日本の小説 白石一文

最終更新日 2017年4月9日

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白石一文

一瞬の光

角川書店

2000/4/23読了

ひさしぶりにまた面白い本に出会った。たくさんの本の中で1つの本を手に取るというのは大変な確率だと思うのだが。

日曜日に、家で仕事をしていたのだが、食事をしようと外に出て、そば屋に入った。新聞があったので、書評を読んでいるとこの本が載っていて、面白そうだったので、帰りにパルコブックセンターで買ってかえった。ちょっとだけ読んでみようと思ったら止まらず、最後まで読んでしまい、その日の仕事に多いに差し支えた。

主人公の橋田はエリートである。それも単純な頭でっかちなエリートではなく、しっかりとした考え方、能力、努力、人を見る目を兼ね備えたスーパーマンのような男である。自分でもそれを自覚し、責任感を持って仕事をしている。その主人公が、あるとき偶然、就職活動をしている短大生香折と知り合う。彼女は、大変に複雑な家庭環境を抱えてきていることがわかり、それを支える主人公との不思議な関係が始まる。

一方で、主人公の橋田には、瑠衣という家柄、性格、容貌の面で全く非の打ち所のない恋人がいる。さらに、会社内では激しい権力闘争が行われている。主人公と香折、主人公と瑠衣、社内の権力闘争の3つが物語を形作っていく。

本来は橋田と香折の関係がこの小説のメインになのだろうが、随所にある橋田自身の独白のような世の中に対する見方、過去の経験が作っている心の傷、そして何よりも瑠衣という女性の魅力と奥深さが面白かった。最後の部分の瑠衣の潔さと優しさは心を打つものがある。

この本の最後の終わり方については、これで良いとも思えるし、物足りないようにも感じるし、評価が分かれるところだと思う。

装丁が今一つ地味なので、書評を読まなければ手にとることもなかっただろう。本の後ろを見てみると再版まで行っているようだが売れるかな。良い本だと思うけど。

不自由な心

角川書店

2001/2/25読了

「一瞬の光」以降、続編を楽しみにしていた。第二作というのは楽しみであり、不安でもある。第一作と同じようなものを書くのだろうか、全く違うものを書くのだろうか、と。またもや非常にシンプルで美しい装丁である。しかし、またもや地味なので、本屋で目立つか心配だが。

今度は長編ではなく、五つの短編集である。相変わらず、読み応えのある緻密な文章である。内容的には一瞬の光ほどは暗くなく、猟奇的な面はないが、やはり同じ著者だな、と思わせる。主人公はいずれも企業で活躍し、それなりの実力を持つサラリーマンである。その仕事一筋で走ってきたとき、ふと、仕事以外の価値に気がつく、あるいは女性との関係が生まれる、といったストーリーである。文章にしばしば出てくる社会批評、ところどころに垣間見せる主人公の肉体志向、暴力性も一瞬の光に似ている。これが作風なのかもしれない。

文章の一端、一端に心に響く表現が出てくる。ただ、今回の作品の主人公とその設定が、妻子がいながら職場の女性とも恋愛関係にある、といったもので、私にとってはあまり共感できない部分、違和感を感じる部分がある。むしろ、その相手の女性にこそ、感情移入してしまうところがある。その悲しみが心の底まで伝わってくる。

一年半もあれば、自分の気持ちや言葉が結局みんなうそになるには十分だった。あの晩ね、すすり泣く恵理を見ながら人間がこれほど深く悲しむ姿を見たことがないと思った。いまなら彼女の人生はまだやり直せるのだから、と自分に言い聞かせた、訳知り顔でね。恵理は二十五でしたから。---

人間がこれほど深く悲しむ姿を見たことがない、か・・・。

すぐそばの彼方

角川書店

2001年読了

以前に読んでいたのだが、内容を忘れていて、再び読み返した。なかなかおもしろい。

また例によって、帯には現代日本の政界の実情と内幕をリアルに浮き彫りにして描き、人間の存在意義と人生における愛の意味を問う、究極の物語!と書いてあって、違う気がする。

