひとが一心不乱に用紙を書いています。アルバイトらしき人も働いていて、「ここに空きがあります」という看板があるので、すかさず隙間に座りました。

用紙は結構細かくて、イからロに書けだの、7から1を引けだの、ややこしい。机は細長く向かい合わせになっていて、その間に等間隔くらいに職員らしき人が座り、周りの人が書くのをアドバイスしている。ちょうど牛丼屋のテーブルみたいな感じだ。ここにこれを書け、これを引け、など、ちょっと進むと指示されるので、読むまもなく言うなりに記入した。電卓を使って、などといわれるのだが、電卓など普段使わないので、簡単な計算も間違えたりして時間がかかる。表計算ソフトなら簡単なのに。

なんとか書き終え、領収書や源泉徴収票をホッチキスで用紙に止め、プレハブの端にある提出コーナーに提出した。所要時間約15分。

還付金額20,700円也。結構な額なのかな。少ないのかな。普通の人は、どれくらいの金額が返ってくるときからやるんでしょう。電車に乗ってから、控えを熟読しましたが、なかなか面白いですね。

学んだこと。所得税は、所得から必要経費的なものを引いた課税所得から、さらに各種控除額をのぞいたものに、一定の比率をかけて、一定額を引いた額になる。

来年もやってみようっと。

2001年2月

2001年2月28日

毎年、毎年のことですが、年度末は仕事が忙しくなります。そんな中でもきょうはちょっと一山越えました。お祝いに一人でワインを飲んでいます。

2001年2月11日

吉祥寺にもUNIQLOが出来て、UNIQLOの袋を持っている人が歩く姿も多く見るようになりました。ついこの前、妹もUNIQLOのフリースを着ていた。そこで、遅ればせながら行ってみました。

気に入った。ファースト・リテイリング恐るべし。

店に、スーパーみたいにカゴがあるのが面白かった。確かに、がばがば買いたくなるよ。これは。家に帰ってから、質を子細に観察してみた。シャツについて、まずポケットのとりつけを見た。きちんと本体と模様が一致するように縫い付けられている。縫い方が難しいそで下の脇の縫いあわせを観察してみた。ほんの少し曲がっているようにも見えたけど、まあ許せるかな。着心地はよく試してみます。

2001年1月

2001年1月29日

アクセスカウンタ2000オーバー。1000を超えたのが2000年6月1日ですから、8ヶ月で1000ですね。

2001年1月24日

1月ももうすぐ終わり。早いですね。この時期毎年、仕事が忙しくて現実逃避したくなります。温泉やスキーに行ってみたい!

2001年1月22日

皆さん、1月23日は私の誕生日です。32歳ですよ。この記事を読んだ方、高谷の誕生日を祝いたい方は「高谷 徹 Web Site!」記 帳コーナーに書いてください。

なんとなく歳をとっていきますね。このまま40くらいまでいくのかな、とふと考えることがあります。

2001年1月14日

新年早々、どうしてアクセスカウンタが増えていくのだろう、と不思議に思っていました。良く考えたら、年賀状にさりげなくURLをいれたからだと気がつきました。

街は秋冬物のバーゲン。持っている服が傷んできたので、重い重い腰をあげて、ネクタイやシャツを買ってきました。ばっちい格好はいけないと反省し、久しぶりに靴を磨き、スーツの取れかかったボタンを付け直しました。考えてみれば、一人暮らしをはじめて3年以上、ボタン付けも随分上達しました。

2001年1月1日

皆様あけましておめでとうございます。

軽い気持ちではじめたWebサイトですが、トップページビューも1700を超えました。一年間でほぼ1000増えたことになります。拙い内容ですが、リンクをはってくださる方もいらっしゃいます。21世紀もよろしくお願いいたします。

2000年

2000年11月

2000年11月5日

11月になり、年賀状が発売され、街ではカレンダーを売るのが目に付くようになってきました。今年も後2ヶ月ですね。

この連休は車を結構運転しましたが、木々の葉の色が本当に色づいてきました。秋冬は仕事が忙しい季節なのですが、いろいろなところに出かけてみたいですね!

2000年10月

2000年10月17日

最近、ばかばかと本を読んでいます。会社の行き帰り、寝る前。読書の秋です。面白いものもあり、面白くないものもあり。また紹介したいと思います。さらに、食欲の秋といいたいところですが、これはがまん。本当に過ごしやすい季節ですね。こんな季節がずっと続けばいいのに。

2000年10月9日

あっという間に本当に秋らしくなりましたね。私の生活も、京都出張の日数が減り、自宅で新聞を読み、自分で作った料理を食べ、本を読み、少しづつ普通に戻ってきました。でも、いろいろ忙しいけど!