主人公の柴田龍彦は、大物代議士柴田龍三の次男である。あまりぱっとしない兄と比べて、父からも目をかけられ、将来を嘱望されていた。

しかし、この龍彦が、これまでの白石作品のスーパーマンのような主人公と違うところは、不祥事を起こし、ショックで精神的にも破綻してしまっていて、今では父親の事務所に籍をおきながらも、ほとんど何もできずに生活を送っている。

彼は家柄の良い申し分のない妻がいて、小さな子供もいる。しかし、不祥事以来、その妻子とも別居状態にあり、一人で暮らしている。また、不祥事の際に無理矢理別れさせられた薫という女性への思いを引きずっている。

そんな彼は今は高円寺に住む由香子という女性と関係を続けている。この由香子という女性は実は龍彦とは昔から縁があった女性なのだが、今では事故で亡くなった自分の子供の記憶を引きずって過去を向いて生きている。

美容師だった由香子が、公園で龍彦の髪を切る、というシーンはなんだか小さな幸せ、という感じで暖かい場面である。

この物語のもう1つの柱が政治の世界で、父龍三は現職の総裁を辞任させることによって、総裁への就任を目指す。この動きが急展開していく中に龍彦も巻き込まれ、龍彦も徐々にかつての精気を取り戻していく。父龍三の片腕として活躍し、権謀術数渦巻く世界で相手を次々と倒していく。

そんな龍彦を見て、由香子は自ら身をひいてしまう。

あなたはもう私なんかと付き合わない方がいい。私はこれからのあなたには何の力にもなれないから。きっと迷惑をかけて、そのうちあなたは私を憎むようになる。そして、私との時間なんてみんな忘れて、あなたはまた昔のような自信に満ちた、大きな目的に向かって進む人になってしまう。私がそうなって欲しくないと願っても、きっとなってしまう。そんな風になりたくないでしょう、お互いに

妻子の住むマンションへと戻り、龍彦は父をしのぐほどの活躍をし、ついに龍三は権力の頂点の座を射止める・・・。

ここで終われば、一人の男の再生というありがちな物語となるがここでは終わらない。過去についていろいろなことが明らかになっていく中で、最終的に龍彦は違った道を選んだところで物語が終わる。どこか一瞬の光を思わせる終わり方である。

他の白石作品でもそうだが、登場人物、特に女性という形を通して、「どの生き方を選ぶか」と読者に問いかけているように感じる。本当に大切なことは何なのか、ということである。

過去から立ち直れないで生きているだけで精一杯な由香子との世界、経済的社会的な成功に結びついた妻郁子との世界、そして社会的成功とは無縁であまりにも普通な薫との世界。また、当初は軽蔑さえしているように見える兄の生き方に対する龍彦の見方が変わっていくことも象徴的である。

ちなみに、著者はパニック障害になって療養した経験があるらしく、それがこの作品にも生かされているようだ。

僕のなかの壊れていない部分

光文社

2003年読了

これまでにない真っ黄色の装丁に、長い題名。帯に書いてある書評もかなり大げさだったので、期待して読んだが、正直言ってよくわからなかった。

主人公が出版社に勤めていて、これまた美人で完璧な恋人がいる、というのがありがちな展開なのだが、主人公は完璧にはほど遠いところがある。

冒頭から主人公は恋人の枝里子に対して「意地悪」であり、シニカルでいちいち揚げ足取りのような会話をしているところも引っかかる。とても長い引用があったり、性的な描写が延々と続くところがあったりするところもよくわからないところ。

最後の部分の事件も唐突でどういう意味があるんだろう。うーん。

草にすわる

光文社

2003年読了

結構派手な装丁で置かれていたので、すぐに気がついて買ってきた。

短編というか中編集で、2つの中編が納められている。1つは題名と同じ「草にすわる」であり、もう1つは「砂の城」である。

あんまりそういうことは無いように思うのだが、今回は本についている帯のメッセージは正確で、2つの中編とも「覚醒」というか、「生きていることをかみしめられますか」というようなことをテーマにしている。その意味で、全然内容は違う中編だが、著者の言いたいことは1つのように感じる。

「草にすわる」は結構気に入って読み返したりしている。主人公は「挫折しただめタイプ」で若く設定されているが、最後の部分の味もなかなか良い。ストーリーにはあまり関係ないが、主人公の父親が主人公に言うせりふも決まっている

「洪治、もう二度と、女から死んでくれと言われるような隙を作るな。男が死ぬときは一人で死ね。誰も連れていくな。」

一方、「砂の城」は今ひとつに思う。主人公が魅力的ではないし、三人称で書かれた小説とは言え、いきなり「しかしすでに与えられた紙数も半ばをとうに越えている。ここは多少乱暴ではあるが、結論を急がねばならない。」なんて著者に言われても興ざめしてしまう。

全然関係ないが、年末に、自分が死ぬ夢を見て、朝方に目が覚めた。とても怖い夢で、暗い部屋に一人で起きて、「生きているだけで幸せだから文句を言っていてはだめだ。」、「体を大切にしよう。先送りにしている病院の検査も年が明けたら行こう。」と強く思った。

見えないドアと鶴の空

光文社

2004年2月読了

仕事で外出した途中に銀座を歩いていたら、銀座の書店の窓の外側にこの本の大きなポスターが貼ってあった。これは一大事と思い、その週末にパルコブックセンターに買いに行った。

装丁は「僕のなかの壊れていない部分」を踏襲している、というよりも色が違っているがほとんど同じ感じで、初期の作品の固い感じのする装丁と比較するとなんだかな、という感じがする。帯はプラスチック製で弾性が高いため、本を開くたびにびろーんと外れてしまう。

さて、物語は主人公の昂一がカツサンドを作っている場面から始まる。昂一は出版社をやめてしまっていて、妻の絹子が広告代理店で働いているため、家で専業主夫のような生活をしている。ちなみに住んでいるのは国分寺のマンションである。

妻の絹子には、古くからの友人の由香里がいる。由香里は不倫相手と別れ、シングルマザーとして子供を産もうとしている。絹子が海外出張している間、昂一は絹子の依頼で、吉祥寺に住む由香里の面倒を見ているのだが、予定より早い出産に立ち会ってしまう羽目になる。

このことは絹子にとっておもしろくないのだが、昂一自身は特に感慨もない。

しかし、昂一に言わせると、あれは別に絹子が考えるほど神秘的なものなんかではなかったし、女の人が勝手に排便するのをそばで見るようなものだった。

ところが、仕事で忙しい絹子にかわって、子育てをする由香里の面倒を見る中で、由香里との関係が進展してしまう。これが絹子にばれて、由香里とマンションにいるところに踏み込まれる。

と、ここまでは普通のお話なのだが、絹子はその足で昂一を祈祷師のところに連れて行くのである。ここから話は少しSFじみた色彩を帯びてくる。ここがこれまでの現実的な白石一文の作品とは全く異なっているところである。さらに、絹子と由香里の隠されていた過去のつながりが謎となり、舞台は二人の出身地である北海道にまで広がっていく。

これまでの、そして最近の白石作品同様、説教くさい面もあるが、超能力というSFの要素が入っている上に、謎解きというミステリーも加わって、ストーリーは文句なくおもしろく、次へ次へとページをめくる手を急いでしまう。

Webでこの本に関するページを読んでいたら、1つおもしろいことが書いてあった。この本の25章だけ、25という数字が太字になっている。25章は内容的にも1つのメッセージとなっているが、ここが重要、という意味なのかな?