さあ、また大好きな季節が来ました!

2000年9月

2000年9月18日

フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの2週間旅行から帰ってきました!報告は後ほど。

2000年8月

2000年8月13日

今日は仕事でばたばたしていて、稽古に行けませんでした。昨日、旅行代理店に行きましたが、やっぱり日本とヨーロッパの間の便はかなりいっぱいになっているそう。夏休みが取れるか不安です。

2000年8月6日

今日は稽古に車で行きましたが、道はがらがらでした。世間は夏休みですか。

買い物に行ったとき、財布を出してからジーンズ後ろのポケットにしまったとき、指を入れた感覚がいつもと違いました。ふと見ると、ポケットに穴が空いて、そこに指がささっていました。もういい年だし、ばっちい格好も卒業しないといけないかな。

2000年7月

2000年7月23日

海の日で木曜日が休みだったので久しぶりに金曜日の資源ごみを出すことが出来ました。ずいぶんすっきりしました。車のタイヤもスタッドレスタイヤからノーマルタイヤにようやく、ようやく交換し、腕時計も修理に出し、自動車重量税の支払いもてはずを整えました。結構、やらなければならないことが片付きました。

合氣道の稽古に出たところ、太ったと言われ、会社に出勤したら太ったと言われ、実家に行ったら太ったと言われ、状況が極めて深刻なことが分かりました。こんなことではいけないと、週末はカロリーの少ない食事をし、木曜日は一日合氣道の稽古をし、土曜日はプールで1000m泳ぎ、今日の日曜日も合氣道の稽古をしました。おかげで、全身が軽い筋肉痛でだるいです。

さらに、今日買い物をしたところ、初めて2000円札なるものをお釣りでもらいました。気のせいか、お釣りをくれるお姉さんがにやっとしたように感じました。家でよく観察しましたが、人の絵が強調されている他の札に比べ、あっさりとして風流で良いですね。

2000年7月16日

金曜日に京都から帰ってきましたが、祇園祭りにはびっくりしました。大きな祭りだと走っていましたが、あんなふうに町中がお祭りモードに入ってしまうとは知りませんでした。人出は多いし、歩行者天国になっているし、臨時列車は出ているし。昔からの伝統行事が、若い人達にも親しまれる形で続いていることに感銘を受けました。

で、東京に帰ってきたら、部屋に入った瞬間に涼しい・・・。一週間冷房をつけっぱなしで出張してしまいました。電気代が心配。

2000年6月

2000年6月25日

今日は選挙の日ですね。昼間に投票してきました。じめじめべたべたとした梅雨は嫌いなのですが、雨のおかげで街は空いていて、休日の昼間に喫茶店でお茶をしてきました。最近吉祥寺にもスターバックスがたくさん(!)出来、小さな喫茶店がつぶれてきていますが、やはり小さな喫茶店は良いです。今日行ったところも結構お気に入りですが、年齢層もかなり年配の方までいて、ああ、こういうものなんだよな、と思いました。やはりドトールとかは若年層が中心だし、なんとなく慌ただしいですよね。

2000年6月18日

今日は久しぶりに部屋の掃除を敢行。住環境が劇的に改善。気分良いです。快晴だったので、道着も洗濯しました。思い切ってじゃんじゃん捨てたところ、選挙のはがきがないことに気がつきました。もう一度ごみ箱をひっくり返して、救出しました。

2000年6月11日

最近更新をさぼりがちにも関わらず、カウンタが1000を越えました。1000を見た方、誰ですか?至急連絡ください。

さて、あっというまにもう6月、梅雨ですね。仕事も相変わらずたくさんありますが、それ以外でもやらなければならないことたくさんです。突然ですが、私の私的なやること表です。いつ終わるやら。

2000年5月

2000年5月20日

今日はせっかくの休みだったのに、雨で残念でした。最近精神的に疲れぎみ。気分転換をしなければ。

2000年5月2日

今、何かをひっくり返したようなものすごい音が外から聞こえて、外壁塗装工事は終わったはずなのに!と外を見たら、何と「ひょう」だった。うずらの卵くらいの大きさのものが、ぼこぼこ降っていた。あんなのを外で受けたら怪我をしそうだと思った。