作品中、仏教の高僧の話が1つのキーワードになっているが、そのほかにも1つ、心にとまる言葉があった。

月影の至らぬ里はなかりけれども、ながむる人の心にぞ住む。

この言葉の意味するところは、前作の「草にすわる」のテーマと同じように思う。

この本は、2003年7月に著者が出版社を辞して、作家専業になって初めての作品だそうだ。昂一の専業主夫という設定にもその経験が生かされているように感じる。

仕事で遠くに外出する電車の中で読み終わって、またそのまま最初からもう一度読んでしまった。久しぶりの、そして今年初めての殿堂入り。

私という運命について

角川書店

2005年読了

今度はこれまでと一転した白を基調とした装丁。

読み始めて1章を読み、2章を読み始める。???。うまくつながらず、これを何回か繰り返してしまった。先入観というものは恐ろしいものだ。なんとこの小説は、主人公が女性。これまでの白石作品からは考えられない流れ。仕事ができて容姿も優れているというやはり白石作品の主人公、という感じだが。また、これは1年や2年という時間の流れではなく、女性の10年にもわたる人生を描いている。

前半に出てくる言葉が全体を貫く1つのメッセージではないかと思う。

亜紀さん。選べなかった未来、選ばなかった未来はどこにもないのです。未来など何1つ決まってはいません。しかし、だからこそ、私たち女性にとって一つ一つの選択が運命なのです。

主人公の義理の妹の話も心を打つし、著者の生まれ故郷である福岡の情景も印象的に書かれている。いつものように企業小説のような雰囲気もあるし、事件も取り入れられている。最後は2004年10月に起きた中越地震も取り入れられている。最初からこの最後が考えられていたのか、地震の後に書かれたのか、少し不思議。

もしも、私があなただったら

光文社

2006年6月読了

40過ぎで会社を辞め、離婚し、地元博多で一人で流行らないバーをやっている藤川啓吾。彼の元に、かつての会社の同僚の妻の美奈が訪ねてくる。彼女は強引に藤川の家に押しかけて泊まっていってしまう。このことから啓吾と美奈の関係が始まる。

お互いに人生を経てきているために、二人の関係は自制的のようでもあり、一方で、峠を越えて年を重ねつつある者同士の激しさがある。

藤川は、意を決して美奈の夫の神代に会いに行くが、そこで聞いたのは会社での自分が知らなかった事実だった。

全体的に、これまでの白石小説のように説教くさくなく、淡々と進んでいく。あえて言えば、タイトルの「もしも、私があなただったら」というキーワードであり、勢いだけの恋愛ではなく、美奈の気持ちを想像してみながら自分のやるべきことを考えていく、という主人公の行動だろうか。そして、最後、唐突に終わってしまう。読んでいて、さあ次のページ、とページを繰ったら終わっていた。うーん。よくわからない。

初期の、社会情勢も織り交ぜた硬質な小説、というのとは随分と雰囲気が変わってきているように思う。そのこと自体、良いか悪いかはわかりませんが。たまたまこの小説がそうなのか、だんだんと作風が変わってきているのか。次の作品を待ちます。

どれくらいの愛情

光文社

2006年11月読了

本屋で新作として並んでいたので、迷わず購入。

中短編集で、4つの作品を納めているのだが、実際には表題作である「どれくらいの愛情」が長く、本全体の半分を占めている。これだけは書き下ろしらしい。

仕事や生活の合間合間で、読み続けたため、上品な装丁な本だが、立ち食いそばの汁とか、広島風お好み焼きのソースとかが着いてしまった(はまると食事をしながらも読みます。子供の時から。)。

率直に言って、かなり気に入った。それに、人生について少し考えた。

1つ目の「20年後の私」は、「私という運命について」と同様、女性が主人公。でも、やはりやり手。「私という運命について」にも似ているところがある。表層的なことだけでは、人間は理解できない、人生にはきちんと向き合うべきだ、ということだろうか。

3つ目の「ダーウィンの法則」も、強いメッセージを伝えている。ちょっとした描写だが、印象深いこんなシーンがある。主人公が決心をする瞬間をいきいきと描いていると思う。

とりあえず博多警察署を目印に歩を進めながら、誰もいない路上で知佳は両腕を点に突き出すように全身を伸ばして深呼吸した。酔いの抜けた身体に秋のひんやりとした夜風がしみ入ってくる。

しかし、なんと言っても圧巻なのが4つ目の「どれくらいの愛情」。1つ目も3つ目も博多が舞台だが、この4つ目も博多が舞台。ただし、この作品だけは標準語ではなく、登場人物が博多弁でしゃべっている。また、「見えないドアと鶴の空」のように少しオカルトっぽいところもある。

主人公が晶に裏切られて心の傷を抱えている言う設定は、ちょっと「一瞬の光」も思い出すが、意外な事実が明らかになる。

人生で何が大切なのか、そして、結局は何を選ぶかは自分の判断で、それで自分の人生が変わるのだ、という白石作品で繰り返し現れている(と思う)主題が明確に示されていると思う。

最後のシーン、特に3行が印象的。博多弁だからこそ、登場人物が生き生きとしているように思えるし、一方で、どんなニュアンスや語感なのかよくわからなくて想像してしまうところがある。是非博多弁で誰かに音読して聞かせて欲しい気がする。

それぞれの作品、かなり率直なメッセージを書いている気がするが、それでも言い足りなかったのか、著者自身のあとがきが着いていて、さらにいろいろ論じている。

永遠のとなり

文藝春秋

2007年6月24日読了

主人区の青野精一郎は、鬱病が原因で、離婚し、地元福岡に帰ってきて無職で暮らしている。友人の津田敦(あっちゃん)は小学校からの友人で、ガンを患ってから青野より一足先に福岡に帰ってきている。

と言う設定からは、「もしも、私があなただったら」を思わせる。実際、雰囲気も似ているように思う。作者の新しいパターンとなったと言えるのだろうか。二人の交流を通じて、過去の経緯が少しずつ語られていくところも似ている。

ストーリーらしきものは特になく、あっちゃんが妻を置いて家を飛び出して別の女と暮らしてしまったり、あっちゃんと二人で老人を訪ねたり、老人が亡くなったり、東京に就職活動に行ったり、といった細々とした日常が描かれている。

そして、その中で、主人公はこれまでの人生を考える、というものだが・・・。正直言って、あまりぴんと来なかった。

心に龍をちりばめて

文藝春秋

2008年12月25日読了

買ってあったのだが、ずっと読みそびれていた本。年末にまた読書を始めて、机の上に放置してあったこの本を読んだ。装丁は女性の背中ですね。タイトルの横には、"Miho the Dragon Heart"と書かれています。

今回はまた「私という運命について」と同様に女性が主人公。それもフードライターとして自立した生活を送り、政治記者のエリートの恋人がいる。さらに主人公の特徴となっているのが「美貌」であるということ。いかにも白石一文の小説の主人公。

ストーリーは、美帆が幼なじみである優司と再会し、恋人の丈二は政治家を目指すがその不誠実さに美帆が気づく、という一言で言うと身も蓋もない話。

ちなみに、再会した優司は背中に龍の彫り物をしており、やくざになっていた、という設定。正確に言うと足は洗っているが。

登場人物はそれほど多くなく、また、中心人物の3人以外の人物はそれほど深く描かれていないので、全体的にあっさりとした印象を受けた。丈二の出自の問題、優司が美帆の弟を助けるエピソードなども書かれているが、それがストーリーにどのような意味を持っているのか消化できなかった。

しかし、主人公が「美人ですが、何か?」と1ページにわたって啖呵を切るシーンはなかなかすごい。

・・・美人だから何だっていうんですか。私は努力してこの顔に生まれたわけじゃないし、別にきれいに生まれたいと望んだ覚えもありません。ただ、人より多少整った顔に生まれてしまった。それだけのことです。・・・

確かに年齢を重ねてみると、容姿は人生に大きな影響があるとは思うものの、若い頃ほどは重大だとは思わなくなってきた気はする。家が金持ちか貧乏か、といったようなものと同じかも知れない。なので、案外美男美女にとっては「私は、これまでこの容姿で得をしたことも何度となくありますが、それ以上に損もしてきたんです。(美帆)」という程度のことなのかも知れない。