2000年4月

2000年4月2日

今日は久しぶりに稽古に出て、少し本来の自分に戻りました。今日は、いいことも悪いこともありました。

まず、これからしばらく、マンションが外壁塗装工事をすることになってしまい、自宅の窓から目の前の桜を鑑賞する予定だったのに、人足の足が見えるようになってしまいました。

次に、腕時計のバンドの根元の部分が緩んで外れるようになってしまったので、近くの百貨店の時計売り場で修理をお願いしたら、一生懸命直してくれて、さらにお代は結構です。と言われました。

最後に、また1つ、吉祥寺の喫茶店が消えてしまいました。ケーキと紅茶の店だったのに。食器もウェッジウッドだったかの美しいものを使っていて、そこのブランデーティーはとても気に入っていたのですが。残念。

2000年3月

2000年3月26日

最近全く更新できないうちに年度末。自宅近くの梅の花も長く良い香りを放っていましたが季節が終わりました。隣が幼稚園のグラウンドなので、窓を開けると目の前に桜の木があるのですが、芽が膨らんではちきれそうです。いよいよ春ですねえ。

2000年2月

2000年2月6日

あっというまに週末(らしきもの)が終わってしまった。週に2日休みたい。ゆっくり寝たい。朝起きて、「さあ、今日は何をしようか。」と思いたい。ゆっくり本が読みたい。旅行がしたい。スキーがしたい。ゆっくりバーでお酒を飲みたい。梅が見に行きたい。映画でも見に行きたい。

2000年1月

2000年1月23日

トップページのページビューが700を超えてしまいました。びっくりですね。自分でチェック用に見ているのが多いにしても。いったいどんな人が見ているんでしょう。

今日はなんと31歳の誕生日です。仕事をしていますが。年をとればとるほど時間が早く過ぎていくといいますが、本当ですね。なんだか時間がさらさらと流れていくようです。

1999年

1999年12月

1999年12月31日

年賀状も出し終わり、部屋の整理と掃除も何とか終わり、正月用の本も買い込みました。今は、カレーなど作りながら、JIM BEAMを飲みつつ、この文章を書いています。なんだかとてもいい気分です。今年ももう終わりですね。

一年の区切りなどというものは全く人工的なもので、他の日と変わりないし、地球の公転軌道に区切りがあるわけではありません。しかし、何か厳粛な気持になって、一年間の楽しかったこと、辛かったことなどをいろいろ思い出したりします。

この年末年始は、何といっても2000年問題ですね。ただ、注意が必要だと思うのは、2000年問題は2000年1月1日になる瞬間だけではないということ。各企業が動き出す2000年1月4ごろにも問題が起きる可能性があるし、2月29日の問題もあります。また、年度が変わる4月1日も問題でしょうし、四季がある日本では、季節が変わる毎に問題が生じる可能性があるでしょう。要は、来年いっぱい2000年問題とは付き合わなければならないということです。年が変わってすぐに安全宣言を出す能天気な人は、総理大臣だけだといいのですが。

あと、年が変わった段階に不要不急の電話をしたりするのは避ける必要があるし、毎年繰り返されることですが、1月1日にあけましておめでとうメールなどたくさんうってはいけません。ネットワークに負荷をかけます。

全然関係ありませんが、ロシアのエリツィン大統領が突然辞任したようですね。来年はどのような一年になるのでしょうか。良い一年になるといいですね。では、皆さん、良いお年を。

1999年12月29日

今年は何がなんだかわからないうちに、年末になってしまった。忘年会さえ、1回も出なかったような気がする。来年はどうなるんでしょうか。平穏な日々は訪れるのでしょうか。冬休みも、部屋の大掃除、年賀状書き、書類整理などやることいっぱいです。通信教育の勉強もしなければならないし、本もたくさん読みたい。車の掃除もしなければならないし、スタッドレスタイヤにも換えなければならない。今年もあと2日強。毎日超多忙です、といいながらページの更新をしてしまった。

1999年12月11日

9月後半から普通ではない忙しさが続き、生活のリズムが変わってしまったせいか、体調も精神的にも疲れがたまっているように思います。やはり、昔ほどは無理がきかないようです。長生きをしたいとは思いませんが、生きている間は健康でいたいと思うので、自分のペースを取り戻さなければ、と思いました。

もともと規則正しい生活をしているわけではないし、そもそも出来ないのですが、今の生活の何がいけないのだろうと考えてみると、以下のようなことが疑わしい。

やっぱり生活には潤いがないといけない。この週末も仕事をしなければなりませんが、井の頭公園にでも行って、季節の進み具合をチェックし、たまったNational Geographicでも読んで、インカ帝国のミイラについて考えることにします。

1999年11月

1999年11月27日

コーヒー・紅茶

コーヒーも紅茶もよく飲みます。コーヒーは緊張するときの飲み物、紅茶は弛緩するときの飲み物としてなぜか自然にすみわけがなされています。日本茶は習慣としては飲みませんが、我が家は最近まで両親二人とも日本茶をいれない人だったため、そもそもそういう選択肢がなかったためです。嫌いではありません。

コーヒーは仕事中など、後に集中力を要する作業などを残している場合に飲みます。外の喫茶店でもよく飲みます。入れ方にはあまりこだわりません(そもそも何事についてそれほどこだわりがないつもりだが)。インスタントでもよくて、飲み方も何も入れなかったり、何でも入れたりします。ホットもアイスも飲む。カフェオレも好きです。

紅茶は弛緩するときの飲み物なので、仕事を終えて一人で部屋でぼっとくつろいでいるときや、土曜日の朝などに自分で入れて飲みます。特にこだわりはありませんが、ティーバッグは使いません。この何年かは、ロンドンから自分で買ってきた紅茶を飲んでいます。というと凄そうですが、最近、海外旅行でなぜか英国航空になってしまうことが多く、ヒースローで余った小銭で紅茶を買うため、それが消費しきれない状態が続いているだけです。

Harrods No.14で、2分半で入れるのが典型的なパターンですが、鍋で沸かしてIndian Teaのようにもしたりします。こだわりはないのですが、Londonにかぶれたため、レモンティーは飲みません。ただし、ミルクティー、ストレートティー、そしてブランデーをどばどば入れて飲むのも好きです。

本当は、喫茶店についても書こうと思いましたが、書くことが極めて膨大になりそうなので、別の機会にします。

1999年11月20日

ばたばたと忙しい生活が続くうちに、世の中はすっかり秋になってしまいました。週末しか自宅に帰らないのですが、自宅近くの街路樹は紅葉しているし、空き地には家が立ちはじめているし、ある喫茶店はつぶれたのか違う店になっていました。

東京と京都は新幹線なら2時間の距離ですが、やはり往復は大変で、面倒。700系の新幹線も飽きた。ホテルの朝食も、四日連続は飽きる。もう少し余裕があれば、街を探検したり、本を読んだりできるのですが。極めて個人的な書評も10月9日以来更新していませんが、本当にそれから本らしき本を読んでいません。さらに、新聞も今月からストップ。世の中は何が起きているのでしょう?

1999年11月7日

忙しい。何といっても忙しい。どこに行っても忙しい。とあるきっかけで、平日の大部分を京都で過ごすことになりました。月曜日に京都に行き、金曜日に東京に帰ってくる、という単身赴任のような生活です。といっても普段から単身ですが。

不規則な生活で、また太ってしまった。ふと身体を見やると、衣のような贅肉が・・・。節制しなければ。

1999年10月

1999年10月23日

ウィングチップの靴を買いました。就職してすぐに買ったウィングチップの靴を、底を張り替え、張り替え履いていたのですが、遂に「もう修理できません」と言われてしまったので、買い替えです。

靴は服飾品の中でも不思議なものです。紳士用の靴は、極めて制約が強いので、基本的な形は決まっていて、その中での変化しかありません。でも、その中でも靴を買いに行くと、たくさんの靴が並べてあり、値段もばらばらなのですから、選ぶのも大変です。よくホテルマンは靴を見て人を判断する、と言いますが、高ければよい靴かというとそう簡単ではなく、いくら高くても足に合わない場合があるし、安くても履き心地がいい場合もあります。

スニーカーと違って、革靴は非常に寿命が長く、上述の靴も6年以上履きました。それを考えるとお金をかけてもよさそうなものです。普段来ているスーツは6~8万円くらいですから、それくらいかけてもいい気もします。しかし、今日いろいろ見て、一番気に入って買った靴は2万円と少しでした。こんなに安くていいのかなと思います。

靴は、クリーニングに出したり、洗濯機に投げ込めば良い他の服に比べて、手がかかります。手入れによって持ち方も違います。本当は履く毎に手入れをしなければならないと思うのですが、つい忙しさにかまけてサボったり、仕事中に苛々してごみ箱を蹴っ飛ばしたりするので、しばらく履くと傷だらけで、つやもなくなってしまいます。今度買った靴こそ大切にしよう、と思い新たです。