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け

講談社

2009年3月5日読了

白石一文の久々の新刊、本屋でも目立つように置かれていて、上下一括購入。

このデザイン、賛否が分かれるところでしょうが、一時のあのプラスティックの絵本のような装丁よりずっと良いですね。色合いも良い。

しかし、読み始めてみると???。

???。

なぜか知らないが、登場人物の名前がカタカナになっている。たとえば、主人公は「カワバタ」。ただでさえ、私は人の名前を覚えるのに苦労するので、小説を読むときは大変なのに、これは厳しい。何度も前に戻る羽目になった。何かの意図があるのかも知れないが、実用上の理由で、やめてほしい。困った。

ストーリーも???。

いきなり冒頭は、主人公のカワバタが、雑誌のグラビアに載せてやるという仕事との交換条件で新人グラビアアイドルを抱くというよく分からない展開。

話は一応進んでいくのだが、やたら引用が多く、小説、お話というよりもまるで著者の持論を展開しているアジ演説を聞いているような気がしてくる。もはや小説という体裁さえ保っていないような感じ。

そして、その主張の内容は、格差社会、新自由主義を批判する、といった言いようによっては時宜にかなった内容。つまり、私自身の考え方とは全く反対とも言える。

ということで、気に入らなかったと言えば・・・気に入った。

主人公であるカワバタは冒頭のエピソードからして、どうしようもない人間かというとそうでもない。小さな子供を亡くした経験を持ち、自らは40代にして胃がんの手術をして薬を飲んでいるという背景を持つ。このことが現実に対する冷めた視線になっていて、いろいろなことが見えるし、執着がないので容易に人にだまされない。そう、彼も白石作品にありがちなスーパーマン主人公と言える。

私は「格差社会」という言葉はもともと嫌いで、それを問題視する主張もひがみ根性が浮き出ているものもあって嫌い。結果の平等よりも何よりも機会の平等が重要だと信じている。努力をする人が報われる社会でないとおかしい。ただし、貧困問題については関心があり、最低ラインについてはたとえ自己責任であっても救う必要がある、とは思う。つまり、重要なのは貧困問題であって、格差社会ではない、ボトムラインは改善する必要があるが、トップを引き下げようという発想は嫌い。

しかし、この本を読んで少し考え方が変わった。トップが高くても、格差があっても構わないと思うが、1票の格差ではないが、2倍とか3倍ならともかく、何百倍も所得が違うというのはちょっと行き過ぎではないか。人の価値って、そんなに違うものではないはず。また、一方で貧困に苦しんでいる人がいるところで、それだけの所得を得て何も思わないってどういう性根なのか。

ということで、ボトムラインだけではなく、トップについてもこのままでは問題があるのではないか、と考えが少し変わった。

これはもともと私も思っていたことだが、「機会の平等」という言葉は大事だが、それだけ神聖視することもない。人間は親などの環境でそもそもスタートラインが違うし、持って生まれた才能によって、努力をした結果は同じではない。もっと言ってしまうと、努力できるのも才能。なので、「機会の平等」というのは「みんながんばりましょう」という程度のお題目でしかない。でも、それを認識していればこそ、トップにはトップの自覚が生じるものだし、だからといっていきなり「結果の平等」のみに走るのは極端にすぎる。

結局、差があることだけを持って「格差社会」とひとくくりに、情緒的に議論することが危険なのではないかと思う。

後半になると人の名前が漢字になったりして、最初は単なる「記号」だった人物達が生きた人間になってくる。でも、最後もとってつけた終わり方をします。「この胸に深々と突き刺さる矢」とは何かが明かされます。

ちなみに、この上下で赤と緑の装丁、登場人物がカタカナだったりするところ、20年前にベストセラーになった村上春樹の「ノルウェイの森」を思わせます。何か意味があるのでしょうか。

ほかならぬ人へ

祥伝社

2010年12月20日読了

ついに直木賞をとった作品。初の親子受賞だそうです。

「ほかならぬ人へ」と「かけがえのない人へ」の中編2二本立て。

「ほかならぬ人へ」は名家に生まれながらそれになじめず、キャバクラ嬢と結婚して幸せを探す明生が主人公。しかし、長編ではないせいか、明生以外のなずな、渚、真一といった人物について、深く描かれていないのが残念。また、最後もばたばたばたっと事実関係の説明があって話が終わってしまう感じで消化不良。

「かけがえのない人へ」も最近あった大手電機メーカーの買収が背景になっているようでいてその説明も中途半端で物語との関係もあるようでないようだし、主人公の女性の不倫も全く必然性とか共感がもてなかった。ボーイフレンドの聖司に関してはほとんどどんな人物か印象が残らないし。

直木賞ということでこの作品を最初に読む人が多いかも知れないですが、どう感じるか。この作品が悪いということではないが、「白石ワールド炸裂」という訳ではないからなあ。

しかし、それにしてもどうしてこんなに結婚について否定的なんでしょうね。本当に「うまくいっている結婚」という話が出てきません。

砂の上のあなた

新潮社

2016年9月19日読了

タンザニア旅行中にKindleで読了。

読書が趣味だ、小説を読むのが好き、と言いながら、最後に小説を読んだのは2012年7月2日。実用書はぽつぽつ読んでいたものの、すっかり本を読むのではなく、本を買うのが趣味になってしまっていました。白石一文はすべて読むと決めている作家ですが、これも買うばかり。どこまで読んだのかわからなくなっていて、久し振りに読んだこの本も読み始めて既に読んだことを気がつく有様。

しかし、やはり小説は良いですね。日々の生活に疲れて旅行に行くことが多いですが、小説は一瞬にして心を遠くに連れて行ってくれます。振り返ってみれば、迷ったり、行き詰まったりしているときに本を読んでいたことが多い気がします。どうしようもなくなったときに自分を救ってくれるという意味では、いろいろある趣味の中でやはり読書が一番なのだと改めて思います。そういえば、2012年7月も体調を崩して入院していたころのような気がします。

さて、本作は、またしても女性が主人公。特に前半は「女性」というものをかなり踏み込んで書いています。それが的を射ているのかは男性である自分にはわかりませんが。

ストーリー自体は推理小説のようで、ふとしたところでつながった人間関係がまるで蜘蛛の巣のように絡み合って自分を取り巻いていくことが明らかになっていきます。タイトルの「砂」というのも意味を持っていますが、本書のメッセージはどういう意味でしょうか。一つ一つの人間関係は全体の中の一つに過ぎない、その一方で、世の中はそれで出来ている。身の回りの人間関係だけに拘泥するな、ということでしょうか。

しかし、登場人物達の結婚生活は悉く破綻あるいは問題を抱えていて、白石一文は相変わらず結婚について否定的な気がしますね。

新潮社

2017年3月読了、幻影の星の直後に読んだ。

震災の直後に発表された作品で、「死様」というテーマで6人の作家が競作したものの一つのようだ。

主人公は浜松から東京に転勤となった女性で、かつての親友と、その夫の医師の3人が主要な登場人物。テーマが死様なので人が死ぬ。しかし、どうも話が唐突でただの「イタイ人」という感じで、共感、感情移入できなかった。

幻影の星

文藝春秋

2017年3月読了

この本を注文したのはAmazonによれば2012年12月7日だから、4年ほど寝かしてようやく読めたことになる。

このところの白石一文のように、理屈っぽい思索が入るだけではなく、超常現象も加わり、ストーリーが構成されている。

主人公は九州出身で、東京の酒造会社で働くサラリーマン。主人公は職場の女性と関係を持っている。場所といい、白石一文の作品ではありがちな設定である。

その主人公に、買ったばかりと同じレインコートが故郷の諫早から届く。使い古され、そこにはSDカードも入っている。そこには見たことがない写真が写っている。ここから時間が歪んだ話が始まる。

途中からは諫早の女性も登場し、彼女にも自分のものと同じ携帯電話が届けられる。そこにも見たことがない写真が収められている。

二つの話は最後につながっていくが、突然話が終わってしまうように感じたし、前半の登場人物はそれっきりになってしまい、少々不完全燃焼。

死や原子力発電所の話も出てきて、東日本大震災後の雰囲気を強く残している。その当時に読んだとしたら、違ったことも感じたのかも知れない。

このページに関するご要望は高谷 徹(toru@takayas.jp)まで