1999年10月17日

15年ぶりくらいに、家族全員で1泊ですが旅行をしました。東京にいると暑いと思う日も多いですが、志賀高原まで行くと、紅葉がきれいで、朝の気温は2度でした。

1999年10月9日

まだ暑くて、休日はTシャツで過ごしていますが、「秋の証拠」を1つ、2つ、3つと数えられるようになりました。車で道を走っていると、落ち葉が舞っていたり、2000年のカレンダーが売られていたり、テレビで紅葉を特集したり。今日は最後の夏物のスーツをクリーニングに出し、スーツの衣更えを終了しました。

10月、11月、12月。一年の中で一番好きな季節がやってきました。

1999年10月2日

i-mode対応計画はちょっと弱気になりました。あまりにも1ページの容量制限がきつい。これは通信速度の制約による仕様だと思うので、もっと容量制限がゆるやかになるまで待つことにします。

最近私の部屋のポストに2種類のビラが投げ込まれていました。1つは自自公連立に伴うものだと思いますが、宗教団体の政治活動を政教分離の観点から批判したもの、もう1つはオウム真理教の宣伝でした。

私は宗教団体が政治活動を行うことが、政教分離に触れるとも、禁止すべきものとも思いません。ただわからないのは、なぜ宗教団体が政治活動を行うのか、ということです。宗教とは個人の内面に関わる問題だと思います。宗教団体の目的が自ら信じる教義や価値観を広め、それを社会全体に反映させることだとすれば、その手段は政治権力への接近ではなく、一人一人の内面に働きかける布教活動を行い、地道に信者を多くしていくことによってのみ達成できるように思います。もちろん、その宗教の価値観を反映させた政治を行うことを目指すという考え方はあります。しかし、働くことなく所得を得ることが出来る地域振興券をばらまく政治を見ていると疑問を感じます。

オウムの活動の活発化も心配なことです。「アンダーグラウンド」など地下鉄サリン事件の本を読みましたが、そのときに失われた命によって得られた教訓が無駄にならないように祈るばかりです。活動を休止すると言われてもよくわからないところです。歯がゆさを感じるのは、既存の宗教団体の沈黙です。これだけ多くの既存宗教団体がありながら、オウムと論戦をしたり、その誤った教義を改めさせたりしようとする団体がないのはどうしてかわかりません。オウムの活動を規制する新たな立法措置を講じることも重要だと思いますが、本来は宗教という世界の中で解決を見出さなければならない問題だと思います。

私自身は特定の宗教を持たない典型的な日本人ですが、年間2万人が自殺していく日本の現状を見ると、心の救いとなる宗教、あるいは宗教心というものが生活の中でもっと身近にあってもいいように思います。個々のオウム信者がどのような経緯で信者になったかはわかりませんが、オウムに走る前に、救いを得られる宗教がなかったのかと思うと非常に残念なことだと思います。

1999年9月

1999年9月26日

諸般の事情から、NTT DoCoMoグループのi-modeサービスを利用できる携帯電話を利用することになってしまった。しかし、これがなかなかおもしろい!

通信速度やディスプレイなどの制約から、まだまだ不完全さを感じる部分も多いが、携帯端末によるインターネット利用という未来の世界を予感させるものである。インターネットメールとやり取りが出来るのは、当たり前かも知れないが便利だし、銀行振込や残高確認が携帯電話で出来るのは、私のような一人暮らしの社会人にはキラーかもしれない(まだやったことないけど)。何よりも、インターネット上のWebページが見られるのはおもしろい!!! 移動中のひまつぶしとして最高。

Web Pageの読み込みは遅いと思ったがそうでもない。i-modeが解釈できるのはHTMLのサブセットであるC-HTMLというものだが、このページもほとんど問題なく表示できた。表も表示できるようである。図については小さなGIF形式のものだけ白黒で表示される。Shift-JISではなければならないと聞いていたが(どうしてそんな規格なのか理解に苦しむが)、ISO-2022-JPであるこのページでも読めた。ただし、ページのサイズには制約があるようであり、このサイトのページでもほとんど後半が切れてしまう。Aエレメントのaccesskey属性も有効なようである。

結構気に入ったので、これからこのサイトでも、i-modeでの利用も想定してページの更新を行っていこうと思う。一番の作業はページの小分割かな。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで